2014年のアーカイブ
須賀敦子翻訳賞
大丈夫か、白水社!
亜流の亜流の亜流?
FOXムービー プレミアムでやっていた「アイス・ジョーズ」を視聴。
タイトルで既にわかるとおり、数あるジョーズものの一つです。今回は、雪の中をおよび回るサメがスキー場でバカンスを楽しむ若者たちを襲います。例によって、儲けることしか考えないスキー場のオーナーや地元の町長、それに対して正義感あふれる(途中からですが)保安官という構図は、まさに「ジョーズ」でしょう。
ところで、「なんで雪山にサメ?」ということの種明かしをしておかないとなりませんね。
映画の中で19世紀半ばと言っていましたので200年くらい前と考えてよいでしょうか。このスキー場はゴールドラッシュに沸き返り、多くの人が一攫千金を夢みてやってきたそうです。ところがここには先住民が住んでいて、この山を自分たちの神が宿る場所として神聖視して暮らしていたのです。当然、原住民と新参者(→たぶん白人でしょう)との闘いになりますが、旧式の武器しか持っていない少数の先住民では抗することもかなわず、女子供に至るまで虐殺されたそうです。その先住民の恨みを、ただ一人生き残ったシャーマンが一つに合わせ、いくら掘削してもそれを壊すような呪い(でしょうね)をかけたのです。その呪いの結果生まれたのがサメの形をした「スカッカム」というクリーチャー、化け物です。その後、暴れ回ったスカッカムをシャーマンがトーテムポールに封印して化け物は消え、いつしか山にも平穏が訪れて現在へ、という流れです。ナパーム弾のようなものが打ち込まれたせいで、そのトーテムが倒れ、封印されていたスカッカム、つまり人喰いサメの形をした化け物がよみがえってしまったというわけです。
さて、悪者がサメに食われるのは当然、遊びに来ているだけのアホな若者たちも何人かが犠牲になるのはこの手の映画の常道ですから予想の範囲内です。問題なのは、一応は海洋生物学者というふれこみであり、なおかつ25年前にスカッカムに襲われたのに唯一生き残ったという設定の女性(正義の保安官の恋人)が、何の活躍もしなければ、この惨劇解決の助けにもなっていたないことです。何のための設定なのか……
また、主役と呼んでよい休暇を楽しみにやってきた海兵隊員も、奮闘しますが結局は悪霊の権化であるサメの前になすすべもなく逃げ惑うばかり。悪霊が姿を現わしているわけですから、銃や爆弾ではやっつけられないのはわかりきっているのに、ではどうしたらよいのかがまるで考えつかないようです。
そして、この惨劇はどうやって終息するのか? それがこの映画の大どんでん返し的なところです。
途中でちょこっと変な日本人の女の子が出てきます。白人の男にナンパされたりしつつも、「あたし、スキー、うまいから」とあっさりかわして山の奥へ。そこで倒れているトーテムを元へ戻すと、その瞬間、サメ、否、スカッカムが消えるのです。つまりまた封印されたということなのでしょう。トーテムの数だけサメが泳ぎ回っていたのですが、トーテムを一本元へ戻すごとにサメが一頭ずつ消えていきます。
この謎の日本人はシャーマンの血を引く者だったのでしょうか? だったら、なんで日本人だったのでしょう? 同じモンゴロイド繋がりですか?(たぶん先住民って、いわゆるインディアンなどのモンゴロイドだったのでしょうね) あるいは、たまたまスキーをしていて倒れているトーテムを見つけて立て直してあげただけなのでしょうか? いや、そんな感じはしないです。やはり、トーテムが倒され封印が解かれたのを知って急いで駆けつけてきたと考えるべきでしょう? でも、だとすると、のんきにクラブハウスでコーヒーブレイクをしていた理由がわかりません。
うーん、謎の日本人女子。アメリカあたりではよいのでしょうけど、あのたどたどしい日本語も聞き捨てならないものでした。
結局、海兵隊員とその恋人たちは何とか助かるのですが、自分たちがなぜ助かったのか、サメがなぜ忽然と消えたのか、その理由はわからぬままスキー場を後にするのです。実際に自分がこんなめに遭ったら謎解きなどどうでもよく、とにかくその場から逃げたいと思うはずですから、この展開は自然ではありますが、映画としてはどうなのでしょうか?
それにしても、「ダブルヘッド・ジョーズ」「シャークトパス
」「シャークネード
」「ゴースト・シャーク
」と言い、スピルバーグの「ジョーズ」の精神はどこへ行ってしまったのかと思えるような映画が量産されていますね。
ここまで来ると、もう悪ふざけとしか思えないです。あとは、もう陳腐なアイデア勝負、やったもん勝ちといったところでしょうか?
たぶん、今後も作られ続けるのでしょうね。
これなどは「ゴジラ対ガメラ」「ゴジラ対キングギドラ」のノリではないでしょうか? そのうち「ジョーズ対ジェイソン」というのも作られるのではないでしょうか?
「女がいる」の中に自分がいる?
エクス・リブリスの新刊『女がいる』読了。「女がいる」で始まる断章、それも散文詩のような文章で綴られた小説です。
先の『エウロペアナ』同様、ストーリーがあるわけではなく、そういう意味では、物語を楽しみたい人には物足りないかもしれません。本作はどこから読み始めてもよいし、どこで読み終えてもよい作品だと思いますし、著者がなぜここまで書いたのか、まだ先があるのではないか、どうしてここで終わっているのか、そんな風にも感じられます。
97の断章は、著者というか語り手の周囲の女性について語られています。女性でない人も出てきますが、それが特に全体に影響を与えることはありませんし、実は「女がいる」で始まらない章もあります。そういう細部に拘らず、全体を読み通してみると、たいていの人は、ここで語られる断章の一つくらいは共感できる、自分でも体験したことがある、というような思いにとらわれるのではないでしょうか? そういうところに注目すると、本作は仏寺にある五百羅漢(→この中に自分を見つけることができる)のような作品であると感じました。
語り手は、もうそれほど若くはない男性で、その語り手が元妻や現在の妻、そして母親について語ります。「妻」と書きましたが、ヨーロッパのことですから、必ずしも法律的な婚姻関係にあるとは限らない感じを、読んでいると受けます。いわゆる同居人とかパートナーと呼ぶべきでしょうか? 語り手が中年のようなので、その「妻」も中年で、若さに弾け、魅力あふれる女性としては描かれてはいません。むしろ生活や人生に疲れ、時にはイライラして語り手にあたるような情緒不安定な面も見え隠れします。この不安定さが、東欧の特色なのでしょうか? と、簡単に結びつけてしまってはいけないのでしょうが……
個人的には、63章の意地悪な感じ、73章の初々しい感じが好きです。そして85章を、そのまま大好きな女性に送りたいなあ、と思いました。そんな風に、たいていの人は、特に中年にさしかかった人なら、どこかしらに自分を投影できる作品ではないでしょうか。
2時間スペシャルで十分?
WOWOWで夏に放送された「劇場版 ATARU THE FIRST LOVE & THE LAST KILL」を鑑賞。
実は、テレビドラマの時は全く見ていなかった作品です。が、その後放送された2時間スペシャル
を見て「なかなか面白いじゃない」と思い、映画館には足を運ばなかったものの、ようやくWOWOWで放送されたので録画しておいて、ようやく鑑賞したという次第です。
さて、感想ですが、正直言って、映画としてどうなの(?)と思います。2時間スペシャルで登場した堀北真希が中居演じる「ちょこざい」と同様のサバン症候群的な症状を持った天才として登場するのはよいでしょう。でも、結局、それを活かした犯罪が行なわれたのかと言われれば、単に天才プログラマーとか、天才ハッカーが主役の犯罪ドラマでもありがちなものです。それを食い止める「ちょこざい」も同じく天才プログラマーというだけの存在で、しかも今回の映画では捜査にはほとんど協力というか活躍している感じがありません。
シリアスな犯罪ものなのに、小ネタを混ぜたおふざけシーンに賛否両論あるかと思いますが、テレビドラマからの流れですから許容範囲です。個人的には、やはり映画なのですからもっと壮大な犯罪計画、そしてあっと言わせるようなどんでん返し、巧妙なトリックや仕掛け、それを解く「ちょこざい」たちとのスリリングな攻防、そういったものを期待していたのですが……
これなら、先の2時間スペシャルとともに、前後編のスペシャルドラマでもよかったのではないか、そんな気がします。あと、村上弘明の喫煙シーンが多すぎるような気がします。昨今はドラマでは喫煙シーンは極力カットになることが多い(規制がある?)のに慣れてしまっているので、そしてあたし自身がタバコが嫌いなので、どうもあのシーンだけはいただけません。
そう言えば、今クールのドラマ「すべてがFになる」でも、綾野剛の喫煙シーンが気になりますね。原作の彼がヘビースモーカーなのでしょうか?
まさに華!
昨日見に行ってきた東京国立博物館の「東アジアの華 陶磁名品展」について、まだ書いていなかったですね。
陶磁器は詳しくはないですけど、好きです。ただ、東アジアの美術品の展覧会として陶磁器が果たして「華」なのだろうか、そんな気はします。
東アジアの美術と言ってもいろいろあります。どれもすばらしいものばかりで、いずれがアヤメかカキツバタ、どれか一つを取り上げて「華」とは言えません。それとも東博のこの展覧会は「東アジアの華」シリーズで、今回は陶磁器を取り上げましたけど、書とか絵画とか、これまでにも、あるいはこれからもいろいろな展覧会が行なわれるのでしょうか?
それはともかく、今回の展覧会の感想です。印象に残っているものを順不同で書いてみます。
まずは日本の「火焰型土器」、これは教科書でよく見たなあ、という印象のままです。たぶん教科書に載っていたのはこれではなく、別の火焰型土器なのでしょうけど、既視感はありありでした。
全体的に地味で、パッとしない印象のある日本代表の中で、仁清の「色絵月梅図茶壺」は立派でしたし、やはり目を奪われます。派手でありながら渋みがあり、落ち着いた風合いを感じます。
中国のものでは唐三彩がやはりいいですね。個人的にも、初めての中国旅行の折、洛陽で小さな唐三彩の馬を買いました。卓上どころかてのひらサイズのカワイイものでしたけど、帰りの荷物を増やしたくない身としては大きさも値段も手頃で、小さくてもしっかりと唐三彩のよさは表われている一品でした。そんな想い出があるので、唐三彩には惹かれます。
そして美しい造型だと感じたのは「青磁龍耳瓶」です。二頭の龍が頭を突っ込んでいる造型もカワイイですし、青磁とはいえ、その白さが美しかったです。
そして青磁、白磁と言えば、個人的にはやはり朝鮮が一番という印象があるのですが、「青磁竹櫛文水注」は、青磁の美しさと竹模様のバランスが見事でした。青磁や白磁はつるつるの表面という先入観を見事に覆してくれました。
とはいえ、「白磁壷」の美しさにはため息が出ます。また「青磁亀形水注」や「青磁象嵌辰砂葡萄童子文水注」には美しさの中に微笑ましいかわいさを感じます。
全体としては派手ではありませんが、好きな人には味わい深い展覧会になっているのではないでしょうか?
さらについでに、本館二階を一巡りした中では、「唐物ってなに?」展が一番面白かったです。同じようなものですが、中国で作られたものと日本で作った物を並べて展示してあります。中国と日本の作風の微妙な違い、あたしのような凡人にはその差がほとんどわかりませんが、こういう展示はとても興味深いものです。
焼き物が多いので、「東アジアの華」の後に見学すると、なんとなく連続的な感じもして面白いのではないでしょうか?
微笑ましきかな
午前中に、母の姉が住む新小岩へ行って来ました。母も一緒です。
伯母の住む団地というかマンションというか、都営アパートなんですが、そこの外壁補修が近いうちに始まるとかで、伯母がこれまで丹精込めて世話をしてきた植木が、工事の邪魔になってしまうそうなのです。そこで母のところに連絡が来て、「これ、お前の家に持って行ってくれ」ということになり、クルマで取りに行ってきたというわけです。
それはともかく、朝起きて食事をしたらすぐに家を出て、片道約1時間半の行程。伯母の家で植木を積んで、一休みしたら出発です。帰りの方がやや混雑し、自宅に戻ったのはお昼過ぎ、午後1時になろうかという時間でした。
ちょうどそんな時間でしたので、帰路の五日市街道、小金井公園に向かう人がかなりいました。クルマは駐車場の入場制限が行なわれていましたし、歩いて公演に向かっているような人も大勢見かけました。そんな徒歩で公演に向かう人の中に、ひと組のカップルを発見。
武蔵小金井から歩いてきたのでしょうか? 男性の方がスマホを片手に道を確認しながら歩いています。そしてもう一方の手にはおにぎり。女性の方もおにぎりをほおばりながら男性の隣を歩いています。
休みの日に、歩いて小金井公園へデート。高いレストランなんかには寄らず、手作りか、はたまたコンビニで買ったのか、お昼はおにぎりで済ますなんて、なんて安上がり、否、微笑ましいカップルでしょう!
ちょっと感動してしまいつつも、あたしには縁のない世界だわと、ちょっとしたジェラシーを感じた昼下がりでした。
北欧文学が読みたいの?
本日の朝日新聞読書欄に、立教大学で行なわれる北欧ミステリー・フェスの記事が載っていました。北欧というとミステリーなんでしょうか? ほとんどミステリーを読まないあたしにはいまひとつピンと来ないのですが、たぶん、そうなのでしょう。
でも、別にミステリーじゃなくても、フツーに北欧の文学作品を読みたいという人だって大勢いるのではないでしょうか?
あっ、別にミステリーは文学ではないという偏見とか、そういったものを持っているわけではありません。単純に書店の棚構成を見ていると、ミステリーやファンタジーは別に独立した棚になっていることが多いので、これら以外の文学とは読者層とか売れ方とか、かなり異なるのかなあと漠然と感じているだけで、優劣を付けるつもりはありません。
好き嫌いはもちろんあるでしょうが、ミステリーを一括りに好きとか嫌いとか言えませんし、ミステリー以外の文学をまとめて好きとか嫌いとか、そんな風にも言えません。あまりに当たり前な意見ではありますが、作品それぞれだと思います。
閑話休題。
上記のフェスに合わせ、書店でコーナーやフェアをやっているのかどうかは知りません。別に北欧に限らず、意欲的な書店員さんなら、ある月はフランス文学フェア、ある月はラテン文学フェア、といった具合に、そういう取り組みや仕掛けを行なっているものです。もちろん、こういうイベントがあるから、それに絡めてフェアを開催するというのは常道ですので、たぶん都内の書店でも探してみれば北欧ミステリーフェアをやっているところ、更にはもう少し広げて北欧文学フェアとか、あるいは文芸書に留まらず、北欧フェアなんてコーナー作りをしているところもあるのではないかと思います。書店それぞれで、大いに盛り上がってもらいたいと思います。
ところで、上にも書いたように、フツーに北欧の文学が読みたいなあと思った本好きがいたとして、「さて、何を読もうか」と考えたとき、どういう行動を取るでしょうか? 図書館へ行くのでしょうか? でも、かなり大きな図書館でないと、海外文学作品が揃っているとは思えません。未確認ですが、そんな気がします。では、本屋に行くのか? これも図書館以上に、大型の書店でないと、海外文学作品はろくに置いてもいないでしょう。都会に住んでいる人であれば、ちょっと都心部へ出たときに大型書店へ立ち寄れば、海外文学コーナーの一角に「北欧」のコーナーがあるのではないかと思います。
では、そんな都会に住んでいない人はどうするか。ネットで調べるしかないのでしょうか? 昨今は、お年寄りでもPCやスマホを使いこなす時代ですから、田舎の人だから、老人だからといった先入観は捨ててかからないとなりません。では、ネットでどうやって検索するのか?
いきなり、「北欧文学」でググるのでしょうか?
たぶん、そうではなく、多くの人はアマゾンなどのネット書店で検索するのではないでしょうか? で、あたしもやってみました。ただし、検索と言うよりは、もっとオーソドックスな方法です。
アマゾンのトップページに「カテゴリーからさがす」から「本」を選び、さらにその下位ジャンルで「文学・評論」を選択します。さらにその下の分類には「ミステリー」も見えますが、今回は「フツーの文学作品なので「文芸作品」をチョイスします。そうすると、「日本文学」「中国文学」などに並んで「英米文学」「ドイツ文学」などが見えます。よしよし、これで「北欧文学」を選べばよいのか、と探してみても見当たりません。残るは「その他の外国文学」です。
その他ってどこよ、と言いたくなりますが、「アジア文学」や「ラテン文学」はカテゴリーとしてありますから、たぶん北欧や東欧を指すのでしょうね。ちなみに、イランとかイラクあたりの中東文学は「アジア文学」に入るのでしょうか? トルコはどこでしょうね? アフリカだってあるはずなのに……
仕方ありません。「その他の外国文学」を選びます。基本的にカテゴリーをたどっていく方法ではここまでが限度です。これ以上は絞り込めません。「詳細検索」とかを使えばよいのかもしれませんが、とりあえずはカテゴリーをたどっていく方法ではここまでです。この中から北欧のものを探すなんて面倒でやってられませんよね。こっちはただ単に北欧文学にはどんなものがあるかざっと眺め、装丁とかタイトルとかで面白そうなものがあったら読んでみようかな、くらいのつもりでアマゾンのサイトを利用したのに、望むような結果は得られませんでした。
では、アマゾンではなく紀伊國屋書店のサイトならどうでしょうか?
こちらもトップページの「和書」からカテゴリーをたどっていくことにします。「和書」→「文芸」→「海外文学」→「その他ヨーロッパ文学」と、ここまでしかたどれません。やはり出版されている邦訳の点数、そもそもの人気(需要?)に差があるとはいえ、北欧だけを取り出すことはできないようです。
他のサイトもついでに調べてみました。丸善&ジュンク堂書店のサイトはこういったカテゴリーをたどっていくことはできないようです。楽天ブックスのサイトは、「本」→「小説・エッセイ」→「外国の小説」までしかたどれません。セブンネットショッピングだと、「文芸」→「海外文学」→「他ヨーロッパ文学」までです。
こういうとき、ネットで意外と使えないと思います。こういう場合の検索がうまくなるためには、また別なスキルが必要になるようです。それはそれで読者にはハードルが高いのではないかと思います。
やはり、こういう時はリアル書店ではないでしょうか? 上で、大型書店でないと海外文学はほとんど置いていない、と書きました。それはそれで正しいのですが、それでも少しでも海外文学を置いている書店であれば、「英米」「フランス」「ラテン」「中国」といったプレートが棚に表示されているのではないでしょうか? ネットでは検索の便を考え、そのカテゴリーに含まれる商品が少ない場合、わざわざカテゴリーを立てることをしないのかもしれません。でもリアル書店であれば、たとえ一冊か二冊しかなくても「北欧」とか「東欧」というプレートを立てることは可能です。もしかすると、書店員さんの趣味で、英米やフランス文学に比べ、すいぶんと北欧の占める割合の大きな書店があるかもしれません。
いずれにせよ、リアル書店であれば、それも大型の書店であれば、そういう棚プレートによって「北欧文学」を読みたい人の需要を満たすことは可能です。もちろんネットと同じように「英米」や「フランス」「ドイツ」はあっても、あとは一括りに「その他のヨーロッパ」という棚プレートの書店もあるでしょうけど、気の利いた書店であれば、「その他」の中もプレートこそないものの北欧と東欧はうっすらと分けているはずです。
こんなところが、やはりリアル書店のよいところ、ネット書店に対するアドバンテージではないかと思います。
ちなみに、アマゾンのサイトで、上記のようなやり方で、あたしの専門である中国文学についてたどりますと、「中国文学」の下には西遊記や三国志のような古典文学から、魯迅のような近代文学、そして現代の中国作家の作品まで、すべて一緒くたになって登場します。これはこれで使い勝手のたいそう悪いものではないでしょうか?
国宝展なればこそ
小雨降る中、三連休初日の午前中、東京国立博物館へ行って来ました。開門の少し前に着いたのですが、既に門の前には長い行列が2種類。既にチケットを持っている人の列と、これからチケットを買う人の列です。
なんでこんなに並んでいるのかと言えば、それは国宝展が開催中だからです。とりあえず入場制限はしていないようですが、中へ入っても相当な混雑が予想されます。故宮博物展といい、日本人は並ぶのが好きですね。そして、おとなしく、真面目に並んでいるものです。これが海外から賞賛される理由でしょうか。
そんな中、あたしは国宝展には目もくれず、本館の「東アジアの華」を見に行きました。開園前に並んでいたとおぼしき数百人が一斉に平成館へ向かう中、一人本館へ向かいました。案の定、会場はガラガラ、誰もいません。あたしが見ている間に数名が入ってきたくらいです。じっくり堪能できました。ついでに本館の二階も一回り。こちらもお客さんはほとんどいません。こっちにも国宝とか重要文化財は並んでいるのですけどね……
こういう特別展の時にガラガラの本館に来ると、意外と多いのが海外の方です。たぶん日本人が大英博物館とかルーブル美術館を見学に行くのと同じような感覚で、日本の首都・東京にある博物館の名品を鑑賞しに見えたのでしょう。国宝展をやっていることなど知らずに来たのであれば、あの大行列に何事かと驚いたのではないかと思います。本館の通常陳列ですと入場料もそれほど高くはないはず。それにゆっくりと見られますので海外からの観光客にはよい目の保養でしょう。
でも、そういう光景を見ていて、ふと思いました。国宝展だからこそ海外の方に見てもらいたいなあ、と。これだけ混雑していると現実問題として難しいのでしょうけど、たとえば平日に「海外からの方限定観覧日」とかって設けられないものでしょうか? そんな風に感じます。もちろん、日本人だからこそ日本の宝をしっかりと目に焼き付けるべきでもあるのですが。
それにしても前にも書きましたが、今朝も並んでいる人を見ていて思いました。仕事を持っていない人(失業者という意味ではなく、もう定年退職している年輩の方という意味です)は、こういう休みの日ではなく平日に来てもらいたいものです。もちろんサラリーマンだって全員が土日祝日休みというわけではないですが、それでも大多数の会社員は平日には美術館や博物館などを見に行くことは難しい身の上です。そういう人がせっかくの休日にゆっくり見られるためにも、平日に行ける人は平日に行って欲しいなあと思います。
ここはやはり、曜日と年齢によって入場料に差を付けるしかないのではないでしょうか、ね?