もし実現していたら果たして議論はかみ合ったのか?

少し前からネットでも話題になっていた、一橋大学の百田尚樹講演会中止の件。あたしも、そんな講演会があるって話を聞いたときから、「いったい誰が読んだのだろう、一橋大学ってバカなんじゃない」と心の中では思っていました。

が、その後、反対の声が続々と上がり、結局講演会は中止になったようで、一橋大学も捨てたものじゃない、と何様のつもりだと言われそうですが、そんな風に思いました。

上の画像は、そんな経緯を伝える今朝の朝日新聞です。

記事にあるように、確かに百田尚樹の言論の自由という問題はあるのかもしれませんが、あの人は作家であり、テレビにもよく出ていて、一橋大学の講演会でなくとも、いくらだって発言の場はあるわけで、果たして「発言の場を奪う」と言えるのかな、という気もしました。

でも、彼のこれまでの差別的な発言って、そもそも発言の場とか言論の自由という問題以前のことだとも思います。

最後の方にある、「講演を聴いておかしいと思えば議論するのが高等教育の場にふさわしい姿」という意見は正論で、深く頷くものがありますが、ただ問題は、百田尚樹が学生との議論に誠実に真摯に向き合う人であるかどうか、という点です。これまでのマスコミ報道を見る限り、一方的に決めつけた物言いをするのではないかと危惧します。

あたしなど百田尚樹には会ったこともないですし、著作を読んだこともなければ講演会やトークイベントを聞きにいったこともないので、テレビや新聞の報道だけで人を決めつけることこそ問題だと逆に言われそうですが、確かにそのあたりについて百田尚樹が言いたいことがあると考えるのも無理からぬと思います。

それにしても、そもそも誰が百田尚樹を呼ぼうと思いついたのでしょうね? そういえば石原慎太郎も一橋大学でしたから、一橋大学にはそういった伝統もあるのかもしれないですね。