ご祝儀相場なんでしょうけど

東京証券取引所の初日、かなりの値上がりで終わったというニュースが流れていましたね。麻生がしたり顔で政府の財政政策がよかったからのようなことを語っていましたが、いったいどこの世界の話だろう、という気がします。

周囲を見回しても株をやっているような人は見かけませんし、ましてやそれで大儲けしたなんて話も聞きません。株を買うような余裕すらない人たちばかりが目に付きます。

確かに政府が発表する各種の指標、指数は景気の回復を示しているようですが、本当に実感が伴ってきません。そもそも麻生や安倍が挨拶をしているような場に集える人たちって、大企業のお偉方ばかりでしょう。儲かって仕方ない人たちばかりを前にして、そういう人たち向けの政策ばかりを行なって、庶民は置いてけぼり。

それでも、野党が不甲斐ないから選挙やれば自民党が一人勝ち。やはり民主主義ってものも金属疲労を起こしているのでしょうか?

さて、大間のマグロはいくらの値が付いたのでしょう?

他人事とは思えない!

暮れなんだから、落ち込むようなニュースは見たくないところですが、今朝の朝日新聞の一面、デカデカと載っていましたね。「ひきこもる50代 80代親「お金なくなれば餓死かも」」という記事。

もちろん、あたしはサラリーマンで、サボることなく毎日出社していますので、引きこもりではありません。が、そこの部分を除けば、母一人子一人の家庭、近所づきあいもほぼなく、これと言った趣味もなく、母の年齢を考えると、まあ、あと十年くらいが関の山かな、というところです。

母が死んだ後、あたしはどうなってしまうのか? 孤独死?

母ロス』なんて本もありますが、確かに掃除洗濯から身の回りのこと、すべて母にやってもらっているあたしは、母が死んだら生活リズムが根本的に変わってしまう可能性大です。いや、可能性ではなく、確実に変わります、変わらないと日常生活も営めないでしょう。

先立つものと言っても、あたしたち世代だと年金も大して出ないらしいですし、その後の人生の長さを考えると、生きていくのがやっとという現実が待っているようです。定年後の第二の人生などを考えるような余裕もなく、この先いったいどうしたらよいのでしょう?

考えてみますと、いま現在、シルバー世代が一番金を持っていて、その世代に金を使わせるように世間は動いている感じがします。でも、金を持っているシルバー世代というのも、せいぜいあと5年から10年で死に絶え、その後は金を持っていないシルバー世代ばかりになるのだと思います。

そんなお先真っ暗な世代に、あたしも属しているんだなあと、記事を読みながらしみじみ考えてしまいました。とりあえず、会社には行き続けよう、定年後は引きこもりになるかも知れないけれど……

ネタバレ上等

以前にも話題になっていましたが、今朝の朝日新聞にもネタバレサイトの記事が載っていました。

違法な流通業者とか、早売りをしている書店のモラルとか、業界全体の仕組みの問題とか、そういうことはひとまずおいて、あたし的には「ネタバレ」について考えてみたいと思います。

ネタバレって、つまりは先のあらすじを暴露したり、推理小説であれば犯人を教えてしまったり、スポーツなどで言えば試合結果をあらかじめ知らせてしまうようなことですよね? これ、個人的には何が問題なのだろうと思います。

自分の人生の未来ならともかく、小説やコミックのストーリー、試合の結果なんて、自分がどうこうしたところで結末が変わることはありません。もう決まっていること、と言ってもよいかも知れません。そんなことに腹を立ててどうしようというのでしょう?

衛星中継が発達し、早朝などに海外スポーツの中継が入るようになった昨今、学校や職場で朝のニュースで報じられた試合結果を知らされるとムキになって怒る人がいます。帰宅後に録画しておいた試合をじっくり楽しみたいのでしょう。その気持ち、まるっきりわからなくもないのですが、正直に言えば、あたしにはほとんど理解できません。

だって、ムキになろうがなるまいが、試合は既に終わっていて、試合結果もわかっていて、いったん家の外に出ればどこからその情報が入ってくるかわからないのですから、本気で試合結果を知りたくないのであれば、学校にも職場にも出て来ないで、自宅に引き籠もっていればいいと思うのです。それをたまたま耳に入ったくらいでムキになって怒るなんて愚の骨頂、バカ丸出しだと、あたしは思うのです。

かくいうあたし、スポーツの試合結果がわかっていても録画放送を楽しめます。むしろ結果がわかっている方が、特に贔屓のチームが勝ったとわかっているときなどは安心して視聴できるので、ますます見るのが楽しみになります。贔屓チームが負けたのであれば見なければよいのです。結果がわかっていても、見る楽しみが少しも減ることはありません。あたしは、そういう精神構造をしています。だから、ムキになって怒る人の気持ちなど理解できませんし、理解しようとも思いません。

最近、とある小説を読みました。ジャンルで言えば推理ものになるのでしょう。あたしがほとんど読まないジャンルです。

で、読み終わって思いました。推理小説って読んでいけば犯人がわかり、謎が解けるからいいね、というもの。自分で考える必要がありません。読み終わればいいだけですから。

これが、ふだん読んでいるような小説ですと、「この後、主人公はどうなってしまったんだ」とか、「あの件はどうなるの」といった謎が残ったまま終わったり、読者に考えさせるような結末の作品だったり、読み終わってから考えなければならなくなります。こういう作品に比べると、推理小説って楽だなあ、と感じた次第です。

わが家のシャンシャン

上野のパンダ、シャンシャンが大人気のようです。「パンダだったら和歌山へ行けばたくさん見られるのに」という思いもしますが、やはり日本人にとってパンダといったら上野なのですね。大行列している人の中には、神戸や和歌山にもパンダがいることを知らない人もいると思いますし、ましてや和歌山にあれほどたくさんのパンダがいることを知らない人が多いのではないかと思います。

とはいえ、上野のパンダです。初日の抽選倍率が46倍だったと聞き、「46なんて、乃木坂じゃない!」と思ったのはあたしだけでしょうか?

とにかく、そんな倍率では宝くじよりも当たらないのではないでしょうか? 仕方なく、上野周辺の商店でパンダグッズを買って帰るのが関の山?

というわけで、あたしも買いました、パンダのぬいぐるみ! 抱っこして自撮りしてみました(笑)。ただし、買ったのは上野ではありません、北京です。これは恐らく90年代初期に北京へ行ったとき、妹への土産として買ったものです。北京動物園の売店か、王府井にあった大きなおもちゃ屋で買ったのではないかと記憶しています。

当時の中国製としては非常に肌触りがよく、抱っこしていても気持ちがよいです。フワフワです。少し前までのシャンシャンもこのくらいの大きさでしたね、いまではずいぶん大きくなって、これからは徐々に子パンダのかわいらしさが失われていくのでしょう。その点、このぬいぐるみはずーっとこの大きさなので、ずーっと可愛いままです。

そばにあったワンダーコアーに打ち興じるシャンシャン(?)です。いや、別に北京で買ってきて以来、このパンダに名前を付けたことはありませんね。ただ「パンダ」と呼んでいました。せっかくなので名前くらい付けてあげればよかったかなと、いまさらながら後悔しています。

この十年くらいの状況は、そのくらい訪中していないのでわかりませんが、当時の北京ではパンダグッズを買うなら北京動物園のパンダ舎の売店が一番充実していました。Tシャツをはじめ、いろいろなパンダグッズが売られていたのを覚えています。

で、いつの訪中だったか忘れましたが買ったのがこちら。

パンダのマトリョーシカです。と言いたいところなのですが、この絵の稚拙さ、これをパンダと呼んでよいのでしょうか? 似て非なるものとはこのことを言うのではないか、そんな気がしますし、怪しさがプンプンしますね。

ちなみに、ここまでずっと「シャンシャン」と書いてきましたが、こちらのツイッターと同様、あたしもちょっと引っかかりを覚えます。

やはり「シャン」ではなく「シアン」と教えたくなる中国語教員が日本中に溢れているのではないでしょうか。更に付け加えると、更によく見かける「ありがとう」の「シェーシェー」も我慢ならない中国語の一つですね。これは「シェーシェー」ではなく、より正しくは「シエシエ」でしょう。

一つ足りない! いや、一応、三か国語揃ってます!

TBS系のクイズ番組でミスがあったようですね。番組の公式サイトでも訂正とお詫びが掲載されています。

バルト三国ですか。もちろんクイズ番組で間違えてはいけませんが、そもそも日本人のどれくらいがその三か国の名前を言えるのでしょう? いや、それ以前に、バルト三国がどこにあるのか、白地図上で示せる人がどれだけいるのか……

で、とにもかくにも正解はラトビア、エストニア、リトアニアの三国なのですが、あたしの勤務先から出している諸外国語のシリーズ《ニューエクスプレス》はそのうちの二つを出しているんです。

 

ニューエクスプレス ラトヴィア語』と『ニューエクスプレス リトアニア語』です。惜しいですね、あとエストニア語があれば揃ったのですが……

ただし、《ニューエクスプレス》の特別編、『ニューエクスプレス・スペシャル ヨーロッパのおもしろ言語』にはエストニア語も収録されていますので、一応は諸外国語の出版社としてのメンツは保てたと思います。

朗報ですよね

今朝の朝日新聞の社会面です。あたしの勤務先と関係のある方の名前が載っていました。

まずは磯崎新さん。日本芸術院の新会員になったというニュース。磯崎さんと言えば、うちでは『挽歌集 建築があった時代へ』です。この機会に是非どうぞ。

そのお隣には瀬戸内寂聴さんの新刊の話題。

 

瀬戸内寂聴さんも公認の評伝『寂聴伝 良夜玲瓏』『続・寂聴伝 拈華微笑』も、読み応えたっぷりの力作です。

しっかり理解できているわけではないけれど

性適合手術に保険適用、というニュース。

心の性と身体の性が異なる人が、それを合わせるような手術を受けるときに保険が適用されるということで、苦しんでいる人には朗報だと思います。

この場合、あくまで医師の診断で性の不一致が認められた場合に限るのでしょうか? 世の中には、男(女)だけど女(男)になりたい、と単純に思っているだけの人もいるでしょうから、そういう人の手術まで保険適用になるのか否か……。記事を読む限り、性同一性障害と診断された人が対象のようですので、後者は対象外ですね。

さて、これでどれくらいの方が手術を受けることになるのか? 保険適用と行ってもそれなりの金額は負担することになるわけですよね? それすら払えない人も多いのでは? もちろん、手術なんか受けたくない、自分はこのままで構わない、という方もいるでしょうし。

LGBT関連の書籍を読んでいて難しいなあと感じたのは、性同一性障害と性的嗜好は別ものですが、体は男性で心は女性の人が異性装をする、となるとそれは男っぽい格好をすることを指すのか、女っぽい格好をすることを指すのか、にわかには答えられません。頭の中でいろいろ考えないと理解できません。

また、体は男性で心は女性の方が、適合手術を受けずに暮らしていれば、パッと見には男性でしょう。そしてその人が同性愛者の場合、好きになるのは女性なので、そこでカップルが誕生したとしても、外部の人から見たらごくごくありきたりな男性と女性のカップルに見えますよね?

現在、同姓婚は日本ではほぼ認められていないわけですが、こういうカップルの場合、体が男性で心が女性の方が戸籍上の性別を変えたり、適合手術を受けたりしていなければ、何の問題もなく女性と結婚できるんですよね?

となると、あえて心の性に合わせるような手続きや手術を受けない方が、現在の日本ではアドバンテージがあると判断するのも合理的だと思います。

こんな風に、LGBT関連の書籍を読んでいたときは、頭がこんがらがりそうでした。それでもこうして文字にしていくと、なんとなくわかってきますし、おぼろげながらも理解が進んでいるような気がします。たぶん、バカな発言をした自民党の政治家などは文字化して理解を深めようと考えもしないし、そもそも理解しようという気がないのでしょうね。

数年も経てば変わっているのでしょうか?

自民党議員が、宮中晩餐会に同性愛者が参加するのは反対だ、的な発言をしたそうです。個人の好みの問題はおくとして、いずれそういう指導者が現われ(いや、現にあたしが知らないだけで世界にはいるのでしょう)、国賓として日本を訪問し天皇主催の晩餐会に二人で出席する、というのは十二分にありえることでしょう。

ただ、この議員が言ったように、実際にそういう事態が起きた場合、一般の日本人はどう受け止めるのだろうか、とも思います。確かに同性愛者の権利を認めるというのは世界の流れでしょうが、それと個人の嗜好の問題は別です。頭では理解していても、心でも納得できているかと問われると、あたしだって自信がありません。

例えば、天皇とその大統領(一応、男性と仮定)がグラスを傾け、その傍らでは皇后とその大統領のパートナー(こちらも男性)がにこやかに話をしている図、というのは違和感を感じさせるものなのでしょうか?

そんなことを考えながら電車に乗っていたら、この時季だからでしょう、クリスマスイルミネーションの広告が目に留まりました。若い男女が寄り添って微笑んでいる写真が大きく載っていました。こういう写真って必ず男女ですよね?

試みに、「デート カップル」で画像検索してみた結果が上の画像です。ほぼずべて男女の構図です、それも若い世代の。

例えば、ディズニーランドなどの施設だと、家族でも楽しめるので家族の写真を使うこともありますし、「友達と行こう」というキャンペーンであれば、女子高生やOL数名のグループの写真が使われることもありますが、流行りのスポットの写真というと、ほとんどが上のような男女のカップルの写真になっている気がします。

これって、カップルは男性と女性とで成り立つものだ、という考えを知らぬ間に人々の頭にすり込んでいると見做すこともできるのではないでしょうか? 例えば、こういうレジャースポットの広告で男同士、女同士を使うって、近い将来にはありえるのでしょうか?

まあ、女同士だと、京都などでは女性の二人連れも多く見かけますが、世間一般は友達同士としてしか見ていないでしょう。「あの二人は同性愛者だ」という目で見ることはほぼないと思います。なので、この手のポスターや広告で女性同士はありでしょうし、これまでもあったと記憶しています。ただし、その場合、二人連れではなく(下のCMのように)三人連れが多いような気もします。

で、こういうポスターやCMに男性二人組って、今後はありえるのでしょうか?

上の動画は、よく知られた(?)JRのCMです。これ、彼氏を待っている彼女の図ですね。これが男同士だったら、CMとして成立するのでしょうか? というよりも、数年もすれば、そういうCMが作られてテレビでも流れ、それを見ても何の違和感も持たないような社会になっているのでしょうか?

二十代を思い出す?

今朝の朝日新聞に載っていた記事です。冷泉家時雨亭叢書が完結したそうです。

と言われても、それって何? という人がほとんどかも知れません。

まあ、本屋さんに並んでいるのをほとんど見たことありませんからね。たぶん紀伊國屋書店やジュンク堂書店でも店頭には置いていないのではないでしょうか? それとも、これは完全に予約販売で、注文のあった人にだけ販売しているのでしょうか?

図書館でも、文系の大学図書館は置いているのではないかと思いますが、公立だと県立図書館クラスでないと所蔵していないと思います。

ただ、あたしの場合、非常に懐かしいです。

別に時雨亭叢書に含まれる典籍を学生時代の研究で使っていたわけではありません。二十代のころ作業のお手伝いをしていた小松茂美先生のお宅に、配本のたびにこの叢書が届いていたことを思い出したのです。

当時はまだ、この叢書の刊行が始まって間もないころ、あたしが手伝いをしていたとき、その時点で刊行されていたのは20点になるかならないか、くらいだったと記憶しています。

それでも、あの冷泉家の文書か、それがこういう形で気軽に見られるようになるなんて、と少し興奮しながら、函から出して眺めた記憶があります。

そんなこんなが思い出されるシリーズです。

消えないで~!

歴史の授業で教える項目が減ってしまうのでしょうか? そんなニュースが新聞に載っていました。

世界史の項目を見ていると、『ロベスピエール』なんて名前が見えますね。

教科書から落ちると、こういう本の売れ行きも落ちてしまうのか、あるいは教科書に載っていないからこそ本を買ってもっと知りたいと思ってくれるものなのでしょうか?