キャンパスから外へ出たらいけないの?

クリスティ」を視聴。ちなみにタイトルの原題は「KRISTY」で語頭は「ch」ではなく「k」なんですね。こんな単語、あるのでしょうか?

簡単にストーリーを紹介しますと、謎のアンチ・キリストなカルト集団がいて、彼らは清い心を持った女子大生(大学生以外もターゲットなのかは不明)をキリストの力を助ける者「クリスティ」と名づけ、彼女たちを殺すことによってキリストの復活を阻止しようとしている集団のようです。女子大生の行方不明事件が全米で頻発しているとのニュース映像が冒頭では繰り返し流れます。

さて、その一方、本作の主人公ジャスティンは復活祭の休暇も大学の寮に一人残ることになりますが、アイスを買いに外へ出たスーパーで狩ると集団の女ボスに見つかります。そして寮に戻った彼女を追ってカルト集団が大学構内に侵入し、警備員を血祭りに上げ、ジャスティンの命を狙って襲いかかります。誰もいない大学で一人、カルト集団(女ボスの他に男が3名?)との闘いが始まります。最初は逃げるだけのジャスティンでしたが、一人と聞いて戻ってきた彼氏が目の前でカルト集団に殺されたところからスイッチが入り逆襲に転じます。

この手の映画ですから、最後はジャスティンが全員を倒してジ・エンド、あるいは一人くらい討ち漏らしたのがいてパート2へ続く的な結末を迎えるものですが、案の定、ジャスティンが見事にカルト集団を倒します。ジャスティンが倒した連中の携帯電話から全米に広がるカルト集団のネットワークが明るみになり、次々と逮捕されていくというニュースでエンディングなのですが、それでも根絶はできず、新たな女子大生が襲われるシーンで幕を閉じます。この女子大生を襲ったのがジャスティンだったのか否か、映像ではちょっとわかりにくかったのですが、劇中「あたしはジャスティン、クリスティなんかじゃない」と叫んでいたジャスティンが、カルト集団を倒した後に「ジャスティンは死んだ、あたしはクリスティ」とつぶやくところがなんとも意味深です。ただ、クリスティを名乗ったらカルト集団に狙われるだけ。逆に彼女は一匹狼としてカルト集団を狩る側に回ったのでしょうか?

それにしても、こういうのをシチュエーション・ホラーって呼ぶのかも知れませんが、閉じ込められた空間での攻防ならわかりますが、広々とした大学のキャンパスが舞台です。鍵をかけられて寮の建物から出られないわけでもなく、ジャスティンはプールや図書館や立体駐車場などあちこちへと逃げ回ります。だったら、キャンパスの外へ逃げてしまった方がよくはないでしょうか? 最初こそ安全な室内とかに逃げ込んでケータイで助けを呼ぶというのは理解できますが、それが出来なくなった以上は外へ逃げるのが合理的だと思いますが。それに敵は4人ですから、キャンパスから出てしまえば、とてもジャスティンを探しきれなかったと思うのですが。それとも、アメリカの大学は郊外にあって、キャンパスから出ても町や人のいるところまでは数キロも離れているのでしょうか?

さて、どうでもよいことかも知れませんが、否、この手の映画ではもっとも肝心なことかも知れませんが、主人公のジャスティン、ネイリー・ベネットという女優さんのようですが、あたし、この手の顔立ち、好きです。

最後にやられるのではなく、最後まで生き残るという意味だったのね

「ファイナル・ガールズ 惨劇のシナリオ」を視聴。もう少し怖い映画かと思ったら意外とセンチメンタルな作品でした。

簡単にストーリーを紹介しますと、主人公マックスは冴えない映画女優の母と二人暮らしだったものの三年前に交通事故で母を失いこころに傷を負ったまま学生生活を送っています。そんなとき、マックスの母親もちょい役で出演していたカルト的人気を博すホラー映画の上映会があり、マックスも出演者の娘ということで参加を要請され、いやいやながら見に行きます。スクリーンの中で久しぶりに動く母親を目にするマックス、その刹那、映画館が火事になりマックスと友人らは避難するも気づくと映画の中に入り込んでしまっていました。そこで母と再会しマックスは喜ぶものの、映画の通りに進行していくと母親はいずれ殺人鬼ビリーに殺されてしまうわけです。なんとか母親を救いたいと思うものの、映画の通りに事態を進んで行き、マックスたちも映画の世界から抜け出す方法がわからず、一人死に二人死に……

信じるか信じないかはともかく、マックスたちは映画の中の人々に事態を告げ力を合わせてビリーを倒そうとすします。しかし、映画とは殺される順番や殺され方が多少異なるものの次々と餌食になっていきます。マックスは母を助けられるのか、そして元の世界に戻れるのか。

本作で取り上げられているホラー映画は完全に「13日の金曜日」です。マックスの友人の一人で上映会を企画した男性などはセリフまですべて頭に入っているほどのマニアです。そんな「13金」ファンには懐かしく楽しい、それほどホラー的な怖さを感じさせない映画です。映画の中に入り込んでしまったという設定なので、主人公たちは、たとえ殺されても最後は夢でした的なことになってみんな無事なんでしょ、という予感もするのですが、意外や意外、彼らも殺人鬼の餌食になってしまいます。そして映画の中では早々に殺されてしまうはずのチョイ役であるマックスの母が生き延びますが、マックスを助けるために殺人鬼に挑み、最後はマックスが映画のように殺人鬼を倒して終わります。

そしてマックスが気づくと病院のベッド。友人たちも同じ病室にいて生きています。ビリーに殺されたかに見えたものの、致命傷までは行かず、なんとか全員一命は取り留めたようです。夢だったのか本当だったのか、とにかく無事に現実世界に戻ってこられたと思ったのも束の間、倒したはずのビリーが再び現われます。「人気映画には続きがある」というセリフと共に、彼らはこんどはパート2の映画の世界の中に迷い込んでいたというオチ。

カルト的人気のホラー映画の中に入り込んでしまうというアイデアはなかなか秀逸だと思います。入り込んだ現代人は映画のストーリーも結末も知っているわけですから、傍観者として見ていれば殺人鬼に殺されることはない、という割り切りもできます。しかし、そこに死んだ母親がいるという設定を絡めることで、入り込んだ現代人たちも映画のストーリーに巻き込まれていく必然性を与えています。そして母との二度目の別れとなる切なさ。怖がらせたいのか泣かせたいのか、わかりませんね。

それにしても「13金」だったらジェイソンがホッケーマスクをかぶっているわけですが、本作ではビリーが自作の面を付けています。そのお面がどこかの遺跡から掘り出されたお面みたいで滑稽です。そもそもビリーの体や頭部の大きさと全然合ってないし。

何を以て悪魔の仕業と見なすのか?

死霊館 エンフィールド事件」を視聴。

死霊館」「アナベル 死霊館の人形」と続く三作目ですね。もちろんあたしは、前二作も視聴しています。ただし「アナベル」は「死霊館」の前日譚になるので、時系列的には「アナベル」「死霊館」「エンフィールド」となるのでしょうか? いずれにせよ本シリーズは、ウォーレン夫妻が関わった数々の心霊事件から選りすぐりのエピソードを映画化したものというふれこみで、すべてが実話なんだそうです。

  

さて本作の舞台はロンドン。夫と離婚して子供四人を抱え苦労している一家。その家でおかしな現象が起こります。特に次女・ジャネットの身の回りでポルターガイスト現象とおぼしきことが起こります。かなりの目撃者もいて記録も残っているそうですが、本編ではテレビクルーなども来て取材を試みます。実際に衆人環視の下ポルターガイスト現象は起きるのですが、最後はジャネットの自作自演ということで巻き引きになりかけます。

が、帰りの列車に乗り込んだウォーレン夫妻の荷物から記録テープが落ち、それを見たエドが何かを悟り、夫妻は再びエンフィールドへ戻ります。実は本当の悪魔は手下を使ってジャネットを脅かしているだけで正体を現わさず、ウォーレン夫妻が屋敷から出て行くのを待っていたという次第。戻ってきた夫妻と本当の悪魔との闘いがクライマックスで、最後はこの手の映画ですから悪魔が退治されてジャネットら家族にも平穏な生活が訪れてジ・エンドです。

 

さて、本作は上にも書いたようにジャネットのいたずらという結末で終わりそうになるシーンがあります。もちろん映画としてはそうではなく、そこから真打ち、本物の悪魔登場ということになりますが、果たして悪魔の仕業であると誰が証明できるのでしょうか? 映像としては造形されますが、それはあくまでジャネットなりウォーレン夫妻なりが見ただけであって、他の人の目に映ったわけではありません。となると、そんな恐ろしいものがそこにいるとどうやって証明するのか。

まあ、それを言ってしまったら、あらゆる悪魔モノの映画はその前提が崩れてしまうのでしょうけど……

ところで、ジャネット役の子、映画の中では割と可愛らしい子でしたね。おかっぱヘアがちょっと広瀬すずっぽく見えるときもあって、なかなかよかったと思います。ただし、グーグルで役者名をググってみると、かなりイメージの異なる画像がヒットします。その違いの方がよっぽど怖いです(汗)。

さあ、夏場所です!

日曜日から大相撲の夏場所が始まります。

稀勢の里人気もあって、書店店頭でも相撲本フェアを設けているところがあるようです。こうしてみると、相撲関連書籍って思いのほか多いのですね。

で、あたしの勤務先からも相撲本、出しています。『土俵の群像』と『土俵の周辺』です。

 

写真がふんだんに載っているグラフィックなものや新書、文庫が並んでいるフェアがほとんどですが、こういう玄人好みの本もお忘れなく。

ジョーズをいかにして超えるか?

ビーチ・シャーク」を視聴(ちなみに原題は「サンド・シャーク」、字幕でも「砂ザメ」と呼ばれてます)。

 

いやー、B級どころではないですね。この手のサメ映画、CSを見ていると決まってまとめて放送されますが、海を飛び出て砂の中、台風の中、いろんなところに出没します。しまいにはゾンビにまでなったりして、もうこれ以上は思いつかないほど、亜流が作られています。

そして、こういったサメ映画は、浜辺で一騒ぎして儲けようとする市長と町の顔役に対して、サメの被害を防ぎたい正義の味方の警察署長や保安官という対立の図式、被害が出てもあくまでイベントを開きたい市長たちがサメに襲われ食われ、海洋学者が役に立つのか立たないのか、よくわからない中途半端な知識で保安官たちとサメに立ち向かう、というストーリーがほぼお約束ですね。この作品もそうでした。

あえて新機軸を見出すとしたら、主人公(?)である保安官の妹が意外とあっさりサメにやられてしまうところでしょうか? まあサメがCGなので、サメの姿をはっきり見せすぎてしまうとB級さがもろに出てしまうので、どれもパクッと食いつかれて終わりというパターンが多かったです。そして、あれだけのサメなのに、あんなちゃちな仕掛けで退治できるとは、もう少しリアルさを追求して欲しいと考える方がいけないのでしょうか? お約束どおり、サメはすべて退治できてなくて、悪夢はまだまだ続くといったエンディングでした。

さて、このダイアリーではまだ書いていなかったでしょうか? 少し前に、やはり録画しておいた「ロスト・バケーション」も視聴しました。本作は「ジョーズ」以来のサメ映画の傑作という触れ込みでしたが……

確かに、上掲の「ビーチ・シャーク」などB級サメ映画とは一線も二線も画する作品であることは間違いないです。サメとの闘い、そのスリリングなところは見事ですし、B級映画にありがちな荒唐無稽さは感じられません。「ジョーズ」以来という評判も確かにわかります。

ただ、個人的に疑問なのは、サメは確かに血の臭いに寄ってくると言われますが、あんな狭い範囲だけを回遊しているものでしょうか? そもそもサメが人を襲う映画全般に言えることですが、サメから見て人はわざわざ襲って食べるほどうまい動物だとは思えません。確かに浜辺にいるたくさんの人間を一度に数十人でも食べれば腹も満たされるでしょうが、人間一人ではとても襲っても割が合わないと思うのですが……

結局、どうあがいても「ジョーズ」は超えられないのでしょうか?

放射能汚染と狼男

引き続きまして、こんどは「ウェア 破滅」を視聴。

タイトルの意味がよくわかりませんが、フランスを舞台にした「狼男」映画です。簡単なあらすじを紹介しますと、フランスで休暇を過ごしていたアメリカ人一家が何者かに惨殺され、フランスの警察は近所に住む毛むくじゃらの大男・タランを容疑者として逮捕します。辛うじて生き残った(その後死亡)妻の証言に基づくものですが、あくまで「毛むくじゃらの大きな獣」程度の証言しか得られていないため弁護士のケイトはタランの弁護を引き受け独自に調べ始めます。

ケイトの回りにはちょっと胡散臭いフランス人の助手とアメリカから来た動物学者の元カレがいて、この二人のケイトをめぐるさや当ても伏線になるのかと思いきや、それほどのことはなく物語は進行。肝心なタランの容疑ですが、その一族に時々現われる多毛症なのだという母親の証言もあり、病院で検査を受けることになりますが、そこで検査の最中に発作を起こしたタランは医者や警官数名を殺して逃亡。

はい、この時点で、タランが犯人だということははっきりします。問題は彼が何者かということ。タランの住んでいる土地を政府が放射性廃棄物の処理場として買収しようとしていたけれどタラン一家は首を縦に振らなかったという因縁が語られます。担当警視が賄賂でも貰っていたのではないかという疑惑を持たせつつ話は進みますが、そんなことよりもタランの超人的な身体能力。人軽々と投げ飛ばし、腕などをもぎ取るのは朝飯前。ビルの7階あたりから飛び降りてもネコのような柔軟性で無事に着地してそのまま逃げてしまいます。自宅のある森へ逃げ込み、更には森の中の洞窟に逃げ込みますが、拳銃で撃たれても結局は死にません。やはり狼男には銀の銃弾でないとダメなのでしょうか、と思いながら見ていました。

ところで物語の途中、タランが暴れたときに元カレの動物学者が腕を咬まれ、その後調子が悪くなってきます。本人はタランに咬まれたせいで、自分も狼男に感染してしまったと自覚しているようです。このあたり、一族の遺伝的なものを匂わせておいて、咬まれただけでも感染してしまうって、ちょっと展開が安易な気もします。結局、タランの母親も最初からすべて知っていたのですね。そして、なんとか息子を助けようとしていたようです。

さて、最後、拳銃で撃たれて死んだと思われたタランを護送していく途中、タランが生き返ります。そして更に警察官を殺しまくり、ケイトの助手も遂にやられてしまい、ケイトは絶体絶命のピンチです。このときタランはケイトを殺すのではなく、どちらかというとレイプしようとしていた感じがします。つまり自分の子孫を残そうとしたわけです。まあ、間一髪、こちらも狼男に変身した(しかし毛をすべて剃ってしまっているのでツルツルです)の元カレが現われケイトを助けます。ここからがオオカミ男同士の肉弾戦です。

最後、元カレが何とかタランを倒し、タランは沼の底へ沈んでいきます。元カレはケイトに自分を殺すよう銃を向けさせますが、それを躊躇っている刹那、警察官の撃った銃弾がケイトの腹に名中。怒った元カレが残る警察官を皆殺しにし、この場はエンド。

しばらく後、一命を取り留めたケイトはまだ入院中のようです。タランの死体も見つからなければ行方もわからず、フランス各地で大型の獣による殺人事件が頻発し、人々は原題の狼男・タランの仕業ではないかと恐れます。そんな中、ごくごくフツーの人間の姿に戻った元カレがテレビのインタビューにしれっと答えてエンディング。髪を剃っていたし、体も筋骨隆々だったので、たらんと闘ったもう一匹が元カレだとは誰も気づいていないのでしょう。でも、ケイトが意識を取り戻したらどうなるのでしょう? それとも動物学者ですから感染を食い止めるワクチンでも見つけられたのでしょうか? どちらかというと、タランはやはりあの時、元カレにやられてしまい、その後の殺人事件は元カレの犯行なのではないかという気もしますが……

結局、タランたちが住んでいた土地の放射能汚染って何だったのでしょう? アメリカ映画が中途半端にフランスの原子力政策をディスっていたのでしょうか? 放射能汚染のせいで突然変異的に怪物が生まれた、という方がリアルな気もしますが、そうなると単なるモンスター映画になってしまっていたでしょう。それと、主人公がいざという時にダメですね。

「それ」はいったい何だったのか?

イット・フォローズ」を視聴。

何なのか正体不明ではあるものの、人の形をして現われる何者かがひたすら付けてくる、そして捕まったら殺されてしまう、ということのようです。その何かは感染した人にしか見えず、なおかつセックスによって感染するのだとか。誰かと性行為を行なえば、何かはその相手を追うようになる、そしてその相手が殺されると感染させた本人に戻ってくる、ということらしいです。

それってつまり何? という疑問が頭から離れません。そもそもいつから、誰から始まったのか? 始原が全く解き明かされないので、恨みなのか悪霊なのか、まるで理解できません。何かに殺されたら戻ってくるとなると、永遠に誰かにうつし続け、うつされた方は逃げ続けていけば、とりあえずは無事のようですが、そんなに都合よく行くのでしょうか? 特にアメリカのようにセックスが蔓延している社会では、むしろその何かが見えるようになってしまう(何かに追われる)人が無限に増えていくだけのような……

さて、本編に対する感想が書かれているブログのいくつかを見ていますと、この何かとはエイズなどの性病を表わしているとか、乱れたセックス社会への警鐘だとか、そういった意味を読み込もうとする解釈があるようです。うーん、そんな高尚なことが隠されているようには感じませんでしたけど、どうなのでしょう? 原作者や監督はどう思っているのか? 聞いたところで、「見る方の想像にお任せします」といった答えしか返ってこないでしょうね。

ラストシーンも、後ろからそれが付いてきているように見えますが、果たしてそれなのか、たまたま後方を歩いていただけの人なのか、明かされることなくエンドロールに入ってしまいます。それにしても、冒頭に浜辺で殺された女性は惨殺と言っていいような殺され方でしたが、その後に現われる「それ」はそこまでの凶暴性を感じませんでしたけどね。

ちなみに、うつされた人が「それ」に殺されるのではなく、みずから命を絶ったらどうなるのでしょう? それでこの連鎖は終わりになるのでしょうか?

モービーディック

引き続き、こんどは「白鯨との闘い」を視聴。かの名作「白鯨」が小説として出来上がる過程、その真実の物語という触れ込みだったと記憶していますが……

 

確かに、ストーリーの大枠は作家メルヴィルが白鯨との闘いから生還した男性を訪ね、その本当はどうであったのかを聞き出すという話で、その男性が語った内容が映画のメインとなっています。あたし、そもそも原作の『白鯨』は読んだことがなく、グレゴリー・ペックの「白鯨」をテレビで見たことがあるくらいです。なので原作と映画がどのくらい異なるのかは知りません。

 

そういう前提で二つの映画を比べますと、「白鯨」は完全にエイハブ船長と白鯨の死闘に焦点が合っている感じですが、「白鯨との闘い」は白鯨と出逢ったのは偶然で、特に船長と白鯨とに因縁があったわけではありません。

むしろ後者の主眼は極限状態のサバイバル劇、そこには人肉食も描かれ、それが生き延びた者たちの原罪のように重くのしかかっています。またメルヴィルに語り終えた男が語る石油の発見のエピソードは、鯨油を求めて血眼になっていた彼らの時代が遠い過去のものになっていることを示していて寂しい感じもします。

この映画が反捕鯨映画なんだとか、そういう話もあるようですが、映画を見た限りではそんな印象を受けませんでした。すべてをきれいに利用して捨てるところのほとんどない日本の捕鯨に比べ、油を取りたいだけの欧米の捕鯨という見方も、日本人なら可能かも知れませんが、一般の西洋人にそういう視点があるのか否か……。むしろ当時においては捕鯨は大切かつ重要な産業であり、男たちはそれに命を懸けていたということが熱く描かれていたと感じました。そしてそんな命を懸けて海に出て行く男たちの後ろには、自分たちは危険な立場に身をさらすことなく濡れ手に粟で儲けているイヤな連中が、いつの時代にも存在するのだというがわかります。

ライト/オフ

録画しておいた「ライト/オフ」を視聴。

原題は「Lights out」と言うようですね。日本語読みで「ライツアウト」だとわかりにくいでしょうか? 一言で言ってしまうと、電気を消すと化け物が現われて襲ってくる、というお話です。

 

まずはお父さんが職場でやられてしまい、お母さんと幼い息子が残ります。お父さんは生前、何かを調べているようでした。次に、この残されたお母さんの様子がおかしい、どうも精神を病んでいる感じが描かれます。そして怯える息子。そんな弟を助けようとする家出中(とはいえ、それなりに大人?)の姉。この姉は前夫との間の娘で、弟は映画冒頭で亡くなった夫との間の子供らしいです。

姉が継父の遺品を整理していると精神病院の資料などが入った箱を見つけます。そこには自分の母親がかつて精神病院に入院していたこと、そこで出逢った奇病を患う少女と親しくしていたものの、その少女はある実験で亡くなってしまったことがわかりました。どうやらその亡くなった少女の悪霊が母親に取り憑いている、というのが一連の事件の真相のようです。

さて、この手のディテールの映画はこれまでにもあったような気がします。最終的には本当に少女の悪霊だった、少女になりすました悪霊だった、実はすべて母親の妄想だった、といった結末が考えられますが、これがよくわかりません。肝心な精神病院のシーンが少なく、そのあたりをストーリー的にも掘り下げていないので、解釈によっては上の三つどれも正解のような気がしますし、それ以外の解釈もありえそうです。

で、弟と母親を守るため恋人と一緒に実家へ戻った姉が悪霊と闘う後半、どうやって助かるのだろうという興味が沸いてきます。精神病院で亡くなった少女は暗い地下室で発見されたためなのか明かりを極度に怖がるという設定です。怖がるから地下室にいたのか、地下室にいたから怖がるようになったのかは不明ですが、とにかく明かりに照らされると姿が消えます。なので姉たちは懐中電灯などで身を守ろうとしますが、こういった映画のお約束、肝心なところで電気が付かなくなります。

となると、闘っているのは夜だから夜が明けてきて太陽の光が差し込んで悪霊は消えてしまうのかな、という往年のドラキュラ映画のような結末を予想しましたが、事態は朝まで待ってくれませんでした。母親が子供たちを守るためにピストルで自殺し、それと共に母親に取り憑いていた少女の悪霊も消えてしまうというエンディングでした。結局、悪霊に支配されている自覚はあった母親が最後は母性に目覚め、必死で悪霊を振り払おうとして、みずからの命を投げ出したという、なんともハートウォーミングな結末でした。

ちなみに、本作はネットで発表されたショートフィルムをベースに長篇劇場映画に仕立てたもののようで、オリジナルが上の動画だそうです。

最近流行っているのでしょうか、「board」というサービス。こういう使い方は本来の意図とは異なるのかも知れませんが……

boardというSNSをご存じでしょうか? SNSという括りでよいのかわかりませんが、写真をアルバムに仕立て、テキストを加えたりして公開する、というサービスのようです。

Instagramみたいなもの? と問われると、基本的には同じかな、としか答えられません。ただボードという一種のアルバムのような形式はInstagramにはなかったような気もします。あたしも使いこなせているわけではないので詳しいことはわかりませんが。

で、あたしも作ってみました、boardを。こちらです。

えーと、最初に断わっておきますが、撮った写真のアルバムではありません。書籍のカバーを使った一種の書棚、それもフェア棚的な使い方をしています。こんな使い方、boardの開発元も想定していなかったのではないかと思いますが、撮った写真だろうと書籍の書影だろうと画像ファイルに変わりはありません。PCの世界では扱いは同じですから、こんな使い方をしてみたまでです。

で、書影を登録し、そこにその本の説明をテキストとして加えていくのですが、これがどうもうまくいきません。とりあえず三つほどボードを作ってあるので適当に見てください。

「永遠の本棚」はたぶん大丈夫、問題なしだと思うのですが、「エクス・リブリス」と「ロベルト・ボラーニョ」はページによってはおかしなことになっていませんか? あたしも自分のPCやタブレットで確認していますが、書影がなくなっていたり、テキストの書式がおかしかったり、あるいはテキストが重なっていたり……

どうしてこんなことになっているのかわかりません。もちろん上に書いたように、書影を登録しテキスト加え、という手順で作って保存しています。さすがに保存するときにあんな状態になっていれば気づきます。それなのに、いったん保存してボードを閉じ、再びボードを開くと表示が崩れおかしな状態になっているのです。

このSNSの使い方として、開発元はAndroidやiPhoneなどのスマホからの投稿、作成を念頭に置いていると思われます。しかし、あたしのような使い方をする場合、スマホやタブレットからでは面倒臭すぎます。やはり主たる作成方法はPCからになると思います。Windows版アプリはないので、PCでboardのサイトに行き、そこからログインして自分のボードを修正するわけですが、これがまだまだ実用段階に達していないのでは、と思われます。

まあ、サポートにメールで問い合わせ中なので、GW明けには何かしら回答が来るのではないかと思っていますが、だからといってすぐに解決するとも思えません。そもそも「永遠の本棚」は見たところ問題なさそうですが、なぜこれだけきちんと出来ているのかもわかりません。