夜中に歩き回る人が多すぎる?

スティーヴン・ミルハウザーの『私たち異者は』を読んでいます。

短篇集ということですが、一篇は比較的長めだと思いますので、読み応えがあります。緻密な描写がさすがだと感じさせます。

で、読んでいてふと感じたのは、夜中に歩き回る人が多いなあ、ということです。別に夜を舞台にしているからといってホラーだというわけではありません。そもそも小説のテーマや舞台が夜だというのではなく、寝られずに、あるいは眠らずに街を徘徊する人たちが比較的多く出てくるなあと感じられるということです。

これから本格的な夏になると寝苦しい夜もあるでしょうし、外をほつき歩いても寒くはないでしょうから、小説になりそうなハプニングやらストーリーやらが生まれやすいのでしょうか?

それで思い出したのが、やはりミルハウザーの作品『魔法の夜』です。

こちらは、アメリカの、とある田舎街の一晩の物語です。上に書いたように、夏の暑い夜、暑さで寝られない人、または眠らない人たちが複数登場し、街の中を歩き回ったり、家の中で悶々としていたり、それぞれがそれぞれに一晩を過ごしています。そんな様をオムニバス形式で描いた、ファンタジーっぽい作品です。

ご覧のように、装丁も非常にメルヘンチックといいますか、可愛らしい感じです。夏の読書感想文にちょうどよい長さの作品です。もちろん中高生でも読める内容の作品ですので、この夏に是非どうぞ!

読んでから見るか、見てから読むか

売れ行き好調につき、ただいま重版中のハン・ガン『回復する人間』の中に「左手」という作品が収録されています。

とある男性サラリーマンの左手についての物語なのですが、この作品を読んだ後にテレビでこんなCMを見かけました。

Apple WatchのCMです。手にハマってウォッチが勝手に動き出してしまうというCMになっています。

「左手」を読んだ人であれば、このCMにウンウンと頷いてしまうことは間違いないでしょうし、このCMを読んだ人であれば「左手」が面白く感じられるのではないでしょうか?

もちろん、「左手」の主人公はApple Watchを左手に身につけてはおりませんが……

あたしを作った一冊?

昨日の朝日新聞夕刊の記事です。

定期的に連載されているので、目に留まったときは読んでいますが、今回はなんと『オレンジだけが果物じゃない』が取り上げられていました。ありがとうございます。

自分を作った本というコーナーですが、振り返ってあたしにとっての一冊と言ったら何になるでしょうか?

やはり『韓非子』でしょうね。あたしを作ったと言うよりも、その後の人生を決定づけたと言ってよい一冊です。出会ったのは中学三年生の時です。

ある意味、あたしの人生はその時に決まったと言ってよいのかもしれません。

愛してると言ってくれ

ハン・ガン『回復する人間』読了。

既に本でもいくつか作品が紹介されているハン・ガンの短篇集です。ヒリヒリとした、胸が締め付けられるような作品世界もあれば、どこか飄々とした雰囲気の作品もあり、統一感は維持しながらもバラエティーに富んだ作品集です。

そんな中、あたしが一番印象に残ったのは「青い石」です。

主人公は女子高生で、クラスメートの家へ遊びに行ったりしているうちに、クラスメートの叔父さんとも親しくなり、いつの間にか淡い恋心を抱いてしまうという、思春期の甘酸っぱい初恋を描いた作品です。大人になった主人公が当時を振り返って語る構成が、そんな甘酸っぱさをより強めているのだと思います。

さて、この作品が一番印象深いのは、設定などいろいろ異なるところはあるのですが、この作品出てくる叔父さんが往年の人気ドラマ「愛してると言ってくれ」に出てくる豊川悦司をイメージさせるからです。豊川悦司は耳の聞こえない画家でしたが、この作品の叔父さんも健康に不安を抱える画家なんです。そのアトリエに若い女性が通うようになり、互いに心を通わせていくというストーリー展開。ハン・ガンが実はこのドラマを知っていたのではないかという疑いを抱かせます。

ちなみに、あえてドラマに引きつけるならば、本作の主人公に当たるのは常盤貴子です。常盤貴子と親しくなるのが気に入らないトヨエツの妹役に矢田亜希子がデビュー作として登場しています。本作ではクラスメートが主人公と叔父さんの仲に影響を与えることはないので矢田亜希子の役柄には当たりませんが、やはりどうしてもそんなイメージを重ねながら読んでしまいました。

なお「訳者あとがき」によると、この短篇はその後著者によって長篇作品に仕立て直されているとのことです。どんな長篇に変わったのか、読みたくてうずうずします。いずれ邦訳が刊行されるのでしょうか?

夢をそのまま物語にしたような作品

営業回りをしていると、当然のことながら本のないようについて問われることがあります。

歴史などの専門書に近い商品の場合は、タイトルや目次で書店の方も理解しやすいので、それほど突っ込んで聞かれることは多くないのですが、文芸書、特に海外文学の場合ですと「どんな話?」と聞かれることがしばしばあります。

ここで簡単なストーリーを喋ってしまえばよいのですが、こちらも全部の自社刊行物を読んでいるわけではありませんので、答えに窮することもあります。あとがきを読んだり、企画書を思い出したりして答えることもありますので、時に勘違いして別の本の紹介をしてしまったこともあります(汗)。

さて、最近は、自社の海外文学は比較的読んでいる方なのです、だいたいどの作品も内容を説明することができます。謎解きのような作品がほぼないので「ネタばらし」になる可能性が低いのが幸いです。

で、Uブックスの新刊『カッコウが鳴くあの一瞬』です。

この作品については、どんな作品なのか説明に苦労します。『黄泥街』の残雪の短篇集ですと、まずは最初に説明できますが、その後が続きません。

『黄泥街』もものすごい作品でしたが、一応はストーリーがあったと思います。しかし『カッコウが鳴くあの一瞬』の方が、あたしの力不足なのか、巧く説明できるようなストーリーが見つけられません。

いえ、部分的にはちゃんとした世界があり、ストーリーもあるのです。ただ、全体を俯瞰したときに一貫したストーリーが見えにくいのです。だからといって、まとまりのない、脈絡のない文章の寄せ集めというのではありません。

あたしなりに解釈しますと、この作品は夢を文章化したものではないかと感じます。

ふだん、あたしたちが寝ているときに見る夢は、夢の中では笑ったり泣いたり、喜んだり苦しんだりといろいろなことが起こりますが、起きてからそれを他人に説明しようとすると、いろいろなところで矛盾とか辻褄の合わないところが出てくるものです。だからといって一貫した話にしようとすると、こんどは自分が見た夢からどんどん遠ざかってしまうことになります。

本書は、そんな夢の世界をそのまま、矛盾しているところも、辻褄が合わないところも、前後がうまく繋がらないところも、すべてそのまま文章に書き留めて提示してある、そんな印象を受けました。これをやってのける著者・残雪ってすごいなあとただただ感心するばかりです。

短篇集を三つ続けて

ゴールデンウィークだからって出かけるなんて思わないでください。そんな政府や経済界の策略に乗ったりはしません。自宅に籠もっています。近所のコンビニやスーパーに時々出かけることが数回、これがあたしのゴールデンウィークです。

では何をしていたのかと言いますと、読書です。

いや、読書三昧と呼ぶにはPCの前に座っている時間もあれば、テレビを視ている時間もそこそこありましたので、読書もしていた、と言う方が正確だと思います。

で、読んでいたのは、まずは『路地裏の子供たち』です。ゴールデンウィークに入る前から読み始めていたので、この連休の前半で読み終わりました。

スチュアート・ダイベックの短篇集で、シカゴの街で何となく不満があるようなないような、思うように生きているような生きていないような、そんなわけもなくむしゃくしゃしているような若者が描かれています。タイトルは「子供たち」ですが、登場するのはもう少し年が上、中学生、高校生といったところでしょうか。大人でもなく子供でもなく、といった世代です。

次に読んだのは『海の乙女の惜しみなさ』です。

こちらも短篇集ですが、登場人物たちの年齢はグッと上がって、人生の折り返し地点を過ぎ、よーく見れば先の方に人生のゴールが見えつつあるような世代です。

だからといって悲壮な作品ではありません。もちろん黄昏た感じはありますが、まだまだ夕日を浴びて光り輝いている世代です。真昼の太陽の力強さこそありませんが。

ちなみに、アマゾンのトップページで検索窓に「海の乙女の惜しみなさ」と入力して検索すると同じデニス・ジョンソンの『ジーザス・サン』はヒットするのですが『煙の樹』はヒットしません。なぜなんでしょう?

さて、最後に読み始め、いま途中まで読んでいるところなのは『カッコウが鳴くあの一瞬』です。中国の作家、残雪の、こちらも短篇集です。いみじくもゴールデンウィークに短篇集ばかり読むことになってしまいましたが、その理由はあたしの勤務先が続けざまに短篇集を刊行したからに他なりません。

令和の世に路地裏なんて

路地裏の子供たち』読了。

ダイベックの最初の短篇集と言うだけあって、原書が刊行されたのはかなり以前の1980年になります。時代は昭和ですね。

日本の年号による時代区分をアメリカ作家の作品に持ち込むのはどうかと思いますが、とはいえ、この作品にはどことなく懐かしい、昭和を彷彿とさせる世界が描かれています。

確かに、描かれている街の様子はアメリカです。シカゴには行ったことがありませんが(と言う前に、アメリカに行ったことがありません!)、シカゴを知っている人であれば、作品に描かれている街の様子を思い浮かべながら読むことができるのでしょう。そういう意味では、あたしにはイメージできないところは確かに存在します。

しかし、何と言うのでしょう、作品世界から漂ってくる空気というのでしょうか、そういったものには昭和の風景に通じるものが感じられるのです。下町であったり、町外れであったり、新興住宅街であったり、場所はいろいろイメージできますが、とにかく昭和を感じられる作品です。決して平成や、ましてや令和などではありえない、そんな空気が漂っています。

文体も、これだけで判断できるものではありませんが、最近の作家の文体とはリムと言いますか、言い回しと言いますか、なんかちょっと異なります。翻訳を読んでいるだけでそんな判断を下してよいものかとも思いますが、やはり最近の作品を読んでいるときとはちょっと異なる読書の時間を味わいました。

令和の初日に、昭和の香りのする作品を読み終わるなんて、なんとも不思議なものです。それに路地裏って、今の若い人はどんな情景をイメージするのでしょうか?

アジアの近現代史

中公新書から『アジア近現代史 「世界史の誕生」以後の800年』という一冊が刊行になりました。

このところ、一国に収まらず地域全体を見渡した歴史の本が目立ちますが、そんな中でも見逃せない一冊です。

とりあえず入手してパラパラとめくってみましたが、あたしの勤務先の『胡椒 暴虐の世界史』が参考文献に挙っていました。

胡椒は大航海時代のヨーロッパ人の目的の一つでしたし、それを巡ってさまざまな争いが起きたことは高校の世界史レベルでも触れられているのではないでしょうか。本書は、そんな胡椒を巡る世界史を描いた一冊で、とにかくヨーロッパ人の強引さ、傍若無人ぶりとそれに翻弄されるアジア人の悲哀がよく描かれていました。

まだ読んでいないので、どんな内容なのかはわかりませんが、参考文献にあたしの勤務先の『アジア再興 帝国主義に挑んだ志士たち』が載っていなかったのが残念です。

本書は、梁啓超、ジャマールッディーン・アフガーニー、タゴールといった人々が、日露戦争で日本が大国ロシアに勝利したということをきっかけに解放と独立へ向けて動き出す時代を描いたノンフィクションです。

中国に関してはそこそこ知識は持っていますが、それ以外の地域や国についてはほぼ素人なので出てくる人名や地名に多少手こずりましたが、血湧き肉躍る群像劇としては、もちろん小説ではないのですが、非常に面白かったです。

中公新書を読み終わったら、是非、これらの書籍にも手を伸ばしてみてください。更には『ガンディーとチャーチル(上)』『ガンディーとチャーチル(下)』なども併読するとよいのではないかと思います。

心を病んでいるわけではありません!

最近のあたしの通勤読書。

  

平凡社新書の『ガンディー』を読んで、その次に新潮新書の『南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華経』を読み、現在は岩波新書の『伊勢神宮と斎宮』を読んでいます。

別に何か悩みがあって宗教にすがっている、というわけではありません。

読み終わってしまっても大丈夫!

営業回りの供は文庫本や新書です。

ところが、このところ営業回りの途中で読み終わってしまい、その後の移動の車内でたいへんな苦痛に襲われることがしばしばでした。

だったら、営業先の本屋で何か買えばよいじゃないか、と言われそうです。もちろん購入することもありますが、自宅には読まなければならない、あるいは読みたくて買った本が山積みです。それらを先に読まなければと思うと、出先で買う気がなかなか起きないのです。

というわけで、今日は、岩波新書『イタリア史10講』が読み終わりそうなのがわかっていたので、カバンにはもう一冊、平凡社新書『ガンディー 秘教思想が生んだ聖人』を入れておきました。岩波新書の『ガンディー 平和を紡ぐ人』でもよかったのですが、岩波が続くのも芸がないと思い、平凡社を選びました。

さて、本と言えば、文庫や新書は営業回りの供ですが、自宅では単行本を読みます。

本日手に入れたのは、元乃木坂46、いや元SKE48と言うべきでしょうか、とにかく両グループの卒業生、松井玲奈の『カモフラージュ』です。

最初のころは否定的な意見が多かったですし、ファンもかなりバッシングしていましたが、結果的に松井玲奈の乃木坂加入(交換留学生)は成功でしたね。あたしはそう思います。