ドラマに突っ込む前に

フジテレビ系と言うべきか、関西テレビ系と言うべきか迷うところですが、とにかく新番組「戦う!書店ガール」が始まりました。あたしは、まだ録画してあるだけで視聴していないのですが、ネットでは早くも突っ込みが巻き起こっているとか。

実際の書店員から見て「あれはおかしい」「あんなことあるはずない」といった突っ込みが入るのは、恐らく制作者側にしろ、原作者の碧野さんにしろ織り込み済みだと思います。そんなこと言っていたら、どんなドラマだって業界を描けば「おかしな」ことのオンパレードではないでしょうか?

もちろん「おかしい」レベルなら演出と割り切れるでしょうが、「絶対にありえない」というレベルになると眉をひそめたくなる気持ちもわかります。もちろん一回や二回くらい出てくるのであれば笑って済ますこともできるでしょうが、それが頻繁にあると、やはり言いたくもなるでしょう。

ただ、あたしはと言えば、どちらかとドラマ評価は、まゆゆが主演だからということを抜きにしても、割と甘めで、楽しく見られればいいじゃない、というスタンスなので、あまりにもひどい描き方でもない限り、目くじらを立てたいとは思いません。書店が舞台の話ですから、書店員ではないあたしには実際のところどうなのかわかっていない部分も多々あるでしょうから、そんなことを根掘り葉掘りしたいとは思いません。もちろん商売仲間である出版社の人間もドラマには登場するのでしょうが、その描き方がおかしくても、やはり突っ込みを入れたいとは思いません。

もちろん、笑い話的に突っ込むくらいなら許せますし、あたしだってするかも知れませんが……

でも、今回のドラマ、せっかく書店が舞台なんですから、やはり業界としては突っ込みを入れるよりも、プラスの部分、明るい部分、希望を持てる部分に目を向けて、少しでも書店が、そして出版業界が契機づくように盛り上げていくのが正しいあり方なんじゃないかな、と思います。

恐らく、多くの書店員さんは、あたしと同じように好意的に見ているのではないかと思います。目くじらを立てているのはごくごく少数の人でしょう。もしかすると書店員ではないかもしれません。そして、ほとんど大多数の書店員さんは、このドラマをのんびり自宅で見ているような時間的体力的な余裕がないのが実情ではないでしょうか?

そうそう、このところ書店でお店の方とこのドラマの話題になることがありますが、女子書店員の多くは「渡辺麻友みたいなカワイイ子が書店員でいるわけないじゃない」と言いますが、これについては断言できます。

渡辺麻友クラスのカワイイ女性、書店員にだってたくさんいます。まゆゆ以上にカワイイ(と、あたしが思っている)女子書店員だっています!

グロいのと軽いのが……

日本翻訳大賞を受賞した『エウロペアナ』を読んだとき、次の部分で衝撃を受けました。

グダンスクでは一人のドイツ兵が発狂したという。戦前に付き合っていた女性がユダヤ人であることを知らなかったばかりか、その彼女はアウシュヴィッツの強制収容所へ連行されていたのだ。友人たちは彼をからかおうとして、こう言った。グダンスク解剖学研究所の所長から聞いた話だけど、お前がこの一週間のあいだ体を洗っている石鹸はお前の彼女の死体から作られたものなんだよ、と。その後、兵士はドイツ国内の精神病院に収容された。(P.33)

からかったとありますが、実際にこういう事例はあったのではないでしょうか? この描写の直前にも収容所に送られたユダヤ人がどうなったかについて、かなりグロテスクな描写があります。

しかし、本書での筆者の筆致は実に淡々としています。上掲のような描写も、だからどうなのだ、という感情がほとばしり出るのではなく、ただあったことをそのまま書き連ねているだけのように感じます。

感情を失ってしまったのか、あるいは戦後の平和な時代を生きている自分たちが、ありきたりの感情で描写したとしても所詮あの悲惨さを表現しきれるものではないと諦めているのか。

いや、ここまで来ると悲惨という言葉も何か違うような気がします。むしろ絶望に近いかも知れません。それでもそんな時代をくぐり抜け、いま自分たちは生きている、どうやってあの絶望から立ち直ったのか、本当に立ち直っているのか、そんな問いかけを受けているような気もしました。

そして、こういう目を背けたくなるような描写と隣り合わせで、実にユーモラスな記述が挟み込まれているのが本書の特徴です。この揺れ幅の大きさ、それがそのまま二十世紀という時代の振幅の大きさに当てはまるのではないでしょうか?

日本翻訳大賞受賞

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まだあげ初めし前髪の

いきなり島崎藤村ですが、朝の通勤BGMの影響です。

このところ、朝の電車内ではほぼ毎日のように乃木坂46の「透明な色」を聴きながらの出勤だったのですが、久しぶりに沢田聖子を聴いたのです。

  

沢田聖子と聞いても知らない人ばかりだと思うのですが、名前がちょっとだけ異なる松田聖子とデビューは同い年。だから、あたしが中学生のころだと思います。沢田聖子はテレビに出るアイドルと言うのではなく、当時の言葉で言うところのニューミュージックというジャンルの歌手と位置付けられていたと思います。そもそもが「イルカの妹」という触れ込みでのデビューでしたから、若干フォークな香りもありましたけど、そろそろフォークが古臭いイメージが付いてきて、ニューミュージックという言葉が生まれたのだと思います。有名なところではチューリップとかオフコース、荒井由実といったところもニューミュージックに括られていたと思います。

 

で、あたしは、それほど音楽を聴いて昔を懐かしがるタイプではないのですが、沢田聖子だけは別で、彼女の曲を聴くと、どうしても中学高校時代、彼女の曲を聴きまくっていた時代にタイムスリップしてしまいます。そうなると、これもまた必然的に高校時代に大好きだった乾さんのことが思い出され、今回のタイトルに結びつくというわけです。

えっ、高校時代が初恋? と言われてしまうと、実はよくわかりません。もしかすると、いまだに恋なんてしていないのかも知れませんし、初恋はどれだったかなんて確定的に言えるものなのでしょうか?

そんな沢田聖子の曲の中でも、たぶんファンの間でも人気は上位に入る一曲がこのシオンです。彼女の師匠イルカの作詞作曲で、男の子が好きになった女の子をシオンの花にたとえて歌った曲です。もちろん自分の気持ちを伝えることもせず、遠くから見ているだけの関係なのですが、そんな青い感じが当時はたまらなく好きでした。確か、優木まおみがカバーしていたと思います。(優木まおみって歌手だったでしょうか?)

そう、あたしは高校時代に、やはり自分も乾さんをこのシオンになぞられていたのです。もちろん同じクラスでしたし、席が近かったので話をする機会はよくあったので、歌の世界のように遠くから見ているだけ、ということはなかったですが、思いを伝えられない、という意味では同じだったかも知れません。

いや、口では毎日のように「乾さん、大好き」と言っていましたが、日常的な挨拶と受け取られていたようです。全く本気にされませんでした。

と、そんな連想が駆け巡る朝の通勤電車。こういう妄想に明け暮れていると、ふとした弾みで痴漢行為に奔ってしまうのでしょうね。気をつけなければ! あたしは健全にも、イメージは飛んで跳んで、島崎藤村の「初恋」へと向かったのでした。