やはりフィレンツェには一度行ってみたいものです

岩波新書の『フィレンツェ 比類なき文化都市の歴史』読了。

フィレンツェと聞くと、ルネサンスを代表する街、というイメージがあります。

それはそれで間違いないようですが、本書を読むとそれだけではないフィレンツェの一面が見えてきます。

古代から現代までを通して見ると、メディチ家の影響というのが、あたしの想像ほどは大きくはなく、むしろ市民全体の力がフィレンツェという街を作り上げていったのだという印象です。

ただ、やはり街の規模が小さいからか、歴史の中ではしばしば他国の影響を被り、翻弄されもしています。それでもフィレンツェらしらを失わずに現在までなんとか生き延びてきたのはさすがとしか言いようがありません。

フィレンツェどころか、ヨーロッパは一度も行ったことがないあたしですが、昔から「ヨーロッパに行くならどこへ行ってみたい?」と聞かれると「フィレンツェ」と即答していました。本書を読んで、ますます行って見たいと思った次第です。

海の漢は最後に海に還ったのかしら?

マーティン・イーデン』読了。

前半は、荒くれの海の漢マーティンがひょんなことからブルジョア階級のお嬢様ルースと知り合い、その生活、上品さに憧れ、なんとか彼女にふさわしい男になろうと自分を磨く奮闘物語、上昇物語です。そして、もともと才能があったのでしょう、マーティンは海綿が水を吸い込むように新しい知識をどんどん吸収していきます。

図書館にまで通って本を読み漁り、自分でも文章を書くようになります。それを雑誌社へ送っても送っても採用にはならず、悪態をつきながら借金をしてでも文章を書きつづけます。そんなマーティンに対してはルースは知らないうちに愛情を抱くようになり、マーティンにきちんとした仕事に就くように勧めます。しかし、型にはまった生活のできないマーティンは、自分の書いたものはいつか売れると信じており、そのうちきっと文筆業で食べていけるようになると自信満々で就職などしようとしません。

半ばは、身分違い、階層違いとはわかっていながら、マーティンがしっかりとした仕事にさえ就けば結婚できると信じて、そうさせようとするルースと、あくまで筆一本で食べていこうとするマーティンとのすれ違いが描かれます。そして破局。結局ルースはマーティンのことを信じ切ることができなかったわけです。

さて後半。

書いた物がさっぱり売れずに野垂れ死ぬような惨めなマーティンが描かれるのか、はたまた文章が当たって富と名声を手に入れるマーティンの成功譚なのか。ジャック・ロンドンの自伝的な作品と言われる本書ですから、作家としては成功するストーリーが予想され、実際にこれまで書いたものが次々と出版され、途方もない大金が手に入ります。これまでマーティンに辛く当たってきた周囲の人間たちも掌を返したような態度です。

ここまではありがちな流れです。となると、最後はルースも戻ってきて、ハッピーエンドな大団円になるとかと言えば、そうではありませんでした。

書いて物が売れるようになった頃からマーティンは、最初は歯牙にも掛けなかったのに、ひとたびヒットするやどんな作品でも高値で買いたいと言ってくる出版社に対して完全に気持ちが冷めてしまいます。出版社や周囲の人間がよいと言ってくれる作品は今の自分が書いたものではない、すべて自分がどん底にいた時に書いたものだ、その当時と今と自分は何も変わっていないのに、当時は評価されず今になって評価されるのはどうしてだ、という懐疑がマーティンの心を占めているのです。

掌を返した連中の中にはもちろんルースもいます。しかし、その時のマーティンには、あれほど恋い焦がれたルースへの愛情は全く残っておらず、彼女が縒りを戻そうとするのを拒否します。

このあたりの成りゆきはカッコいいなあと思いつつ、さあマーティン、ではこれからどうするの、という疑問もあります。手に入れた大金で南太平洋の島に土地を買ってのんびり暮らす、という願望のような夢のようなことをマーティンは考え始め、ひとまず南太平洋へ向かう船の切符を買います。ここでもマーティンは船長の隣の席で食事をするという好待遇を受けるものの、その状況に違和感を感じています。

そしてある晩、太平洋のど真ん中で、一人こっそりと船の窓から外へ出て、海へ飛び込みます。もちろん誰もそんなことには気づかず、船は進んで行ってしまいます。

半ば以降、この小説はハッピーエンドではなく、バッドエンドで終わるだろうなあと予想していましたが、まさかこんな最後とは。太平洋の波間にプカプカと浮いているマーティンがその後どうなったのかは描かれていません。

そのまま力尽きて死んだのか、他の船に救助されたのか、あるいはサメに襲われてしまったのか。本作の描き方を見ていると、船に乗り込んだ時点で、既に生きた人間としてのマーティンは船に乗り込んでいなかったのではないか、という気がします。ではマーティンはどこへ行ったのか?

成功によって得られた大金を言われるままに周囲の人に分け与えた時に、その大金の中に思い出として残ったのではないかな、特に親切にしてくれた人の心の中に、そんな風に思えます。マーティンにとって成功とは何だったのか、彼は満足して船から下りたのでしょうか?

読み方を間違えているのかも知れませんが……

どんどん読める割りに、あまり読み進んでいないような気もする、新刊の『マーティン・イーデン』です。

いや、非常に面白いんです。

とりあえず、全体の4分の1は過ぎて、だいたい3分の1くらい読み終わったところです。

ろくな教育も受けていないので全く教養を身につけていない主人公マーティンがひょんなことから知り合った三つ年上のお嬢様。そのお嬢様に釣り合うような人間になろうと涙ぐましい奮闘をするのです。それが切なくて切なくて……

マーティン、とっても愛おしいです。

この後、マーティンが晴れてお嬢様と結ばれるのか結ばれないのか、過去に読んでいる人であれば結末を知っているのでしょうが、初めて読むあたしはとにかくそんな結末も気になりますが、いま現在のマーティンの気持ちの揺れ動きがたまりません。

マーティンも絶対に自分とは釣り合わないとわかっているんだと思います。それとも教養を身につけジェントルマンになれればお嬢様と結ばれる可能性はあると信じているのでしょうか? ある意味、アメリカンドリームの物語なのでしょうか?

あたしだったら、鼻から諦めて努力しようなんて考えないだろうから、心の中でマーティンに「無駄な努力はやめておきなよ」とつぶやきつつも、「頑張れ、頑張れ」と応援している部分もあるのです。この身悶えそうな片思いのストーリーに現在どっぷりハマってしまっているのです。

一方、お嬢様の方は自分の言動によって下層の男性が教養に目覚め立派になっていくことに喜びを感じているようで、そこにはまるっきり恋愛感情などはないようです。いや、恋愛の種くらいは芽生えているのかも知れませんが、本人は全く無自覚です。むしろ蒙を啓かせてやっているということに充足を覚えているだけのようです。

この意識のすれ違いもたまりません。ただ、もしお嬢様の方がマーティンに対する自分の恋愛感情に気づいてしまったらどうなるのでしょう? ありきたりな表現ですが、いわゆる身分違いの恋ですよね。当然親には反対されるでしょう。その時にどういう行動を取るのか、楽しみです。

いや、結局この二人の恋愛物語は何の進展もなく物語は進行していくのでしょうか? とにかくこの長篇にハマっている現在です。果たして、『マーティン・イーデン』というのはこういう読み方、味わい方で正しいのでしょうか? 帯の惹句が気になりますね、絶望って……

実らぬ恋ですか? それはそれでたまりません。

結局どこも閉店してしまいましたよね

書店ガール7』を読み終わりました。

まだまだ続きが読みたいとも思いますが、ただ続きを書いたとしてもどんな展開が考え得るでしょうか? 沼津の小さな本屋のその後? やはり店長の職をなげうって東松島へ向かう?

うーん、それはそれでそれぞれに男女のロマンス的なストーリーは考えられますが、本屋の物語としては発展が考えられません。

残念ながら、スタートのペガサス書房にしても、今回の櫂文堂書店にしても、どんなに書店員が頑張ってもお店は閉店してしまいました。結果だけを追っていくと、結局本屋は閉店していくばかりな気がします。もちろん、今回も全国に千坪クラスのお店を数軒立ち上げる、なんていう展開も描かれていますが、至極あっさりと描かれているように、そこに物語を見出すことは難しいです。

そうなると、結局は「本屋は閉店するもの」という物語しか残らないのかな、と悲しくなります。

「いい本屋だったのに」という声は、ある書店が閉店になるたびに聞こえてきます。「だったら普段から、そこでもっと本を買ってればよかったんだ」という声も聞こえてきます。「いい本屋だったのに」という人に限って、そこで本を買ったことがなかったり、昔は買っていたけれど最近はとんとご無沙汰だったりするものです。

話を『書店ガール7』に戻しますと、沼津の書店も東松島の書店も、「自分一人、なんとか食えれば」のレベルでも数年もつでしょうか? 非常に疑問です。もちろん本以外の商材を扱うことによって利益を確保する、という方法を講じれば話は別ですが、それでも本屋を続けていけるほどの副業(?)ってあるのでしょうか?

主人公たちの奮闘はわかりますが、地方でどれだけ頑張れるのか、あたしは疑問です。やはり東京や大阪など大都市圏ですと周囲にそれなりの人口があるので細々と続けていくことは可能でしょうが、人もまばらな地方では……

そうなると、ことは本屋とか出版界とかの問題ではなく、都市と地方の格差、過疎の問題、限界集落をどうするか、そういった問題になってきてしまい、『書店ガール』ではないですね。前巻までの舞台のひとつであった常磐線の駅の書店にしても、地方の駅にあったらどうでしょう?

いや、地方の鉄道駅にはそもそも本屋なんかないですよね? 来る電車は一日に数本か十数本、乗降客数も数えられるほどでは、本屋でなくても商売にならないでしょう。

愚痴っぽくなってしまいましたが、東京一極集中を何とかしないと、本屋に限らずどんな商売も地方では成り立たなくなってしまいますよね。

本屋モノ

渡辺麻友主演でテレビドラマ化もされた『書店ガール』が現在発売中の最新刊「第7巻」で完結となりました。

このシリーズは大好きで、ご覧のようにずっと買って読んでいました。書店員をはじめとした業界の人が書いた「本屋に関する本」というのはこのところたくさん刊行されていますし、雑誌などでも本屋が特集されることは多いです。

ただ、そうしたものは数冊も目を通せば「もうお腹いっぱい」という感じになってしまいます。別に嫌っているわけではないですし、それぞれの本に対する熱い思いが伝わってきて、こちらも改善の余地があるのではと考えさせられます。でも、読み続けるとなると、やはり小説の形を取る本シリーズの方が適しているなあと感じるのです。

ちなみに、上の写真では「第6巻」が欠けていますが、ちょうど常磐線沿線の書店が舞台になっているので、同僚の常磐線エリア担当に貸し出し中なのです(汗)。

読んでいて感じるのは、あたしは出版社の人間なので書店現場というのは毎日のように足を運んでいるくせに、実は本屋ってものを深いところまで理解できていないなあという実感です。本シリーズを読んでいると反省することしきりです。

ところで本シリーズの第一巻だけは単行本で刊行され、当初のタイトルは『ブックストア・ウォーズ』でした。当時は碧野さんが研修されたオリオン書房の営業担当であったので、お店の方に教えていただきすぐに購入して読んだのを覚えています。

続きが読みたいなあと思っていたら、文庫として、タイトルと出版社が変わって刊行されることになり、最初は気づかなかったのですが、ある日店頭で発見して「おーっ、これは買わなければ」と思い、それ以来の愛読です。

さて、こうした本屋を舞台とした小説などの作品は他にも多々あると思いますが、あたしが個人的に気に入っていたのはコミックの『上京花日』です。著者急逝のため、恐らく存命ならまだ連載は続いていたのかも知れませんが、コミックは全7巻が刊行されています。

全7巻とは『書店ガール』といみじくも一緒です。なんとなく縁を感じます。どちらのシリーズも吉祥寺を中心とした東京西部が舞台になっているのも親近感が湧いた一因だと思います。

『書店ガール』では主人公たちの転勤や転職のため、常磐線沿線や沼津なども舞台となっていますが、やはりホームグラウンドは吉祥寺などの中央線沿線です。

中央沿線は、都内でもそれなりに本好きが集まっているエリアだと言われます。実際に作家とか業界関係者でこの沿線に住んでいる人は多いようです。が、そんなエリアでも作品に描かれていたように本を取り巻く上京は厳しいのかと思うと、現実に戻りたくなくなったりするのですが……

運命の人が二人もいるなんて!

寝ても覚めても』読了。

ストーリーはカバーにも書いてありますが、主人公が一目惚れした男性としばらく付き合った後、その男性はある日突然姿を消してしまいます。そして数年後、大阪から東京に引っ越して暮らしている主人公はかつての恋人にそっくりな男性と出会うわけです。

ここまで読んで想像したのは、かつての恋人が事故か何かで記憶喪失になってしまい主人公のことも忘れてしまっている、というストーリーでした。しかし、この想像は早々に却下されます。実は二人は身長も少し違うし、年齢もことなることがわかります。つまり一人二役的なものではないこと、二人は全くの別人であることがはっきりします。

かつて運命の人と思った相手とそっくりだから新たに出会った男性を好きになったのか、それともその男性をその男性として好きになったのか、大人の恋といってしまえば大人の恋ですが、若い頃の恋を引きずって、こじらせてしまっているイタイ女の恋物語と言ってしまってもよいのかも知れません。

で、かつての恋人が再び登場する後半、主人公の心はモヤモヤしっぱなしになります。「えーっ、ちょっと待って、そんな行動に出ちゃうの?」と叫びたくなります。このあたりの感覚は解説の豊崎由美さんも書いています。そして結末まで読んだ時に、主人公の決断というか行動に賛成できるか否か、これは人によって賛否が割れそうな気がします。

映画はどんな風に描いているのでしょうか。小説そのままの展開なのでしょうか、それとも映画独自のストーリー展開になっているのでしょうか。ちょっと興味があります。

ところで、この作品、高層ビルもありますがアパートとかマンションとかの低層も含め、主人公はよく高いところに上っています。そこから下を見下ろしているシーンが何回も出て来ます。高いところから俯瞰するような描写が多いのに、自分のことは俯瞰できていない主人公という印象を受けました。

そんな風に見下ろしていることが多い主人公なのですが、でも空を、上を見上げているシーンも同じくらい多く出て来ます。ただ、上を向いて希望を見出すという感じではなく、心は落ち込んでいても頭まで下を向くのはやめよう、せめて上を向くことで少しでも運気を上げられたら、という主人公の無意識の気持ちなのではないかという気がしました。

それにしても、帯には「運命の人は二人いた」とあります。主人公の恋がどうなろうと、運命の人が二人もいるなんて、なんとも贅沢な人生ではないでしょうか? あたしなんて一人にすら巡り会えていないのですから。

あえて文庫を買うとき

日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した『台湾生まれ 日本語育ち』が白水Uブックスになります。写真は、左が単行本、右がUブックス版です。

単行本からUブックスへというのは、他の出版社でいうところの文庫化のようなものです。

ところで、単行本を買った人は文庫本も買うのでしょうか?

好きな作家の作品なら、単行本も文庫本も両方買う、というファンの方は多いようです。ファン心理としては装丁もきれいな単行本を買うというのが大前提のような印象を受けます。

それに対して廉価な文庫本は、その作家のファンではないけど評判になっているからちょっと読んでみようと思って、という方が買われるのではないでしょうか。ですから購買層の間口が広くなる傾向があります。時には本屋の店頭で装丁に惹かれてジャケ買いする人もいますが、装丁に惹かれるのは文庫本ではなく、圧倒的に単行本の方が多いと思いますので、単行本ではそういう売れ方もままあるでしょう。

その他、好きになったとき、気づいたときには単行本は品切れとなっていて、文庫本しか手に入らなかった、ということも昨今の出版事情では大いにありえます。昨日このダイアイーに書いた新潮社のクレストブックスも新潮文庫にならずに品切れのまま、という作品は意外と多かったです。

さて、あたしの場合ですが、上述したように好きな作家の場合は単行本を買います。専門書になると文庫化というのは滅多にないことなので単行本で買うしかありませんが、最近はかつての名著が講談社の学術文庫やちくま学芸文庫になったりして入手可能になる場合がありますので油断はできません。

で、単行本を既に持っているものが文庫化されたときに文庫も買うか否かです。

これには、一つ規準というか、ごくごく緩いルールみたいなものがあたしの中にありまして、単行本とまるまる同じ内容ならば買わないけれど、増補があったり、文庫本のみの解説が付いていたりすると購入率が格段に上がります。いや、中国関連のものであれば単行本を持っていても文庫のおまけ(増補や解説)があればまず間違いなく買います。(ただし、著者自身による1ページにも満たない「文庫版ためのあとがき」のようなものは論外です……汗)

というわけで『台湾生まれ 日本語育ち』ですが、今回のUブックス版に3編の追加があります。それだけあれば単行本を持っていても更にUブックス版を買おうという動機になると思うのですが如何でしょう?

読んでもらいたいのは、と言うよりも、読んで意見を聞かせてもらいたいのは……

《エクス・リブリス》の最新刊『ここにいる』は台湾の王聡威の作品です。日本では初めて紹介する作家です。

本作は、帯などにも書いてあるように大阪で起きた母子餓死事件に興味を持った作者が、その事件の舞台を台北に変えて文学作品としたものです。構成としては主人公とその夫(元夫?)、娘、現在の恋人、主人公の母親などの証言だけで構成されています。インタビュアーか記者が本人や周辺人物に取材して、その証言だけを順不同に並べたもののようです。

実際に起こった大阪の事件、あたしは実はよく覚えていなくて、幼児二人が目張りされたマンションに置き去りにされ餓死した事件の方が強く印象に残っています。作者がこの大阪の事件に興味を持ったのは、餓死したとされるものの本当にお金に困っていたのかなど不可解な点が多々あったからだそうです。

大阪の事件もその後どういう結論に達したのか知りませんが、本作はいくつかの状況を置き換えつつも、作者なりの答えを出そうとしたものだと思われます。読んでいますと、主人公の女性は承認欲求が非常に強い性格であることがわかりますし、いわゆる自己顕示欲が強い、見栄っ張りというタイプなのではないでしょうか? 極めて真面目な人柄でもあったようで、融通の利かない人という印象があります。

 

というわけで、あたしとしては、本書を『神経内科医の文学診断』『続 神経内科医の文学診断』の作者のような専門医に読んでもらい、本人や周囲の人々の証言から主人公の症状を診断してもらいたいと思っています。

あくまでフィクションではありますが、こういう人って実は身近にもいるのではないでしょうか、ただ主人公とは異なり、一線を越えるギリギリのところで踏みとどまっているだけなんだと思います。いや、ちょっと間違えば、自分もこの主人公と同じ道を歩んでしまい兼ねない、という気すらします。たぶん主人公は自分がどこで間違えたのか、自分のどこがいけなかったのか、最後までわからずじまいだったのではないでしょうか。

こんな事件、日本特有と思いきや、最近は台湾でもジワジワと増えているとか。日本以上に旧習のしがらみ強いからこそ、陥ってしまった人の絶望は深くなるのかも知れません。

「ここにいる」という邦題、「あたしはここにいるよ、誰か気づいて!」という主人公の心の声なのでしょうか?

それともう一つ、本作では、あくまで夫の証言だけしかありませんが、DVはDVとは言えないようなものとして描かれています。もちろんこれはDVをする側とされる側の意識の差が大きいものですが、とにかく本作ではそういう描かれ方です。

となると、大阪母子餓死事件を題材としたこの作品、もし作者が女性だったらどういう描き方をしたのだろうか、というところにも興味が沸いてきます。

物語の枠を超えて……?

ある小説の続編が発売されるというのはよくあることです。続編はおろか遠大なシリーズになっているものすら珍しくはありません。あるいは、ある登場人物がその作家の別の作品にも登場するということもしばしばあることです。

しかし、別な作家の作品に同じ登場人物が出現することってあるのでしょうか? もちろん誰もが知っている歴史上の人物ならそういうこともあるでしょう。しかし、そうではなく、ある作家が作品の中で造型した人物が別の作家の作品の中に出てくるというパターンです。

もちろん、小説の数など数え切れないほどありますから、似たような登場人物なんていくらでも出てくるでしょうし、小説家だって人の子ですから、他の作家の作品に影響を受けることだって十二分にありえます。ですから、これは全くあたしが感じただけにすぎない感想なのですが……

さて、お陰様で新刊『十三の物語』が好調なミルハウザー。そのミルハウザーの『バーナム博物館』の中の一編「幻影師アイゼンハイム」が映画化されていたのを覚えていらっしゃるでしょうか? 書籍の方は残念ながら現在ほぼ品切れで、どうしてもお読みになりたい方は店頭で見かけた時に買っておかれることをオススメします。まだ在庫している書店は探せばあると思います。

 

それはさておき「幻影師アイゼンハイム」はその名の通り、手品師と言いますか、昨今ならマジシャンとかイリュージョニストなどと呼ばれる男の話で、舞台は19世紀末のウイーンです。

映画と小説とでは、ストーリーが多少異なっているようですが、なかなかミステリアスな作品で、果たしてアイゼンハイムは種も仕掛けもある手品を見せていただけなのか、それとも悪魔と契約し本当の超能力を操っていたのか。そこのところが作品の魅力の一つだと思います。

そして、アイゼンハイムは忽然と舞台から姿を消してしまいます。彼はどこへ行ってしまったのか。映画では牧歌的な結末になっているようですが、あたしは消えてしまったアイゼンハイムを、数十年後の台北で見かけました。

そうです、『歩道橋の魔術師』という作品の中にです。この作品の中では建物を繋ぐ歩道橋(日本で日常的に目にする歩道橋ではなく、やや貧弱なペデストリアンデッキをイメージしていただけるとよいかと思います)で道行く人に手品を見せている男が登場します。普段はごくごくありきたりな手品を見せているのですが、ありえないようなマジックを子どもたちに見せることが時々あります。

それが幼心ゆえの幻想なのか、本当に超能力を使ったものなのか、本作でも実ははっきりしません。そのあたりの加減が「幻影師アイゼンハイム」とよく似ているのです。台北の魔術師は正体がわからないままです。主人公が大人になってから当時の思い出を集めるというスタイルの作品ですが、その時点で幼いころに見た魔術師がどうなったのか、どうしているのか、知っている者は誰もいませんし、当時においてすら、そんな魔術師がいたことを記憶している人は多くはないようでした。

19世紀末のアイゼンハイムだとしたら、当然、生身の人間が生き続けられる時間の隔たりではありえません。だからこそ、幻影師、魔術師と呼ばれる所以なのだと思いますが……

中東情勢を理解するのは難しいけれど、少しでも知識を得たいと思って……

サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』の続編とでも言うべき『シーア派とスンニ派』が発売されました。

前著は発売後すぐに購入して読みましたが、今回のもこれから読みます。楽しみです。

  

それにしても刊行までちょっとインターバルが空きすぎてしまいましたね。

中東情勢って刻々と変わるので早く出さないとならない反面、どんなに急いでも、それを超えるスピードで現実が進んで行くので、どの程度の内容でまとめ、どのタイミングで刊行するかが非常に難しそうです。

で、この間に続編の刊行を待ちきれなかったというわけではありませんが、『オリエント世界はなぜ崩壊したか』も読んでみました。こちらも非常に面白い一冊でした。併読をお薦めします。