落首、否、落手、と言うよりも落酒

今年も年末年始用の日本酒が届きました。

母の田舎、新潟県上越市にある酒屋さんに注文して取り寄せているものです。

季節季節にカタログが届き、その中から何本か見つくろって注文するのですが、何年も購入していると、新しいものでない限り、あらかた飲んでいるものばかりになります(汗)。今回は、写真の4本をチョイスしました。

左から、「得月 純米大吟醸」(朝日酒造)、「千代の光 越淡麗」(千代の光酒造)、「己亥 無濾過生酒」(オリジナル)、「雪中梅 雪室貯蔵純米原酒」(丸山酒造)です。「得月」がちょっと高いですが、それ以外は決して高いものではありません。

さて、どれから賞味しましょうか?

と言うよりも、どれも720mlですから、いつまでもつのでしょうか?

まだまだ知らない本が多すぎる

昨日の朝日新聞夕刊です。

偕成社から出ている絵本がドイツで賞を取ったそうです。タイトルは『ぼくはアフリカにすむキリンといいます』、著者は岩佐めぐみ。

部外者が勝手なことを言ってはいけないかも知れませんが、恐らく偕成社の数ある出版物の中で決して主力と呼べるものではないと思います。記事中にある発行部数にしても、ヒット作を数多く抱える偕成社の中では平凡なものかも知れません(あたしの勤務先からすれば天文学的な数字ですが……汗)。

日本にもこれから観光客ではなく生活者として海外の人が増えてくることが予想されますので、この受賞をきっかけに今後ますます売れるのではないでしょうか?

それにしても、こういった知らないけれど読むべき本って、まだまだたくさんありますね。本書だって、海外で受賞しなければ、どれだけの日本人が知っていたことでしょう。17年前に刊行された絵本だそうですが、よくもまあ偕成社も絶版にせず刊行し続けていましたね、頭が下がります。

朝日の記事の影響もあるのでしょうか、アマゾンや紀伊國屋書店、楽天ブックスなどネット書店は軒並み売り切れになっているようです。リアル書店も店頭在庫、どうなのでしょう?

わが家の韓流コーナー

わが家の書棚のほんの一部です。

ご覧のように、韓国文学の翻訳作品を並べています。

この一、二年、書店店頭でも韓国の作品の翻訳が増え、それなりのボリューム、存在感を発揮していますが、見事にはまっています。

韓国文学と言えば、クオンの始めたシリーズ《新しい韓国の文学》かもしれませんが、あたしはその流れにはちょっと出遅れ、同シリーズでは『殺人者の記憶法』しか読んでいません(汗)。『菜食主義者』とか、読みたいのがいくつもあるのですが、まだ手が回っておりません。

その一方、晶文社の《韓国文学のオクリモノ》はすべて制覇しております。棚に『ギリシャ語の時間』が見当たらず、ちょうどすき間ができていますが、同僚に貸しているところです。最後の『』も、あと三分の一くらいで読み終わります。

先頃スタートした亜紀書房の《となりの国のものがたり》も既刊2冊、既に所持しております。『鯨』を読み終わったら取りかかるつもりです。

クリスマスプレゼント

ご覧の通り、時計です。

左はコンパクトなトラベルクロック、右は懐中時計です。

左の時計は電波時計で、あたしがふだん持ち歩いているものです。腕時計をするのが嫌いで、高校の頃は腕時計を腰のベルトに付けていて、大学生の頃からはずっと懐中時計を使っていました。

何代目かの懐中時計が壊れてしまった数年前、既に掛け時計や腕時計は電波時計が主流になりつつあり、あたしも電波時計の懐中時計を探したのですが種類がなく、家電量販店の時計売り場を見ていたら、コンパクトなトラベルクロックが目に留まり、ここ数年は愛用していました。写真のクロックは三代目です。

あたしは別にこれで構わないのですが、何を勘違いしたのか、母が先日、クリスマスプレゼントだと言って、右の懐中時計を買ってくれました。

しかし、案の定、電波時計ではありません。

あたしとしては使いたくないのですが、せっかく母が買ってくれたので、この一、二週間はこの懐中時計を付けて出勤しています。まだ違和感があって、使い慣れてなくて、戸惑っていますが、どうして懐中時計には電波時計がないのでしょうね?

と言っても、世の中は、スマホ全盛で懐中時計も腕時計もしない若者が増えていると聞きます。たぶん、何年待っても懐中時計の電波時計の種類が増えることはないのでしょう。

大掃除ならぬ……

もう暮れも押し迫ってきたわけで、毎年、大掃除らしきことなどほとんどしないのですが、これくらいはやらないと罰が当たりそうなので……

はい、お仏壇です。もちろん、わが家の仏壇です。

今日の午前中に掃除をしました。

仏壇の中にある位牌などをすべて出し、きれいに拭いて、もちろん仏壇自体のほこりも拭き取って、再び中に並べ直すというだけのことですが……

この仏壇には、父とその両親、幼くして亡くなった父の兄(父が生まれる何年も前に亡くなっています)、全部で四人の仏様がいらっしゃいます。

ご先祖様も、これで気持ちよく新年を迎えてくれることと思います。

辛うじて想像はできるけど、理解はできない

82年生まれ、キム・ジヨン』読了。

印象的な装丁です。一見すると、河出書房新社から出ているミュリエル・スパーク作品の装丁を思わせるようなカバー装画ですが、あちらがマグリットを明るくアレンジしているような雰囲気があるのに対し、こちらは非常に寒々としています。この装画が本書の内容をよく表わしていると思います。

本書を読んで、韓国の女性は大変だなあという他人事のような感想を抱きそうになりますが、訳者あとがきなどにもあるように、日本でも大学の医学部入試であからさまな女性差別が発覚した直後とあって、日本も変わらないのだと改めて実感しました。いや、たぶん世界中、ほとんどの国でいまだに多くの女性が似たような状況に置かれているのではないでしょうか。

それにしても経済発展という裏付けがあってこそですが、韓国の女性を取り巻く状況が祖母・母・娘と三代を経ただけでこうも劇的に変わってしまうとは。そこへ持ってきての経済危機。女性が自立していくのと男性が自信を喪失するのとが好対照です。

で、あたしの感想なのですが、不幸にしてか幸いにしてなのか、あたしは結婚していませんので、妻の葛藤というものを知りませんし、理解のしようがありません。それでもチョン・デヒョン氏はかなり頑張っている、妻を理解しようと努力していると思います。にもかかわらず、妻があんなことになってしまうわけで、なんともいたたまれません。

いや、女性から見たら、デヒョン氏だってまだまだ努力が足りない、女性の気持ちが何もわかっていない、ということなのかも知れません。しかし、これまた幸か不幸か、あたしには妻どころか、これまでの人生で女性とお付き合いしたことがないので、恋人と呼べる存在すらいなかったので、男性が女性を思いやる、女性の身になって考える、思いを致すという経験がありません。これまであたしの理解を超えることです。

キム・ジヨンよりももっと苛酷な運命を生きた、生きている女性は大勢いるでしょうし、だからといって全員がジヨンのようになってしまうわけではありません。もっと快活な性格であればこうはならなかったのではないか、という気もしますが、そんな性格に育てられてしまう時代だったのでしょうか。そんな風に個人の性格、傾向に問題を矮小化してしまうのが一番よくないのでしょうが、一方で『』(晶文社)に出てくる力強く運命を切り開く女性を見ていると、同じ韓国女性でもずいぶんと違うものだと思います。

また、経済危機で弱ってしまう男性側については、同じく晶文社の『三美スーパースターズ 最後のファンクラブ』を併せて読むとよいのかも知れません。で、気づいたのですが、このダイアリーで取り上げた韓国文学3作品、翻訳はすべて齋藤真理子さんなんですね。

どんな図書館にするのか、が肝要?

今朝の朝日新聞です。

都内の図書館でストライキ騒ぎがあったなんて知りませんでした。

仕事柄、各地の図書館を見学させていただくことが多々ありますが、正直なところ、館長やその自治体の首長がどれだけ図書館や読書というものに理解があるかによって図書館お取り巻く環境がずいぶんと変わってしまうものだという気がします。いろいろと問題になりましたが。TSUTAYAに委託してしまうというのも一つのやり方ではあると思いますが、結局はどんな図書館にするのか、地域住民にとってどういう存在にしたいのか、といった点がきちんと議論できていないとダメなんだなあということです。

それにしても、日本という国では、図書館の司書とか博物館の学芸員といった職種の地位や待遇があまりにも悪すぎませんかね?

忘れたいことは何もない!

昨晩は、勤務先の忘年会でした。

あたしの勤務先では、全社挙げての忘年会というのはなく、各部ごとに行なわれます。

というわけで、営業・宣伝部の忘年会だったわけですが、今年は和食でした。各座席に置いてあったメニューは右の通り。美味しく、愉しく堪能いたしました。

ところで毎年、そして昔から思うことなのですが、忘年会と言っても、あたしは特に忘れたいことなんてないんですよね。それに今日から大晦日の間に今年一番忘れたいようなことが起きてしまうかも知れませんし……

忘年会って、何のためにやるのでしょう? 単に飲むための口実?

ちなみに、会場は水道橋駅からほど近い、庭のホテル内のレストランでした。

「どうしてこんなにぼくのこと知っているんですか?」って数え切れないほど聞かれたんだろうなあ

来年1月から全国公開予定の映画「ライ麦畑の反逆児」の試写会に行って来ました。

先に公開された「ライ麦畑で出会ったら」が、監督の若かりし頃の実話をベースとした作品であったのに対し、本作はサリンジャーの評伝を基にした映画です。つまり、サリンジャーが主人公の作品です。

物語は、自分の会社を継がせようと思っている父親、サリンジャーの文才を信じて応援してくれる母、そんな両親の元、大学で創作を学ぶサリンジャー。とにかく日々の不満、鬱憤を書きためて、文芸誌に持ち込んでは断わられ続けます。それでも諦めることなく、教授の叱咤激励を励みに書きつづけるのですが、第二世界大戦への参戦、ノルマンディー上陸作戦から続く激しい戦闘、生死の境を何度もくぐり抜け、次々に命を落とす戦友を間近で看取りながら、なんとか生き延びて帰還します。

「ニューヨーカー」との契約を結ぶものの、ようやく書き上げた『ライ麦畑でつかまえて』の大成功により、一躍時の人になります。しかし、世間の煩わしさを避けるための田舎に居を構えますが、それでも近所の高校生に裏切られ(高校の新聞の載せるためというインタビューが地元紙に掲載されてしまうと言う有名なエピソード)、ますます世間と距離をおくようになり、ついには書くものもなくなり、書きつづけはするものの出版はしなくなります。そんな若き日のサリンジャーの苦悩にスポットをあてた作品でした。

映画の公開の順序と内容的なことを考えると、個人的には「反逆児」を先に見て、その後に「出会ったら」を見た方が、時間の流れにも合うのでよいのではないかと感じました。

それにしても、自分の作品に対する自信、装丁や描き直しに対するこだわり。もし『ライ麦』がヒットしなかったら、単なる身の程知らずの若造で終わっていたかも知れませんよね。

ガサガサ、ゴソゴソ

週末のダイアリーで、最近のあたしの健康状態について書きましたが、もう一つ、このところ気になっていることがありました。

この二週間くらいのことなのですが、左耳の中でガサガサ、ゴソゴソと音がするのです。ずーっと音がしているのではないのですが、ちょっとした時にその音が響きます。

耳掃除しろよ、と言われそうですが、別に耳垢がたまっているわけではありませんし、傷か何かがあるような感じでもありません。だからこそ余計に気になります。

ネットで検索してみると、こういう症状の原因として、一つには耳垢が鼓膜にくっついてしまっている、というのがあるそうです。面貌などで耳掃除をした時に、却って耳垢を奥へ押し込んでしまって、そういう風になるそうです。

また、耳の穴ではなく、そこから延びている管に原因がある場合もあるそうで、いずれにせよ、あまりにもガサガサが続くようであれば耳鼻科に行った方がよさそうです。

ところで、先のダイアリーで首が痛むことについて書きましたが、似たような症状が大学生時代に起きました。ただ、その時は朝起きると首のところに瘤のようにポコンとした腫れが出来ていて、それが痛みました。そして夜にかけて腫れも治まり、また翌朝には腫れているという症状です。

この時は、首のところを通っている血管が詰まっていて流れが悪くなり、それで腫れているという診断で、手術をしてそのこんがらがっている血管を取ってもらいました。生まれて初めて、後にも先にもこれっきりの手術体験でした。

朝病院へ行き、うつぶせ寝の状態で首(後ろ側)のところだけの局部麻酔をされ、小一時間の手術でした。局部麻酔なので、医者がメスを入れる音などもしっかり聞こえますし、医者が学生(インターン?)や看護婦と話している声もバッチリ聞こえる中での手術でした。

術後の医者曰く、こんがらがった血管をすべて切除できてはいないかも知れないのでしばらく様子を見てください、とのこと。ただ幸いなことに、その後同じような腫れの症状は出ず、今に至っています。でも、今回のように首筋が痛むと、その時のことが思い出されます。