大晦日もただの一日

大晦日。

仕事している人も大勢いるんだろうなあ、と思います。郊外型ショッピングモールなどでは、多くのところが明日、元日もいつもどおりに営業(若干、開店や閉店時刻が変わる程度?)するのでしょうね。小売業の宿命とはいえご愁傷様です。書店でも、そういうモールに入っているテナントの場合、やはり明日もやっているんですよね。同じチェーンの書店でも立地条件が異なるだけで営業日が異なるなんて……

さて、なにかと慌ただしい師走、と言われますが、あたしはいつもどおりに過ごしています。年末年始の休みも、やや長めの連休くらいにしか考えていません。今年は結局、年賀状を買わなかったし、妹家族も来ていないので、特に正月らしいこともせず、お節料理もありません。

お節料理って、うちの場合、昔からほとんど作っていないんですよね。用意したとしても、せいぜい卵焼きと伊達巻き、それに筑前煮っぽい煮物、それとお雑煮くらいです。ほぼ買ってきた物を並べるだけです。あたしが子供のころは、まだまだお正月は3日くらいまではスーパーも営業せず、もちろんコンビニなんてなかったので、それなりに不便ではありましたが、世の中すべてがそうだったので、あまり不便ということを感じませんでした。ですから、暮れに、パンとか日持ちのするものをまとめ買いして、2日以降は比較的ふつうの生活に戻っていた、という記憶があります。

もちろん、うちは帰省しなければならない故郷がないので、盆も暮れもわざわざ混んだ電車に押し込まれて、あるいはほとんど動かない高速の渋滞に巻き込まれて帰省する、という体験はありません。恐らく、今後もそういうことはしないで済みそうな予感がします。ああまでして帰らないとならないものなのでしょうか? 不思議です。

で、大晦日ですが、過去にも書いたことがあるような気がしますが、あたしの場合、ただの一日でしかありませんので、取り立てていつもと過ごし方が変わることはありません。こういう休み中も、だいたい6時前後には起床していますので、夜も9時頃には寝てしまいます。それは年末年始といえども変わりません。

ここ数年、いやほぼ学生のころからの変わらぬ過ごし方ですが、大晦日も9時すぎには布団に入ります。紅白歌合戦も最後まで見ません。と言いますか、ほとんど見ていません。だからといって裏番組を見ているわけでもなく、だいたい8時半とか9時になると、いつもどおり布団に入って本を読み、そのまま眠くなったら寝てしまうというタイムテーブルです。

元日も、だいたい6時くらいには目が覚めます。目が覚めたら起き出します。あたしの場合、子供のころから、朝ご飯は牛乳をレンジで温めてココア(粉末)を入れます。それと食パンをオーブンで焼いたトースト、これだけです。親は何もしてくれません。自分で勝手にやります。親が既に起きていても、あるいはまだ寝ていたとしても、そんなことには関係なく自分勝手に朝食を済ませます。

ですので、元日も同じです。6時頃に起きて、ココアとトーストという朝食を勝手に食べることが、ほぼ毎年の通例です。お節的なものは昼とか晩ご飯でいただきます。

いや、元日については明日また書きましょう。今日は大晦日ですね。

大掃除もほとんどしません。多少は机の回りを片づけたり、埃がたまっているタンスのすき間を掃除したり、といった程度です。ふだんから、それほど散らかすタイプではないので、それに、これ以上整理のしようがないくらいものがあふれているので、もう大掃除はやっていないです。

いや、たぶん断捨離を実行したら捨てるべきものはたくさんあるはずです。まずは万をもって数えるところまではいってないと思いますが、千をもって数えるほどはある本ですね。読まないんだったら捨てれば、と本に興味のない人は言うでしょうが、あたしは本を捨てるという習慣がないので、これらは捨てられません。あたしが死んだら、遺族(誰が残っているのだろう?)に処分してもらいます。

ということで、今夜も紅白はほとんど見ずに寝ることになるでしょう。

下調べ

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種の保存

ここ数日、喉が痛くて、軽い風邪っぴき状態が続いているからなのか、変な夢を見ました。あたしが主人公なのではなく、あくまで夢の中の世界を観察しているという夢でした。

この数年、日本人の晩婚化、非婚化、そしてそれに伴う出生率の減少が話題となっています。つまりは、若者が子供を作らなくなったということなわけですが、それについて、いろいろな人が議論をしているのです。会議室でだったのか、シンポジウムのような広い会場でだったのかは覚えていませんが、とにかく学者がたくさん集まっていたようでした。

子供を作らないと言っても、あえて作らない夫婦・カップルもいるが、中には経済的に作れない人だっているし、欲しいし努力もしているけどできない人もいる、といった議論が交わされる中、これだけ子供を作らないことが問題になっているのに、なんで日本は性風俗産業が盛んなんだ、という話題も出てきて、いや、日本は世界的に見て性風俗産業が盛んなのか否か、議論はどんどん明後日の方向へ行ってしまっていました。

そんな中、また別の人が話を戻して、日本人はどうして子供を作らないのか、と改めて提起。作らないのではなく、作り方を知らないのか、といった極論まで出てきました。いや、どんな生物も、教えられなくたって子孫を残しているわけで、これに関しては教えなくたって自然と理解するものではないか、という至極もっともな意見が出されましたが、そこに疑義も呈されました。

そんな議論を聞きながら、あたしが思い出したのは、映画「青い珊瑚礁」です。

 

この映画の中で、子供だった二人は特に姓の知識もないまま成長し、でもブルック・シールズには赤ん坊が出来ます。彼女が嶋の原住民にレイプされたわけではないですから、当然二人の間の子供です。まるっきり知識がなくとも、このように子孫を作る能力というのは生物に本来的に備わっているはずだ、という意見が出される一方、現在の日本の子供に、果たしてこの本来の能力があるのだろうか、という意見が出されたわけです。

疑問を出した学者が、実験的に現在の日本の子供を使って実見をしてみようという衝撃の提案をしました。さすがに無人島に放り出すことはできないので、どこか人里離れた施設に男の子と女の子を隔離して、食べ物などはきちんと与えるとして、性的な知識が一切入らないような環境を作って生活させたら、成長した二人は教えなくとも子供を作るようになるのだろうか、という実験です。

いくらなんでも、それは人権侵害ではないか、という意見が出される中、やってみる価値はある、という賛成意見も少なからずありました。ただ、果たしてそういう環境でよいのか、という問題も提起されました。上記の映画のように、ほぼ原始的なな生活を送らざるをえなくなると、人間の欲望や衣食住という根源的なものに集中し、だからこそ種の保存という方向にも向うのだろうけど、現在の日本のように衣食住に関してはほぼ充足されていて、その他にもさまざまな娯楽があるような社会では、果たして種の保存という本能が目覚めるのだろうか、という意見です。

では、実験に参加する男の子と女の子にはフツーの生活を送ってもらうけど、性的な情報だけは一切シャットアウトしたらどうなるだろうか、という意見も出されましたが、性的情報を一切シャットアウトしたフツーの生活という実験場をどうやって構築するのか、そこで議論は紛糾です。

はい、なんでこんな夢を見てしまったのか、わかりません。特に読んでいた本、見ていたテレビでこういった話題が出ていたわけではありませんので、全くの偶然なんだと思います。あたしの潜在意識にこういう考えがあるのでしょうか? それはともかく、夢の中の学者たちの意見の中で、やはり興味深いのは「人間は教えなくても子供を作れるのかどうか」という点です。現在の社会では、なんだかんだ言ってもネットやマンガ、ドラマに映画など、セックスシーンが氾濫していて、それなりに性行為に小さいころから触れる機会はあります。あれが子供を作る行為と同じなんだと認識している子供は少ないのかも知れませんが。また、農家などで牛や馬を買っていると種付けなどがあって、体験的に子供を作るということを知る機会もあったかと思います。しかし、そういう機会をすべて遮断した場合、今の日本の子供や若者は、子供を作るという本能を持っているのか、保持しているのか、個人的には多少疑問に思えたりします。

果たして派閥抗争なのか?

中国の高官・令計画失脚のニュースが日本のテレビや新聞でもそれなりに取り上げられています。

中国に関心のない方には、「計画って人の名前なの?」というところからして、既に不思議ワールドかも知れません。ネットでは令計画の兄弟の名前がすごいとして話題になっているという副産物もあるようです。兄兄姉本人弟という五人兄弟で、「方針・政策・路線・計画・完成」という名前だというのですから、親は何を考えているのだか……。よっぽど共産党政権とその政策に揺るぎない信頼を寄せているのでしょうか? まあ、一連の報道で、同じく疑惑の渦中にいるお兄さんが「政策」という名前なので、ネット住民が面白がって調べてみたら、他の兄弟もすごい名前だったということなのでしょう。

それはともかく、あたし自身は彼らの名前には興味はありません。関心があるのは、日本の報道でしばしば見られる、今回の件を共産党内部の権力闘争と捉える見方です。図式としては、紅二代である習近平が、先代の総書記・国家主席である胡錦濤の支持母体である共青団の力を弱めるために、その有力者でもある令計画を失脚させたというものです。

確かに、今回の件、共青団にとっては痛手かも知れませんが、今後の十年、二十年先を見据えた人材ということになると、やはり共青団出身者が多くを占めていて、決して大きな痛手になるとは思えません。もちろん令計画を引き立てた胡錦濤の発言力が弱まるということはあると思いますし、それによって習近平の権力がいっそう強固になるという結果も生じるでしょう。

ただ、それで習近平の紅二代が力を得るのかというと、そうではないでしょう。そもそも紅二代を共青団に対立する派閥と見なすことがおかしいと思います。確かに親同士が政府高官同士であったりして、小さいころから仲が良かった、親しかったという関係は個人個人の間にはあるでしょう。でも、それによって派閥が作られるような関係なのかと言えば、そうではないと思います。二代目とはいえ、その境遇などにはかなりの違いがありますから、二代目で良い思いをした人と、逆に苦労をした人とでは同じ紅二代と括ってもよいものか、と思います。

ですから、今回の令計画の事件は、中国の派閥争いなんかではない、というのがあたしの見立てです。

では何か? とりあえず習近平とその政権から言えば、江沢民に近い周永康胡錦濤に近い令計画の二人を失脚させることで、二人の先輩総書記に対しても強く出られる点はあるでしょうし、こういう強い後ろ盾があっても容赦しないという一罰百戒的な意味もあったと思います。そして、この後者の意味の方が習近平にとっては大事だったのではないでしょうか?

一党独裁の中国共産党に自浄能力はあるのか? これは現在の共産党に突きつけられた非常に深刻な問題です。胡錦濤も温家宝もこの問題を放置しておいたら共産党は潰れるとまで語っていたくらいですから、トップレベルでは共有されている認識でしょう。しかし、庶民は「どうせ小物だけを言い訳的に捕まえて、本当にうまい汁を吸っている大物には何のお咎めもないんだろ」と思っているはずです。いや、そう庶民に思われていると共産党の幹部たちは恐れているはずです。だからこそ、トップに可愛がられたものといえども容赦しないぞ、というところを見せつける必要があったのだと思います。

共産党の危機感の表われ、本当に自浄能力があることを満天下に示すため、今回のことは起きたのだと考えられます。問題はこれで庶民の溜飲が下がるのか、ということです。

とりあえずは、「うん、習近平政権、やるじゃないか」「これなら本当に悪い奴らを退治してくれるんじゃないか」という期待を抱かせていると思います。でも、ここからが怖いところだとも思います。こういう感想を庶民が抱いているうちは習近平政権への応援団となりますが、このままもう何人か高官、トップに登りつめた人の腐敗、不正が摘発されたらどうなるでしょう? 庶民は「これで悪事が一掃されて、本当にきれいになった」と思ってくれるでしょうか? むしろ逆に「トップに近い連中の周りでこれだけの悪事を働いていた人がいたということは、まだまだ他にもいるのではないか」「これまで比較的クリーンと思われていた共青団出身者でも、高位に昇ると悪事に染まってしまうんだな」と思い、「結局は権力が共産党に集中しているからいけないんだ」「一党独裁が不正、腐敗の温床になっているんだ」と考え始めるのではないでしょうか? いや、既に第二次天安門事件のころから、そういう指摘をしている人は中国にも大勢いますし、現在も声を上げている人は数知れないでしょう。

となると、共産党を糾すために習近平がやっていることが、共産党を潰すことに繋がりかねません。かといって、腐敗追及は徹底的にやらないと庶民の支持は得られないでしょうから、習近平としては、どこまでやるか、庶民の風向きはどっちを向いているのか慎重に見極める必要もあるわけで、やはり難しい舵取りになると思います。

こう考えると、55年体制なのか知りませんが、複数政党制を実施しつつも、実質的に自民党の一党独裁が行なわれている日本が、習近平には羨ましくて仕方ないのない国に見えているのではないかと思うのです。

あたしの匂い

タイトルは「匂い」ではなく「臭い」の間違いではないか、と言われそうですが、とりあえずは「匂い」でよいのです。

先日、妹家族が来ていたと書きましたが、26日の晩には帰りました。27日から、また地元でいろいろと年末の行事があるのだそうです。子供を持つと、家族を持つと、忙しいことですね。タイトルは、そんな妹家族にまつわるエピソードです。

ちょうど一年前くらいにタブレットを機種交換しました。新しいタブレットは液晶に黄色いシミが出て、一度修理に出したものの、最近またシミが目立つようになったと、このダイアリーでも書きました。機種交換とは言っても、古い機種を渡して新しい機種を持ってくるというわけではなく、古い機種も手元に持っていてもよいことは、ガラケーやスマホと同じです。ドコモの窓口の方も、「新しい機種にトラブルがあったときに、SIMカードを差し替えれば古い機種も使えるので」と言ってくれましたし、カメラ機能などはSIMカードとは関係なく使えます。また、無線LAN環境さえあれば、別にSIMカードがなくても使えるのは、誰でも知っていることではないでしょうか。

あたしも、それまでのタブレットを持っていたのですが、子供の遊び道具としても使えるからと、妹家族にあげてしまいました。「あげた」というのが法律上問題であるのであれば、「貸している」ということになります。妹夫婦の家は、家の中に無線LANがあるようなので家の中であればタブレットも使えるはずですから。

で、妹や妹の旦那が、ちょっとしたネットでの調べものなどに便利に使っているそうなのですが、やはり今の時代の子供です。まだ幼稚園児なのに、甥っ子や姪っ子が器用にこういったデバイスを使っているというのです。あたしの子供のころには考えられない事態です。同じ子供と言っても、根本から違う人種なのではないかと感じます。

それはそうと、あるとき、一番下の姪っ子(3歳)がタブレットを抱えて匂いを嗅いでいるのを妹が見つけました。「何やってるの?」と聞くと、姪っ子は「おじちゃんの匂いがする」との答え。妹はその時点では、「お兄ちゃんがずっと持ち歩いて使っていたから、加齢臭がついているんだろう」くらいに思ったそうです。ただ、それを聞いた小一の姪っ子、年中組の甥っ子も代わる代わるタブレットの匂いを嗅いで、やはり「おじちゃんの匂いがする」と言ったので、妹も恐る恐るタブレットに鼻を近づけてみたそうです。

すると、お香のような香りがタブレットについていたそうです。

はい、あたしが仕事に使っているカバンには匂い袋が入っています。ですから、カバンを空けるとふわっとお香のよい香りが立ち上ることがままあります。匂いに敏感な人であれば、すぐに気づくのではないでしょうか? 仕事上では時々書店員さんに「なんか、いい匂いがする」と指摘されることがありますし、注文書がほのかに香っていたりします。そんなカバンにタブレットも入れて持ち歩いていたので、タブレットにも匂い袋の香りが移ってしまったのでしょう。

しかし、姪っ子や甥っ子にとって、あたしの匂いが「オヤジ臭」ではなく「匂い袋」の香りだなんて、ちょっと嬉しいエピソードではないですか! 先日も京都で匂い袋を買ってきたところですし、これからも素敵な香りを漂わせて仕事に励みたいと思います。

というわけで、タイトルは「臭い」ではなく「匂い」なんです。

同じ悪霊でも

録りためておいた映画鑑賞。「ホーンテッド・プリズン」と「MAMA」です。

 

まずは「ホーンテッド・プリズン」から。

大学を卒業して久しぶりに同窓会キャンプに向った男女七人が、廃墟となった刑務所近くの墓地で、殺人鬼の悪霊に取り憑かれ殺されてしまうという、ありがちなホラーです。悪霊が人から人へと乗り移っていくのは斬新かも知れませんが、目の色とか表情、様子で誰に乗り移ったかがすぐにバレてしまうのはどうなのでしょう? この手のアメリカ若者ホラーにおきまりのエッチなシーンもあり、ドラッグでラリっているのも出てきて、そのあたりは定石どおりです。そして一人、また一人とコロされていくのも予定どおり。

途中で、悪霊の正体を知る、廃刑務所の元守衛が出てきて若者を救うのですが、結局彼も自分自身では何もできず、若者の一人に元刑務所長の霊を憑依させて殺人鬼の悪霊と闘わせるとは、「あれ?」という感じです。ただし、この二体の霊を飲み込んでみずからの命とともに葬り去ろうという覚悟は立派なのですが、結局、殺人鬼の霊はいつの間にか逃げ延びたはずの主人公に取り憑いていたというオチでは、あの闘いは何だったのか? 映画が当たれば第二弾を考えていたラストなのでしょうか?

続きましては「MAMA」です。

タイトルどおり「お母さん」が重要なんですが、この作品はホラーというよりも家族愛を描いた哀しい作品といえます。

同僚と妻を殺し幼い娘二人を連れて逃げた男性。深い森の中の古びた小屋で娘を殺して自分も死のうとしますが、すんでのところで何者かによって襲われ行方不明に。たぶん、何者かに殺されてしまったのでしょう。この「何者か」がママです。正体は森に住む悪霊です。

さて、五年たって、先の男性の弟が失踪した兄とその娘二人を懸命に探していますが、遂に森の中の小屋で娘、つまり彼からすると姪を発見します。5年間二人がどうやって生き延びたかわかりませんが、ほぼオオカミ少女と化していた二人。姉の方はそれでも少しは言葉を解し、少しずつ人間社会になれていきます。このおじさんが恋人ともに二人の姪を引き取り、一緒に暮らし始めます。そして精神科の先生が二人の姪の治療と観察にあたります。

当初、精神科医は姪二人が孤独に耐えるため「ママ」と呼ぶ架空の存在を作り上げ、その「ママ」に育てられたと思い込んでいたと診察するのですが、徐々に「ママ」というのが実在し、かつて小屋の近くに存在した精神病院から逃げだし、子供とともに崖から飛び降り自殺した女の霊であることが判明します。この時、抱えていた赤ん坊が掛けの途中の木の枝に引っかかり、女だけが湖に落っこちたわけで、そこから女は死んでも子供探し続ける悪霊になってしまったようです。で、たまたま小屋にやってきた女の子二人を見つけて面倒を見てやったいたらしいのですが、悪霊がどうやって育てていたのか、不思議です。

ただ、子供を思う母の気持ちが前面に出ていて、主人公もおじさんは途中で襲われて昏睡状態になってしまうので、大して活躍はしませんが五年も行方を捜し、見つかったら引き取ると主張するところはなかなか父性愛にあふれている人です。また主人公の恋人(たぶん映画としてはこっちが主人公?)も、結婚もしていない恋人(それも、そろそろ縁の切れ目かなと思っていた?)の姪を引き取る羽目になって、最初は嫌で嫌でたまらなかったようなのが、一緒に暮らすうちに母性に目覚め、最後は命を張って悪霊の「ママ」と対決するなんて立派です。

悪霊だとも理解できず、素直にママを慕う子どもたちがけなげです。最後、姪っ子二人のうち、姉はおじさんたちと暮らす道を選び、ママの手をふりほどきますが、妹はママと一緒に行くと言って笑いながらついていきます。そしてママと妹は崖から落ちていくのです。

えーっ、この手の映画なら、フツーは姉妹二人とも助かってハッピーエンドにするでしょ? なんで一人だけ助かって一人は助からないの? という最大の疑問にして、最大の悲しみ。

でも、そうか、妹の方は結局ママが悪霊だとわからないわけで、いきなり現われた見ず知らずの人よりも、5年間育ててくれたママを選んだわけなのよね。だから最後、ニコニコしてママについていったわけですし。でもなあ、やっぱり、哀しい結末です。こういう不幸な境遇に置かれた子供を出してくると、ホラーと言えども哀しい、泣かせる作品になってしまいますね。

キャプテンハーロック

先日、WOWOWで放送された映画「キャプテンハーロック」を録画しておいたので視聴。

あたしの世代ですと、テレビアニメでやっていた「宇宙海賊キャプテンハーロック」を思い出したり、「銀河鉄道999」に登場したりと、そういうイメージが先行します。海賊と呼ばれながらも、単なる無法者ではなく、宇宙のため地球のために闘っているということは、頭では理解しているつもりですが、果たして細かな設定はどうなっていたのか、今となっては思い出せません。地球のためと言いながら、地球防衛軍の戦艦と闘ってもいたような……

 

本作は、どちらかというと小栗旬と三浦春馬という人気の俳優が声優を勤めたということの方が話題になっていた気がして、さて、映画本編はどうだったのだろう、という印象があります。

で、ストーリーを簡単におさらいしておくと、地球人類は銀河系に植民地を増やしていったものの、他の星の文明と折り合えず徐々に勢力を縮小、遂に地球へ戻ることになったものの、銀河に広がった地球人のすべてを地球で賄うことは不可能、よってカムホーム戦争と呼ばれる、地球帰還に向けての泥沼の戦争が起こりました。そこで人類はガイア・サンクションという調停機関を作り、地球は誰も立ち入ることを許さない聖地として管理し、人類は帰る故郷を失った流浪の民となった、というわけです。

このあたり、ちょっと話の展開が強引な気もしますが、まあ、それはおくとして、ハーロックはそんな神聖不可侵の地球を守る艦隊に所属していたのですが、ガイア・サンクションのお偉方だけは密かに地球に戻って暮らしていることを知り、彼らを攻撃し地球を壊滅させてしまいます。そこでお尋ね者となってしまったわけです。

その後100年、不死身の体を持ったハーロックは、地球軍から奪った爆弾100機を宇宙の隅々の設置し、時間の結び目をほどいて美しかったころの地球に戻そうとしているようなのですが、果たしてそれが物理学的に正しいのかどうかわかりません。また地球も青く輝いているのはホノグラム映像で、実際には赤黒く荒れ果てている状態で、地球人類は全員、ガイア・サンクションに騙されていたのです。しかし、その荒れ果てた地球にも植物が芽を出し花が咲いていることを知ったハーロックたちは、未来への希望を抱いて再び宇宙へと旅立っていく、という感じのストーリーです。

まあ「宇宙戦艦ヤマト」と異なり、異星の敵が登場するわけではないので、どうしても戦闘が仲間内のケンカっぽく、そこに死力を尽くした真剣さを感じないのはあたしだけでしょうか? また画像はキレイで、実写と思えるほどなのですが、人物の動きや表情が平板な気がしました。これが現在の3D技術の限界なのでしょうか?

 

ただ、そんなことはともかく、あたし、ハーロックってなんとなく不死身の人間ではなく、生身の人間だと思っていました。少なくとも「999」を見ている限りでは、機械人間を憎む側ですから、本人が機械人間であるはずはないと思っていたんです。もちろん、自分が心ならずも機械人間にされてしまったから機械人間を憎むという構図はありえますが、素直に見れば、やはりハーロックは生身の人間と信じたいところです。ところが本作では100年も生きている設定になっています。呪われてしまったから、といった説明のようなシーンがありましたが、本当でしょうか?

あと、もう一人(?)の主役である海賊船アルカディア号ですが、これまでのアルカディア号と比べあまりにも毒々しすぎませんか? それに全体的にどんなフォルムをしているのかよくわからないんですよね。主砲が何機あるのか、どんな武器を備えているのか、映画本編ではしっかり鑑全体が描かれるシーンが無かったように思います。それでも、全長1キロを越える大きさって、いったいどれだけなのでしょう? ちなみに宇宙戦艦ヤマトは設定上は300メートル前後ですので、アルカディア号の大きさがどれほどのものか想像できると思います。(昔のアニメや「999」に登場していたアルカディア号は、ここまで大きな船という設定ではなかったはずです。)

ファームウェア更新

自宅で使っているネットワークHDD、新しいファームウェアが公開されているので更新するようにというメッセージが出ていましたので、ファームウェアのファイルをダウンロードして更新を始めました。

アイオーデータの「HDL-AH2.0」というモデルです。この手の更新は何度かやったことがあるので、特に迷うこともなく始めました。が、しばらくすると本体正面の下部にランプがあるのですが、ここが赤い点灯になっているではありませんか!

どうも更新がうまくいかなかったようです。とりあえず、いったん電源をオフにしてもう一度やり直そうと思ったのですが、こんどは電源が切れません。これも、この手のトラブルではよくありがちな現象です。仕方ないので、最後の手段、電源ケーブルを抜いて強制的なシャットダウンです。

と、これで電源はオフになりましたので、再び電源投入です。

電源を入れると、先程の本体下部のランプが緑色で点滅を始め、これはウォームアップ中の印なのですが、じきに緑の点灯になり使える状態になるのですが、この緑の点滅がいつまでたっても終わりません。こういうトラブルの時には通常よりも時間がかかる可能性もありますから慌てずに様子を見ることにしました。通常なら数分で店頭に変わるランプが、一時間以上たっても点滅のままです。

もちろん、IPアドレスを指定して、パソコンのブラウザからアクセスしようとしてもできません。点滅が続いていると、電源ボタンを押して電源を切ることができないのは上述の通りです。電源ケーブルを抜くしか電源オフの方法が見つかりません。この操作を何度か繰り返してみましたが、状況は一向に変化なしです。

こりゃ、修理に出さないとなりませんかね? また出費になるのでしょうか?

昔から変わらず

昨日で年内の仕事納でした。まだまだ働いている書店員さんをはじめとした小売業界の方には申し訳ありませんが、年明け4日まで正月休みです。

さて、一昨日の晩、夜中に目が覚めたときに喉が痛くて、「これは風邪か?」と思いつつ、とりあえず薬を飲んで昨日をしのぎました。体中が痛いのですが、これも風邪の熱から来る痛みなのか、水曜日に重い荷物を持ったことから来る筋肉痛なのか、いまひとつはっきりしないまま、なんとか昨日をやり過ごしたわけです。

昨晩も、食後に風邪薬を飲み、できるだけ早くに布団に入りましたが、今朝も体はだるく、喉が痛いです。これで寝込んでしまうと、たぶん年内ずっと体調不良のまま行きそうなので、ここはなんとか踏ん張って本復したいところです。

しかし、仕事があるうちはなんとか元気に出勤するのに、休みに入った途端に具合が悪くなるって、あたしの場合、昔からなんです。小学校や中学校の時も、終業式までは元気に学校へ行ってくるのに、休みに入った途端に体調を崩すということがしばしばありました。一番鮮明に覚えているのは、何年生の時かは忘れましたが、終業式が終わって帰宅して、家で昼ご飯を食べる前に具合が悪くなってきて、そのまま寝込んだことです。

あたして、それくらい、ふだんの学校や仕事では気を張っているのでしょうか? そして休みになった途端にその緊張の糸がプツンと切れてしまうのでしょうか? だとしたら、ものすごい集中力ですし、オンとオフの切替のうまさとも言えますね。いや、もちろん体調なんか崩さないのがいいのはわかっていますが……(汗)

とりあえず喉は相変わらず痛いですが、パソコンの場合はキーボードを打つだけで、喉には負担をかけないからまだマシです。

クリスマス婚とか、元日婚とか……

歌手の中島美嘉がバレーボールの選手と昨日のクリスマスに婚姻届を出したとか、女優の杏と俳優の東出昌大が元日に入籍するとか、そんなおめでたい芸能ニュースが、朝の情報番組では流れていましたが……

嗚呼、あたしは、今年も結婚できなかった……(;_;)

「来年こそは」という期待というか決意も、もうこの歳になると戯言でしかなく、そろそろ現実を見据えて諦めた方がよいのか、そんな気がします。

「えっ? まだ諦めていなかったの? 遅いよ」と言われそうですね。はい、往生際が悪かったという自覚はあります。一縷の望みを抱いていたのですが、もう来年はキッパリ諦めます。

それにしても、あたし、自分がさっさと結婚できるとは思っていなかったけど、まさかこんな歳になるまで結婚せずに(できずに)いるとは予想もしませんでした。が、冷静に考えれば至極当たり前、原因があるから結果がある、何の疑問も不審もない、成りゆきだったと思います。

そもそも、この歳になるまで異性と付き合ったことがないですし(もちろん同性とも)、友達らしい友達もいません。友達の延長に恋人がいるのかどうかは、人それぞれの考えもあるでしょうが、あたしの場合どっちもいません。ずーっといませんでした。

あえて作らなかったというよりは、自分の性格などに問題があって「できなかった」と言った方が正確だと思います。はい、自分の性格の悪さは自覚しています。もしあたしが第三者だったとしたら、絶対あたしなんかと友達にはなりたいとは思いません。それくらいの自覚というか、自己分析はできています。自分で自分が好きになれないのに、他人から好かれるわけがないでしょう。

そうそう、それで思い出しましたが、年明け配本のUブックスの新刊『ピンフォールドの試練』ですが、これは小説家ピンフォールド氏が療養のための船旅に出て、その船上でさまざまな幻聴に悩まされる物語です。まだ読み始めたところなのですが、その聞こえてくる幻聴というのにもいろいろあるのですが、それなりの比重を占めるのが自分の悪口です。他人が常に自分のことを悪し様に言っているのではないか、そんな被害妄想(?)から幻聴が聞こえるのかも知れませんが、このピンフォールド氏の感覚、あたしにはよーくわかります。

あたしも小中高と、クラスの中で嫌われっ子で、軽い仲間外れとかイジメに遭っていたのですが、ですから、クラスメートが何人か教室で話をしていると、常に自分の悪口を言われているような気がしたものです。実際のところ、そのほとんどは被害妄想だと思いますが、中には実際にあたしの悪口を言っていたこともあったはずです。今度の新刊を読んでいると、自分の学生時代、暗かった時代を思い出してしまいます。