サイン本

 

昨日のトークイベントで、安藤礼二さんの『この女を見よ 本庄幽蘭と隠された近代日本』を購入し、サインをしていただきました。それが下の写真です。

実はこのところ、個人的にサイン本づいてまして、台湾の呉明益さんにも『歩道橋の魔術師』にサインをいただきました。海外文学で、訳者ではなく著者のサインがいただけるのは貴重です! わかりますか? 最初から印刷してあったのではないかという感じのサインですね。

呉明益さんにサインをいただいたのは柴崎友香さんとのトークイベントの時だったので、柴崎さんにもいただいちゃいました。

 

『春の庭』と『わたしがいなかった街で』です。

 

これが、それぞれのサインです。

サイン本って、やはりうれしいですよね。著者に直接会ったことがある、というだけでもワクワクします。乃木坂46の握手会に行くようなものでしょうか?

第三の魔弾

白水Uブックス『第三の魔弾』読了。

正直なところ、最初は物語に入っていけませんでした。状況や世界が飲み込めなくて、とりあえず誰かが昔語りをしているのかな、ということくらいしかわからず、それもわかるようなわからないような、つまり一体全体何のことを語っているのか、という感じだったのです。

でも、そんな導入部を過ぎて本編に入り、二つか三つ目の章に入ると俄然面白くなってきます。グイグイ引っ張られます。さあ、どうなるだ、どうなっちゃうんだ、という期待感で先へ先へと導かれます。

さて、ネタバレになるかも知れませんが、簡単にストーリーをおさらいしておきますと、かつてライン伯であった暴れん坊グルムバッハは故国ドイツを追われ新大陸へ渡ります。そこで自分を慕う部下たち共にアステカの国王の庇護を受けのんびりと暮らしています。そこへスペイン国王の命を受けた征服者コルテスが現われ、情け容赦なくインディオたちを殺戮していきます。コルテスの軍中にはグルムバッハの異母弟であるメンドーサもいて、各者各様の事情を抱えながら戦うことになります。

しかし多勢に無勢、グルムバッハがコルテス軍を撃退するために手に入れたものは小銃と呪われた三発の弾丸。たった三発の弾丸だけを頼りに、グルムバッハは無敵のスペイン軍に戦いを挑むのです。さあ、その結末は?

このように書くと、さも英雄然としたグルムバッハと、憎々しげなコルテスやメンドーサをイメージしがちですが、そう簡単ではありません。グルムバッハは英雄らしくないところがたくさんあり、なんかグズグズしていることがあります。一方のコルテスやメンドーサの方がむしろ颯爽としていると思えるところがあるのです。

呪いでは、一発目の弾丸でスペインの無敵軍を敗走させ、二発目の弾丸で大切な女性を失い、三つ目の弾丸で自分自身に(何かが起こる?)と予言されたわけですが、作品中では三発目の弾丸が放たれてどうなったか、はっきりとは書いていません。その後がどうなったのかは読者がそれぞれ思い思いのストーリーを作ってよいのではないでしょうか? 少なくとも、その後もグルムバッハは生きています。最後まで読んだあと、もう一度導入部に戻ると、上に書いたような「わからなさ」もかなり解けると思います。そして訳者による解説も、先に読んでしまうと本編のワクワク感を少しそいでしまうかも知れません。

ペレッツ、あたしは今回初めて知りましたし読んだのですが、それなりに邦訳が出ているのですね。

  

  

『スウェーデンの騎士』『最後の審判の巨匠』『夜毎に石の橋の下で』『ボリバル侯爵』『レオナルドのユダ』『ウィーン五月の夜』がまだ手に入るようですが、主要著作はほぼ網羅されているのではないでしょうか? そんなに日本で人気の作家だったのですね。

福利厚生?

少し前、あたしの勤務先にこんな物が設置されました。

オフィスグリコというものだそうです。家庭用常備薬みたいに「使った(食べた)分だけお支払い」ってことなのでしょうか? そのあたりのしくみ、よく理解していませんが、「仕事の合間に小腹が空いたらどうぞ」ということで設置されました。ひとつ100円で引き出しの中の菓子が食べられる(買える?)ようです。お菓子が買えるから、上部についている集金箱は「カエル」の貯金箱なのですかね? さあ、果たして、どれくらいの社員が利用するのでしょうか? ちなみにその下は以前から設置されている冷蔵庫です。

ちなみに、このオフィスグリコが置いてある給湯室にはこんな給湯器も置いてあります。アイスとホット、真ん中が冷水・温水(熱湯?)で、右側に煎茶、左側に黒ウーロン茶が出るようになっています。

煎茶はわかるとして、もう一つの選択肢が黒ウーロン茶だなんて、なんて社員の健康を考えてくれているのでしょう? 黒ウーロン茶は特保でしたっけ? とにかく脂肪を燃焼してくれるのですよね? 違いましたっけ?

で、以上はあたしの勤務先の公共スペースに設置されている、誰もが使えるものです。こういうのを福利厚生施設というのでしょうか? それに対しまして、あたしは自分の机に飴ちゃんを常備しています。

上の写真のように、百均で買ってきた引き出しに、常にフルーツ飴が入っています。いまはセブンイレブンのキャンペーンで買った乃木坂46の飴が入っていますが……(汗)

余談ですが、あたしの机には飴入れと同じ引き出しがいくつか置いてありまして、その中には展覧会を見に行ったときに買ってきた一筆箋がいろいろストックされています。書店の方、読者の方に何かを送らなければならないとき、便箋を使うまでもない場合、一筆箋にちょこちょこっと書いて送ります。とても重宝しています。

メール社会の昨今、一筆箋をそれほどしょっちゅう使うわけでもないので、それなりに長持ちします。なので、あまり季節感が出すぎる柄やデザインのものは選ばないようにしています。いつでも使える、そんな一筆箋が好みです。

神秘列車が走る?

下の写真は昨日の朝日新聞夕刊です。夕刊なので地方によっては存在しなかったり、記事が違っていたりするでしょうから、たぶん東京版だけに掲載されているのかも知れませんが……

ご覧のように台湾の鉄道に関する記事です。台湾と言えば台湾新幹線でしょうか? あたしはそこまでの<鉄>ではないので、台湾の鉄道事情などには詳しくはないのですが、興味はあります。

で、記事のところに載っている写真です。SLが写っています。この列車、どこかで見たことあるなあと感じたんです。もちろん「銀河鉄道999」ではありません。でも、それほど詳しい人間でない限り、SLなんてどれも同じように見えてしまうものです。煙突の形とか、ちょっとした違いに気づくことはありますが、その程度でだいたいは同じものに見えてしまいます(汗)。

ですが、この写真。非常に最近、目にしたような気がするのです。と、考えていて思い出しました。『神秘列車』です。

どうです。上の絵と似ていませんか? 写っている角度なんかまるで一緒ではないでしょうか? で『神秘列車』ですが、それはあたしの勤務先の新刊で、台湾の小説です。おお、台湾というところで繋がっているではないですか? もしかして、朝日新聞が読書欄ではなく、こんな一面で大々的に紹介してくれているのか、と思いきや、全然そうではなく、単に台湾の鉄道の話だったようです。

でも、本書『神秘列車』もそのタイトルどおり、少年が列車に載って旅をするシーンが出てきます。短篇集なので、すべての作品に鉄道が出てくるわけではないですが、表題にもなっている「神秘列車」は鉄道好きなら面白く読んでいただけると思います。

そうそう、この記事との関連で言いますと、新竹という駅が小説の中にも出てきます。「台湾 新竹駅」なんていうキーワードでGoogleの画像検索をすれば、なかなか素敵な新竹駅の写真が多数ヒットするはずです。

あたしは新竹駅って行ったことはないのですが、『神秘列車』の中の描写を読んで是非行って見たいと思いましたし、上述のようにネットを検索して、ますます実物を見てみたくなりました。

とりあえず、すぐに台湾へ行けない方、ひとまず『神秘列車』をご一読くださいませ。

「エリック・サティとその時代」って、どんな時代?

夕刻、渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで「エリック・サティとその時代展」の内覧会へ行って来ました。

ちなみに、最近のマイカー車内のBGMはサティだったりしています(笑)。

ショップには先日久々に重版した『エリック・サティ』も並んでいましたが、展覧会を見ると、本書が非常にこの展覧会とマッチしていることがわかります。新書サイズでお手頃なので、会期中よく売れるのではないかと思います。いや、既にショップでは売れているそうです。

で、サティですが、実はあまりよく知りません。もちろん名前は知っていますし、ジムノペディは聴いたことがあります。と言うよりも、上にも書いたように最近のマイカー車内で聴いているのはジムノペディも含むサティのアルバムなわけですから。

でも、サティがいつごろの時代の人だったのか、そういうこともまるで知りませんでした。1925年に没しているのですね。あたしはてっきり戦後まで生きていた人なのかと思っていましたが、あたしの想像よりも一世代から二世代は上の人だったのだと知りました。

そんなサティの生きた時代のパリを、コクトー、ピカソ、マン・レイなど同時代の人との交流を交えて描き出したのが本展覧会ということのようです。シャノワールなんて聞くと、喫茶チェーンを思い出してしまいますが、全くの別もの、むしろこちらが本家本元なのですよね? ロートレックのイラストなども印象的な展覧会でした。

サティ展で購入。 一番下になっているのが図録。中程の2枚はポストカード。一番手前はボールペン付き一筆箋。

染井吉野ナンシーさん(@someiyoshinonancy)が投稿した写真 –

鑑賞後、図録やポストカードを購入しましたが、やはりサティっぽいネクタイは売っていませんね。ロートレックのネクタイは持っているので必要ありませんが、それすらも売っていませんでした。サティならどんなネクタイがあればよかったのか? さすがにサティの肖像をあしらったネクタイでは面白くないです。やはりマン・レイの「サティの梨」をあしらったネクタイが欲しいところです。

展覧会のスタートにはちょっと間に合いませんでしたが、近々こんな本が出ます。『祝宴の時代 ベル・エポックと「アヴァンギャルド」の誕生』です。展覧会のサイトでも紹介していただいています。これも本展覧会にはうってつけの一冊です。こうしてみると、キーワードはベル・エポック、アヴァンギャルドなんですかね? 世紀末と言ってしまうと退廃的な感じを受けますが、本展覧会を見る限り、そういう後ろ向きなところは微塵も感じられませんでした。あたしの知識があまりにも表層的すぎるのでしょう(汗)。

日本と韓国ですったもんだしたので注目を浴びた世界遺産は他にもいろいろ登録されているんですよ!

「明治日本の産業革命遺産」が世界遺産に登録されたということがニュースになっています。世界遺産に登録されると観光客も増えるので地元は大いに盛り上がっていることでしょう。でも、世界遺産ということは世界的な価値を有していると認められたわけですから、金儲けだけを考えていたのではダメですよね。むしろ、世界遺産としての意義を世界に向けて発信し、なおかつ遺産として後世に残していかなければならない義務を負ったということでもあると思います。

うーん、いろいろ責任が重そうです。お金もかかりそうですね。となると、やはり観光客がいっぱい来て、地元にお金を落としてくれるのが手っ取り早いのでしょうか? しかし人があまり来すぎると遺産を破壊してしまうことにもなりかねません、特に自然遺産の場合は。難しく悩ましい問題です。

で、そんな世界遺産について考えるにはこんな本をどうぞ。

文庫クセジュの一冊、『世界遺産』です。世界遺産の写真集などではなく、「文化と自然をともに保護するという理念と、登録システムや関連条約について紹介」した一書です。

ところで、今回の世界遺産。他にどんな物が登録されたかご存じですか? ほとんどの日本人は知らないでしょうね。新聞やネットを当たれば出てくるはずですから省きますが、一つだけ紹介します。それはフランスのワインの産地、ブルゴーニュとシャンパーニュです。

こういうものも世界遺産になるのか、とちょっと驚きですが、ワインは世界史においても重要な飲料ですから当然と言えば当然なのかもしれません。『ワインが語るフランスの歴史』や『ワインの文化史』なんて本もあるくらいですから。

 

さて、せっかくですから、書店店頭でも、特に料理コーナーでブルゴーニュやシャンパーニュ関連の本を「祝!世界遺産登録」としてフェア展開できないものでしょうか? もちろん日本の世界遺産ほどには盛り上がらないと思いますが、日本の世界遺産だけで盛り上がっているのは「世界遺産」という趣旨からしてよくないでしょう。この際、世界遺産全体のフェアを考えてみたいと思います。

で、こんな本があります。

 

ブルゴーニュの天才醸造家を紹介した『アンリ・ジャイエのワイン造り』と『アンリ・ジャイエのブドウ畑』です。

その他、ブルゴーニュワインについては『ブルゴーニュワインがわかる』『ブルゴーニュのグラン・クリュ』といった本があります。

 

ワイン、フランスワインの本はたくさんあると思いますが、今回はブルゴーニュが選ばれたわけですから、あえてブルゴーニュにこだわって選書するのも面白いのではないでしょうか? 真打ちはこちらになります。

『ブルゴーニュワイン大全』です。恐らく、これを越える本は向こう十数年は出ないと思います。最後に、フランスのワイン全般についての読み物『フランスワイン 33のエピソード』もお薦めです。

上で「ブルゴーニュにこだわって」と言ったのと矛盾しますが……(汗)

戦慄病棟

いろいろとB級映画を録ってはあるのですが、このところ休日も何やら出勤めいたことが多く、のんびりできなかったので、何本かたまってしまいました(汗)。久々の鑑賞、本日はこちら。

 

「パトリック 戦慄病棟」です。

ストーリーを簡単におさらいしますと、主人公の看護師が、かつて修道院だった建物を転用した病院に職を求めてやってきます。そして採用されるのですが、その病院は事故や病気でほぼ死んでしまったような人に電極を通すなどして蘇生を図る実験を行なっている病院なのでした。院長はかつて若くして天才の名をほしいままにした医師でしたが、その後は生命復活の実験に明け暮れ、世捨て人のようにこの病院で取り憑かれたように実験を続けているという状況。

さて、そんな動くこともしない患者(死体と言ってもいいような患者たち)の中で、院長が生命復活に一番入れ上げている患者がいます。たまたまその患者の世話をすることになった主人公は、脳死状態だと思われたその患者が意志を持ち、なおかつ自分にさまざまな方法を使ってその意志を示してくることに気づきます。主人公はそこで電気ショック療法などの荒療治をする院長の施術を辞めさせようと奮闘しますが、その患者の過去を知り、逆に恐怖するというお話です。

主人公の看護師、ちょっとカワイイです。ちょっとエッチなシーンもありますし、旦那とは離婚協議中のようで、新しい勤務地で出会った医師とちょっといい感じにもなります。が、そこへ旦那が追いかけてきて、という恋のさや当ても展開します。その三角関係に意志を持った遺体である患者が割り込んでくるのです。医師だけで物を動かすことのできる能力を持っていて、それによって彼女に近づく男性を襲い始めるのです。

この患者は母親に異常な愛情を抱いていて、母親とその愛人(だと思われます、父親ではないでしょう)を殺し、みずからも自殺を図ったものの、辛うじて一命を取り留め、この病院に運び込まれたらしいです。この病院の婦長、否、師長は院長の娘で父親の言うことに従順でしたが、主人公の行動を見るうちに父を裏切り、件の患者を生かしておくことの危険性を考えとどめを刺そうとしますが、逆にその患者に殺されます。そして院長も。

この後の展開は見なくてもわかるとおり、主人公がこの動かない患者と対決し、患者を葬るという結末です。が、エンディングで主人公がこの病院の院長として生命復活の実験を継続しているかのようなシーンがあります。たぶん自分は恐怖を味わったわけですが、やはり生命復活という人類にとって最大の実験の一歩手前まで体験したわけですから、その魅力に取り憑かれてしまったのでしょうね。

小説だけでなく……そして、全集とかシリーズとかコレクションとか

今朝の朝日新聞読書欄で蜂飼耳さんが『歩道橋の魔術師』を紹介してくれました。

 

ちょうど増刷が出来上がるタイミングなので絶妙なタイミングとなりました。

さて、この蜂飼さんの評を読んでどのような感想を持たれたでしょうか? あたしが既に本書を読んでいるからかも知れませんが、この作品は小説というよりも詩のような、あるいはポートレートのような作品ではないか、という印象を受けました。

でもこのあたしの感想は、多分に先入観が入っていると思います。まずは蜂飼さんが詩人だということ、少し前に読んだボラーニョの『アメリカ大陸のナチ文学』以来、小説家と詩との関係を、なんとなく薄ぼんやりと考えているからです。そして、何よりも著者の呉明益さんが小説家の枠には収まらない活動をしていることを知ったからだと思います。

上のイラストは『歩道橋の魔術師』のカバーにも使っている中華商場のイラストです。先日行なわれた、呉明益さんの来日トークイベントの会場で配布されたもので、なんと呉さんみずから描いたものです。はい、そうなんです。呉さんは、イラストも巧みなんです。これは素人が描けるレベルではないと思います。

そして呉さんは写真家でもあります。呉さんの活動についてはこちらのページをご覧いただくとして、台湾では写真集も出している方なのです。上述のイベント会場で写真集(原書)が会場で紹介、回覧されましたが、なかなか味わいのある、静謐な写真でした。呉さんのフェイスブックもありますが、こちらも文字だけでなく、写真がよく登場しています。

そんなこんな周辺情報があったので、今日の書評を読んで、小説以外のことにまで連想が広がったのではないかと思います。

さて、そんな本日の朝日新聞に載っていた記事がこちら(↓)です。

いま文学全集がブームになりつつあるとか。本当でしょうか? 確かに記事にあるように、河出書房の「日本文学全集」がそれなりに売れている、否、この出版不況と言われている状況下では異例の大ヒットと言ってもよい売れ方をしているのは認めます。河出書房はこの前にも「世界文学全集」をヒットさせていますから、ある程度このような全集に対する需要をつかんでいたのでしょう。

記事にある中公の「谷崎潤一郎全集」がどのくらい売れているのかはまだわかりませんが、書店ではかなり大きく展開しているのが目につきますから、それなりに関心は持たれているのでしょうし、売れもしているのでしょう。

しかし、まだブームと呼ぶには時期尚早ではあるでしょう。ただ、かつての全集ブームから時代が一回りして、たとえば図書館などでも新しいものに買い換えたい、当時の全集を買えなかった、買いそびれた世代が改めて買いたくなっている、という時代背景があるのではないか、そう思います。「大部なものは手軽な電子で」という動きもあるものの、一方で装丁にも凝った書籍は、そのもの自体として手元に置いておきたいという欲求を生むものです。電子ではできないところをうまく掬えれば、まだまだ紙の本の優位は揺るがないのではないでしょう?

ところで、これを全集と呼んでよいのかどうかわかりませんが、考えてみれば、新潮社の「クレスト・ブックス」もシリーズとして海外文学ファンにしっかりと根付いていますし、それなりに売れていると思います。単行本ではありませんが、光文社の「古典新訳文庫」も大ヒットシリーズで、昨今の新訳ブーム、それこそ上述の河出の「全集」の魁となったものではないでしょうか?

そして、手前味噌ですが、あたしの勤務先の「エクス・リブリス」も海外文学のシリーズとして、「クレスト」とはまた異なるテイストで多くのファンを捕まえることができたと自負しております。最初に戻るようですが、特に『歩道橋の魔術師』などでそれを感じます。そして「ボラーニョ・コレクション」も、こちらはシリーズと呼ぶのも憚られる、まだ4冊しか刊行されていないコレクションですが、これもお陰様でヒットしているので、出版不況とは言え、まだまだやりようはあるのかな、という気がします。

あとは、どうなのでしょう? こういう風に全集とかシリーズと銘打たれると、コンプリートしたくなる欲求が生まれてしまうのでしょうか? だから一冊買うと次も次もとなってしまうような……。それは虫がよすぎる考えでしょうかね?

アイドルの卒業

昨日の朝日新聞で、AKB好きとしても有名な宇野常寛がSKE48の中心メンバー、松井玲奈の卒業について書いていました。

記事の内容は紙面を見ていただくとして、個人的には最後の最後に書いてあった

さて、ここから先はただの個人的な願望だ。やはりテレビドラマファンとして松井玲奈の主演作品を、はっきり言えばNHKの「朝ドラ」で見たい。もはや名作の予感しかしないのだが。

に激しく同意。松井玲奈は「マジすか学園」のゲキカラのイメージをお持ちの方もいると思いますが(←世間的にはほとんどいないか?)、普段の雰囲気などからはむしろ「薄幸の美女」的な役柄が似合うのではないかと思います。まあ、最初のうちは「アイドルの演技」と揶揄されるでしょうが、場数を踏んで成長していって欲しいと思います。あとは、同じく女優の道を選んだ川栄李奈との将来的な共演にも期待です。

ところで、この卒業というシステム(?)ですが、あたしは前にも書いたかもしれませんが、メンバー自身が自覚的に決めるのではなく、中学や高校のように一定の年齢が来たら強制的に卒業させるようなシステムのアイドルグループがあってもいいのではないかと考えています。

つまり、募集するときも毎年一回、決まった年齢の人だけを集め、「何期生」ではなく「何年生」という感じのアイドルグループです。まさしく学校のノリです。私立の女子大付属中高という設定で考えれば、13歳から22歳まで在籍可能、22歳の3月には、その学年(期)は全員が卒業するというシステムです。先輩は必ず年上、同期は全員同じ年という、非常にシンプルでわかりやすく、ファンの方も「誰々は今年卒業だ」「誰々はあと何年だ」とはっきりわかるわけです。

何か問題を起こしたり、みずから見切りをつけて辞める場合は「退学」、あるいは「自主退学」、もしかすると単位が足りずに「卒業できない」人も出てくるかも知れませんが、それはそれでご愛敬ということで……(笑)

そんなアイドルグループ、いかがでしょう?

合う、合わない

たまたま視ていたテレビで、結婚について出演者が語っていました。その中で「どうやったら結婚相手と巡り会うのか」といった話になり、既婚の出演者が「どこか、自分と合うところがあると感じるものだ」みたいなことを言っていました。

ふーん、合うねぇ。

芸能人に限らないのでしょうが、なまじ大々的に報道されてしまうから目立つだけであって、芸能人にせよ一般人にせよ、結婚するときは、どんなカップルだってたいていは「この人しかいない!」と信じ切って決断していると思うのですよね。しかし、「永遠の愛」を誓ったはずなのに、誓ったはずの二人がいともあっさりと離婚してしまうのもまた事実、事例に事欠くことはありません。

だから「合う」という気持ちも、あてにならないものではないかと思いますが、それでも「合わない」人と結婚したり付き合ったりすることはないでしょうから(世間にはそういう人も多数いるのでしょうが、あくまで原則論としては)、やはりこの「合う」という感情は大事なのではないかと思います。

しかし、あたしにはその「合う」という気持ちが理解できません。生まれてこの方、同性だろうが異性だろうが、年上だろうが年下だろうが、あるいは同世代だろうが、他人に対して「この人とは合うな」と感じたことがないんです。

合うってどういうこと?

それが正直な気持ちですし、素朴な疑問です。その逆に、「この人とは合わないな」という気持ちはしょっちゅう抱きます。そういう人にはしょっちゅう出逢います。

「合わない」とまでは言わなくとも、「この人とは親しくはなれないな」と感じることもしばしばですし、何度か会ううちに多少は親しくなっても「友達にはなれないな」と感じることがほとんどです。少なくとも仕事上で出逢った人は仕事上の関係でしかなく、仕事を離れてまで親交が続くとは思えません。

もし「合う」人と出会ったらどんな気持ちになるのでしょう?