スピノザの妬み

『来るべき民主主義』を読み始めました。

小平市の都道建設の是非はともかく、一小平市民としてこの本は読んでおくべきだろうと思ったのがきっかけです。もちろん、問題となっている雑木林、鷹の台の駅を出て、広い公園を抜けて津田塾大学へ向かう途中、その津田塾大学の向かいが雑木林ですので、何度も通ったことのある場所です。

さて、本書の初めの方で國分さんはスピノザの妬みについて注釈を付けていらっしゃいます。そこがちょっと気になったので取り上げてみたいと思います。別に國分さんの主張に文句を付けるとか、スピノザの解釈が間違っているだなんて大それたことを言おうというのではありません。

問題の注は第二章に付された14番目の注です。同書243ページで國分さんは

特別なことの利益を享受した人間は、特別な人間でいてくれないと困るのだ。もしその人間が自分と同じ立場の普通の人間ならば、自分と変わらないにもかかわらずその人だけ特別なことの利益を享受して「ずるい」と感じざるをえないからである。そう感じた時に人は、その「ずるい」人間を引きずり下ろそうとする。

と書いています。この文章に間違いはないのですが、あたしはちょっと違います。少なくとも、そんなとき、あたしならこう思います。

つまり、妬んだりしないし、引きずり下ろそうとも思わない。ただ、自分と同じ立場の普通の人が特別なことの利益を享受しているのを見たら、自分はそんな普通の人以下なんだ、普通ですらないんだ、と自分を卑下するようになると思います。もう「ずるい」なんて思って妬む元気も気力も喪失している感じです。

あたしに限らず、昨今の日本の若者って、こんな感じではないでしょうか?

クリスマスの悲惨な想い出

このところテレビのバラエティー番組などでは芸能人のクリスマスの思い出話などを聞く機会が増えています。アイドルや俳優、女優になると恋人との甘い思い出話になることも多いですが、これがお笑い芸人になると哀しい思い出を期待されているのか、たいていはそんな話に終始しているようです。まあ、番組上は美男美女の羨ましい話よりも、笑えるような悲惨な話を好むわけですから、こちらもそういった話、時には再現ドラマなどを視て笑っています。

が、ふと、気づいたのです。

あたしの場合、人が羨むような話はもちろんありませんが、人を笑わせるような悲惨な思い出話もないということを。

そもそもクリスマスの想い出というのがありません。あたしはキリシタンではありませんから、子供のころから、いわゆるクリスマスの行事といったものは、せいぜいのところ親にプレゼントを買ってもらう、ケーキを食べるくらいしかありませんでしたし、子供のころの話であれば、これは至ってフツーのことだと思います。

高校生くらいになれば恋人もできて一緒に過ごすなんていうこともありそうですが、そういったことはついぞなく、それは大学時代も、大学院時代も、そして社会人になった今に至るまで継続しております。別に恋人と過ごさなくても仲の良い友達とホームパーティーとか、美味しいものを食べに行くことはないの、と聞かれても、そういう友達というものがいませんので、それもありません。

つまるところ、クリスマスに限らず、恋愛話、失恋話や友人との思い出話全般、あたしの場合、人生においてほぼ皆無だということに思い至りました。それがおかしいとか、寂しいとか、そんな風には考えませんが、テレビで芸能人がこの手の話で盛り上がっているのを見ると、「もし自分が芸能人だったとして、こういう番組にゲストとして呼ばれても、話すことが本当にないなあ」と思うくらいです。つまり、自分はトーク番組、バラエティ番組には向かないんだなあということを自覚するだけです。ですが、次の瞬間、でも自分は芸能人じゃないから、という至極もっともな結論というか現実を思い起こすわけです。

そして、今年もなんということもなく、クリスマスは過ぎていくのでしょう。365日のうちの、とある一日として。

人身事故初体験

本日は休暇を取りました。先月の休日出勤の代休をずーっと取れないでいたので、ようやくです。

で、寒風吹きすさぶ中、母と亡父の墓参りに行って参りました。墓参り自体は毎年行っているところなので別に珍しくもないです。墓は、と言いますか菩提寺は都心の方にあるので行くのに不便はありません。よい天気、絶好の墓参日和と思って家を出たものの、こんなに風が冷たいとは思いませんでした。

墓参りは午前中に済ませ、帰路、渋谷から井の頭線で吉祥寺に向かいました。吉祥寺から中央線に乗り換えて、というルートです。渋谷駅ではちょうど急行が来たところだったので、それに乗り込みました。平日の午前中ということで、渋谷から吉祥寺へ向かう車両は比較的空いています。吉祥寺で降りることを考え、母とあたしは一番前の車両のシートに座ることができました。

井の頭線の急行は渋谷を出ると下北沢、明大前、永福町、久我山と停車し吉祥寺着です。永福町を出て順調に久我山へ向かっていました。かつて、大学四年生のころまで住んでいた高井戸にさしかかり、懐かしいなあと思っていた矢先、高井戸駅を通過する時に運転手さんがやたらと警笛を鳴らすのです。ホームの端を歩いている人でもいたのだろうと思っていました。

が、次の刹那、ドンという鈍い音と共に、断続的なドン、ドン、ドンという数回の衝撃と音、そして急ブレーキ。一番前、運転席のすぐ後ろで進行方向を見ていた乗客数人の悲鳴。

そうです。あたしたちの乗っていた電車に、高井戸駅のホームから人が飛び込んできたのです。

人身事故で電車が止まるなんていうのは東京にいれば日常茶飯事の体験です。でも、自分の乗っていた電車がその当事者、否、当事車になったことは初めての体験でした。それも当たった車両に乗り合わせ、その衝撃まで感じることになるとは……

その瞬間を見てしまった女性はショックで泣いてしまいました。シートに座っていた女子高生は窓の外を何かが飛んでいったのを目撃したようです。飛び込んだ人は、あたしが乗る先頭車両よりも遙か後方の線路上に倒れているのでしょうか? こういった状況の把握は一番前の車両に乗っていて、その衝撃を体験したからこそ理解できるのですが、たぶん二両目以降の車両に乗っていた人には急ブレーキがかかったことしかわかっていなかったのではないでしょうか?

じきに車掌からの車内アナウンスが入りました。事故直後、急停車した時には騒然としていた車内もアナウンスが流れるころにはやや落ち着きを取り戻し、手にしたケータイやスマホで連絡を取っている人だらけになりました。時間が時間ですから、仕事で取引先へ向かっていた人も多かったのではないでしょうか? それにしても、メールで済ませる人はまだよいとして、おばさんというのはどうしてああでかい声でケータイに向かってしゃべるのでしょう? きっとスピーカーが自分の耳に正しく当たっていないので自分が聞き取りづらいので、ついつい大声になってしまうのだと思いますが、あのような車内ではやはり迷惑に感じます。意外とビジネスマンや若者は声を潜めて話をする人が多いものです。こんな突発的な事故が起こったわけですから車内でケータイを使うのは、通話も含めてやむを得ないと思いますが、おばさんの使い方は勘弁して欲しいものです。

さて、人身事故は11時すぎに起きました。いつになったら動くのだろうと思い続けて数十分。少し車両をバックさせ高井戸駅のホームに付けてくれれば高井戸で降りてバスにでも乗り換えるのですが、ホームのないところで停まっていますし、バックしようにもたぶん飛び込んだ人が倒れていたり、警察の現場検証が行なわれているでしょう。第一、ぶつかった衝撃で電車その者が運行できる状態なのか、保安要員が来ていろいろチェックをしています。それが終わらない限り前にも後ろにも進めないのでしょう。

運転席がすぐそばにあるので、乗務員の無線連絡の音声が耳に入ります。乱れたダイヤをどう建て直すか、頻々と連絡が入っています。渋谷と永福町、富士見ヶ丘と吉祥寺の間でそれぞれ折り返し運転になったようですが、肝心のあたしたちがいつ動けるのかはわかりません。

40分くらいたって、ようやく動き出しましたが、徐行運転のまま次の富士見ヶ丘で運行終了。隣のホームに停車している吉祥寺行きに乗り換えて吉祥寺までたどり着きました。事故を起こした車両はそのまま車庫に回送され、再度チェックが行なわれるのでしょう。長かったような短かったような……

それにしても、人が当たった衝撃というのは案外小さいものですね。そりゃ、ドンという鈍い衝撃はありましたけど、人がぶつかったにしては「あんなものか」という感じでした。ふだん車を運転していてちょっとした小石を踏んだだけでもタイヤを通してそれがわかりますから、人間のような大きさのものがぶつかったら、それこそもっと大きな衝撃になるのではないかと思うのですが、意外と小さかったと感じました。

あたし自身は飛び込む瞬間もその後も何一つ目撃していませんが、もし飛び込んだ人が車両の下に入ってしまい、そこに電車が乗り上げて脱線していたらと思うと、ちょっと怖いですね。

今日はそんな一日でした。

今年一年を振り返る?

週末に勤務先の忘年会が行なわれたので、いよいよ今年も終わりという感じがします。今年一年を振り返って、という企画はこの時期のテレビや雑誌、新聞などでも頻繁に目にしますし、個人のブログ、Facebookなどにも書かれています。

翻って自分はと言いますと、昔から一年を振り返るなんてことはしませんし、来年(新年)の抱負というものも考えたりしません。この一年も特に変わりなく過ぎていったし、新しい一年も変わることなく過ぎていくのだろうなあ、ということくらいしか考えません。目標など立てても、どうせなるようにしかならないのだから、立てるだけ無駄、面倒、というのが偽らざる気持ちで、目標を立てないわけですから一年を終えるに当たっての反省もありません。

とはいえ、「今年もあと少しで終わるのか」といった、人並みの感想くらいは持ちます。それでも、毎年大晦日も9時頃には寝て、元旦も6時頃には起きているという、ただの休日のような過ごし方をここ数年、否、十数年続けているので、年末年始の休みも「ちょっと長めのお休み」という程度にしか考えておりません。お節らしきものは母親が作りますが、新年だからといってどこかへ挨拶回りに行くとか、親戚で集まるということもなく、自堕落に自宅で過ごすことがほとんどです。もちろん初詣にも行きません。

考えてみますと、あたしって生まれてこの方初詣って、子供のころに家族で明治神宮へ行ったことが一度あるだけの記憶しかありません。それ以外、あたしの人生においては一切、初詣というものに行ったことはないです。テレビのニュースを見ていたり、ドラマなどを見ていると、大晦日に仲の良い友達で集まって夜通し騒いでそのまま初詣へ、といったシーンがしばしばありますが、そういったことも空前絶後、何を好きこのんで寒い中、出かけなければならないのでしょう? それに夜は寝る時間だし。

ということで忘年かは終わりましたが、特に忘れたいこと、水に流したいこともなく、わが身に起こったことはすべて自分の責任として引き受けなければという覚悟だけはいつでも持っているつもりです。自分を高めるために努力をしようとも思いませんので、取り立てて後悔もなければ満足感もない一年でした。

AKBよりは乃木坂!

本日は12月14日。赤穂浪士の討ち入りの日です。とはいえ、当時は旧暦ですから、実際にはもう少し後、年が明けてからになるわけで、雪の日の討ち入りも、それなら東京でもありえるか、という感じでしょう。

それにしても、WOWOWなどの有料放送ではさすがに往年の忠臣蔵映画を何本か放送していますが、地上波では全然放送されませんね。かつて、あたしが子供のころは、この時季には必ずといってよいほど忠臣蔵が放送されていたような気がします。この時季に併せて新たに作られたドラマもあれば、昔の映画をテレビで放送している場合もありましたが、とにかく14日当日やその前後の週末などには、そのような放送が決まり事のように放送されていたと記憶しています。が、この数年、めっきりそういう機会も減ってしまいましたね。ただ、今年はハリウッド映画の「47RONIN」があるので、多少は話題になっているのでしょうか?

ところで、この四十七士という数字を見ていて、秋元康が計算尽くでやったのかどうかわかりませんが、いみじくもAKBの「48」と乃木坂の「46」の間の数字になっているのですよね。なんか因縁めいたものを感じます。どういう因縁なのかはあたしにもよくわかりませんが……(汗)。

そのAKBと乃木坂ですが、あたしはAKBも好きですが、どちらかと言われたら乃木坂の方が好きです。なんと言っても、ビジュアル的には乃木坂の方が遙かに上だと思います。人の美醜の好みは個人差がありますが、それを抜いたとしても、乃木坂の方が平均値が遙かに高いと思います。

と、赤穂浪士討ち入りの日にアイドルのことを考えているようでは、テレビで忠臣蔵がやっていないと文句を言えた義理ではありませんね。

人生だって?

往復の電車の中や書店回りの移動の時間に読んでいるUブックスの新刊『第三の警官』は、いわゆるSFというジャンルに入るのでしょうか? 奇想天外なストーリーです。

そんな作品中から、主人公が出会った盗人のことばが面白いのでご紹介します。主人公から人生について問われ、「ない方がましだ」と言いきった後のセリフです。

人生なんてものは腹の足しにはならないし、喉の渇きをいやしてくれるわけでもない。そいつをパイプにつめて一服できるといったものでもないし、雨露をしのぐ野に役立つわけでもない。一夜黒ビールを飲みあかし、激情に身を震わせながら丸裸にした人生ってやつをベッドに引きずりこんでみても、何のことはない一抱えの闇がわびしくそこにあるばかりなのだ。人生なんてものは大いなる錯誤にほかならず、それなしで済ませた方がいっそせいせいする代物だ。そう、軋むベッドとか外国産ベーコンなどと正に同類なのだ。(P.70)

こうは言っても、この盗人、それなりに人生を楽しんでいるように感じられるのですが、ここまで達観しているからこそ楽しめているのでしょうか?

ある悪魔の独白

寝しなに『不浄の血』を読んでいます。その中の一つ「鏡(ある悪魔の独白)」の中に気に入った文がありましたので……

おれさまの掟によれば、罪こそが善行で、悪口はおれの祈り、頑固さはおれのパン、あつかましさはおれの葡萄酒、偉ぶることはおれの骨の髄。おれにできることは、ぺちゃくちゃやることと、にやにやすることのふたつだけ。(P.99)

さすが悪魔、というセリフです。

この『不浄の血』は、短編集ですが、どれもリズムがよくて読みやすいです。ただ寝床で読んでいるとじきに眠くなってしまうので、まだ半分くらいしか読み終えていませんが……

路線図

書店の店頭ではカレンダー、手帳、日記のフェアが花盛りです。

スマホがこれだけ売れているのに手帳の売り上げも伸びているそうです。PCが普及してペーパーレスになるどころか、かえって企業のコピー用紙消費が増えているのと同じ構図なのかもしれません。

手帳はともかく、ここで気になるのはカレンダーです。海外では日本のようにこの時季になると無料のカレンダーがあちこちで配布されるという習慣がないそうなので、趣向を凝らした輸入カレンダーが書店店頭でも数多く並んでいます。やはりきれいですし、独特のデザインのものもありますね。ただ、日本の祝日には対応していないものがほとんどなので、見て楽しむにはよいですが、実用という点ではどうなのでしょうか? 休みの日に出社してしまったりして?

さて、そんなカレンダーですが、先週関西へ出張に行き、関西の書店店頭を見ていて気づきました。関西には鉄道路線図のカレンダーって売っていないということを。

いえ、きちんと調べたわけではありませんし、店員の方に尋ねたわけではないのですが、東京だと首都圏鉄道路線図カレンダーといった商品がありあす。たいていは一枚モノの壁に貼るタイプですが、メトロも地下鉄のカレンダーを出していますし、東京ではそれなりに需要もあるのではないでしょうか?

  

しかし、関西では監査意見鉄道路線図カレンダーといったものをついぞ見かけませんでした。

東京の方が鉄道網が複雑だから? 確かにそういう面はあるかと思いますが、関西だって十分に複雑だと思います。それに、この手のカレンダーは上京してきた人、単身赴任などで越してきた人が購入して、できるだけ迷わないようにしよう、という考えから買うというよりは、鉄道オタク的な人が購入者のメインなのではないかと思うのです。だとすれば、関西や名古屋圏のこういった路線図カレンダーがあってもよいのではと思うのですが……

寡聞にして東京(首都圏)以外は知らないので、今後も探索してみたいと思います。

 

圓徳院へ

建仁寺、まだ続きます。今しばらくお付き合いください(汗)。

この写真は清涼軒です。門からの眺めが枯れた味わいでとてもよかったです。

庭から再び方丈の方へ戻り、上の写真は「○△□乃庭」です。手前の白砂に線が入っているように見えますがそこで三角を、中程の植え込み根元の苔で丸を、一番奥の井戸で四角を、それぞれ表わしています。

内部の拝観を終え外へ出て法堂を撮りました。下の写真は、その屋根を見上げたものです。

建仁寺を出て、次に向かったのは圓徳院です。北政所ねね、ゆかりのお寺です。それほど広いお寺ではありませんが、小ぶりながら、趣のある素敵なところでした。

建仁寺よりは紅葉がきれいでした。うまく角度を選んで撮れば、上のような写真になります。

上の写真は、写真ではうまくい再現できていませんが、屋根に苔むす緑色と、風に揺れる枝の紅葉の赤色のコントラストが美しくて撮ったものです。が、デジカメではこの程度です(涙)。

建仁寺よりは紅葉がきれいと書きましたが、こちらも絶景と言えるほどの紅葉にはなっておらず、きれいな紅葉を撮ろうと思うと、ある程度角度を選ばないと撮れません。上記の写真はまあまあかと思いますが、この右側の木々はもっと茶色くてとても撮る気にはなりませんでした。

圓徳院ではお抹茶をいただきました。簡略な作法でのお点前でしたが、仕事を忘れての一服、しばし俗世間を忘れることができました。上の写真はその時のお茶請け。金箔を散らした上品な甘さの金鍔でした。

上が、圓徳院の北側出口から見たお庭の全景です。ご覧のように、紅葉はイマイチでした。来週末あたりが見頃でしょうか? 気温が高めの日々から急に寒くなったので、今年は色づきが悪いということです。また京都の北の方は既に見頃を迎えているとも聞きました。市内はこれからなのでしょう。

お昼は円山公園内にあるいもぼう平野家本家でいただきました。「いもぼう」って何? というのが、あたしの行く前の浅薄な知識でした。詳しくはいもぼうのウェブサイトをご覧いただくとして、料理は決して目を奪われるとか、豪華というものではありませんが、それだけに工夫を凝らした京都の人びとの味という感じが非常に伝わってきました。そして思いのほか満腹になります。

以上、こんな京都旅行でした。

建仁寺にて

木金と京都出張でした。京都新聞さんの教養図書企画の市場視察旅行と言うことで、あたしは今年で4回目か5回目、いや、もしかするともっと参加しているかもしれません。秋の京都を堪能できる、端から見たら羨ましいと思われそうな出張であります(汗)。

毎回、一日目の晩には教養図書企画に参加している書店の方、取次会社の方を交えての懇親会が開かれます。会場は、とても個人では行けなさそうなお店。お店と言うよりは料亭と呼んだ方がふさわしい時もしばしばで、今回は八坂神社鳥居内にある中村楼でした。

上の写真が、食事をいただいた座敷の外の庭の様子で、ライトアップされて、とてもきれいでした。月も出ていましたが、角度的に一緒に写すことはできませんでした。残念。

初日は上述のように、この企画参加書店を実際に臨店見学するのがメインですが、二日目は京都の市内観光がメインです。「それが出張なのか? 仕事なのか?」と責められたら返す言葉に苦労しますが、ただ、こうも思うのです。せっかく東京から来ているのに、その土地のよいところを見ないでいるのももったいないものだと。

ここで言う「よいところ」とは、名所旧跡もそうですし、祭りなどの祭事もそうです。出張の時は混雑を考慮して、あえてご当地の大きな祭りの時期を避けて訪問しますが、書店の方からは「一度くらい見てみなよ」とか、「あそこは行ってみた?」といった話を振られることが多いので、やはり円満な関係を築く上でも、そういったその土地独特のものを見ておくべきだなあと思うのです。

で、今回の二日目の参観は、まずは建仁寺です。

ご覧のように、天気は上々で、絶好の行楽日和でした。

建仁寺と言えば風神・雷神なのでしょう。本物は確か京博にあるはずで、これは精巧なレプリカ。ですから、写真は取り放題です(笑)。下の瓦の写真は「建仁」とあったのが面白いなあと感じたので撮りました。

下の写真は方丈裏のお庭と納骨堂です。まだ紅葉と言うほどの色づきではありませんでしたが、素敵なお庭でした。

下は方丈前の庭の写真です。

法堂の天井画は平成14年に描かれたものだそうです。巨大な龍が迫ってきます。

その法堂内部に安置されている仏です。それほど大きなものではなく、法堂の大きさに比べると地味な印象を受けました。

もう一枚、角度を変えて天井画です。

下の写真は法堂の正面から見た方丈です。

下の写真はお庭、潮音庭です。

そして、下の写真は方丈の脇の部屋の障壁画です。