2年縛り

ドコモでも、auでも、ソフトバンクでも多くのケータイ会社が顧客獲得のためにさまざまな割引サービスをしているのは承知のことです。いったいどれが一番安いのか、そして最終的にはお得なのか、ほとんど保険の契約コースと同じくらいややこしいことになっています。保険の場合は最近は保険の相談窓口のようなものがあって、保険会社に関係なく、自分の契約コースがお得なのか否か判断しアドバイスしてくれるところもあるようですが、ケータイの場合は聞いたことがないです。

さて、タイトルにもある2年縛りです。2年縛りは俗称でしょうが、つまりは2年間使い続けることで安くなるという風に記憶している方もいるようですが、あたしも同じです。あたしが使っているドコモのタブレット、Galaxy Tab 10.1は使い始めて1年半くらいですが、契約時に2年使い続けること念押しされた記憶があります。まずは、2年使いづけることによって割引きが受けられるわけです。本音はわかりませんが、ドコモからすれば「2年間は弊社とご契約いただけるわけですね、ありがとうございます」という感じでしょうか? 次に2年間津使い続けることによって商品の代金を2年間の月賦で支払うことができるわけです。これによって初回に大きな金額を払わなくて済みます。数万円しますが、2年間、24か月で割れば、月々の払いは少なくなりますから、なんとなく安くなったような気分だけは味わえます。実際のところ2年契約するということで割引きを受けていますから、月々の払いもそれほどの金額にはならなかったと記憶しています。

理解に誤りがあるかもしれませんが、2年縛りとは上記のようなものだと思います。この2年が長いと感じるか短いと感じるか、あたしの場合、なんだかんだともうじき2年になりますから、それほど長いと感じませんが、新製品が出るたびに物欲を刺激されるタイプの人であれば2年はあまりにも長いかもしれません。確かに日進月歩以上に進化の早いケータイの世界では、1年もたてば自分の買った最新モデルも旧式の陳腐な製品に見えてしまうこともざらです。

その一方、使いこなせていますか、手に馴染みましたか、という観点から見れば2年というのは案外ちょうどよい長さではないかという気もします。あたしの場合、タブレットでその後魅力的な新製品が出ていないこともあり、特に物欲が刺激されることはありませんでした。世は7インチのタブレットが優勢ですが、あたしはやはり現在使っている10.1インチが慣れてしまっているので、7インチに変えようという気は起こりません。10.1インチでもっと軽いものが発売されれば物欲が刺激されるかもしれませんが、今のところそういった製品がどこも意外でも見当たらないので、このままでは2年縛りを優に超えて3年、4年と使い続けることになるかもしれません。

で、あたしが問題にしたいのはこの2年縛りという制度のことではありません。いろいろ意見はあるかもしれませんが、あたしの使い方からして2年が長いとは感じないので2年も拘束されるという感覚はありません。むしろ、その間にドコモから新製品の案内が季節ごとに届くことです。ドコモにはあたしがどの機種をどの店でいつ買ったか、どんな契約コースを結んでいるのか、すべてわかっているはずです。つまり2年間はその機種を使い続けてね、という契約をこちらも結んでいます。

なのに、そんな契約を結ばせたドコモの方から、「こんどこんな新製品が出ますよ」といったアナウンスをするのはいかがなものでしょうか? たぶん、ドコモだけでなく、auもソフトバンクも同じだと思います。これでは2年縛りを破棄しろと迫っているようなものではないでしょうか? そして物欲の旺盛な人や人から勧められるとすぐになびきやすい人はまだ2年経過していないのに機種変更をしてしまうのではないでしょうか? その結果、違約金的なものを払わされるとしたら、ケータイ会社は詐欺のようなものではないかと感じるのですが……

本屋と図書館

今朝の朝日新聞に新作映画が劇場公開になると同時にネット配信を始めるという記事が載っていました。

記事を読むと既に実験的に始まっているようですが、基本的に映画はまずは劇場で公開され、その後、DVDやブルーレイなどの発売、レンタルがあり、スカパー!やWOWOWなどの有料放送での放映があり、最後に一般のテレビでの放送という流れだったはずです。映画公開と同時にネット配信などされては映画館に客が来ない、というのがこれまでの常識だったと思いますが、そういった常識は今や崩れ去り、とにかく映画というものをより多くの人に見てもらおうということがまずは肝要ということのようです。

この記事を読むと、あたしは図書館と本屋の関係を思い出します。いま、新しい本が出版されると本屋にも並びますが、図書館にも並びます。図書館の場合、発売から数日のタイムラグがあることもあるようですが、ほぼ発売と同時に並ぶと言ってよいでしょう。人気のある作品の場合、本屋に注文しても、図書館で貸し出し予約をしてもいずれも長いこと待たされるという状況も同じです。

両者の違いは何かと言えば、本屋ではその本をお金を出して購入するのに対し、図書館は無料で貸し出しているという点です。これまで何度も書店の側からは民業圧迫という意見・苦情が出されていました。特に同じ本を何冊も購入している図書館が非難の槍玉に挙がっていたと記憶しています。

それに対し図書館側も税金で運営している以上、市民の希望を叶える義務があると言います。この理屈もわからなくはないですが、個人的には図書館の役割ってもうちょっと違うのでは(?)と思います。もちろん、失われた数十年のせいで家計も苦しいですから、本を買いたくても買えない、だから仕方なく図書館で借りるという人も多いのでしょう。通勤電車の中で図書館の本を読んでいる人の割合がこの十数年確実に上がってきています。最近は文庫や新書まで図書館の本で済ませている人も目に付きます。

それはさておき、出版社から見るとどうなのでしょうか? 正直に言ってしまいますと、図書館は優良なお客様です。時に予算が足りなくて、とか、この本は図書館の蔵書には向いていない、といった理由で返品になることもありますが、多くの場合返品はほとんどなく、出荷すなわち売り上げになります。それに対して書店の場合、出荷した冊数が全部売れるとは限りません。もちろんほとんど売ってくれている本屋もたくさんありますが、売れずに返品される本の数もかなり多量にあります。この返品問題が出版業界の宿痾にもなっているわけですが、とにかく出版社から見て返品がほとんどないという点だけを見れば図書館は最も優遇されるべき顧客であると言ってもよいと思います。

でも個人的には、あくまであたし個人の意見ですが、出版社は図書館に本を納入するのに一定期間待つべきではないかと思っています。本が出版されて本屋に並び、例えば3か月とか6か月は図書館に納入しないというルールを作れないかと思います。これは上述の映画のやり方を見ていて思ったことです。図書館も税金で運営されている以上住民サービスを疎かにできないのはわかります。ですから図書館に納入しないと言っているのではありません。あくまで一定の猶予期間を設けようということです。

ただ、これで果たして本屋の売り上げが上がるようになるのかはわかりません。多少の効果はあると思いますが、劇的な効果が見られるのかどうか、よくわかりません。では半年の猶予期間を設けた場合、図書館は同じような冊数を購入してくれるのか。これもわかりません。新刊だから100冊の注文があったけど半年先なら30冊でいいや、ということになる可能性も大いにあるでしょう。ならば、その差である70冊は確実に本屋の売り上げでカバーできるのか、ここが読み切れません。全体として本離れがますます進むだけの結果になるかもしれません。そうなったら悲劇です。目も当てられません。

そんなことをたまに考えている矢先の今朝の新聞記事です。いろいろと示唆に富んでいると思います。ネット配信では書籍も始まっていますから、状況は映画と似ているところも多々あります。もっと情報収集していろいろ考えたいと思います。

 

セキュリティ

今週も三連休です。前回と異なり、今回は天気にも恵まれそうですね。ただし、次の台風が来襲にはやってくるような、来ないような気配ですけど。

さて、三連休ですので仕事がらみのメールはパタッと来なくなります。まあ、出版社はほとんどが土日は休みでしょうからわかるとして、書店の方からもメールも意外と少なくなります。まあ、書店からのメールの場合、こちらが休みですから、フェアの相談などでしたらまだしも、急な問い合わせや発注にはこちらが対応できませんので、連絡しても意味がないと思っているのでしょう。

ただ、それとは別に、これは書店回りの時の話などで言われることも多々ありますが、土日など休みの時はメールが見られないと思っている人が多いようなのです。あたしのようにウェブサイトをやっていたり、Facebookなどをやっていると、とりあえず「友達」ならば連絡を取れなくはないと言えますが、そうでなければ週が明けて会社に出てくるまではメールを出してもみてもらえないと思っている人が多いようなのです。

ですから、あたしが土日祝日など明らかに会社が休みの時にメールの返信などをすると、「休日出勤?」と勘違いされる方も時にいらっしゃいます。決してそんなことはありません。もちろん全く休日出勤をしないわけではありませんが、基本的には自宅のパソコンでメールをチェックし、必要ならば返信しております。つまり、会社のアカウントを自宅でもチェックしていると言うことです。

これは会社によってはできないところもあるようです。セキュリティのためでしょう、会社のアカウントのメールは、会社内のパソコンでしか送受信ができないような設定になっている会社も多いようです。会社外では受信はできるけど送信はできないという設定もあるそうです。幸いなのかどうかわかりませんが、あたしの勤務先の場合、自宅でも会社アカウントのメールの送受信ができます。ちなみに、外出時に持ち歩いているタブレットでも可能です。

ですから、午後からの営業回りでも、電車を待つ間とかのちょっとした時間を見つけてメールのチェックをしたりすることがあります。出張中ももちろんできます。一番怖いのはタブレットノバってエリーが切れた場合ですが。

そんなわけで、土日祝日でも遠慮なくご連絡ください、と言いたいのではありません。取り立てて社外秘と言うほどの情報をメールでやりとりしているわけではありませんが、それでも一歩下がって考えてみた場合、セキュリティとして大丈夫なのか、という思いはあります。もちろん、メールを会社でしかチェックできないとしたら相当不便でやってられないと思いますね。

それに、現状、多くの起業では社員はほとんどケータイかスマホを持っていて、そのアカウントを使っていろいろなやりとりをしているわけですから、会社アカウントのメールだけできないようにしても、あまり意味がないのではないかとも思うのですが、どうでしょう?

 

今年も

9月18日。

柳条湖事件の日。

つまりは、満州事変。

個人的には、満洲は「満州」ではなく、「満洲」と書きたいので、「満洲事変」と表記したいところ。

やはり、日本人として忘れてはならない昭和史の一頁。

線路を爆破するなんて、現代の日本人の感覚からすると全く思いも付かない方法ですが、あの当時の日本人の多くは中国側のしでかした事件だと思わされていたのでしょうね。

当時のことを書いた書物などを読んでいると、やはり日本にとって南下してくるソ連は相当な脅威で、それは現在の北方領土を挟んで睨み合っているなんていう緊張感を遙かに上回るものであったことは容易に想像ができます。それに対して防波堤になってもらいたい中国は頼りにならないどころか、独立国家の体をなしていない状態、こうなれば日本自身が出ていってなんとかしないと満洲から朝鮮半島まで一気にソ連に奪われてしまう、そういう潜在的な恐怖があったのだと思われます。

そういう恐怖感を持った日本が選択した行動として満洲事変以降の一連のやり方が歴史的に見て間違っていたとは思いますが、なぜその道を選んでしまったのか、どこの時点ならまだ引き返せたのか、そういったことを考えるのが歴史に学ぶということなのではないでしょうか? 7月7日の盧溝橋事件などと共に、やはりいろいろ考えさせられる日です。

 

 

台風一過

思いのほか足早に過ぎていった台風。雨、風邪共に甚大な被害が出ていますが、幸いに多摩地区は大きな被害のニュースは入っていないようです。電車が止まったりしたようですが、今朝の状況ではそもそも外出する人も少なかったでしょうし。そして夕方にはきれいな夕焼け。まさしく台風一過という言葉どおり、明日からは素敵な秋晴れになることを予感させる空の色でした。

と、いま述べた台風一過、あたしは昔、この言葉を「台風一家」だと思っていました。どんな一家なのかと言うと、人の家に遊びに来て、散らかすだけ散らかして帰って行く、とても迷惑な家族のことです。なんとなく、あたしが小さい頃、そういう感じの親戚とか知り合いがいて、その人たちが帰るとホッとして散らかっている部屋を片づけていた記憶があるのです。

子供の頃のあたしには、ニュースで耳にする「たいふういっか」という単語に「台風一過」という漢字を当てはめるだけの知識がなく、「台風一家」だと思い込んでいたわけです。テレビのニュースで台風が去った後、窓ガラスが割れ、電柱が倒され、といった被害の状況を見るにつけ、あの人たちが帰った後のわが家と同じだと感じ、ああいう台風みたいな家族のことを台風一家と言うのだと思い込んでいたのです。

状況が状況だけに、このあたしの認識の誤りが正されるのにはそれなりに長い年月がかかってしまったのは言うまでもありません(汗)。

 

意外と……

晴れましたね、今日。

あたしん家の方では、明け方5時頃から雨の降りが強くなり、それで目が覚めてしまった感じでした。まあ、いつもそのくらいには起きているので、取り立てて朝早く起こされたという気はしませんが。

で、朝方はそれなりに強く降っていたものの、昼頃からはよい天気になり、午後などは照りつける日差しがジリジリとかなり暑くなりました。もちろん雨上がりなので、日陰は涼しかったですが、日なたはまだまだ真夏の余韻を残している風でした。

いったい台風をどこへ行ったのだ、という気がしますが、天気予報を見る限り確実に近づいている模様。明日の朝には東海地方か関東に上陸だそうです。今のところそんな風には感じられない天気ですが、たぶん夜中には強い雨が降り出すのでしょうね。それにしても、今年の夏の雨は異常な降り方ばかりでした。「経験したことのない」なんて形容詞を使っていいのでしょうか? それって「想定外」を言い換えただけではないのでしょうか?

自然と友達に?

土曜の晩はたいてい日本テレビ系の「斉藤さん2」を見ています。今し方まで見ていたのですが、あたしの大好きな桐谷美玲ちゃんがだいぶ日焼けしたなあと感じた回でした。あれだけの炎天下、たぶん埼玉のレイクタウンでやっているとおぼしきロケ。あれではどんなにUVケアをしても日焼けは防げないでしょうね。

そんな「斉藤さん」で、桐谷美玲ちゃんはここ数回、自分は果たして斉藤さんの友達になれたのか、斉藤さんは自分のことを友達として見てくれているのか、不安に感じています。で、今回、エンディングに近いところで桐谷美玲ちゃんの夫役・田辺誠一が「子供の頃はいつの間にか友達になっていただろ。友達かどうかなんて考えないだろ」というようなセリフで美玲ちゃんを励ましていました。

うーん、美しい夫婦の愛、と感心している場合ではありません。あたしには納得できません。

確かに、子供の頃はそんなことは考えなかったというところは正しいです。でも、あたしはその小学生の頃にいじめられたり、嫌われたりしていました。その時、こちらが友達だと思っているだけでは友達にはなれないんだと実感しました。必ず相手からの承認を取り付けないと、友達だと思っているのはあくまでこちらの一方的な気持ちでしかなく、双方向で友達であるという認識が共有されているわけではないんだと。

それ以来、小学校卒業まで、そして卒業後もずっと、あたしは他人に対して友達であるか否かを確認したことはありません。確認したいとも思いません。答えを聞くのが怖いと言ってもいいかもしれませんが、その一方で、あたしなんかを友達と思ってくれるような人はいないだろうなあという諦めの気持ちも混じっています。確認してやっぱり相手はそう思ってくれていなかったら悲劇です。それにいったいいつまで友達と思ってくれているのかの保証もありません。そんなあやふやなもののために自分の感情をかき乱されるのはたくさんです。

だから、あたしには小学校以来、友達と言える人は存在しないのです。知り合いなら、これだけの年数を生きてきましたから、仕事もしていますし、それなりに増えましたが、どれも知り合い、顔見知りであって、友達ではないですね。田辺誠一みたいな脳天気なセリフ、あたしにはとても口にできないと感じだ視聴後の感想です。

 

どうして人文書が売れないのか?

どのジャンルも売れてないと言ってしまえばその通りなんですが、「人文書は売れない」という台詞もこの業界の人口に膾炙して久しいものです。でも、ふと思いました。いまの日本の政治と同じなのか、と。

どういうことか? 民主党政権って、異論はあると思いますが、あたしの印象では青臭い理想を掲げた政治をやろうとしていたんじゃないかと思います。官僚から政治を取り戻す、金権体質の自民党政治に訣別などなど、少し前の日本だったら馬鹿にされそうなくらい青臭いセリフだったと思います。でも、国民はそれに乗ってみることにしたわけです。

でも、結局、それでは腹の足しにはならない、誰がこの国の舵取りをやってもいいから、とにかく満足に食べられるようにしてくれ、という国民の声が強くなり、結局は何を食わせてくれるのかわかりませんが、とにかく腹に入るものを出すと約束してくれた自民党に、国民は再び賭けてみたわけです。

で、あたしの感覚では、民主党時代は哲学を語ろうとした時代だったのではないか、という印象なんです。その哲学の中味がどういうものであったか、後世の人の検証に耐えるほどの中味を持っていたのか否かは今は問いません。とにかく民主党は哲学で政治をやろうとしていたのではないか、少なくとも前半においては。

それが国民にそっぽを向かれたわけで、それってつまり国民は哲学なんて求めていない、もっとすぐに役に立つような本が読みたいんだという動きとシンクロしているような気がするんです。ダイエットなんかの本は相変わらず売れていますから。

でも、逆に考えると、民主党の掲げた哲学が稚拙だったから国民はそっぽを向いただけで、もし哲学と呼ぶにふさわしい内容を備えていたならば、こうも早々と自民党に政権を奪還されなかったかもしれないとも思えます。つまり、人文書も本当によいものなら売れるはずだという、もう何十年も言われ続けている、ありきたりの結論に行き着いてしまうわけですが……(爆)

やはり、腰が痛いとろくなことを考えませんね。

 

脇腹へ

喉の不調から来る咳のしすぎで、腹筋が痛かったのは数日前までの話。この三、四日はほとんどぎっくり腰状態で動作も緩慢になっています。寝っ転がっている姿勢から起き上がるのに、ふだんなら一瞬で済むところ、現在はその20倍近い時間がかかっているのではないでしょうか? 起き上がり方を間違えると、腰の痛みでそれ以上動きが取れなくなり、にっちもさっちもいかなくなります。

とまあ、ほとんどろくに動けない状態ですが、その痛みが本日は左ワキに来ています。脇腹よりちょっと上、ちょうど肋骨が湾曲している部分がものすごく痛んでます。肋骨が折れて肺に刺さる、なんて時に聞きますが、そんな痛みです。もちろん、あたしはそんな体験したことないですし、実際に折れて刺さったならこんな痛みでは済まないことは理解しています。それでも、ワキがかなり痛いです。それも左側だけです。右側は何ともありません。たぶん、腰をかばって起き上がる時、やはり利き腕というか、起き上がる向きがあるのでしょうね。そのせいで左のワキに無理がかかっているのではないでしょうか?

とにかく、今日は医者へ行き、これでもかというくらい薬をもらいました。飲んですぐに効くほど強力な薬ではないでしょうから、一両日は咳も治まらないのではないかと思いますが、それでも今回の喉の不調が始まった頃に比べると、喉の痛みはほとんどないですし、喉はだいぶ楽になっています。いまは喉よりも腰です。こちらの方がつらいです。

腰回りから大腿部にかけて痺れるような時もあります。汚いたとえですが、お腹が痛くてトイレに行きたくなる前に、おしりから足にかけて震えが来ることがありますよね、そんな感じです。なんとか、この三連休で治さないと!

軽~くギックリ

先々週から続く喉の不具合。つまりは今週はもう3週目なわけで、それも水曜日ですから半ばも過ぎ、いい加減、自分の咳にもイライラが募ります。ましてや周囲の人にとってはうるさい上に、なにか菌をまき散らされているような不愉快な気分を味わわせているのではないかと危惧しております。

喉の痛みという点ではかなりよくなっているのですが、痰が絡んでいるような喉のいがらっぽさは相変わらずで、喘息患者のようなヒーヒーいう咳がまだ治まりません。先週末からはずっとお腹と、もうちょっと下の下腹部が痛く、それはお腹を壊しているというのではなく、単に咳のしすぎで腹筋が痛むという、いわば筋肉痛の状態です。

それに加えて今週に入った途端、こんどは腰が痛み始めました。これは完全に軽いぎっくり腰の症状です。かつて朝のラッシュの中央線での不自然な姿勢のせいで腰を痛め、そこへ持ってきて当時のバイトの肉体労働でかるいギックリ腰になったことがあります。その時と同じ症状です。咳をするとお腹と腰が痛く、痛いからめいっぱい咳こめず、咳き込めないから喉がすっきりしないという悪循環。もうイヤになります。

でも、明日、休暇を取りました。病院へ行ってみます。近所に耳鼻咽喉科があるので、そこへ行ってみようと思います。やはり遺書に処方してもらう薬が一番ではないでしょうか? さっさと行けばよかったものを、すぐに治るだろうと高を括り、なおかつ会議や何やらで休む時間が取れず、ここまで来てしまいました。それも明日でおさらばしたいところです。