どこかで聞いたことあるようなセリフ

最近『人口減少と鉄道』という本を読みました。

著者は元JR九州の社長。国鉄時代から働き、国鉄の凋落そして改革・民営化を身をもって体験してきた方です。同書にこんな文章がありました。

公共サービスだから組織の経営に失敗しても事業そのものはなくならない。鉄道の経営がおかしくなっても鉄道そのものはなくならない。この意識が危機感を生まない。(P.148)

つまり「人が活動する限り鉄道にならないわけにはいかないんだから鉄道は大丈夫」という意識が国鉄の巨額の赤字を生むことになったのだという指摘です。

この文章を読んで、どこかで聞いたことあるなあと感じました。

そうです。出版界も似たようなことがよく言われます。東日本大震災の時が顕著でしたけど、人は本を読みたくなる生き物だから本屋はないといけないんだ、といった言説です。

鉄道にせよ本にせよ、確かにその通りですけど。それと会社を経営していくということはやはり別なんですよね。本という形にこだわらなければ、スマホやネットなど、たぶんかつての若者よりもいまの若者の方がよほど文字を読んでいると言えるのではないかと思います。もちろんYouTubeやインスタに代表されるような映像も見えていますけど、そこにだって多少の文字は書かれているわけで、とにかく現代を生きる人はひたすら文字を読んでいるし書いている気がします。

それなのに出版社や本屋は本が売れないと嘆いています。たぶん本書の著者に言わせれば、時代に合った戦略が描けていない、ということになるのでしょうか?

消えゆく……伸びゆく……

朝日新聞に、代々木上原の幸福書房のことが載っていました。街の本屋が消えゆくのは今に始まったことではなく、幸福書房だけの話ではありません。

それにしても、本屋が消えるというのは、都会だろうと田舎だろうと、多くは出版不況にその原因が求められるわけですが、東京の場合、それにプラスして家賃の上昇というのも見逃すことはできません。

「儲かっているというほどではないけれど、なんとかやっていけてます」という本屋が、次の契約更新で家賃の値上げを言われ、そんな家賃ではとてもやっていけないから廃業、という事例、この十数年、東京では増えています。いま東京は空前の建設ラッシュで、都心部でも再開発があっちこっちで行なわれています。「○○ヒルズ」なんて名前の商業施設がこれからも増えるようですが、そういう商業施設に書店が入ることがほとんどなくなりました(涙)。

10年くらい前までは、「こんどできるビルに入るのは紀伊國屋かな? それともくまざわ書店かな? あるいはジュンク堂?」といった会話が出版社の間で交わされたものです。しかし、このところ「こんどできるビルに書店は入るの?」というのが決まり文句のようになってしまいました。哀しい現実ですね。

というわけで、どんどん消えていく書店とは裏腹に、ますます伸びそうなのが著作権。ディズニーを守るため、と言われることが多いですが、実際のところ、子や孫が潤うほどの著作権収入が発生する作家なんてほんの一握りだそうです。ディズニーなどはもう人類共通の遺産でよいのではないかと思いますが、ダメなんですかね?

近刊情報の謎

左はアマゾン、右は楽天ブックス、それぞれで3月に刊行予定の岩波新書『ライシテから読む現代フランス』を検索した結果です。

 

表紙画像はまだ掲載されていませんが、ひとまずヒットはします。

ところが、出版元である岩波書店のサイトで検索してみると以下のようになります。

そうなんです。ヒットしないのです。

ネット書店で刊行がアナウンスされているのに、肝心の出版社には何の情報もアップされていないとは……。それとも岩波新書は別のページで検索しないとダメなのでしょうか? それはそれで面倒だし、不親切な気もしますよね。

ただ、こういうことって岩波書店に限らずしばしば起こります。ネット書店が早すぎるのか、出版社の動きが遅すぎるのか……

スマホでコミックを読むのは読書でしょうか?

朝日新聞から記事が二つ。

まずは大学生の読書時間。

前にも、こんなニュースが流れましたね。二極化というのは読書に限らず、現在の日本ではあらゆる分野で見られる現象のような気がします。大学生がこれなら、高校生や中学生も推して知るべし、なんでしょう。

こういう大学生、大人になったら本を読むようになってくれるのでしょうか?

もう一つは電子書籍のニュース。コミックでは電子が紙を超えたそうです。と言うよりも、電子書籍って、日本では8割か9割がコミックなんですよね?

電車の中でスマホを見ている人を観察しますと、ゲームやSNSを除くと、新聞を読んでいる人が時々いるくらいで、あとはほぼ全員がコミックを読んでいますね。紙媒体のコミックは一部の売れる作品はよいでしょうが、それ以外は悲惨な状況ではないでしょうか?

スマホでコミックを読んでいる時間は、上掲の大学生の調査にある「読書」には含まれないんですよね?

また逢えるさ!

とうとう代々木上原の幸福書房が閉店してしまいました。

昨今、セレクト型書店とか提案型書店とか、そういった書店プラス何かのお店がしばしば話題になりますが、幸福書房はそんなのとは無関係、ごくごく一般的な街の書店でした。だから残念なんですよね。

あたしが営業に行くようになったのはこの一年です。それまではこの地区担当ではなく、担当になってからもまずは沿線の、もう少し大きな書店をしっかり回ることを優先していたため訪問できませんでした。

しかし、しばしば注文の電話があり、新刊案内を送るとしっかり数を入れて返送してきてくれる、これは一度訪問しなければと思って伺って以来の、本当に短いお付き合いでした。あたしなんかの訪問に関係なく、あたしの勤務先の本を大事にしてくれていた書店でした。

そして左右社から刊行された『幸福書房の四十年 ピカピカの本屋でなくちゃ!』読了。

何も期待しないでください。南長崎に「幸福書房」という名前が復活していたら、「あのおじさん、全然諦める気がないな」と笑ってくれたら嬉しいです。その時は見学がてら、ぜひ遊びにきてください。きっと来てください。待っています。(P.95)

同書の末の方にある上掲のメッセージ、ご主人の人柄がにじみ出ています。

高校も大学もたいへん?

昨日の朝日新聞の記事。

地方の小規模大学が授業を融通し合っているらしいです。単位の互換、振り替えができるようになっているのでしょうね。

こういうのいいですね。ある大学に通いながら、興味のある他の大学の授業が履修できるなんて。ただ、そうなると、その大学に進学した意味ってどうなるの、という気もします。まあ、決まった授業にしかこの制度は適用されないのでしょう。自分の好きな授業がなんでも受けられるようになったら、本当にどの大学に入ったのかわからなくなりますから(汗)。

しかし、見えてくるのは地方の小規模大学の苦境です。本当にアピールできるものを見つけないと入学者、志望者は減る一方で、大学の存続が危ぶまれます。現実にここ数年、経営が立ちゆかなくなっている大学も多いようですし……

大学も就職も、すべて東京一極集中で、これで日本は本当によいのでしょうか?

上の写真も同じ日の朝日新聞。こんどは大学ではなく高校の記事です。

高校での英語以外の授業、増えている気はするのですが、まだまだ少数、極めて稀というのが実際なんですね。

あたしの勤務先ではフランス語や中国語などの教材に対し、高校からの問い合わせや採用が多少はあります。大学の第二外国語と異なり、高校の外国語は英語に取って代わるほどやっている高校もあれば、週に一回のクラブ活動のような高校もあり、その差はかなり開いています。

一番の問題は、記事では入試云々と書いていますが、大学に入ってから語学の授業が、高校である程度やって来ている人に対応していない、というところではないでしょうか?

とまあ、自分の勤務先の出版内容と非常に近い話題、なおかついろいろと考えさせる記事が2本載っていた紙面でした。

これからは亜細亜の世紀

店頭でフェアをやっていて、そこに置いてあったのでいただきました。

亜紀書房の創業50周年フェアです。こういう書き方をすると、上から目線と言われそうですが、亜紀書房っていい本出していますよね。最近ではノンフィクションが軒並み話題になりヒットしている感じがします。よい本を出すと、よい企画も回ってくるのでしょうね。

そんな創業50周年のフェアで配布されていた記念誌。開いたページが目次で、内容(ラインナップ)は上掲の通りです。錚々たる面々が寄稿していますね。さすが、亜紀書房です。

アダルト、大人、成人

タイトルだけ見ると、なにやらエッチなことを書くのではないかと思われそうですが、そう思われても仕方ないほど、日本では、と言いますか、日本語では「アダルト」や「成人」に猥褻な意味が必要以上に含まれてしまっている気がします。それを如実に感じたのは、あたしがヤングアダルト出版会に参加していたころで、各地の公共図書館や学校図書館の方と研修会を開こうと思って連絡を取ると「アダルト」という言葉に過剰反応され、「そういういかがわしいことはできません」と断わられることがしばしばありました。

もちろん図書館の現場では「ヤングアダルト」コーナーはそれなりの存在感を持っていて、「ヤングアダルト」ですぐに話が通じ、トントン拍子に話がまとまることも多々ありましたが、時に上述のように妙な目で見られることがあったのも事実です。

図書館の方ならまだよいのです。実際に図書館の会議室で研修をやるとして、図書館の入り口などに「ヤングアダルト出版会合同研修会」的な看板が出ていたりすると、それを見た来館者が「なんかエッチな催しがあるみたい……」と勘違いされたことも多々あったのではないかと思います。

そんな経験から、この数年、ヤングアダルト出版会は頭文字である「YA」を前面に押し出すようになりました。少しでも見た目の印象が和らげば、という配慮からですが、裏を返せば、これだけ盛んに活動しても、世間一般に「ヤングアダルト」という言葉を定着させられなかった非力さも痛感します。ちなみに、書店では図書館とは異なり、ほぼ「ヤングアダルト」コーナーなどはないですし、専門の棚もありません。

正直なところ、この世代はラノベや学参を除けば、ほとんど本など買わないので、そんな顧客のために限られた棚やスペースを割くのは儲けにならない、という判断なのでしょう。それは重々承知していますが、欧米の書店や日本でも洋書店に行くと「Young Adult」コーナーはしっかりあるもので、この彼我の差は何に由来するのか、個人的にも気になります。

ただ、洋書の場合、たいていは「Young Adult Novels」とあって、ほぼ小説に限られるのですが、ヤングアダルト出版会など日本の現場では、図鑑のようなものをはじめとしたノンフィクションも混じっていて、書店サイドからすると雑然とした棚になってしまうという問題もあるようです。

それにしても、ヤングアダルト、つまりはティーンエージャーですが、彼らが本を読んでくれないと大人になっても本を読むという習慣ができないので、将来的な読書が育たないという由々しき問題があるのですけどね……。朝の読書が小学校や中学校では盛んですが、中学校以降になると部活と塾通いで本を読む時間や習慣がなくなってしまうらしいです。いまの子どもは忙しすぎるのでしょうか?

という長い長い前振りはこのくらいにして、今朝の朝日新聞の一面で初めて知ったのですが、「AYA世代」という言葉があるのですね。「Adolescent and Young Adult」という言葉の頭文字だそうで、その意味は「思春期と若年成人」ということらしいです。年齢で言うと「15歳から29歳」だそうです。

いわゆるYAとは重なりつつもちょっと上の世代になりますね。でも、YA向けに出した青春小説のようなもの、読者、購買層は意外にも中高生より大学生や社会人が多かったりします。特に泣ける巻同型のストーリーですと女子大生やOLがメインの読者だったりするものです。少し大人になって若かったころの自分や青春時代を懐かしく振り返るのでしょうか?

となると、ヤングアダルト出版会(=YA出版会)も「AYA出版会」と名乗るくらいの発想の転換が必要なのかも知れないなあと感じます。書店店頭でも「AYA」であればコーナーを作れるのではないか、とも思います。どうでしょう?

そういえば、何年か前に、こんな映画がありましたね。30代の男女が高校時代を懐かしんで、的なストーリーだったでしょうか? やはり少し上の世代を巻き込むのがYAのポイントなのかも知れませんね。

また一軒、灯が消える

こんな貼り紙がありました。

代々木上原にある幸福書房の店頭です。2月いっぱいで閉店だそうです。林真理子さんでお馴染みの書店でしたよね。小さな書店ではありましたが、岩波書店やみすず書房といった出版社の本も並んでいて、あたしの勤務先の本もちょこっとは置いていただいていました。閉店はとても残念です。

で、幸福書房のご主人が本を出されるそうです。「〆切本」で知られる左右社からだそうです。

 

刊行はもうすぐだそうで、チラシをいただきました。

 

タイトルは『幸福書房の四十年 ピカピカの本屋でなくちゃ!』、昨今、セレクト型の本屋が雑誌などで取り上げられたり業界の話題になったりもしますが、個人的には幸福書房のような、ごくごく普通の街の本屋の話がもっと聞きたいところです。

それにしても残念なことです。

こんなところに出版不況の現実を感じる?

前のダイアリーに書きましたが、昨夕は梓会の出版文化賞授賞式でした。時季的に新年会を兼ねた懇親会も行なわれますが、大勢の関係者が参加していました。

で、そんな会場を見ていると、失礼ながら、頭髪の薄い方がかなり多いのに驚きました。「こんなに多かったのか!」とちょっと驚きです。

前から見るとそうでもないのに、椅子に座っている状態を見ると、頭頂部が薄い方、ほとんどの髪のない方、かなり大勢いました。大勢どころか過半と言っても差し支えないほどでした。

出版不況で神経をすり減らし、そんな気苦労が髪の状態に表われているのでしょうか?

ちなみにあたしはふさふさです。多くて太くて硬い、極めて厄介な頭髪です。行きつけの美容院の方曰く、いまから薄くなり始めても、死ぬころにようやく人並みの髪の量になるかどうか、なんだそうです。