読んでもらいたいのは、と言うよりも、読んで意見を聞かせてもらいたいのは……

《エクス・リブリス》の最新刊『ここにいる』は台湾の王聡威の作品です。日本では初めて紹介する作家です。

本作は、帯などにも書いてあるように大阪で起きた母子餓死事件に興味を持った作者が、その事件の舞台を台北に変えて文学作品としたものです。構成としては主人公とその夫(元夫?)、娘、現在の恋人、主人公の母親などの証言だけで構成されています。インタビュアーか記者が本人や周辺人物に取材して、その証言だけを順不同に並べたもののようです。

実際に起こった大阪の事件、あたしは実はよく覚えていなくて、幼児二人が目張りされたマンションに置き去りにされ餓死した事件の方が強く印象に残っています。作者がこの大阪の事件に興味を持ったのは、餓死したとされるものの本当にお金に困っていたのかなど不可解な点が多々あったからだそうです。

大阪の事件もその後どういう結論に達したのか知りませんが、本作はいくつかの状況を置き換えつつも、作者なりの答えを出そうとしたものだと思われます。読んでいますと、主人公の女性は承認欲求が非常に強い性格であることがわかりますし、いわゆる自己顕示欲が強い、見栄っ張りというタイプなのではないでしょうか? 極めて真面目な人柄でもあったようで、融通の利かない人という印象があります。

 

というわけで、あたしとしては、本書を『神経内科医の文学診断』『続 神経内科医の文学診断』の作者のような専門医に読んでもらい、本人や周囲の人々の証言から主人公の症状を診断してもらいたいと思っています。

あくまでフィクションではありますが、こういう人って実は身近にもいるのではないでしょうか、ただ主人公とは異なり、一線を越えるギリギリのところで踏みとどまっているだけなんだと思います。いや、ちょっと間違えば、自分もこの主人公と同じ道を歩んでしまい兼ねない、という気すらします。たぶん主人公は自分がどこで間違えたのか、自分のどこがいけなかったのか、最後までわからずじまいだったのではないでしょうか。

こんな事件、日本特有と思いきや、最近は台湾でもジワジワと増えているとか。日本以上に旧習のしがらみ強いからこそ、陥ってしまった人の絶望は深くなるのかも知れません。

「ここにいる」という邦題、「あたしはここにいるよ、誰か気づいて!」という主人公の心の声なのでしょうか?

それともう一つ、本作では、あくまで夫の証言だけしかありませんが、DVはDVとは言えないようなものとして描かれています。もちろんこれはDVをする側とされる側の意識の差が大きいものですが、とにかく本作ではそういう描かれ方です。

となると、大阪母子餓死事件を題材としたこの作品、もし作者が女性だったらどういう描き方をしたのだろうか、というところにも興味が沸いてきます。

物語の枠を超えて……?

ある小説の続編が発売されるというのはよくあることです。続編はおろか遠大なシリーズになっているものすら珍しくはありません。あるいは、ある登場人物がその作家の別の作品にも登場するということもしばしばあることです。

しかし、別な作家の作品に同じ登場人物が出現することってあるのでしょうか? もちろん誰もが知っている歴史上の人物ならそういうこともあるでしょう。しかし、そうではなく、ある作家が作品の中で造型した人物が別の作家の作品の中に出てくるというパターンです。

もちろん、小説の数など数え切れないほどありますから、似たような登場人物なんていくらでも出てくるでしょうし、小説家だって人の子ですから、他の作家の作品に影響を受けることだって十二分にありえます。ですから、これは全くあたしが感じただけにすぎない感想なのですが……

さて、お陰様で新刊『十三の物語』が好調なミルハウザー。そのミルハウザーの『バーナム博物館』の中の一編「幻影師アイゼンハイム」が映画化されていたのを覚えていらっしゃるでしょうか? 書籍の方は残念ながら現在ほぼ品切れで、どうしてもお読みになりたい方は店頭で見かけた時に買っておかれることをオススメします。まだ在庫している書店は探せばあると思います。

 

それはさておき「幻影師アイゼンハイム」はその名の通り、手品師と言いますか、昨今ならマジシャンとかイリュージョニストなどと呼ばれる男の話で、舞台は19世紀末のウイーンです。

映画と小説とでは、ストーリーが多少異なっているようですが、なかなかミステリアスな作品で、果たしてアイゼンハイムは種も仕掛けもある手品を見せていただけなのか、それとも悪魔と契約し本当の超能力を操っていたのか。そこのところが作品の魅力の一つだと思います。

そして、アイゼンハイムは忽然と舞台から姿を消してしまいます。彼はどこへ行ってしまったのか。映画では牧歌的な結末になっているようですが、あたしは消えてしまったアイゼンハイムを、数十年後の台北で見かけました。

そうです、『歩道橋の魔術師』という作品の中にです。この作品の中では建物を繋ぐ歩道橋(日本で日常的に目にする歩道橋ではなく、やや貧弱なペデストリアンデッキをイメージしていただけるとよいかと思います)で道行く人に手品を見せている男が登場します。普段はごくごくありきたりな手品を見せているのですが、ありえないようなマジックを子どもたちに見せることが時々あります。

それが幼心ゆえの幻想なのか、本当に超能力を使ったものなのか、本作でも実ははっきりしません。そのあたりの加減が「幻影師アイゼンハイム」とよく似ているのです。台北の魔術師は正体がわからないままです。主人公が大人になってから当時の思い出を集めるというスタイルの作品ですが、その時点で幼いころに見た魔術師がどうなったのか、どうしているのか、知っている者は誰もいませんし、当時においてすら、そんな魔術師がいたことを記憶している人は多くはないようでした。

19世紀末のアイゼンハイムだとしたら、当然、生身の人間が生き続けられる時間の隔たりではありえません。だからこそ、幻影師、魔術師と呼ばれる所以なのだと思いますが……

中東情勢を理解するのは難しいけれど、少しでも知識を得たいと思って……

サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』の続編とでも言うべき『シーア派とスンニ派』が発売されました。

前著は発売後すぐに購入して読みましたが、今回のもこれから読みます。楽しみです。

  

それにしても刊行までちょっとインターバルが空きすぎてしまいましたね。

中東情勢って刻々と変わるので早く出さないとならない反面、どんなに急いでも、それを超えるスピードで現実が進んで行くので、どの程度の内容でまとめ、どのタイミングで刊行するかが非常に難しそうです。

で、この間に続編の刊行を待ちきれなかったというわけではありませんが、『オリエント世界はなぜ崩壊したか』も読んでみました。こちらも非常に面白い一冊でした。併読をお薦めします。

やはり読書傾向というのは隠せないものなんですねぇ~

昨日のダイアリーでも書きましたが、『ヴィルヘルム2世』はもうすぐ読み終わりそうです。話は第一次世界大戦へと進んでおります。

で、再びわが書架を見てみると、こんな本がしっかり買ってありました。

同じく中公新書の『バルカン』と文庫クセジュの『第一次世界大戦』です。

 

やはり、あたしってこのあたりの時代が好きなんですね。

 

となると『力の追求 ヨーロッパ史1815-1914(上)』『力の追求 ヨーロッパ史1815-1914(下)』も買わないと、否、読まないとならないのかしら?

脈絡もなくいろいろと読んでいるようでいて、読書傾向というものは意外とはっきりと見えたりするもので……

いま『ヴィルヘルム2世 ドイツ帝国と命運を共にした「国民皇帝」』を読んでいます。第一次世界大戦の時のドイツ皇帝の評伝となると、やはり気になってしまいます。で、確か中公新書には他にもこの時代を扱ったものがあったようなあ、と思ってわが書架を見てみるとご覧の通りです。

ビスマルク ドイツ帝国を築いた政治外交術』も『第一次世界大戦史 諷刺画とともに見る指導者たち』もしっかり所蔵していました。

  

文庫や新書は値段が手頃なこともあって、自分の専門とする分野以外でもちょっと気になるものだと、とりあえず買っておこう、読んでみようという気にさせられます。脈絡もなく買っているようで、こうしてみると、意外とそれなりに気になる分野というのは確固たるものを持っていたのだなあ、とも思います。

わが不明を恥ず

少し前に岩波新書の『インド哲学10講』を読みました。すると、その中に野田又夫の著作を引いている箇所がありました。野田又夫って誰? というのが、恥ずかしながら、その時のあたしでした。

 

で、調べてみますと、岩波文庫から『哲学の三つの伝統 他十二篇』という著作が出ていることがわかりました。早速買い求めて読んでみましたところ、これがものすごく面白い! こんな哲学者がいたんだ、どうして今まで知らなかったんだ、とわが不明を恥じたのでしたが、読み進めていると、もっと恥ずかしい事態が……

この野田又夫の著作、文庫や新書などで今でも手に入るものが何冊かあるようですが、そんなことよりも、なんと全5巻の「著作集」が出ていたではありませんか! それも、あたしの勤務先から!

えーっ、と思わず声を出しそうになりました。すぐに勤務先で在庫を調べましたが、当然のことのように既に品切れ、一冊も一セットも残っていません。そりゃそうですよね、在庫があれば注文があったり、年に一度の棚卸しで目にする(目にした)こともあったでしょうが、それがなかったということは、あたしが入社したころには既に品切れになっていたものと思われます。

嗚呼、残念。在庫があれば老後の楽しみに買いたかったところです。

古書店のサイトを見ると15000円くらいで全5冊が売られているようですね。いまさらあたしの勤務先からの復刊もないでしょうし……

しかし、古代のギリシアとインド、中国を併せ論じる懐と教養の深さ、もちろん中世以降の西洋哲学が本来の専攻ですので、そちらへの目配りももちろんすごいものです。京都学派の最後尾に連なる人と呼んでよいのかも知れませんが、かつての大人然とした学者の気風、器の大きさが感じられます。

この歳になって知ることになるとは……

文学作品で歴史の勉強

地下鉄道』を読み終わりました。後半は一気でした。それぐらい素晴らしい作品です。

ここでは感想はおくとして、本作を読んだ方には『地図になかった世界』『ネバーホーム』の二作品も併せて読むべきだとお薦めします。多くの方が既に読んでいるのかも知れませんが(汗)。

  

知らない方のためにあえて書きますと、三作とも舞台はアメリカです。描かれる時代は『地図になかった世界』と『地下鉄道』は19世紀前半から半ば、『ネバーホーム』は南北戦争(1861年~1865年)が舞台なのでやはり同じような時代の物語です。少しずつ重なりつつ、主人公同士がすれ違っていてもおかしくないような三つの物語でした。

アメリカの黒人の歴史や南北戦争については本もたくさん出ています。文庫や新書などの比較的気軽に手に取ることの出来るものもあります。ただ、その手のノンフィクションや準専門書っぽいものは苦手という人も多いと思います。そんな方にはこういった文学作品で歴史を学ぶのもよいかと思います。

これらの作品中の個々のエピソードは著者の創作でしょうが、そこにはベースとなった事実があるでしょうし、一流の文学作品は歴史の真実を描いてみせてくれるものです。専門書だけが歴史を教えてくれるものではないと思いますし、こういう作品から、専門書へ進むという道もあってしかるべきだと思います。

幸いにして、あたしたちはその後のアメリカでは南北戦争が起こって、奴隷が解放されるようになったという歴史事実を知っています。『地下鉄道』の主人公たちに「もう少しの辛抱だよ」と、この事実を教えてあげたい衝動に駆られます。

しかし、その一方で、いまだにアメリカには根強い黒人差別があり、白人警官が黒人に暴力を振るったというニュースをしばしば耳にします。さらにはトランプ大統領によるメキシコ系移民排斥の方針表明など、自由の民主主義の国アメリカとは思えない事実がいまだに存在していることを、これらの作品の主人公にどう伝えたらよいのでしょう?

希望は見つかったのか?

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ただしお会いしたことのない方、存じ上げない方は、お断わりいたしますのでご了承ください。



灯台下暗し

先日、岩波新書の『インド哲学10講』を読んだのですが、その中で野田又夫が引かれていました。

 

恥ずかしながら、野田又夫って全然知らなくて、ただ引かれている文章などが興味深かったので、著作を調べてみたら手頃なところで岩波文庫の『哲学の三つの伝統 他十二篇』がありました。というわけで、こんどはそれを読み始めたところです。

が、パラパラとページをめくっていた時に、この文庫の底本となった『野田又夫著作集』というのが、あたしの勤務先から出ている本だということを知りました!

えーっ、という感じです。驚きました。なんとなく縁を感じると共に、悔しい思いもいっぱいです。

で、勤務先で少し調べてみると、1981年頃に刊行された全5巻本でした。もちろん現在は品切れです。と言うよりも、そんな本が出ていたということを、今の今まで知りませんでした。あたしが入社したのは著作集刊行から10年ほど後になりますが、周囲に尋ねてみると、どうやらあたしが入社した時点で既に品切れ状態だったようです。

うーん、それでは知らなくても仕方ないですね。しかし、この間、一度も問い合わせすら受けたことなかったというのは、野田又夫というのは知る人ぞ知る学者だったのでしょうか。なにも知らなくて、本当に恥ずかしいです。

しかし、いま読んでいる岩波文庫、非常にわかりやすいですし面白いです。こんな学者がいたんだと、目から鱗です。

脱亜入欧なのか、中体西用なのか?

先日『ネバーホーム』を読み終わり、いまは『地下鉄道』を読んでいます。

 

その前は『海峡を渡る幽霊 李昂短篇集』『中国が愛を知ったころ 張愛玲短篇選』といった中国もの、『あまりにも真昼の恋愛』『野蛮なアリスさん』『殺人者の記憶法』といった韓国ものばかり読み続けていたので、少しは欧米ものを読もうと思った次第です。

 

  

別にアジアより欧米が好きとか、そういった区別はありません。どこの国の作品であろうと面白いと思えるか思えないか、それだけのことです。とはいえ、やはりその国の文化や歴史を意識するしないにかかわらず、作品にはそういったものが反映されるわけなので、やはり国によって同じようなテーマを描いていてもずいぶんと異なるものだということを感じます。

と、意識して脱亜入欧を試みていたのですが、カバンに入れて移動の電車の中で読んでいるのは『傾城の恋/封鎖』とこれまた中国もの。うーん、あたしはやはり中国から、アジアから離れられないのでしょうか? 別にそれならそれでいいんですけどね。