あたしのセンス

とある本の装丁。

あたしはそんなに悪い装丁ではないと思っていたのですが、ある書店で、書店員の人(一応付言しますと女性です)と話していたら、「ダサいよね」と言われました。

ああ、そうか。あの装丁はダサいのか、とちょっと驚き。

ところが、そんな記憶も覚めやらぬうちに、こんどは勤務先の同僚(こちらも女性)と、やはりその本の話をしていたら、装丁がダサいとの意見。

うーん、どうしたことでしょう。

センスというのは十人十色、人それぞれ感じ方があるわけですから、他人に合わせる必要なんてなく、自分が好きなものを好きだと思っていればよいのだと思います。

しかし、あたしの知り合いという共通項はあるものの、全く面識、接点のない女性二人が口を揃えて「ダサい」と評した本の装丁、これはやはり多くの人に聞いても「ダサい」という評価になるのでしょうか?

だとすると、それはつまり、あたしの感覚がおかしいということですか?

考えてみますと、勤務先で新刊の装丁を検討するとき、担当編集者がいくつかラフを持ってきます。数名でああだこうだ言い合うわけですが、多くの場合、あたしの意見はみなの賛同を得られません。ですから、あたしの意見は片っ端から却下されるわけです。

あたしは別にそれほど特殊な生まれでも育ちでもありません。ごくごく普通に育てられたと思うのですが、どうしてこんなにも他の人と感覚が異なるのでしょう?

あたしはフツーだと自分では思っているのですが……

行ってから読むか、読んでから行くか?

ライティングクラブ』読了。もう少し、本にまつわる物語なのかと思ったら、母と娘の葛藤の物語でした。

 

前半の舞台はソウルの桂洞で、その周辺、北村とか苑西洞といったあたりもしばしば登場しました。そのあたりがどんなところなのか、ソウルには、ほんの短期の旅行で二度ほど行っただけなので、街の雰囲気とか様子がわからず、想像するだけですが、だからこそこのあたりを主人公のようにあてもなく歩いてみたいなあと思いました。

が、ネットで調べてみると、このあたりは冬ソナの撮影場所であったり、伝統的な韓国家屋が建ち並んでいる地区ということで、昨今は観光客にも人気の、とてもおしゃれなエリアなんだそうです。作品では、現在よりもう少し前の時代が設定されているので、そんなおしゃれな雰囲気は感じられず(コーヒーショップなどがところどころにあるくらい)、むしろ寂れた下町、あまり収入の高い人は住んでいない地区、という印象を受けました。

そんなギャップがあるからこそ、やはり実際にその血に行って見たいと思わせるのが、海外小説を読む醍醐味ではないでしょうか?

一方、少し前に読んだ『真ん中の子どもたち』では舞台が上海です。上海がソウルとは異なり何度か行っていますし、街もずいぶんとぶらぶら歩きました。ここ数年の、万博以降の発展した上海こそ知りませんが、やはり作品の時代設定が万博前なので、「あたしの知っている上海」という親しさを持って読むことができました。

こういう風に、知っている町の風景が描かれることを楽しむのも、海外諸説の楽しみだと思います。知っている町だから楽しく読める、知らない町だから行ってみたくなる、どちらも海外小説を読む楽しさだと思います。どっちの方がよいとか正しいとか、そういう問題ではないと思います。

もちろん、こういう感覚は海外小説だけではなく、日本の小説だって同じですので、知らない町を舞台にした小説を読めば、行ってみたいなあと思います。が、やはり海外の方が「行ってみたい感」は若干強い気がします(笑)。それはなぜなんでしょう?

新宿での戦利品、鹵獲品?

新宿の紀伊國屋書店の店頭で配布されていました。

左は人文書コーナーにあった、ハンナ・アーレントおペーパー。右は文芸書コーナーで開催中の筑摩書房と河出書房新社の文庫フェアの小冊子です。

二社の文庫コラボフェアでは、紀伊國屋書店のみの限定復刊を行なっている模様です。うーん、こういうことが出来るのは、大手出版社だからでしょうか? それとも紀伊國屋書店という大型ナショナルチェーンだからでしょうか?

小さな出版社が街の本屋さんと、こういうフェアをやったとしても「限定復刊」なんて出来ないですよね? とはいえ、最低限どのくらいであれば可能なのでしょうか? 制作部数とか販売できる店舗数とか、という意味です。

上の写真はアーレントのペーパー。広げると関連書籍の書影をカラーで掲載しています。書影も紹介文も各社のサイトからコピペすれば簡単にできそうですが、こういうものを作るのって、意外と手間がかかるものです。なかなかの力作です。

で、アーレントのチラシの表をよく見ると、隅っこにこんな文字がありました。「日本出版販売株式会社」とあります。出版界の二大取次の一つ、日販ですね。そこの人文書担当者が作ったペーパーのようです。日販の方、なかなかやるじゃないですか!

しかし、その上には紀伊國屋書店のウェブサイトでも展開しているようなことが書いてありますので、このペーパーもあくまで紀伊國屋書店向けに作ったものなのでしょうか? あるいはこの部分だけ消して、他の書店にも配布されているのでしょうか?

格差が新たに生まれているのかしら?

朝日新聞に載っていたこんな記事。

児童書が売れているそうです。いわゆる昔ながらの絵本とか、そういうものではないようですね。このジャンル、あたしの勤務先は出していませんが、他社の人に聞くと、昔からのロングセラーが強くて、なかなか新しいヒット作を出すのが難しいそうです。にもかかわらず、こういう記事が出るわけですから、各社手を変え品を変えて努力しているのですね。

子供のころから読書の習慣が身につけば、小学校中学校の朝読、そして大人になっても本を読む習慣が持続されるのではないか、そんな期待もあります。読書する習慣のある子供は読解力などに優れ、従って勉強も出来る子に育つ、と言われますから、親としては切実な問題なのでしょう。子供のいないあたしにはわかりませんが……(汗)

記事では、教育熱心な親が子供のためにはお金をかけていると分析しているようですが、そうなると金をかけられない低所得の家庭の子供との格差が生まれてこないでしょうか? 学校の図書予算も潤沢とは言えないわけですから、自宅日本が潤沢にある子供とそうでない子供、本を買ってくれる親や祖父母がいる子供とそうではない子供。家庭環境によって火なり異なりそうです。そもそも、親に本を読む習慣がないと、本を買ってやろうとか、本を読ませようという発想も出て来ないですよね。

うーん、こんなところから子供の格差が新たに生まれてきそうで、手放しで喜べる記事でもないような気がします。

とはいえ、出版界としては、なんであれ本が売れるのはよいことです。ただし、他があまりにも売れていないので、ちょっと売れただけの児童書が上位にランキングされたのだとしたら、それはそれで深刻な話ですが。

ちなみに、妹夫婦はあまり本を読むようなタイプではなさそうなので、甥っ子姪っ子にはあたしがしばしば本を買ってやっています。家に、身近に本がある環境って、やはり大事だと思いますから。

フランスの作品✕2

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重陽の命日

9月9日です。

世間的には北朝鮮の独立記念日で何かが起きるのではないかということで持ちきりですが、あたしにとって今日は父の命日です。もう何年になるでしょう? 二十数年まえのことです。確か雨の月曜でした。そして、父の命日というのは、父の母、つまりあたしの祖母の命日でもあります。祖母は父が小学生のころに亡くなっているので、父も薄ぼんやりとした記憶しかないようで、もちろんあたしは逢ったこともありません。確か父の遺品の中に古い写真が一枚残っていただけのような……

そんな命日が重なる今日は、お隣、中国の指導者、毛沢東の命日でもあります。その後も紆余曲折がありましたが、事実上、文革が終息を迎えた契機になったのが今日ではないでしょうか? もう主席が生きていればこその文革でしたから……

 

なので、新刊『文化大革命 〈造反有理〉の現代的地平』などを手に取っていただきたい日でもあります(汗)。それにしても、中国国内ではどうなのでしょう? まだまだ文革時代の負の歴史を大っぴらにできないようなところがありますね。日本には歴史を直視せよと言いながら、自分たちは文革も天安門事件も国民には真実を知らせずでは構成とは言えないと思います。

それはともかく、ずいぶん前に古書店で見つけて、こんな本を買っていました。文藝春秋の臨時増刊です。

奥付を見ると1973年の刊行です。ちょうど日中の国交が回復された後ですね。そういった国際情勢を受けての編集、発行だと思われます。

巻頭、カラーグラビアの後には毛沢東の評伝が載っています。執筆は竹内実さんでした。この時点では、まだ毛沢東の真実、文革の負の面は日本に伝わっていなかったのでしょうか?全体的には日中友好を前面に打ち出した記事ばかりが目につきます。いわゆる、日中蜜月のスタートですね。

朝も夜も本の話

朝日新聞の朝刊に出版業界に関する記事が大きく載っていましたが、夕刊にもこんな記事が!

頑張っている本屋さん、そして出版社の記事です。

本屋だろうが出版社だろうが、一人で趣味的にやっているぶんには、その人がそれで満足ならよいのでしょうが、ある程度人を雇って経営していかなければならないとなると、俄然厳しさが増すのではないでしょうか?

それに、そもそもこういう記事で取り上げられる本屋って、いわゆる「街の本屋」ではないですよね?

果たして10年後の日本に求められている本屋って、どんな姿をしているのでしょうか?

北朝鮮問題の参考書?

北朝鮮の弾道ミサイルとか、核実験とか、どう推移するかわかりませんが、だからなのでしょうか? こんな本がちょっと注目を浴びているようです。

 

死神の報復(上)』『死神の報復(下)』です。本書の副題は「レーガンとゴルバチョフの軍拡競争」で、米ソ両大国の核開発競争の内幕を描いた、ピュリツァー賞受賞のノンフィクションです。

現在、アメリカと北朝鮮が競争をしているわけではありませんが、ロシアや中国も含め、水面下では日本の外務省などあずかり知らぬ交渉が行なわれているのではないでしょうか。

ウェブサイト掲載の内容紹介によりますと

1970代後半、ソ連は西側に大きな脅威となる「大陸間弾道ミサイル」を開発、80年に実戦配備した。83年、米はこれに対抗し、レーガン大統領が「スター・ウォーズ計画」を提唱した。レーガンは反共主義者であったが、ソ連指導者たちに私信を送り続けていた。ソ連が先制攻撃を仕掛けてきたら、従来の核抑止理論は役に立たない段階に至っていると考え、「核の全廃」しか道はないという理想を抱いていた。一方ゴルバチョフも、新時代の到来を内外に訴えた。レーガンとの首脳会談では意見が合わなかったが、核戦争に勝者がないという一点で、利害の一致を見た。ソ連崩壊後、焦眉の急は、旧ソ連に眠る核・生物兵器など「冷戦の置き土産」だった。頭脳や原材料・機材の流出を阻止すべく、米ではある「秘密作戦」が進行していた……。

とあります。すでに40年近い歳月が流れているわけですが、核兵器は全廃されるどころか、ますます世界に広がっているのではないでしょうか?

独立国が生まれる?

スペインのカタルーニャ地方の独立運動はこれまでに何度も持ち上がっていましたが、今回こそ本当に動き出すのでしょうか? そんな感じのニュースですね。

そんなカタルーニャについて知るには、こんな本が手頃ではないでしょうか?

 

中公新書『物語カタルーニャの歴史』、平凡社新書『カタルーニャを知る事典』です。著者はどちらも田澤耕さん。あたしの勤務先でもお世話になっています。

 

著書としては語学書の『ニューエクスプレス カタルーニャ語』、訳書には文庫クセジュの『カタルーニャの歴史と文化』があります。

田澤さんは『カタル-ニャ語辞典』も出されていますから、日本におけるカタルーニャの第一人者と言えるでしょう。

それはさておき、独立を問う住民投票の結果はどうなるのでしょうか?

新しいスマホ?

買いました!

スマホです。

機能は、時刻を表示するだけです。あと日付と気温も表示されます。アラーム機能も付いています。

先代のものに比べ、やや厚みが増しましたが、表面積は若干、ほんの僅かに小さくなっているので、ポケットに入れて持ち歩くには邪魔になりません。

裏側へ回してあるスタンド(脚?)がカバーになり、ポケットに入れて持ち歩くときはそうしますが、カバーには窓があるので、蓋を閉めても時刻を確認するのに不便はありません。先々代のものは、カバーを閉めるとすっぽり覆われて、時刻表示画面が見えなくなってしまうので不便でしたから、この使い勝手は、特に持ち歩きを考えると重要です。

もちろん電波時計です。暗いときにはライトもつきます。