自虐って何だろう?

今日の朝日新聞夕刊一面に、大阪の平和博物館のリニューアルに伴って戦時中の日本軍による加害行為に関する部分が撤去されたとありました。大阪版では既に報じられていたニュースでしょうか? 東京版では本日の夕刊でした。

加害の行為をどう伝えるか……

その一方、こんなニュースもありました。核拡散防止条約の会議で、日本が提案していた「世界の指導者らの広島、長崎の被爆地訪問」という文言が中国の反対で最終文書の草案から削除されたと。

この手の話題になったときの中国と日本って、なんか、子供のケンカみたいです。

大阪の平和博物館の展示が、戦争の悲惨さばかりを伝えるような展示になっているのは、中国にある抗日記念館の展示が日本軍の残虐行為ばかりを展示しているのと同じくらい歴史の改竄ではないかと思います。どちらも歴史に正しく向き合おうとしていないということでは同じではないでしょうか?

この話題が出るたびに一つ疑問に思うのは、加害行為の展示がなんで自虐になるのでしょう? 昨今の日本では「自虐」という言葉がずいぶんと広い意味で使われてしまっているような印象を受けます。戦争中に残虐な行為をしたことを認めるのが自虐になるのでしょうか? 慰安婦を強制連行したことを認めるのが自虐なのでしょうか? 南京をはじめとした中国大陸で虐殺を行なったことを認めたら自虐なのでしょうか?

あたしには、そうは思えません。戦争においては程度の差こそあれ、どれも起こりうべきことだと思いますし、むしろ起こって当然の行為だと思うからです。もちろん、あたしは起こることがよいことだ、などと主張したいのでは決してありません。あくまで戦争という状況下ではどの時代、どの国でも起こったことであって、日本軍だけが聖人君子の軍隊で、そんなことは微塵もなかったなどというはずはないと、ごくごく常識的に考えてそう思うのです。それを認めるのがなぜ自虐になってしまうのか?

そのあたりの心理がよく理解できません。

コミュニケーション能力が不足しがちなあたしは、「罰が当たる」の使い方からして間違っているようで……

このところ神社仏閣で油のようなものがまかれるという事件が続いていますが、早いところ犯人を捕まえて欲しいものです。日本全国あれだけ広範囲にわたっているので個人的には単独犯というよりは模倣犯がいるのではないかなと思っているのですが、警察の見立てはどうなのでしょう?

そんな中、東京の板橋区のお寺の仁王像に黒い液体(油?)がかけられたというニュースが入ってきて住職さんが「(犯人には)罰が当たる」とおっしゃっているそうな……

ところで、この「罰が当たる」という表現、いまの若い子は使わない言葉なのでしょうか? あるいは既に知らない言葉になっていたりして? 「罰当たり」なんて言い方もしますが、どうなのでしょう。

あたしなどは、よくではないですが、比較的使う方世代なのだと思います。いたずらをしたり、親に叱られるようなことをしたときには決まって「そんなことをしているといまに罰が当たるぞ」と言われたものです。なので、比較的馴染みのある言葉ではあります。

しかし、あたしの場合、他人に対して、心の中でよくつぶやいていました。

小中学生のころですから学生時代という言い方が正しいのかどうかわかりませんが、そんなころ、何度も書いているようにあたしはどちらかと言えばいじめられっ子、嫌われっ子でした。クラスメートとの間で嫌なことがあると、いつも「お前なんか罰が当たるぞ」と心の中でつぶやいていたものです。

そんなクラスメートが風邪を引いたとか、ケガをしたとか、重い病気になったと聞いても、あたしは「ざまあみろ、だから罰が当たったんだ」と心の中で思うことで溜飲を下げていたのです。もし仮に、クラスメートとの間にいざこざがあった日の放課後、帰宅途中にそのクラスメートが交通事故にでも遭って死んでしまったとしても、あたしの気持ちとしては「死んじゃうなら、もっと仲良くしておけばよかった」とか、「仲直りできなかった」といった後悔の念に駆られることはなく、やはりそういう時でも「ざまあみろ」というルサンチマンのかたまりのような心持ちでした。

もちろん、死んでしまったクラスメートなど当時いたわけではありませんので、あくまであたしの心の中、頭の中での話ですが。

つまり罰が当たるというのは、あたしにとっては、悪いこと、いけないことをした自分に下されるものではなく、あたしに対して嫌な態度を取った相手に下されるものというのが第一の意味なのです。こんな考え方だから他人とうまくコミュニケーションが取れないのか、コミュニケーションがうまく取れないからこんな考え方になってしまったのか……

新「東西冷戦」を避けるためにも『クリミア戦争』を読もう!

ロシアで行なわれた対独戦勝70周年の式典。ロシアのクリミア侵攻に抗議して西欧諸国は軒並み参加を見送り、中露の蜜月ぶりばかりがクローズアップされた今回の式典でした。新聞などの論調では新たな東西冷戦という表現も見れますが、新たなどころか、クリミア戦争以来の構図という思いがします。

 

自社本の宣伝で恐縮ですが、『クリミア戦争』を読んでいると、とにかくヨーロッパ諸国はロシアが嫌いなんだということがわかります。クリミア戦争の時代には、民主化の進んだ近代国民国家・西欧に対し、後れた封建体制の野蛮な国・帝政ロシアという意識が強かったわけですが、たぶん現在はプーチンを帝政ロシア時代のツァーリに重ね合わせ、やはりロシアは野蛮な後れた国だという意識になっているのだと思います。今も昔もロシアはヨーロッパではない、自分たちとは価値観を共有できない国、そんな根強い不信感があるようです。

今回は対独の式典に中国の習近平がロシアを訪問しましたが、恐らく夏には対日の式典が中国で行なわれ、それにプーチンが来るのではないでしょうか? 両国ともファシズム戦争に協力して戦い勝利した偉大な歴史を声高に訴えていますね。それはそれでよいとして、この数年来、中露両国ともトップの権力がますます強くなり、強権政治が復活していると言われています。マスコミや民主運動に対する締め付け、統制も厳しくなっているそうです。それに対抗するように日本もマスコミへの締め付けが厳しくなっているなんて、まるで「歴史は繰り返す」の言葉どおりです。

中露の会談で、多分に日本を意識しているのでしょうが、歴史を直視するようにという声明があったそうですが、先の大戦はともかくとして、その後の歴史、両国は自国民にきちんと知らしめているのでしょうか? 中国の文革とか天安門事件とか、マスコミが取り上げることさえタブーのような状態で歴史を直視しろと言われても片腹痛いと感じる日本人は多いのではないでしょうか?

と、そんな風に対立を煽るような感じになっていっては、人は何のために歴史から学ぶのかわかりません。ここは心を落ち着けて『クリミア戦争』でも読んでみてください。戦争をやりたがった政治家や、それを支持した国民の当時の熱狂ぶり、頭に血が上っているときの見境のなさはおくとして、戦地での悲惨さを知れば知るほど戦争は起こさない方がよいということがわかると思います。

本書から、戦争は悲惨だという教訓をくみ取るか、やはり一戦交えないと溜飲は下がらないと思うのか……

箱根

箱根山の地震活動、関東以外の地ではどのくらいの報道になっているのでしょうか? 少なくとも関東ローカルのニュース番組などではこのところトップニュースです。やはり東京の人にとって身近な観光地、泊まるもよし、日帰りもよしというところが人気なのでしょう。

あたし自身は、特に箱根にゆかりがあるわけでもなければ、特別な想い出や思い入れはありません。最後に訪れたのは、たぶん十数年前になると思います。上に身近と書いておきながら、あたしには、それほど行っていない地でもあります。が、身近と感じるのに嘘はありません。

いま、あたしの書店営業の担当の一つに小田急沿線があります。当然に月に何度も小田急線に乗るわけですが、ホームで電車を待っているときにしばしばロマンスカーを見かけます。町田などで停車しているのを見ることもあれば、通過していくロマンスカーを眺めることもあります。

あっ、ロマンスカーと何も断わらずに書いてしまいましたが、東京や神奈川在住でない方にはわからないでしょうか? 小田急の特急のことです。各駅停車、準急、急行といった種別としての特急ではなく、別料金を払って乗らなければならいものです。昨今の車両は荘でないものもありますが、ロマンスカーといえば運転席が二階にあって、だから先頭車両(と最後部車両)は大パノラマの見晴らし、それが売りの特急でした。

営業の途中にそんなロマンスカーを眺めると、「このままロマンスカーに乗って箱根にでも行って温泉につかりたいなあ」と思うこともしばしばです。特に週末の金曜日、書店回りも一段落して帰路に着こうかという時間帯、新宿から小田原・箱根方面へ向かうロマンスカーを目にしたときなど、特にその思いが強くなります。しかし、それを実行したことはありません。思い立って突然何かをする、というのが昔からできないたちで、きちんとあらかじめ計画を立て、旅館も予約して、そうして初めて出発できる、という人間なんです。

それはともかく箱根山の地震。箱根の人たちは風評被害を防ごうと必死です。東京や神奈川の人とか、箱根によく行っている人であれば大涌谷が箱根湯本駅からもそれなりに遠く、箱根と言っても広いのだということをよくわかっているので風評被害に振り回されることはないと思います。ただ、箱根というのは湯本あたりの旅館に泊まっていても、登山鉄道とケーブルカー、そしてロープウェーなどを使って芦ノ湖まで周遊するというのが一般的な楽しみ方です。小田急もそういう周遊パスを発売しています。ですから、その中のロープウェーが運休になっているということは、箱根での移動がかなり制限されてしまうのもやむを得ず、従って、箱根旅行をキャンセルする人が出てくるのも致し方ないと思います。(観光組合だけでなく、小田急電鉄も痛手でしょうね!)

地震活動や火山活動は人間の時間の尺度では気の遠くなるほどの長さで動いているものですから終息もいつになることやら……。仮にこのままはっきりしない状態が続いたとして、あるいは大きな噴火が起こったとしたら、年明けの箱根駅伝にも影響が出てくるのでしょうか?

巣鴨プリズン

関東以外ではあまりニュースにもなっていないのかも知れませんが、東京は池袋にあるサンシャイン60,その展望台がリニューアルのため本日で閉鎖になるそうです。

「あっ、そうですか」

という程度の感想しか持たない方も多いと思いますが、、サンシャイン60ができた当時、その60という名称からもわかるとおり、日本一の高さを誇るビルであり、その展望台は日本一の眺めと言われたものでした。「言われたものでした」なんて書き方をするのは、あたしがここの展望台に行ったことがないからで、その眺望はテレビニュースなどの映像でしか見たことがありません。東京に住んでいるというのに……

ちなみに、東京タワーも上ったことないですし、スカイツリーも同様、東京都庁にしても、すべて上ったことないです。別に高所恐怖症というわけではありません。その証拠に上海の東方明珠塔には上ったことがありますので。

さて、サンシャインの展望台が閉鎖と聞いても別に感傷的になるわけではありません。いま書いたように、特別な想い出があるわけではありませんから。ただ、サンシャイン60というのは、あたしにはちょっと思い出深い場所であります。どういうことかといいますと……

サンシャイン60が、その昔、巣鴨プリズンという刑務所だったということは後から知りましたが、それでも比較的早い時期に知ったと記憶しています。東京裁判だとかA級戦犯だとか、そういった単語とは関係なく、あそこは前は刑務所があったところだったんだよ、という感じで教えられたような記憶です。そんな風に親から教えられたのには、あたしが「あそこって、サンシャインができる前は何だったの?」という質問をしたからだと思います。

そんな親とのやりとりの中で思い出すのです、あたしが幼稚園児だったころのことを。

あたしが幼稚園のころ、小さなアパートですが、いまの淑徳巣鴨中学・高校大正大学のそばに住んでいました。いまや大人気の巣鴨の地蔵通りです。そこから池袋駅の南の方にあった双葉幼稚園に通っていました。双葉幼稚園は今はなく、場所も正確には覚えていませんが、池袋駅東口、明治通りを南に進み、ジュンク堂書店も越えてもう少し行ったところを左に入ったあたりにあった幼稚園です。地図を広げていただければわかるように、かなりの通園距離です。ですのでバスでしたが、幼稚園のバスが何ルートかあって、そのうちの一つが淑徳巣鴨の前あたりに乗り場を持っていましたので、普段はそれで通園していました。

はっきりとは覚えていませんが、多少は子供を乗せるために寄り道はしていたと思いますが、あたしが使っていた送迎バスのルートは、だいたい明治通りに沿ったものだったと思います。片道どれくらいかかったか覚えていませんが、小さいころは乗り物酔いがひどかったあたしでもそれなりに我慢できた乗車時間だったと思います。

双葉幼稚園は、放課後に課外活動がいくつかあり、あたしもそれに二つ三つ入っていましたが、そういった活動に参加するといつもより帰る時間が遅くなり、送迎バスも通常より減ってしまいました。ですので、課外活動がある日は、通常の数ルート分の園児をまとめて帰路に着いたのですが、これがあたしには苦痛でした。家の近所のバス停に着くのにいつもの倍以上の時間がかかったからです。課外活動は愉しかったと思いますが、その後の帰りのバスが憂鬱で憂鬱でたまりませんでした。たぶん何度も気持ち悪くなっていたと思います。だから乗ったらすぐに目をつぶって寝よう、寝ようとしていた記憶があります。

でも、そう簡単に寝られるわけもなく、そうっと薄目を開いて窓の外を見ることもありました。ルートが異なるので普段とは見慣れない車窓からの景色です。毎週のように課外活動があったのに、この時の帰りのバスはいつも「どこを走っているのだろう?」という気がしたものです。そんな憂鬱な、課外活動後の帰りのバスの記憶で鮮明に残っているのが、延々と続くフェンスでした。当時はどこを走っているのかもわからず、とにかくずーっとフェンスが続く道を走っていたとしか覚えていません。いったいこのフェンスの向こうは何だろう、という思いをいつも抱いていました。フェンスの隙間からは広い空き地が見えるだけでした。

そんな幼稚園時代が終わって小学校に上がるとき、わが家は杉並に引っ越しました。池袋や巣鴨界隈からはおさらばです。でも親戚が住んでいたので、その後もしばしば池袋には来ていました。そして1978年のサンシャイン60開業です。あたしは小学校の高学年になっていましたが、「でっかいビルが池袋に出来たなあ」と感じたのを覚えています。もちろん展望台には上っていませんが、サンシャインシティには何度も行きました。

で、話が戻って「ここは何だったの?」という会話です。そうです。あたしが憂鬱なバスの中からぼんやり眺めていたフェンスというのがサンシャインシティの建っている場所だったのです。巣鴨プリズンが1970年までですから、あたしがフェンスを眺めていたころは既に刑務所ではなく、サンシャイン建設に向けて整地をしていた段階だったのだと思われます。「あそこに、これが建ったのか」、サンシャインの前身を聞き、幼き日の自分の記憶と結びついたとき、そんな風に思いました。そしてサンシャインと聞くと、憂鬱だったバスの中、必死に吐き気を押さえながら家に着くのを待ちわびたバスの中を思い出すのです。

早く家に帰りたい、それは巣鴨プリズンに捕らわれていた囚人も同じ気持ちだったのでしょうか?

行ってみる?

日本橋の高島屋で鳥獣戯画展関連のイベントが行なわれています。「鳥獣戯画グッズショップ」です。もちろん、東博で4月下旬から始まる展覧会に合わせてのイベントです。

東博の展覧会はもちろん見に行くつもりですが、こちら高島屋の方もちょっと気になります。だって、ネクタイが売られているようなので……(汗)

しかし、高島屋限定とはいえ、ちょっと高いですね。これなら、東博のミュージアムショップで売っている、そして既にあたしは買っている鳥獣戯画ネクタイの方がお手頃だと思います。「ものが違う」のでしょうが、既に東博で手頃な価格のものが売られているのに、あえてこんな高いものを出してくるなんて、高島屋に勝算はあるのでしょうか?

とまあ、あたしはだいたいグッズショップへ行くとネクタイがないか、それが気になります。既に始まっているマグリット展も行くつもりですが、マグリットの作品をモチーフにしたネクタイが売られていないか、もちろんお手頃価格でですけど、そんなことを期待しています。先日の若冲と蕪村ではそういったグッズは売っていなかったので残念です。

この手の展覧会グッズ、タオルとかTシャツといったものはよくあるのですが、ネクタイはほとんど見かけないですよね。やはり作るのが面倒だからでしょうか? 確かにスカーフは時々見かけますから。あとは需要の問題、これが一番大きいのでしょうか? 確かに「誰がそんなネクタイするの?」と言われて自信を持って「あたしよ」と答えられるのは、数えるほどしかいないでしょう(笑)。

そうそう、ネクタイは関係ないですが、原宿の乃木坂46カフェも、行きたいところの一つです。ちなみに、「乃木坂カフェ」というのもあるみたいですね。こちらは乃木坂46とは何の関係もないようですが。

実は原宿なら、春華堂が手がける「うなぎパイカフェ」にも、亀屋万年堂が手がける「Anovan」にも行ってみたいんですよ。どれも期間限定ですから……

桜吹雪

テレビのニュースでは各地の桜情報が、まさしく花盛りです。そして関東ローカルの番組では上野公園をはじめとする首都圏のお花見の名所からの中継や花見会場での喧噪を伝えています。

あたし自身は、お花見に行こうとは思いません。そりゃ近所に桜の木があって見事に花を咲かせていれば「きれいだなあ」としばし歩みを止めて花を見上げて愛でるくらいのことはします。でも大勢の人が繰り出しているような場所に行こうという気は起きません。ましてや、そこで宴会をしようなどという気はさらさらありません。

何度か書きましたが、あたしにとって桜は悲しい花です。仲間を連れ立ってにぎやかに愛でるような花ではありません。むしろ一人で静かに眺めたい、見上げたい花です。なので、散り始めた今ごろの桜が一番好きです。

今日は夕方から風が強くなり、少し前に満開になったと思われるわが家の近所の桜並木も風が吹くとまさに「桜吹雪」のように花びらを散らしています。まだ地面が桜の絨毯と呼べるほどには散っていませんが、徐々に薄いピンクの水玉模様が描かれてきました。

風に吹かれて花びらを散らす桜が、あたしは一番好きなので、桜は咲き始めたり、満開に咲き誇っているときよりも、今くらいが一番いいですね!

なぜあたしが散り際の桜が好きになったのか、それは自分でもよくわかりませんが、桜に世の無常や儚さを感じるのは日本人の感性ではないでしょうか?

八紘一宇と人文会ニュース

このところにわかに蘇った言葉、八紘一宇。

もちろん、というわけではありませんが、あたしは昔から知っている言葉ですし、だいたいの意味も理解しているつもりです。一個人が使うぶんには、歴史の墓場から這い出てきたゾンビのような言葉として笑い飛ばすことも出来ますし、本来の意味としては至ってシンプルであり、ごくごく常識的な内容の言葉だったと思います。

それが政治家が使うとなると、特に昨今の自民党政権、安倍内閣の方向性を見ると、ちょっと嫌な感覚を覚えるのも事実です。

ただ、そういうことは抜きに、なんであたしが注目したかと言いますと、いまここで突然脚光を浴びることになった八紘一宇という言葉、ものすごく近い過去に聞き覚え、見覚えがあったので驚いてしまったからです。

現在は丸善丸の内本店や丸善&ジュンク堂書店梅田店、ジュンク堂書店福岡店で開催されている「五野井郁夫フェア」、ここ以外にもジュンク堂池袋本店や紀伊國屋書店新宿本店、リブロ池袋本店、八重洲ブックセンター本店、ジュンク堂書店京都店、三省堂書店神保町本店、同名古屋高島屋店などでも2月から3月にかけて開催いただきました。

この「五野井郁夫フェア」は「人文会ニュース」119号に掲載された五野井郁夫さんの論考「現代民主主義の危機と『言葉のお守り的使用法』」をベースにしたフェアなのですが、この論考の中で五野井さんが八紘一宇という言葉を挙げていらしたからです。

今回の国会での、「八紘一宇」突然の登場を見るにつけ、「五野井郁夫フェア」が実にタイムリーな企画であったこと、そしてフェア会場に置かれていた「人文会ニュース」の抜刷の消化が速かったことを考えると、多くの方が漠然とした不安とかモヤモヤしたものを抱えているんだなあということが感じられました。

停車駅

北陸新幹線の開業と、トワイライトエクスプレス、北斗星の終了。鉄道ファンには大きなニュースであると共に、なんとなく時代が変わったなあと感じるニュースでもあります。

「狭い日本、そんなに急ぎでどこへ行く」という標語が流行ったのはいつのころだったでしょう? 確かに富山、金沢に関して言えば「行きやすくなった」と言えますが、これまでの上越新幹線越後湯沢乗り換え特急はくたかがそれほど不便だったかと言われると、数回利用したことありますが、「別にそれほどでも」という気がします。それでも「乗り換えなしで一時間以上の短縮」は大きいと思いますが。

でも、その金沢ですら北陸新幹線って一日何往復なんでしょう? 秋田新幹線や上越新幹線も実は意外と本数が少なくて驚きましたし、東北新幹線も仙台以北はやはり本数がグッと少なくなります。ふだん東海道新幹線ばかり乗っていると、それ以外の新幹線がどれだけ本数が少ないのか知る機会が少ないですが、結局その程度の本数で十分なんですよね、需要から計算すると。

ですから、新潟県が文句を言っている上越妙高や糸魚川を通過するのも致し方ないと思います。もちろん、母方の故郷が上越市であるあたしにとって、上越妙高を素通りというのは残念な気持ちでもありますが、止まる新幹線もあるわけだし、と納得するしかないでしょう。

で、思うのは既存の新幹線の駅です。喩えは、日本人のどれだけの人が東京から新大阪までの東海道新幹線の駅名をきちんと順番通り、一つも漏らすことなく言えるでしょうか? たぶん、一割、二割程度の人しかいないのではないでしょうか? いや、それだけいればかなりの好成績だと思います。となると、東海道新幹線以外の新幹線となると正答率はもっと下がりますよね。

その程度しか知られていない新幹線の駅って、どれだけの人が利用するのでしょう? そう考えると、そもそも駅を作る必要があったのかという根本的な問題が出てきてしまうのは仕方ないと思います。そうそう、東京では埼京線が出来たとき、大宮・赤羽の方から来た埼京線は池袋の次は新宿まで止まりません。途中の高田馬場駅周辺の商店会か何かが、埼京線を高田馬場にも止めるような運動をしていたのを思い出します。結局、今にも至るも実現せず、いまもそんな運動が存続しているのか知りませんが、あの短い距離で高田馬場にも止める必要は誰が考えてもありませんよね?

新幹線って主要都市を早く結ぶことが目的であるわけですから、そもそもは駅が少なければ少ないほどよいわけですよね。でも、それで沿線自治体の協力が得られないので、言われるがままに(特に政治家の圧力に屈して?)駅を作っていってしまったという大人の事情があったと思います。一度これをやってしまった以上、もう北陸新幹線だろうとこれからの新幹線だろうと、無闇に駅を作ってしまう悪弊は直らないでしょうね。

その際たるものがリニアではないでしょうか? あれこそ猛スピードで東京と名古屋・大阪を結ぶための特急なのに、どうして長野や山梨の田舎に駅を作って停車させる必要があるのか、あたしには理解できません。安全上、何キロおきに駅のような施設が必要というのであれば、それは作った方がよいでしょうけど、停車するか否かは別問題だと思います。

個人的に将来的な希望としては、九州の東海岸には新幹線を通して欲しくないということです。湯布院などは時間をかけて行くからよいところだと思うので、あっという間に着けるような交通手段は作って欲しくない、というのが本音です。「行きづらさ」を売りにするところがもっと増えてもよいのに、と思います。

雪はぁ、どこ?

節分の「鬼は外、福は内」の声がまだ耳に残っている気がしますが、今日に限っては「雪はどこ?」と聞こえてきます。

東京は朝の通勤時間くらいから降り出して、最初は雨でも昼くらいから雪になり、夜にかけてかなり本格的な降り方になる、というのが朝の時点での天気予報でした。それが、確かに朝から降りましたが、降ったのは雨。ところによっては、多少は雪も交じったようですが、基本は雨というのが東京全体の空模様だったと思います。それに、あたしが帰宅した時間帯、わが家のあたりはもう雨すら上がっていました。

いったい、雪はどこへ行ったのか?

たぶん、明日の天気予報は、きっと今日の雪予報が外れた原因究明、いや、弁明で終始するのではないでしょうか?

もちろん、今日はまだ終わったわけではありません。これから深夜にかけて大雪が降って、明日の朝、起きたら一面銀世界、なんてこともなくはないのでしょうか?

それでも、地面は濡れていますので、これがしっかり乾かないうちに暗くなりましたので、明日の朝は地面が凍っている可能性はありますね。なんといっても今週は昏倒から始まった一週間でしたので、とにかく明日は転ばないように気をつけないと、それだけです。

その昏倒の傷跡ですが、来週の月曜が抜糸です。顔の痛みはまだありますが、これは切ったところというよりも、全体的な打撲の痛みです。昼間は体を起こしているので血も下がり腫れ(むくみ)もかなり治まるのですが、朝起きるとやはり顔面はだいぶ腫れています。自分で鏡を見るのが嫌になるくらいです。

明日の朝はどうでしょう?