リメイク?

録画してあった3作品を鑑賞。まずは「AVP2 エイリアンズVS.プレデター」を視聴。

エイリアンとプレテダーという二大異星人を一緒に出してしまった映画「エイリアンVS.プレデター」の続編だそうです。

あたしはパート1も見ているはずですが、それほどストーリーを憶えているわけではありません。エイリアンとプレテダーが闘っていたなぁ、くらいの感想です。でも別にパート1を見ていなくても、この作品はこの作品で楽しめます。一応続編ということで、前作を受け、エイリアンとプレテダーの混血児(?)が誕生し、それがプレテダーの宇宙船の中で誕生しプレテダーを襲い、宇宙船は地球に墜落。そのまま新種のエイリアンは地球人を殺しながら繁殖していくわけです。一方のプレテダーは墜落した宇宙船を追って地球にやってきて繁殖を続ける新種エイリアンを始末していくという寸法。

ところが、どんどん増えていくエイリアンに対してプレテダーは一人、と言うか一匹、というか一頭。これでは埒が明きません。底へ人間世界のドラマが中途半端に挟まってきて、結局人間たちはエイリアンを数匹は倒すものの大成に影響を与えることはなく、最後は軍によってエイリアンともども(たぶん核兵器で)街もろともぶっ飛ばされてしまうというラスト。かつてゾンビもので、街ごと核爆弾で消滅させてしまうと井浦ストがあったのを覚えているのですが(映画のタイトルは失念)、アメリカって最後は核爆弾で民間人も情け容赦なく殺してしまうんだなあと実感した次第。

それにしても、画面が暗くてよくわからないし、プレテダーとエイリアンの違いが造形的によくわからないのが、この映画の最大の欠点ではないでしょうか?

続いて、リメイク版の「死霊のはらわた」と、「死霊のはらわた 2」です。

 

前者はリメイクですが、オリジナルは妹の薬物依存治療なんて設定ではなかったはず。ちょっと思い出せないのですが、少なくとも今作の方がスッキリとしたストーリーになってはいません。これがよいのかわるいのか、何とも言えません。主人公が薬物依存となるとすべてが薬物による幻覚という可能性も捨てきれないからです。まあ、死ぬべき登場人物は簡単に死ぬし、生き残る登場人物はしぶといものですね。で、死霊に取り憑かれているので殺してもなかなか死なない、また襲ってくる、どうやったら殺せるのか、なかなか難しいところですが、手がかりになる本があるので、それをなぞればなんとかなりそうで、最後は兄妹愛でハッピーエンド、なのかしら?

後者は、これはホラーというよりもコメディーですね。笑えます。死霊が襲ってきているのに、切羽詰まった感のない連中。これでは殺されても仕方ないです。とはいえ、随所に笑えるところが満載。もちろんイタイ場面は多々ありますが、ホラーが嫌いで、これなら笑ってみられるのではないかと思います。

お薦めするか否か

光文社古典新訳文庫の『赤い橋の殺人』読了。

なんでも訳者である日本人研究者が再発見した幻の作品なのだとか。オビなどの惹句もちょっと面白そうという感じがしましたし、フランス文学なので一応は読んでおくか、という気持ちで手に取りました。

内容は、貧乏な境遇から成り上がったクレマンが些細な会話から冷静さを失い、徐々に追い詰められて最後には過去の殺人事件を告白するというストーリーです。この小説の文学史における位置づけなどは訳者解説が詳しく書いていますので、あたしがここで述べるよりもそれを読んでいただいた方がよいでしょう。この作品に対するプラス評価はすべて訳者解説に譲りますので、ここではあたしなりの不満点をあえて述べてみたいと思います。

まず、クレマンの人物造型が理解しづらいです。無神論者でどうしようもない悪漢のように設定されていますが、そこまでの陰影が足りないです。なぜそういう人物になったのかという点も突っ込みが足りないと思います。ですので、パーティーの席でのある殺人事件の話を聞いて動揺するところも唐突すぎると言いますか、これだけの悪党であればあの程度の世間話でうろたえるというのはおかしいと感じてしまいます。

次に探偵役と、解説では書かれているマックスも決して探偵ではなく、単にクレマンの話を聞いているだけの存在です。なんかおかしいな、とは感じるものの謎解きを積極的にしようという姿勢が見られるかというと、決してそんな感じはなく、友人クレマンに悩みがあるなら聞いてあげよう、くらいの立ち位置に感じられます。そして誰からも嫌われるというかつてのクレマン(←ここも、なぜ嫌われるのか、嫌われるほどのイヤな奴だったのかの描写はほとんどありません)に対し、どうしてここまで友情を貫くのか、そのあたりの事情もマックスの人となりもわかりづらいです。

基本的にはかつて殺人事件を起こした男が、そのときに奪った金を元に成り上がり、それなりの名士となったが、事件の発覚を恐れ徐々に平静さを失っていく物語という流れの中で、みょに細々とした描写がなされているところもあれば(←このあたりは、個人的にはゾラの作品に似たものを感じました)、かなり端折ってしまっている部分もあり、登場人物それぞれをもっと丹念に描けば、この倍以上の長さの作品になったのではないかと思いますが、より面白く、謎に満ちつつも、犯人にも共感の出来る作品になったのでは、という気がします。

以上、かなり辛口、辛辣なことを書いてしまいましたが、それは褒め言葉は訳者みずからが巻末の解説で書いているので、それ以上褒めそやしても仕方がないと思ったため、そしてあまり褒めすぎて、この本を読んだ方が落胆してもいけないなあと思ったからです。

ただ、この作品は、上に書いたような、あたしなりに感じる欠点はあるものの、この時代を考えるとやむを得ないのかな、実験的な作品なのかな、という気がします。情景描写の詳しさだけを求めるのであれば先行作品も多々あるでしょうが、推理小説、謎解きの要素を盛り込むとなると、ようやくポーが登場したような時代ですから、まだまだ不十分なものであたとしても仕方ないのではないでしょうか?

そのような意味では、謎解きとしては極めて単純で短絡的な事件しか起こっていませんので本格的とはとても言えませんが、ヨーロッパの推理小説史の中に位置づけて読むべき作品なのだろうなあ、と思います。そして訳者解説によると、この作品は小説(書籍)としてではなく、当初は上演されて受容されていたとのこと。そう考えたとき、肝心なところだけをテンポよく取り出して話を進めていくこの作品は、確かに演劇向きの作品ではあるかな、という気もしました。

ついに第3刷です!

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全巻揃います!

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スリーピー・ホロウっぽい?

ハリー・ポッターでお馴染みのダニエル・ラドクリフ主演のゴシック・ホラー「ウーマン・イン・ブラック 亡霊の館」を視聴。

原作は早川文庫の『黒衣の女 ある亡霊の物語』だそうですが、もちろん読んだことありません。ちなみに、あたしは「ハリー・ポッター」シリーズも読んだこともなければ、映画も観たことありません。あしからず。

さて、この映画ですが、長男の出産の折に死亡してしまった妻の面影を忘れられずにいる弁護士ラドクリフが、この仕事をうまくやれないとクビにすると事務所から申し渡されて向かったのが、ロンドンから列車を乗り継ぎ訪れた田舎。その田舎の村の外れの、広大な沼地の中の島に立つ大きな屋敷です。既に居住者は亡くなっていて、その財産の整理に訪れたという設定。

よそ者に冷たい視線を送る村人の雰囲気はよく見られるパターンです。既に列車も走り、自動車もこの村には一台あるというのに、中世のようなたたずまいというか、ひと昔もふた昔も前のままの住民たち。そんな村では、子供たちが次々と事故で死ぬという忌まわしい出来事が続いているのです。その原因がラドクリフが向かう屋敷にある、というのは言われなくてもわかりますが、なぜそうなったのかが徐々に明かされていきます。

以下、ストーリーを書いてしまいますと、この屋敷に住んでいた夫婦には子供がなく、妻の妹(だったかな?)の子供を養子に取ります。ところが、この夫婦は実の母親が子供に会わせてくれと言っても断わり、手紙のやりとりすらも断わるほどの冷たい夫婦だったようです。と、こう書くと「悪い夫婦」という印象を持ってしまいますが、どうでしょうね。自分の子供として育てたいと思って養子にもらったのだとしたら、いつまでも実の親がしゃしゃり出てこられるのはイヤなのではないでしょうか?

それはさておき、ところがこの養子の男の子が沼で溺れて死んでしまいます。そして沼だったからでしょうか、遺体も見つからず埋葬もされないまま、溺れたとおぼしき場所に十字架が立てられているだけでした。実の母親が会わせてもらえなかったのは子供が死んだことを知られたくなかったからかもしれませんね。そのあたりの時間の前後関係は不明ですが、とにかく息子の死は実の母親の知るところとなり、母親は養父母をなじり、挙げ句、この屋敷の子供部屋、つまり自分の息子の部屋で首をつって自殺してしまいます。

この母親がいまだに子供を思ってさまよい出てきては、目に付いた子供をあの世へ引きずり込んでいるのが数々の子供の事故の正体らしいのですが、それに気づいたラドクリフは沼地から男の子の遺体を見つけ出し、母親の棺桶に一緒に埋葬します。これで一件落着、母親もようやく成仏(←キリスト教世界では昇天と言うべきか?)したと信じ、列車でロンドンからやってきた4歳の自分の息子と、ロンドンへ戻っていきますが、そこで大どんでん返しというか、あっと言う結末が……

さて、ちょっとミステリーとホラーが融合し、時代を現代ではなく、やや迷信が残っていそうな少し前の時代に、舞台も都会ではなく田舎に設定しているところは、ジョニー・デップ主演の「スリーピー・ホロウ」によく似た感じがします。ビジュアル的にも影響を受けているのではないかなあ、という気がします。

肝心のラドクリフも、あたしは上に書いたように「ハリー・ポッター」を見ていませんが、そんな面影は微塵も感じられず、精神的にやられているインテリをうまく演じていたのではないかと思います。そんなところもジョニー・デップにちょっと似ていたかな、と思いました。

さよなら、タブレット

あたしの手元からタブレットがなくなりました。

この半年くらい、ドコモの「F-02F」を使っていました。外回り営業に出た時に、メールのチェックなど、それなりに重宝していたので、これがないと不便です。いや、無ければ無いなりに慣れてしまうのでしょうか?

別になくしたわけではありません。修理に出したのです。

では壊したのかというと、そういうわけではなく、壊れたわけでもありません。

実は、液晶の端の方が黄ばむという現象に、この数日気づきまして、よく見ると、画面の四辺のうち三辺に黄色い帯のような筋が入っているのです。もちろん画面の汚れではありません。拭いていましたが落ちません。かといって、操作や使用に支障があるのかと問われると、特にそういうこともなく、端っこの方なので気にしなければ気にならない程度のものです。

ただ、念のためネットで検索してみると、この症状、意外とヒットするんです。画面の黄ばみ以外に問題がなければ無償修理をしてくれるという情報もあり(←傷やへこみなど、いろいろチェックされ、そういうのがあると有償になる場合もあるようです)、とりあえずは、どんな対応をしてくれるか、本日午前中に近所のドコモショップへ行ってきました。

その結果、確かに黄ばみが確認され、他に傷などの問題もないので無償修理ということになり、タブレットを預けてきたという始末。ちなみに、ネットでヒットした記事の中には修理されて戻ってきても、しばらくするとまた黄ばみが出た、というものもありました。となると、何か根本的な問題、設計上の問題があるのかもしれませんね。とにかく、修理から戻ってこないと何とも言えません。

で、修理に出している間、ドコモショップでは代替機を貸してくれるということでしたが、二世代前のモデルしかないということなので断わりました。ですから修理が終わるまでタブレットなしの生活となります。それもまたスッキリしてよいかも、と思っています。

多少の不便はあるでしょうけど、タブレットのない生活自体にはあまり心配とか不安はないのですが、一番憂鬱なのは修理が終わって戻ってきた時です。タブレットは修理に出すに当たって初期化してしまいましたので、戻ってきた時には、カスタマイズした部分がすべてパーです。後から自分でインストールしたアプリもすべて無くなっているはずです。使わないアプリなら再インストールしなくても構わないですが、いったい何をインストールしてあったのか、そういう環境をバックアップしておけばよかったかな、いや、そもそもそういうバックアップの仕方ってあるのか、できるのか、そこがわかりません。

使っていた環境に戻すのに時間がかかりそうです。それに、一週間程度と言われましたが、そのくらいで戻ってくるのか……