ちょこちょこと顔を出しているようで……

中公新書の『リバタリアニズム』を読み終えるところです。

ところで、この本を読んでいると、あたしの勤務先の書籍がちょこちょこと顔を覗かせているような気にさせられます。

たとえば、9頁には「海賊党」という言葉が出てくるのですが、あたしの勤務先からは『海賊党の思想 フリーダウンロードと液体民主主義』という本を出しています。

同書は、ヨーロッパで勢力を伸ばしていると言われる海賊党というものに迫ったノンフィクションですが、これがアメリカのリバタリアンとどう関わってくるのでしょう?

次に、41頁には「グローバル・トリレンマ」という言葉が出て来ます。

これは言わずと知れたロドリックのロングセラー、『グローバリゼーション・パラドクス  世界経済の未来を決める三つの道』で主張されているところです。

『リバタリアニズム』で解かれているグルーバル・トリレンマは「グローバル資本主義・国家主権・民主主義の不整合」を指していますが、『グローバリゼーション・パラドクス』ではそれを「現今の世界情勢は、グローバリゼーションと国家主権、そして民主主義を同時に追求することを許さず、どれか一つを犠牲にするトリレンマを強いている。教授はこうした基本認識に立ちながら、国家主権と民主主義を擁護するとともに、無規制なハイパーグローバル化に網を掛けることを提言する」と述べているわけです。

リバタリアンはこの三つのどれを選ぶのでしょう?

そして最後、80頁には「鉄のカーテン」という言葉が使われています。これはまもなく刊行予定の上下本のタイトル『鉄のカーテン』です。こちらは

第二次世界大戦の終結から、スターリンの死、ハンガリー革命に至るまでの時代に、ソ連がいかに東欧諸国(主に東独、ポーランド、ハンガリー)を勢力下に収め、支配していったのか、そして各国がいかに受容し、忌避し、抵抗していったのか、その実態をテーマ毎に論じた力作

です。

今月のおすすめ[2019年2月-2]

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ただしお会いしたことのない方、存じ上げない方は、お断わりいたしますのでご了承ください。



ついつい気になってしまうものです

あ本日は、もう一点、見本出しがありました。それがこちら。

金子兜太戦後俳句日記』です。

全三巻のうちの第一巻で、第二巻は8月、第三巻は来年2月に刊行予定です。半年に一冊と覚えてください。

ご覧のように函入りの一冊です。お値段も本体価格9,000円とやや高額です。しかし既に全巻予約、定期購読の注文や問い合わせが届いております。金子兜太さんの人気、畏るべし、です。

函から出すとビニールカバーの掛かった上製の本が現われます。月報もつきます。

あれ、ふと思ったのですが、半年に一度出る本なのに「月報」という呼び方は正しいのでしょうか? しかし、まさか「半年報」と呼ぶわけにもいきませんし、こういったものは「月報」と誰もが思い込んでいるわけですし、これで誤解されることもないでしょうから、構わないのでしょうね。

ところで、今回の第一巻は「一九五七年~一九七六年」を収録しています。なんと、あたしの生まれた年が含まれているではないですか!

というわけで、早速、あたしの生まれた日に、兜太さんはどんな日記を書いているのか、どんな句を詠んでいたのか見てみました。それが右の写真です。

うーん、句はないようです。

原爆なんていう言葉が出てきますが、このころですと「もう戦後は終わった」という感覚なのか、まだまだ戦後が続いているという感覚なのか、生まれたてのあたしにはわからないところです。

より身近に感じられましたが……

ヒョンナムオッパへ 韓国フェミニズム小説集』、いよいよ本日、見本出しです。配本は20日ですので、来週後半には店頭に並び始めるのではないかと思います。筑摩書房の『82年生まれ、キム・ジヨン』を買われた、読まれた方には是非お薦めです!

『82年生まれ』の著者チョ・ナムジュさんの作品が「ヒョンナムオッパへ」で、本作の巻頭を飾る作品です。こちらは短篇なので取っ付きやすいのではないかと思います。そして、それ以外にもさまざまな作家の作品が全部で7作品収録されています。タイトルを眺めながらどれから読もうか考えるひとときも、読書(特に短篇集)の醍醐味だと思います。

さて、ここで先入観を与えてはいけないと思いつつも、『82年生まれ』と『ヒョンナムオッパへ』だとどっちが面白い、という営業回りで聞かれそうな問いにあたしなりにお答えしたいと思います。

でも、『ヒョンナムオッパへ』は未刊ですからお読みになっていない方ばかりでしょう(原書で読んでしまった方もいるのでは?)から、裏表紙の帯をご覧いただきましょう。どんな内容の作品なのか、少しはご理解いただけるでしょうか?

という前置きはこのくらいにして、問いに対する答えですが、『82年生まれ』と『ヒョンナムオッパへ』とでは身近さに距離があると感じました、あくまであたし個人の感想です。『82年生まれ』はちょっと遠いです、こういう喩えがわかりやすいかどうかなんとも言えませんが、隣のクラスメートという感じです。顔は知っているし、一回くらいは話したことがあるかもしれないけどよくは知らない人、という感じです。

それに対して『ヒョンナムオッパへ』はよく話をする同じクラスの人です。日常的な会話もあるし、ある程度はどんな人なのかも理解しているつもりという感じです。

なので、だからこそ、『ヒョンナムオッパへ』の方が切実であり、よりリアルに感じられ、読んでいて辛い部分がありました。この気持ち、わかっていただけますでしょうか。いや、わかってもらえなくてもよいです。とにかく読んで何かを感じていただければ、それで十分です。

日向坂46が出来た途端に日陰坂46という言葉が生まれたのが気になる……

けやき坂46が日向坂46に改名したニュース。

「日向」を「ひゅうが」ではなく「ひなた」と読ませ、これまでのハッピーオーラというグループカラーとも相俟って好意的に受けとめているファンが多いのは嬉しいことです。

ただその一方で、欅坂46を「日陰坂46」などと揶揄する一部ファンが現われているのにはちょっと失望してしまいます。

確かに、平手友梨奈の体調に伴うライブの中止とか、歌番組に出た時のやる気のない踊りとか、このところネガティブなイメージばかりが報じられる欅坂46ですが、彼女たちを日陰坂と呼ぶのは間違っていると思いますし、頑張っている彼女たちに失礼だと思います。

個人的には、あえて「日陰坂」と呼ぶのであれば、それは今までの日向坂、つまりけやき坂46のことだと思います。

大きな欅の根元で生い茂っている葉に遮られてなかなか太陽光を浴びることもできず日陰の位置に留めおかれ続けたけやき坂46のメンバーたち。いつかは自分たちも幹の上の方で太陽に向かって葉を広げると思っていたのに、そういうチャンスは巡ってこず、ひたすら根本で落ちてきた葉を養分として実力を蓄えてきたわけです。

そしてこのたびようやく根元から飛び出して、陽の当たるところへ出て来たのがけやき坂46、つまり日向坂46だと、あたしは思うのです。

あたしがそうだから言うのではありませんが、坂道シリーズのファンは乃木坂も欅坂もけやき坂もみんな応援しているファンが多かったと思います。だから一部のファンがこんなふうに対立を煽るようなことをしてしますのは悲しいことだと思うのです。