ヤルタはウクライナにあった

このところのウクライナ情勢が気になります。

別に知り合いが住んでいるとか、ウクライナにあたし自身が行ったことがあるとか、そういうわかりやすい理由があるからではありません。あえて言えば、何も知らない、たぶん、今回の騒動が起きるまでは、白地図を出されて「ウクライナってどこ?」と聞かれても正しく指し示すことはできなかったでしょう。

もちろん、ウクライナという国があることは知っていますし、あたしの勤務先ではウクライナ語の参考書を出していますから、まるっきり縁がないというわけではありませんが、逆に言えば、そのくらいの縁しかないとも言えます。

黒海に面している国なんですよね。日本人にとってはヤルタ会談が一番有名ではないでしょうか? もちろん日本史が苦手な人はヤルタが地名だとすらわからないのかもしれませんが(汗)。そして、ちょっと前にテレビでやっていたドキュメンタリーで見たのですが、オデッサという街がとても美しいところだと思いました。歴史もあって魅力的な街だと感じました。

そもそも黒海がロシア帝国とオスマン帝国に挟まれ、世界史の舞台となってきた場所ですから、日本人はどうしてもロシアや東欧というと馴染みが薄いですが、世界史という目で眺めれば実に興味深い土地なのだと思います。機会があれば行ってみたいところです。

そんなウクライナ、西側がウクライナ語を使う親ヨーロッパな地域、東側がロシア語を話す親ロシアな地域という、なかなか根深い対立を抱えて混んでいるようです。どんな風に決着するのかわかりませんが、しばらく興味深く眺めたいと思います。

ソチよりも寒い

東京が雪に弱いのは今に始まったことではありませんが、今年の雪は例年以上の記録的なものですから、ちょっと郊外のニュース映像だけを見ていると東北や北陸の豪雪地帯の映像ではないかと思えるほどの量になっています。決して東京だけでなく、山梨など首都圏全体がかなりの被害に遭っています。既に物流が寸断され、スーパーやコンビニには商品が入ってこない、宅配便が届かないといったことも起こっています。

こうなると、事態は東京は首都圏だけの問題ではなく、日本全体に関わってくるというもの。それなのに、テレビのトップニュースはソチ五輪。特にここへ来てようやく日本人選手がメダルを取るようになってきたので、どの局も争うようにソチ五輪のニュースを伝えています。

巨額のスポンサー料を払ったわけですから、視聴率を稼がないと元が取れないということなのでしょうか? それでももう少し雪害のニュースに時間を割いてもよいのではないか、そんな気がします。確かにメダルを取ったというニュースも日本人に元気を与え、世の中を明るくしてくれますから、これはこれで大事なニュースでしょう。でも、メダルの期待がかかっているのはわかりますが、浅田真央の公式練習のニュースまで時間を割いて流す必要性ってあるのでしょうか? あくまで練習ですよ!

日本のマスコミって、こういうことに限らず、物事の優先順位の付け方がかなりずれているような気がします。

成人式

ハッピーマンデー法案のせいで1月15日が成人の日でなくなってから何年になるのでしょう? あたしのように二度目の成人式もとっくに過ぎている世代には「成人の日は15日」という先入観と言いますか、抜けがたい習慣が骨の髄までしみこんでいます。さらに言えば、昨今は成人の祝いを学年ごとでやっているようですが、あたしが学生の頃は1月15日までに二十歳になっている人が成人式を行ない、1月16日以降に誕生日が来る人は翌年の成人式に回される、となっていました。同学年でも何人かは一緒に成人式を迎えられない、そんな時代でした。

とはいえ、そういうことを言っているあたしの成人式はどうだったかと言えば、大学生でした。セレモニーは、たぶん当時住んでいた杉並区の公会堂で行なわれたのではないかと思いますが行ってません。最初から行く気なんて無かったです。少し前に区役所から式典の案内はがきは届いていましたので、当日夕方だったか翌日だったか数日後だったか覚えていませんが、近所の出張所に記念品だけもらいに行った記憶があります。

大学のクラスメートは田舎へ帰っての成人式に出ると言っている人もいたようです。もちろん正月の済ませてきた、夏休みにやったという地域もあったようですが、田舎の人ほど成人式に熱心な気がしました。ニュースなどでもどちらかというと田舎の成人式の映像が流れ、都会は「荒れているところ」とか、「ディズニーランド」のような絵になるところが取り上げられ、何の面白味もない(←行ってないのであくまで想像?)杉並区の成人式には取材などあるわけはありません。もちろんテレビ局が来ないから成人式に行かなかった、というわけではありません。

そもそも、あんな不特定多数が来る式典に行っても楽しいものでしょうか? 誰かと待ち合わせをして一緒に行くというのならわかりますが、ただ一人で参加しても楽しみようがないと思うのです。ですから、大学の入学式も行ってませんし、卒業式も行ってません(大学の卒業式は、大学院進学が決まっていたので、卒業しないのに卒業式に出るのも変だなあと思っていました)。

「そんなことないでしょ? 高校時代のクラスメートと一緒に式典に行って、その後同窓会じゃないの?」というのもありがちだと思いますが、あたしにそんな友達やクラスメートがいると思いますか。こちらから連絡を取りたいと思うクラスメートもいなければ、もちろん成人式前に連絡をくれたクラスメートもいません。当然のことながら、同窓会があったのかどうかもわかりません。

ちなみに、あたしは卒業以来、同窓会というものに誘われたことが一度もありません(←小中高大すべて!)。別に自慢しているのではなく、単に事実をそのまま記述したまでです。TwitterやFacebook、ミクシィなどで昔の友達と再会(←逢ってなくても再会と言えるのか?)という話もよく聞きますが、それも皆無ですね。たぶん、あたしくらいの世代だと、そういうSNSをやっている人の割合があまり高くないのかもしれませんが、あたし自身が縁が切れたら、はいおしまい、というタイプなので、あたしを覚えている人というのがいないのでしょう。

善隣友好

靖国神社。

行ったことはありますが、あくまで境内を通っただけで、参拝したことはありません。「日本人として英霊に……」と言われても、少なくともあたしの親族であそこに祀られている人はいないので、お参りしようという気にはなりません。「お国のために闘った」と言われても、確かにそのとおりではあるのですが、現在の感覚からすれば「お国のために闘わされた」のであって、果たして彼らが人殺しをしたかったのか。

そんな人間はいないと信じたいです。

とりあえず、総理大臣の参拝に対する賛否はおくとしてあの人はどうしてはっきりと、「先の戦争で、日本は決して間違ってはいなかった」「東京裁判は戦勝国の一方的な断罪であって受け入れられない」と言わないのでしょうか? 中途半端に取り繕うとしているから、あっちこっちでおかしなことになってしまっているのではないでしょうか?

この際、はっきりとそういった主張を堂々と述べ、その上で中韓だけでなくアメリカを初めとする諸外国がどういう反応をするのか、そして日本国民がそれでもこの総理大臣を支持するのか、問うてみればよいのではないでしょうか。

あたしはそう思います。

もちろん、支持なんかしませんが!

暮れも押し迫ったころに

今日、12月26日は毛沢東の誕生日だそうです。今上天皇の誕生日もつい先日で、「この暮れの忙しい時に祝日とは……」と思ったものですが、世が世なら、中国では今日、12月26日が祝日になっていた可能性もありますね。これも庶民には迷惑な祝日ではないでしょうか? ただ、中国の場合、西暦の年末年始は特に祝日気分が盛り上がるわけではなく、やはり春節が一番の休暇になりますので、毛沢東の誕生日が祝日になったとしても、それほどの迷惑感は生じないのかもしれません。

ちなみに、毛沢東は9月9日に亡くなっていますが、これはあたしの父親の命日です。中国思想を学んでいた子供を持った父親が、毛沢東の命日になくなるなんて、ちょっとした因縁を感じなくもないです。でも、9月9日はあたしの祖母、正確に書きますと父の母の命日でもありまして、なんと、あたしの父親は実の母親と同じ日に亡くなっているんです。

もちろん何十年もの隔たりがありますが、父が亡くなった時は、やはり母親があの世から呼んだのかな、という気がしました。

さて、仕事もあと一日。朝方の頭痛も昼間にはほぼ治まったので、最終日はすっきりと迎えられそうです。

人身事故初体験

本日は休暇を取りました。先月の休日出勤の代休をずーっと取れないでいたので、ようやくです。

で、寒風吹きすさぶ中、母と亡父の墓参りに行って参りました。墓参り自体は毎年行っているところなので別に珍しくもないです。墓は、と言いますか菩提寺は都心の方にあるので行くのに不便はありません。よい天気、絶好の墓参日和と思って家を出たものの、こんなに風が冷たいとは思いませんでした。

墓参りは午前中に済ませ、帰路、渋谷から井の頭線で吉祥寺に向かいました。吉祥寺から中央線に乗り換えて、というルートです。渋谷駅ではちょうど急行が来たところだったので、それに乗り込みました。平日の午前中ということで、渋谷から吉祥寺へ向かう車両は比較的空いています。吉祥寺で降りることを考え、母とあたしは一番前の車両のシートに座ることができました。

井の頭線の急行は渋谷を出ると下北沢、明大前、永福町、久我山と停車し吉祥寺着です。永福町を出て順調に久我山へ向かっていました。かつて、大学四年生のころまで住んでいた高井戸にさしかかり、懐かしいなあと思っていた矢先、高井戸駅を通過する時に運転手さんがやたらと警笛を鳴らすのです。ホームの端を歩いている人でもいたのだろうと思っていました。

が、次の刹那、ドンという鈍い音と共に、断続的なドン、ドン、ドンという数回の衝撃と音、そして急ブレーキ。一番前、運転席のすぐ後ろで進行方向を見ていた乗客数人の悲鳴。

そうです。あたしたちの乗っていた電車に、高井戸駅のホームから人が飛び込んできたのです。

人身事故で電車が止まるなんていうのは東京にいれば日常茶飯事の体験です。でも、自分の乗っていた電車がその当事者、否、当事車になったことは初めての体験でした。それも当たった車両に乗り合わせ、その衝撃まで感じることになるとは……

その瞬間を見てしまった女性はショックで泣いてしまいました。シートに座っていた女子高生は窓の外を何かが飛んでいったのを目撃したようです。飛び込んだ人は、あたしが乗る先頭車両よりも遙か後方の線路上に倒れているのでしょうか? こういった状況の把握は一番前の車両に乗っていて、その衝撃を体験したからこそ理解できるのですが、たぶん二両目以降の車両に乗っていた人には急ブレーキがかかったことしかわかっていなかったのではないでしょうか?

じきに車掌からの車内アナウンスが入りました。事故直後、急停車した時には騒然としていた車内もアナウンスが流れるころにはやや落ち着きを取り戻し、手にしたケータイやスマホで連絡を取っている人だらけになりました。時間が時間ですから、仕事で取引先へ向かっていた人も多かったのではないでしょうか? それにしても、メールで済ませる人はまだよいとして、おばさんというのはどうしてああでかい声でケータイに向かってしゃべるのでしょう? きっとスピーカーが自分の耳に正しく当たっていないので自分が聞き取りづらいので、ついつい大声になってしまうのだと思いますが、あのような車内ではやはり迷惑に感じます。意外とビジネスマンや若者は声を潜めて話をする人が多いものです。こんな突発的な事故が起こったわけですから車内でケータイを使うのは、通話も含めてやむを得ないと思いますが、おばさんの使い方は勘弁して欲しいものです。

さて、人身事故は11時すぎに起きました。いつになったら動くのだろうと思い続けて数十分。少し車両をバックさせ高井戸駅のホームに付けてくれれば高井戸で降りてバスにでも乗り換えるのですが、ホームのないところで停まっていますし、バックしようにもたぶん飛び込んだ人が倒れていたり、警察の現場検証が行なわれているでしょう。第一、ぶつかった衝撃で電車その者が運行できる状態なのか、保安要員が来ていろいろチェックをしています。それが終わらない限り前にも後ろにも進めないのでしょう。

運転席がすぐそばにあるので、乗務員の無線連絡の音声が耳に入ります。乱れたダイヤをどう建て直すか、頻々と連絡が入っています。渋谷と永福町、富士見ヶ丘と吉祥寺の間でそれぞれ折り返し運転になったようですが、肝心のあたしたちがいつ動けるのかはわかりません。

40分くらいたって、ようやく動き出しましたが、徐行運転のまま次の富士見ヶ丘で運行終了。隣のホームに停車している吉祥寺行きに乗り換えて吉祥寺までたどり着きました。事故を起こした車両はそのまま車庫に回送され、再度チェックが行なわれるのでしょう。長かったような短かったような……

それにしても、人が当たった衝撃というのは案外小さいものですね。そりゃ、ドンという鈍い衝撃はありましたけど、人がぶつかったにしては「あんなものか」という感じでした。ふだん車を運転していてちょっとした小石を踏んだだけでもタイヤを通してそれがわかりますから、人間のような大きさのものがぶつかったら、それこそもっと大きな衝撃になるのではないかと思うのですが、意外と小さかったと感じました。

あたし自身は飛び込む瞬間もその後も何一つ目撃していませんが、もし飛び込んだ人が車両の下に入ってしまい、そこに電車が乗り上げて脱線していたらと思うと、ちょっと怖いですね。

今日はそんな一日でした。

寒いでしょうか?

久しぶりの出社です。

この一週間、出張中は6時すぎに起床する生活でしたので、久しぶりに朝4時に起きる生活に戻りました。

出張中の関西は、あたしはそれほど寒くは感じませんでしたが、東京はかなり寒かったと聞きました。本当でしょうか? 確かに大阪でもコートを着ている人の数が多くなった気はしましたが、あたしはブラウスにジャケットで特に寒さも感じず、書店回りができました。やはり、朝出かける時間が数時間遅くなると、そのぶん気温も暖かくなっていて、肉体的にもかなり楽になります。昼間は一生懸命書店回りをしているので寒さを感じる暇もありません。

というのは言いすぎで、大阪のような都会では電車から降りてもビルの中、地下街などを歩くことが多く、意外と寒くなかったというのが本当のところです。

でも、今朝の東京はそれほどの寒さでもなかったですね。比較的暖かな一日だったようです。が、明日は寒くなるそうで……

なにか、社内でも羽織るものが必要になりそうです。

 

新阪急ホテル

この数日、新阪急ホテルのレストランなどでの偽装が問題になっています。普段のあたしですと「ふーん」程度で済ましてしまうようなニュースなんですが、今回はちょっと気になります。なにせ、新阪急ホテルはあたしが関西出張する時の定宿ですから。

もちろん、問題になっているようなホテルのレストラン、お値段が高いですから、あたしは使うことはありませんが、ホテル内、エレベーターの中には季節ごとのレストランの催しのポスターが、美味しそうな料理の写真と共に貼られていて、「うーん、出張中に一回くらいは贅沢な食事でもしようかな?」という気分にさせられます。で、正直に告白すれば、新阪急ホテルの中のステーキレストランに一回、鰻屋に二回、入ったことがあります。どちらも美味しくいただきましたので、お値段相応の満足感は得られたと思っていますので、ホテルに対して文句を言うつもりはありません。

そもそも、こういった事件が起こるたびに思うのは、確かに客を騙したことは悪いですが、あなたは実際に食べた時に値段ほどの味ではない、メニューの食材を使っていないと気づいたのでしょうか、ということです。別に定宿だからかばうつもりはないのですが、自分が食べて満足し、値段相応だと感じたなら、あまり眉をつり上げ、ヒステリックにホテルを非難するのはどうなのかと思います。

ただ、そうは言っても、食材がメニューに書いてあるものと違うというのは料理人であればわからないのでしょうか? たとえばマグロが入荷したとして、それが大間のマグロかそれ以外のところのマグロかなんて、相当な料理人でなければ判別不可能でしょう。たぶん入荷した時の函にどう書いてあったかによるのではないでしょうか? お肉だって肉のかたまりを見て産地までわかる料理人は少ないと思います。

でも、芝エビが芝エビでなかったとか、キャビアが別の魚卵であったというレベルになると、料理人はわからなかったのかどうか、わからなかったとしたら一流ホテルの料理人としては問題ありではないでしょうか?(この際、ハンバーグを手でこねていたのか否か、パンを自分の店で焼いたものであったか否か、というレベルの話には触れません。)

あの鳥はどうなった

伊豆の大島が大雨で大変な被害になっているそうですね。いまだ行方のわからない方、恐らく土砂の下敷きになってしまっているのでしょうが、この雨で捜索もできないとは、家族の方の胸中お察しいたします。

ところで、大島と聞くと何を連想するでしょうか? そもそも関東近県の人で伊豆大島へ行ったことがある人って、どれくらいいるのでしょう? いや、大島でなくても、伊豆諸島のどれかでも構いませんが、行ったことがある人って何パーセントなのでしょう? 意外と少ないのではないかと思うのですが、どうでしょう? 何の根拠もない、漠然とした印象ですが、たぶん東京の人で伊豆諸島のどれか(尾が澤rを加えても可)に行ったことがある人と、沖縄(本当及び周辺の島々)へ行ったことがある人を比べたら、もしかすると沖縄の方が多いのではないかという気がしますが……

で、大島で連想するものですが、三十代くらいの人ですと、映画「リング」を思い出すのではないでしょうか? あたしの記憶では、山村貞子の故郷が伊豆大島ではなかったかと思います。

あたしの場合、もちろん「リング」も思い出しますが、やはり行ったことがあるので、その時の記憶が蘇ります。

あたしが高校一年の時ですから、1983年です。ごくごく普通の都立高校に通っていましたが、その高校では一年の一学期に大島にある都立のセミナーハウスへ二泊三日で修学旅行(?)に行くのが恒例行事でした。高校に入ってまだひと月ちょっと、お互いの交流を深めるために、というのが学校側の目的だったのではないかと思います。ちなみに、いわゆる修学旅行は二年次にありました。

その大島旅行ですが、行きは熱海までバスで移動し、熱海から船で大島へ渡りました。帰りは大島から竹芝まで船で帰るという旅程でした。実は書には天気が悪く、確か低気圧が来ていて雨降りだったのを覚えています。海は荒れ、熱海に着いた時点で船が出るのか心許ない天候でした。しかし、二、三百人からの高校生が到着してしまっているのでやむを得ないと判断したのかどうかわかりませんが、とにかく船は嵐の海へ出発しました。

熱海からですと大島は天気がよければ肉眼で見えますよね? それくらいの距離ですが、とにかく大荒れの海でしたから、生徒のほぼ全員が船酔いに苦しめられるという状態でした。船室では気持ち悪くてぐったりと横になっている生徒がそこかしこ。トイレに駆け込むものも続出で、たぶん雨の中、デッキから海へ吐いている人も何人もいたのではないでしょうか?

もちろん、乗り物酔いしやすいあたしが平気なわけはありません。あたしがぐったりと寝っ転がっていました。吐いてしまったかどうか、今となっては覚えていませんが、とにかく気持ちが悪かったという記憶が残っていますし、その晩、セミナーハウスのベッドに横になっても体が揺れている、ベッド自体が揺れているような感覚が残っていたのを覚えています。

なんとか無事に船が大島の港へ着いた時、あたしを含め生徒のほとんどが帰りはこの何倍もの時間、船に乗らないとならないんだ、という憂鬱な気持ちでいっぱいでした。船に乗るくらいなら帰りたくない、というのが当時の素直な気持ちでした。実際のところ、帰りは海も穏やかで船も揺れず、行きとはまるで異なる快適な船の旅を満喫できたわけですが、とにかく到着時の気分は最悪でした。

さて、この旅行中の活動では三原山登山というのが組み込まれていて、クラスごとに三原山へ登りました。火口まで行ったのか、途中までだったか、その当たりの記憶が定かではないのは、歩き始めてじきに、あたしは小鳥の死骸を見つけてしまったからです。カナリアだったような気もしますが、とにかくそれくらいの大きさの鳥の死骸でした。道路端に打ち捨てられたようにあったのがかわいそうで、あたしは拾い上げ、それを大事そうに手に持って登山をしていたのです。もう少し高いところへ行って埋めてあげよう、そんなことを思っていました。死んでそれほど時間がたっていないのか、カチンカチンで冷たい、という小鳥のからではありませんでした。また歩いている途中で、手の中で糞をされました。たぶん肛門から垂れ流されたのでしょう。

小鳥を持って火口付近の適当なところで地面に穴を掘って埋めたのを覚えています。その上に卒塔婆よろしく木の枝でも立てたか、墓石を模して石でも置いたか、その辺りの記憶がやはり不鮮明なのですが、あたしなりに成仏させてやったという満足感は感じられました。天気のよい日だったという記憶が残っています。

でも、今回の土砂災害の原因でもある大噴火が起こったのは1986年。住宅地付近まで溶岩が流れてきて、かなり大きなニュースであったわけですが、その時あたしは、テレビのニュースを見ながら、あの小鳥の墓はどうなっただろうか、とそんなことを思っていました。少なくとも、この時の噴火で、高校生だったあたしたちが登った三原山の面影は、そして地形、風景は記憶の中に残るのみで、もう跡形もなくなってしまったのだという、ちょっと感傷的な気分にさせられたものです。特にあたしの場合、大島や三原山に対する思い入れというよりも、あの小鳥に対する思い入れが、そういうちょっとセンチメンタルな気持ちを起こさせたのではないかと思います。

そして、今回の惨事。大島の景色はまたも変わってしまったのですね。これ以上、被害が広がらないことを祈ります。

 

いまのところは……

関東地方に台風が接近中です。

午後からは雨になりました。それほど強くはなく、ふだんの雨の日と変わらない感じです。夕方になりだんだん強くなってきました。なんとなく、いつもより帰宅の足が速いような気がします。

かくいうあたしは、明日からの出張の準備で一日会社に籠もりっきりで、なんとか準備を済ませ、会社を出たのは5時半を回った頃でした。電車が止まると嫌なので、できれば5時の時報と共に会社を出たかったのですが無理でした。

帰宅時、雨は強いものの、風はそれほどでもなく、少なくとも横殴りの雨になっていなかったのが幸いでした。でも、明日の朝はどうなるのでしょうか? 新幹線は動くのでしょうか? それよりも、あたしが無事に東京駅へたどり着けるのでしょうか? 大阪へ着いてしまえば「没問題」なんでしょうけど。