文庫になっちゃった!

こんな本が書店の店頭で目立ちます。

『愛する伴侶を失って 加賀乙彦と津村節子の対話』です。本書の隣には、『加賀乙彦 自伝』が並んでいることが多い気もします。

でも個人的には『紅梅』を並べてもらいたいところですが、この本、少し前に文庫になってしまったんですよね。やはりどこの書店も単行本と文庫本を並べるのはあまりやりたがらないようですね。もちろん単行本もまだ在庫はあるでしょうから並べられないことはないと思うのですが、難しいようですね。

 

値段が違いすぎますよね。それにしても、単行本の刊行から文庫化までちょうど2年ですね。

関西ならでは?

『恋都の狐さん』読了。

本書を知ったのは先日の関西出張の折でした。自分の勤務先がもっぱら海外文学ばかりで、ほとんど日本文学を敢行していないので、ふだんの営業でも海外文学の棚は目にしていますが、日本文学の棚はそれほど注意深く見ることはありません。が、出張に出た時に、担当の人を待っていたりする時、何気なく日本文学の棚も見ることがありまして、これは東京にいる時もそうなのですが、この本に限って言えば、「こんな本、見たことないなあ」という感じで目に飛び込んできたのです。

帯に書いてある梗概を読めば納得です。この本はまずは奈良を中心とした関西で売れるだろうなあという気がしました。なにせ舞台は奈良。主人公の女子大生が、人生初の恋に目覚めるというストーリーなわけですから。関西のとある書店さんで、熱の籠もったポップ付きでこの本が平積みされていたのです。

で、既に本書は発売から少し時間がたっていまして、既に第二弾と言いますか続編と言いますか、『美都で恋めぐり』という作品も刊行されています。こちらはこれから読む予定ですが、どちらも、装丁があたし好みです。

とりあえず第一弾の方ですが、人物の心理描写が途中から駆け足になるというか、恋に目覚めると「暴走機関車」と化すのか、ややドタバタして慌ただしく、急ぎ足になってしまい残念なのですが、世間を見るとなにかにつけて羨ましく感じられ、どんなカップルにも嫉妬の炎を燃やしてしまう情けない主人公には、前半はものすごく感情移入が出来ました。

ただ、そんなことより本書を読むと、改めて奈良の街をゆっくり歩いてみたいなあという気分にさせてくれます。観光客が多すぎる京都ではなく、奈良を敢えて歩きたくなる、そんな本です。神社仏閣の行事に関する蘊蓄がうまい具合に織り込まれている割りに、街の雰囲気の描写が少ないのが玉に瑕だと思いますが、それでも奈良を見直すきっかけにはなりそうです。

 

 

そして嵐がやってきた

静岡に住む妹家族がやってきました。約一週間半の滞在です。ちびっ子三人の世話をしないとなりません。子供は好きですが、やはり普段やっていないことなので疲れるでしょうね。

相変わらず、あんた誰?

昨夕の梓会の親睦会。

もう何回目かの参加ですので、顔見知りの人もずいぶんと増えました。それでも「ご無沙汰です」と挨拶されても誰だったか全く思い出せない人がほとんどという体たらく。胸に名札を付けていたので、名前を確認すると「ああ、確か某某の会の時にご一緒しましたね」と言う程度には思い出せたりするのですが、名前を見ても思い出せない方も何人か……

それにしても、遠くで見かけたということをカウントしなければ、お互いに顔を合わせた回数というのは同じはずです。それなのに、こちらは覚えていないのに、向こうはあたしのことを覚えている。人間としての認識能力に超えられない差があるのでしょうか?

あたしが逢った人のことを覚えないというのは、偉そうに言えることではありませんし、もちろん偉そうに言うつもりは毛頭なく、あくまで事実の正確な記述としてここに書いているわけですが、とにかくこのことはあたしの周囲では有名な話です。平均すると3回か4回は逢わないと覚えられません。

逆に、相手はあたしのことを覚えているんですよね。あたしの記憶では一回しか逢ったことのない人でも、なぜかあたしをしっかり覚えていてくれたりします。営業職としてそれはかけがえのないアドバンテージであるとは同僚にも先輩にも他社の人にも言われますが、こちらが相手を覚えていないわけですからたちが悪いです。

それにしても、なんで皆さん、あんなに相手のことを覚えているのでしょう。もちろん、営業先の書店でこういう話になると、「自分も覚えるの苦手で、何度も来てくれる出版社の人をなかなか覚えられないんです」という方も多々いらっしゃいます。うん、あたしだけではないんだ、と勇気をもらいます。ただ、その逆に、本当に一回逢っただけなのにしっかり相手を覚えている、まさしく営業の鑑のような人も存在するのも事実で、ドラマでホテルや旅館のスタッフが顧客の顔と名前を数百人から数千人覚えているなんて設定になっていることがありますが、まさしくそれを地でいくようなすごい人がいるのも事実です。

あたしなりに、相手のことを覚えられない理由の一端は自覚しています。それは、他人に対する興味です。別に自分が大好き、自分にしか関心がないというわけではなく、ただ単に他人に興味を持っていない、他人が好きではない、という基本的な姿勢によるものです。特に業界の集まりのような場ですと、この場でしか逢うことはない、今後も仕事上で関わることはほぼないだろうという判断が働くと、相手に対する興味はほぼゼロになってしまいます。もちろん、そんな態度を露骨に出すことはしませんが、時には「二度と逢うことはないんだろうなあ」と心の中で思いながら会話をしていることも多いです。

一期一会、という言葉があります。多くの人が座右の銘にあげたりする言葉です。茶道の言葉ですよね。一つ一つの出会いを大切にする、というような意味です。でも、あたしの場合この言葉は、今回きりの出逢いだから、その場だけ適当にやり過ごせばいいや、という意味で、むしろ金輪際に近いニュアンスでとらえてしまいます。

他人に興味がないから、友人も恋人もいないわけですが、そんなあたしでも、知っている人に似た人だったりすると比較的すぐに覚えたりは出来ます。似ていると言っても、それはあたしが似ていると感じているだけで、並べてみたら全然似ていない場合も多いでしょうが、あたし的には似ていると感じる、それで十分なわけです。あとは、男性でも女性でも好みのタイプなら、やはり覚えやすいでしょうか。このあたりは世間一般の人とあまり変わらないのではないでしょうか?

ところで、よく趣味に「人間観察」なんて言っている人がいますけど、それって何が楽しいのか、と思います。人間なんて観察すればするほど嫌なところしか見えてこないものではないでしょうか?

 

深爪

この一ヶ月、出張などいろいろあって、回るべき書店に顔を出せていなかったものですから、本日久しぶりに営業に行きました。

あら、ナンシー、久しぶり!

と顔では笑いつつも、「あんた、最近ご無沙汰じゃない」と、心の中では場末のスナックのママよろしく毒づかれていたのではないかと戦々恐々でした。

ただ、あたしの方では、実は人差し指を深爪していまして、それがジンジン痛むので、時々意識が爪の方へ向かってしまうこともあって大変でした。

一昨日の晩の風呂上がりに、伸びているなあと気づいたので切ったのです。昨日は特に大過なく過ごしたのに今朝から一本だけ切りすぎてしまったようで、とても痛いです。

ちなみに、爪が光っているのはマニキュアと塗っているからです。乙女の身だしなみです。

ところで、あたしって手が大きいでしょうか? たぶん清朝の割りには大きい方だと思いますし、まず背丈が同じくらいの人と比べたら、あたしより手の大きい人ってほぼいないと思います。

特に、手がでかいだけでなく、指が長いとも言われます。だからといって、ピアノが得意だということもなければ、バスケットボールを片手で持てるということもなく、もちろんフォークボールがよく落ちる、ということもありません。

特に人並み外れて長いのは小指です。普通の人の中指くらいはあります。試しにiPod Classicと比べてみるとご覧の通りです。

順番に伝わったわけでは……

最近のニュースの中で個人的に気になったのは、北朝鮮のケソン工業団地のニュースです。

とりあえず、ケソンと書きましたが、ニュースでは「開城」と表記されていることが多いですよね。つまり「開城」の朝鮮語読みが「ケソン」なんでしょう。とすると、「開」が「ケ」で、「城」が「ソン」ですかね?

さて、漢字は中国発祥で、朝鮮半島から日本へ伝わったものと考えられています。当然、文字だけでなく、その発音もそのように伝わってきたものだと思われます。だとすると、伝わった当時の中国での発音に最も近いのが朝鮮での発音、そこから伝わった日本の発音は原音からは離れてしまっている、と考えるのが妥当だと思われます。つまりは伝言ゲームの要領です。伝えられるうちに、だんだんと変容していくということです。

ところが、現在の発音で比較すると、「開城」は中国語では「カイチョン」、日本語なら「カイジョウ」です。現在の発音で比較するのは学術的ではないかもしれませんが、「ケソン」も現在の発音ですから、開き直ってこの三者を比べると、中国の発音と日本の発音の方が近く、朝鮮の発音の方が遠い、という印象を持つのはあたしだけではないと思います。

もちろん、日本への漢字の伝来は必ずしも朝鮮を経由失せず、東シナ海を渡って直接もたらされたことも多々あったでしょうが、伝播全体を100とすれば、90くらいは朝鮮半島経由だと思うのですが、どうでしょう?

そういう点から考えると、この「開城」の発音の伝播と、その後の各国での変化は実に興味深い現象だなあと、ニュースを見ながら、聞きながら思うのでした。

まだまだド素人?

今期のドラマは意外と視聴率がよいということでしたが、第2回目で大幅に視聴率を落としたものもあるようで……

あたしの場合、気に入ったタレントが出ている、といった単純な理由でドラマを視聴するので、世間的には視聴率の低いものばかり見ていたりすることが多々あります。自分が楽しく見られればそれでいいじゃないか、というのがモットー、というかポリシーです。

で、今期視聴しているドラマは「ショムニ2013」「ぴんとこな」「DOCTORS2 最強の名医」「なるようになるさ。」「斉藤さん2」といったところです。

「ショムニ」はかつてのショムニを見ていないので今回のバージョンが面白いのかどうか、何とも言えません。ありがちなストーリーで、新鮮味は感じません。社員を辞めさせようとショムニ送りにしたのに、意外と蛍光灯の交換など仕事があるというのが、そもそも不思議。(ちなみに、あたしの勤務先は蛍光灯の交換は自分でやります。) 江角マキコの啖呵にいまひとつ爽快感を感じないのはあたしだけでしょうか?

「DOCTORS」は前シリーズも見ていたので楽しめます。高嶋政伸がハマってます。ほとんど地ではないかと思うような演技です。あたしの好きな若手女優、藤原令子ちゃんが新人ナース役で出ているのも視聴ポイントです。前シリーズでは沢村一樹はもっと影があって、善悪併せ持つような感じがありましたが、今回は完全にヒーローなんですかね?

「なるようになるさ」は浅野温子がうるさすぎません? あんなオーナーではレストランの前途も……。ただ、浅野温子の演技よりもセリフの一つ一つにリアルさを感じないのが致命的かもしれません。でもまあ、こういった橋田流ホームドラマは予定調和的に進ので、それなりには視聴率が取れるのでしょうね。

「齋藤さん」も前シリーズを見ていたわけではないのです。ただ今シリーズは桐谷さんが出ています。これは見ないわけにはいきません。どんな役で出ているのかと期待して見始めたら、なんと小学生の子持ち役! それも回りの年上お母さんの顔色をうかがいながら、ビクビク、オドオドと、これまでの桐谷さんの役柄とはずいぶん違うなあと思いますが、これはこれで助けてあげたくなる感じがして、あたし的にはOKです。なんと言ってもあの細さ!、桐谷さんの華奢さ加減、たまりませんです。

で、最後に回した「ぴんとこな」ですが、あたしも歌舞伎は好きで、時に見に行くことがありますので、それなりに楽しみにしておりました。第一回を見た限り、まだまだ主役二人の演技は歌舞伎役者ではないですね。学芸会で歌舞伎をやった素人の域を出ていません。よくあれで監督がOKを出したものだと思います。まあ、これから歌舞伎に目覚める若者の物語なので、回を追うごとに上達していくのが見られれば嬉しいのですが。とにかく、このドラマは変にジャニタレのドラマにせず、きちんと歌舞伎に興味を持っている多くの人が楽しめる、満足するようなドラマを狙って欲しいところです。

 

 

GREEN

自宅でPCに向かって作業をしている時は、少し前に届いていた沢田聖子ちゃんのセルフカバー・アルバム「GREEN」をよく聴いています。これまでに発表した、沢田聖子ちゃん自身が作詞作曲した作品のセルフカバー集です。予定では、あと2枚ほど出るそうです。第一弾となる今回は比較的初期のものを中心にセレクトされています。

まずは、なんと言っても懐かしいです。沢田聖子を聴き始めたのは、あたしが中学生のころで、中学・高校という多感な(?)時期によく聴いた曲ばかりがセレクトされています。ただ、上にも書いたように彼女自身が作詞作曲した作品のみなので、代表曲とも言える「シオン」や「キャンパス・スケッチ」「星空のメッセージ」といった初期の名曲は収録されていません。昔からの沢田聖子ファンとしては、今の声、今の歌い方、今のアレンジで当時の曲を聴くのは楽しくもありますので、これら代表曲が収録されていないのはやや残念ではありますが、それでもほぼすべて知っている曲、よく聴いていた曲ばかりですので、これはこれで十二分に楽しめます。

聴いた感想としては「懐かしい」と上に書きましたが、「ああ、こんな感じにアレンジしたんだ」という新鮮な驚きもあります。沢田聖子も若かった、それを聞いていた自分も若かったという懐かしい曲ばかりですので、あの頃の若かった自分を思い出すには、このアレンジ、この歌い方はどうなの、と思わないこともありません。ただ、そういう若いころを通り過ぎて今の自分があるんだという、肩の力の抜けたところを感じるのも正直な気持ちです。

収録曲の中では、まずは最初の曲「さよならも言わずに」が大好きでした。オリジナルは、ファーストアルバムのA面1曲目。とても寂しげな曲でした。暗い曲と言ってもいいかもしれません。でも、あたしはその暗さ、寂しさが好きでした。数年前に出たCDにはDVDが付いていて、そのDVDにはコンサートの模様が収録されていて、そこでこの曲が歌われていました。アレンジはオリジナルに近かったです。

2曲目の「はにかんで私」は、今となっては「はにかむ」という言葉も死語になれば、その動作も知らない若者が多いのではないでしょうか? 以下、いくつか好きな曲を挙げていくと、5曲目の「17歳の感傷」も、聴いていたのが17歳のころでしたのでとても心にしみました。6曲目の「雨よ流して」も雨の日になると今でも聴きたくなる曲です。7曲目「いつか君に」は、あたしも男性目線の歌なので感情移入がしやすかった想い出があります。8曲目「落ち葉の部屋」はいまだにコンサートでは歌われる、ファンの間では根強い人気の曲です。この曲のイメージって、あたしには井の頭公園の池から吉祥寺通りの方へ上ってきて動物園の前、玉川上水の流れているあたりがイメージされます。12曲目「憧憬」もオリジナルは静かな曲で聴いた途端に好きになった曲です。14曲目「遠い街に憧れて」は、たぶん当時の沢田聖子ちゃん自身の進路の悩みともリンクしていたのだと思いますが、あたし自身が進路に悩まなかったので、逆に新鮮な思いで聞きました。15曲目「涙はつばさに」は元気をもらえる曲です。

なお、この「GREEN」は沢田聖子ちゃんの公式ウェブサイトのみでの販売です。アマゾンやHMVなどでは買えませんのであしからず。ただ、セルフカバーですので、アマゾンなどで買いたければ、これまでのアルバム(←品切れが多いですが……)を購入してください。YouTubeでもある程度は聴けるはずです。たぶん、違法アップロードなのでしょうけど。

  

寒暖の差

一昨日、昨日と、東京は比較的涼しくなりました。梅雨明けから猛暑日やそれに迫るような日が続いていたのが、掌を返したような過ごしやすさとなりました。しかし、今日はまた一転して真夏日となり、こうも気温の上下動が大きいと体にこたえます。

そもそも今年の場合、梅雨明けまでは比較的涼しくて、ついこの間まで、まだちょっと寒いのでは、という日があったはずでした。それが梅雨明けと共に一気に上昇、真夏日どころか猛暑日が続いていました。これでは熱中症になるというものです。

どうして、こうも極端な気温の動きが起きるのでしょうか? これが熱帯、亜熱帯の気候というものなのでしょうか?

ちなみに今日も午後から気温が上がったからでしょうか? あたしの住む多摩地区は夕方からかなりの雷雨になりました。これで熱帯夜から解放されるのならよいのですが……

寝不足?

さすがに二日続けて帰宅が遅くなると疲れます。

それほど飲んだわけではありませんが、帰りの電車では久しぶりに気分が悪くなりました。「ああ、吐きそう」の一歩手前で最寄り駅に着いたので事なきを得ましたが、あと15分か20分乗っていたら危なかったのではないかと思います(汗)。

これは単純に知らないうちに飲み過ぎただけなのか、体調が落ちていたがために酔いが回っただけなのか、はたまた本当に電車に酔っただけなのか……

とりあえずお肌にも悪いので、早く寝ることにします。

明日は定時で上がろう!