邯鄲一炊の夢?

あたしはふだん、晩は7時過ぎ、8時前には布団に入ります。朝は3時半くらいから起きているので、どうしても晩は早々と眠くなってしまうのです。

布団に入ってもしばらくは本を読んでいますので、すぐに寝てしまうわけではありません。時には一時間以上読んでいるときもあります。

そして昨晩ですが、ちょっと体調がすぐれず、風邪っぽかったので、風邪薬を飲んで蒲団に向かいました。いつものように本を読み始めたのですが、風邪薬が速くも効いてきたのか、まもなく睡魔が襲ってきました。

本を閉じて眠りにつくと、内容はほとんど覚えていないのですが、波瀾万丈の大冒険をした、長い長い夢を見ました。なんでそんな夢を見たのか、どういう脈絡でこんな夢を見たのか全くわかりませんが、とにかくあたしとしては自分では考えられないような冒険、そして体験、経験をした夢でした(という薄ぼんやりとした記憶が残っているだけです)。

「ああ、いい夢を見たなあ」という感触を抱いたまま目が覚めて、枕元の時計を見ると8時15分。もちろん今朝の8時過ぎではありません。昨晩の8時過ぎです。

ものすごく長い時間夢を見て眠っていたような気になっていたのですが、実際に寝ていたのは1時間にも満たない時間でした。劣化版ではありますが、これぞまさしく邯鄲一炊の夢ではないでしょうか? 夢の内容を覚えていないのが残念ですが。

またまた掲載されました!

今朝の朝日新聞一面です。

つい先日も『忘却の野に春を想う』が引用されていたのですが、今朝は『新「ことば」の課外授業』からの引用です。

ふと思ったのですが、こういう掲載のされ方の場合、「掲載」と言うべきなのか、それとも「引用」と呼ぶべきなのか、どちらがふさわしいのでしょう?

先に何気なく「引用」と書いてしまいましたが、「掲載」でも不自然には感じられませんし、「折々のことばに載った」という言い方は普通に言ってしまいそうです。

もちろん「折々のことばで紹介された」「折々のことばで取り上げられた」とも言いますので、やはり引用よりは掲載の方が、この場合にはよいのですかね?

今日の配本(22/01/27)

新訳ベケット戯曲全集3 フィルム
映画・ラジオ・テレビ作品集

サミュエル・ベケット 著/岡室美奈子、長島確、木内久美子、久米宗隆、鈴木哲平 訳

わかりやすくて明快な21世紀のベケットを、すべて新訳でお届けします。表題作をはじめ、本邦初訳の「なつかしい曲」、ドゥルーズが『消尽したもの』で分析したテレビドラマ作品など、13篇を一挙収録! 幽玄夢幻の、絵になる「放送劇」。

スモモの木の啓示

ショクーフェ・アーザル 著/堤幸 訳

13歳の末娘バハールの目を通して、イスラーム革命に翻弄される一家の姿が、時に生々しく、時に幻想的に描かれる。『千一夜物語』的な挿話、死者や幽鬼との交わり、SNSなどの現代世界が融合した、亡命イラン人作家による、魔術的リアリズムの傑作長篇。