第7回 短期語学研修(後)

前回はちょっとくだらない身の回りの話をだらだらと書いてしまったみたいで、反省してます。ところで今回の研修中の最大の話題は「B型肝炎」の大流行でした。北京はまだそれほどでもなかったのですが、南の方、上海あたりではかなりの猛威のようでした。我々の研修でも、他の大学のコースの人の中には、もともと上海や南京の大学を希望していたけど肝炎が怖いから、寒さをこらえて北京に変更した、という人がかなりいたようです。業者の方も中国でかなり死者が出ていたので、できれば南方の大学はやめてほしいと要請していたようでした。

笑ってしまうような話ですが、我々も着いたらすぐに(翌日だったかも知れない!)肝炎の薬だと言われて学校の事務の方にもらった粉薬を飲まされました。なんか砂糖のようなざらざらとした茶色いもので、幼稚園児の握り拳くらいの量がビニール袋に入っていました。

確か漢方薬って飲み続けることによって体質から変えていくんだよな、1ヶ月の留学でこれっぽっち飲んで効くのかな、と仲間と言いながら飲んだ記憶があります。

この肝炎、我々の留学中に徐々に感染地域が中国大陸を北上して、天津でも死者が出たというニュースが漏れ伝わってきました。我々の卒業旅行は洛陽・西安・上海・蘇州を回るもので、上海から出国でした。が、あまりの肝炎の猛威に、当初、留学先の学校の先生方は行き先を変更した方がよいという意見でした。しかし、ほどなく肝炎も下火になったということで予定どおりのコースで旅行しました。ここまで書いて思い出しましたが、先の肝炎の薬はこの旅行の直前に飲まされたものだったかも知れません。そうなるとますます効き目は怪しいですね。

結局、我々十数人のうち3分の1くらいの人が肝炎を怖がって旅行に参加しませんでした。もちろん参加しなければ、その分留学費用も安くなりますし、既に行ったことのある人にとってはそれほど食指を動かされる目的地でもなかったのでしょう。

実はこの卒業旅行は、もう一つ初期の計画からの変更がありました。そもそもこの留学を申し込んだ時点では各都市間の移動は飛行機を使うことになっていました。が、留学前数か月の間に、中国国内機の墜落事故が相継ぎ、急遽全行程列車の旅行に代わりました。無駄な時間が増え、その分訪問都市での滞在時間は減ってしまいましたが、列車の旅なんてそうそうパックツアーでは経験できませんから、むしろ私は大歓迎でした。ハイライトはなんといっても西安を晩に発ち、翌日の晩に上海に到着するという26時間余りの列車での移動でした。途中でも下車して1日くらいぶらぶらして、また次の都市へ向かう、なんてできたら最高だったのでしょうが、それは無理でしょう。

さて上海に着いて宿泊先は上海外国語大学の寮でしたが、翌日の晩にベッドにねっころがってテレビをぼんやり見ていたら、死者は何名、負傷者は何名で、その家族が中国へ向かう準備をして数日中には日本を出発するとアナウンサーが言っているのが聞き取れました。今考えるとずいぶん耳がよくなっていたものです。

このニュースを聞いて、ふーん、なんか事故でもあったのか、くらいにしか思っていませんでしたが、日本へ帰って初めて知りました。あの「上海列車事故」だったんですね。我々が晩に上海に着いたその日の早朝の事故だったようです。日本では私の家族が、私の乗っていた列車じゃないかと、家族用の日程表を見ながらハラハラしていたそうです。この時点で我々はこの事故について、自分で新聞を買うかテレビのニュースを見ない限り一切わからない状態でした。上海に到着した時は、そんな様子は駅にも町にもなく(到着が深夜だったせいもありますが)、むしろこの町の5人に1人は肝炎の患者だということの方が恐怖でした。ちなみに肝炎を恐れる仲間の中には上海で買い物をしても決してお釣りを受け取らない者がいました。紙幣・硬貨などを経由した感染を怖がったのです。

飛行機が危ないから列車に変えたら列車事故、とまあ今となっては絵に描いたような笑い話ですが、決して他人事ではないです。たぶん上海列車事故で亡くなった高校生ではないと思いますが、我々が北京で学んでいた間も、そして卒業旅行で方々を回っていた時も日本の高校生の団体を見かけました。北京では我々が中国語を勉強していること見破って、通訳を頼んでくる高校生もいたといいます。幸いにも私は通訳を頼まれませんでしたが、それは私が中国語をしゃべれそうにないと思ったのか、それとも全く中国人だと思われてしまったのか……。

そんなこんなで高校のうちから中国へ来られるなんて羨ましいなあと思いつつ彼らを眺めていたものです。もし私が見かけた高校生が犠牲になったのだとしたら、やはり多少は心が痛みます。少なくともこのニュースを聞いたごく普通の日本人よりは、私にとってははるかに身近な事件でした。

しんみりとしたくらい話はやめて留学中のことに話を戻します。今回の語学研修に参加した仲間は皆大学で第1外国語か第2外国語かの違いはあるにせよ中国語を学んでいる人たちばかりでした。もちろん既に中国へ来たことのある人もいました。しかし、中国の歴史や哲学・文学を専攻にしている人は私以外にはいませんでした。先生が引率して北京市内や郊外、卒業旅行に連れていってくれましたが、名所旧跡の説明にはおかしなものもかなりありました。我々がただのパックツアー客ではなく語学研修生だということで、旅行の時の添乗員の人もほとんどすべて中国語で話をしてきます。が、歴史的なこと、文化的なことになるとピンインのヒアリングは皆ほとんどできているのにそれが漢字に置き換わらないのです。つまり音は入ってくるけれど意味が入ってこないのです。

これはちょっと自慢話ですが、そのような時はほとんど私の独壇場でした、私はガイドさんの言っていることは音だけでなく意味も飲み込めました。そりゃそうですね。大学で専門に学んでいることばかりなので、他のメンバーと違って比較的楽に音から漢字に変換できるのですから。そこでガイドさんが説明して皆がポカンとしていると、私が日本語で説明し直すということがしばしばありました。

自分が学んだこと知っていることを、その舞台に立って実際に味わうというのは、別に日本にいても同じですが、格別なものがあります。また、行った時には知らなかったけれど、後から本を読んだりして「あそこはそんなところだったのか」などと更に興味を膨らますこともできます。少なくとも私の場合、ますます中国学を学ぶ意欲がわいた短期語学研修だったと言えます。

この研修中、私はカメラ小僧で、ずいぶんと写真を撮りました。そのうちの100枚をPhotoCDにしました。そして更にその中から何枚かをこのHPに載せてあります。ぜひご覧ください。ただ私が中国へ行ったのは1988年ですから、今とはずいぶん違うと思います。この頃もかなり改革開放で北京の町は変わりつつありましたが、この数年と比べたら大したことはありません。中国のここ10年ほどの、特に都市部での物価上昇と為替レートの変化を考え合わせても、私が留学してた当時の方が、「中国は安い!」を実感できました。今では北京ではバス・地下鉄の料金と外貨交換の時くらいしか「角」「分」という単位を見かけませんが、この当時はかなり「元」以下が活躍していました。

(第7回 完)


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