朝の食卓で思う

朝はパン食です。小さい頃からずーっとそうです。

で、ふと思ったのです。

上の写真のような、こういう、いわゆる山型パンの場合、「頭から食べる」とか「お尻から食べる」という言い方をしたりしますが、下の写真のような四角い食パンの場合はどうなのでしょう? 袋に入っている状態で上になっている方が頭ですか? でも皿に載せた時点でわからなくなりそうですよね。それとも皿に載せても、焼いたりしても頭側を見分ける方法ってあるのでしょうか?

あと、山型でも四角いのでもどちらでもよいのですが、トースターで焼くときに、どっちを上にして焼くかって気にしますか? つまりこういった食パンに裏と表があるのかってことです。

焼き上がったパンにマーガリンを塗りながら、ついつい考えてしまいました。

この本どこにありますか?

この十数年の書店の大型化、1000坪を超える本屋も珍しくない昨今。そもそも本屋の広さは坪数で表わされることがほとんどすが、それで広さをイメージできる人ってどれくらいいるのでしょうね? いまの若い世代ですと「坪って何よ?」という感じではないでしょうか? でも、本屋に限らず、日本では広さを表わすのに坪を単位とするのがフツーなので、それがたとえ一般人に伝わりにくいものだとしても習慣的に使っているのではないでしょうか?

閑話休題。

本屋が広くなって、目的の本が見つけられないというお客さんは多いようです。日常的に本をよく読み、本屋をよく利用している人であれば、自分の探している本がどんなジャンルなのかわかっているのでそれほど迷うこともなくお目当ての本を見つけられるでしょう。でも、それほどでもない人は大きな本屋に来てもどこから探せばよいのかすらわからないでしょう。

もちろん、本によってはどこに置いてあるのかわかりにくいものもあります。

 

新刊の『ハヤブサ その歴史・文化・生態』は副題に「その歴史・文化・生態」とあるとおり、ハヤブサについて文化史的、生態学的に書かれたものですから、本屋では自然科学の生物の棚に置かれていることが普通です。大型店ですと、生物の下位分類、動物、鳥類、猛禽類といったコーナーに置かれていると思います。

その一方、同じ著者の前作『オはオオタカのオ』は、確かにオオタカについて書いてはあるものの、父を亡くした著者がオオタカを飼育することによって喪失感を癒していくノンフィクションです。ですから本屋では文芸書コーナーのノンフィクション、海外ノンフィクションの棚に置かれていることがほとんどです。もちろん動物の棚にも置いてあったりしますが、見る限りノンフィクションの方が多いです。

となると、同じ著者の作品でどちらも鳥、それも猛禽を扱った本なのに、一方は自然科学、一方は文芸に置かれてしまうわけです。買う方としてはちょっと不親切と感じるかも知れませんね。ただ、本の内容に従って分類すればそうなるわけですから、これはこれで合理的なのです。もちろん、大型店の場合、在庫一冊ということは少ないですから、この両書を自然科学にも文芸にもどちらにも置いてある書店も見受けられます。そうなっていると読者にはありがたいところですが、書店からすると棚管理がちょっと面倒になるという不都合も出てきます。

 

次に、これまた新刊の『続・寂聴伝』はそのものズバリ、瀬戸内寂聴さんの評伝です。普通に考えれば文芸書コーナーの評論の棚に置かれているはずです。しかし、瀬戸内寂聴さんの本、小説やエッセイなどは同じ文芸書コーナーでも日本の女性作家の棚に並んでいるはずです。寂聴さんの評伝ですから、興味を持つのは当然寂聴さんのファンの方が真っ先に思い浮かびます。となると、本書も評論ではなく女性作家コーナーの寂聴さんの作品の隣に並べてあった方が効果的なのではないかと思います。

現にそういう並べ方をしている書店も数多くあります。評論に棚にある作家論などは個別の作家の場合、その作家の著作が並んでいるところに置いた方がよいのでしょうけど、他社本ですが『乱歩と清張』だと、こんどは江戸川乱歩のところか、松本清張のところか悩みますね。

 

この人、カフカ?』なども評論コーナーに並んでいることもありますが、やはり海外文学のカフカのところに並べた方がよいだろうなあと思います。でも、カフカって、いま単行本で読めるものありましたっけ? ほとんどが文庫(新書版の白水Uブックスもお忘れなく!)ですよね? そうなると、問題はまた面倒なことになります。さすがに文庫コーナーには置けませんし、そもそも文庫は会社別、レーベル別に並んでいますからね。

やはり、本をどこに置くかって難しい。でもそれが面白さでもあり、書店(担当者?)の個性でもあるわけで、こっちに置いても全然売れなかったのが、あっちへ置いたらすぐに売れた、なんてこともよく聞くので、悩み出したら止まりません。

目録なのか、カタログなのか?

『哲学・思想図書総目録』『社会図書総目録』『心理図書総目録』、いわゆる人文三目録の最新版、2017-2018年版が先頃出来上がりました。それが下の写真です。

今の時代、ネットで調べれば簡単なのに、わざわざ紙ベースの目録なんて需要あるの? と言われそうですが、ネットで、たとえばアマゾンなどのサイトで人文書を検索したとしても、大分類、中分類、小分類と部類分けを施してあるわけではありませんから、化なり大雑把な検索になってしまいます。またビッグデータを検索するので、ちょこっとでも引っかかっていれば、まるで関係のない本までヒットしてしまうこともあります。

いずれ検索の精度も上がってくるのかも知れませんが、それでもまだしばらくは、否、当分の間、紙ベースの目録のアドバンテージはあると信じています。もちろんネットならではの利便性も否定するわけではありませんが……

さて、同じく出来たてホヤホヤなのが、あたしの勤務先の「新書カタログ」です。あたしの勤務先では春先に「語学書カタログ」、この時季に「新書カタログ」、夏に入ったころに「総合カタログ」の三種類を制作しています。出版社によっては年末に「翌年版」を作っているところもあるようですが、あたしの勤務先は上のようなスケジュールです。

この「新書カタログ」は文庫クセジュとUブックスという新書サイズの二つの叢書のカタログになっています。何年前からこのタイプになったのか覚えていませんが……(汗)

それにしても「カタログ」と「目録」、どちらの方が人口に膾炙しているでしょう?

ポリス・ストーリー/レジェンド

ポリス・ストーリー/レジェンド」を視聴。

 

これまでジャッキー・チェンの「ポリス・ストーリー」は何作か見てますけど、ほとんどがカンフーを主体としつつも派手なアクションシーン満載の作品だったと思います。それに対して本作では、ジャッキーのアクションはあるものの、親子の情愛とか、たとえ号悪人の犯人でも無闇に人を殺さないといったヒューマン・ドラマの面が強く出ています。

娘との葛藤はありがちで、危機一髪の中で和解するというのもよくある流れです。むしろ、人質を集めた真の理由、そして犯人と人質たちとの悲しい過去の因縁。そのあたりがなかなか見せます。なおかつ、その後にさらにもう一つ、どんでん返しとまでは行きませんし、真犯人登場というのでもありませんが、灯台下暗し的なエンディング。

それでも、この作品は本当の悪人がいない作品になっています。全員が全員、決して善人ではないにせよ悪人でもない、ただ単に弱い一個の人間です。その悲しみを一身に背負ったかのような老境のジャッキーの哀愁。なかなか渋い、涸れた演技です。そして最後のお約束、スタッフロールにかぶせるメーキング映像がジャッキー映画ですね。

それにしても香港っぽくないなあと思っていたら、舞台は北京だったのですね。クレジットにも北京の公安とかが表記されていましたが、この数年、共産党シンパになってしまったジャッキーだからなのでしょうか?

着信拒否

昨日の晩、たまたまチラッと見たテレビの「ジョブチューン」で、ストーカーについて対策などを警察の人(元警察官?)が語っていました。その中で、SNSやケータイなどで着信拒否やブロックをするのは逆効果だと指摘していました。

「へえー、そうなんだ」というのがあたしの感想でした。

なんてったって、あたしの場合、決まった人以外からの電話は受けられないように設定しているし、その決まった人だって2か月か3か月音沙汰がなければリストから外してしまいますので、数ヶ月連絡を取らなければ音信不通になります。

「えっ、いつ連絡を取ったりするかわからないじゃない?」と言われそうですが、いつ取るかわからない人とは取らなくても不都合はない、とあたしは判断します。別に仕事上の知り合いなら勤務先に電話を寄越せばいいわけだし……

個人的に疑問というか不思議なのは、よくドラマなどで自分のケータイに電話がかかってくるシーンです。知らない番号からかかってきても、たいていの場合「誰だろう?」と言いながら、ドラマの登場人物たちは電話に出ています。あんなこと、ドラマに限らず一般の人でも同様なのでしょうか? わからない電話には出ないものではないでしょうか?

わが家の場合、ナンバーディスプレイにしてからは、非通知の電話は出ませんし、ナンバーが表示されても知らない番号だとやはり出ません。自動応答になるので、先方が名乗れば、そしてそれが知っている人であれば出ますが、名乗っても知らない人だったりするときは出ません。

メールだって同じだと思います。先日の世界的なウイルスメールの時もそうでしたが、そもそも知らない人からのメールを開くものでしょうか?

とまあ、話がずれましたが、あたしの場合、ストーカーされるほどあたしに執着を持つ人はいなさそうなので、そもそも関係ないことかも知れませんが……

ポップアップ

乃木坂46のキャンペーンが始まったセブンイレブン。もう毎年の恒例のようになっている気がします(笑)。

そのセブンイレブンのウェブサイトを訪れると乃木坂ちゃんたちがポップアップで現われます。

キャンペーン選抜メンバー集合の上の画像が基本形なのでしょうか? はい、もちろんあたくしは、このメンバーの名前、全員完璧に言えます。

おにぎりのキャンペーンをやっているので、上のようなバージョンもあります。

メンバーは最初と同じ11名、並んでいる順番も同じで、ポーズがちょっと異なるだけです。

そして、アクセスするたびにポップアップが変わります。これまでに以下のような画像が現われました。

 

 

ソロとペアがあります。これはオリジナルお弁当キャンペーンの組み合わせのようです。

で、一番最初にセブンのサイトへ行ったときに出てきたのが下の画像で、この二人があたしの推しメンなんです。あたしの好みを知っていてポップアップされたのでしょうか? まさか? そこまでAIは進歩していないはずです。

それにしてもお弁当を作るメンバーは他にもいるのですが、何度リロードしてもポップアップされません……(涙)

いつか逢えるでしょうか、待てば海路の日和あり?

台湾、台湾、そして大陸

今日の朝日新聞の記事に絡めて、いくつか本のご紹介を。

まずは原発再稼働のニュースです。

個人的には、万が一事故が起こったときの取り返しのつかなさを考えると、原発の再稼働には反対です。『グラウンド・ゼロ 台湾第四原発事故』を是非読んでみてください。とても他人事とは思えません。

続いては、台湾の蔡英文政権が一年だそうです。早いものですね。当初の熱気は化なり薄れ、これからが正念場ではないでしょうか?

 

蔡英文関係の書籍はずいぶんと刊行されましたが、何はさておき『蔡英文 新時代の台湾へ』と『蔡英文自伝』の二冊が必読文献です。

最後は大陸中国の暗部についてです。

 

中国当局の不法に真っ向から対決した陳光誠氏の自伝『不屈』、そして同書に解説を寄せた城山英巳氏の『中国 消し去られた記録』はこれが同じ時代に隣国で行なわれていることだとは信じがたい記録です。

何かいいことあるかしら?

出社したら、勤務先のデスクの上に置いてありました。

今もやっているのか、既に終わったのか知りませんが、神田祭のチョコです。一応は町内会なので役員の方が持ってきてくださったものです。社内で分けたので、外回りに行ってしまったあたしの分として置いておいてくれたようです。

中はこんな感じのチョコでした。御神紋チョコレートっていうのがあるようですね。このチョコの図柄が神田明神のマークというか、御神紋なんですね。

あたしにはちょっと苦いチョコでした。でも、これを食べたらご利益あるのでしょうか?

一周どころか、二周か三周回ってジジ・リョン?

台湾の絵本作家・幾米の『星空』を読んだと書きました。

これ以外にも既に何冊か日本で翻訳作品が出ていたのですね。

 

地下鉄』や『君のいる場所』といった作品が見つかりました。どちらもやはり絵本とはいえ大人向きのようです。こんど読んでみようと思います。他にも翻訳作品はないかなと捜していたところ(絵本なんだから原書で読めって?)、映画になった作品があることを知りました。

それが「ターンレフト・ターンライト」という、金城武と梁詠琪(ジジ・リョン)が共演した作品です。あたしは映画は見ていませんが、ジジ・リョンの歌う主題歌のMVは見たことがあります。映画のシーンを取り込んだ、なかなか切ない楽曲でした。

で、あたし、このジジ・リョンって大好きなんですよ。

初めて知ったのは、もう10年以上前になると思います。会社の旅行で台湾へ始めて行ったとき、台北駅の近くのCDショップで、せっかくだからおみやげに中華アイドルのCDでも買って行こうと思い、目に留まったのがジジ・リョンの「短髪」というアルバムでした。

そして改めて並べてみると上の写真のようにジジ・リョンのCD、ずいぶんと持っているものだなあと思います。ネットが発達したお陰で海外のCDも買いやすくなりました。基本的には「短髪」という歌にあるとおり、ショートヘアの「ザ・美人」だと思いますが、「短髪」のアルバムジャケット(写真の下段真ん中)を見たときにはバリバリのアイドルをイメージして買ったのです。確かにこの頃はアイドルであり新進の女優という立ち位置だったと思いますが、その歌声はいわゆる日本のアイドルとは違ってぐっと大人っぽいものでした。

上にリンクを貼った「愛的代償」はいろんな歌手が歌っている曲ですが、ジジ・リョンも歌っていて、やはりヒットしただけあって佳曲ですね。MVもステキです。このMV、家族で中国へ行ったとき上海の新天地の喫茶店店内のモニターで流れていて、ついつい周りの目も気にせず、モニターの前を陣取り魅入ってしまいったことがありました(汗)。

また映画「再見 ツァイツェン また逢う日まで」にも主演しているのですが、この試写を銀座へ見に行ったとき、独りで行ったので人目も憚らず泣きじゃくってしまいました。それくらいベタではありますが、泣ける映画でした。主題歌「関于愛」もしっとりしたバラードで、この曲を聴くと映画を思い出して涙がこぼれます。この曲のMVも映画のシーンを使っていて、見ればやはり泣いてしまいます。