第1回 大学入学まで

 自己紹介にも書きましたように、私は大学・大学院時代と中国思想を専門に勉強していた人間です。中国思想とい うとなにやら難しく聞こえますが、どんな分野でも難しいところもあればやさしいところもあります。と言うわけで、未熟者である私が自戒の念を込めて、何 故、中国思想を学ぶに至ったかを語りたいと思います。

最初は、つまり大学受験の時は、西洋思想でも東洋思想でも構いませんでした。とにかく哲学を勉強してみたかったのです。ただインド哲学とか、日本思想と いうのは考えに入っていませんでした。あくまで中国思想か西洋哲学かってところですね。入学してから却って日本思想やインドその他の哲学にも興味を持ちま したが、振り返って考えてみると中国思想を選んで正解だったと思います。

その理由は「書籍が安い」に尽きます。現在はけっこう高くなってしまいましたが、私が学生の頃は中国からの輸入書籍は、いわゆる洋書に比べてかなり安 かったのです。たぶん、「安くはない」と言った現在でも洋書に比べれば相対的に安いことに変わりはないと思います。でも、安い分、紙の質や印刷水準はそれ に応じて高くはありません。ページが跳んでいるとか、逆さまの製本ということもしばしばです。それに加え、欧米からの輸入書の場合はどうか知りませんが、 このような乱丁本・落丁本などを返品して交換してもらうということもなかなかできません。購入した日本のお店に在庫があれば可能ですが、印刷部数なども少 ないので、そういった機会も多くはありません。

そうは言っても、最低限、授業に必要な資料などを買いそろえるのに、中国書の場合、かなり安く購入できるという魅力は、貧乏学生にはたまらないものでした。

このような経済的理由の他に、もっと積年の理由というのがあります。言ってしまえば簡単ですが、私は日本史が好きだったのです。これだけでは中国思想と すぐには繋がりませんね。もう少し詳しく言いますと、つまり日本史関係の本を読んでいて、その中に中国古典の言葉がやたらと多く出てくるのに興味を持った のが最初でした。端的な例を挙げると、有名な武田信玄の旗印「風林火山」は中国古典『孫子』の中の一節です。当時、愛読していた歴史関係の雑誌などに孫子 や呉子といった中国古典が、それこそあらゆる知恵の宝庫のように書かれていたのを読んで、自分も読んでみたいなあと漠然と思ったのが最初でした。「歴史読 本」やビジネス誌「プレジデント」などでは、ほとんど定期的に中国特集をしていましたので、そんな特集の号を読んでは夢を膨らませたものでした。ナポレオ ンが『孫子』を座右に手放さなかったというのは有名な話らしいですね。

ところでいざ受験に当たり、中国関係の学部学科を探すと、思ったほど数が多くなかったという記憶があります。現在はどうなのでしょう。仕事柄、各大学で の中国語履修者の数が増えているということは知っていますが、中国学科などが増えているという話はほとんど聞きませんね。一頃より、中国語学科は増えたか もしれませんが、私の場合及び私が受験した頃に関して言えば、中国哲学を学べる大学は少ないものでした。

当時はやはり京大・東大(あえて京大を先に書きます)が東西の両雄という感じでした、偏差値的には。私の住む関東地区で考えたのは早稲田、東洋、大東文 化、二松学舎というところでしょうか。この中であえて東洋を選んだ理由というのは特にないです。京大や早稲田を受けるほどの学力がなかったというに尽きま す。ただ東洋大学は高校時代に受けた模試で会場になっていたことがあったので、ちょっぴり親近感はありました。

受験は学力的には全く問題はなかったので過去問すらやらずに本番に臨みました。国語の試験で漢文がなかったのには試験場で問題用紙を配られて初めて知 り、驚いてしまいました。まさか中国哲学文学科を受験するのに漢文がないなんて、これが正直な感想で、一瞬、配り忘れの問題用紙があるのではないかと思 い、更に必死で配られた用紙を何度も見直したものでした。

(第1回 完)

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