国家公認の宗教?

儒教国教化とか、ローマ帝国のキリスト教公認とか、歴史上、国家と宗教との関係は難しいものですが、現代においては政経分離、国家は宗教には介入しないというのが常識だと思います。しかし、中国はますますおかしなことになっているようです。

右の記事は本日の朝日新聞です。

少林寺が中国国旗を掲揚したというニュースですが、その中にキリスト教についても書かれていました。このあたりについて興味をお持ちの方には『ルポ 隠された中国』がお薦めです。

本書は中国のさまざまな問題をリポートしたものですが、その中の第三章が「追われるキリスト教徒──党支配下の「信仰の自由」」として、中国政府と宗教団体、庶民の信仰について描いています。

お隣の国も似たような状況でした

今朝の朝日新聞で目に留まった記事です。

「本」という単語があるとどうしても気になってしまうのは商業病でしょうか?

記事はイラクについて書かれていますが、自由に本も読めないような状況なのでしょうか? 焚書坑儒という言葉が思い起こされます。

イラクのこういった状況を聞くと『テヘランでロリータを読む』が思い出されます。

タイトルからもわかるとおり、こちらはイラクのお隣、イランの状況を描いたノンフィクションです。西加奈子さんが『』で取り上げたことでも話題になった作品です。

内戦にしろ飢餓にしろ、人々の生活を安全かつ文化的なものにするには、最低限の衛生状態と教育が必要なんだと感じます。そのための武器となるのが、やはり本なのではないでしょうか。

哲学館は行ったことがあります!

今朝の朝日新聞で西田幾多郎が大きく取り上げられていました。

あたしは『善の研究』くらいしか読んだことはありませんが、それすらも理解できたのかと聞かれたら答えに窮します(爆)。いずれ再読しなければと思っている本の一つです。

で、朝日新聞がこの時期に西田幾多郎を特集した意図はわかりませんが、記事中に出てくる西田幾多郎記念哲学館へは行ったことがあります。数年前の人文会の研修旅行で北陸三県を回った時に短時間ではありましたが立ち寄ったのです。

その縁もあって『人文会ニュース』126号では西田幾多郎記念哲学館についての論考を寄稿いただきました。哲学館がどういう施設なのか知るにはもってこいの文章だと思います。人文会のサイトでPDF版を公開しているので、よろしければご覧ください。

本屋モノ

渡辺麻友主演でテレビドラマ化もされた『書店ガール』が現在発売中の最新刊「第7巻」で完結となりました。

このシリーズは大好きで、ご覧のようにずっと買って読んでいました。書店員をはじめとした業界の人が書いた「本屋に関する本」というのはこのところたくさん刊行されていますし、雑誌などでも本屋が特集されることは多いです。

ただ、そうしたものは数冊も目を通せば「もうお腹いっぱい」という感じになってしまいます。別に嫌っているわけではないですし、それぞれの本に対する熱い思いが伝わってきて、こちらも改善の余地があるのではと考えさせられます。でも、読み続けるとなると、やはり小説の形を取る本シリーズの方が適しているなあと感じるのです。

ちなみに、上の写真では「第6巻」が欠けていますが、ちょうど常磐線沿線の書店が舞台になっているので、同僚の常磐線エリア担当に貸し出し中なのです(汗)。

読んでいて感じるのは、あたしは出版社の人間なので書店現場というのは毎日のように足を運んでいるくせに、実は本屋ってものを深いところまで理解できていないなあという実感です。本シリーズを読んでいると反省することしきりです。

ところで本シリーズの第一巻だけは単行本で刊行され、当初のタイトルは『ブックストア・ウォーズ』でした。当時は碧野さんが研修されたオリオン書房の営業担当であったので、お店の方に教えていただきすぐに購入して読んだのを覚えています。

続きが読みたいなあと思っていたら、文庫として、タイトルと出版社が変わって刊行されることになり、最初は気づかなかったのですが、ある日店頭で発見して「おーっ、これは買わなければ」と思い、それ以来の愛読です。

さて、こうした本屋を舞台とした小説などの作品は他にも多々あると思いますが、あたしが個人的に気に入っていたのはコミックの『上京花日』です。著者急逝のため、恐らく存命ならまだ連載は続いていたのかも知れませんが、コミックは全7巻が刊行されています。

全7巻とは『書店ガール』といみじくも一緒です。なんとなく縁を感じます。どちらのシリーズも吉祥寺を中心とした東京西部が舞台になっているのも親近感が湧いた一因だと思います。

『書店ガール』では主人公たちの転勤や転職のため、常磐線沿線や沼津なども舞台となっていますが、やはりホームグラウンドは吉祥寺などの中央線沿線です。

中央沿線は、都内でもそれなりに本好きが集まっているエリアだと言われます。実際に作家とか業界関係者でこの沿線に住んでいる人は多いようです。が、そんなエリアでも作品に描かれていたように本を取り巻く上京は厳しいのかと思うと、現実に戻りたくなくなったりするのですが……

体内時計?

本日はお休みです。来週も三連休なのは嬉しいものです。

で、休みの日というと、皆さん、どのくらいまで寝ているのでしょう?

あたしは休みの日でもそこそこ早起きをしてます。目が覚めてしまうと言った方が正確かもしれませんが、とにかく遅くまで寝ているということはしません。

それでも、三連休は目覚まし時計をセットすることはなく、自然に目覚めるのに任せています。土日はどちらも5時半前後に目が覚めました。普段に比べたら1時間以上は遅いです。

そして今朝です。

今日が祝日だというのはわかっています。昨晩も「明日も休みだ」と思って床に就きました。

それなのに、今朝はいつもの月曜日のように3時半過ぎには目覚めてしまいました。

繰り返しますが、目覚ましで起きたわけではなく、自然と目が覚めたのです。

あたしの体の中にはかなり正確な時計がセットされていて、ただその時計は祝日には対応していなくて、月曜から金曜日は平日と認識しているのではないか、そんな気がしてきました。

こういうのを「体内時計」と呼ぶのかわかりませんが、とにかくあたしの体の中の何かしらの機能が働いているのだと思われます。

「売れ行きが悪い」どころではなく「売れぬ」のです

今日の朝日新聞夕刊の一面です。

出版界は長年にわたる不景気で、売れ行きはどんどん落ちています。書店もどんどん減っています。

だから、という悪循環で出版点数は増えているのですが、こんな状況なので売れ行きは芳しいものではありません。

しかし、朝日新聞の夕刊とはいえ、第一面にデカデカと「売れぬ」と書かれてしまうと、なんとも居たたまれなくなるものです。

だから、あの手この手、知恵を絞っているわけですね。

出版社は本を作るだけ、売るのは本屋の仕事、というのは過去の話で、いまや出版社も書店と協力して一冊でも多く売るための努力をしないとならない時代になっているようです。

あたしはそんな努力を十分にしているのかと言われるとお恥ずかしい限りですが……(爆)

朝の占いでラッキーアイテムに「洋菓子」とあったので仕事帰りにケーキを買ってみましたが、後は家に帰って食事して寝るだけのあたしにどういうラッキーが訪れるのでしょう?

帰宅時に最寄りの駅にある洋菓子店「シェリーブラン」でケーキを買いました。

たまにはケーキでも食べたいな、と思ったのも理由の一つですが、タイトルのとおり、占いに影響されたからです(汗)。

しかしまあ、あたしのように夜の早い人間は、仕事帰りにラッキーアイテムを手に入れても、後は家に帰って風呂に入り食事して寝るだけです。そこにラッキーが入り込む要素があるとは思えません。

とはいえ、ケーキは好きなので夕食後にいただきました。イチゴショート(写真右)とイチゴのティラミス(写真左)です。どちらも美味しかったです。久々に洋菓子を堪能しました。

で、一夜明けた今朝ですが、特に思い返しても、何かラッキーなことがあったようには思えません。知らないうちに起こっていたのでしょうか? でも、それって何?

あるいは、知らないラッキーが密かに、どこかにたまっているのでしょうか? そしていつか大きなラッキーとなってあたしの元にやってくるとか? そんなことがあったらよいのですが……

そうそう、今日は雨なので、午前中は久しぶりに「5th YEAR BIRTHDAY LIVE 2017.2.20-22 SAITAMA SUPER ARENA」を見返しました。初日、ななみんの卒業コンサートの模様です。やはり泣けます。

どこまでが素なのか?

昨日の朝日新聞夕刊です。

欅坂46の絶対センター、平手友梨奈が大きく載っていました。

この紙面に限らず、主演映画が公開なので、あっちこっちのメディアに出ずっぱりですね。そしてよく笑っているような……

冠番組ではこのところほとんど笑顔を見せないのは相当なストレスを抱えているのでしょうか? 最年少で絶対センターと呼ばれ、自分の存在がイコール欅坂46のような現状は、たぶん彼女の本意ではないのだと思います。

しかし、大人たちが勝手にそんなストーリーを作り、それで予想もできなかった人気を博し、人々に支持されて、一時期自分の立ち位置を見失っていたのかな、という気もします。

そんな中、グループを離れて仕事が出来たことはよい息抜き、気分転換になったのではないかと思われます。だからこその笑顔なんではないでしょうか? 映画はスタッフや演者みんなで作り上げる連帯感っていうのがあるでしょうし、思った以上に居心地のよい空間だったのかも知れませんね。

しかし、そうであればあるほど、欅坂46のパフォーマンスが「大人への反抗」路線一本槍でよいのかな、という気もしないではないです。恐らく、てち自身もそれを思っているのではないか、そんな気もします。

運命の人が二人もいるなんて!

寝ても覚めても』読了。

ストーリーはカバーにも書いてありますが、主人公が一目惚れした男性としばらく付き合った後、その男性はある日突然姿を消してしまいます。そして数年後、大阪から東京に引っ越して暮らしている主人公はかつての恋人にそっくりな男性と出会うわけです。

ここまで読んで想像したのは、かつての恋人が事故か何かで記憶喪失になってしまい主人公のことも忘れてしまっている、というストーリーでした。しかし、この想像は早々に却下されます。実は二人は身長も少し違うし、年齢もことなることがわかります。つまり一人二役的なものではないこと、二人は全くの別人であることがはっきりします。

かつて運命の人と思った相手とそっくりだから新たに出会った男性を好きになったのか、それともその男性をその男性として好きになったのか、大人の恋といってしまえば大人の恋ですが、若い頃の恋を引きずって、こじらせてしまっているイタイ女の恋物語と言ってしまってもよいのかも知れません。

で、かつての恋人が再び登場する後半、主人公の心はモヤモヤしっぱなしになります。「えーっ、ちょっと待って、そんな行動に出ちゃうの?」と叫びたくなります。このあたりの感覚は解説の豊崎由美さんも書いています。そして結末まで読んだ時に、主人公の決断というか行動に賛成できるか否か、これは人によって賛否が割れそうな気がします。

映画はどんな風に描いているのでしょうか。小説そのままの展開なのでしょうか、それとも映画独自のストーリー展開になっているのでしょうか。ちょっと興味があります。

ところで、この作品、高層ビルもありますがアパートとかマンションとかの低層も含め、主人公はよく高いところに上っています。そこから下を見下ろしているシーンが何回も出て来ます。高いところから俯瞰するような描写が多いのに、自分のことは俯瞰できていない主人公という印象を受けました。

そんな風に見下ろしていることが多い主人公なのですが、でも空を、上を見上げているシーンも同じくらい多く出て来ます。ただ、上を向いて希望を見出すという感じではなく、心は落ち込んでいても頭まで下を向くのはやめよう、せめて上を向くことで少しでも運気を上げられたら、という主人公の無意識の気持ちなのではないかという気がしました。

それにしても、帯には「運命の人は二人いた」とあります。主人公の恋がどうなろうと、運命の人が二人もいるなんて、なんとも贅沢な人生ではないでしょうか? あたしなんて一人にすら巡り会えていないのですから。

ライ麦畑で出会えなかった……

映画「ライ麦畑で出会ったら」試写会の招待券をいただいていたので京橋まで出かけてきました。

京橋とは言っても、事前に調べてみたら試写会の会場は東京駅からも歩いて10分程度のところだったので、「こりゃ、中央線一本で行ける」と勇んで出かけてみたのですが……

13時からの試写会に、12時半ごろ東京駅へ到着し、二三十分界隈をうろうろしたのですが、結局試写会場が見つからないまま時間切れ。やむなく東京駅へ戻り、再び中央線に乗って戻る羽目になりました。

映画の主人公はサリンジャーに会えたのでしょうか?

その前に、あたしはこの映画に出会えませんでした(爆)。

たぶん、この映画、WOWOWとかで放送されない限り、もう見ることはないのではないか、そんな気がします。

縁がなかったのでしょうね。

こういうことってよくあります。

昔、飲み会か何かの集まりで、やはり会場が見つけられず結局参加せずに帰ったことがありました。あたしの人生でこういうことって過去にも何度か起こっています。

事前によく調べてから行けばよいのに、と言われてしまえばそれまでなのですが、たぶん心のどこかで「たどり着けなかったらそれまでさ」という気持ちが働いているのかも知れません。

諦めが肝心、という格言もありますが、あまりにもあっさりと諦めてしまうことがあたしの人生には多々あったような気がします。

いや、諦めずに粘ったとしても、結局結果はさほど変わらないだろうなあという予感がするのです。だったら面倒な努力、余計な粘りはするだけ無駄というものです。

そんな風に考えてしまうのです。