ナンシーはイヌ派です!

昨年、このダイアリーで告知したフェリシモのマシュマロ。

否、猫部の商品、ニャシュマロ。

そのバレンタイン・バージョンを注文しておいたのですが届きました。パッケージが下の写真です。

表面はどうというものではありませんが、ひっくり返すと下の写真。

猫の足跡なんかが付いていて、凝ってますね。

そして蓋を開くと上の写真。リボンを付けた猫の顔、これ全部マシュマロです、否、ニャシュマロです。

さあ、ネコ好きのあなた、口に入れることできますか?

あたしはイヌ派なので、何の躊躇いもなく食べられますけど!

春節に憶ふ

Facebookって、時々「一年前は?」とか、「こんな写真、覚えていますか?」といった感じのエントリーが表示されます。個人的には、やや懐かしく見たりしているのですが、今回はなんともグロテスクな写真が表示されていて、ギョッとしてしまいました。

どんな写真家と言いますと、ほぼ一年前のあたしの目の写真。

「なんでそんな写真をアップしたの?」と問われれば、こちらのダイアリーを読んでください、と答えるしかないですね。ほぼ一年前、体調不良から、あたしは出勤途中、御茶ノ水の駅前で意識を失って倒れてしまったのです。まさしく昏倒です。

幸い、倒れた拍子に顔面を地面に強打し、その痛みで意識を回復したのですが、目の上がパックリと割れていて血がダラダラ。頬や肘、膝などあちこちも痛打していたようですが、とにもかくにも顔面の半分が血だらけに近い状態でとにかく会社へ向かいました。

それが昨年の2月1日、月曜日の朝の話。

出版健保が始まる時間になって傷口を診てもらいに行きましたが、健保では埒が明かず、そのまま医科歯科大学病院へ、そして縫合。そして抜糸をしたので傷口の写真を撮って、Facebookにアップしたのです。いま思うと、われながら悪趣味、露悪的なふるまいでしたね。

でも、その時は、意外と傷跡はきれいに塞がっていて、それほど見にくくもないと安心していたのも事実です。そんな安堵感から写真を撮ってアップしたのでした。

あれから一年か。

その後、意識を失うようなこともなく、今に至ります。そもそも意識を失うなんて、後にも先にもあれっきり。特に後遺症のようなものはありません。しかし、あれ以来、体調の悪いとき、電車に乗っていて気分が悪くなると、少し悪夢が蘇るようになりました。

やはり、年かな、と感じます。

未年は……

あたしが未年であることは、このダイアリーを読んでくださっている方ならご存じだと思いますが、最近読み終わった『真夜中の北京』にこんな一節がありました。

ちなみに、同書の主人公とも言うべき、北京で惨殺されたパメラ・ワーナーも未年だったそうです。

ペメラ自身は、干支のうちでもっとも女性らしい羊の年に生まれた。この年に生まれた人は感情や懐疑的思考、憂鬱に流されやすいといわれている。どうしようもなくロマンチックで騙されやすく、誰かが注意してやる必要がある。羊はやや自己中心的ではあるものの、優しい心を持っている。殺戮者にしてみれば、パメラ・ワーナーは子羊のようなものだっただろう。(P.200)

あたしもちょっとは当たっているのではないか、という気がしますが如何?

十数年ぶり(?)のおみくじ

昨晩はちょっとした飲み会でした。場所は神保町の「燈のもと、肉と酒と鉄火炉火」というお店。ちょっと隠れ家っぽい造りの店舗で、トイレがまた面白かったです(汗)。

さて、このお店、箸袋がおみくじになっていまして、食べ物屋なので「お味くじ」なんて表記になっていますが、広げてみましたら、なんと「大吉」でした。

考えてみますと、あたし、神社などのおみくじって、この十数年引いたことがありません。そもそも初詣に行かない人間なので、おみくじだって引く機会がなかなかなくて、気づいてみたら十数年、もしかすると数十年、引いていないかもしれません。昨晩だって、自分で引いたのではなく、箸袋が籤になっていただけの話。

総合運で、「551の豚まんがあるときの関西人くらい幸福」っていうのが、関西人ではないあたしには理解できませんが、恋愛運で「全然興味ないよーと言いながらもてる」というご託宣は素直に嬉しがっておいた方がよいのでしょうか? 興味のない相手にモテても、と贅沢を言える身分ではないこと、自分が一番よく自覚しています。

狐の精の物語?~『真夜中の北京』~

真夜中の北京』読了。

ミステリー、謎解きではありますが、実話です。しかしながら、戦前の北京でこんな凄惨な事件が起こっていたとは知りませんでした。いや、たぶん類似の事件、もっと凄惨な事件だって起きていたのだと思います。ただ、この事件が特異なのは、北京の外国人社会の中でもそれなりに有名な人物の娘が殺害されたというところではないでしょうか。

本書の内容については、既にネット上に多くの人が感想ともどもあらすじをアップしていますので、そちらに譲ります。簡単に言ってしまうと、当時の国際情勢のためとはいえ、十分な捜査もしない(できない)まま闇に葬り去られた殺人事件を、父親の執念によってその真相を見つけ出すまでの物語です。現実には、この殺人事件は迷宮入りして、犯人もわからなければ犯行現場も特定されていません。が、著者によって公にされた被害者の父親の捜査資料によれば、ほぼほぼ真相に迫っていたことがわかります。

それでも父親の明らかにしたことが真実なのか、若干の疑問が残らなくはありません。当時の科学捜査ではあそこまでが限界だったのか、あるいは事件直後にもっと念入りな捜査が行なわれていれば、案外簡単に犯人逮捕に結びついたのか、そこはわかりません。当時の科学捜査の限界と言うよりも、英国と中国のメンツの問題が最も大きくて厚い、そして壊しようのない壁、障害だったのではないでしょうか。そしてもちろんこういった国際情勢を生みだしていた日本の影も、この事件を迷宮入りさせた影の主役かもしれません。

と、ミステリーとしてもよくできていると思いますが、それよりも個人的には、北京好きとして、古い北京を一緒になって歩いているような、そんな錯覚を覚えるのが読んでいるときの楽しみでした。巻末に当時の写真も載っているので、そんなところからイメージを喚起することもできますし、あたしも知っている北京の雰囲気、オリンピック前なので、まだ少しは古きよきものが残っていた北京が思い出されて懐かしく感じました。

訳者あとがきで紹介されている欧文サイトも(リンク切れのところが多いですが)なかなか興味深いですし、グーグルでキーワードを入力して画像検索すれば、さらに当時の写真などがヒットするでしょう。

これはまだ捨てない!

昨日のダイアリーで書いた中国の本。

その中で取り上げた『通志堂経解』も儒教の重要な注釈書の叢書ですが、一般には清代に編まれた『皇清経解』の方が有名ですし、しばしば引用されます。正編と続編がありまして、やはりあたしの学生時代に影印版が刊行されたので、当然のことながら買っております。下の写真がそれです。

さて、あたしの家、別に中国の本だらけというわけではありません。日本の本だって持っています。単行本もありますが、数量(冊数)として圧倒的に多いのは文庫や新書です。まずは講談社の現代新書。

上の写真のように、たぶん小さな本屋の現代新書コーナーよりもたくさんありそうですが、お気づきのように、昔の装丁のものが多いです。いま、この装丁(カバー)を見ても、すぐに現代新書とわかってもらえるでしょうか? このカバーの方が好きだったという人も多いですよね。たぶん、このカバーはカラーなのでお金がかかるからやめたのだと思います。

お次は、現代新書と並ぶレーベル、中公新書です。

こちらも、ずいぶんな量ですね。あらためて眺めてみて、そう感じました(汗)。昔の中公新書はビニールカバーが掛かっていたんですよね。知っていますか?

さて、現代新書、中公新書ときたら岩波新書でしょうが、岩波新書は何か所かに分かれて並べているので、割愛。その代わり岩波文庫です。これも数か所に置いていますが、下の写真は主に中国古典を並べている書架です。

どんどん増えていく本に書架が足りなくなり、廊下にも薄型本棚を置き、そこに文庫や新書を並べているのですが、下の写真のように、それもそろそろいっぱいです。一応は、各社のレーベルごとに並べているのですが、買う頻度が異なるので、ゴチャゴチャになっている棚もあります。

レーベルで並べるべきか、内容で分類するべきか、実はしょっちゅう悩んでいるのですが、やはりレベールごとの方が並べたときにきれいかな、それに各社微妙にサイズが異なるので……

上の写真も薄型の本棚。これはベッド脇に置いてあるものです。これがあっという間にいっぱいになってしまったので、一つ上の書架を買って廊下にまで所蔵するようになったという次第。

これらの本、多いのはやはり中国関係のものです。やはり中国からは離れられません(笑)。あとは、最近よく読むようになった海外文学も多いです。日本人の小説もちょっとはあります(汗)。これらの本を売るつもりはありませんが、いくらくらいになるのでしょうね? たぶん「キログラムでいくら」なんでしょうね? それに、そもそも昨日書いた中国の本って売れるのでしょうか? いや、買ってくれるのでしょうか、ブックオフとかで? 楽天やヤフーのオークションに出すべきでしょうか?

最後にもう一つ?

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5番目の外国語は?

今朝の朝日新聞の文化・文芸欄にイスラム教徒の祈祷室の話題が載っていました。その記事の中にこんな一節があります。

利用者は、イスラム教徒の多いインドネシア人とマレーシア人が計8割を占める。しかし3階受付への誘導に使われるのは日・英・中・韓の4カ国語。インドネシア語などもあると親切だが、「駅ビル内の表示やパンフレットはすべて、この4カ国語が基本ですので……」。1日の利用者は平均10人ほど。旅行者に限れば数人だ。

イスラム教徒や彼らの祈祷についてはひとまずおくとして、あたしが関心を持ったのは日本における看板の外国語対応です。上の引用にもあるように、このところ街中の看板に英語だけでなく、中国語と韓国語が併記されるケースが目立ってきました。ウェブサイトも日本語版の他に英語、中国語、韓国語版を用意しているところもあります。中国の場合ですと、さらに繁体字版と簡体字版まで用意しているサイトがありますから、一昔前に比べると多言語化はずいぶんと進んだように感じます。

が、上の記事にあるようにインドネシア語が併記された看板はほとんど見たことがありません。ウェブサイトではフランス語やスペイン語、ドイツ語などの各国語版が用意されているところもたまに見かけますが、基本はやはり日英中韓の4か国語です。さすがにインドネシア語はおくとしても、さてこの4か国語の次は何語になるのでしょう?

と考えて、あたしの勤務先としては非常に身近な、大学における外国語教育を思い出したのですが、もしかすると大学における外国語科目担当教員の構成比ってものすごくゆがんでいるのではないでしょうか? だって、英語を除くと相変わらず仏独が圧倒的だからです。確かに、この十数年で中国語の教員も増えましたし、韓国語の教員もこのところ増加しているとは思います。が、専任教員で考えると、やはり仏独が圧倒的、中韓は非常勤で賄っている学校がほとんどではないでしょうか?

もちろん教員の語学別の構成比は、学生の履修者数、つまり人気にもよりますから、世間一般とは多少のずれが生じるのはやむを得ません。が、中韓は人が集まりすぎて教員が足りず、かなりの人数を仏独に振り替えた、なんていう話もずいぶんと聞かれたものです。そして、これが一番の理由だと思いますが、受講者数が減ったからといって、いきなり専任教員をクビにはできないという雇用の問題、これでしょう。

ベビーブームや受験戦争のころと違って、学生が増えているわけではありませんから、教員の数を増やすこともできません。となると、語学の教員の数は一定ですから、その中で語学ごとの比率をやりくりするだけです。大学側としてはフランス語やドイツ語の教員が一人辞めたり定年になったりしたら中国語の教員を採用したいところです。が、仏独の既得権益の牙城は堅く、なかなか採用枠を中韓に回せない、という政治的な駆け引きもあるみたいです。

こう書くと仏独の教員が因業であるかのようにも聞こえますが、自分の学生の就職先としての語学教員枠という面もあるので、ここは譲れないと思うのでしょう。それに、世間で看板に書かれる言語と、研究の場、教育の場での言語が必ずしも一致する必要はないわけですから。

とはいえ、訪日外国人が増えれば、その人たちとその人たちの言葉で交流できるに越したことはありません。「日本に来たら日本語を話せ」という意見もあるでしょうが、日本人だって積極的に勉強して話すべきだとは思います。となると、やはりそういう傾向を意識した語学科目の構成があってもよいのでは、と思ってしまうのです。

同意できないところとできるところと

感情8号線』から。

一歳年上の彼氏とは予想通りに結婚の話になって私が渋ったら、別れようと言われた。中学校三年生の夏に初めて彼氏ができて上野毛に引っ越してくるまで十年以上の間、彼氏が途切れたことがない。別れてもすぐに新しい彼氏ができると思っていたのに、できなかった。
周りにいる同世代の男のほとんどが結婚しているか、結婚を考えている彼女がいる。そうでない人は、付き合いたくないような人ばかりだ。三十歳になって独身というのは、何か問題がある証拠だ。(P.201)

この一節、前半はまるでわかりません。だって、あたしはまるで逆。生まれてこの方、恋人が出来たためしがないからです。確かに世の中には、彼氏、彼女が途切れたことがない、別れたらすぐに他の人と付き合った、という経験をしてきた人もいるのでしょうが、その真逆で一生付き合ったことがなく生きてきた人だって、星の数ほど(←それは言いすぎ?)いるはずです。そして、その中の一人があたしです。

ただ、後半の「三十歳になって」云々、は理解できます。あたしなんか、三十はおろか、口にするのも恐ろしい年齢になってしまいましたが……。もちろん独身なのはバツイチでもバツ2でもなく、上述のごとく、恋人すらできない人間が結婚できるはずもなく今に至る、というわけです。

何か問題がある、それは自覚しています。結婚できない理由と言うよりは、恋人が出来ない理由を。

恋人はおろか友達すらできないのが現状です。いや、作ろうとする気があるのか、と問われると、「あるような、ないような」です。結婚はしたいと思うのですから、結婚相手を作る気はあるはずですが、友達を作りたいと思うかと聞かれると、あまり積極的に作りたいとは思いません。一生、結婚相手はおろか、友達すらいない人生でいいの、と聞かれても、他人は最後には裏切るものだ、というあたしの確信めいた信条があるので、だったら友達なんていない方が気楽だと思います。

そんなあたしですから、客観的に見れば、イヤなやつ、絶対に友達になんてなりたいとは思えない、そんなタイプです。自分で自分をそう思うわけですから、他人から見れば一目瞭然でしょう。

中途半端なプライド?

感情8号線』を読んでいます。

この本を手に取る人って、たぶん環八沿いに住んでいる、あるいは住んでいた、という人が多いのではないでしょうか? あたしもその一人です。

登場人物が少しずつ重なっているという構成はありがちな連作短篇ですから、別にこの作品でなくとも似たような小説は掃いて捨てるほどあると思います。それでも、この作品に惹かれ手に取るのは、この作者を追っているファン以外では、環八に何かしら縁のある人だからでしょう。

しかし、舞台となっているのは荻窪、八幡山、千歳船橋、上野毛、二子玉川、田園調布。

おいおい、抜けてませんか?

どこが?

高井戸ですよ、高井戸!

えっ、環八沿いにそんなとこ、あったっけ?

ありますよ、あります。井の頭線の高井戸駅、高架になった駅の下を環八が通っているではないですか!

とまあ、小学一年生から大学四年生までという、もっとも多感な時期を高井戸で過ごしたあたしからすると、自分の住んでいた高井戸だけ抜かされていることに、ちょっと忸怩たる思いが……。

高井戸だって、これらの街に決して劣らない街だぞ、と声を大にして言いたいところですが、二子玉川や田園調布と比べられると知名度にしても何にしても低く見られるのは致し方ない、という自覚はあります。それでも、八幡山や千歳船橋と比べたら、勝るとも劣らないという気持ちはあるのですが、世間には通用しないのでしょうか?

ただし、こんなあたしの思いも、荻窪以北の環八沿いに住んでいる方からすれば、そちらは相手にもされていないわけで、「何を言ってんだか」ということなのでしょうか? 確かに、あたしも「高井戸が入ってない」と訴えたいとは思っても、井荻とか平和台とか、練馬・板橋方面の環八沿いはまるで眼中にありません。ましてや東京の東の方の環八など、どこを走っているのかすらわかっていないのですから、極めて中途半端な異議申し立てです。

ただ、言い訳をさせてもらいますと、環八って、あたしが高井戸に住んでいた頃は、荻窪の北を少し行ったところで終わっていたんです。東京の東の方は東の方で別途環八が作られていたはずですが、荻窪から田園調布に至る西側の環八とは結ばれていなかったのです。つまり全然「環状」ではなかったのです。

その当時のあたしの意識でも、環八は荻窪まで、というのが一般的な感覚で、その後の、谷原まで延びて関越と繋がりましたが(それ以前にも細い道で繋がっているには繋がっていたと思います)、それは笹目通りであって環八ではありませんでしたから。

それに、この小説に登場する、いわゆる環八は、その当時交通量が増えたことから渋滞が激しくなり、少し東側を走る環七と共に「通りの上に排気ガスによる雲ができる」とまで言われたこともありまして、それなりにニュースにもなっていました。ですから、環八と言えば荻窪から南へ延びている、中途半端な環状道路というのが一般的な認識だったと思います。

で、高井戸あたりに住んでいると、世田谷の一部地域とは伍しているような気持ちを持ちつつも、荻窪以北に対しては馬鹿にして見下すという中途半端なプライドの塊を持ってしまうのです……(-_-;)

ゴメンナサイ。