PCは切り捨てられる運命?

けやき坂46のファーストアルバムがもうすぐ発売になるのに合わせ、メンバーの動画が特設サイトで公開になっています。下の画像はそのトップバッター、みーぱんの動画のキャプチャーです。

 

けやき坂46では、みーぱんはあたしの推しメンです。今回のアルバムのリード曲「期待していない自分」でも、公開されたMVを見ると彼女がセンターで歌っています。その前の曲でもセンターでセンターでしたから運営側からも期待されているのだと思います。

それはそうと、上に書いた動画なんですが、特設サイトは「スマートフォン専用」と書いてあります。一応、PCのブラウザでもページは開きますが、動画は見られません。下の画像は左がタブレットで見たもの、右はパソコンで見たものです。

 

画面上部にメンバーの顔写真が映っていますが、これが上に書いた動画へのリンクになっていますが、右側のパソコンではその部分が表示されていません。つまりパソコンで開いたら、そんな動画があることにすら気づけないのです。

さらによく見ると、左側のスマホ・タブレットでは画面に刷毛で描いたような青、赤、黄色の模様が表示されていますが、右側のパソコンの画面ではそんな絵柄(?)は映っていません。下へスクロールしていくと他にもいくつか異なるところがあります。

さて、けやき坂のファンはほとんどが若者でしょう。そうなるとこういうサイトを見るのもほとんどがスマホなんだと思います。アクセス解析をすれば、どんな機器からアクセスされているかがわかります。あたしの予想では7割近くがスマホなんだと思います。あるいは、もっと多いのでしょうか?

若者のPC離れはよく言われますので、主なターゲットであるこういうサイトはPCではなくスマホを中心に設計されるのも無理はありません。こうなると、ますます若者はPCから離れて行ってしまいそうですね。

しかし、就職したらPCを使えないと、と言われます。ワードやエクセルの簡単な操作は出来て当たり前、というのが社会人の常識だと、あたしなんかは思います。しかし、このあたりもどんどんスマホで代わりがきくようになっています。スマホやタブレットで十分にエクセルやワードは使えます。使いにくいと感じるのはパソコンに慣れた世代であって、若者は最初からスマホのワード、スマホのエクセルを使っているのだとしたら、あまり使いにくいとも感じないのでしょうね。

あと10年もしたら、企業のサイトもまずはスマホで閲覧されることが標準になってしまうのでしょうか? でも、アイドルなんかのかわいい画像はスマホの小さい画面ではなく、パソコンの大きい画面で見たいと思いませんか? いや、現在はスマホからテレビの大画面に映すことも出来るわけですから、これも言っても意味のないことですね(汗)。

いつかは現地で食べるかも?

朝日新聞の夕刊です。

名古屋の喫茶店のモーニングに関する記事です。

名古屋流のモーニングについてはいろいろ聞くことはありますが、実際に食べたことはありません。なかなか名古屋に泊まる機会がないので、名古屋でモーニングを食べる機会もありません。

いろいろ、こちらが欲しくないものまで付いてくる、というイメージです。この記事にもあるように、コーヒーを頼むとこれだけのものが付いてくるのですね。

ただ、あたしはコーヒーが飲めないので、さあ、どうしましょう?

かなり短絡的に歴史を鑑としてみる

中公新書『ヴィルヘルム2世』の中にこんな部分がありました。

ドイツの経済的躍進は、ドイツの側でも人びとの心性に大きな変化をもたらした。ドイツ人には元来、イギリスやフランスに対する劣等感が根強い。これら西欧諸国の文明的洗練に比して、自分たちの生活習慣や文化は粗野だという引け目である。ところが今、その自分たちは目覚ましい発展をなしとげた。諸外国からも賛嘆されるほどの成功である。だとすれば、われわれは何も他国に遠慮することなどあるまい、自信をもって、もっと堂々とふるまってもよいのではないか--そう人びとが考えるようになるのは自然の趨勢である。(P.121)

この箇所のドイツを中国に、イギリスやフランスを日本に置き換えると、改革開放以後目覚ましい経済成長を遂げた中国によく似ているなあと感じるのはあたしだけでしょうか?

さらには

つけ加えておきたいのが、先に述べた、国をあげての自信過剰という時代の雰囲気である。ビスマルク外交は一言でいえば、自制の外交であった。しかし、人びとの間に国民的自信が沸きたってくると、発想が変わっていく。国力に見合った権益を求めても当然ではないか、という考えが生じる。外相だったビューローが一八九七年に議会演説で述べたように、われわれドイツにも、他のヨーロッパ諸国と同様、世界のなかで「陽のあたる場所」を求める権利があるはずだ、と。(P.125)

とも書いてあります。これなども鄧小平時代の中国と習近平時代の中国のことを書いているのではないかと錯覚してしまうような文章です。そして、ヴィルヘルム2世は海軍の建設に邁進します。これなども国産空母を建造し、介与進出を活発化させる現在の人民解放軍と重なるところを感じます。

安倍政権以来の日本の動きを戦前に戻っている、戦争への道だと表現する人がいます。それはそれでそれなりの妥当性を感じますし、あたしなども第一次大戦後のドイツの歩み、ヒトラーやナチの台頭などはこのところの自民党政治と重なるものを感じます。

歴史を鑑とするということは大事な人類の知恵だと思いますが、こうしてみると第一次大戦前のドイツが最近の中国と重なって見えてくるのは不思議なものです。

「非人気」って表現はいくらなんでも可愛そうではないですか?

ネットの記事です。

アイドルから女子アナへという生き方の是非を云々したいのではありません。昨今の大人数女子アイドルグループはアイドルを極めるのが目標ではなく、それを踏み台に女優やソロ歌手など、それぞれの夢を叶えるためのステップだと割り切れば、女子アナや報道記者を目指すという選択肢があってもおかしくはないと思います。

あたしがここで問題としたいのは「非人気」という表現です。

確かに「不人気」とは書いてはありません。ここはネット記者の精一杯の気遣いでしょうか? 「不人気」ではあからさまに「人気のないメンバー」となってしまいますが、「非人気」と書けば「人気メンバーとは言えない」くらいにニュアンスが薄まりますから……

しかし、考えてみますと人気の有無というのはどうやって決まるのでしょうか? シングルのタイトル曲の選抜メンバーに選ばれるか否かというのがわかりやすいかも知れませんが、あれはスタッフが決めるものであって純粋に、正確に人気を反映したものではありません。だからAKB48の「選抜総選挙」などというものが始まったわけですから。

ただ、その総選挙にしたところで、金持ちが一人で大量にCDを買って投票していると言われていますので、数年前の紅白歌合戦行なわれた投票では毎年のAKBの総選挙とはかなり異なる結果になったのは多くの人の知るところだと思います。

結局のところ、グループアイドルの人気というのは正確には測れないものなのでしょう。もちろん、大きな傾向はつかめるとは思いますが、この斎藤ちはるのような、いわゆる「ボーダーメン」と言われるメンバーになると、同じような立場のメンバーは何人もいて、その中での順位などわからないものだと思います。握手会に並ぶ人数などを見れば推測も出来そうですが、会場によって(地元人気?)違いもあるでしょうし……

で、グループを卒業後、タレントとして生き残るのはかなり厳しい道でしょうが、テレビ局に正社員として採用されるのであれば、これは勝ち組と呼んでもよいのではないでしょうか?

やはり読書傾向というのは隠せないものなんですねぇ~

昨日のダイアリーでも書きましたが、『ヴィルヘルム2世』はもうすぐ読み終わりそうです。話は第一次世界大戦へと進んでおります。

で、再びわが書架を見てみると、こんな本がしっかり買ってありました。

同じく中公新書の『バルカン』と文庫クセジュの『第一次世界大戦』です。

 

やはり、あたしってこのあたりの時代が好きなんですね。

 

となると『力の追求 ヨーロッパ史1815-1914(上)』『力の追求 ヨーロッパ史1815-1914(下)』も買わないと、否、読まないとならないのかしら?

脈絡もなくいろいろと読んでいるようでいて、読書傾向というものは意外とはっきりと見えたりするもので……

いま『ヴィルヘルム2世 ドイツ帝国と命運を共にした「国民皇帝」』を読んでいます。第一次世界大戦の時のドイツ皇帝の評伝となると、やはり気になってしまいます。で、確か中公新書には他にもこの時代を扱ったものがあったようなあ、と思ってわが書架を見てみるとご覧の通りです。

ビスマルク ドイツ帝国を築いた政治外交術』も『第一次世界大戦史 諷刺画とともに見る指導者たち』もしっかり所蔵していました。

  

文庫や新書は値段が手頃なこともあって、自分の専門とする分野以外でもちょっと気になるものだと、とりあえず買っておこう、読んでみようという気にさせられます。脈絡もなく買っているようで、こうしてみると、意外とそれなりに気になる分野というのは確固たるものを持っていたのだなあ、とも思います。

リアル「歩道橋の魔術師」?

けやき坂46のファーストアルバムの収録曲がラジオなどで続々とオンエアされていますが、MVも公開になったものがあります。「期待していない自分」という曲で、センターは、あたしの推しメン、みーぱん(佐々木美玲)です。

さて、このMVですが、けやき坂46のファンの間でちょっと話題になっているシーンがあります。それはMVの初めから23秒、40秒、52秒あたりのところです。歩道橋でメンバーの一人が踊っているのですが、髪を振り乱しているので顔がよくわかりません。「あのメンバーはいったい誰だ?」という話題で持ちきりです。

MVを解析したファンが、ほぼメンバーを特定したので、騒ぎは収まりつつありますが、「歩道橋の上の謎の人物」と聞いてあたしは思い出してしまいました。

台湾の作家、呉明益の『歩道橋の魔術師』を、です。この作品の中の「魔術師」はダンサーなどではなく、あえて言えば大道芸人的な手品師です。

が、歩道橋の上で活躍する、歩道橋の上に出没するなんてところは、ちょっとこのMVに通じるところがあるような気がしてしまいます。

いやー、強引なこじつけですね(汗)。

わが不明を恥ず

少し前に岩波新書の『インド哲学10講』を読みました。すると、その中に野田又夫の著作を引いている箇所がありました。野田又夫って誰? というのが、恥ずかしながら、その時のあたしでした。

 

で、調べてみますと、岩波文庫から『哲学の三つの伝統 他十二篇』という著作が出ていることがわかりました。早速買い求めて読んでみましたところ、これがものすごく面白い! こんな哲学者がいたんだ、どうして今まで知らなかったんだ、とわが不明を恥じたのでしたが、読み進めていると、もっと恥ずかしい事態が……

この野田又夫の著作、文庫や新書などで今でも手に入るものが何冊かあるようですが、そんなことよりも、なんと全5巻の「著作集」が出ていたではありませんか! それも、あたしの勤務先から!

えーっ、と思わず声を出しそうになりました。すぐに勤務先で在庫を調べましたが、当然のことのように既に品切れ、一冊も一セットも残っていません。そりゃそうですよね、在庫があれば注文があったり、年に一度の棚卸しで目にする(目にした)こともあったでしょうが、それがなかったということは、あたしが入社したころには既に品切れになっていたものと思われます。

嗚呼、残念。在庫があれば老後の楽しみに買いたかったところです。

古書店のサイトを見ると15000円くらいで全5冊が売られているようですね。いまさらあたしの勤務先からの復刊もないでしょうし……

しかし、古代のギリシアとインド、中国を併せ論じる懐と教養の深さ、もちろん中世以降の西洋哲学が本来の専攻ですので、そちらへの目配りももちろんすごいものです。京都学派の最後尾に連なる人と呼んでよいのかも知れませんが、かつての大人然とした学者の気風、器の大きさが感じられます。

この歳になって知ることになるとは……

ドルチェ? デザート?

わが家の近所のローソンでは売っていなかった、メロンのケーキ、ようやくゲットしました!

勤務先の近所のローソンで見つけました。

今日のランチのデザートにいただくつもりです! これで午前中は乗り切れそうです(爆)。午後もメロン・パワーで働きましょうね。

もちろん直接の関係はないのですが何故か思い出してしまいました!

昨日の朝日新聞の夕刊です。

テレビでも取り上げられていたので、映像を見た方も多いのではないでしょうか?

そんな記事を見たら、ついつい『不法移民はいつ〈不法〉でなくなるのか』を思い出してしまいました。

連想として間違っていませんよね?