コラボフェア、いろいろ

書店店頭で見かけたフェアの冊子あれこれ。

まずはこちら、昨年も見たなあ、という記憶がある「チチカカコ」フェア。

あれ? 「ちちかかこ」ですから5社のはずなのに冊子の表紙には6社の社名が! 今年は「ちちかかこ」の5社に平凡社が加わって6社になったそうです。

そのあたりの事情は冊子の最初に書いてありました。今年から「ちちかかこへ」になったそうですが、この「へ」は「he」と発音するのか、それとも「e」と発音するのか、どちらでしょう?

続いては、ジュンク堂書店池袋本店が継続的に行なっている「愛書家の楽園」フェア。今回のテーマは「食」ということですが、レシピ本ばかりが食の本ではないということで、食について考えるような本を集めたフェアになっています。

そのあたりのフェア趣旨も書いてありますし、もちろんレシピ本は一冊も選書されていなかったはずです。

このテーマなら、あたしの勤務先からもエントリーできそうな本があったのではないかな、と思いました(汗)。

それにしても、こういう風にテーマを決めて、出版社の垣根を越えたフェアって面白いですね。

優越的地位のなんとかかんとか?

下は今朝の朝日新聞の紙面です。アマゾンの記事です。「仁義なき」なんて、かなり物騒な言葉が見出しに見えていますが……

個人的にアマゾンはほとんど(ほぼまったく)使っていないのですが、この記事で興味を引くところが二つありました。まずは三段目。

東京・目黒のアマゾン本社ビルに、大手・中堅出版社の社長と営業担当者らが集められ、2週にわたって計40社が“懇談会”に参加した。

という部分。何の変哲もない事実の羅列のようですが、あたしが気になるのは「集められ」という部分。そりゃ、40社にいちいち出向いていたのでは大変だから集まっていただいた、という理屈はわかりますが、これ事実上、呼び出しですよね。特にアマゾン側がいろいろ聞きたいわけですから、普通だったらアマゾンの方が出版社へ出向くのが筋ではないでしょうか? アマゾンは一事が万事こんな感じです。

そしてもう一つ気になったのが次の箇所、5段目です。

ある出版社は「提案に乗らなければ取り扱わない商品も出る」と説明されたという。「乗るしか選択肢はなかった」

これって、言われた出版社側の言葉、なおかつそれをまとめた朝日の記者の言葉かもしれないので、これだけで判断してはいけませんが、これを額面どおりに受け取ったら、いわゆる「優越的地位の乱用」でしたっけ、そういうのに当たらないのでしょうか? もちろんアマゾン川もそういう言質を取られるような表現はしていないはずですし、契約書にもしっぽを掴まれるような表現はしていないでしょうけど、言われた側がそう受け取っても致し方ないような表現であったことは確かでしょうね。

そしてこの記事全体のトーンとしては、アマゾンに対する朝日の敵意とまでは言わなくとも、批判的な態度が見え隠れしていると思います。

なかなか面白いクリスマスプレゼントでした。

「天国に一番近い」とは?

先日落手した雑誌、ななみんが表紙を飾っている「BRODY vol.3」ですが、メインは橋本奈々未のグラビアページですけど、その後に乃木坂46のメンバー13名がヘッドホンを付けている写真が載っています。

その一人一人に簡単な紹介文が載っていて、星野みなみなら「「かわいい」の権化」、秋元真夏なら「スッキュン○モンスター」、白石麻衣なら「アイドル界の美獣」、生田絵梨花なら「乃木坂46の至宝」などと書いてあります。これって公式の、事務所が用意したものなのか、それとも「BRODY」編集部が用意したものなのか、よくわかりませんが、おおむねこんなものでしょう、と納得できるのですが、一つだけちょっと引っかかったものが……

それは斎藤飛鳥です。

彼女の惹句は「天国に一番近い美少女」というものです。「美少女」という部分には引っかかりません。この一年、彼女はものすごくきれいになったと思いますし、ありきたりな言葉で言えば「垢抜けた」「化粧がうまくなった」ということなのでしょうが、以前に比べると見違えたと言えるほどだと思います。

あたしが引っかかったのは「天国に一番近い」という部分です。

この言葉をそのままググってみると、「天国にいちばん近い」でヒットする最初は「天国にいちばん近い島」で、他にもそれ関連のページがヒットします。小説、そして映画も作られたことで、天国にいちばん近い島とは作品の舞台となったニューカレドニアのことになっているようですが、その意味するところは「すばらしいところ」といった感じです。

あたしはどちらかと言いますと、天国に一番近いというのは「死が近い」という感覚で受け取ってしまいます。確かに「温かな南の島」というイメージは「天国のように素敵なところ」「まるで極楽」といった感覚で捉えられるのでしょうけど、その一方、戦時中を考えると南洋の島々は、送られた日本軍の兵士たちにとっては死と隣り合わせ、まさに「天国に一番近い島」だったのではないかと思います。だから、「天国に一番近い」という言葉にどの程度プラスのイメージがあるのか、ちょっと疑問に思ったわけです。

で、あたしはもちろん「天国に一番近い」という言葉にプラスのイメージがあることも知っていますし理解もしていますので、こんな風に自分のダイアリーでささやかにちょっとした疑問を書いている程度です。でもテーマや表現次第では、人によっては声高に主張して、メーカーへ抗議の電話をかけてくる人も昨今は多いのでしょうね。いわゆるクレーマーという奴です。

もし、あたしが熱狂的な斎藤飛鳥ファンで、この惹句から「BRODYは斎藤飛鳥が死ねばよいと思っているんだ!」といちゃもんを付け、編集部に執拗に電話をかけたり、ブログやツィッターなどに非難中傷を書き込み続けたら……。現代社会においては、あながちありえないことでもありません。そんなことも頭をよぎりました。もちろん、あたしはそんなことはしませんが(笑)。

ちなみに上述のググった結果ですが、「天国に一番近い男」なんてのもヒットしますね。そう言えば、こんな作品もあったなあと思い出しました。

東京には書店がない?

正月明け早々に霞ヶ関にある書原が閉店するそうです。書原と言えば阿佐ヶ谷にあるお店があまりにも有名ですが、全部で6店舗あり、それぞれのお店も阿佐ヶ谷店に負けず劣らず、個性的で「いかにも書原」という感じがとても好きでした。そんな書原の中でも都心に立地する霞ヶ関店が閉店とはたいへん残念です。

さて、あの界隈、小さな書店はあるのでしょうが、あるいは官公庁の庁舎内にも売店的な本屋はあるのでしょうけど、街の本屋がほとんど見当たりませんね。書原から少し歩いたところにある虎ノ門書房、日比谷公園近くのジュンク堂書店くらいでしょうか?

それだけあれば十分だろ、という意見もごもっともです。全国的には「本屋のない自治体」がたくさんあるわけですから、東京で書店が一つ二つ閉店しても他の書店がいくらだってあるじゃない、という意見は確かにその通りです。

でも、クルマ社会の地方と違って、確かに渋滞はしていますが、一般には電車と徒歩の社会である東京は、会社や自宅の最寄りに書店がないと、わざわざ歩いて遠くの書店まで行くのはかなりたいへんです。いや何キロも歩くわけではありませんが、気分の問題と言ってもよいでしょう。ただ時間に追われる東京人、短い昼休みに遠くの本屋まで歩いて行く時間はなかなか取れないのが実情です。

だったら会社が終わってから? それも案外気分的には遠いものです。オフィスと最寄り駅の間に本屋があるのであれば問題ないですが、わざわざ遠回りして本屋に立ち寄るというのは、どうしても手に入れたい本があるときでないと実行に移すことはありません。通勤経路上にあるからフラッと立ち寄るのであって、そうでなければ本屋までわざわざ行く人は限られます。

特に、なまじ路線がたくさんあり、ほとんどの人が定期券で通勤している実情を考えると、本屋のためだけに最寄り駅ではない駅へ行ったり、定期券区間外の駅を利用するというのは考えにくいものです。贅沢な話ですが、一ブロックに一つずつ書店がないと困るものなのです。

そういう点から考えますと、前にも書いたかもしれませんが、東京では銀座四丁目の交差点から新橋に書けて賀書店の空白地帯です。辛うじて四丁目交差点に教文館ブックファーストがありますが、それ以南には書店と言えるような本屋はないと言ってよいでしょう。かつてはちょっと離れていましたが旭屋書店があり、アイドルのサイン会やお渡し会で有名だった福家書店がありましたが、どちらもずいぶん前に閉店しています。新橋にも書原や文教堂があったのですが、それもやはりずいぶん前に閉店したっきりです。

このあたり、ご存じのようにたくさんのオフィスがあります。働いている人の人数も相当な数になるはずです。こういう言い方をしたら失礼かも知れませんが、昼間の人口だけで言えば、本屋がない地方自治体と変わらないのではないでしょうか? 銀座から新橋にかけての地域だけではありません。ターミナルに超大型書店が集中する東京ですが、山手線内を仔細にみてみると、このように書店の空白地区ってかなりあるものです。周辺にはたくさんの人が働いているわけですから、それなりの需要はあるはずですが、そういう人たちはどこで本を買っているのでしょうか? アマゾンでしょうか? それとも、もう本を買うのは諦めているのでしょうか?

東京って前からそうだったの? と言われれば、否と答えます。以前は小さいけれど、いわゆる街の書店がもっとあちこちにありました。もちろん、今でも数多くの書店が頑張っていますが、そういう書店がこの十年近い間に数多く消えていったのも事実です。「借りているのではなく、自前の土地と建物だからやってられる」というセリフもよく聞くように、東京は家賃が高く、とても書店が入居できるようなレベルではありません。特にオリンピックを見越して、また高度経済成長以来の建築物の老朽化から、どんどん新しいビルが出来ています。でも新しいから家賃はますます高くなるわけで、そうなると本屋はとても入れなくなる、という悪循環です。上に挙げた「自前だから」という書店も、自前だからこそ本屋を辞めて他に貸す、ビルを建て替えて別なテナントを入居させる、ということになって、書店がますます消えていく一因にもなっています。

ある書店の店長さんが話してくれました。「昔は、そこそこ高い本でも買ってくれるお客さんがいたんだけど、そういう人たちがみんな定年退職して、このあたりからいなくなっちゃって……」そういう世代に代わって、いま働いている若い世代はそこまで本を買わないようですね。あるいは本を買うときはネットか、新宿や丸の内の大型書店へ行くようで、小さな街の本屋には来なくなっているそうです。

うーん、あたしは東京生まれ東京育ちなので地方の実情までは理解できていませんが、これだけ人が住んでいる大都会・東京の書店ロスも深刻な問題なのではないかと思います。

声を挙げつづけることの大切さ?

NHKの「新・映像の世紀」、昨夜はヒトラーだったようです。

「だったようです」と書いたのはあたしが視ていないからです。そもそも9時すぎの番組は、ふだんは寝てしまうので視ていません(汗)。ただ、ヒトラー特集だったので、気にはなっていました。

「時代は独裁者を求めた」ですか……

手前味噌ですが、たぶんあたしの勤務先から出ている『独裁者は30日で生まれた』などが非常に参考になったのではないかと思います。ナチ・ドイツだけではなく、やはり第一次世界大戦、そしてワイマル共和国まで遡ってみないと理解できないのかもしれませんね。

 

そんな中、いま読んでいる中公新書『ヒトラーに抵抗した人々』にこんな一節がありました。

 《クライザウ・サークル》がナチスドイツの対案を考える前提に、ヒトラーを支持する国民の存在がある。
一言でいえば、ナチス期のドイツ国民は人間として大々的に愚かになった。彼らはヒトラーに全権を委ね、ヒトラーは彼らの期待に応えた。自分たちの経済生活が安定しさえすれば、それでよかった。反ユダヤ政策により差別と迫害が激しくなっても、傍観する風潮が一般的になり、さらに迫害に協力し加担する事態となった。(P.172)

この箇所を読んでちょっと愕然としました。穿ちすぎかもしれませんが、この部分のナチスを自民党、ヒトラーを安倍首相、反ユダヤを嫌中嫌韓と読み替えると、なんだか現在の日本に非常に似ている気がします。

結局、些細なことから戦争そして破滅へと進む道が開かれてしまう。だから、たとえ小さくとも声を挙げつづけないとダメなんだ、ということではないでしょうか?

ノンフィクションと世界史、そして甘辛人生相談

書店店頭でいただいたチラシ。ミシマ社のものです。新刊『辛口サイショーの人生案内』に佐藤ジュンコさんがイラストを描いているということから、既刊『佐藤ジュンコのひとり飯な日々』とのコラボフェア&チラシということのようです。佐藤ジュンコさんのゆるーいイラストが楽しいです。

とりあえず、佐藤ジュンコが選ぶ5冊がコメント入りで紹介されています。

続いては、ガラリと変わってノンフィクション。柏書房のチラシです。上のチラシが紹介する5冊はミシマ社の刊行物とは限らない、否、一冊もないセレクトですが、こちらは基本的に柏書房の書籍で構成されています。

しかし、これだけ点数を刊行していると自社だけでそれなりのフェアが組めてしまうものですね。ノンフィクションジャンルの出版目録を兼ねている感じがします。カラーで、上質な紙を使っています。

広げると、裏面はご覧のような世界史年表。そこに本を関連づけて配置しています。これをそのままパネルにしてフェアの看板に使っているお店も見ました。年表って、日本人は好きだから、これは目を惹くでしょうね。

50%OFfなんて電子書籍ならでは

紀伊國屋書店の電子書籍販売サイト「Kinoppy」で光文社古典新訳文庫が最大50%OFfなんだとか。

いや、紀伊國屋書店だけでなく、「honto」や「amazon」など他の電子書籍販売サイトでも、新書も含め半額セールを年末年始にかけて実施するようです。

古典新訳文庫にしろ、光文社新書にしろ、読みたいものは紙で持っているから、こういう機会に「興味はあったけど、買う踏ん切りがつかなかったもの」を買ってみるのもよいかも。でもアマゾンでは買わないつもり!

犯罪ものか? オカルトか?

録画しておいた「NY心霊捜査官」を視聴。

 

原作本も『エクソシスト・コップ』というタイトルで刊行されていたのですね。しかしまあ、映画のタイトルにしても書籍のタイトルにしてもB級臭がプンプンします。一応は実話に基づいているということですが……

ニューヨーク市警のサーキ刑事は他人とは異なる能力、いわゆる霊能力を持っているようですが、ある日ちょっと猟奇的な事件に遭遇し、そこから悪魔払いを専門とするメンドーサ神父と共に事件の背後にある悪霊退治に乗り出していくというストーリー。

中東の戦場で米軍兵士が悪霊に取り憑かれてくるというモチーフは、確かかの有名な「エクソシスト」がそんな始まりだったような記憶があります。そして主人公が過去のトラウマを抱えていたり、家族にまで危害が及んでしまうというところはオカルト映画、悪魔(悪霊)映画の定番のような感じです。神父と主人公による悪霊との最後の闘いも、「まあ、どっかで見たことあるよね」という感じです。

警察捜査ものと心霊ものを組み合わせた作品なのですが、1+1が2以上にはなっていなくて、あくまで2のままというのが惜しいところ。ただ、実話を元にしている以上、大袈裟な脚色は出来なかったのでしょうね。逆にこれが本当にこのまんま起こった出来事だとしたら、相当怖いです。

が、やはり悪霊の仕業ではなく、あくまで精神病と言いますか、心理学の範疇で解決できそうな気がします。

中→日→中

今朝の朝日新聞の紙面です。

みんなのたあ坊の菜根譚 新装版』の広告です。『菜根譚』といえば中国の古典。『論語』や『老子』『孫子』といった古典ほど著名な作品ではないかもしれませんが、人生訓として根強い人気を誇るものです。この手の名言、箴言集って、なんだかんだと言って、手を変え品を変えてっずーっと売れてますね。悩める人が多いのでしょうか?

それがこのたびは「新装版」となって登場です。上で「手を変え品を変え」と書きましたが、時代の空気や人々の気質に合わせどう変えていくのか、そこが長く売れる秘訣なのだと思います。イラストをふんだんに加えたり、1ページに大きな文字で1行か2行しか書いていないようなレイアウトにしたり、もうアイデアは出尽くしたのではないかと思うと、また別なタイプが出てきますからすごいものです。

今回の「新装版」は英語と中国語を加えたのが売りのようですね。なぜ日本人向けの名言集に英語訳と中国語訳が付くのか、あたしのような凡人にはその意味がわかりません。『菜根譚』の気に入った一節を英語で言ってみたいと思う人がそんなにたくさんいるのでしょうか? あるいは出版社としては英語圏の人にも売ろうとしているのでしょうか?

まあ、この国際化時代ですから百歩譲って英語訳が付いているのは理解するとして、問題は中国語訳です。これも世界を席巻する中国経済を考慮してということなのでしょうか? 確かにこれからの時代、英語が国際語なら中国語だって十分国際語と言えるかもしれません。

ただ、考えてみますと『菜根譚』って中国古典ですからもともと中国語で書かれているわけですよね。もちろん古典中国語、日本人ならいわゆる漢文ですから現代中国語とは異なりますけど、それでも本来中国語だったものを日本語に訳し、さらにまた中国語に訳すなんて……

たとえて言えば、『源氏物語』を英語に訳し、その英語訳からまた日本語に訳す、といったところでしょうか? 日本人だったら『源氏物語』を原文で読める、というわけではないので、だからこそ谷崎をはじめ多くの人が現代語訳を試みているわけですから、『菜根譚』だって原文のまま読める中国人は多くないと思います。現代中国語訳は便利だとは思います。

でも、それを言うなら、中国でも古典の現代語訳は多数出ています。『論語』の現代語訳だけでもいくつもあるでしょうし、有名な中国古典は軒並み現代語訳されています。となると、この『菜根譚』の中国語訳って誰のためのものでしょうか? これで中国語を勉強するとは思えませんし、中国に売り込むとも考えられませんし……

うーん、ちょっとわかりません。

上の写真も今朝の朝日新聞の広告。雑誌の広告ですね。雑誌名や特集のタイトルを見ればわかるはずなのに、あたしメイン特集「今すぐホオジロ類に会いに行こう」を見て、「ホオジロザメって、そんなに種類があるのかしら?」と思ってしまいました。だって「類」って書いてあるのですから、少なくとも数種類はいるんだろうなと思ってしまったのです。