……のすすめ

ジュンク堂書店池袋本店の人文書売り場で、こんなフェアが並んで始まっています。

まずは仏教書総目録刊行会のフェア《私たちは何を信仰してきたのか 宗教を見つめ直す》フェアです。

そしてもう一つは人文会の《人文会50周年記念フェア》です。

どちらも、ご覧のような無料の冊子を配布しています。

『……のすすめ』と似たようなタイトルですが、編集方針はずいぶんと異なります。ただ、どちらもそれぞれの会が丹精こめて編集・製作した力作です。

えっ、こんな立派な冊子、無料でもらってもいいんですか? というほどの出来映えです。

この週末、よろしければ、是非池袋へ足を運んでみてください。

とはいえ、どちらのフェアも池袋以外の書店でもやっている可能性があります。人文会のフェアは京都の丸善、新宿の紀伊國屋書店、博多の丸善でも開催中のはずです。

タイトルや作者名は不要?

今朝の朝日新聞の多摩版に載っていた記事です。府中市立図書館で行なわれる取り組みの紹介です。

読んだ人の感想をいくつかのテーマに分けて、新たな読者に提供するということらしいです。展示される本には新聞紙でカバーがかけられて何の本なのかわからないようになっているそうです。

うーん、この取り組み、どこかで見覚え、聞き覚えてがありますね。

今の時代、「こんな本ですよ」というメッセージさえ伝われば(伝えれば)、本を選ぶ時にタイトルとか作者が誰かなどは気にせずに手に取ってくれるものなのでしょうか?

しかし、これが成立するのもお金を払って買うわけではない図書館だからでしょう。本屋での似たような取り組みも文庫という廉価なものだからこそ成り立っていたと思うのです。

それに出版社からすると、インパクトがありすぎてもダメだし、かといって埋もれてしまっては元も子もないし、奇を衒いすぎても引かれてしまうし、といった試行錯誤を繰り返して付けたタイトルが隠されているというのは忸怩たるものがあります。

同じように、文字の大きさや書体にもいろいろ気を遣って作り上げた装丁・デザインが見えないというのもいかがなものかと思ってしまうところがあります。だって、本にだってジャケ買いってありますよね?

という愚痴はともかく、そういった出版社側の言い分は抜きにして、「こういう本ですよ」というのをわかりやすく伝えるというのは大事なんでしょうね。書店店頭に飾ってあるポップなどがある意味、その典型かも知れません。ただし細かい字でビッシリと書いてあるポップも捨てがたい魅力がありますけど。

話は戻って府中の図書館。

こういった「テーマで分ける」で思い出したのが、ヤングアダルト出版会の「YA朝の読書ブックガイド」です。こちらも「ハマる」「考える」「チャレンジ」といったそのときどきの気分に合わせて本を探せるように編集されています。本を選ぶ時のヒント、手引きに是非どうぞ!

記念写真を撮りますか?

新宿武蔵野館です。

今月下旬には映画「ライ麦畑で出会ったら」がこちらで公開になります。それを前に、こんなオブジェ? パネル? が登場しました。

入り口を入って少し奥へ進んだところにあります。

机とタイプライターが置いてあって、主人公がサリンジャーへ手紙をタイプしている場面を再現しています。

タイプライターから打ち出された便箋には「拝啓 サリンジャー様」と日本語で手紙が書かれていたのは洒落? それともわかりやすさ優先でしょうか?

机は壁にピッタリくっついているので、自分が机に座ってタイプしているようなシーンを再現することはできないようで、ちょっと残念です。

あだ、映画を見た人なら、「ああ、あのシーンね」と楽しく思い出されることは間違いないでしょう。

机の左側にぶら下がっているキャップは、これをかぶって机の脇に立ち、主人公と一緒の記念撮影をしましょう、という企画者側の意図なのでしょうか? それとも別の意味があるのでしょうか?

個人的には、もう少し部屋が再現されているとよかったのにな、と思いますが、さすがにそこまでやるとお金がかかりすぎでしょうね。

そして、帰りがけに気づいたのは、武蔵野館のエレベーターの扉です。

定期的に貼り替えているのでしょうが、現在は「ライ麦」仕様です。

これはなかなか壮観です。

三つあるエレベーターすべてがこれになっていましたけど、いつも三つ同じ作品のポスターを貼っているのでしょうか? あまり映画館に映画を見に来ることがないので、知りませんが……(汗)

ザ・昭和?

この夏から首都圏の担当エリアが少し広くなりまして、東横線なども回るようになりました。

そこで本日は神奈川大学生協へ。

ちょうど文庫クセジュのフェアが始まったところで、並べたところ、早速全点を一冊ずつ購入された教員の方がいらっしゃったとか。

お店には普段からクセジュを置いていただいていますが、こうして見えるような機会を作っていただくと、やはり効果は絶大なのですね。嬉しいことです。

ちなみに、この棚、文庫クセジュのフェアの前は白水Uブックスのフェア「ユー、読んじゃないよ!」をやっていただいていたそうです。連続での開催、本当にありがたいことです。

そんな神奈川大学へは東横線の白楽駅からトコトコと歩いて向かったわけですが、白楽駅を降りて続くのが、しばしばテレビでも取り上げられる六角橋商店街です。

うーん、なんとも言えず、昭和の香りが漂うレトロな商店街です。こういう商店街、東京でも何か所か意識的に残しているようですが、こちらもよい雰囲気を残しています。

ちなみに、大学へ向かう途中の街並みを見ていますと、アパートやマンションの名前としては「白楽」を名乗っているものが多いですね、住所は六角橋なのに。たぶん鉄道の駅名として六角橋がないので、マンションなどの名前としてはわかりづらい、東横線の駅名を使った方がイメージがアップする、といった不動産屋の思惑があるのでしょうか?

フェアが始まります!

新宿の紀伊國屋書店の階段踊り場で見かけました。

注目して欲しいの真ん中のポスターです。

人文会の創立50周年記念フェアが10月から始まります。

人文会とは何か、については公式サイトをご覧いただくとして、19社の書物が一堂に会します。

紀伊國屋書店ですから普段から棚に並んでいるかも知れませんが、やはり棚にあるだけでは見逃してしまいがちです。こういう機会に目に付きやすい場所に出していただくことで、「へえー、こんな本があったんだ」という発見があると思います。

始まりまでもう少しです。しばしお待ちを!

ちなみに、ポスターの上部に描かれているのは人文会のロゴです。

あまりに甘酸っぱい青春?

土砂降りの午後、東京の京橋へ出かけてきました。

何の用事かと言いますと、映画『ライ麦畑で出会ったら』の試写会を見に行ったのです。映画の公開は10月27日の予定です。

ストーリーは、いろいろ紹介されているように、監督自身のほぼ実話だそうです。ただ、どこまでが実際に起こったことなのか……

さて、高校時代、ちょっといじめられっ子だった主人公(つまり監督)が、そんな自分の境遇そっくりだとのめり込んでいたのがサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』です。そして校内の演劇コンクールで『ライ麦畑でつかまえて』を上演しようと思いつき脚本を書きます。

そしてサリンジャーに上演許可を求めようとエージェントを訪ね取次を頼みますが、物の見事に断わられます。その時にサリンジャーの住んでいる街を書いた雑誌をこっそり手に入れ、それだけを頼りにサリンジャー本人に許可を取るべく訪ねていくという話です。

住んでいるとおぼしき街へ着いても、住民が全員「そんな人、このあたりじゃ聞いたことないなあ」という反応。「みんなで口裏合わせをしているんだ」と判断した主人公は、それでも諦めずに探しまわります。

果たして、サリンジャーの住む家は見つかるのか? 見つかったとしてサリンジャーは会ってくれるのか? 会ってくれたとして上演を許可してくれるのか?

このあたりは実際に映画を見ていただくとして、実はあっと驚くようなどんでん返しはありません。ただ、とにかく映像といいBGMといい、非常に青臭い青春映画そのものです。青臭いというのは褒め言葉のつもりです。

個人的にはダスティン・ホフマン主演の映画「卒業」を思い出しました。古いと言われるかも知れませんが、最近の映画は知らないので、こんなグダグダした主人公の雰囲気は、「卒業」ほホフマンによく似ていると感じました。

主人公がサリンジャーを探しに行く時の風景もとてもきれいな映像で、上にも書いたBGMが非常にマッチしていて、懐かしさを覚えます。あたしのように『ライ麦』を読んでいなくても十二分に楽しめる映画でした。

No Gaibun, No Life?

書店店頭で、新潮社のクレストブックスのフェアをやっていました。

なんど創刊20周年だそうです。

いまや、海外文学好きにとっては定番のシリーズ。海外文学入門者にも、何かガイブンが読みたいと思ったらクレストから選べばハズレがない、と言われるほどの信頼を勝ち得ているシリーズです。

そんなフェア用の冊子がありました。ご自由にお持ちくださいとありましたので、いただいてきました。

しかし、これ、無料で配ってしまってよいのでしょうか? そんな読み応えのある、内容充実の一冊です。さすが、新潮社クレストブックスです。

表3に品切れの書目一覧がありますが、結構多いですね。もちろん、新潮社ですから、新潮文庫でてに入るものも多いでしょう。でも、ガイブン好き、本好きなら、単行本で所持したいものです。クレストブックスのきれいな装丁、柔らかみのある造本は単行本でこそ映えるものだと思います。

子供がいたから孤独になったのか?

下北沢のB&Bでのイベントの感想をメモ的に。

川本三郎さんが対談相手でしたので、昨日とは打って変わり、いろいろと王聡威さんから聞き出してくださるような展開。

もしこの事件をノンフィクション作品としていたら、死んでいった主人公と子供の声を聞くことはできなかったわけで、小説というかたちを選んだからこそ、母親と娘(大阪の事件では母親と息子)の声を聞くことができたのかもしれない。

主人公は家庭を持ったがために、そして子供ができたから、余計に孤独を感じしてしまったのだろうか? 確かに、産後の鬱というのは最近よく聞く言葉でもあり、昼間子供と二人っきりで、ストレスなどの発散場所のない母親が悶々として、結局育児放棄になったり虐待に走ったりというニュースもしばしば耳にします。

後味の悪い作品と思ってもらえれば、作者としては作品が成功した証だとのこと。

やはり不可解

昨日は、虎ノ門の台湾文化センターで『ここにいる』の原作者・王聡威さんのトークイベントでした。書籍の会場販売に行って来ました。ちなみに本日午後にも、下北沢のB&B川本三郎さんとのトークイベントがありますので、お時間がある方はどうぞ。午後3時からです。

さて、昨日のイベントは訳者の倉本さんが最初に王聡威さんと『ここにいる』を中心とした王聡威さんの作品の解説をされ、その後約1時間、王聡威さんがお話をされるという流れでした。

まず王聡威さんについては、作品ごとに作風を変え、『聯合文学』の編集長として雑誌を刷新するなど、常に新しいことに取り組んでいる方でした。今回の『ここにいる』も全編、主人公とその周辺人物の独白(証言?)のみで成り立っている作品で、納得できるような客観的事実は提示されません。すべて発言者の思い(思い込み? 偏見?)であって、真相は藪の中という印象です。

ただ、考えてみますと、王聡威さんが着想を得たという大阪の母子餓死事件もネットで検索する限り、結局親子が餓死しなければならなかった状況にどうして至ってしまったのか、わからずじまいです。続報も見つかりません。SNSの発達した現代社会は、他人から縁を切られるのではなく自分から縁を絶ってしまうことも多いようで、そうなると第三者からは接触のしようもなくなるのかもしれません。

  

大阪の事件、現在の台湾も他人事ではないようです。王聡威さんが講演の中でNHKの番組に触れていました。どうもNHKスペシャルの「無縁社会」シリーズを指しているようです。台湾でもこういう問題が増えているのでしょう。台湾は昔からのしがらみが一方で日本以上に残っていそうなので、孤独もより深刻なものになってしまうのでしょうか。

で、結論と言いますか、感想としては、王聡威さんの他の作品も読んでみたい、ということです。あと、日本ではまだ刊行されて間もないですが、台湾では本作の感想、男性読者と女性読者とでは異なる傾向があるのか、そんなところが気になりました。

「信頼」を考える

 

新宿の紀伊國屋書店の人文書売り場でこんな小冊子をもらいました。

勁草書房の『信頼を考える リヴァイアサンから人工知能まで』を中心としたフェアのようです。

「信頼を考える」という書名がすごいですね。そして、この小冊子も小冊子と書きましたが、これかなりしっかりした一冊です。小冊子なんて読んだら叱られそうな濃い内容です。

で、肝心の該書を読んでいないので「信頼」とは何なのかよくわかりませんが、いまの日本の政治を見ていると一番失われているのは信頼ではないかと思います。別に『信頼を考える』がそういった内容の本だと言っているわけではありませんが(そもそも読んでいないので、そんなこと言えません)、何やらタイムリーに感じてしまうのはあたしだけでしょうか? ただ「リヴァイアサンから」と副題にありますし、内容的には政治や政治思想なども社手に入っているようではあります。

そうなると、あたしが思い出すのは孔子の言葉、論語・顔淵の「民信無くば立たず」です。

どんなに素晴らしい政策を打ち出そうと、やはりまずは民の信頼を得ていないとダメだと思います。最近の日本の政治家は「政治は結果責任」などと言って国民の信頼を損なうことを平気でやり続けていますが、果たしてそれでよいのか、いつか手痛いしっぺ返しを受けるのではないかと思っているのですが。