大阪屋は大丈夫です

毎年恒例、十日戎の日に行なわれる大阪屋おでんの会。今回で四年、いや五年目の参加でしょうか? 今年は重大発表があるという事前報道もあり、例年以上の参加者数になったようで、まさしく立錐の余地もないとはこのことを言うのでしょう。

肝心の重大発表は、予想通りと言えば予想通り。それよりも社長挨拶で力強く「大阪屋は大丈夫です」と宣言していた言葉が印象に残りました。少なくとも俯いたりしてはいない。前を、上を向いて進んでいこうという姿勢は見られました。

この業界、景気のよい話は、この二十年近く聞いていません。だから揚げ足を取ろうと思えばいくらでも取れます。痛いところを突こうと思えば突けるでしょう。でも同じ業界内でそんなことをしても何のいいこともありません。やはり、お互いにちょっとずつでもよいところを見つけ合ってやっていくしかないのかな、そんな風に思いました。

何はともあれ、出版社としては売れる本を作ること、まずはそこでしょうね。

今年一年を振り返る?

週末に勤務先の忘年会が行なわれたので、いよいよ今年も終わりという感じがします。今年一年を振り返って、という企画はこの時期のテレビや雑誌、新聞などでも頻繁に目にしますし、個人のブログ、Facebookなどにも書かれています。

翻って自分はと言いますと、昔から一年を振り返るなんてことはしませんし、来年(新年)の抱負というものも考えたりしません。この一年も特に変わりなく過ぎていったし、新しい一年も変わることなく過ぎていくのだろうなあ、ということくらいしか考えません。目標など立てても、どうせなるようにしかならないのだから、立てるだけ無駄、面倒、というのが偽らざる気持ちで、目標を立てないわけですから一年を終えるに当たっての反省もありません。

とはいえ、「今年もあと少しで終わるのか」といった、人並みの感想くらいは持ちます。それでも、毎年大晦日も9時頃には寝て、元旦も6時頃には起きているという、ただの休日のような過ごし方をここ数年、否、十数年続けているので、年末年始の休みも「ちょっと長めのお休み」という程度にしか考えておりません。お節らしきものは母親が作りますが、新年だからといってどこかへ挨拶回りに行くとか、親戚で集まるということもなく、自堕落に自宅で過ごすことがほとんどです。もちろん初詣にも行きません。

考えてみますと、あたしって生まれてこの方初詣って、子供のころに家族で明治神宮へ行ったことが一度あるだけの記憶しかありません。それ以外、あたしの人生においては一切、初詣というものに行ったことはないです。テレビのニュースを見ていたり、ドラマなどを見ていると、大晦日に仲の良い友達で集まって夜通し騒いでそのまま初詣へ、といったシーンがしばしばありますが、そういったことも空前絶後、何を好きこのんで寒い中、出かけなければならないのでしょう? それに夜は寝る時間だし。

ということで忘年かは終わりましたが、特に忘れたいこと、水に流したいこともなく、わが身に起こったことはすべて自分の責任として引き受けなければという覚悟だけはいつでも持っているつもりです。自分を高めるために努力をしようとも思いませんので、取り立てて後悔もなければ満足感もない一年でした。

「搬入」か「発売」か

新刊『みんなの空想地図』は昨日取次搬入日でした。

というこの表現、業界の方なら即理解可能なんでしょうけど、一般にはどうも伝わりにくいようです。「刊行」「発売」とは違うのか、と言われると「部分的には合っているけれど、実は違う」という答え方しかできません。

どういうことか、少し前の『キフシャム国の冒険』の時にも同じような事態となりましたので、余計なお世話ですがちょっとご説明を。

一部地域を除いて週刊誌は毎週何曜日発売と謳っています。これはその曜日に全国の書店の店頭にその雑誌が並んでいるということで、大手出版社の期待の新刊なども何月何日全国一斉発売、などと書いてあります。

が、白水社はそうではありません。白水社が言えるのは「何月何日に取次(←この業界の問屋のことです)に入荷となります」ということまでです。このことを「何日発売」と言ってよいものか否か、やはりお客様には誤解を招きそうなので電話で問い合わせを受けた時には「発売」という表現を使わないようにしています。

で、取次に入った新刊はこんどは書店ごとに分けられ、それぞれの書店に送られるのです。取次は東京にありますので、東京の大書店であれば昨日の夕方にお店に入荷しているところもあるかもしれませんが、多くは本日の入荷になると思います。

日曜・祝日は基本的に荷物もストップしますので、今日入荷しなかった書店の場合、入荷は連休明けになります。それも地域によって火曜日入るお店もあれば水曜日になるお店もあると思います。このあたりの事情、流通状況はうちでは把握できていません。お客様には不親切な回答になってしまいますが、いま書いたような商品の流れを説明してわかっていただくより他に方法はありません。

で、「キフシャム」ですが、あの時も金曜日に「取次搬入」で翌日から三連休でした。しかし「搬入」を「発売」と理解したとおぼしき読者の方が金曜日に近所の書店に奔ったものの商品がないので「あっという間に売り切れた」と思い込んでしまったようです。ネットでは翌日からの三連休「どこの本屋に行っても手に入らない」という噂が乱れ飛び、却って混乱に拍車をかけてしまったようなのです。

この『空想地図』も、たぶん今日はほぼどこの本屋に行ってもまだ入荷していないのではないでしょうか? 置いてあるとすれば、東京の都心、ターミナルの大書店数店舗くらいだと思われます。

処女地なのよね

はじめて横浜のみなとみらいというところへ行きました。

仕事です。

図書館総合展というイベントに行ってきたのです。

実はあたし、これまで横浜ってほとんど行ったことがなかったのです。中華街には数回行ったことがありますが、横浜と言ったら行ったことあるのはそこくらいです。横浜駅は東横線とJRの乗り換えで降りたことがあるくらいで、駅から外へ出たことすらありません。

というわけで、今日、初めてみなとみらいという場所にも行ってきたのですが、ランドマークタワーってここにあったのですね。知りませんでした。観覧車とかが見えましたが、ちょっとした遊園地もあるようです。よくテレビで見かける赤レンガ倉庫街とかいうのも、あのあたりなんですね。

そんないろいろなことを知りました。

帰りにちょっと横浜で降りて、そごうの中にある紀伊國屋書店をのぞいてみました。これで横浜も降りたことがあると言えるでしょうか?

懐かしい感じの紀伊國屋書店という印象で、お客さんもよく入っていました。棚の高さも最近の書店のように高くなく、年配のお客さんにも優しい、という印象を受けました。

それにしても、昔は東横線は地上にホームがあったのに、みなとみらい線と接続したので地下に移ったわけですよね。東横線はいったい、どのあたりへ行ってしまったのか、という感じです。

帰りは、東横線で渋谷へ出たのですが、こちらも副都心線とつながったので地下へホームが移り、そのことはニュースでも大々的にやっていたので知っていましたが、果たして渋谷のどのあたりに移ったのか、地下を歩いて井の頭線方面まで移動しましたが、果たしてどこを歩いていたのか? そんな感じでした。

YAと人文、どっちが楽しい?

昨日の総会で担当が代わったYA出版会ですが、引き続き担当を続ける人文会と比較して「どう違う?」とか、「どっちの方が楽しい?」といった問いを受けることがあります。何が違うかと問われれば、方や中高生向けの書籍の普及、方や人文書の普及で、扱う書籍がまるで異なります。毎月一回例会が開かれる、年に一度二泊三日の研修旅行がある、図書総目録を作成するといった活動は同じですが、それ以外ではかなり異なるところがあります。

YAの方は、そもそも書店にYA(ヤング・アダルト)という棚、コーナーが作られているところはほとんどなく、まずはYAという言葉を知ってもらう、YAコーナーを作ってもらう、というところから始めないとなりません。ですから、年間を通じて書店の棚に陳列してもらう基本図書セットというものを作り、全国の書店にそれをおいてもらう活動があります。次に、年間を通じてYA本を置いてもらう棚が難しい書店でも年に一回のフェアなら可能だろうと言うことで、平積みフェアという企画も毎年行なっています。どちらも会員社20社の合同・協力jによるものです。

それに対して人文会は、小さな書店を除けば、多くの書店に人文書コーナーはあります。人文書と呼ばなくとも哲学・思想、歴史、心理、宗教と言ったジャンル、コーナーはあります。かつてはこういったジャンルを総称して人文書といったコーナーが作られていなかったので人文会が出来たと聞き及んでいますが、いま現在、人文書という売り場のない大型書店はないと言ってよいでしょう。ですから、人文書という言葉やジャンルを普及させるためにフェアを企画すると言うことは基本的にありません。このルーチンワークとしてのフェアを会を挙げてやっているか否かがYA出版会と人文会の大きな違いであります。

また人文会は人文書を出している出版社が加盟していますが、宗教が強いところ、心理学が強いところなど、各社多少のバラツキはあるとはいえ、だいたい似たようなカラーの出版社です(語学書が柱の一つになっている白水社がむしろ特殊かも)。それに対してYA出版会はこちらもヤングアダルト図書を出版している出版社の集まりではありますが、基本的な児童書の出版社と一般書の出版社の混成です。あたしから見ると児童書出版社は小さいころにお世話になった本の出版社なのでしょうが、小さいころに出版社の名前を意識して本を読む、読んでもらうことなどありませんので、ほとんどが「お初」の出版社です。その営業スタイルや出版のノウハウは白水社とはまるっきり異なり、目から鱗ということもしばしばでした。また一般書の出版社も晶文社のように比較的うちと似たようなところもありますが、河出書房新社や徳間書店のような大きな会社、ベストセラーを次々に放っている大和書房など、こちらもその本作り、営業スタイル、見ること聞くことが新鮮で勉強になることが多かったです。

人文会では「ああ、そうだよね」という言葉を交わすことが多いですが、YA出版会では「えー、そうなの?」「そんなことやっているんだ」という言葉を発することがしばしばありました。そういう意味では他流試合に参加させてもらったという感覚でしょうか。

いずれにせよ、この経験を今後の仕事にどう活かすか、そこが肝心なのではないでしょうか?

 

御役御免

帰宅して、母親が風呂を沸かしておいてくれなかったので、シャワーを浴びました。この季節、シャワーではなく温かいお風呂につかりたいところですが仕方ありません。それなら今日は風呂をパス、という選択肢も無くは無いですが、今宵の懇親会の席でタバコの煙を服も体もかなり吸い込んでいるので、きれいさっぱり洗い流したかったので致し方ありません。

あたし、だから飲み会ってあまり参加したくないんですよね。飲み会の席自体が嫌いなのではなく、タバコが嫌いなんです。ふだん営業で会う時は仕事中ですから皆さんタバコなんて吸っていませんが、たまに飲み会などの席で顔を合わすと、タバコを吸う人が意外と多かったりして閉口します。だから、あまり飲み会には参加したくないのです、本音のところは。

さて、本日は年に一回のヤングアダルト出版会総会かつヤングアダルト書総目録刊行会の総会でした。YA出版会の担当になってどれくらいでしょうか? 営業部に遷り、じきに前任者から引き継いでYA担当になり、たぶん7年か8年くらい担当していたのではないかと記憶しています。しかし、そのYA担当も今回で交替。今夜が最後のYA出版会でした。

ちなみに、前任者はあたしにYA担当を譲って人文会の担当になったわけですが、数年前に定年退職し、あたしは人文会の担当も引き継ぎ、この数年はYA出版会と人文会、両会の担当を兼任していたわけです。

大変だったかと問われれば、会議や打ち合わせなどが重なったり連続したりしてスケジュールのやりくりに苦労する時期が年に一回や二回はありましたが、通年で考えると決して大変という感じはなく、むしろ得るものの方が多かった社外活動でした。

営業部とは言っても、普通に書店を回っていただけでは、かなり社交的な人でない限り、回っている書店以外の人と顔見知りになるチャンスはあまりありません。あたしの場合、書店営業中も他の出版社の営業マンと出会うことがそれほど頻繁ではなく、たぶんそのままいったらほとんど業界のことは知らずに定年を迎えていたのではないかと思います。それがYA出版会、人文会と参加するようになり、他の出版社の人、取次会社の人、書店の人と、かなり人脈は広げることができました。

いや、一回や二回逢ったきりで人脈と呼ぶのはおこがましいですが、それでも何かの時に案内をいただいたり、思わぬ場所で再び逢って「あの時はどうも」といった挨拶を交わしたりして、あたしのような極めて内向的な人間でもそこそこの人の輪を広げることができました。特に、この三年ほどはYA出版会で研修委員長を担当し、研修旅行の段取りなどで取次会社の各支店、訪問先の地元の書店の方々と話をする機会が格段に増え、あたしはあまり覚えていないのですが、向こうにはかなり覚えられていたりすることが多々あるようになりました。

そんな財産をこしらえることのできたYA出版会の担当も今夜で終わり、これからは当面、人文会一本となります。YA出版会に対する反省などは改めて書きますので、今日はこのへんで……

どうせなら、これも一緒に!

ジュンク堂書店池袋本店の年末年始のイベント。

昆虫を美味しく食べる時代がやってくる! 内山昭一監修 昆虫食パネル展

ターゲットとなっている書籍は『むしくいノート』(カンゼン)と『食べられる虫ハンドブック(仮)』(自由国民社)の二点。

蜂の子とかイナゴとか、虫を食べるというのは、現代日本人のほとんどはしなくなりましたが、一部にはそういう食習慣が残っていることは知っておりますので、決して奇異な感じはしませんが、あえてこの時期にこういう本が出版されるのはなぜでしょう? ただ個人的には、このフェアには、是非とも片隅にみすず書房さんの『食べられないために 逃げる虫、だます虫、戦う虫』を並べていただきたいものです。

これぞYA棚?

YA(ヤングアダルト)出版会の仕事で、小平市にある白梅学園高校を訪問してきました。ここは大学、短大、幼稚園、そして中高一貫の清修学校が併設されている学校で、白梅学園高校だけでも約700名の生徒がいるそうです。

なにゆえ白梅学園を訪問したのか。それはYA出版会が毎年作成している「朝読ガイドブック」を全校生徒に配布するために大量購入していただいた学校だからです。毎年、学校で数冊購入していただいているところは何校もありますが、全校生徒へ配布するために人数分を購入してくださるようなところは滅多にありません。果たしてどんな図書館で、どんな活動を行なっているのか、興味津々です。

もちろんYA出版会とはいえ、実際の中高生に接する機会はほとんどなく、こういう機会に高校現場の声を聞かせていただけるのは、会の活動の大きな励みにもなります。そんなわけで勇躍、本日の訪問となったわけです。

学校は西武線の鷹の台駅から徒歩15分ほど。往路は国分寺からタクシーを使いましたが、20分ほどでした。小平の住宅地を抜け、周囲には創価高校、朝鮮大学校、武蔵野美術大学などが固まっており、鷹の台駅を挟んだ向こう側には津田塾大学もある、ちょっとした文教地区です。

学校は敷地内が工事中で、恐らく新校舎などの建設やグランドの整備を行なっているのでしょう。図書館は授業などを行なう校舎とは別で、司書の先生は「プレハブ」とおっしゃっていましたが、保健室と一緒の建物でした。放課後の時間だからでしょうか、建物の入り口は電気が付いていないのでやや薄暗い感じでしたが、図書館は700名の生徒数に対しては手狭かもしれませんが、決して狭すぎるという感じは受けませんでした。

部屋の半分はご覧のように棚が並んでおり、その前に文庫・新書を収納する回転棚が並んでいます。これまでYA出版会の研修旅行では中学校の図書室を見学させていただくことが多く、やはり子供向けの蔵書だなと感じることが多かったのですが、高校の図書室は違います。並んでいる本がほとんど大人向きと言ってもよいものが過半です。近所にある公立図書館の棚を見ているような気分です。

あまり授業の調べもの学習には活用できていないとのお話でしたが、これだけの本があれば、高校の授業向けとの調べものとしては十分ではないでしょうか。ちなみに、これが大学の図書館になると、PCルームがあって、本だけではなくネットでも調べものができるような環境が整えられているはずです。そこまでは求めなくとも、生徒が自由に使えるパソコンが一台でも置いてあれば、という気もしますが、それは帰宅して振り返ってみてわき上がる感想であって、実際に図書館を拝見していた時は、たくさんの本が整然と並んでいて、図書館独特の懐かしい匂いに包まれて、とても気持ちのよい一時でした。

それにしても岩波新書や学術文庫、何冊か中公クラシックスまで並んでいましたが、そこらの小さな公立図書館よりも充実しているのではないでしょうか? 別冊太陽も置いてありましたが、上掲写真に写っているような開架の書籍が1万冊ちょっと、その他に閉架の書籍が3万冊弱あるそうです。

この写真は、入り口の一番近くにある小説の棚です。書店で言う文芸書コーナーです。ここには海外文学は並んでいませんが、日本人の作家が姓の五十音順で並んでいます。

よく書店の方から「YAの棚をどう作ったらよいかわからない」という意見をいただきますが、ひとまず小説に関して言えば、こちらの図書館のこの棚を見ていただければよいのではないでしょうか? 小説だけではなく、ノンフィクションなどさまざまなジャンルが混じっているからYAは棚を維持していくのが難しいと言われますが、とりあえずは小説に絞って作るとするなら、ここの棚はとても参考になるのではないでしょうか?

東野圭吾や万城目学もあれば、宮部みゆき、皆川博子も並んでいます。変に子供っぽくせず、大人向けの本もまぜこぜになって並んでいますが、なんかすごく楽しそうな棚でした。見ているこちらも楽しくなりますが、本が楽しそうに棚に収まっている感じがしました。あたしの好きな宮木あや子さんの作品も数冊並んでいましたが、高校生が読んでも毒のあまり強くないものがセレクトされていて、ブラックな宮木作品は身長に排除されています。

たぶん、実際の書店でこれだけのYAコーナーを作ってしまったら大変でしょうけど、高校生に向けてアピールするにはこれくらいの選書でないとダメなのかな、という印象を受けました。たぶん女子高生には手が届かないほど高い棚、ジュンク堂よりも高そうな棚に床から一気に並んでいるこの棚の迫力はなかなかのものです。それがニコニコしながらこちらに向かってくる感じなのです。

惜しむらくは、先生も指摘されていましたが、校舎と繋がっていたない建物なので、雨の日は傘をささないと来られない、プレハブなのでトイレがなく、向かいの校舎まで行かないとならない、といった難点があって、本が好きな決まった子以外は図書室を利用している生徒はそれほど多くはないようです。

もったいない、と感じるものの、かく言うあたしだって、自分の高校時代を振り返って、図書室が学校内のどこにあったか思い出せないわけですから(←つまり図書室を使っていなかった!)、白梅の生徒さんを責める資格はありません。ただ、それでもこうして偉そうに出版社の人間です、と仕事なんかできているのですから、嘆く必要はないのでしょう。そもそも700名からの生徒がみんな本好きで、本ばかり読んでいたら、それはそれで学校としても問題でしょうからね。

 

本屋と図書館

今朝の朝日新聞に新作映画が劇場公開になると同時にネット配信を始めるという記事が載っていました。

記事を読むと既に実験的に始まっているようですが、基本的に映画はまずは劇場で公開され、その後、DVDやブルーレイなどの発売、レンタルがあり、スカパー!やWOWOWなどの有料放送での放映があり、最後に一般のテレビでの放送という流れだったはずです。映画公開と同時にネット配信などされては映画館に客が来ない、というのがこれまでの常識だったと思いますが、そういった常識は今や崩れ去り、とにかく映画というものをより多くの人に見てもらおうということがまずは肝要ということのようです。

この記事を読むと、あたしは図書館と本屋の関係を思い出します。いま、新しい本が出版されると本屋にも並びますが、図書館にも並びます。図書館の場合、発売から数日のタイムラグがあることもあるようですが、ほぼ発売と同時に並ぶと言ってよいでしょう。人気のある作品の場合、本屋に注文しても、図書館で貸し出し予約をしてもいずれも長いこと待たされるという状況も同じです。

両者の違いは何かと言えば、本屋ではその本をお金を出して購入するのに対し、図書館は無料で貸し出しているという点です。これまで何度も書店の側からは民業圧迫という意見・苦情が出されていました。特に同じ本を何冊も購入している図書館が非難の槍玉に挙がっていたと記憶しています。

それに対し図書館側も税金で運営している以上、市民の希望を叶える義務があると言います。この理屈もわからなくはないですが、個人的には図書館の役割ってもうちょっと違うのでは(?)と思います。もちろん、失われた数十年のせいで家計も苦しいですから、本を買いたくても買えない、だから仕方なく図書館で借りるという人も多いのでしょう。通勤電車の中で図書館の本を読んでいる人の割合がこの十数年確実に上がってきています。最近は文庫や新書まで図書館の本で済ませている人も目に付きます。

それはさておき、出版社から見るとどうなのでしょうか? 正直に言ってしまいますと、図書館は優良なお客様です。時に予算が足りなくて、とか、この本は図書館の蔵書には向いていない、といった理由で返品になることもありますが、多くの場合返品はほとんどなく、出荷すなわち売り上げになります。それに対して書店の場合、出荷した冊数が全部売れるとは限りません。もちろんほとんど売ってくれている本屋もたくさんありますが、売れずに返品される本の数もかなり多量にあります。この返品問題が出版業界の宿痾にもなっているわけですが、とにかく出版社から見て返品がほとんどないという点だけを見れば図書館は最も優遇されるべき顧客であると言ってもよいと思います。

でも個人的には、あくまであたし個人の意見ですが、出版社は図書館に本を納入するのに一定期間待つべきではないかと思っています。本が出版されて本屋に並び、例えば3か月とか6か月は図書館に納入しないというルールを作れないかと思います。これは上述の映画のやり方を見ていて思ったことです。図書館も税金で運営されている以上住民サービスを疎かにできないのはわかります。ですから図書館に納入しないと言っているのではありません。あくまで一定の猶予期間を設けようということです。

ただ、これで果たして本屋の売り上げが上がるようになるのかはわかりません。多少の効果はあると思いますが、劇的な効果が見られるのかどうか、よくわかりません。では半年の猶予期間を設けた場合、図書館は同じような冊数を購入してくれるのか。これもわかりません。新刊だから100冊の注文があったけど半年先なら30冊でいいや、ということになる可能性も大いにあるでしょう。ならば、その差である70冊は確実に本屋の売り上げでカバーできるのか、ここが読み切れません。全体として本離れがますます進むだけの結果になるかもしれません。そうなったら悲劇です。目も当てられません。

そんなことをたまに考えている矢先の今朝の新聞記事です。いろいろと示唆に富んでいると思います。ネット配信では書籍も始まっていますから、状況は映画と似ているところも多々あります。もっと情報収集していろいろ考えたいと思います。

 

どうして人文書が売れないのか?

どのジャンルも売れてないと言ってしまえばその通りなんですが、「人文書は売れない」という台詞もこの業界の人口に膾炙して久しいものです。でも、ふと思いました。いまの日本の政治と同じなのか、と。

どういうことか? 民主党政権って、異論はあると思いますが、あたしの印象では青臭い理想を掲げた政治をやろうとしていたんじゃないかと思います。官僚から政治を取り戻す、金権体質の自民党政治に訣別などなど、少し前の日本だったら馬鹿にされそうなくらい青臭いセリフだったと思います。でも、国民はそれに乗ってみることにしたわけです。

でも、結局、それでは腹の足しにはならない、誰がこの国の舵取りをやってもいいから、とにかく満足に食べられるようにしてくれ、という国民の声が強くなり、結局は何を食わせてくれるのかわかりませんが、とにかく腹に入るものを出すと約束してくれた自民党に、国民は再び賭けてみたわけです。

で、あたしの感覚では、民主党時代は哲学を語ろうとした時代だったのではないか、という印象なんです。その哲学の中味がどういうものであったか、後世の人の検証に耐えるほどの中味を持っていたのか否かは今は問いません。とにかく民主党は哲学で政治をやろうとしていたのではないか、少なくとも前半においては。

それが国民にそっぽを向かれたわけで、それってつまり国民は哲学なんて求めていない、もっとすぐに役に立つような本が読みたいんだという動きとシンクロしているような気がするんです。ダイエットなんかの本は相変わらず売れていますから。

でも、逆に考えると、民主党の掲げた哲学が稚拙だったから国民はそっぽを向いただけで、もし哲学と呼ぶにふさわしい内容を備えていたならば、こうも早々と自民党に政権を奪還されなかったかもしれないとも思えます。つまり、人文書も本当によいものなら売れるはずだという、もう何十年も言われ続けている、ありきたりの結論に行き着いてしまうわけですが……(爆)

やはり、腰が痛いとろくなことを考えませんね。