エアコン

エアコンの設定温度は28度に、なんて言われますが……

設定温度よりは、実際に室内が何度になっているかの方が肝心だし、合理的だと思うのですよね。外気がこれほど高くなると、室内をある程度活動しやすい温度に保つには設定温度が28度ではダメではないかと、そう思います。新幹線などがいい例です。東京から大阪まで、新横浜から名古屋まで1時間半ほど止まりませんので、車内はかなり冷えてきます。でも、それは山側、進行方向右側の座席の話で、海側、つまり進行方向左側の座席は、特にAの列などは晴れているとかなり暑いはずです。

で、わが家も、今日は初めてエアコンを使いました。

別にエアコンが嫌いだとか、我慢していたわけではなく、わが家のエアコンはもう10年以上も前の製品なので、電気代ばかり喰う、あまり使用を推奨できない機種なのです。

もう、今年は買い換えないとダメでしょうかね?

倉敷の誘拐事件とあたし

倉敷の女児誘拐監禁事件。

無事解決してよかったですね。このところ、誘拐された直後に殺されているというケースが多かったので、無事で保護されたというのはなによりです。

それにしてもこの犯人、父親はおらず、母親は施設に入っている独り身ということですが、うちも母が施設にでも入るようなことになれば、まるっきり一緒です。いえ、うちの母親は今のところピンピンしていますが、いつ、そういう施設のお世話になるかはわかりません。ですから、決して他人事とは思えません。あえて犯人とあたしの違いを言えば、犯人はかつて結婚したことがあるということです。その点では、犯人はあたしをはるかに上回っていると言えます。

犯人の部屋の中がアニメの美少女ポスターだらけだったという話が、ネットのアニメファンを怒らせているようですが、近所づきあいもしていない、定職にも就いていない、友達もいない、そういう文脈の中でアニメにのめり込んでいるということですから、「アニメ=悪」というのではなく、こういう犯罪を起こしそうな人の傾向として考えればよいのではないでしょうか。あたしだって、アニメの美少女にはほとんど興味はありませんが、乃木坂などのアイドルにはかなり入れ込んでいますので、この犯人とさほど変わりありません。あたしは、仕事こそしていて社会人を演じていますが、近所づきあいもなく、友達もいないというところは犯人と全く同じです。

また警察に対して、少女と「ずっと一緒にいたかった」と述べているそうですが、自分の好きな子とずっと一緒にいたいと思うのは当たり前の感覚でしょう。「自分の好みの女性に育てたかった」というのも、まさしく光源氏と若紫のエピソードを彷彿とさせますが、決して異常な考えだとは思えません。

しかし、警察に問われて、一緒に部屋にいた少女を「奥さんです」と言ったのはおかしいでしょう? ふつうなら「妻です」と答えるところではないでしょうか? それにしても、たぶんこの犯人は少女の父親よりも年上でしょう。それなのに、いけしゃあしゃあと「奥さん」だと答える図太さ。なかなかのものです。

それにしても、少女の心に傷が残らないことを祈るのみです。

女二人がトレンド?

映画だけでなく、ブルーレイ、DVDも売り上げが絶好調だという「アナと雪の女王」。

 

そもそも映画がまだ公開中だというのにブルーレイやDVDが発売になったりレンタルが開始されたりするというのは異常ですし、それがまた大人気だというのもこれまでになかったことです。

あたし自身は映画は観ていませんし、ブルーレイやDVDを買おうとも思いません。今後も観ることはないと思います。どうもディズニー映画って好きじゃないんですよね。あたしが天の邪鬼なせいもありますが。

ところで、この映画がこれほどヒットしたのは、ディズニー映画としては珍しく、いや初めてヒロインが二人というこの作品の特徴があると聞いたことがあります。これまでの作品がヒロインは一人だったのか否か、全く観ていないあたしにはわかりませんが、白雪姫とか眠れる森の美女とか、考えてみればヒロインは一人ですよね。ヒロインの敵役的な女性は登場すると思いますが、ダブル・ヒロインというのはなかったのかなと思います。

そういう意味では、やはりヒットしているドラマ「花子とアン」も、ストーリーがダブル・ヒロインではありませんが、タイトルはそれをイメージさせるものになっていますよね。やはり意識しているのでしょうか?

これが時代の流れなのかわかりませんが、三谷幸喜演出の舞台「紫式部ダイアリー」も紫式部と清少納言というダブル・ヒロインものでしょう。三谷幸喜がこのような時代の流れを敏感に感じ取って創り上げるのでしょう。

となると、宮木あや子さんの『砂子のなかより青き草』は清少納言がヒロインですが、続編としてこんどは紫式部をヒロインにして作品を作れば、併せてダブル・ヒロインの作品となり、大ヒットするのではないでしょうか?

救いがなさすぎる!

休日のお楽しみ、映画鑑賞です。今回は「アフターショック」です。

 

タイトルだけではよくわかりにくいですが、パニックホラーとでも呼ぶのでしょうか。モンスターとか、悪霊とか、殺人鬼とか、そういったものは出てきません。もちろん「悪魔払いもの」でもありません。

簡単にストーリーを紹介しますと、南米チリで女の子のナンパに明け暮れる男性三人が、アメリカから旅行に来た女性三人と知り合います。面白いイベントがあるからとクラブへ誘い、六人で会場へ向かったまではありがちなストーリー。ここで女の子たちは男に騙されていてことがわかり必死にそこから逃げようとする、というのであれば数多の映画の亜流であって、何の面白味もありません。

この映画はここからとんでもない方向へ向かいます。イベントを満喫していた六人ですが、そこに突如、大地震が襲います。建物が崩れるくらいですから、巨大地震と言ってよいでしょう。瓦礫の下敷きになって死者も多数出ています。主人公たちの一人も、他の人を助けようとして却って自分の片手を失うような大けが負います。それでも六人は何とか会場から表へ出ますが、外はパニック状態です。刑務所が被災したということで凶悪な囚人たちも街へ逃げ出し収拾の付かない混乱状態になっています。手首からの出血が止まらない主人公の一人は高台にある病院へ向かうケーブルカーに乗せてもらいますが、無理が祟ってケーブルが切れ、ケーブルカーごと中腹から地面にたたきつけられあえなく死亡。残った男子二人、女子三人は安全な場所を求めて街の中を歩き回りますが、脱走した囚人に見つかります。男だけならまだしも、女連れでは囚人たちから見たら絶好のエサでしかありません。五人は一生懸命逃げます。途中で余震に遭い、男子一人が瓦礫の下敷きになり瀕死の重傷。彼を助けるために惹起などの道具を借りに残る男子一人と女子一人がその場を離れます。下敷きになった男子一人を見守る女子二人。そこへ囚人たちがやってきます。

最初は隠れていたものの、女子の一人がこらえきれずに飛び出して囚人たちに見つかりレイプされます。それを助けようとした瓦礫の下敷きの男子は、なんと生きたまま焼き殺され、囚人たちはもう一人いるはずの女子を探しに散っていきます。そこへ消防士を連れて、道具を借りに行った二人が戻ってきます。レイプを続ける囚人の一人を殺し、女子を連れその場を離れようとしたときに囚人たちが戻ってきて、レイプされた女子が拳銃で撃たれ死亡。この時点で、最初の六人が、男性一人、女性二人(この二人は姉妹)の三人に減っています。それとここから合流した消防士。

この四人で逃げる途中、住民によって閉鎖された街の一角に行き当たり、自分たちは囚人ではないから中に入れて欲しいと頼みますが、疑心暗鬼の住民たちに断わられ、挙げ句の果て、男子一人が銃で撃たれ瀕死の重傷。途中、彼を隠して消防士と女子二人がさらに逃げますが、銃で撃たれた男子は持っていた携帯電話が鳴ったため、負ってきた囚人グループに見つかりあえなく撃ち殺されます。

残る三人は辛くも教会に逃げ込み、地下の抜け道に潜り込みます。教会に囚人たちが突入してきますが、ここでまたしても余震。どうやら教会が崩れ囚人たちは死んだ模様。地下道へ下りる梯子が外れ神父さんも落下して死亡。妹の方も落下しますが、辛くも一命は取り留めますが足に重症を負います。その時、消防士も脱走した囚人だったということが判明し、妹は消防士(ニセ)に殺されます。まだ地下道へ下りていなかった姉は、下でそんなことが起こっているとも知らず、けがを負った妹を心配してなんとか地下道へ下りてきますが、妹がいません。地下道を探すと妹の遺体が見つかります。ショックを受ける姉に消防士が襲いかかります。消防士との死闘を制し、彼を倒した姉が地下道から続く洞窟を抜けるとそこは海。チリですから、たぶん太平洋でしょう。

助かったと、ホッとしたのも束の間、沖の方から巨大な、壁のようにそそり立つ波が迫ってきます。慌てて海岸を離れようと走り出す姉。そこで映画は終わりです。地震の後、街の中を逃げ惑う主人公たちのバックで、公共放送で津波が来るので高いところへ逃げてくださいというアナウンスがしきりと流れていましたが、とうとう襲ってきたというわけです。たぶん、姉も波に飲まれ助からなかったでしょう。結局、主人公とおぼしき六人は全員死んだのです。と言いますか、主人公たちの何らかの関わりを持った人たちはすべて死んでいます。囚人にしろ消防士(ニセ)にしろ神父にしろ。たぶん生き残れたのは、彼らを入れてくれなかったある地区の住民たちだけでしょう。

そういう意味で、この映画は救いがないです。普通は主人公は、特にヒロインは助かるものです。それが結局は全員死んでしまうなんて、まるで希望がありません。そして、なによりも恐ろしいのは、地震でも津波でもありません。こういう状況に陥ったときの人間です。人間のエゴ、残忍さです。この映画が悪魔もモンスターも出てこないのに(人が殺されるシーンは多少グロいですが)、これだけ怖いのは、やはり人間の業を描いているからでしょうか?

とはいえ、この映画を見ると、東日本大震災といい、阪神・淡路大震災といい、日本は本当に素晴らしい国だと思います。もちろん多少の略奪的なことはあったでしょうし、小競り合いやケンカはあったと思いますが、ここまでの無秩序にはならないでしょう。もちろんチリで地震が起きたら、必ずこうなるというわけではないでしょうが、でも世界的にはこういう状況の方がむしろ普通で、日本の方が特殊だったのかもしれません。特にこの映画ではアメリカから遊びに来ていて主人公たちがスペイン語を解さないという、もう一つの不安要素も織り交ぜてあるところが秀逸なのではないでしょうか。

性格が悪いのはどっち?

宮木あや子『砂子のなかより青き草』読了。

今回は平安もの。清少納言と中宮定子の物語です。事実というか、史実についてはかなり脚色が入っていると思われますので、それを云々しても仕方ないでしょう。あくまで小説ですから。

ただ、個人的には善玉・清少納言、悪玉・紫式部という構図がしっくりこなかったです。歴史の授業で知る範囲では、性格が悪いのは清少納言の方であり、いわゆる知識をひけらかす高慢ちきな女というイメージで、紫式部の方がまだ性格はよかったと言われています。これが正しいのかどうか、それこそ先入観なのかもしれませんが……。

そういう意味では、本書は定子と少納言の友情というか絆を軸にしていて、才気煥発な清少納言というイメージは結びにくいです。むしろ、本来ならこの時期にはまだ出仕していないはずの紫式部の方が策士然としていて違和感を感じます。

本作では、宮木さんの特徴(とあたしが勝手に思っている)である切なさはやや抑え気味で、切なさをもっと強調するのであれば、道長の権力掌握過程をグロテスクに描写し、そんな男性社会の前で当時の女性にはなすすべもなく、抗うこともできず、ただただ堪え忍ぶしかなかった、という感じにした方がよりいっそう効果的だったのではないかと思います。また一条天皇と定子との愛情などももっと描かれてもよかったかなあ、と思いました。

それにしても、今年は秋に三谷幸喜が清少納言と紫式部を主人公にした舞台を演出しますが、本作を中心に据えつつ舞台がかかる時期に、「女のバトル」という視点でもよいし、「平安朝の女性たち」という視点でもよいし、「宮中の女性」という視点でもよいし、何か書店でフェアがやれそうな気がしますね。

ポイントサービス

アマゾンのポイント還元や無料配送などのサービスに反対して、いくつかの出版社がアマゾンへの書籍の提供をストップしたというニュースがありました。そして書店の側ではその出版社の書籍をあえて売ろうという「応援フェア」的なことも行なわれていると聞きました。そんな書店チェーンの一つが神奈川の有隣堂です。

で、書店営業で有隣堂のある店舗に行ったとき「日本出版者協議会」による「本のポイントサービスは読者、消費者にとって、本当に利益になるのでしょうか?」というチラシが置いてあったので、一部いただいてきました。

いくつかの論点はありますが、ポイントサービス、再販制、消費税などの課税問題などが扱われていて、それぞれが個別にもっと深く掘り下げられないとならない問題だろうなあと感じました。

あたしなど、「年末とか月末とか、デパートやショッピングモールは全館挙げてセールをやっているのに、書店だけが定価販売なんておかしいなあ」と単純に思いますし、感じます。「いや、出版は文化だから」という言説にも胡散臭さを感じます。書籍への低減税率が言われますが、学術書とコミックとを同じ土俵で考えてもよいのか、とも思います。もちろん、いまやコミックがクールジャパンを代表する文化コンテンツであるということは理解していますが、すべてのコミックがクールなのか……。それを言ったらすべての学術書が、街術と言えるだけの水準を持っているのか、という問題もあります。

少なくとも再販制は、そろそろ考え直さないといけないのではないかな、とは思います。時限再販も議論されているようですが、返品をどのくらい認めるのか、といった問題がありますし、これも多くの方面に影響を及ぼしそうです。

あたしはアメリカ的な資本主義に賛成するわけではありませんが、日本の出版界ももう少しだけ資本主義の荒波に揉まれた方がよいのではないかと思います。そして書店にしろ出版社にしろ淘汰され、今よりもっと数が減り、出版点数もグッと少なくなるべきだと思っています。たぶん、世界籍に見て、日本って人口や国土面積の割りに書店の数や出版物の刊行点数が多い国だと思います。いや、多すぎるのだと思います。もう少し少なくなって適正なところに落ち着けばよいのではないか、そんな風に思います。

 

未体験

梅雨は明けていませんが夏本番のような天気です。

このところ、書店を回っていると、仲良しの書店員さんから「こんど○○○へ行くんです」といった話を聞くことが多くなってきました。「ああ、夏なんだなあ」と感じます。

やはり、夏と言えば旅、なのでしょうか?

なかなか休みが取れない書店員さんに比べると、年に4回から5回は出張があるあたしは、あっちこっち旅行しているように思われがちですが、旅ではありません。あくまで出張です、仕事です。遊びに行っているわけではありません。

もちろん、あたしの出張はアリーナ・ツアーですし、行った先の書店では最高のパフォーマンスを披露できるよう万全の準備で臨みます。そんじょそこらの出張とは違います。

って、何が? という感じです。

ところで、書店員さんの「○○○へ行く」という場合はまさくし観光旅行なのでしょう。全国チェーンの書店でもない限り、研修旅行というのはあまり聞きませんから。家族旅行(子供が大きくなってしまいこれが最後の家族旅行、なんて話もたまに聞きます)の方もいるでしょうし、夫(妻)や恋人と出かける人もいるでしょうし、男同士、女同士で出かける方もいるでしょう。もちろん一人旅の人も。

他人のプライバシーを詮索するつもりはないので、どこへ誰と行こうと構いませんが、ふとわが身を省みた場合、あたしって、たぶんこの十数年、出張以外の旅行って行ってないなあ、ということに気づきました。じゃあ、十数年前はなんだったかと思い返してみると、家族(母と妹)といった中国旅行が最後だと思います。2007年ですから、10年はたっていませんね。すみません。記憶違いでした。ただ、それでも7年から8年くらいになりましょうか。

で、さらに思い返してみますと、あたしって家族旅行以外の旅行って、社会人になってからの出張を除くと、学生時代には合宿や修学旅行くらいしか行ったことがなく、いわゆる友達と旅行をするという経験がありません。もちろん一人旅もないです。

この歳になって、友人と旅行したことがないというのは珍しいでしょうか? だって友達がいないのだから仕方ありません。別に行きたいとも思いませんし。

言うまでもないことですが、生まれてこの方恋人がいたことがないので、恋人と旅行というのも未体験です。

Bluetooth

タイトルのBluetoothという言葉、聞いたことない人もいるかもしれません。スマホなどで周辺機器と無線でやりとりできる規格のことです。

これがなに? と言われそうですが、いま、Bluetooth対応のヘッドホンを買おうか、買うまいか、思案しているところです。事の発端は、iPodで使っているヘッドホンが壊れたためです。もう何個目でしょうか? 物理的には特に問題ないように見えるのですが、ケーブルの中で断線が起こっているようで、右あるいは左だけ聞こえなくなってしまうのです。確かに、カバンに仕舞うときにはiPodに巻き付けていますので、きつく折れたり、あるいはカバンの中で無理な力がかかっているのかもしれません。が、その症状はある日突然やってくるのです。

で、ケーブルが問題ならば、できるだけケーブルレスにしようということでBluetoothです。ただ、iPodはBluetooth対応ではないので(少なくともあたしの所持しているものは)、Bluetooth対応ヘッドホンはiPodでは使えません。となると、スマホで聞くことにすればよいわけですが、スマホのバッテリーはどうなのでしょう? 通勤電車の中を見回すと、スマホで音楽を聞いているとおぼしき人、増えましたね。それだけスマホのバッテリーが長持ちするようになったのでしょう。

あたしもそうしてみようかなと思案中です。ただ、そうなると、いまiPodに入っている音源をスマホに移さないとなりません。これがまた面倒です。特にネットからダウンロードした映像(MusicVideo)も結構あるので、それもうまいこと移せるのかどうか……

もうしばらく思案してみます。

リセット

Facebookの「友達」をすべて削除してみました。

特にSNSに疲れたとか、誹謗中傷されたとか、そういった理由ではありません。まったくもって「なんとなく」で、これといった理由はありません。ただ思うのは、相手はあたしが友達から削除したことに気づくのかな、ということです。

あたしが誰かを友達から削除したら、その誰かのタイムラインなどに「某某さんの友達から削除されました」といったメッセージが表示されるのでしょうか? それがあれば誰でも気づきますよね? そして中には「なんで?」と聞いてくる人も何人かはいるのではないかと思います(メッセージまで拒否していなければ送信は可能なはず)。でも、いまのところそういう気配はありません。だから、そういったメッセージが表示されることはないのでしょう、未確認ですが。

友達になったときは「某某さんが某某さんと友達になりました」という表示がタイムラインに出ますけど、友達でなくなった場合には出ないのでしょうね。となると、友達が数名しかいない人であれば気づくのかもしれませんが、数十人や百人単位でいる人であれば、友達が一人、二人消えていても気づかないままでしょう。合計人数が表示されるようになっていますが、それが減っていても誰が消えたのかなんて、すぐにはわからないのかもしれません。

「あれ、最近、簿某某さんの書き込みを見ないなあ」といったところから気づくのでしょうか?

というわけで、一昨日の晩にすべて削除してほぼ48時間たちましたが、メールもメッセージも、友達リクエストも一切ありません。SNSって、そんなものだろうな、という社会学の実験をしてみた気分です。あたしとしては特に困っていませんし、困らせてもいないと思うので、こちらから再び友達リクエストをするつもりはなく、しばらくは過ごしてみようと思います。

いや、たぶん友達0人という人も、このSNSの中にはたくさんいるでしょう。ちなみに、あたしはTwitterはやっていません。アカウントはありますが、Facebookの書き込みが自動で転載されるようにしているだけです。それでも、リツイートされたり、お気に入り登録されたり、ときにはフォローされたりしています。でも、あたしは一切誰もフォローしていません。Twitterの方に届いたものはすべて無視状態です。これもTwitterの使い方としては特殊なのでしょうか?

三度なんて贅沢は言わない

夏ドラマが始まりだしています。特にこれといって注目の作品はないのですが、とりあえずTBS系の「同窓生」を録画して視聴しました。稲森いずみはカワイイなあと思いますが、取り立てて好きな役者さんが出ているドラマではありません。アラフォーの級友が同窓会をきっかけに再会して、というシチュエーションに期待しての視聴です。

まずは同窓会ですが、実はあたしは出たことがありません。正確に言いますと、同窓会の案内が届いたことがありません。嫌われていたの(?)と言われれば、たぶんそうでしょう、と答えられるくらい、嫌われっぷりには自信があります。自慢することではありませんが……

以前にもこのダイアリーに書いたかもしれませんが、中学に入ると小学校のクラスメートとは付き合うことなく、高校に入ると中学のクラスメートとは付き合うことなく、大学に入ると高校のクラスメートとは付き合うことなく、という学生時代を送っていて、大学時代にわが家は一家揃って引っ越しをしたので、その時点で高校までのクラスメートとは完全に切れてしまったのです。彼らからすると、あたしは行方知れずになっているはずです。

大学時代の友人も卒業後はほぼまるっきりつきあいがありませんので、あたしの場合、いわゆる「地元の友人」とか、「学生時代の仲間」というものは存在しません。社会人になってからは、すべてが仕事上で知り合った人なので、はっきり言えば「友達がいない」ということです。

で、学生時代のクラスメートについて付言すれば、あたしはかなり以前からウェブサイトをやっているので、そしてFacebookなどもやっているので、たぶん検索すればあたしを発見することは難しくないと思うのですが、これまで約20年近い期間で、かつてのクラスメートから連絡が来たことは2、3回しかありません。この一事をもってしても、あたしが嫌われていたこと、誰からも関心を持たれていなかったことは自明だと思われます。

さてドラマに戻って同窓会です。

そんなわけですから、そもそもあたしが同窓会に出席するということが考えられません。たぶん、この先も二度とないと予想されます。あたしの辞書に「同窓会」という文字は存在しないのです。

となると、このドラマのようなシチュエーションは訪れることはありえません。万が一、どこからかあたしのメアドなり住所を調べて同窓会の案内が来たとしても、たぶん欠席で返事を出すでしょう。いや、返事も出さず放置しておくだろうと思います。そんなあたしがこのドラマを見て楽しめるのでしょうか?

当時も今も、友達と呼べる対象もなければ、もちろん恋人なんてのもいなかったあたしですから、焼けぼっくいに火が付いて、という事態は考えられません。それに、もし同窓会があったとして、いまだに結婚もしてないのなんて、あたしだけではないでしょうか? ドラマのように離婚して独り身に戻っている人はいるかもしれませんが……

ただ、あたしだってもし同窓会があったら再会したいなあと思う子の一人や二人はいます。でも、誰もが悩むところでしょうが、果たして意中のその子が同窓会に来るのか否かです。その子が参加しないのであれば、同窓会に行く意味はほぼありません。いまさら当時のクラスメートに会ったからといって(男女を問わず)つきあいが復活するとは思えませんし、復活させたいとも思いません。はっきり言って面倒です。同窓会に行くか行かないか、それはひとえにこの点にかかっています。

それにしても、このドラマのサブタイトルは「人は、三度、恋をする」です。一度目が初恋、二度目が結婚相手、そして中年にさしかかるころ人生の転機となる三度目の恋が訪れる、ということのようです。あたしみたいに人生で一度も恋人がいない人間には、三度なんて贅沢です。とりあえず一回恋愛をさせていただければそれで充分です。