あたしはもうこの世界には入っていけないと実感しました

昨日の姪っ子、甥っ子の運動会@沼津。

今回は三人とも同じ紅組でして、紅組が最終的に勝ったようです。とりあえず、なによりです。

さて、今回、久hisぶりに、それこそ何十年ぶりに運動会なるものに行ってみて、いろいろ感じました。

まずは、お父さん、お母さんたちの若さです。確かに、やや年配とおぼしきご両親も見かけましたが、全体としては若いのなんのって! あたしから見たら「そこらのガキ」という感じの男女が、それなりにお父さん、お母さんをやっているのが、改めて新鮮というか衝撃というか。

そこでふと考えたのです、あたしは、この中に入っていけるのか、ということを。

個人的には、これまで「結婚はしたいな、そして子どもも欲しいな」と考えていました。子供がいないなら結婚する意味がない、とあたしは考える人間なので、老後が寂しいからパートナーを見つけよう、という考え方にはならないのです。この場合の子供が、自分の実の子供であるか、それとも相手の連れ子であるかは、あまり頓着していなくて、ただ、連れ子の場合、難しい年頃だと「親子」になるのは大変かな、とぼんやり考えるくらいです。

ただ、今回の運動会で、「もし自分が結婚できたとして、そして子供が生まれたとして、その子供の保護者として、こういう行事参加したり、PTAの仕事をやらなければならなくなるのか」と考えると、ちょっと無理だなと実感しました。

そもそもが人づきあいの苦手なタイプです。これまでだって友達なんていない人生を歩んできたわけです。もちろんPTAは友達ではありませんが、それなりの付き合いが生じるわけですが、それが自分にできるとは考えられません。今回見かけたお父さん、お母さんたちの若さにとても付いていけない気がするのです。

もちろん、年齢ギャップということで言えば、現在の社会人生活だって、他社や書店には大先輩から、子供と呼んでもおかしくない年齢まで幅広く存在していて、それなりに仕事上の付き合いはしていますが、学校のPTAはそれとはちょっと違います。

まず、自分よりはるかに若い年齢の一団であるということ。もっと年齢にバラツキがあればよいのですが、確実にあたしは浮いてしまいます。次に、PTAの付き合いは、あくまで子供という第三者が存在するという大きな問題があります。社会人としての現在の付き合いは、その相手と仲良くなろうがケンカしようが、自分の問題です。自分が責任を取ればよいだけのことです。もちろん会社という存在はありますが……

しかし、PTAの場合、子供という主役がいて、その存在は絶対に消すことはできませんし、親同士の問題が子供同士の間柄に影響してはマズいです。そんな息苦しく、気を使わなければならない関係性、いまさら、こんな若い連中との間に築けるとは思えないのです。

姪っ子、甥っ子たちの運動会には保護者が参加するリレー的な種目がなかったのが幸いで、もしこちらが参加しなければならないような競技があったら、次の日から数日は仕事を休まないとならなくなりそうです。

とまあ、いろいろ考えさせられる体験でした。最終的に、結婚も子供も諦めろと言われたような気分で小学校を後にしました。

運動会の間、時々、そばを通る姪っ子や甥っ子と話をすることはありましたが、端から見たらボケーっと突っ立っているだけの「ロリコンの変態闖入者」と思われていたのではないでしょうか?(幸いなことに、カメラもビデオもスマホも手にしていなかったのですが……汗)

いや、むしろ、運動会を見に来ていたおじいちゃん、おばあちゃんの方が年齢的には近かった気がします。となると、意外と若いおじいちゃん、と見られていたのかもしれません。乃木坂46のアルバム発売記念Tシャツを着た!

そんなところには出没しません!

週刊朝日の広告です。

なんと、今号はな-ちゃん(乃木坂46の西野七瀬)が表紙なんですね。確か少し前には、真夏さんとずーが表紙を飾っていたような記憶もありますが、こういった一般誌の表紙にまで乃木坂が出てくるのは、ファンとしては嬉しいことです。

しかし、今回気になったのは「プロが明かす婚活の裏技」という記事です。「いいオトコは……で探せ」とありまして、その探す場所というのが

午後4時の高級ホテル
早朝の皇居周辺
教会の日曜礼拝
9月のプール

となっています。いや、言いたくないですが、こんなところ、行きませんよ! もちろん、あたしは「いいオトコ」ではないので、そんな場所に出没していなくて当然なのですが……(汗)

ロッジ入門に最適?

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ただしお会いしたことのない方、存じ上げない方は、お断わりいたしますのでご了承ください。



もしかして、これが運命の出逢いになるはずだったのかしら?

昨日の営業回りの時の出来事です。

東京郊外の電車に乗っておりました。座席はほどよく埋まっていたのでドア付近に立って本を読んでいました。あたしが乗っていたのは急行で、とある駅で各駅停車との待ち合わせのために停車しました。

すると、すぐ近くの座席座っていた女性が下りていきました。各駅に乗り換えたのか、その駅が目的地だったのかはわかりません。見かけは学生でも主婦でもなく、明らかに社会人。20代後半から30代前半くらいでしょうか。キャピキャピした若さよりも落ち着きを感じさせる、なかなかきれいな女性でした。

さて、彼女が下りたために空いた座席に座り、引き続き本を読み始めました。しばらくして座席脇の手すりに傘がかかっているのに気づきました。季節柄、日傘でしょうね。細見のちょっとおしゃれな女性ものです。たぶん、いま下りていった彼女のものではないでしょうか?

あたしが発見した時点で、急行電車は待ち合わせのためまだ停車中でした。ドアは開いています。しかし、何分も停まっているはずはなく、そう思う刹那、ホームのベルが鳴りドアが閉まり発車しました。

もしあの時、ドアが開いている内に傘をつかんでホームへ下り、彼女を見つけて(まだ近くにいたでしょうから)傘を渡したら、どうなっていたでしょう? その出会いをきっかけに話が弾んで……

そんなわけないか。人生はドラマではないですし、そもそもわが身をよーく省みろと言われそうです(涙)。しかし、万が一、万万が一ということもなくはないでしょうし、何がきっかけで人生の歯車が回り出すかわかりません。

あたしは、昨日、一歩踏み出すべきだったのでしょうか?

真実の愛?

『ギリシア人男性、ギリシア人女性を求む』より

「あなたは恩寵を受けているのですよ」と老紳士は言った。「この恩寵には理由がふたつ考えられますが、どちらになるかは実はあなた次第なんですよ。ひとつは愛、もしもそれをあなたが信じるとするならば。あるいは悪、もしもあなたが愛を信じないとするならば。愛はいつでも出現可能な奇跡です。悪はいつもそこにある事実です。正義は悪をこらしめ、希望は悪をよいものにしようとし、愛は悪に目をつぶる。愛だけが恩寵をそのまま受け取ることを可能にするのです。それは最も困難なことです。それは私も知っています。世界は悲惨で無意味だ。このすべての無意味なものの背後に、このすべての悲惨なものの背後に意味があるのだ、という希望は、それでもなお愛する人だけを守ることができるのです」(P.199)

もう一つ。

あなたは真実を知ることなしに私を愛することはできなかったし、私たちを危うく破滅させかけた真実よりも強いのは愛だけなのですもの。あなたの盲目の愛は、ちゃんと目の見える愛のために壊されなければならなかったのよ。そういう愛だけが価値のあるものなのですもの。(P212)

この小説、あたしのことを激励しているのかしら?

本日見本出しの新刊『ギリシア人男性、ギリシア人女性を求む』はスイスのフリードリヒ・デュレンマットの作品です。

Uブックスなので、装丁はいつもどおりこんな感じです。オビには

冴えない中年男の前に絶世の美女が現われ、会社ではなぜか突然の大昇進。

とありますので、なんか読む前からワクワクしてしまいます。

で、裏表紙がこんな感じです。内容紹介には

うだつの上がらぬ中年男アルヒロコスが知人の勧めで結婚広告を出したところ、すごい美女が現われた。以来、彼の人生は一変、どこへ行っても重要人物の扱い、前代未聞の大昇進……

とあります。

うーん、あたしも広告、出してみましょうか?

遠慮なさらず、思いきってどうぞ。あたしはいつでもウェルカムですよ!

テレビ朝日系の情報番組「グッド!モーニング」の星占い。今朝のかに座は

憧れの人からアプローチされて胸がドキドキ。ときめきのシチュエーションに大興奮。飾らない態度で恋愛成就。

というご託宣。いや~、憧れの人って誰でしょうね? とりあえず、待っていれば、その人からアプローチされてしまうんですよね? 今日一日、とても楽しみです。

しかし、「飾らない態度」というのが意外と難しいかも。あたしだって人の子ですから、多少のプライドと見栄はありますし、世間様に対して多少はいいところを見せたいという気持ちはあります。

それがあまり出てしまうとダメなのでしょうか? 少なくとも今日は特に気をつけないといけませんね。

それにしても、改めて考えてみても「憧れの人」っていうのが思い浮かばないんですよね。少なくとも社内に憧れるような対象は皆無ですし、仕事上で出会うといえば、他の出版社の人、書店員、取次や印刷所とか出入りの業者の人、などなどですけど、「憧れる」と言われてしまうと、さっぱり思い浮かびません。

「ちょっと気になる人」ならいるのかと問われると、実はそれもこのところさっぱりご無沙汰で、つまり、あたしの人生に「ときめき」がないってことです。ドキドキなんて感情、絶えて久しく味わっていませんね(涙)。

これって、やはり加齢のせいなのでしょうか?

そもそも、こちらがドキドキする以前に、あたしに対してドキドキするような人が既にこの世にはいないでしょうね。もう世間的にはあたしは恋愛対象としては見てもらえない存在になっている、そんな気がします。

いや、気がするのではなく、そういう風に覚悟を決めるというか、諦めというか、身の程をわきまえなければいけない年齢なんだ、ということでしょう。

金もなければ恋愛もできない、仕事だって可もなく不可もなく、こんなんで余生をダラダラと過ごすことになるのでしょうか? まあ、ドン底の不幸でないだけマシと思わないといけないのでしょうが。

正夢になるといいなぁ~

とびっきりの美女と仲良くなる夢を見ました。美しいだけでなく、カワイイという要素も併せ持った、もうあたしのストライクゾーンど真ん中! が、夢なので既に顔は覚えていないのが残念。知っている人に似ていたのか、アイドルの誰かだったのか……

どんな夢だったかと言いますと、あたしが電車に乗ってうたた寝をしていました。たぶん午後の営業回りの途次のことだと思います。その夢の中で、あたしはその美女とバッタリ出くわすのです。お互い既に顔見知りだったので、簡単な時候の挨拶を交わしただけで目が覚めました。

で、あたしは電車から降りて、駅構内を歩いていたら、その夢の中で逢った女の子にバッタリと出くわしたのです。で、まだ夢を見ているの? という感じで若干ドギマギしながら挨拶を交したのですが、そこであたしは勝手に「これは運命だ」と思い込んでしまったというわけです。

では何か次の一手、行動を起こしたかといえば、そんなことはなく、というよりもそこで夢は終わり、こんどこそ本当に夢から覚めてしまいました。

こんなカワイイ子、本当にお近づきになりたいものです。

十数年ぶり(?)のおみくじ

昨晩はちょっとした飲み会でした。場所は神保町の「燈のもと、肉と酒と鉄火炉火」というお店。ちょっと隠れ家っぽい造りの店舗で、トイレがまた面白かったです(汗)。

さて、このお店、箸袋がおみくじになっていまして、食べ物屋なので「お味くじ」なんて表記になっていますが、広げてみましたら、なんと「大吉」でした。

考えてみますと、あたし、神社などのおみくじって、この十数年引いたことがありません。そもそも初詣に行かない人間なので、おみくじだって引く機会がなかなかなくて、気づいてみたら十数年、もしかすると数十年、引いていないかもしれません。昨晩だって、自分で引いたのではなく、箸袋が籤になっていただけの話。

総合運で、「551の豚まんがあるときの関西人くらい幸福」っていうのが、関西人ではないあたしには理解できませんが、恋愛運で「全然興味ないよーと言いながらもてる」というご託宣は素直に嬉しがっておいた方がよいのでしょうか? 興味のない相手にモテても、と贅沢を言える身分ではないこと、自分が一番よく自覚しています。

同意できないところとできるところと

感情8号線』から。

一歳年上の彼氏とは予想通りに結婚の話になって私が渋ったら、別れようと言われた。中学校三年生の夏に初めて彼氏ができて上野毛に引っ越してくるまで十年以上の間、彼氏が途切れたことがない。別れてもすぐに新しい彼氏ができると思っていたのに、できなかった。
周りにいる同世代の男のほとんどが結婚しているか、結婚を考えている彼女がいる。そうでない人は、付き合いたくないような人ばかりだ。三十歳になって独身というのは、何か問題がある証拠だ。(P.201)

この一節、前半はまるでわかりません。だって、あたしはまるで逆。生まれてこの方、恋人が出来たためしがないからです。確かに世の中には、彼氏、彼女が途切れたことがない、別れたらすぐに他の人と付き合った、という経験をしてきた人もいるのでしょうが、その真逆で一生付き合ったことがなく生きてきた人だって、星の数ほど(←それは言いすぎ?)いるはずです。そして、その中の一人があたしです。

ただ、後半の「三十歳になって」云々、は理解できます。あたしなんか、三十はおろか、口にするのも恐ろしい年齢になってしまいましたが……。もちろん独身なのはバツイチでもバツ2でもなく、上述のごとく、恋人すらできない人間が結婚できるはずもなく今に至る、というわけです。

何か問題がある、それは自覚しています。結婚できない理由と言うよりは、恋人が出来ない理由を。

恋人はおろか友達すらできないのが現状です。いや、作ろうとする気があるのか、と問われると、「あるような、ないような」です。結婚はしたいと思うのですから、結婚相手を作る気はあるはずですが、友達を作りたいと思うかと聞かれると、あまり積極的に作りたいとは思いません。一生、結婚相手はおろか、友達すらいない人生でいいの、と聞かれても、他人は最後には裏切るものだ、というあたしの確信めいた信条があるので、だったら友達なんていない方が気楽だと思います。

そんなあたしですから、客観的に見れば、イヤなやつ、絶対に友達になんてなりたいとは思えない、そんなタイプです。自分で自分をそう思うわけですから、他人から見れば一目瞭然でしょう。