右肩が痛いです。
よくなってもいなければ、悪くなってもいない感じです。
無理に引っ張ったり、押さえたり、余計な圧を加えたら却って悪くなってしまうのでしょうか?
湿布を貼るべきか、それとも肩、二の腕用のサポーターを買ってみるべきか。
悩みます。
どうしたものでしょうか?
とりあえず、こうしてキーも打てるし、ペンを持って字を書くことにも不自由はしていませんが、ある日突然腕が痺れてペンが持てなくなる、キーボードが打てなくなる、マウスを滑らすことができなくなる、なんてことにはならないでしょうね?
他のカテゴリーに収まらないことについて
先週の書店回りの時の出来事です。
あたしのすぐ前を、20代後半から30代前半とおぼしきカップルが歩いていました。まあ、たぶん夫婦か恋人でしょうね。平日の午後に仲良くお出かけですか、とちょっぴり羨ましく感じつつも、あたしは仕事です。
が、その二人を見かけたのはちょうど駅だったのです、ホームへ上がる階段を二人が上っていきます。あたしも少し遅れて上っていきます。あたしがちょうど見上げる視線の先が二人のお尻、というくらいの距離感。それほど接近しているわけでもなければ、そんなに距離が離れているわけでもありません。
で、あたしも他人のお尻を凝視したいわけではありませんが、次の瞬間、あまりの光景に目が釘付けになってしまいました。
その女性の方のパンツが丸見えだったからです。
いえ、実際にパンツが見えていたわけではありません。スカートを履いていました、それも割と長めの。長さだけで言えば、夏の暑い時期には似合わないと言ってよいかもしれません。もちろん触るわけにはいきませんし触ってもいませんが、見たところ、ごわごわしたタオルのような感じの布です。
ゴメンナサイ、アパレル方面に詳しくないもので、その女性がひどいスカートを履いているかのような表現になってしまいましたが、ああいう材質、素材をなんて呼ぶのかわからないので、見た感じをそのまま文字にしてしまいました。
で、そのタオル地のようなロングスカートがかなりタイトなもので、前を歩いているときは視線の先になかったので気づきませんでしたが、階段を上るときになって、足の動きでよりタイトさが強調され、パンツ、否、パンティーと呼ぶべきでしょうか、とにかくその線がくっきりと見えてしまっていたのです。
確かに、階段などを上っているときにパンツの線が見えてしまうということはしばしばあるでしょうし、女性も気を遣っていることはわかります。かく言う男性だって、タイトなボトムの時にはパンツの線が見えていると思いますが……
しかし、その女性の場合、タオル地のスカートが薄手だったからでしょう、ほとんどパンツが透けて見えるような感じだったのです。
うーん、これは目のやり場に困ります。男性の方は自分のツレがそんなあられもない格好で街を闊歩していることに気づいているのでしょうか? お尻が隠れるくらいの長さのカーディガンや上着を羽織るか、何らかの対策を取った方がよいと思いますが、もちろんそんなこと本人には言えません。余計なお世話どころか、痴漢と思われてしまうでしょう。さっさとホームに上がって、その二人の側を離れました。
見たくもないものを見させられた、むしろこちらが被害者な気分でした。
京都大学生協ブックセンタールネは関西ツアーではほぼ必ず訪問する店舗の一つですが、その入り口を入ってすぐ脇のイベントスペースではしばしば地元業者による古書販売が行なわれています。今回は吉岡書店だそうです。
さすがに大学生協内での古書市だけあって専門書がずらりと並んでいる様は壮観です。今回も人文から理工まで取り混ぜて置いてある中にこんな本が!
『モンテーニュ随想録』全三巻です。なんと3000円、安い! いまだったら、先ごろ全7巻が完結した『エセー』があるからでしょうか?
そしてさらに懐かしい書籍、『ベルジェーエフ著作集』です。これも揃いで12000円。ちょっとしますが、古書としては妥当な金額でしょうか。ただ、今、アマゾンの古書価格を調べたら一冊が数百円で売られていますので、高いと言えば高いですが、アマゾンでも全巻揃いませんので、揃っているということでこの値段なのでしょう。
しかし、ベルジェーエフなんて、もし今復刊したとしたら需要はあるのでしょうか?
会社でいきなり同僚に「死ね、おめぇ」と言われました。
「お前なんか死んじまえ」って、あたし、そんなに気に障ることしたかしら、と思いつつ、よくよく聞いてみると「しねおめ」と言ったようです。
で、しねおめって何よ?
まるでわかりません。
いや、しねおめではなく、シネオメが正しいらしく、人の名前なんだそうです。サッカー選手? 監督? とにかくサッカーにそれほど詳しくないあたしにはチンプンカンプンです。
ディエゴ・シネオメという人のことだそうで、常に黒いスーツに黒いシャツといういでたちなんだそうです。
で、本日のあたしのいでたちがこれ。
確かに、ググってみると、シネオメの写真はほとんど真っ黒な衣裳ですね(笑)。ちなみに、あたしはシネオメがわからないので、ずーっと頭の中ではクリオネが泳いでいました。
本日は年に一度の健康診断でした。若いころは健診項目も少ない午後の部でしたが、いつのころからか午前の部、昨晩は9時以降は飲食禁止、今朝も白湯や水のいっぱいはよいとしても、朝食はおろか、朝のお茶すら飲んではいけないということになっています。
それはすべて、健診項目の一つ、胃の検査でバリウムを飲むからなのでしょう。
このバリウム、毎年のことですから、既に数回飲んでいますが、何度飲んでも慣れませんね。
今回、つまり今日ですが、まずは胃を膨らませるための顆粒状の薬を飲まされます。これを飲むとゲップが出そうになるのですが「我慢してください」と言われます。我慢しつつ、次にバリウムを飲むのですが、こんなもの一度には飲めません。少しずつ、一口ずつ、ちびちびと何回にも分けて飲みます。
その合間に、どうしてもゲップが出そうになるので、見つからないようにゲップを数回。昨年もバリウムを飲みきれずに残しましたが、今年も少し残してしまいました。
「全部飲まなくていいの?」と言われそうですが、あまり時間をかけて飲んでいると、係の人(技師?)が「いい加減、飲みきってくださいよ、いつまでかかってるんですか?」という空気になるので、全部飲みきったフリをして、バリウムのカップを受け皿に置いてしまうのです。
カップを置くと係の人は「飲みきった」と判断するようです。
で、検査が始まったのですが、すぐに「胃の膨らみが足りませんね、もう一回、膨らます薬を飲んでもらいましょう」と言われ、例の顆粒状の薬を再び飲まされました。これで、ますますゲップが出そうになります。
こうなったらこちらも開き直って、検査の間、ゲップが出そうになったら特に我慢もせずにしてました。なにせ、ぐるぐる回ったり、頭を下げられたり、いろいろ回されますので、ゲップよりもバリウム自体を戻しそうになってしまいます。
もし検査台の上で吐瀉したらどうなってしまうのでしょう? などと思いながら、なんとか検査が終わりました。下剤を飲まされ、「今日はいつも以上に水分をとってください」と言われましたが、ふだんからそんなに水分を摂る方ではないので困ります。
そんなことよりも、iPS細胞だとか、これだけ医学がいろいろな方面で発達・進歩しているわけですから、胃の検査にいつまであんなバリウムを飲ませつづけるのでしょう? もっと簡便な、楽な方法なり、バリウムに代わるものって作られないのでしょうか? 胃カメラですらどんどん小型化しているというのに!
そう思います。
既に多くのオフィスで冷房を使い始めているのではないでしょうか? この数年、エコだとか環境にやさしいだとか、そういう言説が幅を利かせ、冷房の設定温度は28度にしましょう、なんていう標語が一人歩きしています。冷房を28度に設定することと、実際に室温が何度になっているかは異なると思うのですが、そんなことは一切お構いなし、一律に28度が正義であるかのような風潮が見られます。
もちろん冷やしすぎの室内というのも体に悪いことは重々承知していますので、そんな極端な温度設定は致しませんが、それでも「寒い、寒い」という女性が多い気がします。いや、世間には十分に暑がっている女性も多いのは知っていますが、なぜか「女子は寒がるもの」というのがよいような風潮です。まるで「あたし、低血圧だから……」というのと同じです。
低血圧なんてなんの自慢にもならないはずなのに、世の女性はなぜか低血圧の方がよいと信じているかのようです。それと同じように、冷房の効いた室内では、女子は寒がるものだ、というのが見えない圧力としてあるような気がします。たぶん、寒がる女性の何割かは、体のどこかが悪いのだと思いますから、冷房の温度を上げる前に、自分の食生活とか健康面をチェックした方がよいのではないでしょうか?
と、やや極端なことを書き連ねてしまいましたが、あたしの勤務先、営業部、編集部、総務部と、3フロアで仕事をしています。各階に暑がりな人もいれば寒がりな人もいて、冷房のスイッチを付けたり消したり、温度を上げたり下げたり、気になった人が勝手に調節しています。それはそれで先輩後輩遠慮なく、気兼ねもなくやっているので、風通しのよい会社だとは思います。
でも、やはり暑いと感じる人もいれば、寒いと感じる人もいるわけなので、これからの時季、いっそのこと「温度設定22度のフロア」「25度のフロア」「28度のフロア」に分け、各自が一番過ごしやすい、一番仕事がはかどるフロアに行って仕事すればよいのではないかと思うのですが、いかがでしょう?
昨日は午後から早退しました。
体調を崩したわけではなく、実は、伯父さんが亡くなり、その通夜へ出席するためです。今日は告別式なのですが、そちらはパスさせてもらいました。
伯父さんは、母の姉の旦那。十数年ぶり、いや数十年ぶりの再会が棺の中。子供のころの印象では大きな、実際にもやや太った感じの人だったので、顔も体も大きな印象を持っていましたが、棺の中に寝ている伯父さんはかなり痩せていて、そんな記憶と比べると別人のようにも感じられます。
それにしても、久々の親戚との邂逅。いや、邂逅と言うほど話をしていませんが、いとこなんだろうけど誰だかわからない、そんな人が何人も。そのいとこたちが結婚していて子供を連れて来ているわけで、そうなると、もう誰が誰の子供なのか、誰が誰と夫婦なのか、通夜の席ですから、そんなことを根掘り葉掘り聞くのもなんですし、なんとなく昔の面影を思い出しながら、たぶん誰々だろうなあと思うだけでした。たぶん、向こうもあたしのことを見て、たぶん親戚の人なんだろうけど誰だろう、という感想を抱いていたでしょう。
まあ、人によって異なるでしょうけど、いとこも結婚してそれぞれの家庭を持つようになると、だんだんと疎遠になるものです。昨夜会ったいとこたち、たぶん今日、町で会ったとしても、あたしはもう思い出せなくなっていること必定です(汗)。そして、たぶん、また十数年顔を合わせることはないのだろうと思います。
が、そんなことにはならないかもしれません。なにせ、母の姉の旦那が83歳で亡くなったわけですが、その連れ合い、つまり母の姉だってもういい歳です。旦那を亡くして気落ちしているでしょうから、この先が心配です。
男は奥さんを亡くすとすぐに後を追うように亡くなってしまうけど女は旦那を亡くしても長生きする、とは巷間よく言われることで、うちの母がそれを見事に証明していますが、伯母さんはどうでしょう?
それに、伯父さんがそんな歳だったわけなので、母の兄弟、意外と人数が多いのですが、みな70から80絡みの年齢。ここ数年で次々に逝ってしまう可能性だって少なくありません。
うちの母も73です。今のところは元気ですが、いつどうなるか……
いや、ポックリと逝ってくれるならよいのですが(←不謹慎?)、もしボケて寝込むようなことになって要介護となったら、今のあたしでは手に負えないです。
厄介な、そして深刻な問題です。