好きか嫌いかではなく、実際に読んでいるかが問題であって、もっと言えば、借りて読んでいるのか買って読んでいるのかってこと!

今朝の朝日新聞です、確か、別刷beだったと思います。

「本を読むのが好きですか?」と問われたら、それこそ渋谷のセンター街で遊んでいるガキどもだって「好き」って答える割合が一定数はいるでしょう。ましてや、朝日新聞のウェブサイトで尋ねたら、もともと本に親しんでいる層が大半でしょうから、この結果は当然だと思います。

それにしても、好きではない人の理由が切実ですね。視力や体力などの肉体的な問題は如何ともしがたいですが、少なくとも文字が小さいというのであれば電子書籍の拡大機能は一助になるかと思います。

本の価格が高いと感じるか否かは人によると思いますし、本の内容によるとも思います。この値段でどれだけ心が豊かになり、楽しい時間を過ごせるかと考えると、世間一般にある娯楽に比べ本は決して高いとは思いません。映画が約2時間として、その入場料と同じ金額の本を買ったとしたら、本にもよりますが、恐らくは2時間以上は楽しめるはずです。

でも、いまの若い人を中心に本に親しんでいない人は、そうは考えないのでしょうね。読み終わるのに時間がかかる、と否定的に考えてしまうのだと思います。「この一冊で3日は楽しめる」と考えるか、「3日もかかるなんて」と考えるか。たぶん後者は実際には3日以上かかるでしょうし、2日目で放り出してしまうかも知れません。

本を読むというのは、それなりに体力が必要なんだと言えます。肉体的にもそうですが、気持ちの問題というのもあると思います。時間に関して言えば、忙しい時の方が集中して読めるので読書がはかどります。忙しくて読めないというのは、一面で正しく、一面では正しくはありません。あたしはそう思います。

暑い

今日の大阪の気温が何度だったのか知りませんが、今日は暑かったです。

駅直結の、炎天下を歩かなくてもよい書店がほとんどなく、今日回ったのは駅からちょっとだけ歩かなければならないところが多かったのも一因だと思います。

今日は少し歩きました。

まあ、明日が関西ツアーの最終日ですから、少しくらい無理もしましょう!

どこをどうすればよいのでしょうか?

今朝の朝日新聞に載っていた記事です。

少し前にも末端のトラック運送業者が成り立たないというような記事がありましたし、朝日新聞に限らず他のメディアでも時々取り上げられる話題です。

もともとは雑誌の配送に乗っかって書籍も運んでいたけれど、雑誌が売れなくなって、「一緒に書籍も」というモデルが成り立たなくなったということなのでしょう。業界的には「輸送料がいくらかかっているので出版社さん、いくら負担してください」という風にはならず、「本や雑誌の価格の何パーセントを輸送量としていただきたい」という話になります。

しかし、高い書籍を運ぼうが、安い文庫を運ぼうが、トラックの輸送量に変わりはないはずです。だったら、高い商品を運んだ方が取次としては旨みがあるのではないでしょうか?

紙面にあるような数字が業界内でも取り沙汰されていますが、果たして現在の出版不況、こういう対策が根本的な解決方法になるのでしょうか? 何かもっと将来を見通した抜本的なことをやらないとならないのではないか、そんな気がします。

とはいえ、だったら何をすればよいのかと問われても、あたしなどにはわかりませんし、そういうことはしかるべき立場に立っている人が考えるべきことだと思うので……

いつものことですが……

張愛玲の新刊が出ています。光文社の古典新訳文庫から『傾城の恋/封鎖』です。訳者あとがきによると、かつて出ていたものをベースに新たに訳し直したもののようです。

 

張愛玲と言えば、ちょっと前に岩波書店から『中国が愛を知ったころ 張愛玲短篇選』が出たばかり。ここへ来て出版が続いたのは何かあるのでしょうか? 特に生誕何年、没後何年というアニバーサリーでもないですし。

それにしても、上の写真を見ていただければおわかりのように、一方は文庫本、一方は単行本です。小規模な書店であれば気づくでしょうけど、大きな書店ですと文庫担当と文芸担当は別の人であることが多く、せっかく同じ著者の作品が出たのに一緒に並べるということに思い至らないことがありがち、よくあることです。

もちろん、古典新訳文庫のファンというのもいるでしょうから、文庫の棚から持ってきて海外文学の棚に置いてしまうと、こんどは古典新訳文庫の棚を見に来た人には見つけられないという問題も起こります。こういう時に、大型書店ですと入荷が一冊なんていうことはないでしょうから、何冊かを古典新訳文庫の棚に置き、残りを海外文学の棚にも並べるということができるのですが、上に書いたように、そういうことに気づく書店員さんには暇も余裕が無いのが現状だったりします。

こういうところを示唆するのも、出版社の営業の仕事なんだと思いますが、これ、どちらもあたしの勤務先の刊行物ではないんですよね……(汗)

やっぱり紙が好き!

『哲学・思想図書総目録』『心理図書総目録』『社会図書総目録』の三つ、通称「人文三目録」の2018-2019版が出来上がりました。

  

「今の時代、ネットで検索するでしょ?」という意見ももっともですが、いろんな出版社の刊行物を横断的に、そしてきちんと分類して収めているのはこれしかないはずです。

各出版社のウェブサイトでは、その出版社の刊行物しか検索できません、アマゾンを初めとしたネット書店では、ここまで細かく分類した検索はできません。それらを補うものがこの三目録です。

もちろん、だったらこの目録がウェブで検索できればよいのに、というご意見もあるかと思いますが、この手のジャンルを好む方はまだまだ紙がお好きなんです。それに紙ですと一覧できるところが、やはりPCのディスプレイやスマホの画面などよりもはるかに優れているところだと思います。

文化欄で取り上げられないのでしょうか?

先日も取り上げた明治書院の「新釈漢文大系」完結の件、本日の朝日新聞サンヤツに広告が載っていましたね。

広告は出版社の判断で出すものですからよいとして、これだけの事業、朝日新聞であれば文化欄などで取り上げてくれないものでしょうか? この数年、出版業界がニュースになることと言えば、不況とか、本屋が消えたとか、そんな記事ばかり。やや明るいニュースとしては他業態とのコラボで売り上げを伸ばしているといったセレクト型書店ばかり。

もっと至極まっとうな、ごくごくフツーの出版活動や本屋のことがニュースにならないかと思うのです。そういった点で、この出版不況の中、数十年にわたる事業を完結させたことはニュースに値すると思います。

同じ業界人として言えば、前回も書きましたが、完結した時に全巻が揃っているということがどれだけスゴいことか、たかだか全数巻、2年程度の完結するシリーズ、全集ですら、最終巻が出た時に最初の方の巻が品切れなどというのはよくある話です。100巻を超え、数十年かけたシリーズが全巻揃っているというのは本当に素晴らしいことです。

いや、もちろんこの間品切れになっていた巻も多々あったということは承知しています。しかし、完結を期して全巻揃えるという判断、出版社としてはなかなかできるものではありません。特にこの手の、専門家や図書館しか買わないであろう専門書、重版したってどれだけ売れるのか現実的に計算したら、全巻揃えることを諦める出版社がほとんどだと思います。

しかも、内容見本で全巻のラインナップを見てみると、最終刊ですら1万円を少し超える程度の価格です。一番最初の巻がいくらくらいで売り出されたのか知りませんが、函入りのこれだけのものがこんなに安くてよいのだろうか、という気もします。

手書きじゃなくなってる!

下の写真は、紀伊國屋書店新宿本店の文芸書売り場で不定期に配布されているチラシです。

《翻訳本の友》とあるように、その期間に刊行された各社の翻訳本(主に小説)をリストアップしたものです。

このチラシ、以前は手書きだったと思うのですが、今年からタイプになったのでしょうか? 手書きの味わいも捨てがたいですが、活字の見やすさもありますので、どちらも甲乙つけがたいところですね。

しかし、毎回これを眺めると、自分が読んだ作品が本の数点あるかないかなので、情けなく思います。

学生は本を買わない

本日の朝日新聞の記事です。神保町交差点そばにあった岩波ブックセンター信山社の跡地にあたらしい書店がオープンしたという記事。

このお店、あたしの勤務先のご近所なんですが、まだ行っておりません(汗)。いつでも行けると思うとなかなか行かないもので、どんな風に変わったのでしょう?

ところで、この記事に三省堂書店の松下さんの言葉が紹介されています。

チェーンの飲食店やドラッグストアが増え、「独自性がなくなりつつある」。古書店の中には神保町を倉庫として利用し、実店舗を構えない店もある。近くには大学も複数あるが、新年度などの教科書の購入が必要な時期以外で、大学生を見かける機会は少なくなった

確かに、もう25年も神保町で働いていて、学生時代から数えると30年以上になりますが、古本屋が減ったなあという印象はあります。言葉どおり、どこででも見かけるチェーン店が多くなったのは神保町に限らないと思いますが、古本屋が廃業してそこにそういったチェーン店がオープンすると、やはり寂しいものを感じます。

では、お前はふだんどれくらい古本屋を利用しているのか、と問われれば実はここ十数年、たまに覗くことはあっても買ったことはありません。学生時代と現在とでは必要とする本の傾向が変わったというのが主な理由です。

学生時代は東方書店や内山書店で中国から輸入される原書を買いまくっていましたし、漢文関係の古書もバイト代が入ると買いに走っていたものです。現在はもっぱら新刊の小説などを買うことが多いので古本屋を利用する機会が減っているのです。

また学生時代は文庫や新書も、新刊で手に入らないものは古書店を探しまわったりしたものですが、そういうものはあらかた学生時代に買ってしまったので、古書でないと手に入らないものも少なくなりました、文庫や新書に関しては。

で、再び松下氏の言葉ですが、「大学生を見かける機会」が少ないとあります。あたしが社会人になったころ、主力である語学書は大学の近くの本屋でよく売れると言われたものです。もちろん大学内の書店も同様で、春先の営業では大学内や付近の書店への営業が主でした。小さいお店でも学生や先生が訪れるので、それなりに高額な本、専門的な本が売れる、というのが常識だったのです。

ところが最近はまるで違います。

大学生協の品揃えは、一部の大学を除くと書籍は縮小傾向にあり、中には教科書シーズンの時だけ会議室などを借りて教科書を販売し、通年では書籍を扱っていないところもあります。否、そういうところはそもそも生協が最初からなくて、教科書シーズンには地元の書店や丸善などの外商部が出張販売をしている場合が多いようです。

学内がそんな状況ですから、大学の近くにある書店も推して知るべしです。昔ながらの縁で位までにそこそこ語学書を扱ってくれている書店もまだまだ多いですが、だんだんと縮小傾向に感じます。大学付近の書店への春先の営業も昔ほどは積極的ではなくなってきました。

これが大学生の現状と言ってしまうと一方的な意見ですが、書籍の購入という点で言えばそれほど的外れな意見ではないと思います。売れないから置かない書店、置いてくれないから営業に行かない出版社、という悪循環で割りを食っているのは真面目に勉強し、本も買いたいと思っている学生さんでしょう。身近なところに書店がないから、あったとしても品揃えが満足できないから、結果としてアマゾンへ向かうのだと思います。

どこかで聞いたことあるようなセリフ

最近『人口減少と鉄道』という本を読みました。

著者は元JR九州の社長。国鉄時代から働き、国鉄の凋落そして改革・民営化を身をもって体験してきた方です。同書にこんな文章がありました。

公共サービスだから組織の経営に失敗しても事業そのものはなくならない。鉄道の経営がおかしくなっても鉄道そのものはなくならない。この意識が危機感を生まない。(P.148)

つまり「人が活動する限り鉄道にならないわけにはいかないんだから鉄道は大丈夫」という意識が国鉄の巨額の赤字を生むことになったのだという指摘です。

この文章を読んで、どこかで聞いたことあるなあと感じました。

そうです。出版界も似たようなことがよく言われます。東日本大震災の時が顕著でしたけど、人は本を読みたくなる生き物だから本屋はないといけないんだ、といった言説です。

鉄道にせよ本にせよ、確かにその通りですけど。それと会社を経営していくということはやはり別なんですよね。本という形にこだわらなければ、スマホやネットなど、たぶんかつての若者よりもいまの若者の方がよほど文字を読んでいると言えるのではないかと思います。もちろんYouTubeやインスタに代表されるような映像も見えていますけど、そこにだって多少の文字は書かれているわけで、とにかく現代を生きる人はひたすら文字を読んでいるし書いている気がします。

それなのに出版社や本屋は本が売れないと嘆いています。たぶん本書の著者に言わせれば、時代に合った戦略が描けていない、ということになるのでしょうか?

消えゆく……伸びゆく……

朝日新聞に、代々木上原の幸福書房のことが載っていました。街の本屋が消えゆくのは今に始まったことではなく、幸福書房だけの話ではありません。

それにしても、本屋が消えるというのは、都会だろうと田舎だろうと、多くは出版不況にその原因が求められるわけですが、東京の場合、それにプラスして家賃の上昇というのも見逃すことはできません。

「儲かっているというほどではないけれど、なんとかやっていけてます」という本屋が、次の契約更新で家賃の値上げを言われ、そんな家賃ではとてもやっていけないから廃業、という事例、この十数年、東京では増えています。いま東京は空前の建設ラッシュで、都心部でも再開発があっちこっちで行なわれています。「○○ヒルズ」なんて名前の商業施設がこれからも増えるようですが、そういう商業施設に書店が入ることがほとんどなくなりました(涙)。

10年くらい前までは、「こんどできるビルに入るのは紀伊國屋かな? それともくまざわ書店かな? あるいはジュンク堂?」といった会話が出版社の間で交わされたものです。しかし、このところ「こんどできるビルに書店は入るの?」というのが決まり文句のようになってしまいました。哀しい現実ですね。

というわけで、どんどん消えていく書店とは裏腹に、ますます伸びそうなのが著作権。ディズニーを守るため、と言われることが多いですが、実際のところ、子や孫が潤うほどの著作権収入が発生する作家なんてほんの一握りだそうです。ディズニーなどはもう人類共通の遺産でよいのではないかと思いますが、ダメなんですかね?