100分では物足りない荘子

紀伊國屋書店新宿本店の3階、人文書コーナーで、明治書院さんのフェア「四書から始める中国思想」をやっていました。あっ、フェアのタイトルが間違っていたらゴメンナサイ、メモしてこなかったのでうろ覚えです(汗)。

それでも、ずらりと並んだ新釈漢文大系は圧巻です。それと共に新書漢文大系も並んでいます。中国学を学んだ者の端くれとして新編漢文選が並んでいないのが残念ですが、まあ、軽く指摘するに留めておきましょう。

このような漢文大系、あたしが学生のころはこの明治書院の大系の他に、冨山房の「漢文大系」、集英社の「全釈漢文大系」、明徳出版社の「中国古典新書」、角川書店の「鑑賞 中国の古典」、平凡社の「中国古典文学大系」などがありました。その当時、既に古本でしか手に入りませんでしたが、「国訳漢文大成」「漢籍国字解全書」といったシリーズもありました。各シリーズはそれぞれ一長一短、論語や老子、孫子のようにほとんどのシリーズに収録されている作品もあれば、あるシリーズにしか収録されていない古典もあります。複数のシリーズに収録されている場合には、比較検討して選んでいましたので、シリーズを使い分けていたわけです。

閑話休題。

紀伊國屋書店のフェアです。このフェアに興味を持つ方に今さら「四書とは」なんて講義をする必要はないでしょうが、今回の場合、NHKの「100分de名著」が『荘子』を取り上げているので、あえて「四書」ではなく、荘子などを手に取ってもらうのもよいかも知れません。

その「荘子」ですが、翻訳は数多くあります。まず上掲のシリーズにはどれにも「荘子」が入っている(いた)はずです。でも、現在であれば一般的でお手軽なのは文庫でしょうか? まずは岩波文庫から。

   

中国古典を読むといったら、まずは岩波文庫を探すのが王道ですね。ついで、中公はクラシックス。

 

ちなみに中公新書にこんなのもあります。

次に朝日文庫ですが、もうほとんど在庫が残っていないのでしょうか? 朝日新聞出版のサイトでも品切れとなっている巻があります。残念です。

上掲の朝日文庫は全部で4巻か5巻、出ていたはずです。次に講談社学術文庫ですと

 

になりますが、同文庫にはこんな本もあります。

 

ちくま学芸文庫ですとこちらになります。

  

徳間文庫にも「荘子」はあります。

これは全訳ではなく抄訳ですが、とりあえずエッセンスだけ読んでみるのであれば、このくらいでも十分かと思います。そもそも『荘子』は『老子』ほど短くはないので、文庫本では一冊で収まりません。一冊になっているのは全訳ではなくほぼ抄訳だと考えて間違いありません。他にも

 

などがありますので、お好きなものを選べばよいと思います。

「どれがお薦めですか?」と聞かれるのが一番難しいです。たとえば、これが中国思想をこれから学ぼうという大学一年生に聞かれた場合と、「100分de名著」で興味を持ったのでちょっと読んでみたくて、という方とでは薦める本も変わってきますから。

もし紀伊國屋書店やジュンク堂書店のような大きな書店で、ここに挙げたような『荘子』が軒並み揃っている書店、あるいは図書館に行かれたなら、同じ篇や章を読み比べてみて、どれが一番自分にしっくりくるか、それで選べばよいと思います。また荘子その人や周辺情報にも興味があるのであれば、解説などにページを比較的多く割いているものがよいでしょう。

あと『荘子』に限らず、この手の中国古典の現代語訳は原文が載っているか、書き下し文(いわゆる訓読)が載っているか、日本語訳だけなのか、そういった違いも考慮すべきだと思います。いずれにせよ、とても100分では味わい尽くせない、とは言いませんが、100分で終わらせてしまうにはもったいない古典です。

巣鴨プリズン

関東以外ではあまりニュースにもなっていないのかも知れませんが、東京は池袋にあるサンシャイン60,その展望台がリニューアルのため本日で閉鎖になるそうです。

「あっ、そうですか」

という程度の感想しか持たない方も多いと思いますが、、サンシャイン60ができた当時、その60という名称からもわかるとおり、日本一の高さを誇るビルであり、その展望台は日本一の眺めと言われたものでした。「言われたものでした」なんて書き方をするのは、あたしがここの展望台に行ったことがないからで、その眺望はテレビニュースなどの映像でしか見たことがありません。東京に住んでいるというのに……

ちなみに、東京タワーも上ったことないですし、スカイツリーも同様、東京都庁にしても、すべて上ったことないです。別に高所恐怖症というわけではありません。その証拠に上海の東方明珠塔には上ったことがありますので。

さて、サンシャインの展望台が閉鎖と聞いても別に感傷的になるわけではありません。いま書いたように、特別な想い出があるわけではありませんから。ただ、サンシャイン60というのは、あたしにはちょっと思い出深い場所であります。どういうことかといいますと……

サンシャイン60が、その昔、巣鴨プリズンという刑務所だったということは後から知りましたが、それでも比較的早い時期に知ったと記憶しています。東京裁判だとかA級戦犯だとか、そういった単語とは関係なく、あそこは前は刑務所があったところだったんだよ、という感じで教えられたような記憶です。そんな風に親から教えられたのには、あたしが「あそこって、サンシャインができる前は何だったの?」という質問をしたからだと思います。

そんな親とのやりとりの中で思い出すのです、あたしが幼稚園児だったころのことを。

あたしが幼稚園のころ、小さなアパートですが、いまの淑徳巣鴨中学・高校大正大学のそばに住んでいました。いまや大人気の巣鴨の地蔵通りです。そこから池袋駅の南の方にあった双葉幼稚園に通っていました。双葉幼稚園は今はなく、場所も正確には覚えていませんが、池袋駅東口、明治通りを南に進み、ジュンク堂書店も越えてもう少し行ったところを左に入ったあたりにあった幼稚園です。地図を広げていただければわかるように、かなりの通園距離です。ですのでバスでしたが、幼稚園のバスが何ルートかあって、そのうちの一つが淑徳巣鴨の前あたりに乗り場を持っていましたので、普段はそれで通園していました。

はっきりとは覚えていませんが、多少は子供を乗せるために寄り道はしていたと思いますが、あたしが使っていた送迎バスのルートは、だいたい明治通りに沿ったものだったと思います。片道どれくらいかかったか覚えていませんが、小さいころは乗り物酔いがひどかったあたしでもそれなりに我慢できた乗車時間だったと思います。

双葉幼稚園は、放課後に課外活動がいくつかあり、あたしもそれに二つ三つ入っていましたが、そういった活動に参加するといつもより帰る時間が遅くなり、送迎バスも通常より減ってしまいました。ですので、課外活動がある日は、通常の数ルート分の園児をまとめて帰路に着いたのですが、これがあたしには苦痛でした。家の近所のバス停に着くのにいつもの倍以上の時間がかかったからです。課外活動は愉しかったと思いますが、その後の帰りのバスが憂鬱で憂鬱でたまりませんでした。たぶん何度も気持ち悪くなっていたと思います。だから乗ったらすぐに目をつぶって寝よう、寝ようとしていた記憶があります。

でも、そう簡単に寝られるわけもなく、そうっと薄目を開いて窓の外を見ることもありました。ルートが異なるので普段とは見慣れない車窓からの景色です。毎週のように課外活動があったのに、この時の帰りのバスはいつも「どこを走っているのだろう?」という気がしたものです。そんな憂鬱な、課外活動後の帰りのバスの記憶で鮮明に残っているのが、延々と続くフェンスでした。当時はどこを走っているのかもわからず、とにかくずーっとフェンスが続く道を走っていたとしか覚えていません。いったいこのフェンスの向こうは何だろう、という思いをいつも抱いていました。フェンスの隙間からは広い空き地が見えるだけでした。

そんな幼稚園時代が終わって小学校に上がるとき、わが家は杉並に引っ越しました。池袋や巣鴨界隈からはおさらばです。でも親戚が住んでいたので、その後もしばしば池袋には来ていました。そして1978年のサンシャイン60開業です。あたしは小学校の高学年になっていましたが、「でっかいビルが池袋に出来たなあ」と感じたのを覚えています。もちろん展望台には上っていませんが、サンシャインシティには何度も行きました。

で、話が戻って「ここは何だったの?」という会話です。そうです。あたしが憂鬱なバスの中からぼんやり眺めていたフェンスというのがサンシャインシティの建っている場所だったのです。巣鴨プリズンが1970年までですから、あたしがフェンスを眺めていたころは既に刑務所ではなく、サンシャイン建設に向けて整地をしていた段階だったのだと思われます。「あそこに、これが建ったのか」、サンシャインの前身を聞き、幼き日の自分の記憶と結びついたとき、そんな風に思いました。そしてサンシャインと聞くと、憂鬱だったバスの中、必死に吐き気を押さえながら家に着くのを待ちわびたバスの中を思い出すのです。

早く家に帰りたい、それは巣鴨プリズンに捕らわれていた囚人も同じ気持ちだったのでしょうか?

プチ断捨離[続き]

朝からやっているプチ断捨離、まだやってます。PC関係のマニュアルは捨ててよいとして、問題はソフトウェアのCD-ROMです。

えっ、マニュアルとかも捨てちゃうんだったら、CD-ROMだけ取っておいても意味ないじゃん!

そういう意見はもっともですし、たぶんいま手元にあるCD-ROMの9割は捨てても構わないものだと思います。ただ、ちょっと捨てるのが怖いのはバージョンアップ製品の場合です。

何が怖いかと言いますと、PCソフト、アプリケーションと呼ぶべきでしょうか、とにかくそういったものをバージョンアップで購入した場合、インストールの際に「旧製品のCD-ROMを挿入してください」というメッセージが出ることがしばしばあります。それはつまり「バージョンアップ製品を購入できるのは旧製品・旧バージョンを持っている人だけなので、本当に旧製品を持っているのか確認いたします」という意味なわけです。もちろん、そんなメッセージなど出ないでバージョンアップ版をインストールできる製品も多いですが、時々そういう製品があるので、バージョンアップしたからと言って旧バージョンのCD-ROMを捨ててしまっても構わない、ということにはならないのです。

でも、無事にインストールが済んだら不要でしょ?

はい、確かにその通りです。ただし、それは二度とインストールし直さない、という確たる自信がある場合です。パソコンはそれなりに壊れたり調子がおかしくなったりするものです。OSのインストールからやり直すなんてこともあります。そうなるとインストールしているソフトももう一度インストールのやり直しです。そういう時に旧バージョンのCD-ROMを捨ててしまっているとインストールができなかったりします。

あるいは、パソコンが壊れなくても新しいパソコンを購入したので、そちらにアプリをインストールしようと思うこともあるでしょう。そういう時もバージョンアップ版の場合は旧バージョンのCD-ROMが必要になります。だから、わが家に残っている大量のCD-ROMを捨ててもよいものか否か、すぐには判断が付きかねます。少なくとも、いまは使っていないソフトウェアのCD-ROMであれば、バージョンアップすることもないでしょうから捨ててもよいかも知れませんが、今も使っているソフトのずいぶん昔のバージョンのCD-ROMはどのバージョンまで保管しておくか……

  

ついでに言えば、CD-ROM以上に踏ん切りをつけないとならないのは、FDやMOです。これらは読み込みたくても読み込むためのハードが既にありません。いま、Windows8で使えるMOドライブやFDドライブって売っているのでしょうか? たぶん売っていないでしょうね。そうなると、そういうのを持っている人(あたしもその一人?)は、過去の資産をどうしたらよいのでしょう。とりあえずMOドライブはないようですが、FDドライブはUSB接続の製品がまだ売られているようですが……

そして何事もなかったかのように……

昨日、「途中で止まる」と書いたばかりのCDレコ CDRI-W24AI

本日、リトライしてみたら出来てしまいました! NASに取り込みできました。

うーん、なんだったんでしょ? もう一度ネットワークを再チェックしてみたくらいのことしかしていないのですが、得てしてこの手のトラブルは、完全な初期不良でない限り、こういう初歩的なところに種があるものです。一つ一つ、マニュアルの手順に従ってやれば問題など起こりっこないのです。

時に、マニュアルの手順どおりにやっているのに、手順どおりに進まないということもありますが、これもたいていの場合、その前段階で手順どおりにやっていなかったという自分のミスであることがほとんどです。うん、機械ってやはり優秀ですね。

ただ、一つだけ問題が。

このCDの取り込み、昨今のCDプレーヤーと同じくネットに接続して曲情報(アルバム情報)を取得してくれるのですが、登録があればアルバムのジャケット画像も一緒に取り込めます。ただし、すべてのアルバムのジャケット画像をネット上のデータベースが持っているわけではないので、そういう時は「NO IMAGE」となります。なので、このCDレコのソフトウェアは、そういう時のために、ジャケットを自分で撮影し、それを画像として登録することができるようになっています。

で、CDを取り込むときに撮影もやってしまえば問題ないのでしょうが、それをせずに取り込んでしまってから「あっ、いけない、画像を忘れていた!」となったら、後から撮影しても画像登録ができるのです。

そう、できるはずなのです。

が、できない。

スマホ本体に取り込んだ場合は後からでも画像の登録ができるようですが、ネットワークHDD、いわゆるNASに取り込んだアルバムに関しては、後からジャケット画像を登録することができません。これは仕様だからと諦めないといけないのか、それとも今後のソフトウェアのバージョンアップで解決するのか? どっちなのでしょう?

プチ断捨離

ふと思い立って、この連休に部屋の片づけをしてみました。片づけとは言っても要らなくなった本を捨てるだけですが……(汗)

基本的に、あたしは本を捨てないタイプなのですが、さすがにPC関係のマニュアルとかは、そもそもそのハードが既にない、ソフトもバージョンアップして使っていない、といったものばかりで書棚に並べていたって開くことはこの数年来なかったわけですから、もう捨ててしまっても構わないだろうと判断したわけです。

PCのマニュアルなどって、そもそも皆さんちゃんと読むことあるのでしょうか?

これはタイプが分かれるみたいですね。マニュアルなどを全然見ずにいきなり機械をいじくり始める人、きちんとマニュアルを読んでだいたいの段取りを頭にたたき込んでから機械に触る人、の二通りに。あたしはどちらかというと後者です。さすがに徹底的に読むわけではありませんが、一応は付属品は揃っているかは確認し、「インストールの仕方」とか、「初めにお読みください」といったものには目を通してから始めます。何も読まずにいきなり始めるということはしません。

で、そのマニュアル類、あれほど素人には意味不明の言葉が並んでいる書籍も珍しいくらいわかりにくいものです。だから、あれだけ分厚くて、ソフトによっては何冊も付属しているマニュアルがあるにもかかわらず、市販のマニュアルが作られるし売れるのでしょう。あたしも製品付属のマニュアルだけでなく、何冊か市販のマニュアルやガイドブックを持っていました。これらをひと思いに処分しようと思ったわけです。

これらのマニュアル、分厚くて、しかも何冊もあると上に書きましたが、その上、アート紙を使っているからか、どれも思いのほか重いです。あまりたくさん積み重ねて縛るとゴミ捨て場に持って行くのも大変な重さになってしまいます。なので適当な分量ずつに分けて縛りました。ちなみに、わが家の地区では本日火曜日が本や段ボールなど資源物の回収日なので、本日朝、それらをゴミに出した次第。

部屋はスッキリしたかって?

PC関係の本は、あたしの部屋の中ではそれほどのスペースを取っていたわけではないので、これらを処分したからといって部屋が片付いたような気はしません。それでも宿痾の一部が取れたような気はします。空いた書棚に何を並べようか、それをこれから考えます。

実は、このところ展覧会の図録を入れる場所がなくて床に重ねて積んでいるので、これをなんとかしたいと思っています。でも展覧会図録ってかなり大きなサイズで、普通の書棚ですと高さが入らないんですよね。PC関連の本を入れていたのは安いカラーBOXで、これが今回空いたのですが、高さが入らず、ここに展覧会図録を入れるのは断念せざるを得ません。なかなか難しいものですね。

途中で止まる

少し前に音楽CDを取り込む「I-O DATA CDRI-W24AI」という製品についてリポートしました。

このところ出番がなかったのですが、音楽CDを買ったので取り込もうと思って久しぶりに使ってみました。ちなみに、購入したCDは「イン・ザ・ブリンク・オブ・アイ」です。

TOTOです。懐かしいですね。知らない人も多いでしょうし、たぶん便器メーカだと思っている方も多いのではないでしょうか? 確かにトイレに入るとかなりの確率でこの4文字を見ますね。でもあれば本来は「東洋陶器」の略、こちらはトトというアメリカのロックバンドです。

たぶん、あたしが中学生から高校生のころに流行っていたと思います。「アフリカ」とか「ロザーナ」が大ヒットしたのがそのころだったと記憶しています。

当時は洋楽の全盛期と言ってもいい時代で、マイケル・ジャクソンやプリンス、マドンナやシンディ・ローパーと言ったソロ・アーチストの他に、バンドではTOTOやジャーニーなどもいて、その他にはデュラン・デュラン、カルチャークラブ、カジャグーグーなんてのもいました。そうそう、エアサプライとかフォリナーなんてのも好きでしたね。スティングもこの頃はまだポリスをやっていたのではなかったでしょうか?

閑話休題。

で、このベスト・アルバムを取り込もうと思いまして作業を始めました。CDプレーヤーはしっかり認識され、アルバム情報も取得されました。さあ、取り込みと思ってスタートすると、1曲目から取り込みを開始します。ところが3曲目、4曲目くらいでプレーヤー「CDRI-W24AI」が止まってしまい、「取り込みを中止しました」というメッセージが出るのです。何回かとライしましたが結果は同じです。

CDのコピーガードについては、そんなプロテクトがかかっているCDではありません。Androidが少し前にバージョンアップされ、スマホなどのSDカードにはデータを保存できなくなりましたが、その影響なのでしょうか? これまでのようにSDカードを保存先にしていると転送できない旨のメッセージが出ます。

なので、この製品に対応しているネットワークHDDを持っているので、そちらを保存先に選んでいるのですがが、それでやった結果が上述の通りなのです。ちなみにSDカードではなく本体を保存先にしても空き容量が足りないというメッセージが出るので保存できません。

うーん、なんでできないのでしょう? わかりません。また試行錯誤の祝日となりそうです。

極めて現代的な~『クリミア戦争』~

またしても、ちょっと時間がかかってしまいましたが、『クリミア戦争(下)』読了しました。

 

先にも書きましたが、クリミア戦争ってつくづく面白い戦争だと感じました。

まず対立の構図ですが、トルコ対ロシアです。オスマン帝国はイスラム教、ツァーリが治める帝政ロシアはロシア正教ですから、一見するとイスラム教対キリスト教という宗教戦争の構図です。が、キリスト教国であるイギリスとフランスがロシアではなくトルコの側についてロシアと戦ったわけです。そこにはキリスト教の中のロシア正教とローマ・カトリックという対立軸があるわけで、さらにはイギリスはカトリックではなくイギリス国教会ですので、イギリスとフランスも決して一枚岩というわけではありません。

ではなんでこんな構図になったのかというと、結局本書を読んでいて感じたのは「ロシア憎し」というヨーロッパ諸国(この場合は英仏ですが)の意識です。特にイギリスには、ロシアが少しでもヨーロッパに入って来ようものなら絶対に許さない、徹底的に戦って追い出す、ヨーロッパには一歩たりとも入れないぞ、という意志があったようです。ですから、その萌芽となりそうなバルト海への進出、黒海への進出、カフカス地方への進出といったロシアの拡張政策をことごとく潰しにかかるわけです。英仏にはロシアに対する憎しみだけでなく、その後進性ゆえの蔑視が非常にあったことも見て取れます。いまだ帝政の後れた国にわれわれが敗れるはずがないという自信、そんなものも感じられます。

で、本書ですが、上下巻を通じて、当事者であるトルコは蚊帳の外的な印象が強いです。所詮、英仏から見たらトルコもロシアも後れた野蛮な国、という意識があったみたいで、衰退の兆しが見えるトルコはともかく、強大な軍隊を要するロシアの膨張政策はとにかく驚異だったようで、それを挫き、ロシアの野望を粉砕するのが目的の戦争だったようです。

それにもかかわらず、英仏の指揮官たちは本当に戦う気があったのか、少なくともどんな風にこの戦争を終わらせるつもりだったのか、本書の記述を読んでいると実にだらだらとした戦いが続いて嫌になります。実際に戦地で戦っていた兵士たちはもっと悲惨だったのではないでしょうか? イギリスはとにかくロシアを止めたい、という思いらしいですが、一方のフランスはナポレオンの栄光よ再びというナポレオン三世の時代ですから、やはり英仏は同床異夢ですね。

本書のような書籍を「戦記物」に分類できるのかわかりませんが、全編を通じて緊迫した戦闘場面はほとんどなく、むしろ本当に戦争中なのかと思えるようなのんびりした展開が多いです。数時間戦ったら死体や負傷者の回収のために数時間の停戦があるなんて、ちょっと信じられない戦いの現場です。

そして一応は戦争が終わったにもかかわらず、イギリスは不完全燃焼、フランスはロシアと手を結んでオーストリアを牽制などという遠交近攻、合従連衡のヨーロッパ情勢です。ですから本書は最初の章と最後の賞がそういった国際政治の生々しさを描いていて一番テンポよく読めました。

そして、これも先に書いたことですが、クリミア戦争当時のヨーロッパはとても160年前のこととは思えないほど現在の状況に符合するように思えます。後れてやってきた巨大な国というのは本書で言えばロシアですが、現在のアジア情勢に照らしてみると間違いなく中国です。スラブ民族が雑居している東ヨーロッパは、さしずめ華僑が多く住んでいる東南アジアのようで、ロシアの進出・膨張をなんとかしたい英仏は、まさに日米という構図ではないでしょうか?

歴史を鑑とすべきと改めて思わせる本です。

天才の習慣

有村架純主演の映画「ビリギャル」ですが、書籍も相変わらず売れているのでしょうね。はい、『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』のことです。

ただ、この類いの本って昔からありますよね。「学校一の落ちこぼれが……」とか、「地域ナンバーのワルが……」といった話です。元暴走族が弁護士になったとか教師になったとか、実は掃いて捨てるほどあるのではないでしょうか?

あたし自身、出版業界にいる人間として、なにはともあれ本が売れてくれるのは嬉しいことですし、売れる本が出てくるのも好ましいことだと思っています。ただ、個人的な感想を言えと言われたら、こういう本がもてはやされる風潮って好きではありません。

ダメだった子が努力して頑張って、最後に夢をつかんだというストーリー、確かに清々しくて、キラキラしていて、嬉しい気持ちになるのかも知れません。

でも、あたしは思うのです。そんな落ちこぼれが頑張るのをもてはやす前に、普段から地味だけどきちんと努力して、そこそこの成績を収めている人をもっと称えるべきではないのか、と。東大に合格するのだって、弁護士になるのだって、医者になるのだって、普段から地道に努力して、決して目立つようなことはなかったけれど、目標に向かってしっかり努力を続けてきて、その結果として目標を実現する、それが大多数の人だと思います。そういう普通の人をもっと褒めてあげるべきではないかと、あたしは思うのです。

普通の人をもっと褒めてあげないと、普通に努力することがバカらしくなってしまいます。そういう風潮が一番怖い、そう思います。しかし、世の中の人は、そんなつまらない努力、地味で目立たないこと、華々しさに欠けるストーリーには興味ないんですよね。本屋映画もヒットしないでしょうし。

たぶん、そういう劇的なことが好きだからなのでしょうか。最近はこういう本も売れているみたいです。

 

天才たちの日課』、そして『偉大なる失敗』です。天才と呼ばれた人々が何をしていたか、それがつまらない習慣だろうと失敗談だろうと、最後は天才としての栄光に結びついたのだと考えて、それを参考にしようと思うのでしょう。書かれている内容が劇的かどうかはともかく、そして彼らの生涯が劇的であったかもおくとして、やはり天才と呼ばれる人、つまり普通ではない人に憧れる気持ちがあるのでしょう。

だったら、こんな本、痛快で面白いと思うのですが。

バンヴァードの阿房宮』です。サブタイトルは「世界を変えなかった十三人」、「大きな夢と才能を持ちながら歴史に名を残せなかった人々」の物語、つまりは失敗者列伝です。成功した人よりも失敗した人に学ぶことの方が多いのではないでしょうか? この本は笑えますし、涙も誘われます。

敗北を抱きしめているか?

TBS系「報道特集」にジョン・ダワー氏が出ていました。キャスターがアメリカでロング・インタビューしたもののダイジェスト放送のようでした。なかなか興味深く、考えさせる内容でした。

 

ジョン・ダワーと言ったら、これ、『敗北を抱きしめて 上』『敗北を抱きしめて 下』でしょう。あたしは未読ですが、今宵のインタビューを聞いていて、やっぱり読んでみようかなと思いました。たぶん、あたしのようにこの番組を見て「改めて読んでみようと思った」とか、「こんな本が出ていたんだ。初めて知った」とか、そんな感想を抱いた人も多いのではないでしょうか? 「報道特集」の視聴率がどのくらいあるのか知りませんが、こういった番組を見ている人であれば、この機会に『敗北を抱きしめて』に手を伸ばそう考える人もそれなりに多いのではないでしょうか?

となると、あたしの勤務先の『廃墟の零年1945』も再び売り上げが上がってくるのではないでしょうか? そんな期待を抱きたくなりますし、実際そうなって欲しいですし、そうなるだけの内容を持った本であると自負しております。なにせ、オビには「『敗北を抱きしめて』の世界版」なんて書いてありますし……(汗)

しかし、この手の戦後70年の議論を見たり聞いたりしていて素朴に思う疑問がいくつかあります。

まず、時代に合わせて憲法の内容も見直すべきだ、という原則論は賛成しますし、環境権とか、現憲法の成立・施行時には想定もされていなかったような部分を補わなければならない、という意見にも異存はありません。ただ、憲法って原則中の原則を示すものであって、そんなに細かなことまで書いてなければいけないものでしょうか? それに象徴でもある9条を改正するというのは、海外へのアピールという面から考えて、プラスよりもマイナス面の方が大きいのではないか、という気がします。

改憲論議で言えば、自主憲法にこだわる人の意見も理解に苦しみます。憲法ってその内容を云々するのはよいとしても、誰が作ったかなんてどうでもよいのではないでしょうか? 少なくとも、どこの馬の骨が作ったというわけではないのですし、世界に誇れるすばらしい内容なのに、自分たちが作ったものでないから変えるべき、というのは説得力を感じません。

あと、いまの自民党は戦争がしたくてしたくてたまらないみたいに見えますが、この話は湾岸戦争のころから聞こえてきたように思います。そして、そのころからやはり言われるようになったと思えるのが「普通の国」という単語です。曰く、日本も普通の国になるべき、と。「報道特集」でダワー氏も言っていましたが、この「普通の国」っていったいどんな国なのか、その定義を聞いたことがありません。少なくとも自民党の人たちから、納得のいくような「普通の国」の定義を説明された覚えはないと思います。

「普通」と言えば、いまの状態が普通ではなく、それはよくないことであって、一刻も早く「普通」にならないといけない、という錯覚を生むのではないでしょうか? 「普通の国」という言い回しを考えた人は実に頭がよいというか、悪知恵が働くというか、底意地が悪いというか、ずる賢いというか、そんな人だと思います。

   

とりあえず、ジョン・ダワーの本がまた売れるのではないでしょうか? それでなくとも今年は戦後70年なので売れそうな気配がありますが……

サファリの次はジャングル

世間はゴールデンウイークだそうです。

あっ、あたしも休んでおります。暦どおりなので、5連休ということになります。はっきり言ってこんなに長い休みは要りません。だったら出社して仕事するから、今月後半とか祝日のない6月に振り替えさせて欲しいと切に願います(笑)。

それはさておき、今朝も4時前に目が覚めました。休みだからもっと寝ていてもいいのですが、起きてしまいました。ただ、今日は会社へ行く予定だったので、早起きする必要もあったのです。

今週の月曜日、岸田賞の授賞式があって、その会場で飾られていた花、一部は受賞者の方やスタッフなどお客さんに差し上げたのですが、大きな鉢に入った豪華な花がそのまま残ってしまっていて会社に置いておいたのですが置き場所にも困るし、これから連休で誰も世話ができない、という事情からわが家で引き取ることになりました。でも、そんな大きな鉢、とても電車に持ち込めませんので早起きして自家用車で会社へ向かったというわけです。

5時前に自宅を出て会社着は6時ころ。ちょっと雑務をこなした後、花を車に積み込み、6時半すぎには会社を出発、8時前には自宅へ戻りました。やはり行きの方が空いてまして時間も多少少なくすみました。往復ともに高速を使わず1時間程度ですからスムーズなものです。そう言えば、神保町の靖国通りでカーブを曲がりきれなかったとおぼしき車が中央分離帯にぶつかってぺしゃんこになっていました。朝っぱらか事故とは……

さて、そんなわけで早々と戻ってきましたので一日のんびりできます。映画鑑賞です。今回はこちらです。

 

ジャングル」です。先日「サファリ」を見て、こんどはジャングルとは、われながら笑ってしまいます。本作もモキュメンタリーです。ヒョウの研究と保護を仕事としている弟(主人公)とカメラマンの兄がインドネシアのジャングルへ向かいます。現地スタッフ2名とともに絶滅が危惧されるジャワヒョウの生態を記録するためです。

さて、目的の生息地であるジャングルは地元住民は悪魔が棲む場所として恐れていて近づこうとしません。それを幸いと密猟者が跡を絶たないのでしょう。そんな会話を交わしながら主人公たちもジャングルに入っていきます。その前に現地のシャーマンのような男からもこの森は危険であると警告されますが、この手の映画に出てくるアメリカ人は判で押したようにバカ丸出して、そういう忠告を無視し、自分こそは正義だと言わんばかりに危険に向かって突き進みます。

大した映画でもないので結論を書いてしまいますと、結局、密猟者と鉢合わせすることもなく、ジャングルを進みますが、最後の最後で全員、得体の知れない生物に襲われ4人全員がやられてしまいます。

彼らを襲ったのは何か?

巨大な殺人ヒョウ? 最初はそんな可能性を感じさせる会話があるのですが、姿がほとんど出てきません。襲われるときもラストシーンまで姿は映りません。で、最後に主人公たちが襲われるシーンでカメラに捕らえられた犯人は、実ははっきりとは映っていないのですが、二足歩行をした毛むくじゃらの生物。森に棲む悪魔ってことなんでしょうが、それがよくわかりません。毛皮を着ただけの、まだ発見されていない原住民と言えなくもないです。

この映画の最大の問題点は、森の悪魔の仕業にするのであれば、そういった恐怖をストーリーの半ばくらいから少しずつ見せていかなければならないと思うのですが、ほぼ最後の方まで野生のヒョウが襲ってきたら怖い、その他にもジャングルには危険生物がいっぱい、その他にも荒っぽい密猟者が銃を持ってうろうろしているのではないか、といったいたって文明的な理解の範囲の中で進むのです。決して科学では理解できない事態が起こるわけではありません。

これでは怖くなって戻ろうという現地スタッフの意見に説得力を感じません。「もう少し調査を進めないと」という主人公の意見の方がもっともに聞こえます。そして四人の登場人物が襲われるのも、襲われるというよりも突然消えると言った方がよい感じですから、何が起こったのかわかりません。そう、何が起こったのかわからない恐怖というのは現実にはあるのでしょうが、映画としては「置いてけぼり感」だけが残り、恐怖を感じることはありません。

で、最後の最後に登場した毛むくじゃら。

あれは何? 非常にチープな被り物、着ぐるみにしか見えませんでした。もう少し早くに姿を現わして、主人公たちとの死闘が繰り広げられればスリリングになったのでしょうが、あの造形では怖いと言う感じが出なかったかも知れませんね。