運命の人が二人もいるなんて!

寝ても覚めても』読了。

ストーリーはカバーにも書いてありますが、主人公が一目惚れした男性としばらく付き合った後、その男性はある日突然姿を消してしまいます。そして数年後、大阪から東京に引っ越して暮らしている主人公はかつての恋人にそっくりな男性と出会うわけです。

ここまで読んで想像したのは、かつての恋人が事故か何かで記憶喪失になってしまい主人公のことも忘れてしまっている、というストーリーでした。しかし、この想像は早々に却下されます。実は二人は身長も少し違うし、年齢もことなることがわかります。つまり一人二役的なものではないこと、二人は全くの別人であることがはっきりします。

かつて運命の人と思った相手とそっくりだから新たに出会った男性を好きになったのか、それともその男性をその男性として好きになったのか、大人の恋といってしまえば大人の恋ですが、若い頃の恋を引きずって、こじらせてしまっているイタイ女の恋物語と言ってしまってもよいのかも知れません。

で、かつての恋人が再び登場する後半、主人公の心はモヤモヤしっぱなしになります。「えーっ、ちょっと待って、そんな行動に出ちゃうの?」と叫びたくなります。このあたりの感覚は解説の豊崎由美さんも書いています。そして結末まで読んだ時に、主人公の決断というか行動に賛成できるか否か、これは人によって賛否が割れそうな気がします。

映画はどんな風に描いているのでしょうか。小説そのままの展開なのでしょうか、それとも映画独自のストーリー展開になっているのでしょうか。ちょっと興味があります。

ところで、この作品、高層ビルもありますがアパートとかマンションとかの低層も含め、主人公はよく高いところに上っています。そこから下を見下ろしているシーンが何回も出て来ます。高いところから俯瞰するような描写が多いのに、自分のことは俯瞰できていない主人公という印象を受けました。

そんな風に見下ろしていることが多い主人公なのですが、でも空を、上を見上げているシーンも同じくらい多く出て来ます。ただ、上を向いて希望を見出すという感じではなく、心は落ち込んでいても頭まで下を向くのはやめよう、せめて上を向くことで少しでも運気を上げられたら、という主人公の無意識の気持ちなのではないかという気がしました。

それにしても、帯には「運命の人は二人いた」とあります。主人公の恋がどうなろうと、運命の人が二人もいるなんて、なんとも贅沢な人生ではないでしょうか? あたしなんて一人にすら巡り会えていないのですから。

ライ麦畑で出会えなかった……

映画「ライ麦畑で出会ったら」試写会の招待券をいただいていたので京橋まで出かけてきました。

京橋とは言っても、事前に調べてみたら試写会の会場は東京駅からも歩いて10分程度のところだったので、「こりゃ、中央線一本で行ける」と勇んで出かけてみたのですが……

13時からの試写会に、12時半ごろ東京駅へ到着し、二三十分界隈をうろうろしたのですが、結局試写会場が見つからないまま時間切れ。やむなく東京駅へ戻り、再び中央線に乗って戻る羽目になりました。

映画の主人公はサリンジャーに会えたのでしょうか?

その前に、あたしはこの映画に出会えませんでした(爆)。

たぶん、この映画、WOWOWとかで放送されない限り、もう見ることはないのではないか、そんな気がします。

縁がなかったのでしょうね。

こういうことってよくあります。

昔、飲み会か何かの集まりで、やはり会場が見つけられず結局参加せずに帰ったことがありました。あたしの人生でこういうことって過去にも何度か起こっています。

事前によく調べてから行けばよいのに、と言われてしまえばそれまでなのですが、たぶん心のどこかで「たどり着けなかったらそれまでさ」という気持ちが働いているのかも知れません。

諦めが肝心、という格言もありますが、あまりにもあっさりと諦めてしまうことがあたしの人生には多々あったような気がします。

いや、諦めずに粘ったとしても、結局結果はさほど変わらないだろうなあという予感がするのです。だったら面倒な努力、余計な粘りはするだけ無駄というものです。

そんな風に考えてしまうのです。

今日の配本(18/09/13)

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