掃除婦って何だろう?

寝しなに『掃除婦のための手引き書 ルシア・ベルリン作品集』を一、二編ずつ読んでいます。なんとなく、かつて読んだことがあるような気がする文章です。でも、それが何だか思い出せません。

ところで、「掃除婦」って何でしょうね?

いわゆる企業などでゴミ箱のゴミを捨てておいてくれたりする「お掃除のおばちゃん」のような気もするのですが、本書を読んでいるとそうではなく、むしろ家政婦という感じがします。アメリカにだって、いわゆる家政婦っていうのは存在しますよね? あえて掃除婦と言っている著者の意志は奈辺にあるのでしょう? そんなことを思ったりしながら読んでます。

とはいえ、本書所収の各短篇の主人公は全部が全部同じ人物として描かれているわけではないようですし、掃除婦というわけでもない時もあります。やはり著者自身のことだろうなあと思いながら読んでいますが、その変幻自在なふるまいというか、たたずまいはおかしくもあり、したたかでもあり、生きることに対する力強さを感じます。

やってしまった、これでいったい何本目?

この夏は日傘デビューをしたのですが、その晴雨兼用の折り畳み傘の骨が折れてしまいました。

あたし、昔っからこうなんです。

折り畳み傘を使って畳む時に、どうも雑というのか乱暴というのか、骨を曲げてしまったりしてしまいます。畳んだり広げたりする時にも、なんとなく骨同士が引っかかってうまくいかない時があり、たぶん、そういう時に強引にやってしまうのでしょう、だから骨が折れたり曲がったりするのだと思います。

今回の折り畳み傘は、たぶん5回くらいしか使っていませんが、まあ、だいたいこんなものです。何年か前のことですが、一年で折り畳み傘を3本ダメにしたことがあります。

もうあたしは折り畳み傘を使う資格がないのでしょうか?

併売と言うよりもペア販売?

本日見本出しの新刊『エリ・ヴィーゼルの教室から』は週明けの配本になります。来週半ばには店頭に並び始めることと思います。

 

タイトルを見れば一目瞭然ですが、是非ともみすず書房の『』と一緒に並べていただきますよう、よろしくお願いします。

「一緒に並べて」と言えば、既に並んでいるかと思いますが、作品社の新刊『戦下の淡き光』があれば、こちらも忘れないでください。

 

こちらは同じ著者の『ビリー・ザ・キッド全仕事』がございます。

韓国併合ではなく日本併合の可能性は?

このところの日韓関係のニュースではしばしば歴史を振り返って日本による朝鮮統治について触れているものがあります。日韓併合なのか、韓国併合と呼ぶのが正しいのか、あたしには正確なところはわかりませんが、日本が朝鮮半島を領土化、属国化したことは間違いないでしょう。

その是非だとか、歴史的な経緯とかはおくとして、ふと思ったのは、二千年近い日本と韓国の関係において朝鮮側が日本を侵略する可能性というのはなかったのだろうか、ということです。

朝鮮半島から渡ってきた人が渡来人などと呼ばれていた時代は、まだ日本も国家として生まれたばかりですから、朝鮮人から見たときに「東の海の彼方にある、まだまだ発展途上国」という認識だったと思います。しかし、白村江の戦いのころからは朝鮮半島に軍隊を送るまでになっていたわけですから、それなりに対抗勢力として意識されていたのではないかと思います。

となると、朝鮮にとって正面は中国側だと思いますが、後顧の憂いをなくすためにも日本を支配下に置いておいた方が安心して中国に対峙できますよね。なんで朝鮮は日本を自分の勢力下に置こうとしなかったのでしょうか。それとも、あたしがそういう歴史事実を知らないだけなのでしょうか?

朝鮮から見て、中国とは比較にはなりませんが日本はそれなりに大きな国です。日本を侵略するとなるとそれなりの準備や国力の充実、そして武力が必要になるので、そこまでの力を蓄える余裕が歴史的になかったというだけなのでしょうか?

コンプリートしてるつもり?

李琴峰さんの『五つ数えれば三日月が』読了。

今回の作品は中篇二つ。どちらも舞台は日本で主人公は台湾出身の女性、日本語を勉強して日本にやってきて、日本で暮らしているという設定です。

前作の『独り舞』は、同性愛がもっと前面に出ていて、非常に興味深かったところもあれば、人によっては理解に苦しむところもあったのではないかと思います。頭ではわかっていても、なかなか同性愛への理解って広がっていないですから。

それに対して本作は、同性は後景に退き、うっすらと感じられる(あくまで、あたしには、ですが……)作品になっていました。そういう意味では読みやすいし、作品世界に入って行きやすいとも思います。あたしなりの感想を言ってしまえば、主人公の抱いている感情は同性愛なのか否か、それすら主人公はつかみかねているように感じられました。

同性愛という孤独、異郷に暮らすという孤独、その両者が相俟って近しい誰かにすがりたくなるのかな、それが果たして友情なのか、愛情なのか、淡い恋なのか、あたしにもよくわかりませんが、いずれにせよ主人公はこの後どのような一歩を踏み出したのか、その後が気になる作品です。

李琴峰山の単行本はまだこの二冊だと思いますのでコンプリートしていますが、実はつい先日『黒い豚の毛、白い豚の毛』を読み終えた閻連科さんも、邦訳作品はコンプリートしています。写真は、わが書架の閻連科コーナーです。

雑誌などで発表された邦訳はわかりませんが、単行本としてはこれですべて揃っていると思います。あえて瑕疵を指摘するのであれば閻連科作品も収録しているアンソロジー『作家たちの愚かしくも愛すべき中国』が未読、未所持であるという点でしょうか。

あたし自身は、決して作家を追うという読書ではなく、広く雑多に読みまくるタイプです。ただ、気に入ると他の作品も読んでみたくなるのは人情でしょう。一般にはどうなのでしょう? やはり作家を追うという読書スタイルの人が多いのでしょうか?

ねにもつ? 気になる?

朝、新聞を広げて驚きました。なんと、天声人語に岸本佐知子さんの『ねにもつタイプ』が載っているではないですか!

岸本さんなりのこだわりが満載の同書、とても面白く読んだ記憶が蘇ってきます。ちなみに、同書は筑摩書房の刊行物ですが、あたしの勤務先からも岸本さんの『気になる部分』という、これもまた抱腹絶倒の一冊が出ておりますので、ご興味のある方は是非どうぞ。

そんな朝日新聞の同曜日といえば読書欄です。

今回一番目を惹かれたのは閻連科さんのインタビュー記事です。少し前に『黒い豚の毛、白い豚の毛』が出たばかりの閻連科さん。これまで出ている、いわゆる発禁本とは異なる味わいの作品が多いかな、という読後感です。

あたしとしては、そんな中の一篇「奴児」が傑作だと思いました。これまたあたしの勤務先の刊行物ですが、閻連科さんの『年月日』に通じる味わいがあります。農民と動物という物語の骨子も共通しています。

河出書房新社のことですから『黒い豚の毛、白い豚の毛』はそのままいずれ河出文庫にするのかもしれませんが、個人的には『年月日』と「奴児」を併せて文庫化して欲しいなあと思います。

対決フェア?

春と言いますか、夏前に全国的に開催していた《エクス・リブリス》フェア、秋の陣がいくつかの書店で始まっています。

まずはブックファースト新宿店。

東側、紀伊國屋書店新宿本店で夏前に開催していたので、同店では秋の開催となり、新潮社のクレスト・ブックスとのコラボフェアとなっています。と言いますか、コラボフェアにするために、あえて秋に開催することにしたと言った方が正確かもしれません。しかし、今日あたりは少し涼しさも感じられるようになってきましたが、まだまだ「秋」と呼ぶには早いかしら?

さて、フェアですが、文芸書コーナーのエンド台、ほぼ月替わりでさまざまなフェアをやっている場所で、ご覧のようにクレスト・ブックスとエクス・リブリスが所狭しと並んでいます。

なかなか壮観ですね。この際、どっちの方が売れているかなんて野暮な質問はやめておきましょう。そもそもフェアは始まったばかりです。まだ先は長いですから、何回か波も来るでしょう。

それに、売れる売れないということももちろん大切ですが、こうやって海外文学に触れる機会を設けてくれることがなによりも嬉しいです。

続きまして、同じような写真に見えますか、よく見ればちょっと違います。

同じくクレスト・ブックスとエクス・リブリスを一緒に並べてフェアを行なっているのは、新宿から小田急線に乗ってしばらく行ったところ、成城の三省堂書店です。こちらも、文芸書コーナーのエンド台を使っての展開です。こうしてみますと、今回の両社のフェアって、書店のエンド台で併せて展開するのにちょうどよいボリュームだったのでしょうか?

特にこだわりがあるのかないのか、そこまでは聞いていませんが、同じ対決フェア(コラボフェア?)をやりながら、本の並べ方は微妙に異なる両店。ただどちらも二つのシリーズを真ん中で分けて並べているのは同じですね。

この両店以外にも、海外文学の二大シリーズ(?)のコラボフェアをやってくれている書店はいくつかあると思いますが、両シリーズをごちゃ混ぜに並べている書店ってあるのでしょうか? もしそういう並べ方をしているところがあれば、どうしてそうしたのか担当の方に是非話をうかがってみたいところです。

テレワーク

月曜日の台風。

千葉をはじめ、いまだ日常が戻っていない地域も多いようで、死者も出ていると聞くと何とも言えない気分になります。

そんな月曜日、既にこのダイアリーにも書きましたが、中央線がなかなか動かなかったので、あたしは結局会社を休むことにしました。自宅でそれを決断したとき脳裏に「テレワーク」という言葉が浮かびました。

あたしの勤務先はテレワークを導入しているとか、推奨しているとか、そういったことはないのですが、編集部の場合、必ずしも会社の机に座っていることだけが仕事ではなく、一日中著訳者のところで作業をしたり、図書館で調べものをしていたり、テレワークとは違いますが、そういった勤務形態もあります。

営業部も、会社の机に座って行なう仕事だってありますが、基本は書店回りだと思うので、そうなると自宅をオフィスにするというテレワークは無理ですよね。実際に本屋に足を運び、書店の人と顔を合わせ、注文を取るだけでなくさまざまな情報交換をするのも大切な営業の仕事です。果たしてそれが電話一本で代替が効くものなのでしょうか?

昨今は、POSデータが充実してきましたので、どの書店で売れているかがほぼ正確にわかります。そうなると、売れているお店に対して電話やファクスで注文を取るという営業スタイルも考えられます。都内近郊ならともかく、地方の書店には足を運ぶこともままならないので、これは有効な手段だと思いますが、それだけで十分なのでしょうか?

一日中デスクに座ってPOSデータをチェックし、ここと思った書店に電話をかけたりファクスを送ったりして追加補充を受注する、入社以来一度も(営業の仕事としては)書店店頭に足を運んだこともない、という出版社の営業部員も今の時代だといるのかも知れませんね?

まだまだ載る予定です

この記事の閲覧にはパスワードが必要です。閲覧希望の方は「ナンシーへの伝言」からどうぞ。
ただしお会いしたことのない方、存じ上げない方は、お断わりいたしますのでご了承ください。



モンスーン(季節風)から台風へ?

昨日の朝日新聞夕刊に『モンスーン』の著者、ピョン・ヘヨンさんのインタビュー記事が載りました。先日の読売新聞にも載っていましたので、立て続けの登場です。

この『モンスーン』は、このところ紹介されてきたフェミニズム系の韓国小説とは一線を画し、日常の不条理を描いた、読んでいてゾクゾクする短篇集です。「ちょっとフェミニズ小説は苦手だな」と思っていた方にも本作なら楽しく(?)読んでいただけると思います。

もちろん、このところの韓国文学を読み漁ってきた方にも「韓国にはこんな作品もあるのか」と思っていただけると思いますし、既に邦訳は数冊出ているピョン・ヘヨンさんではありますが、「こんな作家がいたのか」と感じてもらえると思います。

そんな『モンスーン』ですが、『週刊新潮』の最新号で、豊崎由美さんが紹介してくださっています。かなり大きな扱いです。

豊崎さんが「この九篇のどこかに、自分を見つけることができる」と書いていますが、確かに、これらの短篇集を読むと、どれかしら身に覚えがある、ものすごく身近に感じる作品があると思います。

その身近さが、この短篇集の怖いところでもあるのですが……

さて、この初回記事の多さ。これは「モンスーン」はおろか「タイフーン」になる可能性が大ですね。いや、そうしていかないとならないです! ちなみに、朝日新聞の記事に写っている写真は、あたしの勤務先の一部屋です。