「在庫切れ」の意味

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井の頭線は来なかった

ふと思い出したので書いておきます。

先日の北陸研修旅行で、野々市にある明文堂に営業に行きました。午前中に訪問したビーンズが真っ白な什器のお店だったのに対し、こちらのお店は什器がブラックで、同じ明文堂でもずいぶんと印象が異なりました。

それはさておき、その野々市の明文堂から泊まっているホテルのある金沢駅に帰るわけですが、普通に考えればタクシーを使うところでしょう。ただ、できるだけ経費は節約したいですし、本日の営業回りも終わりでしたので、多少時間がかかっても大丈夫という状況だったので、あえてローカル線の旅を楽しみました。

野々市の明文堂から東へ数百メートル行ったところに北陸鉄道の乙丸という駅があります。どのくらいの頻度で電車が来るのかわからなかったので、タブレットで調べると30分に一本程度。この暑い夏に30分待つのは苦痛ですが、時刻は既に日が暮れかかった頃合い、暑さもそれほどではないので大丈夫と覚悟を決め、明文堂を出て一路、乙丸駅へ向かいました。

駅に着く前に、交差点の信号待ちの時に改めてタブレットで時刻表を調べると、もうすぐ電車が来るではないですか。なんという巡り合わせ! 結局、駅へ着いて5分も待たずに、30分に一本のローカル線が到着したのです。

さて、この北陸鉄道ですが、ウェブサイトを見ると何やらよく見慣れた車両の写真がトップページに出ています。「あれ? これ、井の頭線じゃない?」って、東京の人だったら(特に杉並、世田谷あたりに住んでいる人だったら)すぐにわかるはず。最近の井の頭線は、かなり垢抜けた車両になってしまいましたが、この写真の井の頭線は往年の井の頭線、誰もが井の頭線と聞いて思い浮かべる、鉄道ファンにも人気の高かった車両です。

ああ、あの井の頭線に逢えるんだ! とちょっとそわそわしながら、そしてその車体を写真に撮ろうとタブレットの準備万端待っていたのですが、やってきたのは見たこともない車両でした。

あれ、と拍子抜けしたのはもちろんですが、この車両はいったいどこのでしょう? たぶん北陸鉄道は自前の車両は持っていなくて、ほとんどが他の私鉄からのお下がりなのではないでしょうか? それとも、これは自前の、正真正銘、北陸鉄道の車両だったのでしょうか? だとしたら、それはそれでラッキーだったのかも。

というわけで、北陸で井の頭線に会うという希望は叶えられませんでしたが、それでも愉しいローカル線の旅でした。

シンクロナイズドスイミングにドキドキ

ロシアでシンクロナイズドスイミングの世界大会が行なわれているようで、日本勢の活躍もあってテレビや新聞でもそれなりに報道されています。で、この報道に接するたびに、あたしはちょっとドキドキするのです。

別に、女性の水着姿にときめいているわけではありません。あたしはそもそも露出の高いものは好きではありません、秘すれば花と言うではありませんか。チラリズムの方が好きです。

って、これでは何と言い繕うとタダの変態ですね。すみません。言いたいことはそんなことではありません。

あたしがドキドキするのは、選手の水着でもなければ演技でもなく、もちろん肢体に対してでもありません。選手名です。それも、ある特定個人の!

日本チームのキャプテンだったでしょうか、「乾友紀子」さんていますよね。この名前というか、音というか、そこにドキドキするのです。「乾友紀子」は「いぬい ゆきこ」と読みます。

はい、そうなんです。あたしが高校時代に好きだった乾さんと全く同じ音なのです。「ゆきこ」の漢字表記こそ異なりますが、音声では全く同じです。ですから新聞だと何も感じませんが、テレビやラジオなどで報道されるときに「いぬいゆきこ」という音声が流れると、やはり落ち着かない気分になってしまうのです。

もちろん高校時代の乾さんはスポーツ少女というタイプではなかったので、シンクロ選手のような肢体ではなかったですし、その後も今もそんなことはありえないと思います。

「思います」と書いたのは、卒業後一回も会ったこともなければ、風の噂にすら聞いたことがないから、その後を何も知らないからです。卒業式の日以来、高校のクラスメートとは誰一人全く顔を合わせていないのではないか、そんな気がします。少なくとも、乾さんに限らず、誰にも会ったという記憶がありませんので、きっと会っていないのでしょう。

さて、そろそろこの大会も終盤ですよね。あたしのドキドキもあと数日でしょうか?

一天俄にかき曇れ!

午後から外回り。

日差しは相変わらずでしたけど、今日はちょっと雲があったのが多少の救い。

だからといって、少し涼しいとか、日差しが弱いなんてことはなく、あえて言えば、ここ数日のほぼ猛暑日に体も少しは慣れてきたから、なんとか乗り越えていける、という感じ。

で、今日の雲。

一時はずいぶんと黒い雲がむくむくと、これはきっと降るな、と思わせるような雲が出ていたはずだったのですが、書店に入ったり、電車に乗ったりしているうちに、どこかへ行ってしまって、あれっ、と肩透かしを食わされたような……

一雨ざっと降ってくれると、夜寝るときもかなりしのぎやすくなるのですけどね。

ただ降ればいいってもんじゃなく、降り方が肝心でして、あまり明るいうちに降ると、その後また強い西日で湿度の高い、蒸し暑さがパワーアップしかねません。もちろん雨の量も大事です。お湿り程度では湿度を押し上げるだけで、気温を下げる力が足りません。

やはりそろそろ夕方という時間帯に、バケツをひっくり返したような降り方、これが一番です。そんな夕立で、気温が一気に10度くらい下がるんですよね。自然の力ってすごい、と思います。

しかしこの夕立も、最近は「夕立」なんて風情のある表現はすっかり影が薄くなり、昨今はもっぱら「ゲリラ豪雨」なんて呼ばれ方をする、災害を引き起こすような降り方になってしまい、これはこれで困ったものですね。

それはともかく、次のまとまった雨はいつなのでしょう?

金沢の多言語化は進んでいるのか?

先週後半に行って来た金沢。駅の観光ガイドなどに置いてある無料の地図やガイドが多言語化されています。英語はもちろんのこと、中国語は簡体字と繁体字、それに韓国語、フランス語にスペイン語、そしてなんとタイ語まで置いてありました! ここまで用意されているのはすごいのではないでしょうか? いや、すごくない?

そして当然ことながら、金沢市観光協会のサイトを見ますと、ページ上部に言語を選べるメニューがあり、「English、French、Spanish、簡体中文、繁体中文、Korean、Thai」と並んでいるではありませんか! なんでドイツ語がないの、とちょっと思いますが、あとはロシア語とアラビア語でも揃えば地方都市としては必要十分ではないでしょうか? それにしてもドイツ語がないのがやはり不思議。

翻って、富山市観光協会のサイトです。こちらは言語を選べるメニューがありませんね。日本語だけしかないのでしょうか? せめて英語くらいはないと……と思います。

こういう、さまざまな国の言葉で用意されたパンフレットなど、仕事柄どうしても気になってしまいますし、できるだけ持ち帰りたくなるものです。今回も集めてみましたが、フランス語の市内マップが人気沸騰なのか、無くなっていました。フランス人の来訪者が多いのでしょうか?

ちなみに、いまだ北陸新幹線が延伸していないにもかかわらず、福井県観光連盟のサイトは「English、繁体中文、簡体中文、ハングル、ロシア語」という対応具合。富山よりも進んでいるというか、準備万端というところでしょうか?

下北沢について考える

小田急線沿線が受け持ち区域なので下北沢はよく通ります。もちろん下北沢には三省堂書店やB&Bなどもありますから下車することもあります。そんな下北沢を通るときにいつも思うのです。

この工事、いつ終わるのだろう

って。だって、ずいぶん長いことやっているじゃないですか。いつぞやは水没したことまでありましたよね。まだ終わらないのでしょうか?

で、この工事については他にも思うことがあるのですが、それは出来上がった後の使い方です。小田急の工事概要によると、地下一階が上り下りの緩行電車、地下二階が上り下りの急行電車という使い方をするようです。

つまり、同じ階で緩行から急行に乗り換えるという使い方を想定しないのですよね。これってどうなのだろう、と思います。ふつうは下北沢ほどのターミナルであれば、各駅停車と急行の待ち合わせとかするものではないか、そんな気がします。

ただ、その一方で、まだ新宿からそれほど遠いわけでもないのだから、各駅だろうが急行だろうか、新宿から乗ってくればよいのであって、わざわざ下北沢で乗り換えや待ち合わせを作るのは早すぎるだろう、という考え方もなり立つと思います。これと同じことが京王線の明大前にも言えます。ここも全列車が止まるターミナル駅にもかかわらず、待ち合わせをするためのホームがありません。これも新宿から近すぎるからなのでしょうか? まあ、明大前の場合は、線路をさらに敷くスペースもなさそうな立地ですけど。

と、そんなことを下北沢を通るたびに思っているのです。

そして、もう一つ。小田急線車内での下北沢の表記はローマ字の時は「Shimo-Kitazawa」です。つまり「下・北沢」です。これは「北沢」という地名がベースにあって、その「上」と「下」ということなのでしょう。現に京王線には上北沢という駅があります。

が、さらに一歩踏み込んで考えてみますと、北沢というのも実は南沢というのが近くにあるのではないか、という気がします。しかし、地図を見ても南沢なんてどこにも見当たりません。そしてさらに思うのは、北沢にしろ南沢にしろ、沢と言うくらいだから、どこかに川が流れていて、そこが低くなっていたのではないか、そのそもそもの「沢」はどこなのか、ということです。

たぶん、地名辞典とか、世田谷区の由来のような本を繙けばわかるのでしょうが、とりあえず、下北沢を通るたびにそんなことを思いながら車窓から外を眺めているのです。

おっと、下北沢は地下だから、外を眺めても何も見えないんだった!

 

運命の男?

文春新書『永田鉄山 昭和陸軍「運命の男」』読了。

永田鉄山の名前は知っていました。陸軍で期待を背負っていたことも、相沢中佐に惨殺されてしまったことも、そのくらいの知識は辛うじてありました。が、果たして永田鉄山とはいかなる人物かということになりますと、まるで知りませんでした。ちょうど『第二次世界大戦1939-45(中)』などを読んでいましたので、もう少し第二次大戦と、その時代の日本軍について知りたいと思い本書を手に取りました。

結論から言いますと、果たして永田鉄山は巷間言われているほどすごい人物だったのか、いまひとつ掴みきれませんでした。もちろん当時の日本陸軍の状況に対して強い危機感を持っていて、それを何とかしないとならない、ということを真剣に考えていた、そのための方策も少しずつ実行に移していた、ということはわかります。が、「この男が生きていれば太平洋戦争は止められた」といった持ち上げられ方をするほどの人物だったのかは疑問です。

どうしてそう思うかと言いますと、結局、永田も満洲事変を止められなかったわけです。そして、ずるずると中国との戦争に突入して言ってしまう関東軍、陸軍を制御できなかったわけです。なのに、どうして太平洋戦争は止められたのでしょう?

もちろん石原莞爾に対する場合と東條英機に対する場合とでは事情が異なる、という見方もできるのでしょうが、果たしてそううまくいくのでしょうか? また満洲事変のころの永田の立場と、(殺されずにいた場合の)太平洋戦争開戦前の永田の予想される立場を考えて、持っている権力が違うということはできると思います。

が、果たして、あの時代、永田一人でどれほどのことができたのでしょうか? そういう疑問が残ります。もちろん、政府側にも官僚の側にも、戦争の拡大を阻止したい人は大勢いたわけですし、そもそも昭和天皇も不拡大方針だったわけですから、永田がうまいこと彼らと協力できれば、確かにその後のアジア・太平洋戦争、第二次世界大戦は様相が異なっていたものになっていた可能性はあると思います。

しかし、そんなことの前にすべてを押し流して行ってしまった歴史の力。個人の力ではどうすることもできない歴史のダイナミズムをも感じさせられました。

連合国よ、連合せよ!

『第二次世界大戦1939-45(中)』読了。

相変わらず、連合国、仲が悪いです。イギリスは、というか、チャーチルは大英帝国の夢を引きずって、アメリカを利用しようとばかり考えています。そしてソ連に対しては根本的な不信感が抜きがたいです。アメリカは、ソ連に対してチャーチルほどの敵意や不信感は持っていませんが、むしろイギリスの口車にうっかり乗ってなるものか、という態度がありありです。

それにしても、ドイツは強いです。確かにこの「中巻」ではスターリングラードでの手痛い敗北や、北アフリカでの撤退戦、後半になるとイタリアの休戦とシチリアやイタリア半島上陸など、既に劣勢に追い込まれ、敗色が見えてきていますが、それでも個々の戦い、司令官や兵士のレベルでは連合国をはるかに上回っていると感じます。ヨーロッパの戦線において、イタリアはほとんど役に立っていませんし、日本は遠い極東で戦っていて、そもそもヒトラーからすれば数のうちに入っていないでしょう。少しでもソ連軍を極東に引きつけてくれればラッキーという程度の期待しか持っていないようです。

つまり、事実上、ドイツ単独でソ連、イギリス、アメリカと戦っているわけで、それなのにかなりの奮闘ぶりです。もし三か国ではなく一国だけと戦っているのであれば確実にドイツが勝ったのではないでしょうか? やはり、適当なところで兵を退く、終戦工作を考えておくべきだったと思います。それは日本についても言えますが。

  

  

さて、この「中巻」までを読んだならば、『赤軍記者グロースマン』『スターリンの将軍 ジューコフ』『クルスクの戦い1943』『運命の選択1940-41(上・下)』『レニングラード封鎖』、こういった書籍を併せ読むとよいのかも知れません。

ささ、いよいよ最終、下巻です!

美味堪能

北陸は魚介類が美味い! なんて、いまさらあえて言うまでもないことでしょうが、実際にそうなんだから言わずにはおれません。

今回の研修旅行、灼熱の高崎・前橋をこなして泊まりは富山でした。ですから、まずは富山で日本海の幸を堪能しました。ただ、その前に、初日、高崎での昼食、「そばきり」というお店、構えもそれなりで、なかなか美味しいお蕎麦でした。暑いから余計に喉ごしのよい蕎麦が美味しく感じられたかも知れませんが……。地元でもそれなりに知られたお店のようです。

さて富山です。「海の幸山の幸」というお店です。ここは決して特別な高級店と言うよりは、いわゆる居酒屋です。富山と高岡にお店があるようです。週の真ん中だというのに、他の席もほぼ埋まっていて、人気のあるお店のようでした。もちろん料理も美味しかったです。

のどくろ、げんげといった富山ならではの海の幸を堪能しました。もちろん白エビも!

翌日は金沢泊まりで、食事はいたるでした。地元の人がよく行く、というよりも観光客が続々押し寄せるという感じのお店でしたが、押し寄せるだけのことはあると納得です。海の幸については富山とそれほど変わりませんが、こちらでは治部煮もいただきました。金沢の名物ですよね。鴨肉が美味しかったです。

そして最終日のお昼も金沢。前日のいたるの真向かいと言ってもよい場所にある「あまつぼ」で、さらに北陸の海の幸を賞味しました。うーん、時季が違いますが、あとは寒ブリが食べたくなりますね。

さて、金曜日の晩は一人で金沢に泊まっていたのですが、書店回りからホテルに戻るのに7時を回る時間でしたので、金沢駅内にある「加賀屋」で、やはり金沢料理をいただきました。

駅ビル内のお店なので、これから東京へ帰るサラリーマンや観光客も多かったですが、料理は美味しかったです。

そしてお土産です。「今回は」なのか「今回も」なのか、なんとも言えませんが、森八の和菓子です。

まずは千歳餅。このお店の始まりはこのお菓子からだったような能書きが入っておりました。求肥で包まれた、ほどよい大きさの菓子です。

ついで、こちらは長生殿。ですが、いつもの落雁ではなく生〆タイプを買ってみました。ちょっとしっとりしていて、和三盆が美味しいです。

今回は松葉屋の「月よみ山路」を購入できなかったのが残念ですが、駅の土産物売り場はどこも観光客でごった返していて、ゆっくりお土産を選ぶどころではありませんでした。

さて夕方発の新幹線でしたので夕食は駅弁を買って車内で、と初めから決めていたのですが、上述のように売り場はどこも混雑していてお弁当を買うような余裕はありませんでした。仕方なく飲み物だけ買って車内へ。ワゴン販売で富山のます寿司を買おうと思ったのですが、回ってきたときには売り切れ。何がよいか見てみると、直江津の「さけめし」という文字が目に入りました。

直江津のさけめし

母方の田舎が上越市なので、なんとなく直江津も愛着というか親近感があります。なおかつ、この弁当を作っているハイマートはかつて従兄弟の結婚式が行なわれた、直江津のホテルです。そんな縁もあって買ってみたのですが、これが思いのほか美味。鮭は脂がのっていて柔らかく、駅弁でもこんなに美味しいんだ、と目から鱗でした。

主計は「かずえ」と読むそうです

北陸研修旅行の余話。

最終日、つまり24日金曜日ですが、午後、一通り研修旅行の全行程を終え、少し時間があったので、せっかくここまで来たのだからと、金沢のひがし茶屋街というところをぶらつきました。ここは既に十分観光地となっているところで、大勢の観光客がひしめいていました。この一角にあるゴーシュという喫茶店でしばしお茶して、その後向かったのが、ひがし茶屋街からほど近い主計町です。「かずえまち」と読むそうです。江戸時代の人名などにしばしばありますよね。

上の写真のように、こちらはまだまだ人通りが少なく、観光地化が進んでいない模様。

暗がり坂などという場所もありまして、まだ真っ昼間なので、それほど暗くはありませんでした。

が、坂を上がっていくと神社の脇に出まして、かつては「こんな神社の脇から抜けて道があるなんて!」という感じだったのではないでしょうか? お茶屋に通う旦那衆は、さも神社に参拝のふりをして、その脇から伸びる暗がり坂を通ってこっそりと……。そんなところでしょう。

で、主計町、人通りも少ないので(昼間だからでしょうね?)、こんな風に風情を感じる写真が撮れました。ひがし茶屋街ですと、常に誰かしら観光客がいて、うまい具合に写真が撮れませんから……(汗)