今年も

9月18日。

柳条湖事件の日。

つまりは、満州事変。

個人的には、満洲は「満州」ではなく、「満洲」と書きたいので、「満洲事変」と表記したいところ。

やはり、日本人として忘れてはならない昭和史の一頁。

線路を爆破するなんて、現代の日本人の感覚からすると全く思いも付かない方法ですが、あの当時の日本人の多くは中国側のしでかした事件だと思わされていたのでしょうね。

当時のことを書いた書物などを読んでいると、やはり日本にとって南下してくるソ連は相当な脅威で、それは現在の北方領土を挟んで睨み合っているなんていう緊張感を遙かに上回るものであったことは容易に想像ができます。それに対して防波堤になってもらいたい中国は頼りにならないどころか、独立国家の体をなしていない状態、こうなれば日本自身が出ていってなんとかしないと満洲から朝鮮半島まで一気にソ連に奪われてしまう、そういう潜在的な恐怖があったのだと思われます。

そういう恐怖感を持った日本が選択した行動として満洲事変以降の一連のやり方が歴史的に見て間違っていたとは思いますが、なぜその道を選んでしまったのか、どこの時点ならまだ引き返せたのか、そういったことを考えるのが歴史に学ぶということなのではないでしょうか? 7月7日の盧溝橋事件などと共に、やはりいろいろ考えさせられる日です。

 

 

台風一過

思いのほか足早に過ぎていった台風。雨、風邪共に甚大な被害が出ていますが、幸いに多摩地区は大きな被害のニュースは入っていないようです。電車が止まったりしたようですが、今朝の状況ではそもそも外出する人も少なかったでしょうし。そして夕方にはきれいな夕焼け。まさしく台風一過という言葉どおり、明日からは素敵な秋晴れになることを予感させる空の色でした。

と、いま述べた台風一過、あたしは昔、この言葉を「台風一家」だと思っていました。どんな一家なのかと言うと、人の家に遊びに来て、散らかすだけ散らかして帰って行く、とても迷惑な家族のことです。なんとなく、あたしが小さい頃、そういう感じの親戚とか知り合いがいて、その人たちが帰るとホッとして散らかっている部屋を片づけていた記憶があるのです。

子供の頃のあたしには、ニュースで耳にする「たいふういっか」という単語に「台風一過」という漢字を当てはめるだけの知識がなく、「台風一家」だと思い込んでいたわけです。テレビのニュースで台風が去った後、窓ガラスが割れ、電柱が倒され、といった被害の状況を見るにつけ、あの人たちが帰った後のわが家と同じだと感じ、ああいう台風みたいな家族のことを台風一家と言うのだと思い込んでいたのです。

状況が状況だけに、このあたしの認識の誤りが正されるのにはそれなりに長い年月がかかってしまったのは言うまでもありません(汗)。

 

意外と……

晴れましたね、今日。

あたしん家の方では、明け方5時頃から雨の降りが強くなり、それで目が覚めてしまった感じでした。まあ、いつもそのくらいには起きているので、取り立てて朝早く起こされたという気はしませんが。

で、朝方はそれなりに強く降っていたものの、昼頃からはよい天気になり、午後などは照りつける日差しがジリジリとかなり暑くなりました。もちろん雨上がりなので、日陰は涼しかったですが、日なたはまだまだ真夏の余韻を残している風でした。

いったい台風をどこへ行ったのだ、という気がしますが、天気予報を見る限り確実に近づいている模様。明日の朝には東海地方か関東に上陸だそうです。今のところそんな風には感じられない天気ですが、たぶん夜中には強い雨が降り出すのでしょうね。それにしても、今年の夏の雨は異常な降り方ばかりでした。「経験したことのない」なんて形容詞を使っていいのでしょうか? それって「想定外」を言い換えただけではないのでしょうか?

自然と友達に?

土曜の晩はたいてい日本テレビ系の「斉藤さん2」を見ています。今し方まで見ていたのですが、あたしの大好きな桐谷美玲ちゃんがだいぶ日焼けしたなあと感じた回でした。あれだけの炎天下、たぶん埼玉のレイクタウンでやっているとおぼしきロケ。あれではどんなにUVケアをしても日焼けは防げないでしょうね。

そんな「斉藤さん」で、桐谷美玲ちゃんはここ数回、自分は果たして斉藤さんの友達になれたのか、斉藤さんは自分のことを友達として見てくれているのか、不安に感じています。で、今回、エンディングに近いところで桐谷美玲ちゃんの夫役・田辺誠一が「子供の頃はいつの間にか友達になっていただろ。友達かどうかなんて考えないだろ」というようなセリフで美玲ちゃんを励ましていました。

うーん、美しい夫婦の愛、と感心している場合ではありません。あたしには納得できません。

確かに、子供の頃はそんなことは考えなかったというところは正しいです。でも、あたしはその小学生の頃にいじめられたり、嫌われたりしていました。その時、こちらが友達だと思っているだけでは友達にはなれないんだと実感しました。必ず相手からの承認を取り付けないと、友達だと思っているのはあくまでこちらの一方的な気持ちでしかなく、双方向で友達であるという認識が共有されているわけではないんだと。

それ以来、小学校卒業まで、そして卒業後もずっと、あたしは他人に対して友達であるか否かを確認したことはありません。確認したいとも思いません。答えを聞くのが怖いと言ってもいいかもしれませんが、その一方で、あたしなんかを友達と思ってくれるような人はいないだろうなあという諦めの気持ちも混じっています。確認してやっぱり相手はそう思ってくれていなかったら悲劇です。それにいったいいつまで友達と思ってくれているのかの保証もありません。そんなあやふやなもののために自分の感情をかき乱されるのはたくさんです。

だから、あたしには小学校以来、友達と言える人は存在しないのです。知り合いなら、これだけの年数を生きてきましたから、仕事もしていますし、それなりに増えましたが、どれも知り合い、顔見知りであって、友達ではないですね。田辺誠一みたいな脳天気なセリフ、あたしにはとても口にできないと感じだ視聴後の感想です。

 

どうして人文書が売れないのか?

どのジャンルも売れてないと言ってしまえばその通りなんですが、「人文書は売れない」という台詞もこの業界の人口に膾炙して久しいものです。でも、ふと思いました。いまの日本の政治と同じなのか、と。

どういうことか? 民主党政権って、異論はあると思いますが、あたしの印象では青臭い理想を掲げた政治をやろうとしていたんじゃないかと思います。官僚から政治を取り戻す、金権体質の自民党政治に訣別などなど、少し前の日本だったら馬鹿にされそうなくらい青臭いセリフだったと思います。でも、国民はそれに乗ってみることにしたわけです。

でも、結局、それでは腹の足しにはならない、誰がこの国の舵取りをやってもいいから、とにかく満足に食べられるようにしてくれ、という国民の声が強くなり、結局は何を食わせてくれるのかわかりませんが、とにかく腹に入るものを出すと約束してくれた自民党に、国民は再び賭けてみたわけです。

で、あたしの感覚では、民主党時代は哲学を語ろうとした時代だったのではないか、という印象なんです。その哲学の中味がどういうものであったか、後世の人の検証に耐えるほどの中味を持っていたのか否かは今は問いません。とにかく民主党は哲学で政治をやろうとしていたのではないか、少なくとも前半においては。

それが国民にそっぽを向かれたわけで、それってつまり国民は哲学なんて求めていない、もっとすぐに役に立つような本が読みたいんだという動きとシンクロしているような気がするんです。ダイエットなんかの本は相変わらず売れていますから。

でも、逆に考えると、民主党の掲げた哲学が稚拙だったから国民はそっぽを向いただけで、もし哲学と呼ぶにふさわしい内容を備えていたならば、こうも早々と自民党に政権を奪還されなかったかもしれないとも思えます。つまり、人文書も本当によいものなら売れるはずだという、もう何十年も言われ続けている、ありきたりの結論に行き着いてしまうわけですが……(爆)

やはり、腰が痛いとろくなことを考えませんね。

 

脇腹へ

喉の不調から来る咳のしすぎで、腹筋が痛かったのは数日前までの話。この三、四日はほとんどぎっくり腰状態で動作も緩慢になっています。寝っ転がっている姿勢から起き上がるのに、ふだんなら一瞬で済むところ、現在はその20倍近い時間がかかっているのではないでしょうか? 起き上がり方を間違えると、腰の痛みでそれ以上動きが取れなくなり、にっちもさっちもいかなくなります。

とまあ、ほとんどろくに動けない状態ですが、その痛みが本日は左ワキに来ています。脇腹よりちょっと上、ちょうど肋骨が湾曲している部分がものすごく痛んでます。肋骨が折れて肺に刺さる、なんて時に聞きますが、そんな痛みです。もちろん、あたしはそんな体験したことないですし、実際に折れて刺さったならこんな痛みでは済まないことは理解しています。それでも、ワキがかなり痛いです。それも左側だけです。右側は何ともありません。たぶん、腰をかばって起き上がる時、やはり利き腕というか、起き上がる向きがあるのでしょうね。そのせいで左のワキに無理がかかっているのではないでしょうか?

とにかく、今日は医者へ行き、これでもかというくらい薬をもらいました。飲んですぐに効くほど強力な薬ではないでしょうから、一両日は咳も治まらないのではないかと思いますが、それでも今回の喉の不調が始まった頃に比べると、喉の痛みはほとんどないですし、喉はだいぶ楽になっています。いまは喉よりも腰です。こちらの方がつらいです。

腰回りから大腿部にかけて痺れるような時もあります。汚いたとえですが、お腹が痛くてトイレに行きたくなる前に、おしりから足にかけて震えが来ることがありますよね、そんな感じです。なんとか、この三連休で治さないと!

軽~くギックリ

先々週から続く喉の不具合。つまりは今週はもう3週目なわけで、それも水曜日ですから半ばも過ぎ、いい加減、自分の咳にもイライラが募ります。ましてや周囲の人にとってはうるさい上に、なにか菌をまき散らされているような不愉快な気分を味わわせているのではないかと危惧しております。

喉の痛みという点ではかなりよくなっているのですが、痰が絡んでいるような喉のいがらっぽさは相変わらずで、喘息患者のようなヒーヒーいう咳がまだ治まりません。先週末からはずっとお腹と、もうちょっと下の下腹部が痛く、それはお腹を壊しているというのではなく、単に咳のしすぎで腹筋が痛むという、いわば筋肉痛の状態です。

それに加えて今週に入った途端、こんどは腰が痛み始めました。これは完全に軽いぎっくり腰の症状です。かつて朝のラッシュの中央線での不自然な姿勢のせいで腰を痛め、そこへ持ってきて当時のバイトの肉体労働でかるいギックリ腰になったことがあります。その時と同じ症状です。咳をするとお腹と腰が痛く、痛いからめいっぱい咳こめず、咳き込めないから喉がすっきりしないという悪循環。もうイヤになります。

でも、明日、休暇を取りました。病院へ行ってみます。近所に耳鼻咽喉科があるので、そこへ行ってみようと思います。やはり遺書に処方してもらう薬が一番ではないでしょうか? さっさと行けばよかったものを、すぐに治るだろうと高を括り、なおかつ会議や何やらで休む時間が取れず、ここまで来てしまいました。それも明日でおさらばしたいところです。

 

波及効果[続]

テレビや新聞で、2020年の東京五輪で活躍しそうな子供たち、小中学生アスリートを取り上げていました。種目によってピークと言える年齢は異なるのでしょうけど、だいたいの競技において、現在の小学生から高校生くらいが7年後のオリンピックの主役になるのは間違いないでしょう。

そんな子供たちを見ていて、ふと思いました。

ああ、そうか。この子たちって、生まれたときからインターネットが当たり前に通じていて、ケータイやスマホなんかも生活必需品のように使っている世代なのよね、と。

ケータイの普及でパソコンのスキルは若干落ちていると言われる今の若い世代ですが、そもそもそういった「機械」には子供の頃から慣れ親しんでいる子たちですから、われわれ大人が言うところの「苦手」とは違うでしょう。きっと、パソコンだってすぐに使いこなせるようになるはずです。

そんな世代ですから、本を買ってくれるのか不安になります。幸いなことに、日本では電子書籍があまり普及していないので、この世代といえども、小さい頃から本はタブレットで読む、ということにはなっていませんが、それでも7年後にはどうなっているかわかりません。つまり、そういう世代が増えてくると言うことですから、オリンピックに向けて、どんな本なら売れるのか、難しいところです。

で、昨日のダイアリーの続きですが、語学書も、たぶん、今もちょっとはサービスが始まっていますが、多言語の同時通訳サービスが7年後までには官民を挙げて、かなりのレベルで出来るようになっているのではないでしょうか? スマホ用のアプリもたくさん出ていそうな気がします。いや、7年後にスマホっていう機器が残っているのか、もっと思いも寄らないデバイスが発明されているのではないか、そんな気さえします。

そうなると実用書としての語学書市場はどうなっているうのでしょう? もちろん本を買ってまじめに勉強する人は7年後も存在するでしょうし、それほど減るとも思えません。ですから、あたしの勤務先みたいに、初級以降の学習者向けの語学書作りに大きな変化が来るとは思えません。しかし、初級者向け、特にオリンピックなどを当て込んだ簡単な会話本は、スマホ的なものに席巻され、まるっきり生き残る余地のない状況になっているのではないかと……

いや、そもそも中級向け以上の語学書だって、もっとスマホを使った効果的な学習方法が開発されて虫の息になっているかもしれないですし。