もう一方の側から見てみると……

今朝の朝日新聞に中朝国境付近で不動産投資ブームという見出しが目に留まりました。

 

今後の中朝関係の発展を見越して、北京や上海では規制が厳しい不動産投資のマネーを、こういった地方へ注ぎ込んでいる富裕層が多いのでしょう。行く宛のないバブルマネーですね。これが弾けたら、中国経済はどうなってしまうのでしょう?

ところで、記事では不動産投資に熱を上げる漢民族の話になっていますが、この地域は言わずと知れた朝鮮族の居住地でもあります。町によってはほとんどが朝鮮族というところもあるでしょう。中国国内なので朝鮮族と呼ばれますが、つまりは朝鮮人です。歴史的に見れば、このあたりも大朝鮮の領土だった時代もあったわけですから、朝鮮人から見れば、満洲族に追い出されるのならともかく、漢民族にわが物顔に振る舞われるのは忸怩たるものがあるのではないでしょうか。

そんな中国東北地区の様子を朝鮮族の視点からルポしたものが『辺境中国 新疆、チベット、雲南、東北部を行く』です。先日の書評以来注文殺到で、ただいま重版中ですので、しばらくお待ちください。

あたしはやっていない!

全国的にはどれくらい話題となっているのか知りませんが、関東ローカルでは、新潟の女児殺害事件の次くらいに、千葉で起きた元市議による殺人・傷害事件が報道されています。

まだまだよくわからないことが多いのですが、容疑者とされる元市議の誕生日に、彼の妹家族が祝いの席を設けてくれた、その席上での惨劇だったようです。元市議と妹家族の間になにがあったのかわかりませんが、なんとなく設定に親近感を覚えます。

妹家族が誕生日を祝ってくれたというのは、簡単に言えば、あたしが妹家族に誕生日を祝ってもらうのと同じことです。元市議はどこに住んでいたのか知りませんが、とにかく妹家族の住む千葉までやって来たわけです。それって、あたしが妹家族の住む静岡へ出かけて行くようなものですよね。

事件の妹家族は、妹夫婦に子供二人の四人だそうですが、あたしの妹家族は子供三人なので、ここだけちょっと違います。が、ほとんど設定は似たようなものです。

社内では、この事件を話題にする時に、つまりあたしが妹家族を殺めたという喩え話をする同僚がいるんです。失礼しちゃうわ、と思いつつも、そんな風に身近に喩えると事件がわかりやすく整理されるものです。

しかし、あたしが妹家族を手にかけるようなことってあり得るのでしょうか? まあ、元市議だってそんなことをするような人には見えなかったという周囲の証言もあるでしょうし、人間というのはわからないものです。

もしかして、悪霊に取り憑かれ、妹家族を殺すように唆されたのでしょうか。荒唐無稽な話で、B級ホラー映画の見過ぎでしょうが、でも、もし仮にそうだとしたら、それを証明するのって現在の科学では無理ですよね。

うーん。

読みたいと思ったときに本がない

朝日新聞の訃報欄。

映画監督のエルマン・オルミ氏が亡くなったそうです。

とは言っても、記事の中身を読むまで、あたしにはまるっきり知らない名前でした。

『聖なる酔っ払いの伝説』って映画化されたことがあるのですね。知りませんでした。もちろん、映画は未見ですし、『聖なる酔っ払いの伝説』も未読です。

この機会に読んでみようかと思ったのですが、既に品切れ……

先日の『カッコーの巣の上で』といい、読みたいなあと思ったときに、既に版元品切れで手に入らないというのは非常に残念ですね。

お城の天守閣は鉄筋コンクリートでもよいのか?

お昼のニュースで、山口線のSL重連運転の模様を伝えていました。D51とC56、2両のSLが繋がって客車を引っ張る様は壮観です。C56は明日の運行で引退らしいので、ファンにとってはたまらないイベントになっているのでしょう。

SLは維持するのが大変、運転を含めた動かす技術の継承も難しくなってきている昨今、国内で残っているSLはいつまで走り続けられるのでしょうか? もちろん、こういう集客効果を見込んで、確か東武鉄道がSLを走らせる計画を立てていたと、少し前にニュースで知りました。やはりネックは技術を保つことと車両のメンテナンスのようです。

そんなニュースを聞いていて思ったのは、どうせSLを走らせる区間は通勤電車が走るような路線でもなければ、ましてや新幹線や在来の特急が走ることもない路線でしょう。つまりそれほど速く走る必要はないと思われます。

だったら、外観だけSLにして内部は完全に電気で動くような列車は開発できないものでしょうか? 日本の技術であればそれほど難しくはないと思います。汽笛の音も人工的に作れるでしょうし、煙だって水蒸気かドライアイスで環境にやさしいものが出せるはずです。言われなければ、パッと見には、完全に当時のままのSLというのは作れると思います。まさしく銀河鉄道999です。

しかし、そういう風にして作ったSL、きっと往年のファンは嫌うのでしょうね。本物じゃない、と言って。

確かに、石炭をくべて本当にそこで火を焚いている力強さは出せないのかも知れませんが、今の時代にSLを走らせようと思ったら、こういう方法しかないのではないでしょうか? もちろん、こんな「似而非SL」で観光客を呼び込めるのかどうか、そこはわかりません。昔のSL、本物のSLが走っているからこそファンが集まってくるのでしょうから、ニセモノでは誰も来てくれない可能性も考えられます。

ただ、断わっておきますが、見た目は完全にSLを再現できたらどうでしょう? 多くの撮り鉄にとっては被写体として完全なSLであればそれでよいのではないのでしょうか? 乗り鉄だって、機関車の車両に乗るわけではないでしょうから、客車に乗っている限り、吸っても煙くない、窓を開けていても汚れない煙を出しながら走るSLでもよいのではないかと思うのです。

そんなことを考えていたら、最近話題になっているお城の天守閣を鉄筋コンクリートで復元する計画の是非について思い至りました。耐震の問題を考えると、かつてのような高層の天守閣を木造だけで作るのは法律が許さないのでしょう。しかし、多くの城マニアは鉄筋コンクリート造りの天守閣を本物の天守閣とは認めないはずです。

そう考えると、SLと似たようなことだと思います。外見だけSL、中は電気の機関車を認めるのであれば、外観は全く創建当時のまま、内部は鉄筋コンクリートの天守閣だって「あり」なのではないか、そんな風に思えてきました。

百年後、千年後にデータを伝えるには、やはり紙なのでしょうか?

本日の朝日新聞の記事です。

電子データの保存についてですね。DVDとかBlu-rayって、何十年か何百年もすると、それ自体が劣化して読み出せなくなってしまうのでしょうか? 確かに磁力に弱そうなので、保管場所次第では数年でダメになってしまいそうな気もします。

そういう問題とは別に、読み出す機器があるのかどうかという問題がありますね。少し前にこのダイアリーに書きましたが、いまやFDやMOに保存してあるデータをどうやって再び読み出せばよいのか、それが問題です。このままではDVDだって似たようなことになりかねません。

現状ですと、microMDなどがパソコンでもスマホでも一番使われていると思いますが、デジカメの記録メディアの変遷を見てもわかるように、これだって10年後も標準的な保存メディアなのか不安です。果たして、数百年後の人類に伝えるための媒体としてふさわしいのはどれなのでしょう?

こういう記事を読むたびに思い出されるのは『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』です。同書の中で、ウンベルト・エーコは、書物という媒体は出来上がったときに既に完成形であったと指摘しています。書物は、確かに腐食とか燃焼とかの心配はありますので完全無欠のものではないですが、それでも数百年前の書物をわれわれはそのまま読むことができます。特別な装置を使わなくても利用できるという点では確かに完成形の媒体です。そこがフロッピーやDVDなどと異なる最大の点であり、アドバンテージです。こんな書物を越える記録・保管メディア、人類は発明することができるのでしょうか?

巨象と巨龍

昨日の朝日新聞です。

インドと中国が接近しつつあるというニュースです。

 

こういうニュースについてもっと深く知るためには本を読むのがよいわけですが、日本では中国に関する書籍は多い反面、インドに関するものははるかに少ないのが現状です。

が、あたしの勤務先では『モディが変えるインド 台頭するアジア巨大国家の「静かな革命」』がありますし、近刊『沸騰インド 超大国をめざす巨象と日本』ももうじき発売となります。いましばらくお待ちください。

その一方、この両大国に挟まれたビルマ(ミャンマー)の地政学的な重要性にも注目するべきだと思います。『ビルマ・ハイウェイ 中国とインドをつなぐ十字路』が、そのよき道しるべになることでしょう。

いつの間にか人気沸騰?

今朝の朝日新聞別刷「be」です。

近畿大学と東洋大学が人気なんだそうです。

おお、わが母校、頑張っているなあ、と少し誇らしく感じます。あたしが学生のころって、三流以下の大学と思われていたのではなかったでしょうか?

確かに野球は強かったですし、駅伝もそこそこでしたけど、やはり地味なイメージが専攻し、お坊さんの大学だと思われていた節もあります。世に言う「日東駒専」も「日本大学、東海大学、駒澤大学、専修大学」だと思っている世間の人が多かったような……

しかし、時代は変わったんですね。

確かに都心部にキャンパスがあるのは魅力なんでしょうね。あたしの勤務先のすぐ近くにキャンパスを構える明治大学がよい例だと思います。明大は文系1、2年生の和泉キャンパスですら渋谷や新宿から電車で10分程度、十分に都心と言える立地です。理系だって生田ですから(駅からちょっとありますが)、八王子の山の中の大学に比べれば都心からそれほど遠いわけではありません。

近畿大学のマグロのように独自の取り組みも大事ですが、東京ではどこにキャンパスがあるかが、そこへ通う学生の人気に影響しますから、都心へ戻っている大学が多いです。青山学院なども渋谷にあるからこその「アオガク」なので、昔あった厚木のキャンパスは何年間使われていたのでしょう?

 

朝鮮族の思い

北朝鮮と韓国、今日は歴史的な南北会談と言われています。

ひとまず朝鮮戦争が終戦を迎えるのでしょうか? あたしなどからしても、知識としては知っていましたが、朝鮮戦争ってまだ終わっていなかったんだ、と思った人は多いのではないでしょうか?

いや、若い世代ですと、朝鮮戦争って歴史の教科書の話ですよね?

それはともかく、朝鮮戦争が終戦を迎えたからといって一気に南北統一に向かうわけではないでしょう。ただ、その機運というか、期待が盛り上がるのも事実だと思います。緩衝地帯としての「北」を維持したい中国としては悪夢のシナリオかも知れませんが……

そこで思い出されるのが、中国東北地方に住む朝鮮族のことです。

最近読んだ『辺境中国 新疆、チベット、雲南、東北部を行く』で改めて気づかされたのですが、朝鮮人って南北朝鮮にだけ住んでいるわけではないんですよね。仕事や学業で海外移住している人は別として、中国の東北地方にもかなりの人数が住んでいて、中国では少数民族の一つとして扱われています。

ただ、現代では中国国内に住んでいるだけであって、朝鮮人の中には「このあたりはもともと自分たちの国の一部だった」と考えている人も多いようです。北と南、そして中国東北部の三つのコリア、というわけです。

確かに、歴史を遡ってみますと、正確な国境線など引けませんが、あのあたりを朝鮮の王朝なり政権が統治していた時代はあったわけで、朝鮮人の主張にも一理あることがわかります。朝鮮人から見たら、満州人(女真族)などに言われるならまだしも、中国(=漢民族)から「ここは中国の領土だ」と言われるのは腑に落ちないのではないでしょうか?

たぶん違いは資産だと思う

辞意を表明した、いや、もう辞任してしまったのでしたっけ、新潟県知事のことです。

灘高校から東大、司法試験も医師の国家試験も通った、地元の名士、エリート中のエリートだと思います。

が、今回の女性スキャンダル。

あの人、50歳という、あたしと同い年。それなのに独身。

今回の件を報じる報道を見れば見るほど、聞けば聞くほど、女性には奥手であるということがわかります。

これだけのエリート、あらゆるものを手に入れているのに、唯一手に入らなかったのが女性だったのでしょうね。恐らく、これまでの人生、一度も女性とお付き合いしたことがないのではないでしょうか?

というプロファイリングをしてみると、なんかものすごーく親近感が湧いてきます。彼女イナイ歴が年齢と同じなんて、まるであたしと同じじゃないですか!

もちろん、あたしは司法試験に受かってもいなければ、石野国家試験だって受かっていません。いや、そもそも受けてもいません。灘高校や東大なんてまるっきり無縁です。

第一、あんな大きな豪邸に住んでなんかいませんし、あたしは資産家の御曹司でもありません!

それでも、親近感を感じて、憎めないんですよね。

友達って必要なのでしょうか?

今日の朝日新聞夕刊に、「共通点は彼女いない、東北出身…大学が友達づくり手助け」という記事がありました。

大学生にもなって、大学に指導してもらわないと友達も作れないの? というのが多くの人の感想ではないでしょうか? 小学一年生ならこの手の話はしばしば聞きますが、まさか大学でもあるとは? これって数年前に話題になった「便所飯」に通じる話なのでしょうね。

記事を読むと、大学側としては中退防止が主目的のようなですが、このままいくと就職活動も大学が企業を選んであげたりエントリシートを書いてあげたりしないとダメな学生が増えていくのではないか、という気もします。

しかし、振り返って考えてみるに、大学って友達が必要なのでしょうか? そりゃ、いないよりはいた方がよいと思いますが、大学は学問をするところですから、友達なんて二の次だと、あたしは思います。現にあたしの場合、先輩後輩や同級生、クラスメートはいましたけど、取り立てて友達と呼べるような存在はいなかったし作らなかったわけで、なので社会人になっても学生時代の友人と、というような話を聞くと、「面倒臭い関係だなあ」と思ってしまいます。

そもそもあたしの場合、人生を通じて友達というものを作ってこなかったので、友達がいないからどうなる、という思考回路が初めからありません。友達がいないから大学を辞めるとか、そんな感覚はまるっきり持ち合わせていないのです。

友達っていなくても、知り合いがそこそこいれば、それなりに生きていけるものです。友達の有無をそんなに気にすることはないと思うのですが……