今朝の朝日新聞を広げたら見覚えのある名前が……
お二方ともお会いしたことはありませんが、それぞれの著書『ポピュリズムとは何か』『不平等との闘い』を読んでいましたので、なんとなく勝手に親近感を覚えています。
ちなみに、この対向ページには、あたしの勤務先の著者である宇野重規さんが、やはり登場されていました!
今朝の朝日新聞を広げたら見覚えのある名前が……
お二方ともお会いしたことはありませんが、それぞれの著書『ポピュリズムとは何か』『不平等との闘い』を読んでいましたので、なんとなく勝手に親近感を覚えています。
ちなみに、この対向ページには、あたしの勤務先の著者である宇野重規さんが、やはり登場されていました!
混雑した電車の中では、リュックは背中ではなく、お腹側に背負う(抱える)ように持ってください。
これはしばしば駅や電車内のアナウンスで言われるセリフです。車内を占領する幅(厚み)としては前に持とうが背中に背負おうが同じかも知れませんが、やはりお腹側に持つ方がよい感じですよね。
こういうアナウンスがされるようになってだいぶたちます。ひところは乗り込む前に背中からリュックを下ろして前に持ち変える人も多く見られましたし、現在もそういう人は多いです。
が、なんとなくなのですが、最近またリュックを背中に背負ったままの人が増えているような気がします。それもラッシュ時間帯に。男女を問わず学生に多く見られますし、若い女性も増えている感じです。
で、その理由というか、犯人捜しをするわけではありませんが、それって最近リュックが流行っていて、背負う人が増えたからなのではないかと思うのです。
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アネロというブランドのリュック、最近街でよく見かけませんか? かくいう、あたしも一つ持っているのですが、カラーもいろいろあり、サイズも何タイプかあり、革っぽいもの、モコモコのもの、大人から子供まで使えそうで、気づくと女の子を中心にこのブランドのリュックを背負っている人がやたらと目に付きます。
で、にわかにリュックを背負うようになって、ラッシュ時間の電車の乗り方、マナーをよくわかっていない人が多いのではないか、そう思うのですが、如何でしょう?
2020年の東京五輪のマスコットをどうするかというニュース。
素朴な疑問なのですが、マスコットってないとダメなのでしょうか? そりゃ世界的に愛されるマスコットが作れればよいですが、ロゴマークの時とよい、国立競技場の時とよい、かなり莫大な費用を使った割りには、「えっ、こんなの?」というものが出来上がってきた気がします。
ロゴマークだって、五輪のマークと、東京なんだから東京都のマークでよいじゃないか、あたしはそう思います。これは別に東京大会に限らない意見です。
とはいえ、そういったものを作ってグッズを販売し、その収入をあてにしようという組織委員会側の思惑もわかります。しかし、デザイン料にかかる経費と天秤にかけた場合、そこまでやる必要があるのか疑問です。まして、決まった後に国民から不満の声が上がるようでは……
と言いつつ、かの北京五輪の時、あたしはその数年前に北京へ行ったのですが、公式ショップで売っていた公式グッズを買ってしまいました。もちろん、そんなバカ高いのは買いません。マスコットキャラの小振りな人形のセットを買いました。
北京五輪の時はマスコットが五体あって、「ベイベイ」「ジンジン」「ホアンホアン」「インイン」「ニイニイ」という名前が付いていて、五つ並べると「北京欢迎你」(北京へようこそ)となるのでした。
上の写真のように、あれからほぼ10年、あたしの寝室で、埃をかぶりながら天井からぶる下がっています(笑)。
この歳になると、これまでの人生で体験してこなかったことは、恐らく一生体験せずに終わるのではないかという気がしてきます。
いや、気がするだけではなく、本当に体験、経験せずに人生が終わるのだろうという確信のようなものがあります。
どんなものが未体験かというと、例えばスキーやスノボといったウィンタースポーツほぼ全般。たぶん、これから始めたらケガをするだけだと思います。決して運動神経がよい方ではないので。
チャンスはありそうですが、全く足を踏み入れたことがない都道府県というのも数県残っています。これはこれからも仕事で行く機会があるかもしれないので、日本全国全都道府県制覇はできるかも知れませんが、ほとんど数時間しか滞在せず、巡った場所も書店だけでは果たして「行ったことがある」と言ってよいものか……(汗)
それとタバコ。これは全く吸ったことがありません。よく大人に憧れて高校時代に一回くらいは、という話も聞きますが、あたしは高校の頃からタバコが嫌いだったので(自宅では父が吸っていました)、そんな憧れを抱くこともなく現在に至っています。タバコ嫌いはタバコだけでなく、「吸う人も基本的には嫌い」というレベルにまで昂じているので、タバコは一生吸わずに終わると思いますが、これは誇ってもよい未体験ではないでしょうか?
と、なんでこんなことを書き出したかと言いますと、昨日のダイアリーの湯島の話、あんなことを書きましたが、よくよく思い出してみると、ダイアリーにも書いたようにあたしは合格祈願へ行っていないわけですが、それだけでなく初詣も生まれてこの方行ったことがないのではないかと思ったからです。
別に神社仏閣に拒否反応があるとか、別の宗教を信仰しているとか、そういう理由ではありません。むしろ寺社巡りは大好きです。高校から大学生のころは朱印集めにもはまっていました。ですからお寺や神社は割と行く方だと思います。
が、初詣には行ったことがないのです。いや、正確に言いますと、20年か30年前に家族で一度明治神宮へ行った記憶がうっすらとあるのですが、とにかくあの人出、混雑に閉口し、二度と行くものかと思ったものです。ですから、全くないわけではなく、一度だけはある、のです。
正月明けの番組などでタレントが、友達や家族と近所の神社へ初詣に行った、などと話しているのを見かけますが、そういうこともありません。母もあえて行くことはないようです。
初詣に行っていないので、恒例のおみくじも引いたことがありません。筒を振って棒が出て来て、その棒に書いてある番号を申告すると巫女さんがおみくじを渡してくれるのでしたっけ(?)、そういうのをやったことがありません。お金を入れてガチャガチャとレバーを回すとおみくじが出てくる、そんなのをやったことがあったかなあ、というおぼろげな記憶です。
とまあ、正月のテレビなどで初詣のニュースを見、タレントのブログやツイッターでその手のニュースを読むにつけ、「あたしはそういうの、したことないなあ」と思い知る今日この頃でした。
ちなみに、このダイアリーを時々読んでいる方ならおわかりと思いますが、あたしの人生で未体験のまま終わりそうなもので最大のものは結婚です。いや、その前提として恋人を作るということにすら行き着いたことはないので、これもこのまま人生の幕を下ろすことになりそうです(涙)。
センター試験も終わって受験シーズン本番です。各地に願掛けの場所があると思いますが、東京ですと湯島天神が有名です。
湯島と聞くと、あたしなどは泉鏡花の『婦系図』、そして映画「湯島の白梅」などを連想するのですが、『婦系図』は未読ですし、映画も未見です(汗)。
話は戻って湯島の合格祈願ですが、上にも書いたように多くの人が訪れるのは湯島天神です。学問の神様、菅原道真を祀る神社です。日本で学問の神様と言えば道真公ですから、道真を祀った天満宮が受験生に人気なのもわかります。
ただ、学問の神様と言えば、そして同じく湯島と言えば、湯島聖堂もございます。こちらは万世の師表、孔子が祀られている場所です。菅原道真と孔子、どちらの方が学問の神様として偉いのか?
いや、そんなことを比較すると罰が当たりそうですが、中国学を学んでいた身としては「孔子の方が世界的にも有名だし、後世への影響力も大きいし、菅原道真なんかと比べるまでもない」と思ってしまうのです(汗)。
ただし、ここは日本。日本の学校を受験する学生にとっては、やはり天神様の方が衍聖公よりもはるかに身近で、実際の力になってくれそうな気がするのも理解できます。
振り返って、あたし自身の受験の時、どこか合格祈願のお参りに行った記憶がありません。当時も今も神仏の加護を信じていなかったのでしょうか?
お節もいいけどカレーもね、というキャンディーズのセリフが頭にこびりついていて、カレーというのは冬の食べ物というイメージがあります。ただ、世間一般ではカレーは夏、暑いときほど辛いものを食べよう、といった感じになっていますね。
まあ、お好きな方はいつ食べてもよいのでしょう。あたしもカレーは好きです。といっても、あっちこっち食べに回るほどではありませんが、時々食べたくなります。食卓には月に一回くらいは上りますが、ふだんは外で食べることが多いです。
で、よく行くのがC&Cです。主に京王線の駅にあります。つまり京王電鉄系列のカレー・チェーン店なのですが、かつて京王沿線が営業担当エリアだったので、時々C&Cで昼食を取っていました。
そのC&Cは食事をするとサービス券をくれます。飲食店ではありがちなサービスですね。これを集めるとトッピングとかのサービスが受けられるのです。
で、気づきましたらご覧のように、ずいぶんとたまっていました。これだけあれば、トッピングなどと言わず一食いただけるはずです。サービス券には期限があるので、気づいたら期限切れということのないようにしないと!
昨日に引き続き、こんどは「エクソシスト ビギニング」を視聴。
第一作の主人公というのか、結局リーガンを救えずに命を落としたメリン神父の若き日(というほど若くはない?)の物語。第二次大戦中、ナチスの虐殺になすすべもなく、多くの人を見殺しにしてしまったメリン神父は信仰を失い、自称・考古学者として戦後を生きています。そこへアフリカのある土地で古代の教会が見つかったので、その発掘現場へ行ってお宝を手に入れろ(盗んでこい?)という依頼を受けます。
当時、アフリカのそんな土地にはキリスト教は布教されていなかったはず、なのに何故教会が建てられたのか? 考古学的な興味も手伝ってメリンは発掘現場へ向かいます。調べていくうちに、その土地は堕天使ルシファーが追放された土地で、悪魔を鎮めるためにその場所に教会が建てられたということのようです。
まあ、キリスト教的なストーリーはそんなところ。時代設定は1949年なので戦後まだ間もない時期。戦中の忌まわしい過去にとらわれ、夜ごとうなされるメリン。自責の念ですね。そんな時代背景に、アフリカの人々を見下すイギリスの統治者たち。植民地支配の光と影が描写されます。
村人たちは労働に駆り立てられ、こき使われ、人間として扱ってももらえない状況で不満がたまっています。そこへ来て悪霊騒ぎです。これは白人どもがもたらしたものだと原住民が信じ込むのも無理はないでしょう。このあたり、恐らくは現地の風土に慣れていない白人が、風土病のようなものにかかっただけというのが現実的な解釈でしょう。神経を蝕むような病気であれば、あるいは高熱を発するような病気であれば、幻覚も見るでしょう。それを悪魔の仕業と思い込むのも当時としてはやむを得ないところです。
最後は信仰を取り戻したメリンが悪魔と闘い、見事打ち克つ。メリンも神父に戻ります。が、外野に目を移すと、白人の現地のボスが惨殺され、イギリス人はそれを原住民の仕業と思い込み、軍隊を送り込んできます。原住民は原住民で、すべては教会などを掘り起こしたから悪魔がよみがえったのだ、その責任はすべて白人にあると思い込み、一触即発。いや、実際に衝突は起こり、両者入り乱れての白兵戦。そこへ砂嵐が襲ってきて、たぶん全員死んでしまったのでしょう。メリン以外は、キリスト教を信仰する現地の少年だけが唯一の生き残り。
結局、作品中で語られている古代のエピソードにしても、ヨーロッパ人と現地人との諍いから殺戮の事態が起こり、たくさんの血が流れたわけで、そのためにそこが呪われた土地と呼ばれるようになったようです。バチカンはそれを隠蔽していたようですし。今回の作品でも原住民とイギリス兵との戦闘があり、またしてもこの土地に血が流れたわけです。時が流れると、こういったことも悪魔の仕業と言い伝えられていくのでしょうね。
寒い寒い冬の一日、スターチャンネルで特集していた「エクソシスト」を録画しておいたので鑑賞。ドラマはこれから堪能するので、まずは昔も見たことがある映画版から。
「エクソシスト1」と「エクソシスト2」は見た記憶がしっかり残っていて、ストーリーもほぼ覚えていたとおりだったのでよいとして、かつて見た記憶のない「エクソシスト3」を中心に感想を書きます。
簡単に振り返っておくと、「1」はリーガンに取り憑いた悪魔を神父が退治するというお話。最後、自分の体に悪魔を乗り移させ、自分の命もろとも悪魔を葬り去った階段落ちのシーンが有名ですね。「2」はその後日談。それでもまだリーガンには悪魔が取り憑いていて、でもそれは精神的なものとして科学的な治療を行なう医師と悪魔を徹底的に追い払おうとする神父の話。リーガンには悪魔が取り憑いたままだったのか、それとも精神を病んでいただけなのか、よくわからない出来でした。
上掲が「1」の予告編。下が「2」の予告編。アフリカの呪術師なども出て来て、ちょっと方向性が定まっていない感じも受けます。
そして、こちらが「3」の予告編。
こんどは連続猟奇殺人事件が起きます。「1」にも登場した刑事が主人公となって、15年前に起こった殺人事件との関連を調べ始めます。15年前というと、ほぼリーガンの悪魔払いのころの話です。この二つがリンクして現在の連続殺人事件へと繋がっていくのですが、前半は完全に推理ものです。果たして犯人は刑死せずに生き延びていたのか、それとも当時の犯行の詳細を知る模倣犯の仕業なのか。
そして15年前から隔離病棟に入れられている患者が登場して、事件は佳境へ向かいます。ネタバレしてしまうと、結局、この患者、15年前の殺人事件の犯人が刑死した後、その魂が「1」で転落死したカラス神父の体に乗り移って復活し、しかし完全に復活するのに15年もかかってしまい、ようやく最近意識を取り戻したということらしいです。そして再び犯罪を犯していたと。
つまり、やっぱり悪魔はいるのか、という話になってしまって、キリシタンではないあたしには却ってどっちらけなストーリーです。むしろこの患者が犯人だとしても、看護師や医者の心を操って(催眠術師的に)殺人をやらせるとか、看護婦を丸め込んで隔離病棟から脱出して殺人を犯していた、というストーリーにした方がはるかによかったのではないかと思います。もちろん、自分がかつての殺人鬼だと思い込んだり、悪魔が取り憑いていると信じ込んでいるぶんには構いませんが、本当にそれではちょっと拍子抜けしてしまいます。
この作品、上に書いたようにすれば、別に悪魔を出してこなくても十分に成り立つ作品だったと思いますが、やはり原作者が自分とは無関係に作られた「2」に納得せず、自らメガホンを取って作り上げた作品だけあって、「1」に、つまりは悪魔憑きという設定に囚われてしまっていたのでしょう。いったん「エクソシスト」を離れて作ればよかったのにと思います。