これが現実なのか?

書店ガール 2』読了しました。かつて『書店ガール』ではなく、『ブックストア・ウォーズ』を読んだ人間としては、「続編だ!」という喜びがまずあります。

 

でも、今回は最初からPHP文庫です。どうして新潮社は自分のところで文庫化しなかったのでしょう? そしてみすみす第二弾をPHP文庫から出されるようなことになってしまったのでしょう?

本好きに読んでもらいたいからこそ、文庫ではなく単行本で出して欲しかったと思うのは、あたしのわがままでしょうか? ただ逆に、こういう本を単行本では出せないというところが、出版会の現実なのかもしれません。

なにはともあれ、書店員の方にはこの本を読んで、「所詮、小説さ」なんて思わないで、本を売る楽しさを奮い起こして欲しいと思いますし、出版社の人間もこの本を読んで、そういう書店員さんを応援するような気持ちを抱いて欲しいと思います。

想い出の曲?

新年度が始まってしまいましたが、このところ、まずは卒業シーズンということで、テレビなどではあなたにとって卒業式の想い出は(?)とか、想い出の卒業ソングは(?)といったインタビューを見かけました。そんな番組を見ながら、ふと思います。あたしにとって想い出の卒業ソングってあるだろうか、と。

やはり、考えてみても、ほとんど、これという卒業ソングはありません。中学のときは合唱の盛んな学校でしたので卒業式に限らず、いろいろな行事で大地讃頌やハレルヤを合唱した記憶があり、卒業式でも当然歌っていました。でも、書いたように、いろいろな時に歌っていたので、卒業ソングという感慨はありません。

そもそも考えてみますと、卒業式の想い出がほとんどありません。小学校や中学校は思い出せません。高校は体育館が改築だったので区の公会堂で式典をやり、その後学校に戻ってクラスで担任から証書をもらったのですが、親も式典には来ませんでしたし、クラスで証書をもらって最後のあいさつが終わったら、あたしはさっさと帰宅しましたから。全くクラスメートと別れを惜しむなんてことはなく、何時迄もクラスメートが教室に残って別れを惜しんでいるのを尻目に、たぶん一番最初に校門を出てきたくしたのではなかったかと思います。

大学では卒業式には出ていません。だって、そのまま院に進みましたから卒業するわけではなかったので。院の時も、卒業式なんて面倒くさいものには行きませんでした。なので大学時代の卒業式は想い出どころか経験すらないというのが事実です。

うーん、これでは想い出の曲があるわけないですよね(汗)。

まあ、あたしの場合、卒業というのは、小学校にしても中学校にしても高校にしても、大嫌いなクラスメートと顔を合わせなくて済むようになる、嬉しさのこみ上げる日でしたから。

 

このままでよいのか?

4月1日なので、嘘っぱちのダイアリーでも書いてみようかと思いましたが、それは昔やったことがありますので、もうやりません。ただ、新年度ということで、このままの仕事ぶりでよいのか、ちょっと立ち止まって考えてみたいと思いました。

何度か書いていますように、あたしは転職はしたことがありませんが、入社した時は編集部でした。語学書を作っていました。それを12年ほど続けていたら、営業部に異動になりました。人と接するのが苦手、人付き合いが苦手、あまり人当たりがよくない、そもそも他人が大嫌いというあたしに営業なんてできるのだろうかと、当初は不安もありました。

でも、その一方、編集部にいるのに、特に作りたい本もなく、企画を考えなければいけないプレッシャーがその当時かなりあったのも事実です。だからといって、あたしの得意分野である中国関係は、中国語なら企画は待たれているでしょうけど、中国思想や中国古代史の本なんかあたしの勤務先では到底出せそうもない状況でした(今もさほど変わりません)。周囲の人間を説得してまで中国思想や中国史の本を出そうなんてエネルギーは、あたしは持ち合わせていませんので、そんな無駄な努力はしたいとも思いません。

まあ、そのプレッシャーから解放されるのか、人付き合いは苦手だけど、外面はいい方なので、営業部に遷ってもなんとかなるかなという、かなり軽い気持ちで営業部に遷って早十年になろうとしています(正確にはまだ8年か9年くらいのはずです)。

で、特にあまり考えもせずやってきて、そろそろ変わる時期かなという気持ちが起こってきました。とは言っても、会社を辞めるなんて選択肢は転職先も見つかっていない現状ではありえません。そうではなくて、何かリフレッシュできることはないかなと思うわけであります。

それで思うのは、業務変更です。社内でやっている(分担している)業務を変更するということです。営業部であることは変わらずに業務変更するということは、端的に言えば、担当書店の変更です。これまでもちょこちょこっとした担当地区・地域の変更はありました。例えば。営業部移ってきた当初、地方の担当地区は北海道と北東北(青森・岩手・秋田)でした。それが数年後には南東北の宮城・山形・福島に栃木・茨城も加わった、ほぼ東日本全域になりました。しかしこの状態は2年から3年弱ほどで終わり、その後は京都・大阪(一緒に滋賀と奈良も)の担当になったのが2008年の夏前ですから、もうすぐ丸5年です。一二年遅れて兵庫も担当になり、いわゆる関西担当になって3年ほどです。

こういう地方の担当地区変更は、だいたい外回り担当営業部員の場合、誰かが辞めた(定年も含め)とか、新しい人が入った折に行なわれてきました。同様に都内近郊も分担しているのですが、これは営業部遷って以来、あたしはずっと中央線・京王線担当で変わりません。途中、総武線、小田急線、有楽町・銀座地区の担当を兼任していた時期もありますが、中央線・京王線は一貫してあたしが担当しています。そろそろ、これが潮時ではないかと思うのです。

同じ地区を長いこと担当すると、お店の人とも仲良くなれますが、一方で惰性に流れる可能性もあります。あるいは仲良くなった書店とはよいけれど、相性の悪い書店とは疎遠のままになってしまいます。時に担当者を変更して心機一転を図った方が、書店にとっても出版社にとってもよい結果を生むとも思います。今すぐというわけではありませんが、今年は、否、今年度は少しそういうことを考えてみたいと思います。

もちろん、あたしが担当を変わると聞いて「やっと、あいつの顔を見なくて済む」と喜ぶ書店員さんも大勢いることでしょうが……(汗)。

人形は怖い?

本日の鑑賞はこちらです。

 

一応、ホラーに分類される映画「デッド・サイレンス」です。人気シリーズ「ソウ」の監督・脚本コンビの作品と言うことで、それなりに期待されていたようですが、それほど怖いわけでもないですね。もちろん、人形というのは呪いとか怨念とか、そういったものが込められやすいので怖いものというのは日本でもありがちな設定ではありますが。

本作は、ある若い夫婦の元に差出人不明の腹話術の人形が送られてきて、その直後、夫の外出中に妻が惨殺されるところから始まります。当然のことながら夫が容疑者として疑われるわけですが、人形が入っていた箱に書かれていた言葉と、自分が育った故郷の言い伝えとの符号に気づき、夫は久しぶりに自分の故郷を訪れます。そこには大きな屋敷に体を壊して車椅子生活を送る父親と、その面倒を見ている若い後妻が暮らしています。

夫は、この村で妻の葬儀を執り行ない、葬儀屋のじいさんから村に伝わる忌まわしい事件の話を聞きます。それはかつて行方不明になった子供がいて、その誘拐犯として村で暮らす腹話術の人形遣いの女性が疑われ、村人によって惨殺されたという事件です。その女の鈍いが、惨殺した村人たちを皆殺しにしているというものです。

で、主人公もその皆殺しを行なった村人の子孫になるわけです。他の一族は惨殺直後に腹話術師の呪いで全員が殺されている(謎の死を遂げている)のに、なぜこの主人公の一族だけはこうして後嗣を残せたのか、作品中では一切説明はありません。脚本が破綻していると言えるかもしれません。

妻が殺されたのも、そのお腹の中に子供がいるから、一族皆殺しを遂げるためだったと明かされますが、そう言われればますます主人公が生き残ってきた理由が不明です。故郷を出て都会で暮らす主人公の元へ人形が送られてくるくらいですから、逃げても意味はなかったはずなのに……。

結局、ネタばらしをすると、故郷の父は既に死んでいて、父に見えたのは父の遺体を使って(?)作った精巧な腹話術の人形です。後妻が、惨殺された腹話術師の生まれ変わりなのか、甦った姿なのか、乗り移られているのかは知りませんが、とにかく犯人です。腹話術の技術を使って、父がいかにも生きて話しているように見せていただけです。

邪推というか、想像をたくましくするならば、他の一家はすべて皆殺しにし、残るは主人公の一族だけ。本妻を殺し、あとは当主だけと思ったところ、実はその当主には都会で暮らす息子がいたと、呪いの主である腹話術師(=悪霊?)は知ったのではないでしょうか? そこで当主を殺しつつも後妻のふりをして、いかにも当主はまだ生きているように見せかけて息子がここへやってくるように仕向けた、というところでしょうか? でも、妻を簡単に殺せたわけですから、都会にいたままでも息子(=主人公)を殺すことは出来たはずですが……

いずせにせよ、あっちこっちにストーリーのおかしなところがあり、冷静に見れば突っ込みどころ満載です。映像もグロテスクなところはあまりなく、視覚的な怖さもありません。殺された腹話術師の怨念も深く書かれているわけではないので、そういうゾクゾク来る怖さにも欠けています。ただ、現代の話なのに故郷での映像はちょっとクラシックな感じできれいと言えばきれいでした。

 

まだまだ続くよ

今年の桜はそろそろ終わりそうだという東京ですが、今日は寒い一日でした。なので、自宅で映画です。まずはこちら。

ひとりかくれんぼ 劇場版 -真・都市伝説-

です。

いわゆるアイドル・ホラーで、はっきり言ってしまえば、もう見飽きた内容です。取り立てて新趣向と言えるものもないので、気楽に見られます。結局、ひとりかくれんぼというのは降霊術の一種のようなもので、悪霊を呼び出してしまい全員殺される(殺されるのか、あっちの世界に連れて行かれるのかは不明)というストーリーです。

強いて言えば、途中で「もしかして、あの女教師が仕組んだやらせなのか」という思わせぶりもあり、そこの部分は当たっていたのですが、まさか自分も悪霊のターゲットになっているとは思っていなかったというのが、女教師の誤算でしたね。悪霊の造型は完全に「貞子」という感じですから、こちらも見飽きた感があります。

継いでの視聴、鑑賞はこちらです。

劇場版 SPEC 天

 

堤幸彦ワールド全開というところなのでしょうが、作品としては「ケイゾク」の方がはるかに面白くて、はまったという感想を持っています。とはいえ、SPECもテレビシリーズ以来ずっと見ていましたし、結構はまっていました。

今回は既に完結篇の映画公開がアナウンスされている状態ですが、そういう先入観があるからでしょうか、映画のはずなのにテレビシリーズを見ていないと作品を十分に楽しめないような始まり方ですし、此の後も続きますよ、というエンディングに感じられました。

つまりは、この作品単体としてはやや物足りない、すべてが中途半端に感じるということです。やはりこの秋の完結篇まですべてを見ないとならないのですかね。それはそれで興行側としては成功なのかもしれませんが……

 

併売効果はあるか?

このコンテンツはパスワードで保護されています。閲覧するには以下にパスワードを入力してください。

付き合うなら結婚?

書店回りの途次、何気なくすれ違った女性三名。

OLっぽくはなかったものの、大学生と言うほど若くもない、二十代半ばから後半とおぼしき三人組です。

そのうちの一人がちょうどあたしとすれ違うタイミングで表題のようなセリフを言ったのです。

付き合うんなら、やっぱ、結婚を前提にするでしょ……

文脈がわからないので以下は勝手な妄想ですが、たぶんその女性、最近誰かに告白でもされたのではないでしょうか? もう少し若いときだったら、結婚とか考えず、その人が気に入ったなら付き合っちゃえ、というノリもあったのでしょうけど、三十の壁が見えてきて、学生時代の友だちの結婚報告もチラホラ届くようになり、そろそろ自分もかと考え始めた頃合いだったのではないでしょうか?

あるいは長いこと付き合っている恋人と、ねえ結婚どうするの、的な話題が出て、相手が煮え切らない態度を取ったとか?

たぶん、そんなところじゃないかなあと妄想してしまいました。

すれ違った刹那だったので、連れの二人がどういう反応をしたのか、そこまではわかりませんでしたが、そうだよね、と同調したか、そんなに焦んなくてもいいんじゃない、と突き放したか……

なんとなく、ここが潮時なのかなと考えるものなのでしょうか? あるいはこの人があたしの運命の人なのかしらと悶々と悩んでいるのでしょうか?

いずれにせよ、あたしには縁のない話です(涙)。

プリウスを見た

既に書きましたが、先日福島へ出張に行きました。

とある書店に向かう途中、タクシーに乗っていると、隣の車線を走る車が目に留まりました。何気なく車種を確認すると、おしりのところにプリウスと英語で書かれたロゴがあります。ああ、プリウスか、そう言えば見覚えのある車体だなあと思いつつ、福島でもこうやって普通にハイブリッド車が走っているんだなあ、地球にやさしいという意識はいまや都会も地方も関係ないんだなあ、などと思いながら、走っていくプリウスを眺めておりました。

が、その刹那。プリウスの空いている窓から手が伸び、指に挟んだタバコの灰をチョンチョン……窓から落としているではありませんか!

プリウスに乗るなんて、大気汚染とか地球環境とか、そういうものに関心が高い人が乗るクルマでしょ、それなのに、そういうクルマに乗っている人がタバコの灰を窓から落としているなんて……

あの分では、きっと吸い終わったタバコも窓から放り投げるのでしょうね。これではプリウスも泣いています。

 

補充は?

このコンテンツはパスワードで保護されています。閲覧するには以下にパスワードを入力してください。