冠水

久々に、井の頭線の明大前駅が雨で冠水し、井の頭線がストップしたというニュースを聞きました。

使っていない方にはわからないと思いますが、明大前駅は京王線と井の頭線の乗換駅で、京王線が高架、井の頭線がB1の位置でクロスしている駅です。つまり、井の頭線のホームは地面より低いところにあります。

あたしが小学生のころは、大雨になると、この井の頭線のレールの上に水がたまり、井の頭線が不通となり、お隣の永福町と吉祥寺の折り返し運転になることがよくありました。永福町以外では折り返し運転ができるような駅がないので、こうなると永福町から渋谷間は水が引くまでずーっと不通のままでした。

その当時は、明大前駅だけでなく、杉並区では東西に走る神田川や善福寺川がしばしば氾濫していました。川に沿った側道にまで水があふれ、いったいどこまでが川で、どこに道があるのかわからない状態でした。冗談でも大袈裟でもなく、あたしが小学生くらいのころまでは本当によくあったのです。

東京西側の大動脈・環状八号線も井の頭線と交差する高井戸駅の部分は、高架の井の頭線をくぐるため、やや低くなっていて、なおかつすぐ隣を神田川、そう、しばしば氾濫していた神田川が流れていたので、井の頭線高架下に水がたまり、環状八号線も通行止めになることが時々あったのです。

しかしその後、精力的に神田川と善福寺川の改修工事が進み、あたしが高校生になるころには大雨でもほとんど氾濫することはなくなっていました。明大前の水没も「そんなの嘘だ」と信じてもらえないほど、記憶している人が減っていたように思います。もちろん環八の通行止めも。

そんな明大前の水没が、本日久々に起こりました。改修した下水でも間に合わないくらいの雨が降ったということでしょうか? だとしたら、高井戸駅の高架下、環八も水没しているのでしょうか?

かつて住んでいた人間としては非常に気になります。

 

専門家の端くれとして?

6・4天安門事件の25周年を前にして、昨今の中国のことについて考えたりしています。一応は学生時代、中国思想を専攻としていた人間ですから、他人事で済ますわけにもいきません、と個人的には思っているのです。

でも、中国はわからない、という論調が多いような気もしますが、中国のやっていることで理解できないことって、実はあたし的には一つもないんです。どんな行動も「ああ、やっぱりね」とか、「そう来たか」と思えることがほとんどなのです。別に、あたしが普段から中国の新聞やテレビ、ラジオを注目しているからだとか、ネットからの情報収集に余念がないからだとか、そんなことではありません。ただただ、中国のことをずっと勉強してきためで眺めると、決して不思議なことでもなければ、唐突に起こったことだとも思われないだけなのです。

むしろ、これからどうなると思う、と聞かれる方が困ります。日本と戦争をしたくはないというのは、中国の指導者のほぼ一致した意見だと思いますが、その指導者というのはかなり狭い範囲ではないかと思います。ちょっと指導者層の範囲を広げ、人民解放軍の現場レベルにまでいくと、「戦争は起こさないけど、ちょっと日本の鼻を明かしてやれ」とか、「たまには日本に目にもの見せてやれ」くらいの感情を持っている人はいると思います。

どの程度までなら戦争ではなく、どこまで行ったら戦争なのか、それはなんとも言えませんが、日中双方には日中戦争という歴史の鑑があります。あの時、どのタイミングでどんな行動を選択していれば、あんな戦争が起こらずに済んだのか、双方の指導者はよくよくわきまえていないとならないはずです。

実は、安倍総理を初めとする昨今の日本の政治家が「戦争を知らない世代」と言われて危惧されているように、中国の指導部も戦争を知らない世代になっているのが、やはり不気味な懸念材料ではあります。国内的には、経済成長が鈍化すれば、これまでなんとかごまかしてきた国内の矛盾や不満が表面化しやすくなりますから、そこを指導部がどうかわしていくか、鍵はそこにかかっているのはどの識者もチャイナウォッチャーも同じ意見だと思いますが、その鍵をどう見るかの変数が人それぞれ、バラバラなので中国崩壊論から台頭論まで差が大きくなってしまうのでしょう。

論理の飛躍?

このところの集団的自衛権のニュース。安倍首相を始め、推進派から聞こえてくるのは感情に訴える演説ばかりで、冷静で論理的なものがほとんどない、というのは新聞などに書かれていることです。確かにそうだよね、とは思いますが、感情に訴えるといいつつ、あたしなどはほとんど心になにも響いてこないのですが……

よく使われるのが、大事な家族が危険なめに遭ったら、という言い方です。確かにそういう言い方をされれば、誰だって愛する家族を守るためには体を張って、時には罪を犯すようなことだってするのだと思います。でも、集団的自衛権で想定されていることって、そんな家族といった個人レベルの話ではありませんよね。それを家族の話に矮小化してしまうのはおかしいのではないか、そう思うのです。よく言われることですが、人を殺すと殺人罪に問われるけれど戦争で敵を殺すと英雄として賞賛される、というケースです。殺人は多くを殺せばそれだけ罪が重くなりますが、戦争では多く殺した方が勲章が増えます、功績も大であると見なされます。これは個人レベルの殺人と戦争という国家レベルの殺人とを同列に論じられないことのモデルケースですが、今回の集団的自衛権では逆にあえて同列に論じているような感じを受けます。

で、あえて違うレベルを同列で語ってみると、確かに家に凶悪な強盗が押し入ってきて家族が危険にさらされたら、多くの人は武器を持って強盗に立ち向かうのでしょうが、戦後の日本って、たとえそういう状況になっても決して武器を持つことはしないと決めたのではなかったでしょうか? 戦争は加害者も被害者も多くの苦しみを背負うことになる、そんなことはもう二度としたくはない、被害者にも加害者にも決してなるまい、そう決めたのが戦後の日本人だったと思います。たぶん自民党の人たちは、そう決めたのはアメリカや占領軍であって日本人がみずから決めたのではないと主張するのでしょうが、果たしてそうでしょうか?

それに、上述の強盗の話で言えば、強盗に押し入られないようにこちらも武器を持つのではなく、強盗などがいなくなるような社会、世界を作ろうというのが日本国憲法の理念だったのではないでしょうか? そのためにも近所づきあいなどで普段から周囲と仲良く助けある関係を築いておきましょう、というのが本当の姿だったのではないでしょうか? 少なくともいまの自民党政権には、そういう日ごろのケアに努力する姿勢はまるで見られず、終わりのない武装競争に突き進んでいるように見えます。

同じ死因

料理人の周富徳さんが亡くなりました。あたし自身は彼の料理を食べたこともなければ、彼の訃報を聞いてもそれほどの感慨があるわけではないのですが、彼の死因をニュースで聞いて、ちょっと平静ではいられなくなりました。

誤嚥性肺炎

そもそもこの漢字を読めない人も多いかも知れませんね。「ごえんせいはいえん」です。本来胃の方へ送られなければならない食べ物が、食道などの機能が弱ることで肺に入ってしまい、そのために肺が詰まって肺炎を引き起こし死に至るというものです。あたしの父親の死因がこれで死んでいるんです。

父は多発性脳梗塞を長いこと患い、勤務先を早期退社となり、自宅療養と中短期の入院やデイサービスを併用し、5年ほどで他界しました。多発性脳梗塞は、あたしのような素人から見ると、軽いボケという感じで、徐々に症状が進行し、途中からは家族のこともわからず、食事をしたのに食べていないと言ったり、真夏の暑い日にセーターを着てみたり、入浴や下の世話まで母とあたしでやっていた時期がしばらくありました。

そんな苦労を、今回の訃報を聞いて思い出しました。周富徳さんの家庭は、わが家なんかよりもはるかにお金持ちでしょうから、もっと設備の整った病院で万端のケアを受けていたでしょうから、家族の方の負担はもう少し少なくてすんだのではないかと思いますが……

初々しいのはいないのか?

やはり朝が早いせいか、電車の中に、いかにも新入社員、という若者を見かけませんね(笑)。

いえ、別に会いたいわけではありません。朝の通勤電車の闖入者たち、これまでのバランス、車内の暗黙の秩序を破壊する彼らを決して歓迎しているわけではありません。

まだネクタイの結び方が不安です、スーツが着こなせていません、という若者らを見ているのは微笑ましいものですが、できればあたしが乗っている電車には乗らないで欲しい、もし乗るのなら、他の車両、他のドアから乗って欲しい、というのが偽らざる本音です。

なにせ先月半ばにJR中央線は朝の時間帯も巻き込んだダイヤ改正がありまして、現在はまだ通勤ベテラン勢もどの時間の電車で、どの車両に乗るか、図りかねている、様子見状態のような気がします。そこへ持ってきて春休みなので、ディズニーランドなどへ行くとおぼしき学生たち。車内秩序の破壊者には事欠きません。

ここに新入社員が加わっても、そもそも壊れていた秩序だから、あまり関係ないのかもしれません。それでも通勤の苦痛はできるだけ和らげたいもの。もう半月もすれば、なんとなく暗黙の了解が生まれるのでしょうか?

それにしても、初々しい新入社員を採用しなくなってどれくらいになるのでしょう、あたしの勤務先は!

クリミア? ウクライナ?

今更ながら、ウクライナ問題。

とりあえず、テレビや新聞で知った程度の知識ですと、旧ソ連時代のウクライナ共和国、それがソ連崩壊を機にそれぞれが独立し、ウクライナもそのまま共和国となったわけです。ところが、このウクライナは一枚岩の国かというとさに非ず、西側はウクライナ人が多く住み、親ヨーロッパ、東側はロシア人が多く住み、親ロシアなんだそうです。本来なら、西側だけをウクライナ共和国とし、東側はロシアの領土であればよかったものを、地理的な位置関係が絡んだのか、東側も含めてウクライナ共和国となったそうです。ソ連時代であれば、どこの共和国に属そうが、大きなソ連の一部ですから問題なかったものが、各共和国が独立したがために、ややこしいことになったそうです。

と、ここまでにわか仕込みの知識。クリミア半島は東側に属し、ロシア人が多く住んでいるので、もともと親ロシアだった、とも報道されています。住民自治を原則とするのであれば、クリミアの人たちが自分たちの投票で決めたのだから、それでいいじゃないか、という意見も理解できます。

で、ここで日本に置き換えてみます。

例えば、北海道が住民投票を実施して「日本から離脱してロシアに加わる」と主張したらどうでしょう? 北海道に住む人がそれを希望するのであれば、そして実際に投票をして過半数(あるいは3分の2?)の支持を得て、その意見が通ったら北海道は晴れて日本から別れてロシア領となるのでしょうか?

たぶん、そう簡単な話ではないですよね。その投票を日本の政府が認めるのか否か、そこがまずは第一の問題です。青森のすぐ北がロシアなんて、ちょっと違和感があります。別にかつてのようにロシアが嫌い、ソ連は嫌い、という意識はありませんが、やはりイヤですよね。俗っぽい話をすれば、もう北海道に気軽に旅行に行けなくなるのか、東京で北海道物産展は開かれなくなるのか、そんな心配もあります。

それに、北海道の住民の投票で決めたと言っても、果たしてどこまで住民の意思を反映しているのでしょうか? そんなこと現実には起こりえないとは思いますが、十年がかりでロシアの人たちが徐々に北海道に移住してきて日本国籍を取得し、いつのまにか北海道全道民の過半数がロシア系の人になった、その時を捉えてこういう運動が起こったらどうでしょう? 可決される可能性はありますよね。

中国の少数民族地域では似たようなことが起こっています。漢民族の移住が増えて、現地の住民の過半数を漢民族が占めるようになってしまい、投票などをすれば、もともと住んでいた少数民族ではなく、漢民族の意見が通るようになってしまっているところも多数あるそうです。

で、ウクライナです。

ウクライナの東側とか、特にクリミア半島にロシア人が多いからと言って、そこは果たして最初からロシア人が住んでいた土地なのでしょうか? もともと住んでいた住民を追い払ってロシア人が住み着いたとか、あるいは追い払いはしていないが、ロシア人が大挙してやってきたがために今ではロシア人が住民の過半を占めるようになってしまっただけとか、そういう可能性はないのでしょうか?

管見の及ぶ限り、今回のウクライナ問題で、こういう歴史的なことをわかりやすく解説してくれている新聞が見当たらないのですよね。どうしてでしょう? やはりクリミア戦争からたどらないとならないのでしょうか?

出会いと別れ?

今週は、営業回りの途次、着物(振り袖)姿や袴姿の女性を多く見かけました。卒業シーズンなんですね。雨の日は裾が汚れて、たぶん貸衣装でしょうから、「雨で汚すとお金を取られるのかしら?」と、他人事ながら心配になって眺めてしまいます。はい、心配の眼差しであって、イヤらしい眼差しではありませんので、念のため。

自分の卒業式を思い出すかと問われると、まるっきり思い出しません。いや、「自分は卒業式に出ていないなあ」という意味で思い出しはしますが、涙の別れとか、名残を惜しむとか、学生時代を振り返るとか、そんなセンチメンタルな想い出は全くありません。大学の時は、そのまま大学院に進学することが決まっていたので、まだまだ通うわけですから卒業式というのも変なものだ、という感覚でしたので出ていません。当日もバイトをしていました。夕方になってからバイトを少し早めに上がって研究室へ証書をもらいに行ったくらいです。

大学院の時も、今の職場で、既にアルバイトとして働いていたので、やはりその日も働いていて、夕方になってから研究室へ証書を受け取りに行きました。ですから、何人かの恩師や、たまたま研究室にいたクラスメートと話をしたくらいで、特に感慨深い別れをした覚えはありません。

このところは本人も、さらには親までもが大学の入学式、卒業式に出席するような風潮がありますが、あたしのころは、そもそも当人が出席することが稀という時代でした。時代が変わったなあと思います。

ちなみに中学、高校の卒業式は、式典の後、各教室で担任から証書をもらい、最後のホームルームがあって解散になるわけですが、特にクラスメートと別れを惜しむことなく、いつものように帰宅してしまいました。涙を流すこともなければ、別れが辛いということもありませんでした。あえて言えば、高校の時の乾さんとは、もっといろいろ話をしたかったという後悔がありますが……

そもそも、あたしの場合、学生時代はずーっとクラスの嫌われ者(いじめられっ子に近いです)だったので、さっさとこんなクラスや学校とはおさらばしたいという思いの方が強く、辛い別れではなく、清々とした門出と言った方があたしの気持ちを正しく表現できていると思います。

ところで、テレビなどでもこの時季になると決まり文句のように「出会いと別れ」なんて表現を使いますが、あたしはこれに違和感を感じます。まずは3月に卒業などの別れがあり、4月になって新しい出会いがある、という順番ではないでしょうか? つまり「出会いと別れ」ではなく、「別れと出会い」ではないかと思うのです。語呂が悪いですか? リズムがよくないでしょうか? でも時間軸に沿って言えば、たいていの人は「別れと出会い」という順番でこの季節をやり過ごすと思うのですが……

 

値上げ前?

消費税が8%に上がる前最後の週末と言うことで、どこも混んでいるようです。

うちの母親などは4月からはいろいろなものが値上がると言っていますが、そうではないですよね? 上がるのはあくまで消費税率であって、物の値段そのものは上がらないはずです。と言うか、上げてはいけないはず、便乗値上げ厳禁は政府からもお達しがあったはずです。

もちろん、このところの円安で輸入品などは価格が既に上がっているでしょうから、そういうものはやむを得ないでしょう。あと、雑誌など税込みで丸めた値段になっていたものは、税率改定後も値段が丸まるように、1円、2円程度上げるのは仕方ないことでしょう。でも、結局のところ、上がるのは消費税であって、その品物の値段ではないということは、きちんと心得て置いた方がよいのかなあ、と思います。

で、駆け込みでの買い物、しますか? そもそも相当高いものなんて買えるような余裕はありませんし、そんなに高くないものなら、3%上がってもそれほどの差が生じるとは思いません。ここで駆け込みで買い物をするほどの経済的な余裕はありませんから、駆け込みの買い物なんてしませんね。それが一番悲しいです。

 

転向したの?

月曜日から出ていた出張も終わり自宅に戻りました。ふだんは午前中は社内で雑務に追われ、いや、雑務と言ってはいけませんね、大事なお仕事です。つまり午前中は社内でやるべき業務に追われ、書店回りは午後からということが多いのですが、出張に出ると「社内」が存在しませんので午前中から書店回りです。年に数回の関西訪問ですので、やはりふだん見慣れている東京の書店とは違って、新鮮な目で棚を見ることが多々あります。社内業務を気にせず午前中から回っているという気持ちの違いも多分に影響しているのだとは思いますが。

そんな書店回り、ニュースとかでは聞いていましたが、改めて世間の「嫌中」本の多さに驚きました。最近のわが勤務先は『北朝鮮 14号管理所からの脱出』といった本を出しているので、かつてだったら見ることもあまりなかった、社会の海外事情の棚を見ることが多くなりました。当然、すぐ隣には中国関連の本が北朝鮮の何倍もの物量で置いてあります。まあ、日本と関わる度合いから言って、出版される書籍の量にこれくらいの開きがあるのは当然で、むしろ開きが少ないのでは(?)、北朝鮮モノも十分健闘していると言ってよいのかもしれません。

そんな物量比較はおき、問題としたいのは嫌中本です。露骨な嫌中本から、中国崩壊論まで、実にバラエティ豊かです。著者はジャーナリストなどのライターがほとんどで、センセーショナルに書けば書くほど読者が喜ぶということを知っているような人たちです。そんなたくさんの本の中、今回目に付いたのは以下の書籍です。

  

日本人は中韓との「絶交の覚悟」を持ちなさい』『日本人の恩を忘れた中国人・韓国人の「心の闇」』『日本人は中国人・韓国人と根本的に違う』の3点です。見事に三つ、並んで面陳されている書店がほとんどでした。そして、この三人の著者の名前もこの書籍以外でもよく見かけますね。よくもこれだけ何冊も、中国や韓国の悪口を書けるものだと感心しますが、その一方、よくもまあ飽きもせず同じ著者に原稿依頼をする出版社があるものだと、同じ業界、同業者ながら感心を通り越して呆れてしまいます。

いや、まあ言いたいことを表明するのは、言論の自由が保障されている日本ですから構わないと言えば構わないのでしょうが、こういうのって一種のヘイトスピーチにならないのでしょうか? 「出版や言論の自由は制限されていることが普通」と考える中国から見れば、日本は国を挙げて反中国の運動を行なっている、中国の愛国教育を批判する資格などまるでないじゃないか、と言われても仕方ないのではないでしょうか?

で、言論・出版の自由の問題はさておき、この三点の書籍で気になったのはその出版社です。はい、本を見ればわかりますね、徳間書店です。徳間書店と言えば、あたしが学生の頃に「中国の思想」というシリーズを刊行し、現在もそのいくつかは徳間文庫となって、それなりの支持を得ている本を出していた出版社です。この「中国の思想」は、その後「史記」「十八史略」「三国志」と、同じスタイルで刊行され、あたしの進路に決定的な影響を与えた書籍たちでもあります。

当時既に「ビジネスに活かす孫子」といったような本がかなり出回っていた時代で、そういったビジネス活用本に飽き飽きしていたあたしは、純粋に古典として中国の名著に触れられるこのシリーズがとても気に入っていました。特に巻頭の解題が一般向けにしてはかなり専門的なことをわかりやすく書いていて、いまでもそれぞれの古典について概略を知るのであれば十分なレベルを保っているものだと思っています。

また徳間書店と言えば、これら以外にも同じような体裁で、中国や日本の古典を扱った函入りの古典シリーズを何冊も刊行していて、実はあたしはそのほとんどを所持しているのです。どれも、「ビジネス」向けではなく、教養として古典を読みたい人向けの書籍で、書店でも「社会・ビジネス」ではなく、「人文・東洋思想」などに置かれている、置かれるべき本でありました。更には、映画「敦煌」など中国映画の大作も手がけていて、中国関係の展覧会の後援なども積極的に行なっていたと記憶しています(映画は当時徳間書店の子会社、別会社がやっていたのではないかと記憶しています)。

そんな、そんな徳間書店が、今では書店の棚をリードするかのように嫌中本を出版しているなんて、あたしには信じられません。あのころの徳間書店はどこへ行ってしまったのでしょうか? 徳間書店に何があったのでしょうか? そして、今後も上に挙げたようなすぐれた古典シリーズは存続するのでしょうか? とても好きな出版社だっただけにとても残念です。

今年はやけに…

いろんな芸能人が「3・11」についてブログなどに書いていますね。それと同時に、今年はテレビでの震災特集番組がやけに目に付くと思います。丸三年がそれほどきりのよい数字だとは思いませんが、なぜか目立つように感じます。

3年たって何か思うのか、感じるのかと問われると、残念ながら、あたしには特に感想はありません。他人の気持ちを忖度する能力を欠いているあたしは、忘れてはいけないとか、いまだに心が痛むとか、そういう気持ちがわきません。

そもそも前にも書いたかもしれませんが、あたしは3年前の震災を体感していないのです。いえ、東京にいましたから体感していないというのは語弊があります。確かに揺れを経験していますが、やや大きな地震という感覚しかないのです。これも書きましたが、あの日あたしはトーハンの桶川倉庫にいました。日常とは異なる場所にいると、地震がどれだけの大きさだったか感じにくくなるものです。あたしも初めは大型トラックのせいでこんなに揺れているのだろうと思ったくらいです。桶川からの帰宅も確かに電車が止まってしまい苦労はしましたけど、それほど大変なことはなく帰宅できました。中央線がしばしば停まるのを経験しているので、電車やバスが来ない、来ても車内が大混雑というは慣れっこです。それを差し引けば、比較的順調に、何時間も歩くなんていうこともなく、自宅に帰り着くことができたわけですから、ラッキーと言うほかはありません。

瓦礫が堕ちてきて怖い思いをしたとか、道路がうねって車が通れない、自宅が崩壊、半壊しているということもなく、そういう事態はあくまでテレビで見ただけですので、そして幸いにも身内に被災者もいないので、思いを馳せるということもなくこの3年を過ごしてきてしまったなあという気分です。

で、始めに戻りますが、人それぞれ迎え方があってしかるべきだと思いますが、今年はやけにマスコミを上げて3・11を盛り上げようとしているように感じます。なんででしょう?