この切実さを理解できるか?

既に一度感想を書いていますが、めでたく重版が決まったので再び書きます。

『神は死んだ』の話です。

この作品は連作短篇集で、第一話で神様が死んでしまい、第二話以降は神のいなくなった世界の退廃ぶり、無軌道ぶりを描いた作品です。第二話以降のハチャメチャは、神の不在をベースとしつつも、現代社会への痛烈な批判になっていて、既に似たような事象はアメリカや日本で日常的に見られるものとなっているような気がします。そういう意味では「神の不在」を借りた社会批判であり、現在の社会はまるで既に神がいなくなったようなものだ、と言っているような気がします。

さて、第一話が個人的には一番面白く読めました。

いきなり砂漠をさまよう、今にも死にそうな神様が登場し、結局のところ野垂れ死にます。なんでそんなことになったのか、まるっきり説明されていません。とにかくアフリカの大地で、黒人の美女として現われ、野垂れ死んでいくのです。その途中、なまじ美人であるが故に、あやうくレイプされそうになりますが、死体のふりをしたのか、体を動かす力すら残っていなかったのか、ギリギリのところで難を逃れます。しかし、それも束の間。結局は野垂れ死に、犬に食われてしまうわけです。

先にも書いたように、日本人にとっての「神」と、欧米人にとっての「神」とは、全くその存在感や重みも異なるでしょうから、あたしには笑いながら読めましたが、果たして……

 

夜になってもブレックファースト?

今宵は仲良しの書店員さんと女子会! 場所は新宿ルミネの中にあるサラベスです。

サイトを見ると「ニューヨークの朝食の女王」とありますが、そう言えば「世界一の朝食」という触れ込みのお店もありましたね。あれは表参道でしたっけ?

それにしても、メニューを見て驚きました。ブレックファースト・メニューなのに、夜の9時まで提供されているのです。うーん、それってブレックファーストって呼べるのかしら?  そんなことを感じながらいただきました。

確かに、ディナーというボリューム感はありませんが、それでもふんだんに卵を使ったお料理はそれなりにお腹が満たされるものです。楽しいおしゃべりに華を咲かせながらの、あっという間の一時でした。

また来たいですね。今度は別のメニューを食べたいです。次は誰と行こうかしら?

お岩さんではありません

一昨日、自宅で素っ転んでしまったことは既に書きました。

あっちこっちが痛む体を抱えての出勤でした。

体の痛みは、徐々によくなっているという実感があります。まだだるい感じも残っていますし、ちょっとした動作で痛みを強く感じる時もありますが、とりあえずはこのまま収まりそうです。あざとかが残らないといいのですが……

いま、一番気になっているのは左目上の腫れです。

一見すると気づかれないかもしれませんが、よく見ると小じわも消えてしまうほど腫れています。うっすらと青いアイシャドウを付けたような感じになっています。

これがこのまま収まるのか、それとも明日以降、変な色に変わってしまうのか。たぶん痛みや腫れは徐々に和らぐと思うのですが、色だけはわかりません。明日になったら紫色になっていたりして。

これではまるで東海道四谷怪談のお岩じゃないですか!

休日に大人数と言われても

本日でゴールデン・ウイークも最終日。この間の外出は、金曜日に母親に頼まれて「シマホ」までクルマを出したこと、本日午前中、銀行(ATM)へ用事があって国分寺へ行ったこと、この二件のみでした。パチパチパチ!

そんな最終日、めざましテレビの占いはかに座は第三位でした。うん、これは週の初めから縁起がいいです。ご託宣は「新たな出会いがありそう。大人数でレジャーにGO。」でした。えっk、ちょっと待ってくださいよ。休みでほぼ家にいるのに、どうして新たな出会いなどあるでしょう? もちろん国分寺への行き帰りで、特に出会いと呼べるような人との接触はありませんでした。なにせ目的がATM、機械ですから(汗)。

大人数でレジャーへ、と言われても、いきなり出かけるような予定が入るわけもなければ、誘ってくれるような友人もいません。否、いたとしても、連休の最終日に疲れるようなことはしたくありません。なにせ、昨日、自宅で転んで体中が痛いわけですから。

今回は、この占いはまるっきりのハズレですね。と言うより、いつも当たったためしがないですが……(爆)

ただ、ラッキーポイントに挙がっている「有名人のブログ」はいくつかアイドルのブログは定期的に見ているので、何かラッキーになるようなことが自宅にいたって起こってもよさそうなものですが、今のところ何も無しです(涙)。

ちなみに、本日の映画鑑賞は、ずいぶん前に録っておいた作品「ヴァン・ヘルシング」です。主演のヒュー・ジャックマンって、確かレミゼの人ですよね?

 

七転び八起き、否、七転八倒?

夕方、自宅の部屋の中で転びました。

じゅうたんの縁に足が引っかかったみたいです。手を突く暇もなく、二の腕やら膝やらをしたたか打ち付けてしまい、顔面も家具に強打しました。

幸いなことに血が出るような怪我はしなかったですが、体中が痛いです。たぶん気づいていないだけで、いろいろなところをぶつけているのでしょう。きっと明日になると腫れていたり、青紫色になっていたり、といった症状が出るのだと思います。

とりあえず今は、二の腕がしびれていて、手を突くのが辛いです。座っていて立ち上がる時など、人間で意外と手を突いて体重を支えるものなのですね。改めて知りました。

顔面の強打は、左の目の上、まぶたから眉毛にかけてを強く打ったようで、うっすらと腫れています。明後日から仕事ですが、ちょうどそのころには紫色になっているのではないかという気がします……

嗚呼。

部屋の中で転ぶなんて、年ですね。

ホラーと言うよりはサスペンス?

本日の鑑賞作品はこの二点です。

 

まずは前者。「カエル少年失踪殺人事件」は韓国の作品です。タイトルは牧歌的というか、一見殺人事件を主題としたコメディなのかと主マイしたが、そうではなく重苦しい社会派の作品でした。

あたしは知りませんでしたが、これは実際にあった事件の映画化で、韓国では三大未解決事件と呼ばれているものの一つだそうです。ストーリーは、ある日小学生の5人の男の子が山へカエル採りに出かけたまま行方不明になってしまうというものです。警察の杜撰な捜査のためもあり、5人の行方は杳としてわからず、そこへ左遷されてきたテレビ局のディレクターが、「犯人=子供の親」説を唱える大学教授と一緒になって、失踪児童のある両親を怪しいとにらみ、警察に家宅捜査までさせるほどの騒ぎとなります。結局、そこでは何も見つからず、教授は地位も名声もすべてを失い、ディレクターもうやむやのまま本社へ戻り数年が過ぎます。

台風の雨のため土砂が流れた山中で子供の骨が見つかり、事件は一気に解決かと思われますが、結局子供たちは殺されたということがわかるだけで犯人にはたどり着けません。しかし、ディレクターは小さな痕跡から犯人とおぼしき塗擦業者の男にたどり着くのですが、決定打に欠け事件はそのまま時効となりました。

実際の未解決事件が下敷きになっているので、映画の中で勝手に犯人逮捕ができないのは理解できますが、この映画のように、かなり疑わしい人物にまで迫っていたのでしょうか? そして映画の中の塗擦業者は真犯人だったのでしょうか? そういった消化不良感が残る作品です。

そして、前半の大学教授の推理、そしてその推理のせいで家庭を壊される被害者家族など、かなり重いテーマにもかかわらず、いかんせん、人物の描写に深みが足りないので、いま一歩という憾みが残ります。むしろ、被害者家族がさらなる被害に遭うという方にテーマを絞った方がよかったのかもしれません。

その次の作品は「トゥルース or デア 密室デスゲーム」です。これ、邦題には「密室」とありますが、全然密室ではありません。密室での完全犯罪とか、極限状態での恐怖体験とか、そういうものを期待してみると、やや肩透かしです。

卒業間近のパーティーでクラスメートのからかわれた少年。その少年から卒業後数ヶ月してバースデーパーティーへの招待状が届きます。招かれたのは卒業パーティーで少年をからかった男女合わせて五人。少年の実家は大金持ちで、森の中の広大な敷地を持つ家に招かれたのでした(ただし、舞台は母屋である大邸宅ではなく、森の中の管理人小屋)。

実はこの五人を招待したのは少年ではなく、その兄。少年がからかわれたことを気に病み自殺してしまい、その復讐を遂げようと5人を呼び出し監禁し、弟の死の真相を突き止めようというものです。

と、こう書いてしまうと、犯罪を犯しているとはいえ兄の方に同情してしまいそうですが、卒業パーティーでの一件も、「そんなことで自殺するか?」という程度のもので、卒業を前にしたパーティーであれば、あのくらいの悪ふざけはありがちではないかと思われます。むしろ兄の方が逆恨みしているように感じます。まあ、旧家、名家の誇りというのは庶民には理解できませんが。

で、殺されてしまう仲間もいますが、5人のうち二人はなんとか助かります。形勢逆転して、兄を柱に括り付け、パーティーで何があったかを兄に教えます。この真実を知ってしまうと、今度は逆に「やっぱり兄が恨むのもわかる」という気にさせられます。むしろ、生き延びた2人には、「お前ら殺されてしかるべきだろう」という思いがわいてきました。

結局のところ、登場人物のどれもが中途半端に悪人であり善人なので見終わってすっきりしませんが、世の中とはこういうものなのかもしれません。

恐怖の夜?

さあ、四連休です。特に出かける予定はありません。録っておいた映画鑑賞です。本日はこちらです。

「フライトナイト/恐怖の夜」です。恐怖の夜というサブタイトルからは、ある一夜をクローズアップした作品のような印象を受けますが、決してソウではありません。かつてのヒット作のリメイクと言うことですが、オリジナルを見ていないので比較も出来ませんが、これはこれで楽しめました。

それにしても、主人公の友人はどうして隣人がヴァンパイアだとわかったのか、そのあたりは不明です。そして遂に信じることになった主人公に対し母親やガールフレンドはもちろん最初は信じません。が、普通のホラーなら、なかなか周囲の人には信じてもらえないジレンマを主人公が抱えるものですが、この映画の場合、あっさり隣人が正体を現わし、母親、恋人ともに逃げ出す羽目になるという流れ。これはちょっとわかりやすいけれど、セオリーからは外れている気がしました。でも、案外、実際にこんなことが起こったら、こういう流れになるのだろうなあという気はします。

視覚的な怖さもなければ、徐々に迫ってくる怖さもなく、なんとなくアメリカの学園ドラマの要素も散りばめられていて、お気楽に見られるホラーでした。

そして恩師を思い出しました

文春新書の『習近平の密約』読了。前後して刊行された講談社現代新書の『「反日」中国の真実』と併読するとよいかと思います。

 

文春の方は習近平時代とこれからの日中関係を、講談社の方は習近平時代に至るまでの日中関係を取り上げているというのが大雑把な違いでしょうか? ですから一部重複するような記述も見られます。

で、後から読んだ文春新書ですが、加藤氏の「あとがき」に次のようにありました。

強がっているように見えても、実は多くの矛盾を抱え、もがき苦しんでいるのが内情である。

こういう中国の真の姿、多くの日本人には理解されていないのでしょうか? あたしなどほんの数回の中国旅行の体験しかありませんが、それでも中国人がみずからのメンツのために振り上げた拳を下ろせないでいる様子が理解できます。

反日デモなども、ある程度は現状に対する不満(←決して日本に対する不満だけでなく)のガス抜きとしての効果があるわけで、ガス抜きとして機能している限りは当局も目をつむっているのでしょう。ですから、適度に、あくまで適度に日本がそういう刺激を与えてくれることは中国政府にとっても実は好ましいのではないかと思います。

もしこれで日本がまるっきり中国人の心を逆なでするような行為をしなくなったりしたら、民衆の不満は日本へ向かわず政府に向かうでしょうから、そうなってはマズイと中国政府は思っているはずです。もちろん、その逆に日本があまりにも挑発的な態度を繰り返せば民衆の激高も手が付けられなくなりますし、政府としても日本に対して強く出ないとならなくなるので、これも困る状態でしょう。そこらあたりのさじ加減をわかって日本政府が対応できていればよいのですが……

さて、この「あとがき」にはもう一つ、こんな注意を引く文章がありました。

習近平政権の掲げる強国化路線が確実に進み、日本を大国と見なさなくなったとき、「反日」デモも起きなくなる。

この文章を読んで大学時代の恩師の言葉を思い出しました。あたしが学生の頃は中国はまだ改革開放を始めたばかりで、日本の戦後間もない頃の雰囲気でした。むしろ台頭著しかったのは韓国です。韓国も日本に対する対抗意識はものすごく、現在と同様な嫌日感情がありました。

そんな情勢下、あたしの恩師は、韓国がさっさと経済成長を遂げ、日本を完全に追い抜いてくれればよい。そうすれば嫌日感情なんてなくなるから、と語っていました。日本に反感を持つのは、それはまだまだ自国が日本にかなわない、日本に負けているという事実を素直に認めたくない気持ちの裏返しなわけで、名実共に誰が見ても日本より優れているとなったら、そんなわだかまりはなくなるというものです。

あたしの恩師はそんなことを教えてくれました。恩師亡き今、上掲の文章を読んで、中韓の違いはあるものの、恩師の謦咳に接したような気がしました。

片思い?

今朝のめざましテレビの占い、あたしのかに座のご託宣は

片思いの異性に急接近!
目をそらさず会話しよう。

でした。

で、ふと考えてみました。あたしの「片思いの異性」って誰だろう、って。

すると、全然思い浮かばないんですよね。仲良しの書店員さんはたくさんいますけど、それはあくまでビジネス上のつきあいであり、書店員・出版社営業というお互いの立場があってのつきあいでありまして、仕事をスムーズに進めるために仲良くやっている、やらしてもらっているだけなわけです。

ですから、どう考えても、どちらかの肩書きが失われたら、その時点で関係は終わり、単なる顔見知りでしかなくなると思うのです。いや、数ヶ月もしたら顔すら思い出せなくなって、顔見知りですらなくなるのではないかと思います。

つまり、プライベートでもつきあいが生じるほどの関係ではないということです。

いや、そうではなくて、やはりあたしだって人の子ですから、そういった仕事を抜きにしても友達になりたいと思えるような人がいるかと聞かれたら、ちょっと考え込んでしまいます。そもそも会社以外では仕事上で会う人くらいしか交友範囲が無いあたしですので、仕事がなくなったらすべて何もかも残らなくなりそうです。それはそれでさっぱりしていてよいのではないかと思いますが、そういう意味では決して「交友」とは言えない関係なんですよね。

仕事を抜きにしても仲良しでいたい人…………

うーん、すぐに思い浮かびません。

そもそも、あたしが誰かと友達になりたいと思う前に、客観的に見て、あたし自身があたしと友達になりたいとは思えません。ですから、たとえあたしが友達になりたいと思っても、向こうが同じようにそう思ってくれるのか、そこのところがとても自信ないです。

 

高・近・短?

今年のゴールデン・ウイークは前半と後半に分かれ、長い旅行に出にくいとニュース番組などでは言われていますが、間の三日間を休めるような会社、あるいは身分なら、例年よりも長めのゴールデン・ウイークになるわけで、大手企業の工場などはそういうところもあるのではないでしょうか? ただ、その一方、アベノミクスで景気が上向き、仕事が忙しくなってきたので、間の三日間も休めないという企業も中にはあるそうな……

それにしてもこのアベノミクスという言葉、なんか胡散臭くて嫌いです。最近のニュース番組の街頭インタビューでも「景気がよくなっている」と答える人が多いように感じられますが、平日の昼間、銀座あたりにお洒落して出かけてきているような人たちが、そもそも日本人の平均値なのか、そこのところがそもそも疑問です。マンションなど高級品が売れるようになってきたという指摘もありますが、確かにこの先の消費税アップを見越して、どうせ買うなら今のうちにという心理も働いているのでしょう。

とはいえ、結局マンションにしろ家にしろ、帰るのは一部の人でしょう。アベノミクスで本当に潤ってきたのがどれくらいの割合なのか、庶民には実感としてほど遠い感じです。ですから、例年のような「安近短」ではなく、今年のゴールデン・ウイークは「高近短」だと言われても、「本当ですか?」と聞きたくなります。

かくいうあたしは、景気とは無関係に連休には出かけないと言うスタイルがこの数十年定着してしまっているので、今年のゴールデン・ウイークもどこへも出かけません。家からほとんど一歩も外へ出ないで終わる可能性が大です。ゴールデン・ウイークだけでなく、年末年始や夏休みも同様です。世間が休みの時はどこもかしこも混んでいることが予想されるので出かけたいとは思いません。

と言うわけで録りだめた映画鑑賞でしょう。

 

「貞子3D」です。「リング」シリーズを見てきた者にとって、この映画はどうなんでしょうね? ネットでもかなり評判悪いみたいですが、逆に言えば、全く別の作品と考えた方がよかったのではないかという気がします。少なくとも「リング」の後、「リング 2」「リング 0 ~バースデイ~」にはあった貞子の悲しみ、悔しさ、そしてゾクゾクするような日本独特の怨念、そういったものが一切なくなってしまっていると感じます。

造型にしても、これはホラーではなくコメディとしか言いようがないものですし、ストーリーも荒唐無稽というのではなく、意味不明な感じばかりが印象的です。石原さとみが好きな人なら、とりあえずは彼女目当てで楽しめるのかもしれませんが、その石原さとみが貞子と同じような能力を持っているという設定なのだから、そこに悲しみとかの共感、怨念の輪廻のようなストーリー展開があってもよさそうなのに、そういったものは一切描かれず、石原さとみはなんのためにあんな能力を持っていたのかさっぱりわかりません。ドラマ版で矢田亜希子が演じた高野舞的な孤独感、寂しさも感じられませんし。

うーん、これってこの夏にはパート2が公開されるんですよね。こんどは瀧本美織が主演ですよね。悲しみを抱えつつも怖がらせるようなシリアスな演技が彼女に出来るのでしょうか? 乞うご期待です。ちなみに、今回の作品では橋本愛の貞子は美しかったです。