高い!

本日は毎年恒例の取次会社の新春の会でした。

この業界を二分するトーハン日販という二つの取次がございまして、この数年、前者は椿山荘で、後者はパークタワー東京で行なわれています。あたしはこの数年、ずっと椿山荘の方へ出席していたのですが、今年はプリンスへ伺いました。広い宴会場に大勢の人。目眩がしそうです。そうそう、この会場を地下鉄を降りると目の前に東京タワーがあります。つい先日訪れたスカイツリーに比べ、そんなに低いのでしょうか? 東京タワーはやはりこの距離で見れば十分高いと思いますけど……

新春の会。業界の新年会ですが、つまりは立食パーティーです。せっかく来たのだから、何か食べたいではないですか! なにせ今日のあたしは、朝の4時前から目が覚めてしまい、朝の食事をしたのは4時すぎ、15分頃だったでしょうか。ですから、10時からの新春の会が始まった頃にはかれこれ6時間が経過していたわけです。

お腹も空こうというものですが、いろんな人とあいさつを交わしたり、あるいは人を探したりしていると、なかなか料理にはありつけません。かといって、午後からは書店回りをしようと思っていましたので、酒を飲み過ぎるわけにもいかず、結局、乾杯のビールをコップに一杯、それとオレンジジュースをこちらも一杯飲んだだけの会でした。

せっかくのプリンスなのですから、もう少し料理を堪能したかったです(涙)。

 

さあ、仕事! 新潟から北陸へ

とうとう年末年始休みも終わりです。

いや、もうとっくに働いているよ、という書店員さんをはじめとしたサービス業従事者の声が聞こえてきますが、とりあえず、あたしは明日から仕事です。

仕事が楽しみということはありませんが、気持ちはもう既に出勤モードに入っているのか、今朝は4時すぎに目が覚めました。ふだん会社に行っている時に起きるような時刻です。明日からは仕事だと意識しただけで体は無条件に反応し、目覚ましなどかけなくともきちんと目が覚めてしまう……

単なる年のせいかもしれませんが、それはそれで哀しいものです。

夢も仕事の話でした。

よく事情はわかりませんが新潟へ出張へ出かけていました。向こうで何かの会でもあったのか、見知った出版社の人間も何人かいたような気がします。ただ、肝心の会だとか、書店営業のシーンは夢には全く出てきません。むしろ夢の中で出てきたのは暴力団的な人たちに襲われかかったシーンです。なんで堅気のあたしが暴力団に襲われるのか。夢の中では、あくまで夢の中の話ですが、数年前に廃業したある書店の廃業の裏には暴力団の暗躍があったという噂です。街の小さな書店の閉店に暴力団が絡んでいるというシチュエーション自体が既に支離滅裂な夢の夢たる所以です。

結局ほうほうの体で魔の手から逃れたあたしは新潟から北陸を営業回りしたようです。「したようです」と書いたのは、夢の中では富山、金沢、福井と経巡った感じなのですが、やはりここでも書店に行ったシーンが全く出てこないのです。でも夢の中のあたしは北陸を回って若狭湾沿いに西へ進み、そこから神戸に出たのです。

いや、敦賀とかそのあたりからなら神戸ではなく京都へ出るのが普通でしょ、京都は素通りしても大阪へ向かうでしょ、というのが一般常識でしょうが、なぜかあたしは夢の中では神戸へ向かう列車に乗っています。それも特急や急行ではなく快速です。夢の中では福井か敦賀あたりから、確か9駅か10駅停車しただけで三宮という、とても快速とは思えない快速に乗っていました。駅名は忘れましたが、車内にはっしっかりと停車駅の掲示があり、ご丁寧にもあたしは夢の中で三宮までの停車駅数を数えていましたから。

たぶん伏線になっているのは、数年前の人文会の研修旅行で山陰へ行った折、最後にあたしだけメンバーと別れ、出雲から陸路岡山経由で大阪へ向かったのですが、その時の岡山までのローカル特急の記憶だと思われます。ですから、今回の夢も福井か敦賀あたりから乗っているのですが、夢の中のあたしの意識としては舞鶴とか豊岡あたりから一気に南下して三宮へ向かっている感じなのです。上に10駅ほどでと書きましたが、所要時間も約1時間という、こちらも誠に快速らしくないスピードです。リニアモーターカーでも開通しないととても無理でしょうが、これも夢です。

さらにおかしいのは、夢の中であたしは確かにその快速に乗って三宮に向かっていたのですが、途中から車内のあたしの意識は空に舞い上がり、中空から自分の乗っている列車を眺めていました。ちょうどジオラマの中を走っているNゲージのようです。ただ、ジオラマなどというステキな風景があるわけではなく、消灯時間を過ぎた夜の病院の廊下のようなところにあたしが立っていて、その足下にNゲージのような列車があるのです。あたしがしゃがみ込んで目をこらすと、廊下にレールがうっすらと見えるくらいです。小さい子供がおもちゃの列車を自分で動かして遊ぶように、あたしはその列車を自分の手で押していきました。しばらく進むとレースはエレベーターの中に向かいました。

子供のように、そのまま列車を押しながらエレベーターに乗り込んだあたしは、なぜだか3階のボタンを押しました。そして誰かがエレベーターに乗ってきた時に、電車遊びをしていると思われるのが恥ずかしくて、Nゲージのような列車を慌ててカバンにしまったのでした。案の定、6階で人が乗ってきました。ちなみに、あたしが乗り込んでのは9階でした。6階であたしは思わずエレベーターを降りてしまいました。特に回数を見ていなかったので、てっきり3階に着いたと思ったのでした。その時、6階から乗り込んできた人が6階ですよと声をかけてくれたので、あたしは慌てて回れ右をしてエレベーターに戻りました。

6階で乗ってきた人、顔は見えないのですが、声はあたしの勤務先の人にそっくりでした。あたしは礼を言った後その人に、ここは三宮ですよねと話しかけました。その人は、はい、そうですよ、と答えてくれました。3階についてエレベーターを降りると三宮の駅近くの雑居ビル。駅から伸びるデッキがこのビルの3階で繋がっているのを知っていたので、あたしは3階で降りたわけです。予約していたホテルを探して駅前を歩いているところで目が覚めてしまいましたが、いったいどういう風にこの夢を解釈したらよいのか、まったく理解できません。

 

打ち上げない

仕事は今日で終わりですが、意外と注文の電話が鳴った日でした。書店の方も、もう年内に届かないのは織り込み済みなので、面倒な頼まれごともなく、無事に終わりました。本日は午後3時までで、その後、社内で簡単な打ち上げがあると、社長から全社員に通達がありましたが、雨も降ってきそうなのと、わが家に来ている妹家族もいますので、あたしは3時半には退社です。

会社を出た時には軽く雨が降っていましたが、折り畳み傘を出すのも面倒なので、コートのフードをかぶりながら駅へ向かいました。地元の駅を下りると、こちらは降っていなかったのでラッキーでした。こういうものすごく小さいラッキーばかりで、大きなラッキーが起こらないのがこの数年、否、十数年のあたしです(涙)。

そして、打ち上げに参加せず帰宅したのは正解でした。帰宅後、宵から晩にかけて中央線が人身事故か何かで停まっている、あるいは動き出したというニュースが入ってくるではありませんか。最終日に、持って帰らないとならない荷物をたくさん抱えて、満員電車よりも混んでいる電車に乗りたくはありませんから。こんなところも、小さなラッキーなんですよね。今年のあたしを象徴していると感じます。

あと一日

31日まで働き、お店によっては元旦から営業というところも多い、数多の書店員さんには申し訳ないですが、こちらは明日で終わりです。仕事納めです。

明日はほぼ大掃除で終わるでしょうから、書店営業という面ではほぼ今日で終わりとなります。明日も営業に回ろうと思えば回れますが、たぶん3時で仕事が終わって軽く納会。たぶん酒を飲むでしょうから、酒臭い息で書店に顔なんか出せませんよね。

今年も一年、たいへんお世話になりました。この場を借りて感謝の気持ちを述べたいと思います。

って、ネットは年末年始も見ているから、あまり年末年始休暇という感じもありませんが……(笑)

そもそも、あたしの場合、年末の大晦日もいつも通りの時間で寝てしまいますし、元旦の朝も6時くらいには起きて、いつも通りのトーストで朝食を食べてます。単なるいつものお休みと変わりありません(爆)。

このタイミングで

既に業界を騒がせている、取次大手トーハンによるブックファーストの子会社化のニュース

このところ、業界全体としてよいニュースが飛び込んでこないことが常態化していますが、このニュースはかなりの衝撃波です。多くの人が寝耳に水だったようです。

子会社化がどうの、といった論評はさておき、これがもっと大きな業界の、大きな買収話であれば、テレビや新聞でも取り上げられるのでしょうけど、斜陽と言われて久しい出版業界のささやかな話題ですから、一般の新聞ではまず載っている方が珍しい、おかしいという感じでしょうか。こんなところにも業界の現状の厳しさがわかります。業界内では話題沸騰でも、結局は小さな小さな鍋の中のことでしかなく、鍋の外の広い世界から見れば、鍋の中が沸騰していよう冷めていようが、どうでもよいことなんですよね。もっと大きな鍋がいくらでもあるわけですから。

とはいえ、やはり業界にいる人間としては大きなニュースであることには変わりありません。この業界は印刷、製本などとも繋がっていますが、流通の大きな流れで言えば出版社、取次、書店という構造です。それなのに取次が書店を買収してしまうと言うのは、公正取引上の問題はないのでしょうか? もちろん書店は他にもまだまだたくさんありますけれど、他の書店から見たら不公平感って抱かれないのでしょうか?

もちろん、こういうニュースが入ってきたからといって、ブックファーストの店舗ががらりと変わるわけではないでしょうし、出版社としても特に特別な対応や対策を取るということもなく、当面はこれまでどおりに過ぎていくのでしょうが……

アカデミズム

本日は東京駅八重洲北口を出てすぐのところにあるサピアタワーの中にある立命館大学東京キャンパスへ行って来ました。行って見て初めて知ったのですが、このタワーには立命以外にもいくつかの大学のキャンパスが入っているのですね。こんな都心の一等地にキャンパスを構えるなんて、私学はやはりお金を持っているものだと思います。

さて、なんでそんなところへ行ったかと言いますと、立命館孔子学院の公開講座「中国(語)をぼやく」を聞くためです。内容は『白水社中国語辞典』の編集でたいへんお世話になった中川正之、杉村博文、木村英樹の三先生による鼎談でした。このところ、本屋営業が主になり、大学の先生回りだとか学界などへの出展がほとんどなったかので、こういった学問的な話から離れて久しかったです。ですので、なかなか頭がついていかないところもありますが、やはり刺激的で、聞いているのは楽しかったです。我ながら、勉強というか、学ぶこと考えることが好きなんだなと思います。

話柄の中で興味深かった話題はいくつかありましたが、その中から一つ二つ取り上げるとしますと、「漢字不滅、中国必亡」という中国文のこと。「漢字が滅びなければ、中国が亡ぶ」という魯迅の比較的有名な言葉です。識字率とか近代教育だとか、当時の中国のさまざまな困難を前にして、魯迅なりに出した結論の一つなのでしょう。まあ、魯迅以外にも漢字廃止論を唱えた識者はたくさんいましたから、取り立てて奇異なものでも突飛な言説でもありません。

この文章、特に接続詞はありませんが、何々ならば何々というふうに、条件として解釈するのが一般的です。ところが最近の学生は「漢字が滅びることはないが、中国は必ず亡びる」という解釈をすることが多いそうです。これだと逆接に結んでいる構文となります。中国語の場合、逆接に読むためには、それを示す接続詞が必要になるので、この解釈は間違っているというのが教室での教え方になるわけですが、なぜに条件だと接続詞はなくてもよいのに、逆接だと接続詞が必要になるのか、やはり条件とか因果の関係の方が普通の流れだからなのでしょうか?

また中国語の「初恋」には「初めての恋」という意味と「恋愛の初めの頃」という二つの意味があるのに、日本人は得てして二つ目の意味を忘れたり知らなかったりするそうです。言われてみると、「初夏」と言った時、それは「夏の初めの頃」を指すのであって、「初めての夏」という意味で使うことは、日本語ではまずありませんね。「田舎から東京へ出てきて初めての夏]という意味で、日本語の場合、「初夏」という言葉を使うでしょうか? たぶん使わないでしょう。

また、「このレポートを5時までに提出しなさい」と言えば、5時きっかりまでに出さないといけなくて、5時10分でも、5時50分でもアウトです。それに対して「5日までに出しなさい」と言われた場合、4日のうちに出す必要はなく、5日であれば朝一番で出してもお昼に出しても、あとちょっとで6日になるという夜中に提出してもOKです。「時」と「日」の持っている幅の違いが感じられる好例です。

中国を話柄にしながらも、言葉そのものについて考える愉しい一時でした。

 

オシャレ路線

今日は午後からYA出版会の例会、そしてそのまま晩は忘年会でした。

なんか、このところ忘年会が続いているような気がします。もちろん、毎日ではありませんが、毎週なにかしらあります。そんな季節なんですよね。たぶん、この忘年会がなければ、別に師走だからといって特別忙しいわけでもないのだろうと思います。とはいえ、それ自身では停まることなく流れているのが「時間」ですから、どこかで区切りを人工的につけて、リセットしないと人間は生きていけないのでしょう。

さて忘年会ですが、今年はイタリアンでした。神楽坂と江戸川橋の中間のあたり、「ラ・レッテラ」というお店です。総勢で40名弱になりましたので、お店は貸切です。だからなのか、とても楽しい会になりました。コース料理でしたが、野菜をふんだんに使っていて、パスタも美味しく、デザートのロイヤルミルクティーのアイスが特に絶品でした。

一般に、こういった業界の忘年会は居酒屋で膝つき合わせて飲みまくる、というものを想像しがちだと思いますが、YA出版会も担当者の女性率がこの数年高くなり、オッサンぽく居酒屋でドンチャン騒ぎというわけにもいかないだろうと考え、お店をチョイスしました。

ちなみに昨年は市ヶ谷の日仏学院(最近はアンスティチュ・フランセ東京と言うようですが)の中のレストランが会場でした。これもあたしのチョイスです。二年続けてちょっと小洒落たお店を選んだわけですが、お陰様で皆さまの感想もよかったのではないかと、勝手に推測しているのですが……

好調に推移

ここへ来て、書評が出始めたので動きがよくなり注文が続いているのがこちらです。

主要全国紙ではなく地方紙にこのところ毎週のように載ったので、各地の書店から注文が来ます。この本、出た直後から書店の方の反応はよかったのですが、実売になかなか結びつかず書評が出ないかなと期待していたのですが、こういう地方紙書評の波状攻撃がここへ来て効果を上げているようです。

次に、これは間違いなく全国紙に出たからですが……

これは全くの海外小説です。音楽書でもなければ、音楽関係のノンフィクションでもありません。週刊朝日にも書評が載ったので、俄然売れ行きに弾みがつきそうです。高額の化け物『2666』の陰に隠れがちですが、本書もガイブンとしてはかなりいい線いってます。

それと、最後に出たばかりなのに出足好調なのがこれです。

中国の近代史、それも一番馴染みのない時代だと思いますが、これが実に面白いです。この十数年がこんなに面白いなんて迂闊にも知りませんでした。軍閥たちの離合集散、あまりにも自分のことしか考えないバカさ加減というか愚かさには、当時の日本軍でなくとも呆れてしまいます。それでも一所懸命に時代と格闘する彼らは格好いいです。

 

キンドルで読むか?

何度も触れているように6600円もする高額な海外小説『2666』がよく売れています。

あの厚さ、内容はとても面白くてどんどん読んでいけるのですが、とても通勤通学の電車内で読むような大きさではありません。寝しなに布団に横になって読むのも30分くらいが限度です。手が疲れてしまいます。Twitter上でも腱鞘炎と闘いながら読み進めているかたがたの報告がつぶやかれているとか。そんなにまでして読んでくれるなんて、とてもありがたいことです。

ところで、こんな記事がありました。

なぜ日本は「電子書籍の墓場」なのか(下)

ここに書かれている内容はともかく、コンパクトな筐体に書籍何百冊、否、1000冊程度収納してしまう電子書籍端末はとても便利、という声が当初聴かれていました。端末の普及の度合いはともかく、確かにあれ一台でたくさんの本を持たなくて済むというのは魅力ですし、それはようやく商品が出揃った今でも変わらないことだと思います。

で、思うのですが、そういう時、この『2666』なんて、電子書籍端末で読むにはうってつけのボリュームではないでしょうか? 実際、この本は1.2キロの重さがあります。とても日常的にカバンに入れて持ち歩くような重さではありませんし、大きさもかなりのものです。

でも、これが電子書籍化されたら、あのコンパクトなキンドルとかコボに入ってしまうわけです。とても気軽ではないでしょうか? 値段設定の問題はありますが、これなら今以上に普及すのではないかとも思えます。

 

ただ、どうでしょう?

この本が電子書籍になったら買いますか?

あたしは、この本を買ってくださっている方々、たぶん電子書籍だったら半分も売れないのではないかという気がするのですが……

午前様?

本日は、多摩地区の某書店の人文書勉強会。テーマは仏教について、でした。

都心部の大型店と異なり、地元密着の小規模店にとって、人文書をはじめとした専門書をどう売るかはなかなか難しい問題だと思います。正直に言ってしまえば、しっかり揃えるだけのスペースが取れないのであれば、全く置かないというのも一つの選択肢だと思います。それでも書店の側がそのジャンルを強化したいというのであれば、協力したいと思うのが出版社の「さが」です。

さて、その仏教のお話。広く宗教と考えてもいいかと思いますが、そうなるとキリスト教やイスラム教などをどこまでフォローするかという問題にぶつかります。最近は若い僧侶のエッセイのようなものも売れていますが、あれらは宗教のコーナーでよいのか、という悩みもあります。

個人的な印象から言ってしまえば、宗教の教義について知りたいというのであれば専門書、人文書のコーナーだと思いますが、宗教に癒やしを求めたいというのであれば自己啓発や文芸・エッセイのコーナーでよいのではないかと思います。もちろん仏教の場合なら、日本史の棚に入れ込んでしまうというのも中小規模店ならではの並べ方だと思います。逆にキリスト教やイスラム教も昨今の中東情勢などと絡んでくると、むしろ時事、国際問題のコーナーの方がフィットするのではないでしょうか?

たぶん、1000坪クラスのお店でなければ、宗教だけを切り取ってしっかりとした棚作りをするのはスペース的に難しいと思います。それよりも、上に書いたように他のジャンルとの親和性や関連性を考えて並べる、棚を作っていく方がお店の人も仕事をしていて楽しいのではないでしょうか?

若い僧侶のエッセイなど、主たる読者は女性だと思います。「女性エッセイ」という棚の分類にしてしまうと漏れますが、「女性向けエッセイ」という分類なら作家、評論家、エッセイストの作品と一緒に並べられるでしょう。そういう工夫も楽しいのではないかと思いました。

とまあ、そんなこんなで打ち上げにも出ていたら、あやうく午前様になるところでした。