新書で地方都市について考える

東京一極集中と呼ばれる日本。

だからこそでしょうか、書店の店頭でしばしば地方について取り上げている本を見かけます。もちろん地方再生というのが大きな目標なのでしょうが、戦後の自民党政治は空港と高速道路と新幹線で地方を東京と結びつけることばかりやっていましたから、発想の切り替えはそう簡単ではないはずだと思います。

そんな中、地方再生という漠然としたテーマではなく、具体的な都市や街にスポットをあてた書籍も散見されます。最近も、店頭で『まちづくり都市 金沢』という本を見かけました。

北陸新幹線の開業、開通で賑わう北陸の都市、金沢を取り上げた一書です。版元のサイトには

北陸新幹線開通後,国内外からの観光客がますます増えている金沢.まちそのものが魅力的,と訪問した人たちが言うのは,なぜなのか.歩いて観光できるまち,緑の多いまちはどのようにできたのか.長年にわたる金沢のまちづくりのプロセス,様々な試行錯誤を描きながら,その答え,そして地方都市のこれからも探っていく.

とあります。「なぜなのか」とは他の自治体の方も感じている疑問ではないでしょうか? 新幹線さえ通せばよいのか、高速道路が延びればよいのか、空港を造ってもらえばよいのか。そんなことではないですよね?

金沢で思い出しましたが、少し前には同じ北陸でお隣の『富山は日本のスウェーデン 変革する保守王国の謎を解く』という本も出ていました。こちらの内容紹介は

富山県は県民総生産が全国三一位の小さな自治体だが、一人当たりの所得では六位、勤労者世帯の実収入では四位に浮上する。背景にあるのは、ワークシェアリング的な雇用環境と女性が働きやすい仕組みだ。さらに、公教育への高い信頼、独居老人の少なさなど、まるでリベラルの理想が実現しているかのようだ。
しかし、北陸は個人よりも共同体の秩序を重視する保守的な土地柄とされる。富山も例外ではない。つまり、保守王国の中から「日本的な北欧型社会」に向けた大きなうねりが起きているのだ。
一〇年間にわたって富山でのフィールドワークを続けてきた財政学者が問う、左右の思想を架橋する一冊。

とあります。本の主旨は異なりますが、富山が魅力的なところであることをアピールしている点では同じではないでしょうか。決して東京になびくのでもなければ、東京の真似をするのでもなく、かといって独自性を声高にアピールしているわけでもありません。

そう言えば、2年前には『広島はすごい』なんていう本も出ていました。

三期連続で最高益を更新したマツダ。新球場の設立以来売り上げが二倍になった広島カープ。両者に共通するのは、限られたリソースを「これ!」と見込んだ一点に注いで結果を出したことだ。独自の戦略を貫くユニークな会社や人材が輩出する背景には何があるのか。日経広島支局長が、「群れない、媚びない、靡かない気質」「有吉弘行や綾瀬はるかが体現する県民性」などに注目し、「今こそ広島に学べ」と熱く説く。

版元の内容紹介は上掲のとおりです。

京都や大阪に関する本はたくさん出ていますが、こうして集めていくと、新書だけで47都道府県の本が集まるのではないでしょうか? 無理かしら?

でも、こんな感じの本ばかりを集めたフェアなんて、東京でこそやってみるべきかもしれませんね。

薔薇を愛でる

わが家の近所のお宅の玄関先に咲いている薔薇です。

母曰く、秋薔薇というのだそうです。

いま「秋薔薇」と書いてしまいましたが、「秋バラ」の方がしっくりきますか? あるいは動植物名はすべてカタカナで「アキバラ」と書きますか?

「アキバラ」は、なんとなく「秋葉原」と読んでしまいそうですね(笑)。

それはおくとして、このバラ、一つの株と言いますか、一本の枝から二色の花が咲いています。右のはちょっと黄色っぽくて、左のはちょっとピンク色をしています。

写真だとわかりにくいですが、ちっちゃくて、とても可愛らしい花です。

毎朝毎夕、行き帰りにこの花を愛でるのが昨今のあたしの愉しみになっています。

「周りの人」って誰のこと?

三連休の最終日。

でも、やはりほぼいつもの通りの時間には目が覚めてしまいます。今日は、いつもより30分ほど遅く、4時を少し回ってから起きました。

で、TBS系の「はやドキ!」の占い、かに座は12位でした。

それにしても、そのご託宣。

「周りの人と意見がすれ違いそう」って、今日はどこにも出かけませんから、周りの人って同居している母親しかいないのですけど……

母親と意見がすれ違うって、今のところ別にそんな言い争うようなこともなく過ごしていますけどね(笑)。この後、何かあるのでしょうか?

ラッキーカラーは「ピンク」とありますが、ピンクのTシャツを着てます。これが幸運を呼び込んで、母ともすれ違うことなく過ごせているのでしょうか?

まあ、今日はこの後も出かける予定がないので、誰かとすれ違うことはなさそうですが……

と思っていたのですが、こうしてネットをやっていますと、別に実際に逢わなくてもSNSなどで繋がっている人っているわけですよね。それを「周りの人」と呼び得るのかは議論が分かれるところでしょうけど、「周りの人」と言って言えなくもないのがネット社会ではないでしょうか?

そうなると、この後、SNS上で炎上騒ぎでも起きてしまうのでしょうか?

腰痛

朝のこと。

このところの台風や暴風のせいで、わが家の庭の木製のフェンスのような、衝立のようなものがガタガタになってしまいました。炎天下、雨風にさらされた木製のものなので既に商品としての寿命は来ています。これ以上はボロボロになるだけで、そのままにしておくのは却って危険なので取り外すことにしました。

で、ちょっと中腰気味の姿勢で、ドライバー片手にネジを外しにかかった刹那、腰に鈍い痛みが……

よくぎっくり腰になった時に、その名の通り「ギクッ」とした感じではなく、いわゆる鈍痛という感じで、でも、そこで無理をしていきなり動かしたら本当にギックリになりそうな気配なので、そこは慎重に慎重に、とにかくフェンスの取り外しを行ないました。

三連休でよかった、これで通勤電車に乗ったり、重いカバンを肩から提げての営業回りはツラい過ぎます。

ただ、本日は午前中、髪を切りに行く予定で予約まで入れていたので、痛みを騙し騙し、頭髪をすっきりさせてきました。

マッサージや整体に行ったわけではないので、髪を切って帰宅したからって痛みが治まるわけではありません。相変わらず痛いです。

いちおう、サロンパスのようなものは貼っていますが、効いているような感じはしません。バンテリンの腰用サパーターを持っているので、それを装着して、こうしてPCに向かっています。

いや、こうやってPCなんかに向かっているのが一番よくないのでしょうね。

それはともかく、週明けまでには痛みが治まるのでしょうか?

今朝の出勤は拍子抜け

首都圏は台風一過、今朝は通常運転に戻って週始めを迎えられた、と思っていたのですが、既にニュースでもやっていますように、今朝の首都圏の交通網は大混乱でした。

昨晩、早めに運行を停止するというのはアナウンスされていましたので大きな混乱もなかったようですが、その時点では今日は朝から通常運転と言われていました。それが蓋を開けてみると、JRは朝からすべて運転見合わせ、運行に支障がないか確認し、確認の取れた路線から運行開始する、と今朝になってニュースが流れたのです。

すわっ、一大事!

朝のニュースを見ていてこちらも若干慌てました。

普段は国分寺から特別快速に乗っていましたが、こんな朝は特別快速の運転は中止になるだろうと予想し、なおかつ、武蔵小金井には車庫があるので、運転再開した時にはいち早く動き出す駅になるだろうと判断しました。

なので、今朝は武蔵小金井駅へ。

駅へ着くと、中央線が走っている音が聞こえました。改札まで行くと、快速は運転していないようですが、各駅停車は走っているようで、まもなく始発が発車時刻になろうとしていました。ホームへ向かうとそれほど混雑もしておらず、来た電車はもちろん車庫から出て来たので乗客は誰もいません。武蔵小金井で乗り込んだのもそれほどの人数ではありません。いつもの朝に比べると「ガラガラ」と言ってもよい状況でした。

そして、何事もなく発車。飯田橋と水道橋の間でちょっと止まってくらいで、それ以外は実にスムーズに御茶の水まで到着。いつもより10分ほど早く家を出ましたが、勤務先に着いたのはいつもより10分ほど遅かったわけなので、都合20分ほど余計にかかった程度でした。

なにより、全然混んでいなかったのが幸いでした。

しかし、あたしが乗ったのは6時過ぎの電車です。それから30分か1時間後には大変なことになっていたのですね。

この時季の個人差

東京は雨になっています。外はちょっと肌寒いと感じる人もいると思います。数日前にも、思わずブルッと震えるような日がありました。

この肌寒いというのがくせ者です。

寒い、寒いと言っても、気温は20度前後あります。真冬から考えたら十二分に温かい気温です。寒いと感じるのは夏を過ぎたこの季節の体感というものです。

なので、このくらいの気温を「肌寒い」と感じるか、「汗もかかずにちょうどよい」と感じるか、人によってかなり差があると思います。

あたしは、やはり更年期障害なのか、このくらいの気温は寒いとまでは感じません。

困るのは、電車やバスの中です。

外が若干肌寒いからなのかクーラーが入っていないのです。

この季節、窓も閉めきりでクーラーが入っていない車内は、お客さんが入ってくると実はかなり暑いものです。しかし、運転手や車掌は自分たちだけ別の部屋にいるわけで、バスの運転手だって自分の横の小窓は開けていたりして、つまりは乗客の暑さに無頓着なのです。

これでは車内はかなり暑くなります。

もちろん、真夏の頃のようなクーラーをガンガンに効かせる必要はないと思いますが、送風とかドライとか、弱めの冷房とか、何かしらやりようはあると思うのですけど、どうにかならないものでしょうか?

個人差とは言え、実際のところ20度前後というのは、決して寒いという気温ではないと思いますので。

人の命は儚くて

午後になって天気が持ち直してきた東京です。朝は小雨がぱらついていたのですが……

そんな曇天の土曜日、母とちょっと池袋まで出かけてきました。

その理由は、いとこが亡くなったからです。

一週間ほど前、いとこの娘から電話があり、母が先日亡くなって、通夜や葬儀は家族で済ませ、でも知らせないわけにはいかないからと電話をくれたのです。いとことはいえ、もう十数年来親戚づきあいらしいこともなかったので、別に知らせてくれなかったからといって恨み言を言うつもりはありません。でも折角知らせてくれたのだからお線香くらいは上げにいかないと、ということで母と二人出かけてきたわけです。

いとこは、父の姉の娘で、父と父の姉が10歳も歳が離れていたので、いとことあたしも一回り以上歳の差があります。ですから、いとことはいえ、あたしが物心ついた時には既に十分に大人側の人でした。

で、いくつだったのかを尋ねたら67歳だったそうです。

もうそんなになるかと驚きましたが、自分の歳を考えれば不思議でもなんでもありません。電話をくれたいとこの娘ももう40手前、世間では十二分におばさんの年齢です。

聞くところによると、出先から帰る途中のバスの中で意識失い、運転手さんや周囲の乗客の人が救急車を呼んでくれたり、AEDを取りに行ってくれたりしたそうですが、救急車で病院について死亡が確認されたような状態だったそうです。

年齢相応に高血圧とか、そういったものはありましたが、特に持病と言えるようなものはなかったそうで、警察は念のため他殺の可能性も考え、バスの中の防犯カメラの映像などもチェックしたそうです。

詳しいことはわかりませんが(いとこの娘も医者に告げられた正確な死因は覚えていないのでは?)、たぶん解離性動脈瘤といった類のものだったようです。こう言ってはなんですが、これが中途半端に命だけは助かったとしても、もし意識が戻らず寝たきりになったら、それはそれで残された家族もたいへんだろうなと思います。病気こそ異なりますが、5年ほど亡父の介護をしていた身からすると、家族に病人がいる苦労は理解できます。

そんなこんなで、いとこ家族が住んでいた池袋まで出かけ、先程帰宅したところです。いとこには息子と娘がいるのですが、どちらも未婚なので、だんだん親戚が少なくなってしまいますね。

体内時計?

本日はお休みです。来週も三連休なのは嬉しいものです。

で、休みの日というと、皆さん、どのくらいまで寝ているのでしょう?

あたしは休みの日でもそこそこ早起きをしてます。目が覚めてしまうと言った方が正確かもしれませんが、とにかく遅くまで寝ているということはしません。

それでも、三連休は目覚まし時計をセットすることはなく、自然に目覚めるのに任せています。土日はどちらも5時半前後に目が覚めました。普段に比べたら1時間以上は遅いです。

そして今朝です。

今日が祝日だというのはわかっています。昨晩も「明日も休みだ」と思って床に就きました。

それなのに、今朝はいつもの月曜日のように3時半過ぎには目覚めてしまいました。

繰り返しますが、目覚ましで起きたわけではなく、自然と目が覚めたのです。

あたしの体の中にはかなり正確な時計がセットされていて、ただその時計は祝日には対応していなくて、月曜から金曜日は平日と認識しているのではないか、そんな気がしてきました。

こういうのを「体内時計」と呼ぶのかわかりませんが、とにかくあたしの体の中の何かしらの機能が働いているのだと思われます。

「秀でる」は「しいでる」?

子供のころ、知り合いに江戸っ子の人がいて、案の定「ひ」が発音できませんでした。どうしても「し」になってしまっていました。

江戸っ子が「ひ」を「し」と発音するのは有名な話なのかわかりませんが、東京育ちのあたしにとっては子供のころからの常識でした。

ただ、その人が「しいでる、しいでる」と発音していたので、幼心に「秀でる」は「ひいでる」ではなく「しいでる」だと思い込んでいました。これが「しいでる」ではなく「ひいでる」だと自覚したのは、かなり後になってからのことです。

なんでそんなことを思い出しかと言いますと、別に昨日今日思い出したわけではなく、社会人になって、仕事柄いろいろな外国語に触れるようになって、世界にはいろいろな発音があることを知ってから、折に触れて考えるようになっていたのです。

それにしても、口の構造が異なるわけでもないのに、どうして発音できる音とできない音があるのでしょう? フランス人には「H」の発音がない、というのも有名な話ですよね。「ホテル」は「オテル」になるんでしたっけ? 不思議です。

日本人が苦手な発音の代名詞のごとく言われる「L」と「R」も、それを発音し分けているアメリカ人からしたら、そもそも違うということを意識すらしないのでしょうね。

そんなことを、また最近考えていましたけど、何かきっかけがあったのかは思い出せません。

もう22年、つまり二十三回忌

今日は重陽の節句ですが、あたしの父の命日でもあります。

というようなことは、毎年ではないですが、このダイアリーでも既に何回か言及しています。

そして、これも言及した記憶がありますが、父方の祖母の命日でもあります。つまり、あたしの父親は母親と同じ日に死んだわけです。もちろん数十年の歳を隔ててですが。

父が亡くなったのが平成8年、今から22年前です。

父は、その少し前から市内の、老人用病院というのでしょうか、こういう言い方はなんですが、もうあとはいつ死んでもおかしくないような、そういう老人ばかりが入院している病院に入院していました。

22年前の今日は月曜日で、あたしはいつもどおり出社して、さあまた一週間が始まるという時に自宅の母から電話がかかってきたのです。9時を回るか回らないか、そんな時間だったと思います。

病院から電話があり、危篤状態だと言われたようで、自分もこれから病院に向かうからお前もすぐに帰ってきて病院へ来るように、とのことでした。取るものも取りあえず、仕事もすべてそのままに帰宅して病院へ向かったのですが、あたしが到着の一時間くらい前に父は臨終を迎えていました。母が病院に着いた時には既に昏睡状態というのでしょうか、酸素マスクをしていて全く無反応だったようです。

こういう言い方は決して病院を非難しているわけではありませんが、とにかく家族が一人でも来たら、家族の見ているところで「ご臨終です」と言えば格好が付くから、それまでは無駄だとわかっていても酸素マスクをはめて、何かしら処置をしているふりをしていよう、そんな印象でした。

前の日曜日には病院へ見舞いに行って父と少ないながらも言葉を交わしていたので、こうも急変するとは思いもしませんでしたが、自宅介護や短期の入退院を繰り返すこと5年ほど。母もあたしも体力的にも経済的にも限界に来ていましたので、寂しい、悲しいという気持ちはもちろん生まれましたが、ホッとしたというのも正直なところです。

すぐに葬儀社に連絡し、菩提寺に葬儀の手配を頼みましたが、人って意外としょっちゅう亡くなっているのか、すぐには葬儀が開けず、水曜日が通夜、木曜日が葬儀という段取りになり、金曜日も役所や銀行へ諸手続きをするために走り回り、その週はまるまる仕事を休んでしまいました。

毎年、今日が巡ってくるとそんなことが思い出されます。

しかし、もうあれから22年。昨日、青山にある菩提寺で二十三回忌の法要を済ませました。沼津から妹家族も来て、家族だけのささやかなものでしたが……