日常に潜む不安感

少し前に『モンスーン』の著者、ピョン・ヘヨンさんが来日してトークイベントを行ないました。

その時点で、『モンスーン』は読んでいて、いわゆるフェミニズムと総称されるような韓国文学とは異なる、独特の怖さを持った作品に非常に魅了されていたので、トークイベントも楽しく聞きました。

その席上、ピョン・ヘヨンさんもそうですし、対談相手の金原瑞人さんも取り上げていた作品『アオイガーデン』を読んでみました。評判どおりの素晴らしい作品でした。原作は『アオイガーデン』『飼育場の方へ』という二つの短篇集で、そこから四篇ずつ選んで一冊にまとめたのが邦訳の『アオイガーデン』で、日本独自編集版ということになります。

原作二つ、『アオイガーデン』はややホラーテイストで、『飼育場の方へ』は日常的な題材という違いがあると訳者あとがきで触れられていましたが、最初の四篇と後の四篇でガラリと変わる感じはなく、どれも身近で起こりそう、起こっていそうな世界を描いていて、それでいてちょっとした不安感、足元の覚束ない感じがあって、身に迫ってきます。これらは『モンスーン』にも通じる世界ですね。

最初にも書いたように、現在の日本で韓国文学といえば女性の生きづらさを描いたような、いわゆるフェミニズム系の作品が評判を得ているようで、それはそれでおもしろく考えさせられるのですが、韓国文学はそればかりではないということももっと発信していかなければと、出版社の人間としては思います。パク・ミンギュさんのような男性作家もいますし、フェミニズムに飽き足らない人向けにも、もっともっとバラエティ豊かな作品が紹介されるといいなあと思います。

そんな中で、このピョン・ヘヨンさんの作品は誰にでも起こりそうな、それでいて自分の身に起こったら絶対嫌だなあと思う、そんな作品が多く、読後感が爽やかと清々しいといったものとは真逆ではありますが、是非読んでもらいたい作家だと、あたしは思います。

愛するってなんだろう?

Youtubeで「林奕含」を検索をするといくつもの動画がヒットします。以下に引用したのは、そのうちの一つです。

ごくごくフツーの若くてきれいな女性がインタビュアーの質問ににこやかに答えている動画にしか見えません。この時からそれほど時間をおかず彼女みずから命を絶ってしまうなんて、とても想像できません。しかし、それが事実です。

『房思琪の初恋の楽園』を読みましたが、苦しいです。そして男の身勝手さ、醜さが読んでいて吐き気が出そうになるほどです。そしてそんな男をも含んだ世間、社会の冷淡さ。そんな醜悪な世界の中で必死にもがき苦しみながら生きようとした主人公・房思琪(ファン・スーチー)の純粋さと解釈したら、恐らく作者に「あなたはこの小説を誤解している」と言われてしまうのでしょう。

「訳者あとがき」には

「誘惑された、あるいは強姦された女の子の物語」ではなく、「強姦犯を愛した女の子の物語」なのだと言いつつ「かすかな希望を感じられたら、それはあなたの読み違いだと思うので、もう一度読み返したほうがいいでしょう」と「かすかな希望」を否定する。彼女の思いも、愛する文学に救いを求めて客観的に描こうとする意識と、心の奥底に澱む絶望との間で、最後まで揺れ続けていたのではないだろうか。

とあります(267頁)。

本書をどう読むのが正解なのか、あたしにはわかりません。三人称で書かれた文体は、確かに房思琪を主人公としつつも、全体的な語り手は劉怡婷(リュウ・イーティン)でもありますし、その他にも複数の登場人物の心の声が折り重なってきます。誰の視点で読むかによっても異なる印象を与えるのではないでしょうか?

最初と最後は、豪華なマンションに暮らす住人たちの、ちょっとしたホームパーティーのシーンです。しかし、何の予備知識もなく描かれる最初の会食のシーンと、本書を読み通した後の会食のシーンがまるで異なる印象になるのは当たり前でしょう。そして最後の最後、マンションの前を通りがかった人のつぶやき、「申し分のないい人生」という言葉には皮肉が効きすぎているように感じられます。

ふだん、あまり人と本の感想を語り合いたいとは思わないのですが、本書だけは他の人がどう感じたか、どう受けとめたのか、聞いてみたいと思いました。読書会向けの本というには苦しすぎますが。

「早く結婚したい」と言います。

新潮新書『いい子に育てると犯罪者になります』を読んでいます。その中にちょっと気になった一節がありました。

非行少年は、不遇な環境で育っているため、「早く結婚したい」と言います。自分が温かい家庭で育ってこなかったので、温かい家庭を持ちたいのです。(同書182頁)

不遇な家庭で育つと早く結婚したがる傾向にあるということですよね? そうなのでしょうか?

あたしの場合、亡き父は浮気性で、母はかなり苦労させられたと思います。結果的に家庭を壊すまではいかなかったですけど、一時期は離婚も現実的な状態だったのを子供心に記憶しています。ただ、決して父親が家庭を顧みず、子供の相手もしないというわけではなかったので、想像されるほど悲惨な家庭ではなかったとは言えると思いますが……

そんな家庭で育ったあたしも、結婚はしたいなあと思いつつも、心の奥底で「自分にもあの父親の血が流れているわけだから、家庭を持っても決して家族を大事にできないのではないか」という恐れがあり、「自分も妻を省みず浮気をしてしまうのではないか」という恐怖心がずっとありました。だから、いまもって結婚もできないですし、恋人もできたことがありません。

正解なんてない事柄ですから、どちらが正しいとは言えないのでしょうけど、あたしはそんな風に感じました。

評判どおりの傑作

掃除婦のための手引き書』読了。

書評も出て、店頭でも最初からよく売れていると聞いていましたので、遅ればせながらあたしも読み始めました。

しかし、最初の数篇、実はあまり面白くなかったです。「これがなんで売れてるの?」というのが正直な感想でした。いや、面白くないと言ってしまえば、人それぞれ好みがありますから語弊があるかもしれません。ただ、これほど売れる(売れている)とはとても思えない出来映えだと感じながら読み始めたのは偽らざる感想です。

ところがその数篇を過ぎたところから、突然面白くなってきました。グイグイと引き込まれます。やめられません。「なんだ、この面白さは!」と掌を返したような感想になりました。「これ、もしかして途中から著者が変わっていない?」と思えるほどの違いです。

何なのでしょうね、この変わり方。作品が変わったのではなく、あたしがようやくルシア・ベルリンの作品世界に入り込むことができたということなのでしょうか?

そう言えば、以前にも一度同じような体験をしています。やはり途中までは退屈で、読み進めるのをやめようかと思ったのですが、そこを我慢して乗り越えたら俄然面白くなって、ページをめくる手が止まらなくなったのです。

その作品は『ダンテ・クラブ』です。現在はもう版元品切れなのかしら? 売れたのか売れなかったのか知りませんが、とにかく途中で著者が変わったのか、あるいは役者が変わったのか、というくらい読みやすく、面白くなったのが印象的な作品でした。

こういう作品ってあるものなんですね。

掃除婦って何だろう?

寝しなに『掃除婦のための手引き書 ルシア・ベルリン作品集』を一、二編ずつ読んでいます。なんとなく、かつて読んだことがあるような気がする文章です。でも、それが何だか思い出せません。

ところで、「掃除婦」って何でしょうね?

いわゆる企業などでゴミ箱のゴミを捨てておいてくれたりする「お掃除のおばちゃん」のような気もするのですが、本書を読んでいるとそうではなく、むしろ家政婦という感じがします。アメリカにだって、いわゆる家政婦っていうのは存在しますよね? あえて掃除婦と言っている著者の意志は奈辺にあるのでしょう? そんなことを思ったりしながら読んでます。

とはいえ、本書所収の各短篇の主人公は全部が全部同じ人物として描かれているわけではないようですし、掃除婦というわけでもない時もあります。やはり著者自身のことだろうなあと思いながら読んでいますが、その変幻自在なふるまいというか、たたずまいはおかしくもあり、したたかでもあり、生きることに対する力強さを感じます。

コンプリートしてるつもり?

李琴峰さんの『五つ数えれば三日月が』読了。

今回の作品は中篇二つ。どちらも舞台は日本で主人公は台湾出身の女性、日本語を勉強して日本にやってきて、日本で暮らしているという設定です。

前作の『独り舞』は、同性愛がもっと前面に出ていて、非常に興味深かったところもあれば、人によっては理解に苦しむところもあったのではないかと思います。頭ではわかっていても、なかなか同性愛への理解って広がっていないですから。

それに対して本作は、同性は後景に退き、うっすらと感じられる(あくまで、あたしには、ですが……)作品になっていました。そういう意味では読みやすいし、作品世界に入って行きやすいとも思います。あたしなりの感想を言ってしまえば、主人公の抱いている感情は同性愛なのか否か、それすら主人公はつかみかねているように感じられました。

同性愛という孤独、異郷に暮らすという孤独、その両者が相俟って近しい誰かにすがりたくなるのかな、それが果たして友情なのか、愛情なのか、淡い恋なのか、あたしにもよくわかりませんが、いずれにせよ主人公はこの後どのような一歩を踏み出したのか、その後が気になる作品です。

李琴峰山の単行本はまだこの二冊だと思いますのでコンプリートしていますが、実はつい先日『黒い豚の毛、白い豚の毛』を読み終えた閻連科さんも、邦訳作品はコンプリートしています。写真は、わが書架の閻連科コーナーです。

雑誌などで発表された邦訳はわかりませんが、単行本としてはこれですべて揃っていると思います。あえて瑕疵を指摘するのであれば閻連科作品も収録しているアンソロジー『作家たちの愚かしくも愛すべき中国』が未読、未所持であるという点でしょうか。

あたし自身は、決して作家を追うという読書ではなく、広く雑多に読みまくるタイプです。ただ、気に入ると他の作品も読んでみたくなるのは人情でしょう。一般にはどうなのでしょう? やはり作家を追うという読書スタイルの人が多いのでしょうか?

些細なことだけど……

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2年はもつ? 2年しかもたない?

わが家には本が何冊あるのかわかりませんが、1万冊もあるでしょうか? いや、そこまではないかしら?

とにかく、数えたことがないのでわからないのですが、書籍収蔵のための書棚が足りなくなってきました。奥行きの深いものも持っていますが、本というのは、特に文庫や新書、ごくごく普通の単行本であれば、意外と奥行きが必要ないものです。正直なところ、15cmもあれば十分です。

奥行きが深い書棚は展覧会の図録や雑誌など大型の本を収納するときだけ必要になります。ですから、このところ購入する書棚はどれも薄っぺらいものばかりです。既製品ですと、天井まで届きそうな背の高いタイプですと、奥行き18cmというのが一番薄型のもののようです。

というわけで右の写真は、そんなわが家の2階の廊下の書棚です。既に1階のあたしの部屋は、書棚を置くスペースがないので、2階の廊下にまで書籍スペースが広がってきてしまっている状態です。

ご覧のように、主に文庫・新書が並んでいます。2階なのであまり重い本は増やさないようにしたいところですが、そう都合よくはいかないのも現実でして、この書棚も見てのとおり満杯なので、このたび新しい書棚を追加購入しました。

左の写真が新しい書棚です。昨日までの関西ツアー中に配達され、今朝組み立てをしたところです。

空いているスペースの都合上、幅45cmの書棚を二つ購入しましたので、90cm分になります。廊下の床からほぼ天井までの高さがあります。

左側の書棚の真ん中あたりにスイッチが見えると思いますが、ちょうどここに廊下のライトのスイッチがあるので、その部分だけ背板を切ってスイッチが見えるようにしました。ですので、ここの部分には本を並べることはできません。

それでも、ひとまずこれだけのスペースが確保されたので、しばらくは本の置き場所には困らないでしょう。といって、果たして何年もつのでしょうか?

夜中に歩き回る人が多すぎる?

スティーヴン・ミルハウザーの『私たち異者は』を読んでいます。

短篇集ということですが、一篇は比較的長めだと思いますので、読み応えがあります。緻密な描写がさすがだと感じさせます。

で、読んでいてふと感じたのは、夜中に歩き回る人が多いなあ、ということです。別に夜を舞台にしているからといってホラーだというわけではありません。そもそも小説のテーマや舞台が夜だというのではなく、寝られずに、あるいは眠らずに街を徘徊する人たちが比較的多く出てくるなあと感じられるということです。

これから本格的な夏になると寝苦しい夜もあるでしょうし、外をほつき歩いても寒くはないでしょうから、小説になりそうなハプニングやらストーリーやらが生まれやすいのでしょうか?

それで思い出したのが、やはりミルハウザーの作品『魔法の夜』です。

こちらは、アメリカの、とある田舎街の一晩の物語です。上に書いたように、夏の暑い夜、暑さで寝られない人、または眠らない人たちが複数登場し、街の中を歩き回ったり、家の中で悶々としていたり、それぞれがそれぞれに一晩を過ごしています。そんな様をオムニバス形式で描いた、ファンタジーっぽい作品です。

ご覧のように、装丁も非常にメルヘンチックといいますか、可愛らしい感じです。夏の読書感想文にちょうどよい長さの作品です。もちろん中高生でも読める内容の作品ですので、この夏に是非どうぞ!

読んでから見るか、見てから読むか

売れ行き好調につき、ただいま重版中のハン・ガン『回復する人間』の中に「左手」という作品が収録されています。

とある男性サラリーマンの左手についての物語なのですが、この作品を読んだ後にテレビでこんなCMを見かけました。

Apple WatchのCMです。手にハマってウォッチが勝手に動き出してしまうというCMになっています。

「左手」を読んだ人であれば、このCMにウンウンと頷いてしまうことは間違いないでしょうし、このCMを読んだ人であれば「左手」が面白く感じられるのではないでしょうか?

もちろん、「左手」の主人公はApple Watchを左手に身につけてはおりませんが……