THE AWAKENING

WOWOWで放送されたゴシック・ホラー「アウェイクニング」を視聴。やはりイギリスというのはこういう雰囲気が合いますね。

さて、ストーリーです。舞台は20世紀初めのイギリス。主人公のフローレンスは霊などの超常現象のインチキを暴く作家。つまりは科学的な考え方をする女性ということのようです。そんな彼女の元に、郊外の全寮制男子校の教師が、学校に幽霊が出るので調べて欲しいと依頼に来ます。そもそも幽霊などの存在を信じていない彼女は最初は断わるつもりでしたが、証拠とおぼしき写真を見せられ、結局調査に赴くことに。

その学校は、かつては資産家の屋敷だったもので、そこで男のが殺されるという事件があり、その男の子の幽霊が出ると噂されています。もちろんフローレンスはそんなことは信じず、生徒の誰かがいたずらをしているのだと推理し、いろいろな器具を校内に設置して、いたずらの証拠を見つけ、犯人を捕まえようとします。

という感じで進む前半。果たして誰か真犯人がいるのか、それとも本当に幽霊がいるのか、そこがなんとなく曖昧なまま、調査依頼に来た男性教師とフローレンスとのちょっとしたロマンスも絡め、話は進んでいきます。フローレンスがやってきてしばらくすると、学校が休暇になり生徒たちは一人を除いて皆自宅へ帰っていきます。学校に残るのはくだんの男性教師、寮母のローデ、自宅へ帰らず寮に残った生徒のトム。おかしなことがそれでも起こるので、フローレンスはトムの仕業と思い込みますが、銃を持った男性の姿を目撃したことから、しかしその男が写真に写っていなかったことで、封印していた自分の佳子を想いだしてきます。そしてストーリーは急転直下、事の真相が明かされます。

では、ここからネタバレ。この高校、元は金持ちの屋敷だったと書きましたが、実はフローレンスが生まれ育った屋敷です。住んでいた金持ちというのはフローレンス一家のことだったのです。しかし、父親が乳母と浮気をして男の子が生まれます。たぶん最初のうち、妻は乳母の子供が夫の浮気でできた子供だとは思いもしなかったのでしょうが、なにかのきっかけでそれを知ってしまい夫と大げんか。激昂した夫は銃を手に、ついに妻を撃ち殺してしまいます。それを見ていた幼いフローレンスも銃を持った父に追いかけられ、屋敷内を逃げ回ります。

隠し物置に隠れたところ、同じ物置の中に、たまたま遊んでいたのか浮気でできた男の子もいました。幼いフローレンスは、彼が腹違いの兄弟だと知らずに、幼なじみとして仲良くその屋敷で育ったようです。そんな二人が隠れていたところ、オルゴールの音が流れしまい、父親に隠れている場所が見つかってしまいます。「そこに隠れているのか」と銃を放つ父。次の瞬間、旨から血を流し、隠し物置の扉が開いて倒れ出てきたのは男の子の方でした。息子を撃ち殺してしまったことにショックを受けた父親は自分も銃で自殺。フローレンスはその後、幼女にもらわれていき、幼いころのショッキングなこの事件を記憶から消し去って生きてきたのです。

そして、寮母のローデが実は父の浮気相手であり、幼いフローレンスを可愛がってくれていた乳母だったことを思い出します。浮気は浮気として、乳母としてのローデは自分の息子と仕える主人の娘フローレンスを可愛がっていたようです。そして一人残った生徒のトムが、父親に殺された息子の幽霊だったのです。そしてトムの姿はローデとフローレンスにしか見えていなかったという次第。言われてみれば、他の生徒や教師はトムに気づいていなかったかしら?

ローデは一人ぼっちで彷徨っている息子トムに友達を作ってあげたかったと共に、息子を失い、娘のように可愛がっていたフローレンスとも引き離され、やはり抜け殻のようにその後の人生を生きてきたようです。そしてフローレンスを呼び戻し、記憶を呼び覚まして、幼いころのように、トムの友達にしようと図ったみたいです。結局、フローレンスはすべての記憶を取り戻し、トムは消え、ローデはフローレンスを道連れに服毒自殺を遂げます。フローレンスは間一髪、トムが解毒剤を飲ませてくれたので一命を取り留め、そしてジ・エンド。

ちょっと悲しい物語ですね。イギリスのちょっと昔を舞台にした、このようなゴシック・ホラーというのは、だいたいこういった悲しい物語が多い気がします。

戦後70年と言うより、アコーディオンの音

今年は戦後70年で、今日をピークにいろいろなことがありましたし、引き続きあります。たぶん、そんな中で一番の注目は戦後70年談話だったのではないでしょうか? 結果的にどうでしたでしょうか? 新聞やテレビで既にかなりの論評が出ていますが、「まあ、あんなものだろ」という予想の範囲内だったという意見が多いのではないかと思います。

個人的にいろいろ思うことはありますが、その中で気になったのは日露戦争の位置付け。談話では「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。」とあります。確かに「あんな小さな島国の日本が超大国ロシアを破った」ということ、「日本もつい少し前に近代化を始めたばかりの後進国だったのに、やり方次第ではヨーロッパの先進国に負けない国力をつけられるんだ」という事実は、いずれも植民地支配に苦しむアジア各国の人びとに勇気を与えたのは事実でしょう。でもその後の日本の歩みが、果たしてアジアの人たちに勇気を与えるようなものだったのかは疑問です。そのあたりのことは『アジア再興』を読むとよくわかると思います。どれだけアジアの人たちが日本に裏切られたのか、ということが。

その他、戦争を語り継ごうという特集が多く見られますが、あたしにとって戦争は非常に遠い出来事です。もちろん直接知る世代ではないことはもちろんなのですが、父方・母方どちらにも戦争に行った人がいないし、誰も戦争で亡くなっていないのです。父は昭和10年生まれで、戦争当時は房総の方にある本家筋へ疎開していましたが、田舎でのんびり、のびのび育ったような話しか聞いたことがありません。母は昭和18年生まれで、新潟の山の中の農家でしたから、ほぼまったく戦争の記憶はないようです。せいぜい村に疎開してきていた人が大勢いたということくらいのようです。

というように、あたしにとって先の大戦は非常に遠いものなのです。さらに気持ちの上でも遠くしているのが、幼いころに見た傷痍軍人の姿です。これについては以前このダイアリーに書いたことがありますが、当時住んでいた巣鴨のとげぬき地蔵の地蔵通り、巣鴨駅川の入り口付近にはアコーディオンを弾く傷痍軍人の姿がありました。余談ですが、だから、あたしはアコーディオンも嫌いなのです。どうしても好きになれません。

この腕や足のない初老の男性たち、子供心には恐怖以外の何ものでもありませんでした。もちろん当時のあたしには傷痍軍人という言葉も存在も知るよしもないですし、あの人たちがどうしてああいう姿になってしまったのか、両親に尋ねるような勇気もありませんでした。ただただ怯えていただけです。幸いに、当時のわが家はとげ抜き地蔵の高岩寺を中心に考えると、巣鴨駅とは反対側にあったので、高岩寺を越えて駅の方まで歩かなければ傷痍軍人を見ないで済みましたので、滅多に駅の方まで行くことはありませんでしたが。

で、やはり一番思うのは、今年は戦後70年というけれど、多くの識者が指摘するように戦前回帰のような空気が感じられます。戦前の日本だって戦争なんてする気はなかった人がほとんどのはずです。政治家も陸軍の中にすら戦争を目論んでいたのは少数だったと思います。それでもちょっとしたことから戦争は起きてしまうのです。第一次世界大戦が良い例です。そうならないために法律とか憲法とかいろいろな歯止めをかけているわけですから、それを一つ一つ無効化しようとしている現在の政治は、やはり戦前回帰と呼ばれても仕方ないのではないかと思います。戦後70年が新たな戦前元年にならないことを祈ります。

またドイツの戦後の歩みと比較されることも多い日本の戦後ですが、そのドイツですら、昨今はネオ・ナチがまた勢力をつけてきているわけで、『過去の克服』はそう簡単なことではない、常に心を引き締めてかからないと、いつなんどき復活してくるかわからない、油断のならない過去、決して活動をやめることのない活火山みたいなものなのではないでしょうか?

談話では「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」とも言ってますね。これなど、「あんたら愚かな政治家が、バカな発言を繰り返すから、いつまでたっても謝罪を要求されているんじゃないの?」と言いたくなりましたが、いかがでしょう?

図らずもシンクロ!

ようやく読み終わった『第二次世界大戦1939-45』ですが、読んでいると、ヨーロッパ人のソ連嫌いが非常に強く感じられました。なぜにそれほど嫌いなのか、アジア人であるあたしには理解しづらいのですが、『クリミア戦争』を読んだときにもそれは感じられました。

  

とにかく西欧の人たちはロシア人が嫌い、チャーチルなどの言動を見ていると、ソ連がヨーロッパに寝室してくるくらいなら、まだナチス・ドイツの方がマシとでも言わんばかりです。それほど嫌っているロシアに対し、『第二次世界大戦1939-45』になると、反共産主義、反ボルシェヴィキという感情も加わってきます。この点ではむしろ英国はドイツと同盟が組めそうなくらいです。

それはさておき、第二次大戦末期、ソ連がドイツへ侵攻してくるくだりでは、ドイツのいろいろな地名が出てきます。そして同時並行的に読んでいる『ネオ・チャイナ』で著者が中国人のヨーロッパツアーに参加してヨーロッパを旅するシーンがあるのですが、そこにトリーアというドイツの地名が出てきます。トリーアはマルクスの生まれ故郷です。ツアコン曰く、中国人ならトリーアへ来たがるでしょう、という趣向のようです。中国もののノンフィクションですから、マルクスに言及があってもおかしくはないのですが、ちょうど読み始めた評伝『マルクス(上)』が、まずはトリーアの話から始まるので、奇妙なシンクロです。

 

なんとなく、ここしばらく、あたしの心はドイツ国内をうろちょろしている感じです。トリーアってどんな街か全く知らないんですけど、ものすごく親近感がわいています(笑)。

指導者としては有能? 無能?

戦後70年だからというわけではありませんが、いや、そういうわけだからなのでしょうが、このところ第二次世界大戦関係の本を続けざまに読んでるなあ、という気がします。

  

やはり主役の一人であるヒトラーは関心を持たざるを得ないのですが、『第二次世界大戦1939-45』にせよ、『ヒトラーとナチ・ドイツ』にせよ、読んでいると、ヒトラーって有能な指導者だったのだろうかという疑問がわいてきます。

もちろんカリスマ的な存在で、歴史上の重要人物であるということは間違いないと思います。良くも悪くも(「良くも」は無い?)歴史を作った人ではあるでしょう。しかし、上記のような本を読んでいると、戦争指導者としても政治家としても、どれだけの手腕を持っていたのか、そこに疑問を持たざるを得ません。

確かに第一次世界大戦後の疲弊したドイツを立て直し、失業率を改善したという実績はありますが、それも上掲の本を読んでいると必ずしもヒトラーの功績ではなく、前任者たちがまいた種がヒトラー政権の時になってようやく花開いたらしいのです。ヒトラー自身に明確な政策というものがあったのか、はなはだ疑問です。

いや、政策というのであれば、反ユダヤ主義をはじめいくつか挙げられますが、それがドイツという国舵取り役として正しい政策だったのか。歴史のその後を知っているわれわれには「間違っていた」ということは簡単ですが、確かに当時のドイツ人の欲するところではあったわけで、それをうまくすくい取り、言葉にし、明確な目標・政策とした手腕は並々ならぬものがあったでしょう。そこまでは認めざるを得ません。ただ、それ以外の政策となると、彼は何をしたのでしょう?

ドイツの生存のために東欧へ勢力圏を広げるという方針は、当時としてはまだ「アリ」だったと思います。特に反ロシア、反ボルシェヴィキという点では英仏の支持や協力も十分得られたのではないかと思います。にもかかわらず西の方、フランスへ兵を進めるということもやってしまう点において、深謀遠慮と言いますか、先の先を見通す目を持っていなかったのかな、と思います。

ナチ政権は閣議というものを開かなかったようで、すべてはヒトラーの一存、ひらめき、思いつきで決められていったようで、途中からはほとんど「狂気の沙汰」の連続、とても兵法のいろはがわかっているとは思えないような指示ばかりになりますので、彼が軍事指導者としては二流、三流であったことは間違いないと思います。なので、せめて政治家としてはどうであったのかと考えても、めぼしい成果を挙げられないのです。

いや、数冊の本を読んだだけの付け焼き刃な知識ですから、これくらいでナチを語ってはいけないのかも知れませんが……

女の子だけがかかる呪い

WOWOWで放送された「劇場版 零」を視ました。元はゲームだそうですが、ゲームの方を知らないので、ゲームと比べてどうなのかということはわかりません。

 

で、ストーリーです。舞台は田舎というか地方都市の郊外、森の中にあるミッション系の全寮制女子高校です。クラスにあやという美少女がいるのですが、ある日突然自室に籠もり出てこなくなります。それ以来、クラスメートの女子が一人、また一人と失踪してしまい、クラスメートはあやの呪いだと噂し合います。

そういう噂が流れるには原因があって、この女子校には言い伝えがあり、それはかつて好き合っていた女の子同士が大人に引き裂かれそうになり心中事件を起こし、一人は死んだのですが、もう一人は生き残ってしまったという事件で、それ以来、死んでしまった少女の幽霊がこの町を彷徨し、女の子に呪いをかけ続けている、というものです。そして、好きな女の子の写真に、夜中の12時にキスをするとその呪いにかかってしまうというものです。

で、失踪した少女たちは全員あやの写真にキスをして、その後失踪していることから、部屋に引き籠もっているあやが密かに呪いをかけているのだという噂が広がったのです。が、クラスメートの一人、みちが部屋から出てきたあやと話をすると、その写真はあやのものではないと言います。あやそっくりの写真の少女は誰なのか? そして失踪した少女たちの行方は、という謎をはらんで後半へ突入です。

まずは失踪した少女たちの水死体が相次いで見つかります。ここからは一気にエンディングへ行ってしまうのですが、つまりは中村ゆり扮するシスターの犯行だったというのがオチ。なんでシスターがそんなことをしたかというと、彼女には知的障害活身体障害の弟がいるのですが、彼が毎日のように学園の貯水池のようなところへ花を投げ込んでいて、底に少女の死体が沈められているのに気づきます。この姉シスターはてっきり弟が犯した殺人だと思い込み、貯水池へ近づこうとする少女たちを殺していたというわけ。

なんで少女たちが貯水池に近づいたかと言えば、ここはやはり呪いなんでしょうね、貯水池に沈められた少女の霊に呼ばれていたからでしょう。たぶん、人知れずここに沈められ供養もしてもらえていないため、誰かに救い出して欲しかったのだと思います。なんか、ちょっと哀れです。

この少女があやとそっくりなのも最後に謎解きがあります。かつて一人が死に、もう一人生き残ったという心中事件、生き残ったのが園長シスターだったのです。園長はその後死んでしまった少女の霊に苦しめられ、誰かを生け贄として差し出せば救われると思い込み、幼いあやとその双子の姉を学園に引き取り、姉の方を貯水池に突き落として殺したのです。それを目の前で視ていたあやも一連の事件の中で過去の忌まわしい記憶を取り戻し、最後はあやと再び巡り会った姉もようやく成仏します。

結局、呪いはあったようですが、現実に起こっていたのは生身の人間による殺人でした。まあ、この手のホラーは多かれ少なかれそんなオチになるのが常道ですが。

さて、本作はどんな人が見るのでしょう? 原作となったゲームファンは、たぶんブーイングの嵐ではないでしょうか? だとすると美少女好きな男子が視るのか? それとも百合的なストーリーに憧れる女子が視るのか? 人里離れた全寮制女子高校が舞台というのは、ちょっとそそるものがあるのは確かです。それに出てくる少女たちもなかなかカワイイ女優さんが多かったです。全員がとは言いませんが、数年後には映画やテレビドラマでよく見かけるような女優さんになっているのではないでしょうか?

が、しかし、主演の中条あやみがいいですね。少女たちの中でひときわ目立つ神々しさ。前半は呪いの主人公としての存在ですが、その非生物的な魅力というのでしょうか、いわゆる「この世のものとは思えない」美しさがあります。後半の謎解きをしていく展開では、芯の強い血の通った女のを好演していると思います。ハーフだそうですが、いわゆる「ザ・美少女」という感じです。実は以前視た「渇き。」も、主演の女の子が美少女という触れ込みでしたが、演じた小松菜奈にはそれほど美少女を感じなかったので、本作はどうなのだろうと思っていたのですが、こちらはアタリでした。(小松菜奈も「渇き。」では「美少女」ではなく「魔性の少女」という設定でしたっけ?)

あと、弟想いが昂じておかしくなってしまう犯人のシスターを演じた中村ゆりもかわいくて好きな女優さんです。

モニュメンツ・メン

今朝の情報番組で、映画「ミケランジェロ・プロジェクト」が、11月にいよいよ日本公開と報じていました。

ミケランジェロ・プロジェクトって聞いても、たいていの日本人は知りませんよね? ウキペディアにも映画作品として立項されていますが、歴史事実についても書かれていますので、詳しく知りたい方はそちらをご覧ください。

で、簡単に言ってしまいますと、第二次世界大戦でナチ・ドイツによって強奪された各国に美術品を取り戻す活動のことで、そのために作られたのが「モニュメンツ・メン」というチームです。

まあ、戦争において略奪はつきものですから、ナチがそういうことを行なったというのも決して不思議ではありません。まして、ヒトラーはそれなりに芸術に関心を持っていた人物だったようですから、ヨーロッパの名品を自身の手元に置いておきたいと思ったとしても不思議ではないでしょう。しかし、盗られた方としてはたまったものではありませんし、ナチ・ドイツ崩壊の過程で、それらの芸術作品がどうなってしまうのか、非常に不安だったと思います。ヒトラーみたいなタイプの人は、自分と道連れに芸術品も葬り去ろうと考えがちで、事実、そのような歴史上の人物はたくさんいるわけですから。

ところで、個人的にはこの映画、ようやく公開になるのか、という思いが強いです。なぜなら、本当に日本で公開されるのか、ずいぶんと危ぶまれた時期もあったからです。リンクを貼ったページに、そのあたりの事情やこの作品の解説が載っていますので、興味がおありの方はどうぞ。

さて本題と言いますか、大切なお知らせですが、この映画の原作は『ナチ略奪美術品を救え』です。はい、あたしの勤務先の刊行物です。なかなかよいお値段ですが、そもそもがこんな大作映画になるというような娯楽作品ではなく、モニュメンツ・メンの活動を丹念に追った歴史ノンフィクションなのです。

 

ナチ・ドイツと略奪美術品と言いますと、先日このダイアリーでもご紹介した『ナチスの財宝』がありますが、同書は戦後から現在に至る、ドイツのトレジャーハンターのお話で、モニュメンツ・メンの活動を追ったものではありません。それでもナチスと略奪美術品について大まかなところは理解できると思います。またこれ以外にも、ナチと略奪美術品についてはいくつか書籍も出ていますので、書店でフェアをするのも可能だと思います。

 

ちなみにあたしの勤務先からですと、『ユダヤ人財産はだれのものか』『ヨーロッパの略奪』といった書籍がございます。

毎年この時季になると自分が結婚できない理由を深く自覚させられるのです

お盆休みです。サービス業など、休みでない社会人も数多いと思いますが、この時季に働いている人と働いていない人、実際はどのくらいの割合なのでしょうね? 大企業などでも、一斉休暇はなくて各自がそれぞれの予定に合わせて取る、というところも多いのではないでしょうか?

さて、それでも盆暮れは日本人の大移動シーズン。テレビのニュースでは(関東の場合)、東名高速をはじめとした各高速道路の渋滞情報、東京駅発着の新幹線の混雑情報、羽田発着の飛行機の搭乗率など、ほぼ必ずトップで取り上げられています。高速の場合は、局の車に乗ってリポーターが渋滞中の高速を進む車の中やサービスエリアから中継、東京駅のホームで列を作っている家族連れにインタビュー、羽田や成田からもインタビュー映像が届きます。

そういうインタビューを見るたびに、「ああ、あたしはやっぱり結婚できないよなぁ」と感じます。

まず、両親の田舎というものがほぼないので、盆暮れに渋滞を乗り越え帰省するという習慣がありません。だから、あんなに混雑した中、荷物を持ち、もみくちゃにされながら電車や飛行機に乗るなんて、考えただけでもゾッとします。あたしにはとてもできないと思います。

もちろん、結婚相手が東京の人であれば、帰省などと大げさに考える必要はないわけですが、そんな都合よく相手が見つかるのでしょうか? それにたとえ東京や近郊に実家があっても、この数十年「帰省する」という行為自体と無縁に生きてきたわけですから、距離の遠さや近さもあまり関係ない気がします。はい、他人の家へ行くのが好きではないのです。

さらにテレビのインタビューなどを見ていて思うのは、しばしば親が口にする「ずっと仕事が忙しかったので、少しは家族サービスをしないと…」とか、「子供に夏休みの想い出を作ってやらないと…」といったセリフの多さです。いや、テレビ局としてはいかにも円満な仲良し家族を演出するためにもそう言わせている、そういう答えだけをオンエアしている面はあるかと思いますが、忙しい仕事の合間のささやかな夏休みに、体を休めることもできず、ラッシュと同じような満員電車に揺られて帰省しなければならないお父さん、お母さん、気の毒だなと思います。

「子供のため」という気持ちはわかります。あたしだって子供は好きですから、そういう気持ちはよーくわかります。でも気持ちはわかっても体がついていかない。悲しいかな、それが現実です。もちろん、財布の中身だって、ついていかないどころか、とうの昔に落伍しています(汗)。

盆暮れに、テレビでこういう報道を見るたびに、「羨ましいなぁ」という気持ちよりも、「あたしには無理だ」という諦めの気持ちの方が強く感じられるこの数年です。

乃木T

8月はまなったんの誕生日です。

「まなったん、って誰?」というのが大方のご意見かと思います。それもごもっともです。まなったんとは乃木坂46のメンバーの一人、秋元真夏のことです。そのまなったんは8月が誕生月で、生誕Tシャツが公式ウェブショップで発売され、ついつい買ってしまいました(汗)。

それが上の写真です。正面には「あざとくないもん」という言葉と共にハートを射貫く矢が描かれています。乃木坂一の釣り師と呼ばれるまなったんらしい柄です。

上の写真は後ろです。「MANATSU AKIMOTO」という名前に、「22」は今年の誕生日で22歳になることを表わし、その下に「1993.8.20」と誕生日がプリントされています。色は鮮やかなピンク、これもまなったんらしいです。

ちなみに、まなったんの好敵手、まいやんこと白石麻衣も同じく8月20日が誕生日なんですよね、一年違いですが。

乃木ホラー

午後には突然の土砂降りになった東京ですが、今日からの盆休み、初日は自宅でのんびりと映画鑑賞です。視たのは「死の実況中継 劇場版」「デスブログ 劇場版」「杉沢村都市伝説 劇場版」の三作品。いずれも乃木坂46のメンバーが主演のホラー映画です。ただし、三つ目の伊藤寧々は既に卒業していますので、現時点ではメンバーではありませんが。

  

まずは「死の実況中継」から。

能條愛未扮する主人公は大学出映画サークルに入り、ホラー映画を撮ることになりました。が、彼女は乗り気ではありません。そもそもサークルに入ったのも高校以来思いを寄せている先輩と近づきたかったからという、かなりうぶな設定です。その一方、彼女は高校時代にイジメに遭っていて、そんな中、ただ一人味方になってくれた友達が自分の代わりにイジメの標的とされ自殺未遂を起こしたことがトラウマとなっていて、今もその友達と一緒に暮らしている(ルームシェア?)という状況。

そんな中、赤い服を着て、貞子のように長い髪に顔を隠した女性が包丁を持って襲ってくるという死の実況中継サイトに自分が映っているの発見します。ところがそれは最近大学の友達との時間が増えて、自分との時間が少なくなったことに嫉妬した、例の自殺未遂のルームメイトの悪ふざけだったのです。

が、悪ふざけだと思った刹那、もう一人、赤い服を着て包丁を握りしめる女が現われます。助けに来てくれた憧れの先輩もその女の手にかかり、やはり助けに駆けつけた大学のサークルの友人、ルームメイト、そして主人公の三人で逃げまくり、最後はその女をビルの屋上から突き落としてジ・エンド。

が、いまひとつストーリーが飲み込めません。あたしは最後まで嫉妬に駆られたルームメイトの気持ちが赤い服の女となって現われた、つまり生き霊という設定なのかと思っていました。だからこそ、最後のシーンで赤い女が突き落とされるのとほぼ同時にルームメイトも命を亡くすのだと思っていたのです。二人がそれほどの依存関係にあったことは作品中でも触れられていましたから。ところがルームメイトの抱きしめて泣いている主人公の背後に、突き落とされた死んだはずの赤い服の女が映ります。それでエンディングです。やはり赤い服の女は実在(?)していて、ルームメイトの嫉妬心などとは無関係の存在だったのでしょうか? だったら、なんで執拗に主人公を狙うのか?

続きまして「デスブログ」です。主演は中田花奈です。

ちょっとオクテではありますが平凡な高校生活を送っていた主人公ですが、密かに憧れていた先輩から告白され有頂天に。そんな日常を綴っていたブログに、田中と名乗る人物がコメントつけてくれました。最初は喜んでいた主人公ですが、ブログに登場した人物が次々と通り魔に襲われ、重症を負ったり死亡したりします。もちろんブログ上では姓名などは出さず、イニシャルで書いているのに、です。そして田中と名乗る人物のコメントは、さも自分が犯人であるかのような書きぶり。

さあ、ここから後半戦。主人公は自分がストーカーされていると思い込み、だんだんと精神の均衡を失っていき、体調もボロボロになっていきます。心配してくれる友達のことも信じられなくなり、そんな思いをブログに書いてしまうと、案の定、その友達が通り魔に襲われます。そして最後は、妹まで襲われ(ただし、妹はブログには登場させていません)、主人公は無残にも殺された妹を抱きしめ泣きじゃくり、茫然自失の体で街を彷徨いへたり込んだところでジ・エンド。

この作品は、突っ込みどころが満載です。まずは妹と二人暮らしなのか、両親が死んだのか海外赴任中なのかわかりませんが、とにかく主人公と妹が住む部屋に両親の影がまるで見えない不自然さ。次に、そりゃ得体の知れないストーカーの恐怖でしょうが、だったらなおさら警察などしかるべきところへ相談に行くべきなのに、主人公はそれもしない。もちろん精神が崩壊しているのに、精神科へ行くようなこともないです。あくまで自分が正常で、周囲がおかしいと思い込んでいる始末。最後に妹が惨殺されたのに、そして殺された直後だということはわかる状況なのに、救急車を呼ぼうとしないでただ泣くだけ。確かに愛する家族を奪われたら気が動転してしまうのは理解できますが、発見した時点ですぐに救急車を呼んでいたら一命を取り留めることは可能だったのではないかと思われます。

以上のような、常識で考えておかしなところが満載の作品ですが、結局、コメントを残していた田中という人物は誰なのか、足して田中が通り魔なのか、そういった謎は謎のまま残る作品で、これは反則ではないでしょうか? 「死の実況中継」の方も謎が残っていると書きましたが、屋上から突き落とされても死なないようですから、これは完全な化け物と見なしてよいでしょう。それに対して、こちらの作品の通り魔はまるでわからないままです。あるいは主人公が二重人格的な存在で、もう一人の自分が犯罪を犯しているというのであれば、やたらと主人公の周囲の人間関係に詳しいことも納得できますが、作品中にそういう可能性を見いだすことはできません。消化不良感ばかりが残る作品です。

そして最後は「杉沢村都市伝説」です。主演は上述の伊藤寧々です。

主人公の兄が友人二人と杉沢村伝説を追いかけていて、三人でそんなウェブサイトも作ったりしています。そしていつもようにな取材旅行に行っていたはずが、仲間の一人が突然主人公のところへ現われ、兄が待っていると告げ、姿を消してしまいます。主人公と兄の恋人の二人は、その仲間が残していったリュックの中の資料を頼りに、兄たちが向かったと思われる杉沢村へと向かいます。途中、今は使われてなさそうなトンネルに入っていくと襲われてしまい、気づくと二人は手足を縛られて、とある民家の座敷にいました。縄をほどき、ここがどこなのか思案していると押し入れの中に隠れていた兄と再会。そして三人で逃げようとするのですが、何者かに襲われ、兄の恋人は絶命。何とか妹だけでも助けようと兄は必死に村の外れまで妹を連れて行きます。妹が村の境となっている鳥居をくぐり振り向くと兄の姿はなく、妹は途方に暮れてジ・エンド。

三作品の中ではこの作品が一番よくできていると思います。つまりは異界、迷宮に入り込んでしまったわけですよね。サイレントヒルのよう、と言えばわかるでしょうか?

 

その異界の村(ここが杉沢村なのか否かは最後まで不明)では、毎夜殺人鬼が村人を殺し回っているらしいのですが、その殺人鬼、まるで「八つ墓村」の三十二人殺しの犯人のようです。これは怖いというよりも笑ってしまいます。