人狼ゲーム

録っておいた「人狼ゲーム」を鑑賞。

これはシチュエーションホラーと言うのでしょうか?

主人公・桜庭ななみが目を覚ますと、どこぞのセミナーハウスっぽい場所で見知らぬ高校生が何人かいます。そしてゲームのスタート。ルールがちょっとわかりにくかったのですが、この中に「人狼」役が二人いて、残りは「村人」役。各自が持っているカードにその役割が書いてあるわけですが、それぞれは誰が人狼で誰が村人かはわからない。ただ、人狼役はもう一人の人狼が誰であるのかはわかっているそうです。そして、毎晩8時に全員で相談して誰か一人を殺します。また夜中に人狼は村人を一人殺します。村人がうまいこと人狼二人を殺せれば勝利。逆に人狼が村人をすべて殺せたら勝利、というゲームのようです。村人は毎晩の話し合いで誰が人狼なのかを見破り、多数決でうまいこと人狼を葬っていかないと、夜中に殺されてしまう危険があるわけですね。

ゲームの冒頭、桜庭ななみが「村人」であることは彼女が自分のカードを確認するシーンでわかりますが、彼女以外の誰が村人で誰が人狼なのかはわからず話は進みます。で、ネタバレですが、最後は何とか人狼をすべて殺し、桜庭ななみと竹富聖花ちゃん演じるこのみが生き残ります。ちなみに、あたしは竹富聖花ちゃんって以前から好きです。美少女ですよね。ちょこちょことドラマに出てますよ。

これで終わり、変な施設から解放されるのかと思いきや、こんどは生き残った二人が「人狼」となって次のゲームがスタート、というところで終わりです。ついでに言いますと、最初のゲームの「人狼」役の二人は前のゲームで生き残った村人二人だったということも最後の段階でわかります。

つまり、このゲーム、人狼が勝ち残ったらどうなのかわかりませんが、基本的には生き残った二人の村人が次のゲームの人狼となってエンドレスにゲームが続いていくようです。果たして、キャストは一新していますが、続編が作られましたね。

結局、犯人、それが単数なのか複数なのかはわかりませんが、最後まで出てきません。最初はゲーム参加者の中の誰かが真犯人なのではないかと思って見ていましたが、ゲームの主催者まるっきり出てきません。そこが謎のまま残ります。続編でもそうなのでしょうか?

私戦予備罪って

少し前のニュースですが、イスラム国へ参加しようとした北海道大学の学生が事情聴取を受けたというニュース。

この報道に接して、あたしは、日本国内で武器や弾薬を隠匿していたとか、テロ行為などを画策していた、という明確な証拠でも出てこない限り、「イスラム国へ行きたい、参加したい」という理由だけで、この学生を逮捕できるのだろうかと感じていました。

が、その後の報道を見ていますと、日本には「私戦予備罪」というのものがあるのだそうですね。北大生はこの容疑で事情聴取されているようです。たぶん、ほとんどの日本人がこの「私戦予備罪」という言葉を知らなかったのではないでしょうか。かく言うあたしも知りませんでした。だから「逮捕できるのか?」という疑問を持ったわけです。

ところで、この私戦予備罪。この法律がどういうものなのかは、ネット上にいくつも情報がありますから、そういったサイトを見ていただくとして、そういう情報を見た上で、さらに疑問がわきました。

いや、これは疑問と言うよりも、時代が異なっていたら、という「歴史のif」の話です。

外国へ行って、外国の政府に対して暴力的な行為を企ててはいけない、というのが私戦予備罪の定義のようです。原題の日本人であれば、イスラム国以外なら、アルカイダとかをイメージするのでしょうか? 確かにテロ組織ですよね、現時点では。でも、こういうテロ組織っていつまでもテロ組織なのでしょうか?

何が言いたいかと言いますと、もし彼らの組織が政府を倒し、新しい政権を樹立し、それなりに国民の支持を取り付けて国家を運営してしまったら、それはもうテロ組織ではないのではないか、ということで、そういう可能性は今後も未来永劫ないのだろうか、ということです。

お前、何を言ってるの?

と言われそうですが、ここであたしがイメージしているのはアルカイダでもイスラム国でもなく、孫文です。彼と彼らの一派は時の清朝政府から見ると立派なテロリスト、テロ組織だったはずです。だからこそ、日本政府も表だっては彼らを支援しようとはしなかったわけで、当時の状況で語れば、清朝政府に仇なす敵以外の何ものでもなかったでしょう。

この孫文を支援した日本人がたくさんいました。有名なところでは宮崎滔天でしょうが、彼以外にもかなりたくさんの日本人が孫文とその仲間を支援し助けています。日本にいて支援していただけでなく、実際に大陸に渡って一緒になって活動していた人すらいました。

はい、彼らがもし現代の日本に生きていたら、私戦予備罪に問われたのでしょうね。警察に事情聴取されたのでしょうね。そう考えてしまいます。歴史がどう推移するかわかりませんが、時の政権がテロと決めつけ、すべてそちら側が悪であるかのように誘導するのは、もしかすると非常に危険なことなのではないのかな、とも思います。もちろん、あたしがイスラム国やアルカイダに賛意を示しているというわけではありませんが。

アマゾンは早くない!

さてさて、村上春樹が遂に取るのかと、毎年の風物詩のようなノーベル文学賞。今年はなんと、あたしの勤務先からも翻訳が出ているフランスの作家、パトリック・モディアノが受賞しました。いやー、驚きました。弊社でも受賞を予測していた人は皆無。受賞した今でも驚いている人がほとんどです。ただ、だからといって受賞にふさわしくない作家なのかと言われれば、そんなことはなく、受賞してみれば至って順当とも言えるものだったようです。

さて、たぶん昨晩8時の発表の後、書店員さんたちは早速、自分のお店にモディアノの作品が在庫しているかをチェックしたのではないかと思います。この時間では出版社はもう営業していませんからね。そして、ほとんどの書店が店頭にはモディアノの作品を持っていなかったのではないでしょうか?

モディアノの作品、弊社以外では作品社、水声社、集英社が出していたようです。「出していた」という書き方をしたのは、出版社に在庫があるのか、既に絶版になっていないのか、そういう問題があるからです。その結果、現在も在庫している、いわゆる「生きている」作品(翻訳書)は、作品社が以下のものです。

 

失われた時のカフェで』『さびしい宝石』『1941年。パリの尋ね人』の3点、水声社が以下の作品。

八月の日曜日』の一つ。そして弊社が一つ。

暗いブティック通り』です。

多くの方は書店に探しに行くのでしょうか? それともアマゾンで買うのでしょうか?

「書店は届くのが遅いからアマゾンで買うよ」、そんなセリフをよく聞きます。しかし果たしてそれは真実でしょうか? ネット書店とはいえ、アマゾンも一つの書店です。小売店です。そう考えた場合、本屋なら、そこに売っていればその場で買って帰れます、持って帰れます。でも、アマゾンの場合、午前中に頼めば、夕方くらいには届くのかもしれませんが、場所によっては翌日にならないと届きません。つまりアマゾンの方がはるかに遅いのです。それに当日や翌日に届くのは、アマゾンが自分のところの倉庫に在庫していればの話です。リアル書店がお店にその本を在庫していればその場で売れるように、アマゾンも自分の倉庫にあればこそ、すぐに配達ができるのです。

これは逆に言えば、アマゾンの倉庫になければ、出版社から取り寄せなければならないわけですから、そうなると流通上は街の本屋さん同じことになり、本が届くまでのスピードに違いはありません。アマゾンの倉庫に届いて自宅に配達されるのと、近所の本屋に届いて仕事帰りに寄るのと、どちらの方が速いのか、それはケースバイケースでしょうが、仕組み上はアマゾンが極端に速くなることはありません。

さて、今回のノーベル賞です。

まず、上に挙げた書籍はどれも、リアル書店では在庫しているところがほとんどなかったと思われます。なぜかと言えば、今売れに売れている、大ブームの作家というわけでもなく、つい最近の新刊というわけでもないからです。書棚のスペースに余裕がある大型書店で棚に一冊残っていればラッキーだったと思います。そして、それはアマゾンでも同じだったようです。いかなアマゾンと言えども、あらゆる出版社のあらゆる出版物を何十冊、何百冊と保管しておく倉庫などありません。いままさに売れている作家や書籍なら百や千単位で在庫しているかもしれませんが、それ以外は一冊か二冊持っていれば通常は御の字のはずです。むしろ日本中の全出版物という視点で考えればアマゾン自身が在庫していない出版物の方がはるかに多いでしょう。

つまり、リアル書店もアマゾンも出版社へ発注しないと入荷しないということです。なおかつ、出版社がこれらの書籍を潤沢に持っていたかというと、それも微妙です。まるっきり「在庫切れ、品切れ」ということはないにしても、一気にこれだけの注文が殺到したら、数分で在庫はすべてなくなってしまいます。後はいつ戻ってくるかわからない書店からの返品を待つか、出版社が重版するのに期待をかけるかです。

で、今回の場合、弊社も他社も、重版を決断したようですが、決断したからといって、明日明後日に出来上がってくるものではありません。大手出版社の文庫やコミックなどは数日で作ってしまうのかもしれませんが、こういう文芸書の場合、重版を決め手から出来上がるまで、二、三週間はかかるものです。それまではリアル書店もアマゾンもお手上げです。読者としては近所の書店に注文してもよし、アマゾンに注文してもよし、という状況だと思います。いま、上掲の書籍、アマゾンでもほとんどが品切れか、あっても中古品という状態ではないでしょうか?

弊社の場合、『暗いブティック通り』の重版は今月の24日に出来上がる予定です。これはあくまで出来上がってくる、という日付です。その日に出来上がってくるので、取次(←出版業界の問屋です)に出荷できるのが27日(25日、26日は土日なので)となります。取次から本屋に届くのに何日かかるのか、それは出版社にはわかりませんが、取次の倉庫は基本的には東京にあるので、東京に近い書店の方が早く到着すると言えます。平均すると、今月中に手に入るかな、というところでしょうか。

アマゾンを使う人の理由に、「カードが使えるから」というのもありますが、街の書店もちょっと大きなところならクレジットカードは使えますよね。気軽さで言えば、セブンイレブンで取り寄せるのが、近所にセブンイレブンがある人には便利かもしれないですね。

さて、出版社としてあとは何をすべきか。

まずは、いまは書店にもアマゾンを初めとしたネット書店にも『暗いブティック通り』はないと思います。出荷できていないのですからあるわけがありません。どうしても今すぐにというのであれば中古品を当たっていただくしかありません。「少しなら待つよ」というのであれば、重版をお待ちください。今月末には書店店頭に並ぶはずです。近所の書店に予約を入れていただければなおさらよいと思います。で、こちらも声を大にして、「いま重版しています。もう少し待っていただければ出来上がりますので、申し訳ありませんが、ご勘弁ください」という情報を流すことだと思います。ちょっと(?)待てば手に入るんだとわかれば、いたずらに古書価格がつり上がることもないでしょうし、変に気を揉むこともないでしょうから。我々もできる限り情報を拡散したいと思います。

返品について考える

ノーベル文学賞を村上春樹が受賞すれば、書店が活気づき、売り上げも上がり、出版不況にあえぐ業界には干天の慈雨となる。

確かに、そうでしょう。既に物理学賞を受賞されたお三方の著作の問い合わせが増えているとも聞きます。大本命・ハルキが受賞すれば、否が応でも盛り上がることは必至です。

ただ、先日も書いたように、今まで一部では読まれていたけど国民全体レベルではそれほど、という作家が受賞したのであれば売り上げの伸び、伸び代はかなり残っていると思いますが、こと、村上春樹の場合、既に相当数の国民がかっているはずですので、伸び代がどれほど残っているのか、疑問を呈する書店員さんもかなりいらっしゃいます。

それでも、受賞すれば売り上げが伸びることには変わりないので、受賞を期待するのは当然だと思います。やはり日本人が受賞するのは嬉しいですし。

さて、その出版不況。

よく言われるのがその返品率の高さです。他の業界ではわかりませんが、委託販売制度を採用している限り、そして薄利多種類を扱う出版という業界である以上、ある程度の返品率が生じるのはやむを得ない、必要悪であると、あたしは個人的には考えています。

では、業界的に、あるいはある書店として、またはあたしが勤務する白水社的に、現実的な数字として返品率がどのくらいまでなら許容範囲なのか。そんな具体的な数字はここには書けませんし、たぶん会社にょっても異なるところでしょう。ただ、それでも、あたしは、現在のような配本制度を採っている限り、ある程度の返品が生じるのはやむを得ないと思っているのです。人間が生きていくために呼吸する時、酸素を吸い込むだけでなく二酸化炭素を吐き出すように、書店が生きていくためにも商品の入れ替えとして返品が出るのは致し方ないことだと思います。

が、ここで思うのは最近増えてきたセレクトショップのような書店です。出版社や取次の配本パターンに任せるのではなく、あくまで自主的に吟味して仕入れるという体裁の書店です。雑誌などで書店特集、本屋さん特集が組まれると紹介されるような、雑貨も扱っていて、並べ方も従来の本屋さんのようではなく、書架もちょっとアンティークっぽいものを使っていたり、といった感じの本屋さんです。

そういう書店は、当然、自称なのか他称なのかわかりませんが、目利きと呼ばれる方が吟味に吟味を重ねて商品を選び発注し並べているのだと思います。当然、出版社の営業がお薦めしたからと言って、「はい、じゃあ、仕入れましょう」とはならない、そこには自分なりのこだわりがあるはずだと思います。

なのに、なのに、そういうこだわりの本屋さんと世間的には思われている書店からも、時に返品のお願いが来るのです。「えっ、ちょっと待って。そちらさんが自分で選び、自分の店に合っていると思ったからこそ注文した本でしょ。最後まで責任もって売ってよ」というのが嘘偽りのない、あたしの本音です。

でも、多くはないですが、来るんですよね、ときどき。

例えば、ある時季、お店の一角を使ってフェアをやったので、いつもより多めに注文していたけど、そのフェアが終わったので、通常の書架に必要な分以外は返品したいです、というのであればまだわかるのですが、そういう理由も何もなくお願いされてもですね……

お詫び

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今年も取らないで!

今年もノーベル賞の季節です。とりえず、医学・生理学賞では日本人は受賞が無かったですが、物理学賞で見事受賞したというのが現時点での状況です。

さて、あたしの属する出版業界では文学賞だけが注文されがちです。まあ、本を売っている商売ですから文学賞に一番注目が集まるのはしょうがないでしょうし、当然と言えば当然ですね。ただ、他の分野の賞でも、それに関係する書籍というのはあるもので、特に経済学賞などは受賞者の著作が売れるという傾向もありますので、一概に文学賞だけを追っていたのではいけない場合もあります。

で、文学賞です。

毎年のように村上春樹が候補に挙がり、大本命とも言われています。正直なところ、あたし自身は興味はありません。書店では「村上春樹コーナー」が作られ著訳書が並べられてそれなりに盛り上がっていますが、受賞を逃すといつのまにやら終息しています。

書店の方に話を聞くと、やはり話題になるこの時期、村上春樹の本はそれなりに売れるそうです。もしノーベル賞を受賞すればさらに売り上げのアップが期待できるので、やはり取って欲しい、という声も聞かれます。もちろん、村上春樹に限らず日本人の受賞は嬉しいニュースとして、なんとなく世間も明るくなるものです。

その一方、書店員さんの中には、受賞しても売り上げ増はそれほど見込めない、と言う方もいます。その理由は、既に散々売れているから、いまさらノーベル賞を取ったからといって村上春樹に手を伸ばす人がどれくらいいるのか、と懐疑的なのです。確かに、それは事実だと思います。日本人の受賞だったらどうなるかわかりませんが、この数年来、ノーベル賞受賞者の書籍、それなりに日本でも邦訳が出ていたりしますが、受賞を機にどれだけ売れたかと言うと、手放しで喜べるほどだったでしょうか?

それでも去年は新潮のクレストがかなり売れましたかね? 手を伸ばそうか迷っていた人がこの機に遂に購入したというケースが多数あったようです。でも、その前の莫言はどうだったでしょうか? それほど売れたような記憶はありません。やはり海外小説は、たとえノーベル賞を取ったとしても、それだけで売れるのかというと難しいものがあります。

で、村上春樹は、当然のことながら国内作家です。海外小説と同列には論じられません。それでも、ここ最近の新刊が出るたびのフィーバーを見ると期待したくもなります。ただ、「1Q84」や「ノルウェーの森」の時のような「猫も杓子も」買いに奔る現象が既に起こっている作家ですので、ノーベル賞を取ったから読んでみようという一般の人がどの程度残っているのか、そこが読み切れないところです。

あたしの個人的な意見としては、こうして毎年候補に挙がり、書店でコーナーが作られて、それなりに注目を引き、本がそこそこ売れるというのがずーっと続いてくれるのが一番「オイシイ」のではないかと思います。そのためにも、毎年候補には挙がるけど受賞しない、というのが理想です。

近くから? 遠くから?

この一年、小田急線と田園都市線の書店営業を担当してきました。あっ、この二路線だけではないですけどね、担当しているのは。

それはさておき、何回か、その回り方について書いてきたと思います。いや、回り方と言うよりも、帰り方と言った方が正確でしょうか?

あたしの場合、自宅の最寄り駅はJR中央線の国分寺か武蔵小金井です。ふつうに会社から帰るのであれば中央線で迷うことはありませんが、上記2路線を回っているとどうやって帰るのかも悩みます、というようなことを何回か書きましたね。曰く、渋谷や下北沢からの井の頭線経由、武蔵溝ノ口あるいは登戸からの南武線経由、そして長津田や町田からの横浜線経由です。

で、あたしの場合ですが、小田急線の下北沢とか経堂、成城を営業するときは、そのような順番で回って登戸から南武線というパターンが多いです。新百合ヶ丘や町田、相模大野まで足を延ばすと町田から横浜線経由で帰ったり、登戸まで戻って南武線経由で帰ったりします、

さて、小田急線の場合は町田か登戸がキーになるので、海老名や厚木まで営業するときは、まずは一番遠い本厚木まで行ってしまい、そこから戻るように営業してくるパターンが多いです。が、田園都市線ですと、一番遠いところは青葉台でしょうか?  いやその先にも書店はありますが、田園都市線で大きな書店といえば、二子玉川の紀伊国屋、溝ノ口の文教堂、たまプラーザの有隣堂、青葉台のブックファーストになるでしょう。

さて、これらの書店を回るとき、近場から攻めていくか、奥の方から攻めてくるかが悩みどころです。奥から攻めて戻ってきて溝ノ口で南武線に乗るか、あるいは近場から攻めていって、青葉台の先、そのまま長津田まで行って横浜線に乗るか。どちらの方がよいでしょう?

もちろん、書店の人とアポでもあって、行く時間があらかじめ決まっているなら話は別ですが、そうではない場合はどちらを選択する方がよいでしょう? 個人的には遠くへ先に行って、徐々に都心に戻ってくるコースを選択してしまうのですよね、あたしの場合。

他の出版社の営業の人ってどうしているのでしょう? もちろん、直帰するわけでしょうから、どこに住んでいるのかも大きなポイントでしょうけど。