かなり短絡的に歴史を鑑としてみる

中公新書『ヴィルヘルム2世』の中にこんな部分がありました。

ドイツの経済的躍進は、ドイツの側でも人びとの心性に大きな変化をもたらした。ドイツ人には元来、イギリスやフランスに対する劣等感が根強い。これら西欧諸国の文明的洗練に比して、自分たちの生活習慣や文化は粗野だという引け目である。ところが今、その自分たちは目覚ましい発展をなしとげた。諸外国からも賛嘆されるほどの成功である。だとすれば、われわれは何も他国に遠慮することなどあるまい、自信をもって、もっと堂々とふるまってもよいのではないか--そう人びとが考えるようになるのは自然の趨勢である。(P.121)

この箇所のドイツを中国に、イギリスやフランスを日本に置き換えると、改革開放以後目覚ましい経済成長を遂げた中国によく似ているなあと感じるのはあたしだけでしょうか?

さらには

つけ加えておきたいのが、先に述べた、国をあげての自信過剰という時代の雰囲気である。ビスマルク外交は一言でいえば、自制の外交であった。しかし、人びとの間に国民的自信が沸きたってくると、発想が変わっていく。国力に見合った権益を求めても当然ではないか、という考えが生じる。外相だったビューローが一八九七年に議会演説で述べたように、われわれドイツにも、他のヨーロッパ諸国と同様、世界のなかで「陽のあたる場所」を求める権利があるはずだ、と。(P.125)

とも書いてあります。これなども鄧小平時代の中国と習近平時代の中国のことを書いているのではないかと錯覚してしまうような文章です。そして、ヴィルヘルム2世は海軍の建設に邁進します。これなども国産空母を建造し、介与進出を活発化させる現在の人民解放軍と重なるところを感じます。

安倍政権以来の日本の動きを戦前に戻っている、戦争への道だと表現する人がいます。それはそれでそれなりの妥当性を感じますし、あたしなども第一次大戦後のドイツの歩み、ヒトラーやナチの台頭などはこのところの自民党政治と重なるものを感じます。

歴史を鑑とするということは大事な人類の知恵だと思いますが、こうしてみると第一次大戦前のドイツが最近の中国と重なって見えてくるのは不思議なものです。