今日は暖かくなるはずが意外と寒かったですね。
外出もしないどころか、家から一歩も出ていないので、外の気温もわかりませんが、それほど暖かいような感じはしません。
だからなのでしょうか? 午後からだるいです。ちょっと気持ちも悪いです。
風邪の引き始めでしょうか?
夕食後、薬を飲んだので、今日は早く寝ようと思います。いつものことですが……
今年の本屋大賞の翻訳書説部門で、藤井光さん訳の『タイガーズ・ワイフ』が第一位を獲得したそうです。新潮社のクレストですね。確かに書店店頭でも売れていると、書店員さんに聞きましたらか納得の第一位です。
それにしても藤井さん、この数年、精力的に作品を出されていますよね。あたしの勤務先だけでもこんな作品があります。
他社からも精力的に翻訳を出されていますから、いまや「藤井光訳海外文学フェア」が出来るほどではないでしょうか? そんんばフェアにあたらしい作品が明日加わります。明日配本でこんな本が出ます。
近未来を舞台にしたSF小説のような作品です。タイトルどおり、この世界の創造主である神様が死んでしまった後の世界を描いていますが、現代社会を鋭く風刺した作品になっています。なんというのでしょう、神様という重しがあることによって辛うじてバランスが取れている、あるいはいろいろな矛盾に塞がされている今の世の中から、神様という重しが外れてしまったらどうなってしまうのか、という視点で構成されるストーリー群です。
個人的には、創造主という存在を持たない日本人には、そもそもの物語の設定自体が想像の範囲外かもしれません。ただ、強いて言うならば、まだ現人神と信じられていた日本の天皇が突然廃止、廃絶させられたら日本という国はどうなってしまうのか、という感じで置き換えてみると少しは理解できる気もします。もちろん昨今の若い世代にはこの喩えもピンと来ないのでしょうが、ある一定年齢以上の人であれば、なんとなく感じ取ってもらえるのではないでしょうか?
それにしても、藤井さん、どうしてこういろいろなタイプの作品を見つけてくるのでしょう?
午後から東京国立博物館へ「大神社展」のレセプションに参加するため出かけてまいりました。お歴々のあいさつの後、いよいよ内覧会です。最初の部屋こそ混んでいましたが、そこは飛ばして次の部屋から見学です。そもそも内覧会なので、決まった人数しかいないわけです。後から次々に新たなお客さんが入ってくるわけではありませんし、むしろあとは帰るだけですので、あっという間にゆったりとした鑑賞の時間が訪れました。
基本的には仏教が伝来することによって、造作にしろ意匠にしろ相当な影響を受けたと思われますが、そんな中にもどこか仏教徒は違う、根本的に異なるものが見え隠れします。どのあたりまでもオリジナル神道で、どこからが仏教かぶれしたものか、専門家ではないあたしにはよくわかりませんが、見ているととても面白いです。
神像などは仏像とは異なる独特の風貌をしています。当時の日本人が杏奈面相であったとは思えませんから、あの風体はどこから着想を得たのでしょう? ふつう人と異なる<神>を表わすのであれば、目を三つにするとか、角があるとか、わかりやすい特徴を備えるのではないかと思いますが、そうではなく、どう見ても別の人種を表わしているようにしか見えないものがありました。当時の日本人が、そんなに人相の異なる人間に出会う機会があったのでしょうか? もちろん中国人、朝鮮人であれば、日本人とそれほど変わらないでしょうから、それ以外の国の人と思われますが。
それはともかく、なんだかんだ言っても神仏の親和性が強く感じられたのも確かです。僧形の神様の像がありましたが、解説文には神様が出家して僧形となった姿を表わしたもの、というような説明がありました。神様が出家するなんて発想、たぶん一神教の世界では考えられないのではないでしょうか? そんなところにも宗教に対する古代日本人のおおらかさが感じられました。
このシリーズもほぼ全部見ていますが、これは未見でした。
「富江VS富江」です。主演はあびる優ですが、もう一人、富江が出てきます。これまでの「富江」はとにかく殺しても殺しても生き返る美女という設定でしたが、本作ではちょっと違うようです。ラストで種明かしがされますが、あびる優の富江にしろ、あびる優に殺されるもう一人の富江にしろ、本当の富江の血液を幼児に注射して生まれたニセモノで、ここまでなんとか生きてきたけれど、本当の富江の血を再輸血しないと死んでしまうそうです。
うーん、このあたりの設定がこれまでとは異なるのでやや理解しづらいです。では本物の富江はどこにいたのか。よくわからないのですが、主人公が少し前に殺してしまった恋人が富江だったようです。ただ、その恋人には富江の証拠となる左目の下のホクロがなかったような……
それはさておき、主人公が恋人を殺した後、精神状態がおかしくなり、「いつも一緒だよ」と言っていた彼女との約束を果たすため、彼女の骨や肉を口にすることによって、彼の体内に富江が入り込んだようです。最後に彼のお腹からあびる優演じる富江が這い出てきますが、ちょっと違和感を感じます。
今回の富江は、他の作品のように何度も殺されるシーンはありません。あびる優に殺されるもう一人のニセモノ富江も、意外とあっさりと始末されてしまいます。ニセモノだからなのかもしれませんが、ここで富江が拡散していくという設定にしたら、それこそ作品としての収拾がつかなくなるから、あくまで本物は一人だけ、ニセモノは亡ぶべきという設定にしたのでしょうか?
続いては、またしてもアイドルホラーです。
志田未来、川口春奈W主演の「POV~呪われたフィルム~」です。タイトルどおり、フェイクドキュメンタリーの手法で作られていますが、うーん、今一つ緊迫感に欠けますね。いかにもアイドルホラーというテイストで、小学生や中学生が対象なんだろうな、だって内容は基本的に学校の階段だもの、という作品です。
個人的には志田未来も川口春奈も好きなんですが、女優としてのキャリアを考えた場合、こういう作品に出ていちゃダメでしょ、という気がしないでもないです。二人はそれなりに頑張っていたとは思います。フェイクだというのはわかっていますから、どれだけひねりが効いているかが勝負だと思います。その点、この二人が本人役で登場、川口春奈の卒業した中学の怪談話、といったアイデアというか設定は決して悪くはないと思います。作品としての料理の仕方が悪かったのかもしれません。特に、後半は完全にフェイクドキュメンタリーではなく、B級ホラー作品になってしまっていましたから。最初の設定では怖い話が苦手な志田未来なのに、後半になると肝が据わったのか、幽霊にも動じず、場を仕切っていましたね。
それにしても、この二人は同じ事務所なんですね。そして志田未来の方が二つも年上とは、見た目だけだと志田未来の方が幼く見えますし、実際、あの身長差では(笑)。この作品、たぶん、夏休みに2時間ドラマとして放映されたら、中学生などを中心に楽しめたのではないでしょうか?
正直に言って、2時間ドラマ、という感じでした。何がって? これです。
映画版「桜蘭高校ホスト部」です。もともとはコミック原作の作品のようですが、それは知りません。
あたしはあくまでTBSでやっていた川口春奈主演の実写版ドラマを見ていたのです。
で、そのドラマの放映中に既に映画版のことはアナウンスされていて、それがこのほどWOWOWで放映されたというわけです。その感想が、申し訳ありませんが表題の通りです。この内容なら映画にするよりも、2時間のスペシャルドラマとした方がよかったのではないかと思います。その2時間ドラマを深夜でやるか、ゴールデンでやるかは悩みどころですが……
なんというのでしょう、バカげた設定のコメディ。深夜に何も考えず視聴率も気にしないで作っているからこそ楽しめるのであって、わざわざ映画にする意味があったのか疑問が残ります。特に篠田麻里子の演技、あれはちょっとね。映画版のゲスト女優なわけですが、もう少し陰翳が欲しいところですが、そのあたりの薄さがこのドラマの本来の持ち味なわけで、だからこそ映画にはすべきではなかったのではないか、と思うのです。
財布がもうボロボロになってきたので買い換えなければと思っていたところ、実は定期入れも、もう長いこと使っていて古くなっているので買い換えなければならないということに思い至りました。
安いのを探せばそれなりにありますが、安いものは安いなりの理由があります。逆に高いものは、それこそなんで、というくらい高いものがたくさんあります。年も年だから、あんまり安っぽいものを持つのも憚られるし、かといって身分不相応な高級品はもっとみっともないと思うので、そこそこのもので手を打とうと考えてはおります。どれにしょうかと、ほぼ狙いも付けております。
が、その前に、とりあえず定期入れを買うことにしました。選んだのはこれです。
フライングスコッツマンというブランドの商品です。定期入れにカード(名刺)入れがついた商品です。時々、名刺交換する必要が生じますが、得てして名刺入れを持ってきてなく、定期入れの中に数枚だけでも入れておけば、と思うことがしばしばあるのです。それで今回はこういう製品にしてみました。色はブラウンの方です。
さて、次は財布ですが、定期入れに比べるとやはり高い買い物なので、もう少し時間をおいてからにしようと思います。
あ、牡蠣ながら思い出しました。名刺入れもそろそろ買い替え時なんです。
これは当然買おうと思っているのですが、まだ買っていない書籍です。先日の万城目学さんとのトークイベント(@MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店)の時に案内のチラシが配られ、「おお、これは買わなければ」と思っていました。ようやく発売になったのですが、その矢先、紀伊國屋書店の新宿南店でトークイベントがあると知りました。
トーク&サイン会ですから、当然会場となる南店で買わないとなりませんよね。そのように本店の方にアドバイスされて、とりあえずいったんは買うのをやめたのです。でも、改めてイベントの日付を確認したら、なんと12日。その日はあたし、もう別の業務があって、昼間から夜まで体が空かないんですよ。
これでは本は買ってもサインはもらえませんよね。どうしましょう?
それにしても津村さんって、この宣材写真よりも実際の方がもっとチャーミングな方ですね。
『書店ガール 2』読了しました。かつて『書店ガール
』ではなく、『ブックストア・ウォーズ
』を読んだ人間としては、「続編だ!」という喜びがまずあります。
でも、今回は最初からPHP文庫です。どうして新潮社は自分のところで文庫化しなかったのでしょう? そしてみすみす第二弾をPHP文庫から出されるようなことになってしまったのでしょう?
本好きに読んでもらいたいからこそ、文庫ではなく単行本で出して欲しかったと思うのは、あたしのわがままでしょうか? ただ逆に、こういう本を単行本では出せないというところが、出版会の現実なのかもしれません。
なにはともあれ、書店員の方にはこの本を読んで、「所詮、小説さ」なんて思わないで、本を売る楽しさを奮い起こして欲しいと思いますし、出版社の人間もこの本を読んで、そういう書店員さんを応援するような気持ちを抱いて欲しいと思います。
新年度が始まってしまいましたが、このところ、まずは卒業シーズンということで、テレビなどではあなたにとって卒業式の想い出は(?)とか、想い出の卒業ソングは(?)といったインタビューを見かけました。そんな番組を見ながら、ふと思います。あたしにとって想い出の卒業ソングってあるだろうか、と。
やはり、考えてみても、ほとんど、これという卒業ソングはありません。中学のときは合唱の盛んな学校でしたので卒業式に限らず、いろいろな行事で大地讃頌やハレルヤを合唱した記憶があり、卒業式でも当然歌っていました。でも、書いたように、いろいろな時に歌っていたので、卒業ソングという感慨はありません。
そもそも考えてみますと、卒業式の想い出がほとんどありません。小学校や中学校は思い出せません。高校は体育館が改築だったので区の公会堂で式典をやり、その後学校に戻ってクラスで担任から証書をもらったのですが、親も式典には来ませんでしたし、クラスで証書をもらって最後のあいさつが終わったら、あたしはさっさと帰宅しましたから。全くクラスメートと別れを惜しむなんてことはなく、何時迄もクラスメートが教室に残って別れを惜しんでいるのを尻目に、たぶん一番最初に校門を出てきたくしたのではなかったかと思います。
大学では卒業式には出ていません。だって、そのまま院に進みましたから卒業するわけではなかったので。院の時も、卒業式なんて面倒くさいものには行きませんでした。なので大学時代の卒業式は想い出どころか経験すらないというのが事実です。
うーん、これでは想い出の曲があるわけないですよね(汗)。
まあ、あたしの場合、卒業というのは、小学校にしても中学校にしても高校にしても、大嫌いなクラスメートと顔を合わせなくて済むようになる、嬉しさのこみ上げる日でしたから。
4月1日なので、嘘っぱちのダイアリーでも書いてみようかと思いましたが、それは昔やったことがありますので、もうやりません。ただ、新年度ということで、このままの仕事ぶりでよいのか、ちょっと立ち止まって考えてみたいと思いました。
何度か書いていますように、あたしは転職はしたことがありませんが、入社した時は編集部でした。語学書を作っていました。それを12年ほど続けていたら、営業部に異動になりました。人と接するのが苦手、人付き合いが苦手、あまり人当たりがよくない、そもそも他人が大嫌いというあたしに営業なんてできるのだろうかと、当初は不安もありました。
でも、その一方、編集部にいるのに、特に作りたい本もなく、企画を考えなければいけないプレッシャーがその当時かなりあったのも事実です。だからといって、あたしの得意分野である中国関係は、中国語なら企画は待たれているでしょうけど、中国思想や中国古代史の本なんかあたしの勤務先では到底出せそうもない状況でした(今もさほど変わりません)。周囲の人間を説得してまで中国思想や中国史の本を出そうなんてエネルギーは、あたしは持ち合わせていませんので、そんな無駄な努力はしたいとも思いません。
まあ、そのプレッシャーから解放されるのか、人付き合いは苦手だけど、外面はいい方なので、営業部に遷ってもなんとかなるかなという、かなり軽い気持ちで営業部に遷って早十年になろうとしています(正確にはまだ8年か9年くらいのはずです)。
で、特にあまり考えもせずやってきて、そろそろ変わる時期かなという気持ちが起こってきました。とは言っても、会社を辞めるなんて選択肢は転職先も見つかっていない現状ではありえません。そうではなくて、何かリフレッシュできることはないかなと思うわけであります。
それで思うのは、業務変更です。社内でやっている(分担している)業務を変更するということです。営業部であることは変わらずに業務変更するということは、端的に言えば、担当書店の変更です。これまでもちょこちょこっとした担当地区・地域の変更はありました。例えば。営業部移ってきた当初、地方の担当地区は北海道と北東北(青森・岩手・秋田)でした。それが数年後には南東北の宮城・山形・福島に栃木・茨城も加わった、ほぼ東日本全域になりました。しかしこの状態は2年から3年弱ほどで終わり、その後は京都・大阪(一緒に滋賀と奈良も)の担当になったのが2008年の夏前ですから、もうすぐ丸5年です。一二年遅れて兵庫も担当になり、いわゆる関西担当になって3年ほどです。
こういう地方の担当地区変更は、だいたい外回り担当営業部員の場合、誰かが辞めた(定年も含め)とか、新しい人が入った折に行なわれてきました。同様に都内近郊も分担しているのですが、これは営業部遷って以来、あたしはずっと中央線・京王線担当で変わりません。途中、総武線、小田急線、有楽町・銀座地区の担当を兼任していた時期もありますが、中央線・京王線は一貫してあたしが担当しています。そろそろ、これが潮時ではないかと思うのです。
同じ地区を長いこと担当すると、お店の人とも仲良くなれますが、一方で惰性に流れる可能性もあります。あるいは仲良くなった書店とはよいけれど、相性の悪い書店とは疎遠のままになってしまいます。時に担当者を変更して心機一転を図った方が、書店にとっても出版社にとってもよい結果を生むとも思います。今すぐというわけではありませんが、今年は、否、今年度は少しそういうことを考えてみたいと思います。
もちろん、あたしが担当を変わると聞いて「やっと、あいつの顔を見なくて済む」と喜ぶ書店員さんも大勢いることでしょうが……(汗)。