本当にストーカーなのか?

東京の三鷹での女子高生刺殺事件。ちなみに、多くの人が連想するJR中央線・三鷹駅ではなく、京王井の頭線の三鷹台駅の近くで起こった事件です。三鷹台は井の頭公園駅のお隣、井の頭線に沿って神田川が流れ、そこから北が杉並区なんですが、駅のある場所は三鷹市になるのです。三鷹市の外れの方です。

と語るあたしは、小学生の時から大学生の時まで、三鷹台から数駅、井の頭線の高井戸駅から徒歩5分ほどのところに住んでいましたので、若干は土地勘のある場所です。

ところでこの事件、いわゆるストーカー犯罪と言われています。数日前から自宅付近を徘徊し、挙げ句の果てには被害者の留守宅に侵入し帰宅を待って襲ったわけですからストーカー以外の何ものでもありません。女子高生が学校や警察に相談していたということですから、粘着質な男性像が目に浮かびます。

しかし、実際のところはどうなのでしょう? もちろん、今回の事件や事件に至るまでの犯人の行動を正当化するつもりはありませんが、まるっきり男性が悪くて、殺された女子高生がかわいそうなヒロインだったのでしょうか? もしかしたら、彼女はものすごい性悪な女で、この犯人の心をもてあそぶだけもてあそんで、ゴミのように捨てた、そんなことは考えられないでしょうか?

どうしてそんな風に思うかといえば、あたしが高校の頃に、やはり新聞やテレビで大きく取り上げられた事件が通っていた高校を舞台にあり、男子生徒が女子生徒を襲って自殺を図ろうとしたという顛末なのですが、事件時代はそんなところにまで行く前に逮捕劇を迎えました。しかし、上のようなストーリーがテレビなどで報道されると、女子生徒は悲劇の主人公、男子生徒は自分の気持ちだけで突っ走ってしまった未熟な人間、といった感じで描かれました。

当時の事情をよく知るあたしなんかに言わせれば、むしろ逆で、女の方が性悪で、そんな女に引っかかってしまった男の方が被害者と言った方がよいくらいでした。もちろん、そんな女に引っかかる男が馬鹿なのよ、という理屈はもっともですし、それに対しては何も言い返せませんし、あたしもそう思います。

でも、描かれる人物像としては、マスコミで報道されたようなものとは正反対のこともある、という事例をみずから経験しているので、こういう事件を見聞きするにつけ、本当に女性が被害者なのか、女性の方に原因はなかったのか、という見方で事件を見てしまうのです。

PM2.5

もう長いこと中国を訪れていませんが、いまの北京はそんなに空気が悪いのでしょうか?

ちなみに、あたしは「中国のPM2.5」と聞いて、中国発のアイドルグループかと思いました。韓国出身の「2PM」がいるので、中国はそれには負けじと0.5上乗せして「PM2.5」と命名したのかと本気で思っていました。

閑話休題。

かつてあたしが行った時、一日北京の街をぶらぶら歩いて晩にホテルに戻って鼻の穴を掃除するとティッシュが真っ黒になったものでした。空気というよりも排気ガスの汚れでした。それと、そこらじゅうが工事中だったので、砂埃などもひどかったと記憶しています。ですから中国、特に北京で撮った写真を見返してみると、やはり靄がかかったような、なんとなく曇りガラス越しに見ているような、そんな写真が多いのも事実です。

でも、こんな写真もあります。

見てのとおりり天安門広場です。2007年の2月に訪れた北京の空です。どうですか? かなりすっきりと晴れていますよね。別にパソコンでレタッチしたわけではありません。実際にこんな空でした。他の写真を見てもらっても、すっきりしない日もありますが、そこそこきれいなそれが見えているのではないでしょうか?

あたしが初めて北京を訪れたのは1988年の2月から3月です。改革開放が始まってそれほど時間もたっておらず、まだまだ古き良き北京が残っていました。

これは見てのとおりのマクドナルドですが、王府井の入り口、長安街との交差点にありました。交差点の西側は北京飯店、東側がマクドナルドだったのです。屋根の上にドナルドが座っていたんです。1992年10月の写真です。この場所は、いまや東方天地でしたっけ、大きなビルが建ってしまって、いまはマクドナルドのこの建物もありません。

そう、上の写真がそれです。ちょうど東単交差点から長安街を見ている写真です。中央奥の方にうつっているのが北京飯店です。長安街の右手に写っているビル群が東方天地で、王府井から東単まで続くビル群です。巨大な建物です。

これは2003年から2004年の年末年始に訪れた時の写真です。これでもそれなりにきれいな青空ですよね。昔はよかったとは言いたくないですが、いまの北京ってそんなに空気が汚いのでしょうか? 機会を見つけていかなければ、ともうここ何年も思ってはいるのですが……

 

ISOLA

久々に放映されていたので見ました。昔、たぶんテレビで放映されたのを見たことがありましたが、久しぶりのオンエアだと思います。

『ISOLA 多重人格少女』です。原作は角川ホラー文庫の『十三番目の人格(ペルソナ)―ISOLA』だったと思いますが、もちろん原作は読んでおりません。映画のみの鑑賞です。

原作とは多少違う内容、結末のようですが、これはこれでジャパン・ホラーの一作品になっているのではないでしょうか。ISOLAとは英語のISOLATEを踏まえつつも、「雨月物語」の磯良も引っかけているとは、今回改めて思い出したというか、知りました。上田秋成は英語を知っていたのでしょうか? それとも偶然の一致でしょうか?

   

いまは女優業をやっていない、黒澤明の孫娘・黒澤優が主演というか主要キャストで、当時はかなり話題になっていたと思います。でも、主演はやはり木村佳乃なんでしょうね。黒澤優が多重人格を患っている孤独な少女で、そこへ幽体離脱実験時の事故で亡くなった(実際には離脱中だったので、戻るべき肉体を失った)女性の霊が、黒澤優に取り憑き、更にもう一つの人格となって人殺しを犯すというストーリー。

黒澤優は継父に性的嫌がらせを受けていて、そのあたりはTBS系ドラマ「高校教師」の繭を思い出させます。果たしてそういうことが人格の分裂を引き起こすものなのか、医学に疎いあたしにはよくわかりませんが、この映画ではそれも原因の一つのようです。あとは幼少期に名の前で両親を事故で失うという悲劇から離れるために、無意識のうちに別な人格を生み出していたものようです。これは実際の多重人格の方の理由の一つとしてしばしば見られるものですね。テレビなどでも見たことがあります。

閑話休題。

この映画を見て改めて思ったのは、この映画の舞台が震災後の神戸だということです。ここで言う震災とはもちろん「阪神・淡路大震災」です。東日本大震災以降、世間の耳目はそちらにばかり目が向いてしまっていますが、いまだにその後遺症に悩む人も大勢いる、大きな災害でした。特に神戸の被害に対し、大阪がほとんど無傷に近いという、あの短い距離の中での好対照がよりショッキングに感じられたものでした。そういう意味では、この作品はもちろん映画ですが、あの震災後、科学や医学では説明できないことってたくさん起きていたんだろうなあ、と思います。小説にならなかっただけで、もっと過酷なこと、もっと悲劇的なことが起きていたのではないかと、あたしには阪神の大震災ですらついこの間に感じられるので、この映画を見ながら、そんなことを考えていました。

それにしても木村佳乃の若いこと。最近はややヒステリックで強気な女性を演じることが多いですが、この頃はごくごく普通の女性を演じていますね。とはいえ、実はこの映画の中でもっとも謎の出演者だったのかもしれませんが。

そして黒澤優って、もう少し美少女だったような印象があったのですが、いま見返してみると、平凡な容姿だったなあ、少なくともこの映画では、と思いました。

あたしならどうした?

東京以外の地域ではどれくらいの扱いになっているかわかりませんが、関東ローカルのニュースでは比較的大きく扱われているのが、JR横浜線の踏切で男性を助けようとして亡くなった女性の話。

その後の経過を調べたわけではありませんが、ニュースなどを見る限り、男性は高齢でしたから、踏切を渡る時に何かの弾みで意識をなくしてしまったのでしょうね。それを助けようとして踏切に入った女性が電車にはねられ、父親の見ている前で亡くなったわけです。

こんな場面に遭遇したら、あたしならどうしたでしょう? 歩いているとしたら、もう少し前から踏切を渡ろうとしている男性の姿に気づいていたでしょうから、助けようとしたかもしれないですが、なんとも言えません。今回のように車で通りかかったのだとしたら、踏切まで来て、やおら前を見たら踏切内に人がいるのに気づいた、という感じではないでしょうか?

現場はカーブになっていたそうなので、電車がどのくらい近づいているのかすぐにはわかりにくい場所ですよね。近づいてくるような音でも聞こえていたら、ちょっと助けるのは躊躇してしまいます。かといって、目のまで人が轢かれて死ぬのを見るのだって、もちろんイヤです、見たくはありません。

あたしの場合、たぶんクルマを運転している立場の方が多いと思いますので、車を放り出すわけにはいきませんから、今回の女性のように(助手席に乗っていたそうですね)すぐに飛び出すことは難しいと思います。となると、みすみす倒れている男性を見殺しにしてしまうことになります。

どのタイミングで男性に気づいたか、その時電車が近づいてくる音は聞こえていたか。いろいろな条件が絡みますが、自分がその場にいたらどんな行動を取っただろうか、ついつい自問してしまいます。

別に日本人と中国人を対比しようと言うつもりはありませんが、このニュースを思い出した日本人も多いのではないでしょうか?

Wi2 300

あたしは毎日、最寄り駅までバスを使っています。
(って、バスを使っているのに「最寄り」という表現が正しいのか、至極悩める乙女なのですが……)

そのバスは京王バスで、東京ではそれなりの大手の会社です。京王バスのよいところは、金額式定期券があるということもありますが、個人的にはWiFiが使えるというところもポイントなんです。営業エリアでも京王バスを使うことが多いので、移動の途中、バスの中でメールのチェックなどができて便利です。

WiFiは「Wi2 300」というサービスで結構あちこちにスポットがあります。これが京王バスの車内にスポットを設けているので、車内でも快適な無線LANができるのです。月額料金も安いですし、そういうメリットがあるのであたしは会員になっています。ところが、最近、どうも京王バスの車内での電波の状況がよくありません。

別に車内が混んでいるわけではありません。それなのに、WiFiの電波をキャッチできなかったり、繋がってもすぐに切れてしまったり、と安定した通信ができません。メールチェックなどログインしないとならないものは、WiFiで繋がっているものが途中で3G回線に切り替わるとエラーを起こして繋ぎ直しをしないとならなくなり、非常に面倒です。あたしのタブレットが悪いのか、それとも京王バスの方の設定なのか、理由はわかりません。少なくともバスの運転手が何か操作をしているようには見えませんし、何人かを除くと運転手さんはそういったITには弱そうな方ばかりとお見受けしますので、彼らがスイッチを切っているといったことはないでしょう。

うーん、いったいどういうことなのでしょうか? バスの車体によっても違うのでしょうか? 確かに、古いタイプの車体ですと無線LANのアンテナなど設置されていないでしょうから、そもそも繋がるわけもありませんよね。非常によく繋がるバスもあるんですけどね。

ブラックジャック創作秘話

フジテレビ系で先日放送された「神様のベレー帽~手塚治虫のブラック・ジャック創作秘話~」を録画しておいたので視ました。手塚作品は『ブッダ』『どろろ』をちょこっとだけ読んだことがあるくらいで、『鉄腕アトム』にしろ、『ブラックジャック』にしろ、『火の鳥』にしろ、読んだことも視たこともありませんでした。

 

個人的に手塚治虫に興味があったわけでもなく、好きなマンガ家というわけでもなかったのですが、単純にAKBの大島優子が出ているからという程度の理由だけで視てみたわけです。で、個人的な感想を述べますと、手塚治虫が仕事に手を抜かず、妥協することもせず、自分の限界まで努力をして名作を生み続けたということはよくわかりました。もちろん、ドラマでしょうから、相当なデフォルメ、演出はあるのでしょうけど、ああいう感じはよくわかります。わかるというより、あたしも体感したと言った方がよいと思います。

このドラマを視て、そして見終わって、あたしが思い出したのは、恩師である小松茂美先生、そして伊地智善継先生、このお二人の仕事ぶりでした。学生時代から、そして社会人になってからも小松先生のそばでその仕事ぶりを見る機会がありました。ちょうど畢生の大著『古筆学大成』の最後の配本から、著作集刊行の頃の仕事ぶりを、親しく見ることができましたが、このドラマのように寸暇を惜しんで机に向かい、原稿を書いている姿ばかりが思い出されます。

伊地智先生は、あたしが就職し、その生涯をかけた名著『白水社中国語辞典』の担当編集者として、やはり親しくその仕事を見ることができました。今回のドラマでいう大島優子の役回りです。伊地智先生も、それこそ食事を忘れて、朝起きた直後からひたすら机に向かい、それこそ死の直前まで原稿の完成に執念を燃やされていました。

こんなドラマで泣くなんてみっともないことかもしれませんが、あたしはドラマを視ながら、小松先生、伊地智先生を思い出して、ちょっと泣きそうになってしまいました。ドラマの中でも周囲の人たちはかなり振り回され、不可能と言えるような仕事量をこなしていました。あそこまで極端ではなかったにせよ、小松先生も伊地智先生も同じでした。そして、ドラマの中でもそうでしたが、周囲の人もやはり必至になって先生を支え、最後まで離れることなく先生について行っていました。

そんな周囲の人間の一人に幸いにもなれたあたしは、どうしてあんなに振り回されても離れていかないのか、みんながついていくのかがわかるような気がします。それは結局のところ、周囲の誰よりも、真ん中にいる先生が一番努力をしている、仕事をしている、必死になっているからです。「だって、自分の仕事でしょ」と言ってしまえばその通りですが、誰も文句が言えないほど、命を削るようにして取り組んでいる姿を見たら、手伝おうという気になるのは自然なことだと思います。たぶん手塚治虫の周囲の人も同じだったのではないでしょうか。

ドラマの中でも才能という言葉が何度か出てきましたが、自分が信じた道をぶれることなく一心不乱に追及できる能力に関しては、手塚治虫も、小松先生も、伊地智先生も天才と言ってよいと思います。そこまで打ち込める仕事を見つけることができたのも才能と言ってしまえば、そうなのかもしれませんが……

幸運にも、それだけの仕事をしていた人を二人も身近に見てきて、そういうお前は今どうなんだ、と問われたら、とてもあの世で小松先生、伊地智先生に合わせる顔がありません。情けない限りです。

 

ワーカーホリック?

テレビでとある若いバイヤーの奮闘記を放送していました。デパートの物産展担当の若いバイヤーが、各地を回って出展を依頼するという内容でした。まあ、ありがちなドキュメンタリーと言えば、まさにその通り。なかなか出展のオーケーがもらえなかったり、当日までにいろいろなトラブルがあったり、フェアが始まる前日まで苦労の連続、それをガッツと先輩の助けを借りつつ乗り越えていく、という内容です。

一昔前であれば「頑張ってるな、負けていられないぞ」と視聴者に思わせるのでしょうが、いまの時代、ああいう内容が受けるのでしょうか? 先輩や周囲の協力とか本人の頑張りはいいのです。それはいつの時代でも変わることないと思います。あたしが問題だと感じるのはその働き方です。

そのドキュメンタリーの主人公(?)は朝早くから夜遅くまで働きづめです。夜に出展者の元を訪問し、また会社へ戻って仕事をして、という毎日がフェアまで数ヶ月続いているようです。そんな働き方が果たして正しいのでしょうか? 確かに先方とのアポイントが9時、5時の時間外であれば仕方ないでしょう。でも、それならその分の半代休などをきちんと取っているのかというと、テレビを見ている限り、そんなことはなさそうです。

このドキュメンタリー全体のトーンとして、フェアを成功させるためには勤務時間も関係なく、とにかく粉骨砕身、がむしゃらに働くんだ、という視点が強調されているように感じます。でも、あたしはそうは思いません。やはり仕事は勤務時間内で終わらせるべきであり、残業しないと終えられないというのは、本人の能力が足りないか、上の人間の仕事の割り振りが間違っているかのどちらかだと思います。

別に適当に仕事をしろと言っているのではありません。そうではなく、あくまで会社と自分とは勤務時間内だけ仕事をするという契約で結ばれているのであって、それを超えて仕事する必要はないと言うことです。もちろんこのドキュメンタリーで、残業代がきちんと支払われていたのか、そこまでは描かれていません。たぶん本人もきちんと残業代を請求していないのではないでしょうか?

それはともかく、残業するのが美談のように描かれていることに違和感を感じます。

その一方、最近の人はなにかにつけて忙しい、忙しいと口癖のように言う人が多いようにも感じます。あたしから見ると、それくらい残業なんかしなくても、休日出勤しなくてもできるでしょ、と言えるような仕事量なのに、とにかく「忙しい」「とても終わらない」と言う人が多いです。確かに、仕事量は変わらずに社員だけは減っている現状では、かつてよりも労働過重になっているのは間違いないでしょう。でも、そんなに言うほどの仕事量なのか、という気がします。こういう不景気だからこそ、やはり社員としてはもっと生産性を上げて仕事に励むべきなのではないかと思うのですが……

 

これぞYA棚?

YA(ヤングアダルト)出版会の仕事で、小平市にある白梅学園高校を訪問してきました。ここは大学、短大、幼稚園、そして中高一貫の清修学校が併設されている学校で、白梅学園高校だけでも約700名の生徒がいるそうです。

なにゆえ白梅学園を訪問したのか。それはYA出版会が毎年作成している「朝読ガイドブック」を全校生徒に配布するために大量購入していただいた学校だからです。毎年、学校で数冊購入していただいているところは何校もありますが、全校生徒へ配布するために人数分を購入してくださるようなところは滅多にありません。果たしてどんな図書館で、どんな活動を行なっているのか、興味津々です。

もちろんYA出版会とはいえ、実際の中高生に接する機会はほとんどなく、こういう機会に高校現場の声を聞かせていただけるのは、会の活動の大きな励みにもなります。そんなわけで勇躍、本日の訪問となったわけです。

学校は西武線の鷹の台駅から徒歩15分ほど。往路は国分寺からタクシーを使いましたが、20分ほどでした。小平の住宅地を抜け、周囲には創価高校、朝鮮大学校、武蔵野美術大学などが固まっており、鷹の台駅を挟んだ向こう側には津田塾大学もある、ちょっとした文教地区です。

学校は敷地内が工事中で、恐らく新校舎などの建設やグランドの整備を行なっているのでしょう。図書館は授業などを行なう校舎とは別で、司書の先生は「プレハブ」とおっしゃっていましたが、保健室と一緒の建物でした。放課後の時間だからでしょうか、建物の入り口は電気が付いていないのでやや薄暗い感じでしたが、図書館は700名の生徒数に対しては手狭かもしれませんが、決して狭すぎるという感じは受けませんでした。

部屋の半分はご覧のように棚が並んでおり、その前に文庫・新書を収納する回転棚が並んでいます。これまでYA出版会の研修旅行では中学校の図書室を見学させていただくことが多く、やはり子供向けの蔵書だなと感じることが多かったのですが、高校の図書室は違います。並んでいる本がほとんど大人向きと言ってもよいものが過半です。近所にある公立図書館の棚を見ているような気分です。

あまり授業の調べもの学習には活用できていないとのお話でしたが、これだけの本があれば、高校の授業向けとの調べものとしては十分ではないでしょうか。ちなみに、これが大学の図書館になると、PCルームがあって、本だけではなくネットでも調べものができるような環境が整えられているはずです。そこまでは求めなくとも、生徒が自由に使えるパソコンが一台でも置いてあれば、という気もしますが、それは帰宅して振り返ってみてわき上がる感想であって、実際に図書館を拝見していた時は、たくさんの本が整然と並んでいて、図書館独特の懐かしい匂いに包まれて、とても気持ちのよい一時でした。

それにしても岩波新書や学術文庫、何冊か中公クラシックスまで並んでいましたが、そこらの小さな公立図書館よりも充実しているのではないでしょうか? 別冊太陽も置いてありましたが、上掲写真に写っているような開架の書籍が1万冊ちょっと、その他に閉架の書籍が3万冊弱あるそうです。

この写真は、入り口の一番近くにある小説の棚です。書店で言う文芸書コーナーです。ここには海外文学は並んでいませんが、日本人の作家が姓の五十音順で並んでいます。

よく書店の方から「YAの棚をどう作ったらよいかわからない」という意見をいただきますが、ひとまず小説に関して言えば、こちらの図書館のこの棚を見ていただければよいのではないでしょうか? 小説だけではなく、ノンフィクションなどさまざまなジャンルが混じっているからYAは棚を維持していくのが難しいと言われますが、とりあえずは小説に絞って作るとするなら、ここの棚はとても参考になるのではないでしょうか?

東野圭吾や万城目学もあれば、宮部みゆき、皆川博子も並んでいます。変に子供っぽくせず、大人向けの本もまぜこぜになって並んでいますが、なんかすごく楽しそうな棚でした。見ているこちらも楽しくなりますが、本が楽しそうに棚に収まっている感じがしました。あたしの好きな宮木あや子さんの作品も数冊並んでいましたが、高校生が読んでも毒のあまり強くないものがセレクトされていて、ブラックな宮木作品は身長に排除されています。

たぶん、実際の書店でこれだけのYAコーナーを作ってしまったら大変でしょうけど、高校生に向けてアピールするにはこれくらいの選書でないとダメなのかな、という印象を受けました。たぶん女子高生には手が届かないほど高い棚、ジュンク堂よりも高そうな棚に床から一気に並んでいるこの棚の迫力はなかなかのものです。それがニコニコしながらこちらに向かってくる感じなのです。

惜しむらくは、先生も指摘されていましたが、校舎と繋がっていたない建物なので、雨の日は傘をささないと来られない、プレハブなのでトイレがなく、向かいの校舎まで行かないとならない、といった難点があって、本が好きな決まった子以外は図書室を利用している生徒はそれほど多くはないようです。

もったいない、と感じるものの、かく言うあたしだって、自分の高校時代を振り返って、図書室が学校内のどこにあったか思い出せないわけですから(←つまり図書室を使っていなかった!)、白梅の生徒さんを責める資格はありません。ただ、それでもこうして偉そうに出版社の人間です、と仕事なんかできているのですから、嘆く必要はないのでしょう。そもそも700名からの生徒がみんな本好きで、本ばかり読んでいたら、それはそれで学校としても問題でしょうからね。

 

物欲とポイント還元

ちょっとしたPC周辺機器を買いたいと思っています。1万円から、やや性能的な高級品でも2万円も出せば買える製品です。

なら買っちゃえば、と言われるかも知れませんね。はい、あたしもそう思います。

その一方、今すぐというわけではないのですが、パソコン本体も買いたいと考えています。こちらは十数万からの出費になります。よし、買おう、ですぐに買えるような金額ではありません、安月給のサラリーマンにとっては……(涙)。

じゃあ、パソコンはお金が貯まるまで我慢、冬のボーナスが十分にでたら買えば、ということになります。はい、それが最も賢明なやり方だと思います。それなら、最初に挙げた周辺機器の方をとりあえず購入しますか、ということになりますが、これが悩ましいです。

何が悩ましいのかと言いますと、たとえばビックカメラとかヨドバシカメラのように、買い物をするとポイントが付く家電量販店って多いと思いますが、そのポイントというのはセールなどの時を除けば、だいたい10%です。時に型落ち商品やタイムセールで15%とか、20%近いポイント還元になると気もありますが、まあ10%というところが平均です。

で、パソコンですが、こちらも10万円を切る安い製品もありますが、やはり数年間は使えるスペックのものを買おうとなると、十数万、たぶん10万円台半ばの値段になります。仮に15万円としましょう。これのポイント10%は1万5000円です。はい、周辺機器が買えるようなお値段です。つまりパソコンを買えば、周辺機器も買えてしまうのです。

となると、周辺機器もいま買うのは我慢して、パソコン本体を買える状況が整った時に、まずはパソコンを買い、そこに付いたポイントで周辺機器を買うという順番が一番得ですよね。つまり、欲しいもの二つともお預けです。

とりあえず周辺機器の方は今すぐにないと困るというものではありませんので、パソコンを買うまで待つことは可能です。しかし、こういう状況って、多くの人が味わっているのではないでしょうか? そして、もし周辺機器が急を要する製品だった場合、人はいったいどのような選択をするのでしょうか?

とても悩ましいところです。ままよ、という感じでパソコンを一気に買ってしまうのか(周辺機器はポイントで)。それともまず周辺機器を買い、その後パソコンを買うのか(ポイントばかりがたまっていく……)

みんな、悩んでいるのでしょうね。

癌でしょうか?

何も書かないうちに「下書き保存」のはずが「公開」してしまったみたいで、失礼しました。

あたしの地元の市から「がん検診のお知らせ」というDMが届きました。大腸がんの検診を市内の指定病院で無料でやってくれるとのことです。便を取って提出し結果が出るのを待つ、ということのようです。とりあえず無料でやってくれるというのですから、何ら自覚症状もありませんが、受けるだけ受けておこうと思います。

で、検便です。

先日も会社の健康診断で便を提出させられましたが、今回の大腸がんの検診には2日分の便を取る必要があるようです。採便用器(?)を二つ渡されました。会社の健康診断では一回便を取ればよかったわけですので、やはり癌の診断ともなると慎重を期すのでしょうか?

しかし、便でわかるのでしょうか? という素朴な疑問があります。だったら、先日の会社の健康診断では大腸癌の検査ってやってなかったのでしょうか? どうせ便を取ったのですから、合わせてやってくれてもよさそうなものを、と思うのはあたしだけではないでしょう。別に便ですから、いくら提出したって減るものではありません。欲しければいくらでもあげますが、あんなものでいったいどういったことがわかるのでしょう?

大腸癌がわかるのはよいとして、便で性別とかってわかってしまうのでしょうか? あるいは職業とか年齢とか、当たらずといえども遠からずの結果が出てしまうのでしょうか? なんか怖いですね。便は何でも知っている、でしょうか? となると、変な性癖とかまでわかってしまうとか、そんなことないですよね、と言っても当たり前ですが誰も肯定も否定もしてくれません。

それにしても、便を集めて検査官はどんな風に検査するのでしょう? あたしのイメージでは白衣を着ていて、メガネで、マスクをした、化粧っ気のない、ストレートの黒髪を無造作に後ろで一つに束ねている女性が集められた便の山を前にして、一つ一つ丁寧に便を取り出している姿が浮かびます。理科室みたいな部屋で、さぞかし臭い匂いが充満している部屋でしょうね。手元を誤って、便が白衣に付いてしまうこともあるのではないでしょうか?

取り出した便をジッと見て、匂いを嗅ぎ、それだけで被験者の健康状態をズバリ言い当ててしまう、そんな人間離れした技を持つ女性検査官(年齢不詳)が黙々と次から次へと便の用器を処理している図が浮かびます。そして時折、氷のような笑みを浮かべ、心の中でこっそりと「お前はあと半年で死ぬぞ」「ほほお、そんな性癖を持っているのか」と独りごちている状況です。

ちなみに、あたしの父は脳梗塞が進行していたのもありますが、医者の話ではたぶん癌が進行していたらしいとのことです。最後の半年で一気に痩せてしまいましたから、それもうなずける話です。父の姉も父とほぼ同じ60で亡くなっていますが、悪性リンパ腫でした。母方も祖父が癌で亡くなっていると聞いています。

あたしは父方、母方どちらをとっても癌の血統のようです。ある日突然発症し、医者の診断では余命半年、なんていうのもありえるかもしれません。個人的には人々の前から風のように消えていなくなる、というのに憧れているので、それはそれであたしには嬉しい状況なのですが……