中国が憧れる日本?

タイトルは嫌味とか、嘲笑とか、そういったつもりは毛頭ありません。もちろん嫌中的な意見表明ではありません。

日本政府のさまざまな言動に対して拳を突き上げている最中の中国人は別として、中国の人、特に共産党の幹部は、内心では日本を羨ましく思っているのではないか、とあたしは思うのです。

いや、もちろん中国共産党としても個人としても、たぶん尖閣諸島は中国のものだとか、日本は戦争責任を十分に果たしていないとか、そういった感覚は持っていると思いますが、それとは異なる面で、「日本って理想的だよな」と思っているのではないかと思うのです。

では、日本のどういうところが中国共産党から見て理想的なのか。

それは民主国家であり、言論の自由も保障されている国であるにもかかわらず、ほぼ一貫して自民党の政権が続いている、このたびの選挙では国論を二分しそうな重要な懸案を抱えながらも、3分の2の議席を獲得するほどの支持を得ている。つまり民主的に擬似独裁政権を維持しているところです。

これって、一党独裁に拘り、それがために西側諸国から非難を受けている中国共産党にとっては、どんなに研究しても研究したりない、どんなに憧れても憧れすぎるということはない、そんな地平ではないでしょうか? もし中国が多党制に踏み切って、民主的な選挙を実施し、欧米日並みの言論・報道の自由を認めたとして、それでも共産党が安定多数の政権を維持できるのであれば、それに越したことはないはずです。

でも、今の中国ではそんなことをしたら共産党政権がひっくり返ってしまうから、そんなこと出来ないのです。もちろん国の広さ、人口の規模など、同列に論じられないところは多々あります。でも、もし民主化しても共産党政権の安泰が約束されるのであれば、中国共産党も決断するのではないでしょうか?

その決断のためにも、たぶん社会科学院をはじめとした中国のシンクタンクは、自民党政権や日本人の国民性を、たぶん日本人以上に研究しているのではないか、たしはそう思うのです。

これって飛躍しすぎの意見でしょうか?

国家哀悼日か……

南京大虐殺の記念式典を中国が行なったというニュース

とりあえず、南京大虐殺があったのか、なかったのか、被害に遭った人数はいったいどのくらいなのか、といった問題はおくとして、衆議院選挙を前になんというタイミングなんだ、と感じました。

歴史的事実がどうあれ、とりあえず12月13日がその日と言われているのは日本政府も知っていたはず。そして、このところの中国政府の言動を見ていれば、抗日戦争を対ファシズム戦として広く世界に訴えていこうとしていることも明らかだったはずです。つまり、この日に大々的に、何かしらセレモニーをやることもある程度は予想できたはずです。

別に嫌中派ということではなく、一般紙やテレビのニュースでも、この式典についてはごくふつうに報道される可能性は高かったでしょう。衆議院選挙の直前に、いかにも一部の日本のナショナリズムを刺激しそうな題材です。

「中国はまた嘘を言っている」「歴史を捏造しているのは中国の方だ」的な言動が勢いを得れば、それはやはり投票行動にも陰に陽に影響を与えるのではないでしょうか?

中国側には日本の選挙に影響を与えようという考えはなかったと思います。むしろ、これによってようやく首脳会談が行なわれた日中関係がまた険悪になるような日本の空気や、そういう空気に乗っかった政治家が幅を利かせるようになるのは望んでいなかったはずです。もしそんな結果を招来するとしたら、中国の首脳陣はむしろ内心では「しまった」と思っているかも知れません。

逆に、中国がこういう式典を行なうことを見越して、そしてそれによって日本国内の空気が動いて、自分たちに有利に働くだろうと予想して、このタイミングに選挙をぶつけてきたのだとしたら、安倍政権そして自民党は大したものです。こういう式典の後では、やはり中国脅威論を唱える側に有利に働くでしょうから。

とりあえず、中国側の中日友好も訴える習近平の演説だったようですが……

シティ・ファーマー増殖中?

新刊の『シティ・ファーマー』が刊行され、書店でもポツポツ売れ始めているようですが、そんな動きをかぎつけたのか(←そんなわけないか?)、今朝のわが家の朝日新聞にこんな広告チラシが入っていました。

わが家の近所にできたのか、前からあったのかは知りませんが、いまはやりのレンタル菜園ですね。近所にこういうものがあるとは、初めて知りました。それにしても、なんというタイミングでしょう(笑)。こういう本が出ている、という世の中の動きを見て、菜園運営側が広告チラシを作ったのでしょうか? まあ、そんなことはないでしょうね(汗)。

ただ、冗談はさておき、なんだかんだといって、こういうレンタル菜園が流行っているのは事実なようです。区や市など行政が用意した市民農園的なものは賃料も安いので申し込み殺到、すぐに締め切りになってしまうそうです。だから、多少高くても、こういう企業などが運営する菜園でも借り手がいるのでしょう。

いや、「多少高くても」と書きましたが、このチラシの菜園に限らず、他の菜園を見ても、その料金、決して安いとは言えません。むしろ「金持ちの余技」ではないかと思われるような値段のところも多々あります。もちろん、値段の差は、企業側・運営側がどれだけ借り主に代わって日常的な菜園のケアをやってくれるか、というサポートの質の差にも表われているようですが、とにかく、あたしの印象と感覚では「(料金が)結構するんだなあ」というのが偽らず感想です。

それでも、自分で土をいじって、口に入れるものを作りたい、という熱意を持った人が多い、増えている、ということなのでしょう。このチラシの菜園のサイトを見ますと、時々にいろいろなイベントやったりして、楽しみながら農業ができるのが売りのようです。このあたりは他のレンタル菜園でも同様でしょうか?

『シティ・ファーマー』もそうですが、「プランターでちょっとトマトを」とか、「出窓のスペースでカイワレ大根を」とか、そんなレベルではないんですよね。気軽に楽しんで、というコンセプトこそ共通ですが、もう少し熱心と言いますか、農民とまでは行かなくとも、決して「趣味で野菜、作ってます」と言うには本格的すぎる感じです。

ジワジワと、そして着実に、決して派手に目立たなくてもいいですから、こういうのが広がっていくといいのかな、そんな風に思います。

根が深い

アメリカでまた暴動です

ミズーリ州で、黒人を射殺した白人警官が不起訴になった大陪審の決定に異議を唱える黒人が放火などを行なっているそうです。

「そんな、放火とかして、どうしようもな黒人だなあ」という感想をいうのは簡単ですし、理由はともあれ暴力的な手段を行使するのはよくないことだと思います。

でも、この手の問題、アメリカでは何度繰り返されるのでしょう? 「白人警官が黒人に暴力を振るった」、こういう事件を聞くたびに、「またか……」と思います。実際のところ、黒人の方がどれくらい怪しかったのか、反抗的な態度を取っていたのかわかりません。でも、白人警官側にも潜在的な黒人蔑視の感情があったことは間違いないのではないかと思います。自由の国アメリカの白人と黒人の対立、人種差別の問題、根が深いですね。

こういうタイミングを選んだわけではありませんが、あたしの勤務先から今日配本になる新刊『懸け橋()』は、そんなアメリカの黒人の歴史を描いた作品です。いまだに人種問題、黒人蔑視の問題が残るアメリカ合衆国、そんな国で黒人のオバマが大統領にまで登りつめる。その歴史を公民権運動と絡めて描いています。

今日が配本なので、書店到着は明日から今週末にかけてになるかと思います。どうぞ、お楽しみに!

信なくんば

暮れの忙しいときに、億単位のお金をかけて選挙だそうですね。消費増税先送りの信を問うということですが、集団的自衛権の憲法解釈変更とか、原発再稼働など、消費税に負けず劣らず大事な問題、争点があるわけですから、まずは自民党の過半数割れを達成しないと、そう思います。

にもかかわらず、テレビや新聞などを見ていると、既に自公の安定多数は確実というような報道が目に付きます。選挙前、解散前からそういう報道が出てしまうと、投票意欲がそがれやしないでしょうか? 海外では選挙結果の予測を禁止しているところもあるとか。日本も考えてみるべきではないでしょうか?

それ以上にあたしが気になるのは、テレビ・新聞の論調で、増税先送りによる財政健全化が遅れることへの懸念を表明しているところが多い点です。識者と呼ばれる人は軒並みそういう感じです。でも、これって、果たして庶民の気持ちがわかっているのだろうか、と思います。民主党の仕分けは失敗しましたが、多くの国民は、まだまだ国の無駄遣いはたくさんある、もっと節約できるはずだと考えているのではないでしょうか? だって、庶民は収入が減れば、支出を絞って、なんとかやりくりするものでしょう。どうして国だけが、収入が足りなければ増税しようという発想になるのでしょう?

もっと国会議員がみずからの身を切らないと、国民は納得しないのではないでしょうか? そこのところで、いまの国会議員、政治家は国民に全く信頼されていないわけで、それではどんなに正しい政策を訴えようと国民の心には届かないのではないでしょうか。古代中国でも孔子が、まずは信頼、信用だと言っています。それがなければ、だめではないでしょうか?

議員の無駄遣いもそうですが、そもそも一票の格差がまるで解消されないわけですから、国会議員の資格として正当なのか、そこにも疑問符が付きます。それに、有権者の半数そこそこの投票率で当選なんて、実際の得票は全有権者の2割程度でも通っちゃうわけですよね。これで本当に国民の代表と言えるのか……

一票の格差が存在するから投票に行く気にならない、という人も多いのではないでしょうか?

民意とは

スペイン、カタルーニャの独立の是非を問う投票。いや、あれは公式には認められていないので民意調査とかって言うのでしたっけ? そのあたりはとりあえずおくとして……

結果的に8割の人が独立に賛成票を投じたそうですが、全有権者の5割にも満たない投票では、その8割が賛成と言っても果たして民意と言えるのか、判断が難しいところです。

独立の是非を問う投票と聞くと、あたしはすぐにチベットとかウイグルを思い出してしまいます。本当に中国から独立してやっていけるのか、という問題もありますが(それは先日のスコットランドも、今回のカタルーニャも同じだと思います)、中国などを見ていると民族としての誇り、人間としての尊厳が問われているのかな、という気がします。

でも、中国の場合、実際に投票をやったとしたら、既に漢民族の入植が増えていますので、独立は否決されるのではないでしょうか? 漢民族がどんどん入ってきて人口の過半を占めた場合、民意とはいかなるものなのか、単純に多数決で決めてしまってよいものなのか、難しいと思います。

幻視?

極めて不謹慎なのはわかっていますが、このところ、いや、以前から街中でよく見かけるポスター、いえ、書店に行けばたくさん並んでいるこの本。

この表紙というか、タイトルを見るからなのでしょうね、あたしにはどうしても「マララ」ではなく「アラマタ」に読めてしまうのです。で、「アラマタ」に読めてしまうので、カバー画像もそんな風に見えてしまいます。

いや-、たいへん不謹慎なのは重々承知しているのですが、見えてしまうものは仕方ないです。ごめんなさい。

平日だと……

ハロウィンです。

書店営業に出ると仮装した人を見かけました。

平日午後の郊外地区だからでしょうか、子供が顔にちょっとペイントしていたり、ドレスっぽい服を着ていたり、という姿が目立ちました。一見すると、アナ雪的な格好をした女の子、あるいはバレエかピアノの発表会帰り、という感じにも受け取れます。一緒にいる若いお母さんたちは、頭にディズニーランドへ行った帰りのように、ミッキーやミニーの耳のカチューシャをしていました。

たぶん、幼稚園か保育園でハロウィンの催しがあったのでしょうね。和やかなものです。あたしは、こういう子供たちの集団を見ても「うるさい」と感じるタイプではないので、微笑ましく眺めることができます。これが夜の都心であれば、大人たちのバカ騒ぎに呆れ、うんざりさせられることでしょう。一刻も早くその場から立ち去りたくなります。

しかし、こういう子供たち、そして一緒にいる若いお母さんたちを見ていると、どう見ても、こういったにぎやかなお祭り騒ぎ、仰々しく着飾ったり、ワイワイ楽しむのが苦手という顔をした人がいるのを見つけてしまいます。ママ友の輪から外されないように、たぶん外れると子供がイジメに遭うのでしょうが、精一杯気を遣って回りのお母さん仲間に合わせている感じがする人が必ずいるものです。

子供を持つって、大変ですね。

あたしは独身なので当然子供もいませんが(離婚もしていません!)、いまさら結婚できたとして子供を授かったとしたら、とてもこういう輪には入り込めないでしょうね。子供と遊ぶのは好きですが、体力が持つかどうか……(汗)。

それにしても、上で「若いお母さん」と書きましたが、そう、あたしなんかよりもはるかに年下、あたしから見たらまだ子供のように見えるのに、立派に(?)お母さんをやっているんですよね。

私戦予備罪って

少し前のニュースですが、イスラム国へ参加しようとした北海道大学の学生が事情聴取を受けたというニュース。

この報道に接して、あたしは、日本国内で武器や弾薬を隠匿していたとか、テロ行為などを画策していた、という明確な証拠でも出てこない限り、「イスラム国へ行きたい、参加したい」という理由だけで、この学生を逮捕できるのだろうかと感じていました。

が、その後の報道を見ていますと、日本には「私戦予備罪」というのものがあるのだそうですね。北大生はこの容疑で事情聴取されているようです。たぶん、ほとんどの日本人がこの「私戦予備罪」という言葉を知らなかったのではないでしょうか。かく言うあたしも知りませんでした。だから「逮捕できるのか?」という疑問を持ったわけです。

ところで、この私戦予備罪。この法律がどういうものなのかは、ネット上にいくつも情報がありますから、そういったサイトを見ていただくとして、そういう情報を見た上で、さらに疑問がわきました。

いや、これは疑問と言うよりも、時代が異なっていたら、という「歴史のif」の話です。

外国へ行って、外国の政府に対して暴力的な行為を企ててはいけない、というのが私戦予備罪の定義のようです。原題の日本人であれば、イスラム国以外なら、アルカイダとかをイメージするのでしょうか? 確かにテロ組織ですよね、現時点では。でも、こういうテロ組織っていつまでもテロ組織なのでしょうか?

何が言いたいかと言いますと、もし彼らの組織が政府を倒し、新しい政権を樹立し、それなりに国民の支持を取り付けて国家を運営してしまったら、それはもうテロ組織ではないのではないか、ということで、そういう可能性は今後も未来永劫ないのだろうか、ということです。

お前、何を言ってるの?

と言われそうですが、ここであたしがイメージしているのはアルカイダでもイスラム国でもなく、孫文です。彼と彼らの一派は時の清朝政府から見ると立派なテロリスト、テロ組織だったはずです。だからこそ、日本政府も表だっては彼らを支援しようとはしなかったわけで、当時の状況で語れば、清朝政府に仇なす敵以外の何ものでもなかったでしょう。

この孫文を支援した日本人がたくさんいました。有名なところでは宮崎滔天でしょうが、彼以外にもかなりたくさんの日本人が孫文とその仲間を支援し助けています。日本にいて支援していただけでなく、実際に大陸に渡って一緒になって活動していた人すらいました。

はい、彼らがもし現代の日本に生きていたら、私戦予備罪に問われたのでしょうね。警察に事情聴取されたのでしょうね。そう考えてしまいます。歴史がどう推移するかわかりませんが、時の政権がテロと決めつけ、すべてそちら側が悪であるかのように誘導するのは、もしかすると非常に危険なことなのではないのかな、とも思います。もちろん、あたしがイスラム国やアルカイダに賛意を示しているというわけではありませんが。

今年も取らないで!

今年もノーベル賞の季節です。とりえず、医学・生理学賞では日本人は受賞が無かったですが、物理学賞で見事受賞したというのが現時点での状況です。

さて、あたしの属する出版業界では文学賞だけが注文されがちです。まあ、本を売っている商売ですから文学賞に一番注目が集まるのはしょうがないでしょうし、当然と言えば当然ですね。ただ、他の分野の賞でも、それに関係する書籍というのはあるもので、特に経済学賞などは受賞者の著作が売れるという傾向もありますので、一概に文学賞だけを追っていたのではいけない場合もあります。

で、文学賞です。

毎年のように村上春樹が候補に挙がり、大本命とも言われています。正直なところ、あたし自身は興味はありません。書店では「村上春樹コーナー」が作られ著訳書が並べられてそれなりに盛り上がっていますが、受賞を逃すといつのまにやら終息しています。

書店の方に話を聞くと、やはり話題になるこの時期、村上春樹の本はそれなりに売れるそうです。もしノーベル賞を受賞すればさらに売り上げのアップが期待できるので、やはり取って欲しい、という声も聞かれます。もちろん、村上春樹に限らず日本人の受賞は嬉しいニュースとして、なんとなく世間も明るくなるものです。

その一方、書店員さんの中には、受賞しても売り上げ増はそれほど見込めない、と言う方もいます。その理由は、既に散々売れているから、いまさらノーベル賞を取ったからといって村上春樹に手を伸ばす人がどれくらいいるのか、と懐疑的なのです。確かに、それは事実だと思います。日本人の受賞だったらどうなるかわかりませんが、この数年来、ノーベル賞受賞者の書籍、それなりに日本でも邦訳が出ていたりしますが、受賞を機にどれだけ売れたかと言うと、手放しで喜べるほどだったでしょうか?

それでも去年は新潮のクレストがかなり売れましたかね? 手を伸ばそうか迷っていた人がこの機に遂に購入したというケースが多数あったようです。でも、その前の莫言はどうだったでしょうか? それほど売れたような記憶はありません。やはり海外小説は、たとえノーベル賞を取ったとしても、それだけで売れるのかというと難しいものがあります。

で、村上春樹は、当然のことながら国内作家です。海外小説と同列には論じられません。それでも、ここ最近の新刊が出るたびのフィーバーを見ると期待したくもなります。ただ、「1Q84」や「ノルウェーの森」の時のような「猫も杓子も」買いに奔る現象が既に起こっている作家ですので、ノーベル賞を取ったから読んでみようという一般の人がどの程度残っているのか、そこが読み切れないところです。

あたしの個人的な意見としては、こうして毎年候補に挙がり、書店でコーナーが作られて、それなりに注目を引き、本がそこそこ売れるというのがずーっと続いてくれるのが一番「オイシイ」のではないかと思います。そのためにも、毎年候補には挙がるけど受賞しない、というのが理想です。